第 5 章 事例分析
1 富士フイルムの事例研究
ここでは、研究開発部門と事業部門の間の不確実性対応行動に不整合が生じ、その不整
合を整合化するマネジメントに成功した事例を用いて整合化のマネジメントについて分析 することにする。本研究では、事例として、デジタルカメラの登場により、それまでカメ ラで使用されてきたフィルムの需要が減少することに対し、フィルム技術の用途を拡張す ることに成功した富士フイルムを分析対象とする。
1-1 フィルムカメラの需要の変化
フィルムカメラは、1824年にニセフォール・ニエプスにより世界初の写真である「ヘリ オグラフィ」として発明された。その後、1839年8月19日にルイ・ジャック・マンデ・
ダゲールが初の実用的写真術「ダゲレオタイプ」を発表し、写真とともに発展してきた(日 本カメラ博物館, 2001)。一方、デジタルカメラは、1975年12月、イーストマン・コダッ クによって開発された(Eastman Kodak H.P., 2014b)。デジタルカメラは、撮像素子(光学 センサー)で画像を認識し、デジタルの形式で画像を保存するカメラである。デジタルカメ ラは、デジタル方式で保存されるため、撮影した画像をすぐ確認することができる。それ に加えて、デジタル画像を編集することなどが可能であるため、使用者へ与え る利便性が 高く、フィルムカメラの市場を縮小に追い込んだ。結果として、フィルムカメラの画像の 保存素材であるフィルム市場も縮小した(図表 5-1)。
図表 5-1 : カラーフィルム世界総需要推移
出所 : 富士フイルムホームページ
写真フィルムは、2000年をピークに世界の需要が減少したのである。さらに、減少のス ピードは、年10%超の急遽な落下であった。富士フイルムは、写真フィルム市場において、
長らく国内でトップシェアを占めてきた企業である。
図表 5-2 : 写真フィルムにおける日本国内業界シェア(上位3社) 1989年度の出荷量シェア 2001年度の出荷量シェア
出所 : 日本経済新聞社(1990, 2002)より作成
1-2 富士フイルムの事業縮小
富士フイルムは、長年の間、写真フィルムを生産するイメージングソリューション事業 に集中してきた会社である(永井, 2010 : p.196)。富士フイルムのイメージングソリューシ ョン事業は売上高の 30%程度を占めていた。2000 年以後は、イメージングソリューショ ン事業が占める売上高構成比は 10%程度に低下している。富士フイルムの売上高構成は、
図表 5-3のようである。写真フィルム関連事業として、イメージングソリューション事業 は、2001年度に7846億円であったのに対して、2012年度には、2948億円に落ち込んで いる。一方で、インフォメーションソリューションの売上高は、2001年度に6853億円で あったのに対して、2012年度には、9077 億円に増加している。ドキュメントソリューシ ョンは、2001年度に9312 億円であったのに対して、2012年に 1兆122億円に増加して いる。
図表 5-3 : 富士フイルム売上高構成(単位 : 億円)
出所 : 富士フイルムの有価証券報告書に基づき著者作成
つまり、富士フイルムは、2001年度から2012年度まで、イメージングソリューション の売上高の構成比が著しく低下し、インフォメーションソリューション 、ドキュメントソ リューションの売上高の構成比が著しく増加している。
1-3 富士フイルムの事業セグメント構成
富士フイルムの事業セグメントは、イメージングソリューション、インフォメーション ソリューション、ドキュメントソリューションの3つの事業部門となっている(図表 5-4)。
イメージングソリューションに、写真用のフィルムやデジタルカメラ等の写真関連の事業 部門があり、富士フイルムの主力事業となっていた。イメージングソリューションは、2001 年度から、2012年にかけて、事業セグメントの構成比率が下がっている。一方、インフォ メーションソリューションは、メディカルシステムやパネルディスプレイ、電子材料等の 情報関連の事業部門であり、インフォメーションソリューションは、2001 年度に比べ、
2012年度に事業セグメント構成の比率が上がっている。ドキュメントソリューションは、
富士ゼロックス社が運営する事業部門であり、オフィス用の印刷関連製品を扱っており、
インフォメーションソリューションと同様に構成比率を伸ばしている。
図表 5-4 : 富士フイルム事業部門や製品 イ メ ー ジ ン グ
ソ リ ュ ー シ ョ ン
カラーフィルム,デジタルカメラ,フォトフィニッシング機器,
写真プリント用のカラーペーパー・薬品・サービス等 イ ン フ ォ メ ー シ ョ ン
ソ リ ュ ー シ ョ ン
メディカルシステム・ライフサイエンス機材,グラフィックシ ステム機材,フラットパネルディスプレイ材料,記録メディア,
光学デバイス,電子材料,インクジェット用材料等 ド キ ュ メ ン ト
ソ リ ュ ー シ ョ ン
オフィス用複写機・複合機,プリンター,プロダクションサー ビス関連商品,用紙,消耗品,オフィスサービス等
1-4 富士フイルムにおける改革
富士フイルムは、2000年に古森重隆社長が就任し、構造改革を行った。富士フイルムは 2004 年に中期経営計画(VISION 2004)を策定し、ヘルスケア・医薬品事業(化粧品事業を 含む)へ参入することを決定した。2006 年に VISION 2004 を修正した新しい中期経営計 画(VISION 2006)を発表している。中期経営計画の策定と共に、大規模のリストラを実行 した。2006年の中期経営計画(VISION2006)では、富士フイルムは、富士写真フイルムと いう社名を、「富士フイルムホールディングス」に変更した。そして、「 わたしたちは、よ り優れた技術に挑戦し、「映像と情報の文化」を創造し続けます」という従来の企業理念か ら「わたしたちは、先進・独自の技術をもって最高品質の商品やサービスを提供する事に より、社会の文化・科学・技術・産業の発展、健康増進・環境保持に貢献し、人々のクォ リティオブライフのさらなる向上に寄与します。」という企業理念に変更した。
構造改革の際に、数年間にかけて構造改革のための費用をかけている。2005年度に860 億円、2006年に940億円、2009年度に1437億円、2010年度に 317億円の費用をかけて 構造改革を行った。構造改革費用は、新しい収益基盤を構築するための費用であり、主に、
研究開発の基盤の構築や、異質な産業へ参入するために使われたのである。
図表 5-5 : 富士フイルムの構造改革費用(単位 : 億円)
注 : 2004年度にも構造改革費用で 30億円が発生しているが、特別損失とみなされてい るため、含まれていない。
出所 : 富士フイルムの有価証券報告書に基づき著者作成
研究開発基盤の構築は、研究開発部門の組織再編を伴っている。2004年に富士フイルム の研究所である朝霞研究所の名称をライフサイエンス研究所に改称(2004年6月)し、ヘル スケア・医薬品事業を立ち上げるための研究開発を開始した。さらに、富士フイルムは、
当時まで蓄積してきた技術を融合させるために、異なる事業部研究所のから 600人の研究 者を集め、先進研究所を2006年4月に設置した(安倍, 2007 : p.43)。これは、内部に蓄積 されていた技術シーズの棚卸しをするためで ある。技術シーズの棚卸と事業部研究所の研 究者を集めたことで、富士フイルムに蓄積されていた技術を融合すること を目指した。
一方で、富士フイルムが行った研究開発投資は、次のようになる(図表 5-6)。2001年に 富士フイルムの売上高研究開発費比率は6.12%であり、各セグメント別にイメージングソ リューションが5.56%、インフォメーションソリューションが5.7%と全社平均より下回り、
ドキュメントソリューションが 6.89%で全社平均を上回っている。2001 年度に対して、
2012 年 度 は 、 イ メ ー ジ ン グ ソ リ ュ ー シ ョ ン が 2.37%、 ド キ ュ メ ン ト ソ リ ュ ー シ ョ ン が
7.82%と全社平均より下回り、インフォメーションソリューションが 6.26%で全社平均を
上回っている。富士フイルムは、インフォメーションソリューションの研究開発投資に、
戦略的に取り組んだことが分かる。
図表 5-6 : 事業ゼグメント別売上高研究開発費比率と各事業売上高構成比率(単位 : %) 年度
事業 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 イ メ ー ジ ン グ
ソ リ ュ ー シ ョ ン 5.56
(33) 5.34
(33) 5.37
(32) 5.64
(29) 4.74
(26) 3.56
(22) 3.10
(19) 3.49
(17) 3.93
(16) 2.32
(15) 2.22
(15) 2.37
(13) インフォメーション
ソ リ ュ ー シ ョ ン 5.70 (29) 5.69
(29) 6.03 (29) 7.08
(30) 7.74 (33) 7.50
(37) 8.43 (39) 10.18
(39) 9.74 (41) 7.60
(41) 8.66 (40) 7.82
(41) ド キ ュ メ ン ト
ソ リ ュ ー シ ョ ン 6.89 (39) 7.74
(38) 8.49 (39) 7.06
(40) 7.41 (41) 6.82
(41) 6.48 (42) 7.46
(44) 7.89 (43) 6.72
(44) 6.51 (45) 6.26
(46) 売 上 高 研 究
開 発 費 比 率 6.12 6.35 6.77 6.65 6.83 6.36 6.59 7.85 8.03 6.43 6.75 6.38
※ 事業セグメント別売上高研究開発費比率=事業セグメント別研究開発費÷事業セグメ ント別売上高×100
※ 事業売上高構成比率=事業セグメント別売上高÷全売上高×100
※ 売上高研究開発費比率=研究開発費÷売上高×100
※ イメージングソリューション、インフォメーションソリューション、ドキュメントソリ ューションは、2001年以降の富士フイルムの事業セグメントである。
出所 : 富士フイルムの有価証券報告書に基づき著者作成
1-5 研究開発体制の変化
研究開発投資の戦略的な取り組みは、研究開発体制の変化からも確認できる(図表 5-7)。
2006年以前は足柄研究所を中心に写真フィルムのための研究を行っていた。足柄研究所以 外に、ソフト開発センターや朝霞研究所、記録メディア研究所、富士宮研究所、吉田南工 場研究部、宮台開発センター、生産技術部が研究開発を担当していた。これらの研究部門 の間での共同研究開発は活発に行われていなかった。しかし、2006年の先進研究所の設立 に伴い、研究開発体制が構造的に変化した。先進研究所を中心に、コーポレートラボを運 営しながら、全社的な研究開発方針に関わる研究を行う一方で、ディヴィジョナルラボを 運営することで、各部門に特化した研究開発を行うように変化した。一方で、 全社で共通 的して利用する分野(生産、解析、ソフトウェア、映像)担当するセンターを設置したので ある。研究開発体制の整備によって、富士フイルムは新たな分野への参入の方向性を明確 にしながら、研究開発の専門性の向上を同時に狙うように変化したことが分かる。こうし た研究開発体制の整備によって富士フイルムは化粧品事業を含むヘルスケア・医薬品事業 への参入を実施した。