第 4 章 意図と理由の空間への参入
第 3 節 意図と理由の空間への参入過程(1) :乳幼児による意図の理解
発達心理学ないし発達科学の領域においては、人間がかなり早い段階、すなわち乳幼児の うちに、他者の意図を理解することができるようになることが明らかにされている。アンド リュー・メルツォフによる実験は、そうした研究の先駆けとして知られている[Melzoff1995]
89。この実験では、18カ月児たちに、大人がダンベルを2つに分解しようとして失敗する場 面を見せた。その後、同じダンベルを18カ月児たちに渡したところ、彼らは最終的にダン ベルが分解された場面を見ていないにもかかわらず、それを2つに分解した。この結果は、
18 カ月児たちが他者(ダンベルを分解しようとした大人)の意図を理解できている証であ ると解釈されている。
その後の諸研究により、他者の意図の理解は、9~12カ月頃にできるようになると考えら れている。このことを、マイケル・トマセロは、「9 か月革命」という印象的な語で表して いる。
生後九か月から十二か月頃に、ヒトの赤ちゃんはそれまでしなかった行動を数多く やるようになる。その行動の新しさは、赤ちゃんの世界、特に社会的な世界についての 理解の仕方にまるで革命でも起こったかのように思わせるものである。[…]九か月の ときにヒトの赤ちゃんは共同注意行動と言われるような行動をいろいろとするように なる。これらの行動は、他者が自分と同じように意図を持つ主体であり、その主体と外 界の事物との関係に自分自身と外界の事物との関係を同調させたり、逆に自分自身と 外界の事物との関係に他者と外界の事物の関係を同調させたり、事物との関係を他者 と自分で共有したりすることができるという理解ができ始めていることを示すと考え られるものである[…]。[Tomasello1999:61(79-80)]
「意図を持つ主体」については、「目標を持ち、その目標を達成するための手段となる行動 を能動的にactive選択する、自力で動く有生の存在」[Tomasello1999:68(89)]だと説明さ れている。
89 この実験についての解説として、奥村[2014:76]、森口[2014:134-135]を参照。
他者をこのような「意図を持つ主体」だと理解し始めるという一大変化が9か月頃に生じ る理由について、トマセロは、9か月頃までに、他者が自分に似ているという理解と、自己 が意図を持つことについての理解が進むからだと論じている。意図と理由のコミュニケー ション空間への参入過程を探ろうとする本節の関心からして、特に後者の指摘は非常に重 要である。
トマセロは、ジャン・ピアジェの研究を踏まえて、生後8か月頃に、「自分自身の意図的 な動作についての新たな理解」[Tomasello1999:71(95)]が生じると述べている。
生後八か月前後になると、ピアジェの観察した赤ちゃんは動作と結果の関係について 新しい理解を示しているように見えた。新しい理解ができていることの証拠となる、そ れまでには見られなかった行動としては、(a)同じ目標を達成するのに、その手段となる 行動を複数行なうこと、(b)目標追求において媒介となる行動を認識し、それを実行す ること、があった90。[…]
生後八カ月に満たない赤ちゃんも、目標に向かって行動しているという一般的な意 味においては、意図的に行動していると言って差し支えない。しかし同じ目標を達成す るのに複数の手段をとり、媒介物を使用するということは、意図的な機能の仕方が新し いレベルに達していることを示している[…]。これが意味するのは、赤ちゃんは今や 行動において目的と手段が持つそれぞれ異なる役割を新たに理解できているというこ とである。赤ちゃんは、自分が追求している目標と、その目標を追求するために手段と してとる行動を、それ以前の感覚運動的動作の段階と較べてずっと明確に区別するよ うになっているのだ。[Tomasello1999:72-73(96-97)]
トマセロの見るところ、上述のような自己の理解の仕方の変化に伴って、他者も異なる仕方 で理解されるようになる。
赤ちゃんが生後八~九か月に、自分自身を意図を持つ主体と理解し始めると、すなわち 自分が目標を持ち、その目標が手段となる行為とはっきり区別されるということを認 識 し 始 め る と 、 他 者 に 対 し て も そ の よ う な 理 解 の 仕 方 を す る よ う に な る 。
[Tomasello1999:75(100)]
90 (b)に関しては、赤ちゃんが玩具に手を伸ばす際に、自分と玩具の間にある障害物を取り
除くという行為を媒介として行うようになることや、ある玩具を自分で操作できないとき に、大人を媒介として用いるようになること(具体的には、大人の手をその玩具の方に押 すこと)が挙げられている。
このようなトマセロの説明に対しては、果たしてここで言われている理解とは何なのか という疑問が生じる。生後1年にも満たず、当然まだ言語も修得していない段階の人間にと って、自らの意図を理解するとはどういう事態なのだろうか。トマセロは、この種の疑問が、
自らが唱えるシミュレーション説(赤ちゃんが自己についての理解を適用して他者を理解 しているという見方)への反論につながることを見越して、次のように述べている。
シミュレーション説についてしばしばある理解の仕方としては、子供は自分自身の意 図の状態を利用して他者の視点をシミュレーションできるようになるのに先立って、
まず自分自身の意図の状態を概念化する能力を持たなければならないと考えている、
というものがある。これは経験的に見て正しくないと考えられる。子供は、他者の心的 な状態を概念化するのに先立って自分自身の心的状態を概念化するというわけではな い[…]。また、他者の心的な状態よりも先に自分自身の心的な状態のことを言葉で語 るというわけでもない[…]。しかしこのことはシミュレーション説にとってかならず しも問題になる訳ではない。シミュレーションというものを、子供が心的な内容を概念 化し、その心的内容が自分自身のものであると意識し続け、そしてそれを特定の状況で 他 者 に 帰 属 す る と い う 明 示 的 な 過 程 で あ る と 考 え な け れ ば よ い の で あ る 。
[Tomasello1999:75(100-101)]
ここでトマセロは、他者の視点のシミュレーションにおいて、子どもが「自分自身の意図の 状態を概念化」する必要はないのだと論じている。それによって、実際にそのような概念化 を行っていないであろう 1 歳未満の赤ちゃんにおける、他者の理解の発達が説明されてい る。トマセロによれば、生後8~9か月の赤ちゃんは、自分の目標とそのための手段を概念に よらずに区別しており、赤ちゃんはその区別をもとに、他者もまた「意図を持つ主体」だと 理解している。
さて、本節は、自律と他律の区別がどのように身に付けられるのかを明らかにすべく、
意図と理由のコミュニケーション空間への参入過程の探究を始めたのであった。この過程 を明らかにするにあたって、トマセロが述べているような、乳幼児期の発達を把握すること が重要であることは間違いない。それを認めたうえで、自律と他律の区別を身に付けること においては、トマセロが1歳に満たない赤ちゃんに関する理解としては退けている、「自分 自身の意図の状態を概念化する」ということが鍵となると考える。当然のことながら、自律 が教育目的として掲げられるとき、被教育者には、生後8か月で持つもの以上の、自己の意 図についての理解が求められる。前節では、自らの行為について意図や理由を述べ、その行 為を自ら選び取ったものとして引き受けることにおいて自律と他律の区別が実現している のだと論じたが、意図や理由を述べるということは、「自分自身の意図の状態を概念化」、す なわち意識化していなければできないだろう。それに加えて、私たちは、行為に先立つこと が絶対にあり得ない理由まで、行為を可能にした理由として述べている。これは、「自分自
身の意図の状態を概念化」が、コミュニケーションの中で自分自身の意図や理由を事後的に 作り出すまでに至ることを意味している。このような事態はどのようにして生じているの だろうか。