たより
あた
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y るの であ る︒
ることi
ところで松山誌が問題にされる蓮訴の﹁たのむ﹂についてにあるが︑﹁欝文章一の上にも﹁たすけだまへとたのむし
が﹁たすけたまへと信ずる﹂におきかえられている場合があり︑また﹁たのむLと﹁信L
・﹁ 窓﹂ が詞 意一 誌で ある こと
をあらわしてい
《ザ》
組制
山氏
の﹁
議制
州の
陥閉
仰
L
批制
判
一七
七
松山氏の﹁蓮如の信仰﹂批判
一七
八
(3) (2) (!)
後生たすげたまへとふたご冶ろなく信じまひらす︵一二帖目第二週︶
阿禰陀如来たすけたまへとふかく心にうたがひなく信じて︵五帖白第四一迎︶
阿禰陀如来をばなにとたのみなにと信じて︑かの湾土へは生ずべきぞなれば︑たVもろ/\の雑行をすて﹀一心一向に粥陀
に帰すれば︑十人は十人︑百人は百人ながら︑すなはち哩印土に生ずべき身にさだまるなり︵﹁帖外御文﹂第三三週・第四五
通 ︶
調陀をたのめば南無阿禰陀偽の主になるなり︒南無阿禰陀併の主に戒といふは︑信心をうることなりと云々︵﹁御一代問書﹂
|異
聖を
一一
一・
五九
一︶
われしなばいかなる人もみなともに
(4) (5)
雑行すてL掬陀を滋めよ︵﹁御詠歌﹂|真聖九七五・五O
四 ︶ な ど が そ れ で
︑ し た が っ て そ の 文 意 は
かLるあきましき機を本とたすげたまへる掬陀如来の不思議の本願力なりとふかく信じて︵二帖目第一五通︶
と あ る の と 具 る も の で は な く
︑ 更 に い え ば
﹁ 歎 呉 紗
﹄ 第 一 節 の
粥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて︑往生をばとぐるなりと信じて︵真壁全二・七七三︶
の 意 に 外 な ら な い
︒ そ の 他
︑ 蓮 師 が 安 心 以 外 の 用 語 と し て 用 い ら れ る
﹁ た の む
﹂ の 語 例 を み て も
(4) (3) (2) (1)
かねてたのみおきつる妻子も財賓も・・・︵﹁御文章﹂一帖白第一一通︶
それも老少不定ときくときは︑まことにもてたのみすくなし︵﹁同L
二帖
目第
七通
︶
このゆへに︑人間においてもまづ主をばひとりならでは︑たのま尚道盟なり︵﹁同﹂二帖目第九泊︶
いくたびかさだめしことのかはるらんたのむまじきはこ︑ろなりけり︵﹁御泳歌﹂l
員型
全五
・五
一一
一︶
﹁たのむ﹂は﹁たよりにするしことで︑一前りや哀刷でないことが知られる︒
などのように
E
︑工
︑
φん
し︐
刀 ﹂のように宗祖においても蓮附においても
﹁たのむ﹂は明日依であり︑投托であり︑信順であることは疑う徐地が しかもそれが決して偶然の一致でないことは︑宗組の﹁信﹂といわれたものなおさ加えて︑蓮師が﹁たのむ﹂
いくつかの文例によってはっきりこれを詮明することができる︒
たとえば
といいあらわされた︑
一念に禰陪をたのみたてまつる行者には︑無上大利の功徳をあたへたまふこ︑ごりを︑和讃に裂人のいはく︑五相側円泊世の有情の選
樺本願信ずれば︑不可閣情不可説不可思議の一︑功徳は行者の身にみてりuこの和讃のこ︑ろは:・:かやうに禰陀をたのみまうすも
のには︑不可稽不可説不可思議の大功徳をあたへましますなりv:::この大功徳を一念に禰陀をたのみまうす我等衆生に廻向し
ましますゆへに:::︒このこ沿ろをまた和讃にいはく︑繍陀の本願倍ずべし︑本願信ずるひとはみな︑掻取不前の利盆ゆヘ︑等
正繁にいたるなりといへり︒掻取不捨といふは︑これも一念に禰陀をたのみたてまつる衆生を光明のなかにおさめとりて信ずる
こ﹀ろだにもかはらねば︑すてたまはずといふこ︑ろなり︵﹁同L五帖目第七辺︶
③ の文などがそれで︑この文を注意して讃めば﹁和讃﹂の中の﹁信﹂という言葉が︑蓮師では﹁たのむ﹂と意課せら
れていることがわかるであろう︒だからこそ
聖人一流の御動ル刊のおもむきは︑信心をもて本とせられ候︵﹁御文章﹂五帖目第十通︶
といわれるので︑これほど明らかな雨租の相承をあえて否定せられる松山氏の主張には︑ためにせんとする意園があ
るのではないかと疑われてもやむをえないであろう︒
しかしたしかに﹁たすけたまへ﹂という用語は宗祖の上にはほとんど見出すことができない︒たピわずかに︑宗
租がその門弟にも勘められ︑したしく書寓されもした﹃後世物語﹄の中に
たとひ欲もおこり︑はらもたつとも︑しづめがたくしのびがたくぱ︑たけ﹀悌たすけたまへとおもへば︑かならず掬陀の大慈悲に
てたすけたまふこと︑本願力なるゆへに掻取決定なり︒︵﹁後世物語﹂l員聖金二・七六三︶
という文を見出すくらいで︑もとよりこれは宗祖自身の言葉ではない︒したがってこの用語については先輩も稗明さ
れる通り︑昔時四m土宗鎮西振で盛んに用いられた流行語を︑蓮師が陪宜轄用せられたものとみるwへきであろう︒松山
民はこの黙について︑同じ時代に用いられた同じ言葉を︑揮土宗のそれは祈願請求であり︑蓮如のそれは許諾信順で
あると匝別するのは︑蓮如を中興の上人として奉らんがためになされた暴撃であり︑先哲の我田引水も甚しいと︑
口
松山民の﹁蓮如の信仰﹂批判
一七
九
松山氏の﹁蓮如の信仰﹂批判
一八
O
をきわめて非難せられ︑もし雨宗の信仰に相違があるのであれば蓮如自身もっとその解轄に努を費すべきであっ
判③た の で
『 あ 御 ろ
文 う章
lb
を
讃ま
れ Lな
、
で あ る
カ〉
と批判していられるのであるがそれほどに蓮師を誹議せられるまえに︑なぜ次のような静土宗義批
︶ 1 ︵ きれば自徐の回目土宗はもろ/\の雑行をゆるすむわが聖人は雑行をえらびたまふ︒このゆへに異質報土の往生をとぐるな
り︒このいはれあるがゆへに別して異の字をいれたまふなり︵一帖日第一五通︶
夫自叩土員宗とをかる冶ことは︑四叩土宗四ケ流にはあひかはりて異質の道理あるがゆへに︑同県の字ををかれて湾土同県宗と定め
たり︵﹁帖外御文﹂第六通︶
(2)
松山氏が要求せられるまでもなくすでに蓮師自ら揮土宗と静土真宗の信仰との相違左明らかにすることに努め
ていられるのである︒そして事買また︑揮土宗に於けるこの言葉の語例を見ると
︶ 1 ︵
(2)
良忠﹁決答授手印疑問紗﹄︵湾全一0
・五
四頁
︶
ソ 山 パ キ
7
ニ ヘ ト ノ 一 一 ケ ヘ
凡回目土宗之元意不レ過レ思ニ助給阿掬陀悌一也先師定言一五助給阿禰陀悌云一五
望問﹁数相十八通﹄出世上︵淳入土二了七四O
頁 ︶
所レ云車信大信者不レ議一一本願異質一不レ知一一名披大利一不レ分一一安心起行一不レ耕一一徳願別願一如レ是話解義悉是遺二疑煩悩一教門方便也
ニ ハ 毛 主
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タ ハ ン ヘ
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一 ハ ル ト ヌ
若草直愚療人疑惑亦無也只心存ニ助給一口明二南無阿国淵陀悌一之計也是一五二間半前仰信正機一
のように︑度我救我の義を﹁たすけたまへ﹂とい
lh
あらわしているのであって︑これを祈願請求の意と解し︑それと
信仰を具にせられる蓮制の用語の内容を匝別して︑許諾信順の意とすることは五版首然なことで︑何ら一本願寺末皐の
濁断に出ずるものではないのである︒私は松山民の所説こそ信仰の侍統を川県副し︑
H
誠に不都合なか︿市にはばをつむられる暴論であるといいたい
註
② ①
﹃高
間町
字削
戦﹄
︵第
四三
樹四
五兵
︶参
照
乙の外﹃御文章﹄︵一帖目第二通︶︑﹁夏御文﹂
︵第
一通
︶︑
﹃帖
外御
文し
︵第
七六
遇︑
第一
O六通︶などを参照
③
この外﹃御文章﹄︵二帖目第一五通︑三帖目第五通︶︑
﹃帖
外御
文﹂
︵第七三通︶など
四
内リ
蓮師の帯土宗義批判はこれだけではない︒定たしばしば一中牛業成・不来迎の山一ボ義をもって彼の宗との相遣を示して
いら れる
︶ 1 ︵ 夫つら/\常流の宗義を案ずるに︑鎮西︑西山之雨流にこえすぐれたりcそのゆへは或は臨終往生守本とし︑或は念仰の数
簿をもて一二三五の往往をゆるす家なり︒きれば此等の宗義にをひて各別にして︑常流聖人の立嘉はすでに一念夜起卒生業
成の義をたて︑宗の本意とする係︑他流には大にあひかはれるものなり︵﹁帖外御文﹂第七O
通 ︶
常流のこ﹀ろは一念卒生業成とたて三諸の雑行をすてh一心に阿禰陀如来後生たすけたまへとふかくたのまん人は︑かな
らず報土に往去すべきこと決定なり︒::一︑鎮西には蛍待往症とたて来迎をたのみU家なり︒是れ観経の意也︒て西山には
邸便往生とたて︑ニニ心だにも決定すれば︑自徐の雑行をゆるし︑来迎を本とする也︒これも甑経の意也︵﹁同﹂第七三週︶
凡営流之義︑湾土一家之義には大に相遣すべき也︒蛍時はみな他力流の義をもら親驚聖人一流と放すと云々︒以外の次第
也︒先親驚上人意は一念護起卒生業成と立てL臨終を期せず来迎をたのまざるなり︒きれば来迎方便得生異質と沙汰する
也Qの一人中山崎命の信心決定して後の稽名をば︑自身往生に猶いのる心あらば︑それは自力なり︒ひたすら往生は一念に決定
と心得て︑併恩報謝の稽名とおもふべきなり︒これすなはち蛍流の信心議得の行者と云也︒この主には来迎と云も臨終と云
も更にあるまじきものなり︵﹁同﹂第一
O
O通 ︶
(2) (3)
さて︑私はこLで卒生業成義の論理を考えてみたいと思うQおよそ宗教とは俳と人との結びつきであるといわれる
が︑この場合に悌からの力と人聞からの力とがプラスして救慣が成立するという宗教において︑果して卒生業成義が
成立するものであろうか︒今かりに悌力を9︑人間の力をーとして︑プラス叩になったとき︑救いが成立するという
宗教を保定した場合︑人聞に必要な力のーというものは︑誰が何によって測定しうるのであろうか︒いかに頭燃をは
松山氏の﹁蓮如の信仰﹂批剣
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