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女性被害者の報道被害史

ドキュメント内 テレビニュースに表象される女性被害者 (ページ 46-55)

第 2 章 女性被害者と事件報道

1 女性被害者の報道被害史

本節において、女性被害者がマスメディアによって報道被害を受けた事例について先行 研究をふまえ考察していく。1980年~2010年までの約30年間で報道が問題となった女性 被害者の主な事件は表2-1の通りである。以下、それぞれの事件について簡単に解説する。

表 2-1 女性被害者の報道が問題となった主な事件

① 1979 年「貝塚事件」

② 1986 年「西船橋駅酔っぱらい男性墜落死事件」

③ 1986 年「教え子殺害事件」

④ 1987 年「男性・主婦連続殺人事件」

⑤ 1989 年「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

⑥ 1989 年「連続幼女誘拐殺人事件」

⑦ 1994 年「筑波母子殺害事件」

⑧ 1995 年「沖縄少女暴行事件」

⑨ 1997 年「東電女性社員殺人事件」

⑩ 1997 年「逆恨み殺人事件」

⑪ 1999 年「伝言ダイヤル事件」

⑫ 1999 年「桶川女子大生ストーカー殺人事件」

⑬ 1999 年「光市母子殺人事件」

⑭ 1999 年「音羽幼稚園女児殺人事件」

⑮ 2000 年「新潟女性監禁事件」

⑯ 2000 年「英国人女性失踪殺害事件」

⑰ 2001 年「池田小児童殺傷事件」

⑱ 2005 年「広島小1女児殺害事件」

⑲ 2006 年「秋田連続児童殺害事件」

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① 1979 年「貝塚事件」

1979 年1月 22 日、大阪府貝塚市にある南海本線の線路沿いにあるビニールハウス内で 若い女性が死んでいるのが発見された。大阪のメディア各社は、この現場に大勢の報道陣 を送り込んだ。読売新聞社は地上だけでも記者・カメラマン10人、それに加えてカメラマ ンを乗せたヘリコプターが出動した。

この事件報道の問題点は、性的好奇心に基づく見出しである。たとえば1月22日、朝日 新聞の夕刊見出しは「全裸の女性死体」であった。確かに殺害された女性は首を絞められ た跡があり、強姦もされていたため着衣は乱れていた。しかし実況見分では、女性の下半 身には着衣は無く上半身は胸までははだけていたが両袖にはシャツ、カーディガン、オー バーを着ていた。このような見出しは誤報であり、男性読者の注意を引くために意図的に 歪曲したとしか思われない。読者、特に男性を意識して作られている(法学セミナー増刊 1990:181-194)。

②1986 年「西船橋駅酔っぱらい男性墜落死事件」

1986年1月、総武線西船橋駅で起こったもので、酔った男性が近くにいた女性にしつこ く絡んだので、女性が男性を押しのけたところ男性はよろよろしてホームから線路に転落 した。そこへ電車が入ってきたため男性が死亡したという事件である。この女性は傷害致 死罪に問われ、裁判が行われたが全面的に男性の非が認められ、女性は無罪となった。は じめに加害者とされ、後に被害者であるとされたこの女性の職業がストリップショーのダ ンサーであったため、その報道の見出しには「ダンサー」とつけられた。一方、酔って絡 んで死亡した男性の職業は高校教師であった。この 2 つの職業の社会的信用度、地位の差 からこの事件報道には常に、女性が男性をそそるような態度や服装をしていたのではない かという先入観があった。また、ちょっとした嫌がらせぐらい女は我慢すべき、あるいは 逃げればよかったのだというような書き方をするものもあった。この事件報道では、女性 被害者の名誉・プライバシーを侵害しただけでなく、被害者の家族に関する報道もなされ た(小玉1991:39-42)。

③1986 年「教え子殺害事件」

1986 年10月、元教え子(22・女性)と交際していた男性高校教諭が、この女性から多 額の金銭を受け取った上で同棲するよう強く迫られたことに困り、親しかった別の女性と 共謀し、元教え子を殺害した事件である。この報道では、被害者の元教え子がかつてソー プランドに勤めていたことが繰り返し報じられた。また「男性関係が複雑だった」「交際相 手に暴力団員風の男がいた」などと報じられた。しかし、容疑者の教諭が逮捕されると取 材・報道の焦点は男性教諭に移っていった(日本評論社編1988:62-63)。

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④1987 年「男性・主婦連続殺人事件」

1987年5月、北海道札幌市内のラブホテルで男性(27)が首を刺されて死んでいるのが 見つかった。その直前、ひとりで立ち去った同伴の女性が殺したものとみられたが手がか りはなく、警察の捜査は難航した。翌年の10 月28 日、同市内のアパートの一室で若い女 性がガス中毒死しているのが発見された。当初はこの部屋の住人で病院に入院中の A 子さ ん(24)が病気を苦に自殺したものとみられた。遺体発見翌日、A 子さんと信者仲間だっ た同市内の主婦B 子さん(27)の捜索願が、夫から警察に出されたことがきっかけで、ガ ス中毒死したのはA子さんではなくB子さんだったことがわかった。しかし、遺体は既に 火葬されていた。その後警察はA子さんを前出の男性とB子さんの連続殺害容疑で起訴し た。1989年に札幌地裁で開かれた初公判で、A子さんは2人の死に関与したことは認めた ものの、殺意については「よくわからない」と述べた。1991年、札幌地裁はA子さんに無 期懲役の判決を言い渡した。

新聞、テレビのワイドショー、週刊誌までその報道内容はセンセーショナルだった。容 疑者の A 子さんへの報道は、信仰を持つ若い女性が、テレホンクラブで知り合った男性を 男女関係のもつれからラブホテルで計画的に殺した上、1年半後に信者仲間で親友の女性を 殺し、自殺を装ったということで、異常で冷酷、無残な犯罪であることを強調した。また 親友であった女性被害者B子さんをはじめB子さんの両親、2人が知り合った宗教団体や その責任者らは実名で報道された。そのため宗教団体の責任者に対して、指導性を疑問視 したり、非難、中傷が行われた。さらに、この宗教団体が経営する幼稚園では新入園児の 応募が定員を下回る結果となった(日本評論社編1990:139-141)。

この被害者報道では、被害者の家族に加え、関係者・関係組織にまで報道被害が及んだ 点で、性にまつわる女性被害者報道の影響力の大きさが伺える。

⑤1989 年「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

東京都、綾瀬に住む4人の少年が女子高校生を誘拐し、長期間監禁して暴行を加えた上、

殺害し、遺体をコンクリート詰めにして遺棄した。この事件の被害者は監禁中、強姦を含 め数々の屈辱的かつ残酷な仕打ちを少年らから受けた。全国紙をはじめテレビ・週刊誌な ど多くのマスメディアで、被害者の実名・顔写真入りの報道が集中豪雨的に繰り返し行わ れた。

このような性的な被害を受けた被害者は、特に名誉やプライバシー、個人情報を保護す る必要性が高い。したがって報道においては被害者を匿名で報道し、顔写真の報道も見合 わせるべきであった(日本弁護士連合会人権擁護委員会編 2000: 136-138)。

さらにこの事件報道では、被害者があたかも過失を犯したような表現で報道された。中 山千夏等は新聞、テレビや雑誌などの各報道の問題点を告発し、各マスコミに対し当該事 件報道についての質問文書を送る活動をして一定の成果を得ている(中山・丸山 1990、

1991)。

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この事件は、マスメディアが性犯罪被害者に対する報道のあり方、プライバシーや名誉 について考えるきっかけとなった。しかしこれ以後も、下記のように被害者の過失を問う 報道は続けられた。

⑥1989 年「連続幼女誘拐殺人事件」

1988〜1989年、東京・埼玉で4歳〜7歳の幼い少女4人が誘拐されたうえ、猟奇的な方

法で強姦、殺害された。捜査が難航する中、被害者家族の自宅に遺骨等が届く。その後、

犯人からの犯行声明文が新聞社に郵送され、非常に注目された事件である。1989年7月に 容疑者が別件逮捕されると大規模かつセンセーショナルな報道にエスカレートしていった。

この間、被害者の遺族に対して大勢の取材陣によって繰り返し取材が行われた。また被害 者の写真や実名を何度も掲載・放送し、遺体の状況などを詳細に報道した。このような報 道に対し「人権と報道連絡会」はマスメディア各社(新聞、通信社、テレビ計14社)に「抗 議・質問文」を送った。この「抗議・質問文」の中では、被害者家族への報道被害に触れ られている。この質問に対する回答は、6社(朝日新聞・読売新聞・毎日新聞・産経新聞・

東京新聞、時事通信)から得ている。その中でたとえば読売新聞は「抑制すべきとの意見 が強く出た結果、申し合わせができ、代表取材することになっている」(日本評論社編1990: 212)と答えている。

この事件では、後に集団的過熱取材と呼ばれる取材陣が殺到する事態と、それによる被 害者遺族のプライバシー侵害について問題提起がなされた。

⑦1994 年「筑波母子殺害事件」

1994 年11月、神奈川県横浜港で母親と2人の子どもが他殺死体となって発見された。

後にこの女性の夫が、女性関係のもつれから 3 人を殺害し、横浜港に遺棄した嫌疑で逮捕 された。この事件報道では、犯行の背景を探るために夫婦のプライバシーや、被害者の女 性の経歴(18 歳での離婚歴)などが報じられた。また女性の洋服の嗜好(ブランド好き)

や経済面での問題(消費者金融での借金)について報じられ、あたかも殺害の原因は被害 者の女性にあるような報道がされた。特にテレビでは、事件の本筋とは関係ないと思われ る、被害者がランジェリーパブで働いている映像を繰り返し報道した。このような興味本 位、のぞき趣味的な報道と、被害者の実名、顔写真、映像の繰り返し使用は死者の尊厳を 傷つけ、遺族を苦しめた(日本弁護士連合会人権擁護委員会編2000:212)。

⑧1995 年「沖縄少女暴行事件」

1995年9月、沖縄本島北部で米兵による小学生の強姦事件が起きた。被害を受けた少女 の人権を配慮して、事件の重大さに反比例して現地のメディアは小さい扱いを行った。し かしこの事件が安保・基地問題へと発展し東京のメディアが注目し始めると、女性のなか でも特殊な「少女」が、「米兵」によって強姦されるというショッキングな事件を東京の

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