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真宗研究4号全

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Academic year: 2021

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全文

(1)

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員。宗連合事曾研究紀要

一一第四輯一明

郎事禾U34'¥-9J5事

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笥毛持拡空通

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尋義挙当

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明 主 主 翰 機 光 寺 所 蔵

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佐杢耳降

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目 次

主壬p 刀ミ

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興正寺停来の﹃三経往生文類﹄について:−

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: 今

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・ 上

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俗信に封する法然上人の敬一不

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朗︵二︶

・:::佐々木徹員︵一天︶

﹃愚禿紗﹄の問題と﹃擢邪輪﹄の所論・

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慧 〆ー、、 タ主 主主

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疑・無明・愚痴の交際について

||真宗安心上の問題としてーーー

稽 名

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||清津浦之の奇零行について

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−|﹁後生たすけたまへとたの b ﹂考|| 第六回大曾研究費表︵昭和三十凶年五月二十四日︶

||キエルケゴールとの類比的考察 i l l

抑止門の意義について

無著の願中論について

停績の六角夢想について:・

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・ 竹

目 次 d弘、. 居

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秀 茨 租

襲 ︵ 也 四 ︶ 彦 ︵ 八 五 ︶ 邦 ︵ 九 六 ︶

光会一

O ︶ 明︵一二一︶ 政 ︵ 一 一 一 一 ニ ︶ 運︵一回一 Z ︶ 悟︵一五一︶ 範︵一六ニ︶

(8)

主主 次

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: 村

お文の理解の仕方について:::;

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||松山民の既設におする滋剣

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正信鵠文の修訂に就て:

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設驚聖人に於ける自力・地方の意義.!

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: 棲

悪人正機設について

総︿一九八﹀

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伊勢地方に沿ける常一町時代の高田誠敬閣について

観経下三品の機相はついて:

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主』 -p ︵ ⋮ ⋮ 同 一 ﹀

シンポジュウムタ異宗教義の註曾性。

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五 回

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について

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日宗認八十五才の著述である。 二 経 住 生 々 ︿ 類 い は 、 震 一 克 二 年 興正寺に侍来ぢれている宗祖の韓議 れ て い に記されている卒俊霞によっ 一 程 往 生 文 類 恥 は 宗 祖 の 同 県 筆 と し ℃ 縛 来 さ れ て い る も の に 、 ー古 来 部本願寺所蕗 正 寺 所 減 1, ι 一経住生文類いについて、京翻の真筆であ 託 制 裁 者 で あ る 卒 俊 直 と 宗 制 服 今、此の興正寺所織の の概離を述べ紹介し境いと思う。七一向年間停楽された宗祖の真筆 一 経 往 生 文 類 ﹂ に 、 今 の 関 係 を 控 察 し 、 まのあたり数化に逢う事は非滋 い 事 で あ る 。 甑 開 廷 寺 伝 説 小 の 河 一 一 一 部 斡 往 笠 文 類 い に つ い て

(10)

臨 門 店 縁 日 伝 来 の 刊 一 一 一 怒 従 生 文 類 ﹄ に つ い て ハ イ ﹀ 現在の鞍醸

ii

弘化年間に修理されている c 。縦八寸九分 世 倒 六 す 九 分 。繋釘市消離 。 学 枚 に 二字内外記される 美濃紙系統 裏打されている 。 紙 撤 外 題 様 紙 本 文 共 一 一 一 十 一 枚 学 。大経往生段 枚 と

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観軽症住段 入枚学と七行 。 繍 陀 綬 仲 間 生 設 八 牧 学 学 枚 。 奥 議 日 中 → 枚 の 吠 懇 学 枚

(11)

ゴレラノ奨文一一千難窓往生ト? フスコトヲヨク/\もコ、口ヘサ セ タ マ フ ヘ シ 様 相 州 問 綴 路 傍 南無阿鴻路線 衛 錦 織 制 問 誠 陀 梯 縁 日 刈 一 一 年 一 一 一 月 二 日 寮 潟 之 康 秀 輔 刷 鴛 八 十 五 議 日M 幾潟之

隊総 秀三三

八番 まま十察 ;数之 護主 親 簿 八 十 五歳 禿 裏 外 題 に は 、 ポ ヤ 俊 議 捕 伊 土 一 一 一 範 註 生 文 類 一 一 一 軽 症 生 俊 議 と記されている 9 これによって此の輿正寺本は卒俊直の所裁であった事が知られる。 吋改邪鈴﹂に﹁大部聖人ノ轡自筆ヲモテ諸人ニ へ 減 山 シ マ シ マ ス テマツルニ皆願主ノ名ヲ遊パザレ ハ ロ ﹀ タ リ ﹂ と あ る 故 、 投 一 湿 の 一 一 字 は 摂 識 を 表 し て い る の で あ る 。 京 額 が 俊 一 鼠 に 書 き 興 え 舗 内 仮 ム 地 マ 伝 楽 の コ ニ 経 後 慾 常 人 類 ﹄ に つ い て の と 知 る 事 が 山 山 来 る 。

(12)

本書の内容を概観すれば、 回開正寺伝来の﹃三経往生文類﹄について 大経往生 1 |紙敷十二枚と三行 往 真 相 員 廻 向 賀 行 業 十七願文 十七十八願成就文 貫 信 心 十八願文 如来曾十八願文 貫 詮 果 十一願文 如来曾十一願文 如来曾十入願成就文 十一願成就文 如来曾十一願成就文 論註 相 廻 向 揮土論 二十二願文 揮土論を撃ぐ 員 還 コレヲ難思議往生トマフスナリ 観経往生

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紙数入枚宇と七行 凶

(13)

十九毅文 十九願謀説文 二十八蹴文 一 一 十 八 胤 或 説 文 住生要集 コレラノ文ノコ、ロニテ幾揺林下鋭校トマフスコトヲ滋グ/\コ、ロエタマツベシ 南 無 憐 議陀経往生

ii

紙数人枚半 十 韻 文 如 来 舎 一 ⋮ 二十綴成就文 如来曾二十願成統文 定善義 コ レ 品 ノ ノ ニテ難思枠民投トマフスコトヲミグ/\コ、ロエサセタマツベシ 南無関縛陀悌 興書

ii

学 枚 ハ 表 ︶ コレラノ異文ユ ト マフスコトヲヨク/、ミコ、ロヘ品ツセタ 輯 間 正 寺 伝 来 の コ ニ 緩 校 生 文 類 ﹄ に つ い て 五

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蹴 関 正 寺 伝 来 の に つ い て 占 2

マ フ ヘ シ 南無間輔陀悌 南 無 関 門 講 詑 棒 南 無 間 関 議 詑 悌 ハ 裏 ︶ れ て い る 。 本文中には返艶の﹁レ﹂は用ひられず寸一二三四﹂ ﹁ L い い L ﹂﹁上中下﹂を用いている。振綴名・議襲名・逗黙・ 句切黙は朱を男ひ、調左訓は墨で付されているが、中には墨で振銀名選援名を付

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朱で御左説を付されている箇所 も あ る φ 鱒左訴を筒してある筒所を初記すれば、朱で附した文字は、次の一一諮問である 3

開 ふて まも た 徳

3

議 所ぎ謹 は

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9 の 所 り で あ る 剃 次 知 繍 勅 シ リ キ ノ A R h ム フ チ シ ャ ナ ヲ ツ イ テ ミ m w ク ノ コ ト シ 潜 謹 来 生 肝 議 輩 探 法 強 葉 清 徹 一 百 五 年 態 浮 間 ト ナ リ ミ ツ ナ ヲ ミ り ナ ヲ キ タ リ ム マ ル ネ カ フ シ タ フ ト 号 制 N ラ フ カ イ ミ ノ ヨ エ タ ハ 疑 惑 巣 途 胎 宮 難 思 疑 惑 難 思 議 不 果 途 者 虜 二 ノ ナ フ ヴ イ ユ ハ タ ス ケ ン ト ナ リ ハ ラ マ ル 、 ナ リ シ ヲ キ ノ ネ ム フ チ シ ャ ナ ヲ ウ タ カ フ マ ト フ ホ 〆 ク ワ ン タ ヲ キ ノ ヲ ウ シ ヤ ウ ト マ フ ス ハ タ シ ト ケ ス ハ ト イ フ ハ ツ イ ニ ハ タ サ ム ト ナ ヲ ヰ 疑 惑 善 本 悔 責 大 和 疑 構 積 集 阿 兎 多 疑 海 圏 苑 醸 興 部 タ カ ヲ マ ト フ ナ ヲ ミ タ ノ ミ 場 ウ カ ウ ク ヰ セ メ テ ネ テ ハ シ ノ サ h r ヲ ウ タ カ フ コ 、 ロ ツ ミ ア y ム ミ ロ タ ホ 止 す チ テ ヲ ウ タ カ フ ウ ン ロ ノ ソ ノ マ ヘ ノ ソ ノ シ ヤ ハ ト ノ ニ ン シ ナ 多 得競は五勾三ケ所に記されている。樹概経往生設の⋮句は、阿矯記の三字が爵添えている。輔陀経往窓設の⋮句は、消 した後が持われる ο 題 協 耕 嬢覆

(15)

の捺く興正寺本は袋織りであり、 り、内容 − 議 蝦 名 ・ 沼 貼 ・ の 岡 県 躍 に 見 ら れ る の と 全 く 同 ⋮ で あ る 。 裁 に 宗 祖 の 翼 筆 で あ る 一 事 は 明 瞭 で あ る 。 ︵ ハ ︶ 宗 躍 が ﹃ 鴻 出 土 三 経 住 生 文 類 ﹂ を 書 き 輿 え ら れ た 卒 俊 富 と 宗 祖 と 山 弘 知 出 向 な る 関 係 に あ っ た も の で あ ろ う か 。 設 卒俊道については、藤原禍害博士試藤療定家の の 元 久 一 一 十日の傑に記されているつ玄審允卒 で あ ろ う と 、 い る 。 ザ﹂中 4酔

1M L f ︸ 1 V 名 て て い る φ 本 擾 惑 な ら 人 名 は 、 吋 傘 卑 分 蹴 ム 及 、 ひ コ 門 混 交 名 蝦 h にも見出す事は出来ないから、外組 いる卒佼誌は

d 間 約 口 バ 記 い 山 中 の ﹁ 玄 蕃 允 卒 俊 醒 ﹂ で あ ろ う と 、 私 も 考 察 す る の で あ る 。 開 設 な ら ば 、 玄 蕃 允 品 双 山 下 博 士 と 一 手 つ 職 名 を 考 察する時、宗認との踊係を推測する事が出来るからである。卒後直自身の事震については知る来が出来ないが、玄蕃 允 に 任 宮 し て 以 来 ︵ 元 久 一 一 年 宗 祖 一 一 一 十 一 一 一 裁 か ら 宗 級 八 十 五 歳 ま で ︶ 宗 極 と 交 り を も っ て い た に 相 違 無 い と 思 う の で あ る 。 卒俊罷は宗議入十五才の著述で 外 題 れ て い る の で あ る か ら 、 一 克 久 一 一 年 か ら 宗 一 組 入 十 五 才 ま で 詰 存 命 イコ て ti: とあり 一 誠 ⋮ 人

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議員令一訳文蕃顕一人家機者償問地名籍審者辞見識饗議諜及在京夷致監舘合也 L 相 雷 従 五 盈 上 ﹂ 助一人

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頭之輔佐荏也 機器一人 脳 間 延 命 伝 樹 木 の に つ い て 七

(16)

興 正 寺 伝 来 の ﹃ 三 経 往 生 文 類 ﹄ に つ い て A ﹁ 相 官 正 六 位 上 ﹂ 允 付 属 一 収 ﹁官位令有允大正七位下小従七位上属大従八位上小従八位下也﹂ これによるに、允は正七位か従七位の官位あるものである事が知られ、卒俊直はこれよりうかがうと高官では無か っ た 事 が 知 ら れ る 。 ﹁ 玄 蕃 允 卒 俊 直 プ と ﹃ 明 月 記 ﹄ に 記 さ れ て い る か ら 毒 薬 算 博 士 講 義 き で あ っ た で 知 ら れ る 。 こ の 竹下博士であった事が猶、 一そう宗祖との閥係を深めたのではなかろうか。これを推察するに﹃官職要解﹄に雫博士 について﹁後世三善小槻氏が世職となる﹂と記されているが、 ︵ こ の 三 善 氏 は 三 善 矯 数 の 一 族 で あ ろ う か V M 下博士三善氏 と三善局数︵恵信尼の生家︶と閥係ありとすれば、門下博士卒俊直とはト樽士三善氏とは、算術の教授と云う職役に於て闘 係ありこれによって三者の闘連性宕推察する事が出来る。外題に﹁樺俊直﹂と轄の字無き慮より察するに、俊直は借 籍にあった人とは思われないが、玄蕃允粂雫博士と云う職名からして宗祖との闘係を推察する事が出来ると思ろので あ る G 故 に ﹃ 混 同 士 一 ニ 経 往 生 文 類 ﹄ を 所 持 し て い た 事 も 嘗 然 で あ ろ う 。 ︵ ニ ︶ 此の﹃揮士三経往生文類﹄ の外題に記されている﹁三経往生俊直﹂の六字は宗祖の筆である。 ﹁ 津 土 コ 一 経 往 生 文 類 卒俊直﹂の十一字は所持を示す俊直自身の筆蹟と思われる。 本文と ﹁三経往生俊直﹂の六字とは別筆でないと思うの であるが、本文を宗祖の筆とするに鴎賭するのは何故だろうか。私に推測するに、奥書の記されている宇枚によるの ではないかと思われる。この宇枚に記されている奥書の前に、 ﹁コレラノ異文ニテ難思往生トマフスコトヲヨクノヘ

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コ、ロエサセタマツベシ L の靖陀緩往生の緒文が重複して記されている。この重複されている率、が簿搭する関紙黙と なっているのではないかと思われる Q こ れ て い ザ ノ ﹂ 。 ? を 一 、 本 文 は 袋 騒 で ﹂ の 部 分 だ け が 学 枚 紙 で あ る 。

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も ¥.. 重複されていら部分は母窃黙が記されていない。 行 に お 脅 か れ て い る が ‘ こ の 部 分 は れ て い る 。 四 ザ ム ﹂ と ﹁ へ ﹂ と 文 字 が 相 違 し て い る 。 こ れ ら 本 支 出 市 の 結 文 と 制 相 違 し て い れ て い に 、 ム 寸 時 停 来 さ れ て い る 二経往生文類いより他にもう一本吋揮土 が簿来されていたと忠われ、 いつの時代か修理念なし 一 経 往 生 文 類 ﹂ の部分が政顕していた痛め、強の 本の爽書を綴り込んだので ろ う か のである。この v 重複された文は態稿的なものでなかったかとも推測出来るのである。 ﹃ 浮 土 一 一 ⋮ 縦 純 生 文 類 ﹄ を 紹 介 し て 畿 銀 を 述 べ 、 異蹟で

特 当 、

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て イ の関係会考え、興正寺本が俊躍の所轄であっ 口 、 袋 騒 り で 八、畿毅名・廷蝦名・一議鮎・御左訴等が京組の偽の のと全く拘 で ゐ る 事 。 以上の観貼から興正寺に傍策する﹃替土 は 京盟の蜘御輿筆であることは明瞭であると の で # ゐ るむ最後に貫設なく撤測を遇べ 深く轡詫び致し度いと患うのである。 爽王寺伝来の に つ い て 九

(18)

興 王 寺 伝 来 の 吋 一 一 一 緩 往 生 文 緩 い に つ い て 註 疑 宗 史 研 究 ︿ 一 九 九 一 氏 ﹀ 参考書 災 淡 法 制 珂 解 説 ︿ 第 一 務 ﹀ 騨 隣 家 委 誌 摩 の 務 先 親 掛 漁 獲 入 念 物 鰍 ︿ 和 文 篤 ︶ 職 阿 胤 軌 跡 滋 養 府防職制世相解

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浄土教に於ける無生法忍説について

鶴 間 士 教 が 大 乗 傍 教 の ほ ん す じ の も の な 鱗 継 承 し つ L 、ぞれを京数とし とに結質させているものであるというこ とは、浮土教徒のゆるぎなき信念であるといってよい。しかしながら、このことが車に信念にと父まる擦り、韓議ロの そしりをまぬがれおであろう。古来より塑土教誌もこの貼に留意して、其の信念の根操と内容を、撃鳴に間拘留期するた め の 努 力 を 繍 怖 い 、 そ の 成 果 も 挙 げ ら れ て 来 て い る 。 し か し 、 いわゆる大乗傍教と呼ばれるもの L 内務は極めて多様多 ぞれについての研究も L んでいるとともに、一蹴禽思議の蟻壌は衛生数それ自轄に留して巌しい自 つ t A あ る 。 ゆ え に 、 の 闘 能 は 、 に明らかにしてゆか でいるといわ の⋮っとして、森は 法忍﹂の設をとりあげてみたい。それは 一絞傍数の費臨論の中で最も イントとされている不透悪想に於 て、その不退を成立せしめる法的根援は﹃簿無生法忍﹄とされており、浦郡土教において強調する慢心、毎ち譲詑合本 顕による救済の貫謹の語られる場合も、また﹃無生法忍﹄が説かれているからである。こ t A に 、 大 薬 品 開 教 の 本 震 と 静 品 開 み ん 教 に 於 け る 無 位 法 忍 に つ い て

(20)

浄 土 教 に 於 け る 無 生 法 忍 に つ い て 土教との闘連内容を探る好個の素材として ﹃無生法忍﹄読のとりあげらるべき所以があると思うのである。 ﹃無生法忍﹄の名義 ﹃無生法忍﹄!これを一般に成語そのま L 無生法忍と讃み下しているが、この語の意味することがらは﹃無生の法 を忍︵得︶する﹄ということであって、﹃得﹄の字を附して解すべき言葉である。経論には、 し ば

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\﹃法忍﹄或は翠 に﹃忍﹄と略して使われているが、資略のいかんにか L わらず寸得る﹄という動詞と結びつけてもちいられるのがそ の用語例である。したがって ﹃無生法忍﹄という成語は﹃無生の法﹄と﹃忍﹄との二概念より構成されていて、﹃無 生の法﹄は所得の法を﹃忍﹄は能得の心を指すのである。 ︵ も っ と も 、 時には ﹃ 無 生 法 忍 ﹄ を 得 る 、 叉 は ﹃ 法 忍 ﹄ ﹃ 忍 ﹄ を 得 る 、 と ﹁無生法忍﹄を全て所得の法とし℃論説される場合もあるが、それは、 ﹃無生の法を忍︵得︶す る﹄という瞳験そのものを、観念的に法相として封象化した表現であって、﹃無生法忍﹄という熟語の基本的意味その ものは上述の通りである。︶能得の心を翠によ地生の法を得る﹄といわず﹁忍︵得︶する﹄と﹁忍﹄ と い う 一 言 葉 で あ らわしているところに、悌教の、買謹態の性格及び内容の特質が一不されていると考えてよい。 ﹃無生の法﹄という語義については、大乗の経論のいたるところに述べられていて、解説の内容も多様であるが、 結論的にみて、無向性化工の道盟を﹃無生の法﹄と呼ぶと領解してよい Q ﹃忍﹄の語義については、古来より三義︵世親の掻大乗論︶を翠げ或は四義︵倶舎論光記︶を数うるなど、必ずし も一定していないが ﹃無生法忍﹄と熟する場合の﹃忍﹄は﹁忍可決定﹄の意味であって、 ﹃認﹄と同義とされてい る。了解すべき封象を心に了解承認する心の様態をいうのである。この意味の﹁忍﹄の意義を、悌遁貫践論の組織の 背景のもとに明確に規定しているのは ﹁倶合論﹂の見遁位の﹁法忍﹄の論説である G その論説にしたがって﹁忍﹄

(21)

の法相的意味内容をまとめてみると、大韓次の如くである。 ー、有漏・無漏の簡別からすると ﹁ 忍 ﹄ は 無 漏 で あ る 。 2 ﹃智﹄との間係に於て封比すると コ出﹄も﹃智﹄も共に慧を自性︵鴨︶としていて境を知るはたらきである

﹃智﹄は決断重知の義で疑を決し惑を断ずるはたらきであるに封し、 ﹃忍﹄には推度のはたらきがあって断 ぜらるべき疑と倶生するし

2

、徳の上からみると、﹃忍﹄は﹁正性離生に入る︵正性決定に入るともいうどという徳をもつものとされる。﹃正 性﹄とは浬撲のことであり﹃離生﹄とは凡夫位の生を離れるという意であって、凡夫位の生を離れて浬柴に至る ︵入る︶ベき身となるというのである。この徳がもといとなって﹃不退﹄ ﹃ 悪 趣 に 堕 し な い ﹄ 守 一 扇 嬢 中 十 揮 迦 及 、 ひ 二形身を受けない﹄等の諸徳が演程的に導きだされている。 こ の ﹁ 供 合 論 ﹂ の 論 説 は 、 コ出﹄の基本的概念として大乗悌敢に於ても踏襲されているとみてよい。 右の如くにして ﹃ 無 生 法 忍 ﹄ と は 僻教の根本的立場である諸法無自性空という道理が謹認されることである が、その詮認のされかたが、無自性空の道理がわかつてしまったというのではなく、こうもあろうかあ L もあろうか と、心に推量する徐悠のあるわかりかたであること、それが守忍﹄という詮認のありかたである。推度のはたらきと は人間の思惟分別である。人聞の思惟分別のはたらく徐地を残しつ L も、ぞれが煩悩にならず、浬柴に踊入するとい う性格をもっているのが﹃忍﹄である。かくの如き﹃忍﹄を根擦として、観念的に悌道の賞践理念を展開したのが大 したがって、大乗の諸経論に於て、菩議選と﹁無生法忍﹄とは常日不可分のか 乗菩薩道の思想であるといってよい。 たちで説かれ、特に菩薩修道における﹁得不退﹄は﹃得忍﹄をもって必須の傑件としている。 つまり﹁無自性空﹄の 道理を﹃忍﹄というかたちで詮認した心境に於てひらけ輿えられるのが不退の境位なのである。 浄土教に於ける無生法忍について

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浄土教に於げる無住総忍について 磁 右の如き﹁得忍﹂についていま一つ注意すべきことは、 ﹃見梯﹂と﹁授記﹄の問題である c ﹁ 大 品 較 苦 ﹂ の ﹁ 初 分 不 退 口 問 に 不 患 の 菩 薩 の 行 類 相 貌 を 設 く 中 で コ 帯 同 恒 例 、 ︿ 不 退 の ﹀ 菩 薩 嬢 知 的 措 棋 は 、 法 を 欝 か ん が 矯 の 故 に 常 に 見 換 を 築 し む 、 如 来 臨 正 等 費 徐 の 泣 界 に あ り て ますと聞けば、部ち総力を立て筏の世界に往生し、恭敬洪養して正法な鰹受す::: L ︷ ザ ぷ ・ 叫

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− A ハ 七 と い L に は ということについて ﹁ 此 の 一 一 忍 ’ 法 別 的 ﹀ 増 長 し て 紫 生 前 訪 の 謹 得 を 作 す 、 最 後 内 身 に 悉 く 十 万 諮 梯 化 現 し て 離 に 在 、 り て 空 中 に 坐 す を 見 た て ま つ る 是 を 大 忍 成 就 と 名 ず く い ︵ 正 ・ 同 国 ・ 一 O 六 ﹀ と論じている ﹁ 翠 信 童 女 合 同 ﹂ の ﹃ 無 疲 強 入 法 ﹂ の う ち に ﹃ 見 悌 洪 養 ﹄ ﹁ 兎 謹 油 開 剃 ﹄ ︵ 正 ・ 出 ・ 六 三 ニ ﹀ が 翠 げ ら れ るのも、弱じ日沿線患慰の系列に属するものであろう。大衆の論部でしきりに論じられる鷺心の国綾設で、億梯教示と い h っ こ ているのも る c このように、見悌な梯議行謹の不可鉄の傑 0 つ い て ツ恥

と り あ るようになった ω 糸 、 の て い る 。 右の如く

2

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梯 ﹂ が 内 一 得 沼 ﹄ の 線 開 件 と さ れ る と 共 に 吋 授 記 ﹄ も ま た の 陳 件 の 如 く 誼 か れ て い る 。 以上競懇したような大乗僻教に設かれる吋無生法忍﹄意義内容を基準として謬土経典に設かれる﹁無生法忍 L 詮 をながめ、真宗で主張する不退設とのか L わりを指摘してみようと患う c 位 命 問 問 鍛 党 じ て 一 小 伎 な る 故 総 生 法 抑 制 と % ず く 、 間 訟 の 州 知 器 無 住 法 的 制 ぞ 得 る に 府 間 ゆ や が 放 に 不 滋 輪 開 の 奪 隊 嗣 郡 部 榔 障 と 名 鳴 す く い 1 i e 欧 州 般

(23)

そ 色 紫 、 初 分 不 退 紬 開 問 附 ︿ 荻 ・ ム ハ ・ 五 七 一 ﹀ ﹃ 一 切 訟 の 校 ︿ ば ﹀ 受 ︵ で あ る と い う 緩 慾 ﹀ を 行 じ て 然 慾 法 制 撤 安 得 て 菩 藩 閥 的 叫 に 入 る : : : ﹂ ﹃ 法 愛 ぞ 綴 じ 然 府 内 例 措 を 得 て 努 波 紋 に 入 る ﹄

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! 悶 − 一 位 ︿ 況 ・ 一 一 五 ・ 五 八 O ﹀ ﹁ 務 総 伎 と は 終 生 法 忍 楚 れ な ち 仲 仙 の 法 忍 品 。 得 て 一 切 後 関 空 を 観 じ 心 部 間 滞 倫 相 州 く 簿 法 変 約 山 叩 に 絞 し て 後 没 問 捕 に 染 ま ら ず F n恥

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毘 お ︷ ぽ ・ 二 五 ・ 一 一 大 関 ﹀ ︷ 鮒 開 府 民 論 ﹂ 円 谷 間 関 ︿ 荻 ・ ⋮ 一 五 ・ 八 六 ︶ に ‘ 不 滋 を 得 叩 也 三 法 の 一 つ と し て ﹁ 絞 舟 一 一 一 隊 ふ も 得 て 能 く 現 在 の 殺 傍 受 閥 均 る 、 楚 の 待 問 務 関 税 致 と 名 ず く い と あ る 論 説 、 演 は 可 制 機 ﹂ の ﹁ 念 無 量 傍 点 綴 機 一 一 一 味 常 現 夜 釣 い の 父 を 論 輔 押 し て 、 吋 念 側 一 一 一 位 怖 と は 、 十 万 一 一 一 慣 の 諸 問 機 、 常 げ い 心 限 を 以 て 見 れ ん で 渓 つ り で 、 漢 に 前 に 在 す い か 奴 く な る に 名 ず く : : : ﹄ と の べ て い る 交 に よ っ て 推 柑 摂 さ れ る 。 − 二 五 ・ 七 七 三 ﹀ 大観二惑に説かれる阿部州生法忍﹄

の 整 理 時間土 富譲 の 聖 匂 れているのは ﹁ 離 ﹂ 一 一 程 る c − 説 施 の 上 台、 て み る と 茨 の 如 く で あ る ω ⋮ ぷ 人 経 ﹂ れる吋知識生法忍﹂の − 議 慮 。 a 第 一 一 ⋮ ふ

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関知名得忍の願 b 第 四 十 八 得 一 一 一 法 忍 C の 勝 相 と 得 識 を 設 く 綴 説

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演 出 無 縁 妙 法 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 昨 ︿ 却 特 本

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一 ⋮ ⋮ 繁 の 蜘 容 な 観 く 得 録 役 山 約 十 経 一 説 ー 或 開 傍 欝 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 藤 投 別 税 務 ・

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︿ 制 刊 本 ・ 五 十 一 浄 土 教 に 於 げ る 綿 織 生 法 忍 に つ い て Ji

(24)

浄土教に於げる無生法忍について 一 六 以上は上容。下容では 衆生往生の果徳を説く経説 ー 其 鈍 根 者 : : : 得 不 可 計 無 生 法 忍 ︵ 科 本 下 ・ ム ナ 丁 右 ︶ 右 五 説 の う ち 、 ab 二説は現盆として誼かれ cd ・ − の 一 二 設 は 醤 盆 と さ れ て い る 。 こ れ は 、 入 正 定 家 が 彼 比 二 土 に 通じて読かれる義趣と同致である ab の二読は、古来より第十一一闘の別願の意味を持つとともに、第十七願成就の 利益の内容の一っと解され、宗祖もこの願左現生十種の盆のうち、 ﹁入正定来の盆﹂の詮操として﹁信巻﹂末に引用 していられる。得三一法忍の願には直接﹃無生法忍﹄という語は出ていないが、第一第二第三法忍の一二忍の中の第一二を 守 無 生 法 忍 L の こ と L 了解するのが最も安首とされてきている。 従来よりの員宗の現生不退論についての論義では、専ら第十一願文のみを数詮とし、どちらかといえば ab 二 願 を 等閑視してきだ傾向が見受けられる。このことが、異宗の現生不退論を数費面に於て少なからず脆弱化しておりわし ないか。直爾に現生得忍を説いているこれらの願文は現生不退の義趣を味得する需には今少し注意すべきであると考 え る ﹁観経しの﹁無生法忍﹄読を封象とする時、そのことは自ら了解されるであろう。 @﹁観経﹂に説かれる﹃無生法忍﹄の説魔・誼意 a 牟提に西方極幾世界を観ぜしめんことを数示する経説 ー 以 ニ 悌 力 一 故 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 臆 三 時 卸 得 ニ 無 生 法 忍 ︵ 科 本 十 丁 右 ︶ b 員身観の経説 ー 以 レ 観 一 一 悌 身 一 故 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 捨 レ 身 一 一 他 世 一 生 一 一 諸 梯 家 一 得 一 一 無 生 忍 一 ︵ 科 本 二 一 十 八 了 間 ︶ C 上品上生者の得盆を明す経説

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ー 如 何 4弾 指 頃 一 : : : 議 日 郎 経 卒 鵡 生 法 翠 一 ︿ 終 十 4 ・

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十 二 丁 お ﹀ d上什山中生務の得盆を別す経説

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務 時 卸 於 ・ .t)J 得 ↓ 一 銀 生 沼 ︿ 科 卒 四 十 四 丁 寝 以 ﹀ 一 得 議 分 の 経 説 議 レ 見 ニ 擁 身 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 得 付 金 一 生 沼 己 得 一 一 諸 機 現 前 一 ︵ 科 本 , 双 十 八

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お ︶ ー 観 粧 し の 山 中 で 間 接 待 忍 の のあるのは右の で あ っ て 、 a 1 交は註土得忍の ;IL

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{7) 意 味 で 詮 か れ て い る 。 し か る i:i: L ﹁ 観 較 し の か で に 傘 提 得 忍 の 場 所 、 投 開 題 と し て の場所と断定ぢれ も と

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第七筆陣離の うえには得忍の い G 少 く 醤相か る 限 り、意援の持恕は得盆分とみなれけばならぬ。 文 字 さ え み え な い 第 七 華 座 樹 齢 段 以 て 敢 て 得 用 品 の 場 照 と 判 じ 、 そ の こ と を 、 の民意をとらえ 一つとさえしていられるのは向故かじ四伊士教に於ける 噌 み J L 、3ノ 再 罰 則 パ ν か り は こ L から手繰られてよかろっ ζ 2 と得忍の務係 と は 、 我 々 のものなあ で あ り は 、 そ の − 様 悪 ・ 、 , ,r

よ い したがって、信心護得或は決定ということ λ いうこと与は別のことではなく、得忍は信心の る。このこと て ﹁ 大 ー 一 一 組 を 鉛 照 し て み る と た \ ﹁ 大 経 い の 、教祖的に と 示 、 さ れ た韓験醸が、具鱒的な賓讃態として語られたの で あ る る 。 肢 に ﹂ に は い わ ゆ る 一 二 心 が れ、それと の 三 位 治 と の つ い て 々 れてきてい Jし、 は の 語 、 心 と い 品 印 公 教 に 於 げ る 無 生 法 相 総 に つ い て 一 七

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浄土教に於げら銭生法忍について }\ の成立す構造、及びその鵠験に於て惑立ナる校生の回訟の法相的内容を示すものであって、 いう具鰻的 な﹁聾継いの灘機が、同等か 最も議接的に治すもの誌得認の経誰以外にない。したがっ て、意提得忍の 問題は、意提の借心決定む場所の で あ っ て 、 、 ノ 円 H , 、 、 〆 レ 品 M F ︿ 得忍をいわゆる のところとみれば、堂義の信心議織は定散ニ善の行の成就合意味すること L な る 。 第 七 議 十 勝 翻 を 以 て 得 認 の 場 所とすれ 象 提 の 一議官を越えた何等かの法じよって父あるということになる。こ与に幾導が得忍を 問 問 題 と し 、 そ の 場 所 を 撃 機 親 と 例 外 じ 、 以 て の虞意を翻持綴せんとした意趣が汲みとられる 3 ﹃ 忍 ﹂ の 内 容 る と 解 し れるのはその の 内 容 で あ る 。 挙援が持た る 吋 無 生 法 忍 ﹂ ることは軽説の訴す事費である。 ヂ ﹂ 、 , l、 、 ノ ? を

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の 解 離に於て の 間 に 大 き な 制 約 違 が あ る 。 部 ち 一 般 大 乗 の の通義をそのま L 訣用する鵡鮒 し、誘導は肇応援の 生 立 空 中 − e − −

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の経文を轄して謀総レ務部現 4詮 得 校 生 ふ 山 ﹂ ︵ 定 務 議 ・ ているとほりこれは の で あ る 。 し し、 う話の意味誌 る ︿ 知 ︶ す る お ヤ こ い で あ っ て 、 これを能現に分ちて﹁無生法認 ω の 語 てみると 研 j辱

法 /\ 筏 無 生 の

J す 生

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能得の心 ヤ こ を 譲 ︿ 知 ﹀ オ ノ \ 続藤を遺穏なくとらえられた妙轄といわねばならぬ。この擦を、﹁序分議いの 者 此 関 下 側 議 詑 傍 闇 光 明 忽 務 会 一 摂 前 一 何 勝 ニ 鱗 欝 e 明 一 悲 喜 一 故 部 待 命 銀 生 一 之 忍 ム 亦 名 ニ 滋 刑 制 一 亦 名 一 一 情 忍 一 と な る 。 こ れ は 、

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︿ 隊 総 本 ・ 一 一 一 十 回 問 了 お ﹀ と あ る 糊 伸 文 て み る と 、 の吋無生法忍いについて の 鎖 解 は 、 一穀大乗悌教のそれとは巣るという兎解にたっていられるもの L ょうである。喜・悟・信の三忍の名目も 善導濁自のものであって砲に例をみない。このようにして善導は閉土数議自の﹃無生法忍﹄読を護揮されたと解する のも、充分理忠もあり意識づけられることであろう c 従 来 の 宗 壌 で は 、 そ う し た 善 導 の 解 四 押 な 、 静 土 教 の 濁 自 性 ・ 特 殊 牲 の 問 調 識 と し て の み 理 解 し て 来 た も の L ょうである。しか の 領 縦 併 を 、 一 般 大 采 隣 教 で い う 辺 地 技 法 忍 ﹂ の J 一 の る し い の みえ た の は 、 てまつったのは翠賂観に外ならぬから、奪略翻こそ諦翠の ぬ 、 L ﹂ い あるっこ の 推 論 を 一 り 誌 な ら し め て い る の は 一般大薬品神教の見梯と得忍についての通話でおって、これがなくてはその主張の 三 定 十 信 中 根操を失うのである。このことに留意するとき、喜・悟・信の三忍設という海自の見解を護揮しつ L も 、 忍 事 一 解 行 己 上 忍 − 退 院 中 と 述 べ て い る 輔 伸 文 は 、 賓 は 槙 謹 面 な 強 調 し つ L も全く無関援のものでないことを、語るにおち る と い おいて物語つ忙いるもの れてよいのではなかろうか。 以 上 の 知 く 、 も

L 耐も 下ω 乙“ の か L わりあいがあるとするなら、 どのようなことゼあ 私はこのこ て 、 と の 灘 保 を 指 摘 し た い 。

4

‘ 縛 忍 と 不 透 一較に大衆捧教の賞践道で﹃無生法忍弘、が重組制されるのは、それが行者の不退の心境を成立せしめる要素だからで あ る 3 待哉と終生法例措﹄が不用地の心境を或立せしめるかというと、問問得の法である﹃無住の法﹄を忍︿得﹀するから 偽 附 み ふ 殺 に 於 げ る 無 生 法 忍 に つ い て 九

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浄 ゑ 教 に 於 げ る 無 生 法 認 に つ い て 二 O である。脱にふれたように。 ﹃ 無 生 め 法 ﹄ と は 同 一 銭 自 性 空 の であり、この によって籍法本来の牲のあ ま に λ に統一され成就された没界が盟築界である c ご 地 生 恥 の 一 抽 出 を 以 て い ﹃ 無 伎 の の界である c 蓮如 上人は﹃無症の生﹂ ように解説していられる。 吋 無 生 ノ ハ 機 嫌 ノ 生 ハ ヘメグルコ、ロニテアラサレハ、鍾幾ノ ハ 無 投 ノ 生 ト イ フ ナ ワ − h ︿ 綴 一 代 節 察 本 ﹀ こ れ は を﹃設得往生﹂と領解されたと詞じように、謹接 に よ 事与について京数瞳 験を満足する、静土数の京場にたっての閥解説であ 宗教機騒が によって成立するということは、 )'.); 無鱗されることではなく、それによる以外に は現賓化しないことを意味ナる。本鎖在自じ念競し に 生 れ んと穎う麟生の 、崩せずして

に契替しそれを成ぜしめるのである。 h h 町 、 も h つ に

の﹁運﹄が行者に承認され寅護される行栢を、最も端的にいうなれば﹁不レ箸﹂ の 議 き ょ う の 可 不 レ 者 ﹄ は ') である諮法の滅無をいうのではなく、それに繋かれず縛られぬ心墳をさすのであ る υ その心墳が﹃忍へ得どとい で あ た の る“繋縛さるべ念諸法制封の事態のうちにありながら、 あ ー 、 A か こ い つ も ﹀ も 、 糸 、 いつでもよしなきこと λ 流されてゆく心の股謀、それが の された心問態であって、不法はその心淫態 れる精静的な境地である。 こむような 吋 無 技 法 怒 ﹄ 成況の篠件として昆悌が設かれるのは、そうした心境に る矯の教法に遇うということに の ぜ あ っ て、択し開法という w て見悌 る 同 絞 り 、 瀞秘主義と選ぶことなさるであろう。ささ 、、、、、、、、、、、、、、 常に心眼を以て克たてまつりて:::﹂という龍 に 川 引 用 し た の 践 と 世 (J) 樹の論慾にてらしてみても凡その理解が奥え よ こ之、に於て最後に、華賂観に於ける見傍樽惑の意味に、 穫 の 総 論 左 つ け て み た い し

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5 見悌得忍の 従 来 山 部 鼠 干 に 於 て は の経設な第十入額成就の鶏紀の矧換の拐の象畿的表現と解し て 間 見 尚 一 の 入ちびき出している ﹁ 大 い ﹁ 観 ﹂ 二 一 経 を 表 裏 相 臨 跡 的 に 解 す る 譲 れ り 、 け だ し 雷 然 の 蘇 結 で あ ろ う じ こ の よ う に 間 見 橋 畿 そ 合 同 通 す み こ の慾義も充分誤解 ν ぐ れ る が 、 践 に るものであるならば何故 に﹁兄し 、 1 R ︸ 1 J L v ふ / C カ3 践にのベた如く、見帥仰の請は得忍合一郁すところに本楽の窓義があり、出も得忍の るのは、不退 しめるところに意味がある。これが克悌の議議の本すじであげね。このこと て み る 時 、 見 機 得 忍 を 設 く ﹁ 観 緩 い の意趣は、次の如く解されてよいのではなかろうか。 京組も注意されていゐが如く、本輔の宗教に於て不退の る 田 川 訟 は 、 瞬 組 不 捨 の ゆ え 、 であって、掻取不捨の 義 の成立する桜譲 る。しかして、静土一教に於て撮取不換の義の本議は いうまでもなく 奨身 制 慨 の 吋 光 明 一 編 昭 間 十 万 世 界 念 梯 衆 生 援 寵 不 捨 ﹄ の 文 で あ る u こ の 光 明 掻 取 は 、 の 見 梯 得 別 級 ・ 畑 出 ち 意 提 が 大 悲 の 悌 、 む に ふ れ の 内 容 いて俸が諮られているのであるむ不退とい いうも、自己以外の純物かに っ て 謹 明 さ と 吋 ん ら れ て 或 立 す る の で な く 、 の 自 謹 の のものが不退なのである。こ与に本来無限 あ る べ き 大 悲 の 錦 、

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であるにもか斗 念梯の衆設のみ撤取される れ る 道 還 が あ る 。 は大悲の本 願にふれめざ交しめられた、出悩仰髄畿の貫謹そのもの L 示す道理である P かくの如き掻訟不檎の自詮そのものは仰向 .},, んふ 、 そ の 白 設 を 内 容 。 つ け る も の こ 立 誕 生 法 忍 ﹄ で に於て﹃間名簿 怒 ﹄ の 願 の 間 出 願 と し て 、 特 に 現 生 不 退 ぬ謹接とされる附以もこ L に あ ろ う 。 念 品 併 に よ っ るという擁護は 一鍛大乗悌教の競技的立場よりすれば、明らかに特殊な選であろうが、その器謹に於て務質 ぬ 伊 ホ 教 に 於 げ る 無 生 法 お に つ い て

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内 伊 ゑ 教 に 於 げ る 終 段 法 別 措 に つ い て の入庄々揺に資されるものは、人生一に諮問桝しつヘ人生の背憤右越えしめられる解説の世界である。それは、信心の よろこびに於て﹁無生の法﹄の道理がおのずから費接されることである c これが救われるということの環質的 ω意義で あり、現生不迭の賓義であろう。蓮師が﹁簿文﹂に、 しばしば掻取不捨の義をとりあげて、 ﹁過去未来現在の三世の 時 に つ て 、 法 定 明 黙 の く ら ゐ 、 ま のくらゐなんど ま る も な り い ︷ 気 料 短 縮 階 中 ハ 滋 ︶ 等 と 、 罪 陣 て い る

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〉 といわずして た も の っ て よ い e し かもそうし 0) は 、 あ L もあらんこうもあらんかという、 ...

, -総惑を詳しつ弘、ほのかながらも一 生 法 ﹄ を 去 説 得 河 往 長 ﹄ と 醐 押 し な が ら も 、 能 得 の ﹁ 詮 得 ﹄ の 心 境 止 な ﹁ 忍 ﹄ で あ ら わ し て 、 れ得た無限の 、 , 、 輸 ,E い コ こ L の よ 州 ﹁ 惑 ・ 情 ・ 信 ﹄ の ゴ 一 一 巡 と 示 さ れ た 揮 官 忌 の 器 然 な ら ざ る も の が 窺 は れ る 以 上 察 記 の 主 題 に つ い て 、 い さ L か 卑 見 守 ︸ 援 護 し た の で あ る が 、 訴 究 む 未 熟 紙 教 の 制 約 か ら 、 一躍者意離を緩弼す と 父 め て 樟 批 判 門 会 持 つ こ と に し あ る 3 ︿ 昭 和 ↓ 一 一 間 四 日 ﹀

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。 本

稿

が 持 の 建議 菩薩遂を設さ、議締役兜党目的とする大采梯教に於いて、我々衆生に或鱒する可能性が碍在するか否かは、傍讃修 行にあっての最も基礎的な問題である。持に法相指宗の如く、五姓各部を設き、人間同のなかには菩薩粧を有せないもの があって、或換の不可能の者もあるという設が存在する時は、自己の或傍の可能が大きな問題となるのである。大衆 悌教に於いて﹃漫幾経﹄の一明衆生悉有鶴佐役摂教とする一釆梯教と、無姓有債を設さ、菩薩姓なき省出国を詮く二一乗 、久しい論揮があり、日本マも北識の最滋︿七六八

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名 で あ る 。 し か し に於いて み ものとはいい も 守〉 る CJ)

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一切衆生の成締役説くべきであるか縫って、比れを説くもの る ハ ノ た の も 、 しも き で あ ろ う 。 しかし、浮土巽宗に於いて問題になるむは、望選自力の法門に於けるものとは全く異なった角度から湾題になるの である。器ち白力修行を紹封に否定する相続驚教皐濁特の人間観より来る結露抱力の思想は、自力的なものを無設に苔 業 出 制 時 開 般 論

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異 ’,,,, 耳ミ 傍 性 論 二 四 定して行く傾向を強く有するのである。従って、 その思想傾向からいえば、衆生本来のものとして悌性を否定しよう とする性格をもたらすものである。若し、成併の可能性が、衆生に本来存在することを許すならば、悌の願力はその 可能性の上に立って初めて意味を持つことになって、組封他力とは申されないことになりはせないか。若し働性とい う因種を本来有することになれば、調陀の本願は興力増上縁にすぎないものとなるのではないか。故に他力救糟を深 めて行く時には、衆生本有の悌性を否定せんとする思想が生じて来るのも首然である。 しかし、若し因果思想に立つ 時は、無から有は生ぜない。否、無の如く見えるにしても、果が生じた限りに於いては、その果になるべき可能は因 のうちに含まれておるというのが因果思想であり、兵種的には果を因の中に認めて行き、因と果との間に必然闘係を 認めて行くが因果思偲である。従って、此の思想によれば、我々が悌の願力によって救われて行くということは、設 々に本来、悌の願力によれば成悌するという可能性があるから、願力によって成僻することが出来るということにな る ζ 故に思想的に見て、紹封他力に立っか、因果思想に立っかによってその結論が動くようになり、 いづれに立って も、別な面からの疑問が生じて、進退雨難の態となるのである。 その上、七租の聖教によると﹃安築集﹄ ︵ 上 三 七 ︶ の 一 切 衆 生 皆 有 悌 性 の 文 、 ﹁ 玄 義 分 ﹄ の 序 題 分 の 口 県 如 理 等 は 明 か に本有悌性を肯定するものであり、更に宗祖のヨ県悌土器﹄の﹁必顕悌性﹂の文、悲歎述懐和讃の﹁心性もとよりき よけれど﹂の文などは本有帥性肯定の如く見え、 ﹁ 散 善 義 L の 機 の 叩 阿 倍 の ﹁ 無 有 出 離 之 線 ﹂ の 文 、 守 行 即 位 ﹄ の 一 釆 海 樫 の 文 、 ﹃ 信 容 ﹄ の 二 二 問 題 に 於 け る 、 五 心 ・ 信 州 栄 ・ 欲 生 の コ 一 心 共 に 衆 生 に 本 来 な し と 一 不 さ れ る 文 な ど か ら 見 て も 、 持に、部土教思組は凡夫に於ける成悌の可能を否’定し、それな深めて来た歴史的思想傾向からげんても、本有悌性合否 定すべきもののようにも思われるのである。そこで、四回土真宗の悌性論は、 いよいよその解決を困難するものがある のである ι

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本願寺誤 江戸時代中揺か つかの感轍に合れ ており、その中心 問 題 は 一 行 詰 論 で あ れ ソ 、 劫 正 論 で は あ る が 、 そ の 様 叫 執 念 な す 忠 鶴 は 、 人 間 牲 の 間 同 端 で あ り 、 悌 性 論 の 開 制 端 で あ る と い う ことが出来る。部ち、人聞に成綿への選、或機への可能が本来有するとする、人間に向上面の可龍を許す額向のある 忠信は、大一行そ穣名とし、しかも、その務名に特殊な功徳を認め、地の報愚行と甚崩しようとする忠懇から弘一路助正 、人間に本来の 本有梯性愛苔定せん る 息 組 は 、 大 行 は あ く 寸 志 で も 如 来 の ゑ の で あ り 、 であゐとなし、たと の 榔 名 郎 ち 所 酬 開 校 の 名 競 に ま さ っ て 、 そ あ っ て きではなく、助認と刊行に撰僚の高砥なづけるのは て は 裏 門 の る と い 助正の主張となり易いのである Q 従って、本露寺一訟に於げる撃轍の相還は鰐性論の問題

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反面からいえば如来性の開 題ともなるが

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から生じたというても過言ではないだろう。 詑の意味では、韓性論の問題は宗撃の最も根本治な問題であるということも出来るのである。 尚ほ弓誌の 鱒数々 で 誌 、 肺 卵 性 の 々 の 如 く 、 iこ て お る あ ち 0) であるというこ て お あ る で あ ろ う 。 悌性、肯定苔定の詩題 時間土其宗に於いては、伸性を肯定する準設と否定する謬説との二設があると一口来構せられておるが、誌の肯定否定 察 家 機 態 論 二 五

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奨 宗 締 役 総 ニ ム ハ に就いては、その治そうとする露顕役十分心得ておく必要があるのである。比の潤題は、 於ける特殊なも の で お り 、 一語で試それによって翼宗教療の特異性もあらわれて来るのである。 べ き こ と 肯定否定の瀬郡翻は、現賓の具閥的事賓としては、 窃衆生が如来 よって教務 ざれて行くことに 疑問なざし試さまないことでゐる。故に、謡、心 よって住住成悌の護果を縛る ﹀ ︸ に は 問 題 が あ る の で は な い 。 ろ、信心往生 ではなく、その縮心を領受する可能の縄題であるということが 出来るのである c 部 ち 、 如 来 総 出 刊 の 信 心 に よ っ げ に 総 生 卸 成 梯 と は 切衆生に可能であり、護費には 一明衆生は如来趨向の揺心によって蕗梯ナるのであり、信心をも領受することが出来るのであ その信心を領受 する百龍牲が本来衆生の有したもの るか、それとも部来よりのものであるかに論難がめって、その如来捌向の名 強を領受ずる可能性が衆生 あるという感極を本音欝性脅抱換といい、 そ の 可 絡 を も 衆 生 本 来 の も の で は な く 、 如来より興えられものであると主張するものぞ本有悌性否定裁と講するのでるる G 縫って、此の間揺は傍教に於ける 恭 一 一 ⋮ 乗 の 慢 の 論 諮 の 如 く 、 理 賓 の 衆 訟 の 成 油 開 の 可 能 の 有 識 の 開 題 で は な く 、 如 来 趣 向 同 救横感立の可能が衆説本来に所脊していたか否かの持制端である Q きことは、常定思態というても、他方懇向校教療の中心 あ る 現賓の衆生性 上には、本有悌牲というが如念講欝の物韓があるのではなく、現として可能がある ので、濁水のま まが請神水であるとか、漏水には全く火性はないが、 して火性ありなどと読くもの には、一台定議というても、衆生本来のものとしては否定するが、現貫の衆誌には、如来民間護の て 勢 性 議 品 開 の 可 能 は 一 認 め て お る 鈷 な け れ ば な ら な い の で あ る 。 要するに、此の の 問 題 は に立って、救済の成立に にも本来救済の可能性がなくて誌ならな

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七、 人間の向上牲の て 、 成 併 の 悶 は 知 識 、 そ の可能性をも如来より のものと見るかによって分れて来るものである。従って、現代の宗謬に於いては救梼成立の可能の問題となり、因果 の立場から晃て救揮が成立しておる隈り、人穏にもその可能性がなくてはならないとするか、救構泣あくまでも如来 の立場で談ずべきものであるとするかの、救済成立の主韓牲の問題にまで麗寵しておるものであることを注意すべき で あ る 。 間 関 輔 の 部 初期の翼宗撃に於いては い認があって、特に僻性論の釦きは 如 緯 起 設 に 暫 し て 無 批 判 刊 に 此 れ な 用 い て 傾 向 題 と せ な か っ た た め 、 ほ と ん ど 問 問 題 に は な ら な か っ た の で あ る 。 日諜法審 三 六 九 三

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一七回この如きも﹃選揮集諮記﹄には信心悌性は了菌傍牲であると明擦に示しておるほどで、衆生本来 の憧性たる察知仰が正田梯性であり、如来怒声の信心は照了の脇島智の如き立場であるから此を傍性というても了思締性 の いる見るのである c ぞれが強力患揺の究明が深まるにつれて、備銘︿一七二三 E ・ E ・ − 七 八 一 一 一 ︶ の時代に否 れ 、 そ の ︿ ⋮ 七 間 関 ニ

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七 九 八 ﹀ ハ / て り 七 六 八 二 六 ﹀ て し、 [r,] 時 代 の 二 七 七 三

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一 入 ユ 問 ︸ は 無 白 戦 静 性 識 か 一 説 い て 、 常 史 的 折 衷 設 を 立 て 、 ︿ 一 八 O 六

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一 八 八 六 ︸ に よ っ て、否定患翠として、柔遼以来舟いて来た否定治折衷読ともいうべき議議機性設が大成されたのである。 付 開 蹴 寛 締 卵 性 事 亀 ~ ,r -燃 性 論 -t:;

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箕 ピ"' 刀之 悌 性 論 入 信心悌性を了因悌牲とする撃説は、悌性設としては最も原始的なものということが出来るようで、買大乗の思想根 祇をなす異如縁起を無批判に採用し、生僻は本来一如であり、衆生ももとは員如より迷い出たものであるということ には何等の疑問ももたなかった思想である。此れの代表的な読として深働︵一七四九 1 一 八 一 七 ︶ る 。 をあげることが出来 師は﹃庚文類曾讃記﹄に、信巻の信築轄下の浬繋経の引文の﹁大慈大悲名局悌性﹂を回押して、大慈大悲と僻性とは 瞳は別であって、大慈大悲は地上の菩薩の抜苦輿築の慈悲心であり、悌牲とは浬撲のことである。 しかも、今大慈悲 を悌性と説かれたのは、此の大慈悲があれば必ず本有の悌性を開費して大浬繋を詮るからであるとなし、大信心を悌 性と名くるも同じ意味であるとなし、警を示して、皐天に雨が降ると天米を降らすというようで、雨は米でないが、 雨によって米が取れるから、 かくいうであるとし、天台の了因悌牲にあたるものだといっておる。 かくの如く、信心 悌性を本有悌性を閲覧するものであると説くから、此れを開魔僻性と名づけるのである。 此の思想は後世まで一部では主張されており、高倉皐系では明治の晩年頃まで、その説が用いられていたようで、 古谷覚書の﹃異宗要義﹂には大関此の説が用いられ、叉本願寺振でも興隆︿一七五九|一八四三︶ も此の読を用い、早 天の雨の例まで用いておる。 しかし、此の摩読に於いても、如来の願力によって救糟される揮土真宗の根本思想を動かすものではなく、悌牲を 特殊な混同瞳とは見ないものである ω 深働も﹃選捧集講義﹄には、和讃の﹁心性もとよりきよけれどしの文を圃押して、 これはもと水に除えたもので、水の性は本来澄んものであるから、濁水の嘗瞳が本来清替な水である。迷の衆生の業 煩悩の濁水、その性向性清揮の真如であるから僻性と名けるのであると説いておる。従って、凡夫の事の土に自性清 替の真如があるのではなく、具盟的な事賓の上では、梯性という特殊なものの存在は否定するのである。

(37)

門付信

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悌 性 読 此 の 無 数 鰐 な 国 民 都 縁 起 探 践 の 肯 定 説 て 、 本 有 織 間 性 宏 一 中 川 応 し 、 語 、 む 梯 性 の 外 に 鶴 性 は な く ぺ 別 配 繋 経 ﹄ に 現 衆生悉有悌性と説くのは の建得に就いて い た も の で ← め る と の 読 を 立 て た の −柔速であった。比れは法 での倍心を

7

国悌牲とす に 満 足 寸 る こ い で の正問は信心の外にあってはならない い ・ っ す ん 文信心務教の外は るのである u 此 ぴ〕 の勺本興 の 信 繁 懇 の 下 に 出 て ふ 治 る が 、 したのはその弟子、実遣であ た G 柔遠は 深 謝 よ れ ノ で あ る は開鐙悌敷設よりも読ではあるが、本騒寺援に於いては、ぞれ以前に居心 掛殺を了図悌牲とする設があったのであるから、それ る否定的な意味が十分含まれて 忍のである G よると、指轄の と は 働 側 側 総 山 内 の 地 力 倍 、 心 ﹂ の 大 岳 、 む は 六 波 羅 蜜 を 府 内 定 す 、 一 切 衆 生 の なるが故に懇有傍性と設くし い う 読 を hづ け て 、 活 問 玄 録 ﹄ に は っ 切 衆 生 悉 有 悌 性 と は 、 審顕は 過去際より未来際に諜くが故に 開 山 衆 生 之を一切衆生恐有悌牲と設給ふいと、知 来の饗顧は であるから、三世十万の の誓臓の かるもので為るから 悉有機性というと、意栂 に し て お ら 。 ま た ﹁ の信心を静より蟻ゐ外に更に換性なし、之を大信心 は梯性なりといへり、若し此の外 い A 灘 設 な り い と 、 語 、 心 正 因 説 会 ︺ 完 投 し て お る 此 の 訟 は 、 他方趨向 信心の議去態放び賞得の禾来織で 切衆生懇有働牲と説くだけ一円、は未だ練校論の中心問題に鰯れておらないとい あ る よ う で あ る や 出 有 理 傍 柱 築 家 様 性 総 九

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異 ヒ全~ 耳ミ 梯 性 論

梯性論の問題を深く考察して、救済成立の根本問題として取り上げたのは石泉僧叡である Q 師 は 柔 連 よ り 二 十 年 、 深勘よりも十四年の年少である。師の説は理としては本有悌性を肯定せなければならないと主張するので、此を本有 理悌性説といっておる。その説は﹃玄義分義疏﹄に最も明瞭に一不されておる。 ﹃玄義分義疏﹄には玄義分序題門の真如轄の説明に﹃起信論﹄ を引用した後﹁諸悌衆生、性徳卒等にして流動な きが故に︵中略︶諸僻所住の性海、経中に所調一切衆生悉有悌牲とは此の理宏宜読したまふなり。聖母印異なりと雄も、 其の化の起は此を以て宗源となさざるはなし、安祭集の中に此れに就いて難を立て而して後に二門を判出したまふ、 微 意 見 る ベ し 。 然 る に 開 学 者 深 く 察 せ ず 、 おもへらく性といふは聖遣門の事にして、本宗に無き所と。甚だしきかな聖 教そ許せざる︵中略︶然るに同じく性を語るに、其の施設に至つては、彼此なきにあらず。日く彼れは則ち心を主と なし、此れは則ち悌を主となす。心を主とせば性を負ふ修を起し牲に依るが故に。帥仰な主とする者は修を待つ﹂等と 示し、俳牲に理と修とに分ち、理としては聖揮起化の宗源として本有僻牲を許さなければならないとし、修としては 梯牲はあくまでも如来のもので、衆生にはなしと見る説である。 しかも、修の上で俳牲のないこと乾薪を折って水を もとめ、緑木を鎖って火を求めるようなものあると説いておる 此の思想で最も注意すべきは、本有悌牲を説くのは、聖静起化の宗源としてであるとの主張である。印ち、本有悌 性がなければ、聖遁門でも揮土門でも、如来の数化が生ぜなくなる。従って、聖静起化の宗源として衆生本有の悌性 を許さなければならないという主張である。 此れは明かに 救済成立の根源として本有悌牲を取扱っておるのであ る。勿論、元来悌性の問題は成悌の可能性の問題であるから、浮士同県宗に於ける悌性論には、それは無意識的であっ ても救済成立の問題と連闘の上で考えられてはおるが、 しかし、それが明確に因果律の上に立つ、救構成立の可能性 として悌牲を許さなければならないと主張した所に、前の二説と異なる所がある c

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持 無 向 同 校 梯 性 設 救済成立の根源としての よく注意して、折衷誼を出しながら肯’誕的な患惣に立ったのは讃振の総自性悌 社 い 説 で あ る G 道援は償叡よりも十一才の年少℃あ 、二年早く示寂しており‘間じく安審の 借叡は翠と しての本有線牲の その良部の せなかった それは説明することの必要もない ものと考えたのであろうが の良部を説明して、紫自性担である こ と に よ っ て 、 静 土 異 宗 の 織 的 性 の 性 絡 を 刀、 さ ー ト

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牲 も 務 の 識 で

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お あ い る よ る と 先づ問答をもうけ 一 問 答 で は 、 衆生に締性ありや し、 そ の 公 口 に は つ 不 也 ﹂ と し 、 の 機 の 文を引き、法性無鱒であり、金く無明に依るから悌性なしといい、 関 長女 装コ では黙らば衆立に俳牲なきゃと閥い、その答にも といい、次いで﹁菌線生法、本自性なし 白樺部 ち 帥 抑 性 な り ﹂ と も 平 怖 叩 聞 の 賭 す 括 的 、 悌 性 な ら ざ る は な し L

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bフ い う も 不 也 、 無というも不出 と、有無に囚わるべ で な い と 一 不 し 勺 傍 牲 の 有 無 果 し て 郊 街 ん ﹂ と 向 い 、 四句分別そして 附妄無奨 の 取 る 所 ︶ ︵ 貫 智 の 所 開 問 ﹀ 、 三 有 異 宝 妥 間 了 ﹀ ︵ 法 盤 側 ︶ 叉衣に悌性 L

て 四 句 分 制 約 し て 一 無 様 性 ハ 機 情 に 就 く が 故 に ﹀ 、 ニ 有 持 卵 性 ︵ 悌 制 闘 に 約 す る が 故 一 亦 無 亦 有 て の ? 』 ぇ 凶 非 十 台 非 無 欝 の 故 に ﹀ て お る 。 て 本 願 一 一 来 は 修 に 約 し て 性 を 務 じ た 波 う も の で い て 理 を 語 る 。 問 問 調 悌 牲 は 、 若 し 傍 の 智 見 を 繋 る れ ば 則 、 わ 盤 持 す べ か て あ る G 誌の無自性梯性設は、梯牲に理換性、行梯校、策悌性を立て、その酬明悌牲と稽せられるものは、諸法の関線性無自 牲 の 船 搬 を い う の で あ り 、 無 自 性 空 の 故 に 、 悶 鰍 来 れ ば 種 々 ⋮ 関 化 を 生 、 ず る こ と を 得 る の で あ る 。 凡夫に決定した 巽 t乏タ 耳' 帥 抑 糾 防 総

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翼 6二と, 4' 蹴 抑 校 総 自性必めれば、伸顧力を訟でしでも往生せしめ成梯拾しめるこ で あ る 。 々凡夫が救携さ のは、凡夫が 本 来 無 自 性 僕 如 を 韓 、 と す る で あ る と の で ふ る 。 しかし、誌の場合は理傍笠という

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も、倦叡の如く、事理と るべきもの はなく、欝頼関問の根祇的なもの、椴滅的な窓味となるもの 此 σ〉 っ て 救 済 成 立 の 納 税 殺 と し ての梯性設が完全にその意義を霊揮したものというべきであろう。 (王寺 傍 性 議瀦悌性請は借鎗に始まって、 鮮妙によって の 根 棋 を な す 慾 州 国 で あ る と い う と ょ う で あ る 。 のご滞録﹂の 策海轄の下で﹁お有榔牲も授駒栄惑の上内向自己本有の勝戦のこと、今引 の こ ︽ ふ ろ へしたがへてとり給ふゆえに 繍陀正受の て 一切衆生不等にたすかるべきな懇有線性 と 示 し 、 叩 略 的 仰 を 鶏 陀 所 謹 に か ぎ る 所 に あ る の で あ る 。 議議犠牲読は 第八像患の法界身糠から来るもので﹁諮傍如来は是れ法界身なり、 の心想の中に入 る 支た の ﹁描卵性すなはお如来なり。この如来敏感世異にみち/\て乏し は 、 ち 一切群生部の心にみちたまへるなりい の文によるもので、若震の の性強力説な根抵としておるとも の で あ る 。 警 議 の 忍 岳 部 品 調 要 ﹂ の 輿 抑 分 間 に は て性を談ずるときは、或は法議関川修の査性に約し、成は瀬陀修徳 の妙理に約す。衆生の上には軒、心機牲の外更に本兵役談ずるの ︿ 中 略 ︶ 震 途 よ り 立 な 按 ず れ ば 、 其 一 や 等 の 牲 寝 都お蒲陀の研領、無数簿の白丹謹なり。故に﹁額名紗いには需弾陀如来は長護費戒の壁謹銀鈴本有の極理等?と G に も 云 β 等と示し、録部在調陀に 一切衆生に機性ありというは、此の矯詫所謹の同県知

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の過滞であると説くものである。 比の説は鮮妙、懇単一等、近代の本有機性否認識者によ て 出 血 く 煎 い ら れ て お る 誰 で あ る 此の眠学識の持色は、治問心獲得の可能性、救縛成立の可能そ衆生本来のもの な い で 、 州 知 来 所 識 の 国 民 如 の 溺 満 と し て、衆生救済のをふ藤な如来にあるという艶にあるのである υ 四 問 題 の 解 決 以上は緩め る締散論の代表的なもの の で あ 、現代に於いては、無自悌性設 を取るか、議潟悌牲設な沼いか れておるということが出来るのである G しかも、救構成立の粧教に於いても国 来樺は動しではならないという立場に立てば、震然無 r白 性 胤 卵 性 設 に 鎖 信 託 \ 救 機 は あ く ま で も 熊 飛 の 間 初 で あ れ り 、 願 力 、 名 裁 の 溺 問 問 で あ る と い つ時は遍議梯性裁に く も の ろ う ω 道 援 が 無 自 性 描 卵 性 合 議 き な が ら よるものであり、韓の紫墾所照の立場であって、 (1) ら い う こ との出来ないものだ を 一 不 さ ん ー ノ ニ ﹄ ’ コ C 1 7 2 北れは無自殺空という とは謹製の世 界、成機せ 反省替の上 へきものであって、首位の 特 の 計 一 一 副 り 知 る こ と の 出 来 な い も の と お る も の で 、 此 れ を 説 く の は 同 県 知 縁 起 の 無より右宕生ぜないという因果律に立つ弘のであることは、その 交によ︿っても知ることが出来るのである。しかし、無自性空が生併の絞祇として存するという思閣は、地力救械をさ またげるほどのことはないにしても は本来無白性懇であって、如来の蹴方が来れ 頃舗の締来れば 墾議すゐというものでは、地獄は一定と

γ

つ 思 懇 の 因 た る − ⋮ 一 心 共 に 機 無 で あ る と い は 、 仰 向 か 習 試 的 に 同 州 な り 役 感 ず る も の そ こ に 異 如 の 問 問 題 問題、救務め主鐘牲の問題等が生ずるようで、此れ等の間同様 葬 毒 S三二タ 珂ミミ 融 W 糾 世 論 問

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真 ’ で耳ミs, 悌 性 論 四 を十分考察した上でなければ此の問題の解決が出来ないのである。 しかし、今は紙数の闘係でその結論だけを茨に示 し て 見 ょ う 。 付 員 如 と 阿 調 陀 悌 遍満悌性説を主張する人々は、真如を同調陀僻に限定する思想を有することである。此れは、宗祖の自然法繭章の 凡夫の思虐を離れた無上悌を自然といい ﹁かたちもましまさぬゃうをしらしめんとて、はじめて蝿陪悌とまふすと 品 名 誉 に ﹁ し か れ は 同 調 ぞき与ならひてさふらふ。調陀悌は自然のようをしらせんれうなり﹂と一不されてあり、 陀如来は久遠貫成の畳瞳、無始本有の極理なり、迷悟染串 一切菌法ことん\く阿蒲陀のつ一字に掻在せずということ なし﹂と示してある。此のことは十分な論謹の後に結論を出すべきではあるが、宗租は宇宙の員賞の根源を阿輔陀悌 という悲智のある人格的な悌とされたものであり、同県如の理とは、阿禰陀悌の理的面をいうにすぎないとの思想であ ると見るのである。此れは宗教としてはむしろ正しいものではないだろうか。 また﹃起信論﹄に員如縁起を説くのも 悌遭修行によって成悌する可能性を示すために本来真如より生じたという論理を用いたものであって、宇宙構成の論 理を一不すものではないだろう。そこに無明の忽然念起という語も用いられ、峰印綿起の生ずる因練も説かれてないので あ ろ う 。 ただそこで示さんとするのは悌道修行によって成悌の可能性を説けばよいからである。従って、成悌の可能 さえ明瞭になれば、真如縁起は必ずしも不動のものとせなくてもよくなるのである。 阿禰陀悌と翼如とは事理の左右であって杢く同一であるとすれば、その真如が宇宙に遍満して一切衆生の心中にも 行きわたるのは、全く如来よりの遁満であって凡夫︵無明︶の迷界よりのものではないわけである。

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