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ドキュメント内 真宗研究4号全 (ページ 88-91)

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﹃正信偏﹄に﹁己能雄破無明闇貧愛損惜之雲霧﹂等とあるQこの無明を如何に解稗するかと云う事が今の問題を解

決する重大なる鍵となる︒今云う貧愛唄惜の雲霧とは信後の吾々の上に尚且つ叢起する煩悩にして︑宗祖は常にこの

寝室慣の二つを以て表現せられている︒コ多文意﹄昨計に﹁無明煩悩われらがみにみち︿欲もおほく︑いか

りはらだち︑そねみねたむこLろおほくひまなくして︑臨終の一念にいたるまでとLまらずきえずと水火二河のたと

へにあらはれたり﹂とあり︑煩悩をあらはすに二河喰を指摘せられている︒水火の二河は云うまでもなく貧輯の二つ

である︒このこ河除の中に苦言﹁衆生貧唄煩悩中能生清揮願往生心﹂︵散善義一計一︶と云い︑何れも貧棋の二つを以

て煩悩を代表せしめている︒而して今この場合何故愚痴を出されなかったかと云うことである︑之は恐らく無明を以

て愚痴にかえられたものと思はれる︒同となればこの無明は前述の如き車なる煩悩としてのみでは通れ念い︒既に貧

慣の雲霧が信後に於ける煩悩として表現せられであれば︑無明閣は衣下の明無闇に相封し︑根本煩悩を意味するもの

であらねばならぬ︒郎ち愚痴無明を意味する︒障って﹁己能雄破無明闇﹂とは根本無明たる愚痴無明を打ち破ると雄

もと云う事であり︑この愚痴無明は不了悌智の疑惑に相嘗する︒信の一念に悌智満入し疑惑心は忽ちにして消滅し︑

掻取心光常照護の身となる︒然れども尚ほ枝末無明たる貧唄煩悩が生起し︑異質信心の天を覆うと雄も︑

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明卸ち不了悌智の疑惑の断滅せられたる以上は︑煩悩はあれども無き分にして往生の障りとはならず︒斯く解轄する

ことにより今の無明は聖道に云う根本無別たる愚痴無明にして︑この愚痴無明に相却して不了僻智の疑惑を窺はんと

するものである︒斯く窺うことにより聖教の異意を汲み取って行かんとしたるが先輩苦心の跡であり︑之を以て真宗

別途の無明轄義となしたものと思はれる︒斯様に考うることが許されないであらうか︒

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ドキュメント内 真宗研究4号全 (ページ 88-91)

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