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かし其礎に一つの限界状況な髄惑し︑ぞれから更に人間そのものの委︑あり方念︑或は謡・罪等の問題を透求する︑
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自覚を持つ者もあったであろうが︑しかし武士階級杢瞳としていうならば惣領制的な圏結をもって敵を倒してゆくと
いう考えが中心にあった需であり︑また封建的土地所有を肯定する現貫主義的な世界観がその基本であったといわね
ばな るま い︒
﹁十訓抄﹂のように因果屈報的勘善徴悪的な教訓書︑が出てくる根操の一つも其慮にあると思われるが︑それは
﹁よき方をばこれをすすめ︑悪しき筋をばこれをいましめつL﹂と云いながらも︑善・悪の根操を問︑つということは
ない︒この貼は﹁卒家物語﹂に於ても同様であり︑清盛等の悪行ぶりが重かれているがしかし思の悪たる根操を考え
ょうとはしていない
組じて此の時代に於ては︵日本の前近代吐曾圭韓を通じてといっても大過なかろう︶何を﹁善しとし又﹁悪﹂とす
るかということは肢に決ったものとして善︑悪がいわれることが多く︑その根操を問︑つとい︑つことは少なかったので
ある︒そうして此のことは古代的なものの長年にわたる残存ということと閥係があるであろう︒
これに封して親驚は前に述べたように俸統的な善悪観︵それは主として貴族帥教的なものであった︶に封して鋭い
疑問を投げかけ︑叉これを止揚するに至っているコそうしてそのことの根操は前述の親鷺の考え方にあるのは勿論で
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しかしその歴史的背鼠を求めるならば︑それは親鷺の庶民的な立場にあったと思うのであるJ
その壮年時代を北陸から闘a山県にかけての庶民と共に過ごし︑京に踊ってからも︑京では主な弟子を殆ど作らないで
ひたすら闘東の﹁文字のこ﹄ろもしらぬ﹂人々に封してのみ教を説きついゐけた親驚は真に庶民的な思州出家であったc
殊に﹁屠はよろづのいきたるものをころしほふるもの︑これは猶削といふものなり︑泊はよ﹄つやつのものなうりかふも
かゃうのあしきひと︑強師さま介\のものは︑入ないしかのなり︑これはあきびとなり︑これらを下類といふなり︒
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の身を置いて考えているということは深く注目されるべきであろう︒昔時の庶民は生産力の増大や腫史の輔換のため
に前代よりは生活の上昇があり得たとはいえ︑公武の二重搾取の下にあって苦しんでをり︑経情的にも時間的にも遺
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持戒持律等々の善根からしめ出されていることは勿論︑生きるためには
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ず﹁あさましく愚雛きはまりない﹂貧しい人間と考えられていたし自らもそう思って居り︑それがまだ罪の結果で
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身が罪惑と考えられていた︒或は︑そのような自覚さえ持ち得なかった程の前代の奴隷的朕態からようやくその自費を持ち得るまでになった朕態だったといっても良かろう︒そうして彼等こそが︑侍統的な善悪観
を鋭く批判すべき立場にあったと言い得るのである︒
しかし勿論彼等は自らの生活韓験を思想にまで高める力を持つてはいなかった︒それを宗教的な形でなしたのが︑
却ち庶民の聾なき聾を︵宗教的な︶思想にまで高めたのが親驚であったといえるのではなかろうか︒
親鷺も彼等を﹁あさましき愚嬢きはまりないL人間でなく﹁あしきひとLでないとは言わなかった︒然し彼等の立
場に自己の身を置き︑その晩年八十八才には﹁よしあしの文字をもしらぬひとはみな︑まことのこL
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善悪の字しりがほは︑おほそらごとのかたちなり﹂と彼等を肯定した親鷺d は︑そのように昔時の善悪観に謝して鋭い
批判をなげかけたばかりか︑その︑自己が悪人ということを自覚している愚嬢無智の人間こそ先づ救われるべき人間
であることを深く韓感し得たのであったし︑さらにまた﹁善﹂﹁悪﹂そのものを根源的に問題にする所にまで至って
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親驚とその時代に於げる善と悪
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