• 検索結果がありません。

意図と理由の空間への参入過程(2)

ドキュメント内 自律を目指す教育に関する自然主義的研究 (ページ 100-111)

第 4 章 意図と理由の空間への参入

第 4 節 意図と理由の空間への参入過程(2)

身の意図の状態を概念化」が、コミュニケーションの中で自分自身の意図や理由を事後的に 作り出すまでに至ることを意味している。このような事態はどのようにして生じているの だろうか。

デネットは、人間の思考や行動についての科学的研究は、(多くの人が感じているように)

人間の自由意志や責任、そして自律性を否定するものではなく、むしろそれらの理解に貢献 するのだと主張している。デネットの自由論は、自由91と決定論は両立し得るという立場(両 立論)に属するが、他の議論にはない特徴を有している。それは、『自由は進化する』

[Dennett2003]という著作のタイトルからもわかるように、生物の進化の観点から自由に ついて考察していることである。

自由が決定論と両立することを示すために、デネットは、可避性evitabilityについての見 方を改めるべきだと提案している。決定論は往々にして、「世界の成り行きは決定されてい るのだから、ある結果が生じることは避けられないのだ(あるいは、ある結果が生じたこと は避けられなかったのだ)」という思考に結びつく。これに対してデネットは、生物が、自 らにとっての害(例えば捕食者)を避けながら生存していることに目を向ける。多くの生物 は、外界の情報を利用して、害を実際に避けている。そして、生物種ごとに、あるいは同じ 生物種の中でも個体ごとに、害を避ける有能さの程度には差がある。「あることはある行為 者agentには可避..

であり、一方あることは、可避..

ではない」[Dennett2003:56(83)]。この ことは決定論が正しいとしても言える。成り行きが決定された世界の中でも、それぞれの生 物から見れば、害を避けることと避けられないことの違いには意味があるのである。さらに、

生物は、害を避けるだけでなく、自らにとっての利益を得るための振る舞いもしている。デ ネットは、決定論が正しい世界においても、害を避けたり利益を得たりするために振る舞い を変えられることには意味があるということを強調し、これを踏まえて私たちが自由を持 つということの意味をとらえ直していく。

このデネットの議論に対しては、その生物が、害を避け利益を得るための振る舞いをする かどうか自体が何らかの仕方で決定されているとすれば、そこに自由を見出すことはでき ないのではないか、という反論が予想される。デネットは、こうした反論は、「神の目」を 持とうとすることによる混乱だと考えている。

宇宙に対する二種類の視点を同時に持とうとするから、混乱が生じる―過去と未来を すべて予め展開されたものとして見る「神の目」と、宇宙の中にいる、、、、

動作主体としての 行為者視点だ。時間を超越した神の目の視点からは、何ひとつ変わることはなく―宇宙 の歴史すべてが「同時に」展開され―そこでは非決定的な宇宙さえも、静的な軌跡の枝 分かれにすぎない。[Dennett2003:93(137)]

91 デネットは、自由意志という語を、決定論と両立し得ない特別な人間の能力を表わすも のとして用いている。そのような自由意志が存在すると考える「行為者因果論」の問題点

は、主にDennett[2003]で詳しく検討されている。

確かに、過去と未来を一度に見渡せる「神の目」からすれば、ある行為者がある害を避ける かどうかは決定しているように見えるのかもしれない。だが、そのような視点は、人間を含 め、この世界の生物は持つことができないものである。デネットは自由について論じるにあ たって、あくまでも行為者視点に立つ。そして、自由の進化について論を進めていく。とい うのも、害を避けたり利益を得たりすることは様々な生物(=行為者)に認められるのだが

92、すべての行為者において同じように実現されているわけではないからだ。特に、人間と その他の生物の間には、大きな違いがあるのは間違いない。

デネットは、人間的な自由の進化を、心の進化と連動するかたちでとらえている。デネッ トが多数の著作で展開している見方によれば、人間の心が進化してくるまでの段階は大き く4つに分けられる。この見方は、コンピューター科学の用語を借りて「生成・検査の塔the Tower of Generate-and-Test」[Dennett1995:373(494)]と呼ばれている。また、近著[Dennett2018]

では、この4段階は「有能性competence」の段階だととらえられている。すなわち、心とい うものは、諸生物において、生存し子孫を残すことを有利にする有能性の一形式として進化 してきたものだということだ。デネットの見るところ、自由というものは、心ないし有能性 の進化に伴って進化してきたものである。

心ないし有能性の進化の最も低い第一段階に見出されるのは、ダーウィン的生物

Darwinian creaturesである。この語は学習することのない生物に当てられており、その有能

性はただダーウィンの言う自然選択によって、個体群の単位で達成される。

彼らのいずれの世代も変異を生成し、その変異は自然にさらされて検査される。そして 勝利者は次のラウンドにより多くの複製を残すのだ。[Dennett2018:98(160)]

第二段階以降は、個体による学習が始まる。第二段階であるスキナー的生物 Skinnerian

creaturesは、心理学者のバラス・スキナーにちなんで、条件づけによって行動を変えること

ができる生物のことを指している。これは、個体そのものではなく、行動の選択肢を生成し、

検査することができるようになるということである。それによって、スキナー的生物は、ダ ーウィン的生物にはなかった有能性を獲得したが、この有能性はリスクも伴っている。

92 それどころか、デネットは生命のない人工物にも、害を避けたり利益を得たりする振る 舞いを見いだしている。例えば、イギリスの数学者ジョン・ホートン・コンウェイが開発 したライフゲームでは、一定のルールに従って二次元のピクセルの格子が明滅するのだ が、その明滅のパターンによって現れる「存在者」にも、回避が見てとられる(Dennett

[2003:36-47(54-70)])。その他に、2つのチェスプログラムに関する思考実験

[Dennett2003:77-83(115-123)]でも、これらのプログラムにも、ここで論じられている

意味での自由が見出されている。この思考実験については、第5章の注101で概観する。

というのも、その生物は残忍な世界の中で自らの選択肢を(進化が盲目的であるのと同 じくらいに)盲目的に試さねばならないのであり、何かを学習する以前に破滅してしま うこともあるのである。[Dennett2018:98(161)]

続く第三段階は、ポパー的生物Popperian creaturesである。この呼称は、「自らの代わりに 仮説を死なせる」[Dennett2018:98(162)]と述べたという、科学哲学者のカール・ポパー に由来している。ポパー的生物は、世界から情報を得て、それを「オフラインで〔つまり外 界との直接的交渉のない状態で〕仮説的...

行動を事前に検査する」[Dennett2018:98(161-162)]

(〔〕内は訳者による補足)。そして、「内的な環境モデルの中でなされた生成/検査競争の 試運転で勝利をおさめた選択」[Dennett2018:98(162)]を、現実世界で適用する。これに よって、スキナー的生物が直面していたリスクはかなり軽減される。ただし、ポパー的生物 は、自らが仮説を内的に検討していることについての意識的な理解は持っていない。デネッ トによれば、今日の科学者たちの間では、カラスやイルカ、イヌやネコやオウム、そして霊 長類といった動物たちが、スキナー的生物ではなくポパー的生物だと目されている(ポパー 的生物という語自体が広まっているわけではないが)。

内的な選択肢の検討について生物自身が意識するようになるのは、第四段階であるグレ ゴリー的生物Gregorian creaturesにおいてである。この呼称の由来となっているリチャード・

グレゴリーは、思考道具の役割を強調した心理学者だという。グレゴリー的生物は、「算術、

民主主義、二重検盲法による調査、顕微鏡、地図、コンピューター」[Dennett2018:99(162)] など、抽象的及び具体的な様々な道具を駆使して思考することができる。これによって、選 択肢の生成/検査の精度はかなり向上するはずだ。当然のことながら、グレゴリー的生物で あるのは人間だけだと考えられている。

以上のように、デネットは、生物としての有能性が増す様子を4つの段階によって描いて いる。具体的には、ダーウィン的生物からグレゴリー的生物に向かって、害を避けたり利益 を得たりする可能性は増していると言える。特にスキナー的生物以降は、個体単位で振る舞 いを調整することができ、ポパー的生物、グレゴリー的生物と段階を経るごとに、その調整 の効率は増していく。デネットは、これが心の進化であり、なおかつ自由の進化だと考えて いる。

グレゴリー的生物である人間の心の特徴は、内的な活動に関する意識が生じることだと されている。つまり、自らの有能性を理解するということであり、このこと自体が有能性を さらに高めているのだとデネットは考えている。以下、ポパー的生物とグレゴリー的生物の 違いを述べている部分を引用しておこう。

ポパー的生物は跳ぶ前に見ることができる。つまり、可能な行為の候補を、世界に関す る、脳内に何らかの仕方で蓄えられた情報に照らして検査する。[…]しかしポパー的 生物は自分がこのような試運転にいかにして取り組んでいるのかも、なぜそうしてい

ドキュメント内 自律を目指す教育に関する自然主義的研究 (ページ 100-111)