第 5 章 地下生物圏とメタンハイドレート
5.1 地下生物圏の掘削
生物圏というシステムには栄養(エネルギーと体成分)の供給が欠かせない.海洋 や陸上などの表層生物圏の栄養供給は,太陽光をエネルギー源とした植物の光合成 に支えられている.地下生物圏は光合成由来の埋積性有機物が主な栄養源と考えら れているが, 水素や硫化水素などの還元的無機物の酸化をエネルギー源とした CO
2固定および有機物生産(リソトロフィー)のインパクトも無視できるものではない.
地下生物圏における埋積有機物とリソトロフィーの重要度および依存度は,地質・
地球化学的な特徴および地史的な時間経過によって変わる.地下生物の重要な栄養 源であるメタンの成因にも有機物由来と無機物(CO
2)由来がある.
真のフロンティア科学たるには,地下生物圏におけるリソトロフィーに依存する微 生物生態系を発見し,その生態系の構造と機能,生物遺伝資源の多様性を明らかに すること,そして地下生物圏におけるエネルギーポテンシャルおよびフラックスを 解明することが必要である.特に究極のリソトロフィーであるサバチエ反応(CO
2+ 4H
2→ CH
4+ 2H
2O)に依存あるいは関連する生態系の発見は世界的な最重要 課題の一つである.
地下生物圏の環境は,そこで利用できるエネルギーとそれを利用する生命活動の関 わりから考察すると,生命の誕生から初期進化の場としての原始地球に類似する.
したがって,地下生物圏こそ,地球と生命の共進化を解明する上で重要な研究フィ ールドである.
原始地球で起きた現象̶生命の誕生̶が地球に特異的ではなく他の天体にも敷衍 できるなら,原始地球に類似した地下生物圏の研究は宇宙生物学(アストロバイオ ロジー)へも展開し得る.
このような観点から,すべての科学掘削は地球微生物学的・地球化学的なルーチン 分析テーマを持つべきである.
<生息空間としての地下環境>
地下環境という生息空間の束縛条件の一つに間隙率*
(空隙率)がある.若い堆積岩や玄武岩では間隙率が 20 % 以上にもなるが,時間が経過すると圧密や亀裂充填などに より間隙率が低下する.また,結晶質岩や変成岩では間隙 率が低い.地殻全体としては平均 3 %程度と見積もられて いる.
間隙率とともに間隙のサイズ分布も重要である.地下 生物圏に生息するのはほとんどが単細胞性の微生物であ るが,その細胞の大きさは 1 µm 内外なので,いくら間隙 率が高くても間隙のほとんどが 1 µm 以下では生息空間 とは呼べない.また,間隙が十分に大きくても,それぞれ が孤立していては微生物が外から到達し得ないので,間隙 の連続性も重要な要因である.
間隙のサイズ分布と連続性は測定が難しい.そこで,
実測しやすい透水率が地下生物圏の生息空間の物理指標 かつ拘束条件として用いられることが多い.透水率は微生 物の移動や分布,活動を考える上で重要であるとともに,
エネルギーと物質のフラックスにも大きく影響する要因 である.
<地下生物圏の下限>
地下生物圏の下限は一次的には温度と圧力に規定され る.既知の生物の生育上限温度は大西洋中央海嶺*の熱水* 噴 出 孔 か ら 採 取 さ れ た 微 生 物 Pyrolobus fumarii の 113 ℃であり,さらに北米西岸沖のファンデフーカ海嶺 の熱水噴出孔から採取された微生物は 121 ℃でも死滅し ないという報告もある.そこで,仮に 120 ℃を生育上限 温度としておこう.地温上昇率をおおむね 20 ‒ 30 ℃/km とすると,地表温度を約 15 ℃とした場合,地温が 120 ℃ に達するのは地下 3.5 ‒ 5 km 以深ということになる.
大陸地殻は厚さが 20 km 以上あるので,数 km の深度 でもまだマントルに達しない.一方,海底面で約 2 ‒ 3 ℃ という低温から始まる海底下は,浅部では地温上昇率がや や低いので,地温が 120 ℃に達するのは 5 km 以深とい うことになる.海洋地殻の厚さは平均 5 km なので,
120 ℃等温線が地殻から上部マントルに達する可能性が ある.海底掘削ではマントル,大陸掘削では花こう岩基部 と,それぞれ異なる深部岩相を狙いつつ,どちらも微生物 活動のエネルギー源の供給および組成という観点から,比 較研究を行うことが地下生物圏科学において重要である.
温度とともに,圧力もまた地下生物圏の下限深度に影
響し得る.生物の生育上限圧力はまだ明らかではないが,
少なくとも 2000 気圧までは生育できるようである.水圧 上昇率は 100 気圧/km である一方,地殻浅部の密度を 2 ‒ 3 g/cm3(地球全体の平均密度は 5.52 g/cm3)とすると,
地圧上昇率は 200 ‒ 300 気圧/km となる.2000 気圧に達 するのは,陸上地下 6 ‒ 10 km 以深,あるいは水深 4 km の海底下 5 ‒ 8 km 以深ということになり,地下生物圏の 下限は圧力よりもむしろ温度で決まると考えられる.
<地下の還元的化学環境>
地下生物圏の化学的環境の特徴は,分子状酸素(O2) が欠乏した無酸素状態であろう.人間を含む動物や植物・
菌類などの真核生物は,少数の例外を除いて O2を酸化剤
(末端電子受容体)とする酸素呼吸を行い,それ以外の呼 吸は行わない.これに対し,バクテリア(細菌,真正細菌)
やアーキア(古細菌,始原菌)などの原核生物では,酸素 呼吸以外にも多様な呼吸様式が見られる.地下生物圏は,
間隙サイズの点で原核生物の世界であると同時に,無酸素 という点でも原核生物の世界であるといえる.
呼吸とは,一般に「有機物を酸化して化学エネルギー をとりだすプロセス」である.その有機物(栄養物,食物)
の供給源をみると,光合成のできない地下生物圏では,水 素や硫化水素など還元的無機物の酸化をエネルギー源と した CO2固定(リソトロフィー)が主要な有機物生産経 路である.しかし,その定量的評価はまだ不十分である.
地下生物圏で使われる有機物の多くは,過去の生物の 遺骸等に由来する堆積性有機物である.堆積性有機物の大 部分はケロジェン*であり,その総量(1022 g C)は全生 物バイオマス(1018 ‒ 1019 g C)を凌駕すると言われてい る.ケロジェンは難分解性なのでおそらく栄養源としては 良質ではない.しかし,堆積性有機物が分解して生じる酢 酸が地下微生物に利用されるので,堆積層は「酢酸生物圏」
(食物連鎖の重要な起点の一つが酢酸であるような生物 圏)であるという考えがある.酢酸はさらに分解され,
CO2とメタン(CH4)を生じる.
これに対し,玄武岩や花こう岩などの火成岩は堆積性 有機物がほとんどないので,「地底の光合成」と称される リソトロフィーかメタン生成が有機物の供給源であると 想定されている.いずれも究極的には,地下深部における 水の分解(後述)で供給される水素が還元力源であると想 定されるので,玄武岩や花こう岩層は「水素生物圏」であ
ると唱えられている.しかし,これには異論も唱えられて おり,まだ実証されていない.さらに,上部マントルを構 成する超塩基性岩の蛇紋岩化で発生する水素もまた重要 な還元力源であるという説も注目を集めている.これは特 に「マントル生物圏」の重要な研究テーマである.
<酸化剤(電子受容体)の多様性>
原核生物は呼吸に用いる酸化剤(末端電子受容体)が 多彩で,分子状酸素(O2)だけでなく,硝酸・硫酸・二 酸化炭素なども用いることができる.酸化剤として硝酸を 用いた呼吸(硝酸呼吸)は脱窒であり,分子状窒素(N2) が放出される.浅所の酸化還元境界付近では,硝酸や三価 鉄,四価マンガンなどが電子受容体として用いられ,やや 深部で硫酸呼吸が行われるようになり,さらに地下深部で 炭酸呼吸,つまり,水素を CO2で酸化するメタン生成(CO2
+ 4H2→ CH4 + 2H2O; サバチエ反応)が進行する.この メタン生成はあくまでも「呼吸」であり,酢酸の分解によ るメタン生成とは根本的に異なる.
地下微生物は,地下深部起源の水素と二酸化炭素から メタンを生成し,そのメタンと硫酸から硫化水素を生成し,
その硫化水素を硝酸で酸化する.このとき遊離する化学エ ネルギーを用いてリソトロフィーが行われる.これにより 生産された有機物は他の従属栄養微生物にも利用される.
地下生物圏は分子状酸素のない嫌気世界なので,分子 状酸素の代わりに,利用可能な多様な電子受容体が使われ ている.地下生物圏の特徴は,電子受容体の多様性であり,
また,その多様性が酸化還元勾配において漸変する電子受 容体の階層性であるといえる.
<地下生物圏における酸化力源>
宇宙は水素に富んでいて還元的であるが,現在の地球 表層は酸素に富んでいて酸化的である.地球では酸素呼吸 により潤沢な代謝エネルギーが獲得され,爆発的な生物進 化を引き起こした.知的生命にいたる進化には,やはり酸 素呼吸が必要であると考えられるが,その酸素の供給は光 合成によるところが大である.では,光合成のできない地 下生物圏では何が酸素あるいは酸化力の供給源になって いるのだろう.
地下生物圏という惑星内環境は還元的であり,ここで の酸化剤の供給源の一つには,水の熱分解が想定される.
具体的には高温下での水と二価鉄珪酸塩の反応(水‒岩石