クリニック1・9・8札幌
key words:被災透析患者,災害時情報ネットワーク,域外搬送,情報共有
Acceptance of the dialysis patients encountered the East Japan Great Earthquake―Mission in Hokkaido Clinic 198 Sapporo
Shuhei Tozawa
川智之災害担当理事より情報提供依頼の第一報が発信 され,同時に厚生労働省への連絡ルートが構築された.
また当医会の
HP(一般)へも受け入れ体制の登録依
頼が杉崎弘章当会専務理事より発信された.翌13
日(震災
3
日目)も同様の情報が発信されたが,午前中 迄は被災地からの発信はなかった.当日,筆者も久木 田和丘先生(第57
回日本透析医学会学術集会・総会 会長,北海道透析療法学会会長)もまだ札幌に帰って いなかったので,古井秀典先生(札幌北楡病院)に「北海道は北海道透析医会(会長:大平整爾)・北海道 透析療法学会(会長:久木田和丘)・札幌市透析医会
(会長:戸澤修平)の三者が一体となって対応する」
旨の情報を[joho_ml]へ発信するように依頼したが,
古井秀典先生は[joho_ml]のアドレスを持っていな かったので,日本透析医会災害情報ネットワークの一 般用の
HP
の連絡事項等のコメント欄に同情報を記載 した.3 北海道への受け入れ体制
震災発生翌
12
日には,厚生労働省健康局疾病対策 課より当会事務局に「被災地のインフラの復旧,施設 の復旧が難しく厚労省としては域外搬送を考えてい る」との相談があり,それを受けて山川智之先生より 被災透析患者の域外搬送が考えられる旨の情報が[joho_ml]に発信された.
被災地からの情報発信は震災
3
日目の13
日の午後3
時22
分になり,東北大学病院,血液浄化センター の宮崎真理子先生より仙台地区の状況報告「水がたり ません,スタッフの疲労,ネットワーク回復等」の一 報が[joho_ml]へ発信されたのが第1
号であった.このメールからも被害の甚大さがうかがわれ,山川智 之先生よりの「域外への搬送の必要性あり各地区にお ける受入れ体制の整備を」のメール要請に従い,北海 道においても大至急調査を開始し,当日夕方までに入 院透析患者
70
名(後に100
名),外来透析患者 200
名 の受け入れ体制を構築した.外来透析患者においては 宿泊施設が必要であり,北広島市長と面談し,事情を 説明してレジャー施設「夢プラザ」の全面的使用の許 可をもらい(後に札幌北広島クラッセホテルに変更),
宿泊体制についても完了した.震災
5
日目の15
日の午前に厚生労働省健康局疾病 対策課も[joho_ml]を見て状況を把握し,日本透析医会との情報共有化の打ち合わせも済んだ.また,当 日,北海道保健福祉部健康安全局特定疾患グループ主
幹より
“古井秀典先生が発信した日本透析医会災害情
報ネットワークの一般用の
HP”
を見て,北海道では 三者一体で支援体制を構築することを確認したとの電 話があった.午後になって東北大学病院の宮崎真理子先生より,
宮城県の域外搬送は原発問題もあり「北」を考えてい る旨の発信があった.夕方になり「厚労省健康局疾病 対策課のほうで北海道への搬送を考え準備に入った」
とのメールが,当医会会長山㟢親雄先生より宮崎真理 子先生に発信された.その日の夜
9
時には我々関係各 位に「広域搬送ルートについて政府内の調整が進めら れている」とのメールが,厚生労働省健康局疾病対策 課課長補佐中田勝己先生より発信され,その20
分後 には宮崎真理子先生より「北に進路をとることで方向 性を定め,作業をできるだけ早く進める」旨のメール が発信された.夜9
時45
分には「受け入れについて 戸澤へ連絡するように」当医会専務理事杉崎弘章先生 より中田勝己先生にメールが発信され,震災5
日目で 北海道への被災透析患者の域外搬送が決定された.4 被災透析患者の入院透析受け入れ
震災
6
日目の16
日には,「宮城県から北海道への移 送について,内閣府における広域搬送リストに提示さ れた」とのメールが厚生労働省中田勝己先生より当医 会に発信され,北海道でのより具体的な支援体制の詰 めの指示を受けた.我々はその情報を受けて,千歳空港に被災透析患者 が到着した後の患者搬送のためのバスの手配,医療機 関への患者振り分け,寝具をはじめ透析機材の確保・
確認,北海道庁との打ち合わせ,北海道でのマスコミ 対応の対策も完了した.この時点で入院透析患者
70
名から100
名に増員できたことも報告した.一方,宮城県でも被災搬送患者の
ADL
は自立歩 行〜杖歩行までの患者とし,全員入院対応で人数は100
名まで,出発は3
月19
日を目標に準備が始まった.また,この具体的な広域搬送の内容は内閣府に依頼す るさいに必要とのことで,厚生労働省中田勝己先生よ り山川智之理事に資料提出の依頼があった.震災
7
日 目の17
日には当方より千歳到着後の搬送医師数の連 絡など,さらに具体的な内容を宮崎真理子先生へメー東日本大震災における北海道での被災透析患者の受け入れ 51
ル発信した.
震災
8
日目の18
日になり,官邸の広域搬送班より19
日の搬送は難しいとのことで3
月22
日,23日で調整 しているとの情報が中田勝己先生よりメール発信され た.この時点で搬送透析患者はほとんどが気仙沼地区 の患者であると宮崎真理子先生よりメール発信された.震災
9
日目の19
日に内閣府と防衛省とで調整し,被災透析患者の来道は
22
日,23日に決定された.そ れを受けて20
日(日曜日),21
日(月曜・祭日)の2
日間で来道患者名簿の連絡,患者の荷物の持ち込み,双方での名札の作成,千歳基地使用許可願の申請等,
受け入れ体制の最後の詰めを行った.
5 被災透析患者の搬送
震災
12
日目の22
日午前10
時,東北大学病院を44
名(男性28
名,女性16
名)が出発したとのメールが 宮崎真理子先生より発信された.午後12
時30
分,無 事に千歳自衛隊基地に輸送機は着陸し,久木田和丘先 生,筆者とスタッフが機内に入り双方の名札の確認作 業を開始した.その名札照合の時に東北大学から付け てきた名札が,段ボールを切りガムテープで補強し荷 造り紐を通した手作りの名札で,我々の用意した名札 と比べて被災地がどのような惨状にあるかを知らされ た思いだった(図 1).名前を確認後,輸送機に横づ
けされた2
台のバスに自衛隊員,スタッフが介助しな がら分乗させ,千歳市に4
名(男2
名,女2
名),恵
庭市に5
名(男3
名,女2
名)を各医療機関にお願い し,残り35
名(男23
名,女12
名)を札幌市内の9
カ所の医療機関へ午後4
時までに無事搬送を終了した.その後,当医会会長山㟢親雄先生,担当常務理事山川 智之先生より関係各位へのお礼とこれからの一層の支 援願いのメールが発信された.
翌日
23
日に残りの36
名(男22
名,女14
名)も自 衛隊千歳基地に無事到着し,札幌市内の13
ヵ所の医 療機関へ搬送し前日同様無事終了した.この搬送で印 象に残ったのは,1日目の2
台のバスに乗った被災透 析患者は故郷を急に離れたことの不安なのか,これか らの療養生活への不安なのか,あるいはASD(急性
ストレス障害)の状態なのか,ほとんど言葉を発しな いことだった.搬送患者の中に糖尿病患者がいるとの 情報があり,全員搬送終了までは3
時間以上はかかる ので,低血糖に備えて飴玉とチョコレートを沢山もっていたので,それを勧めたところ何も言わずに食べた ため空腹もあると理解した.我々は翌日その反省を踏 まえて
2
日目の到着の患者分の弁当とお茶を持って行 き,バス乗車後直ちに配ったところ喜んで食べていた.しかしスタッフと会話するものはごく一部の患者だけ で,その話から出発当日朝の食事はお粥だったと云っ ていが,これらの会話からも被災現地の大変さを実感 した.
この
2
日間の被災透析患者搬送終了後に,今回のミ ッションの成功について,厚生労働省中田勝己先生よ り北海道透析医会会長の大平整爾先生に感謝メールが 発信され,被災患者の入院透析受け入れミッションは 無事終了した.6 被災外来透析患者受け入れ体制
震災
8
日目の3
月18
日に,札幌市保健所より「現 状の情報を知りたい」旨の電話が入ったが,被災透析 患者の入院対応を進めている状況だったので,23日 被災透析患者搬送終了後の午後以降であれば可能と連 絡していた.23
日の入院被災透析患者の受け入れ搬送終了後の 午後4
時から札幌市役所市長政策会議室で「被災地か らの透析患者等の受け入れ対応会議」が開催された.主な出席者は札幌市の
11
部署の担当課長と関係係長,計
30
数名が参加した.今回の被災入院透析患者の北 海道への搬送が日本透析医会,厚生労働省,東北大学,北海道透析医会,北海道透析療法学会,札幌市透析医 会,宮城県庁,北海道庁および自衛隊の協力という多 くの関係者の綿密な協力があったからこそ成功に終わ ったことを説明し,この次は被災外来透析患者の受け 入れにはいかに札幌市の協力が必要であるかを
1
時間図 1 北海道到着時に患者がつけていた名札 右側のものは筆者らが用意したもの.