地球をのぞく
ファイバースコープ
陸上掘削サイエンス・プラン
日本地球掘削科学コンソーシアム
陸上掘削サイエンス・プラン刊行にあたって
日本地球掘削科学コンソーシアム(J-DESC)は,統合国際深海掘削計画(IODP)の研
究支援体制の確立を目指して 2003 年 2 月に発足した組織です.IODP では掘削船「ちきゅ
う」を用いてこれまで到達できなかった未知領域への掘削を計画しており,地球システム
の進化やその将来の理解が促進されるものと期待されております.J-DESC は当初は IODP
部会のみでしたが,1 年後の 2004 年 4 月,陸上掘削部会が設立されました.
J-DESC には我が国の掘削科学を担う研究機関を網羅する 46 の正会員機関に加え,20
社の掘削関連企業が賛助会員として名を連ねており,海陸の境界を越えた掘削を推進する
母体としての活動を行っております.このような,地球科学とそれを支える科学技術を担
う産学官の連合体は,科学掘削先進国である欧米においても組織されておらず,J-DESC の
取り組みは世界の注目を集めております.
海の IODP に相当する陸の計画として,1996 年に発足した国際陸上科学掘削計画
(ICDP)があります.IODP にとって,ICDP との科学面での密接な協力は最重要課題と
なっておりますが,J-DESC では個々の掘削プロジェクトの枠を越えた両者の協力を推進し
ておりますので,皆様のご理解とご支援をお願いする次第です.
J-DESC はその発足前に,「地球システム変動の解明をめざして̶IODP における我が国
の研究計画」
(2002)という,我が国の深海掘削研究における科学的バイブルともいえる海
のサイエンス・プランを作成しました.今回作成しましたものはそれの陸上版とも言える
ものですが,陸上という,我々人類が生活し,活動する場において行われる掘削であるた
め,社会の持続的発展に寄与する科学掘削とは何かという視点を前面に押し出した内容に
なっております.
今回取りまとめに当たってきた陸上掘削部会は,ICDP に関連する科学掘削のみならず,
国内のあらゆる陸上・湖沼掘削に関わる計画を推進することを目指しております.その理
由はこのサイエンス・プランを読んで頂ければおわかり頂けると存じます.ぜひ手にとっ
てご覧下さることを願っております.
平成 17 年 11 月
日本地球掘削科学コンソーシアム
会長
石原舜三
はじめに
人類の叡智が自然を征服すると信じられていたのはそれほど遠い昔の話ではない.しか
し,スマトラ沖大津波の惨状や,我が国を襲った 1995 兵庫県南部地震や 2004 新潟県中
越地震などの地震災害を見るにつけ,我々は地球の持つ計り知れない力の前に,自らの非
力を思い知らされている.一方で,環境,資源および廃棄物処分などの問題の深刻化は,
地球が無限ではなく,ある限界に近づきつつあることを示している.
このような複雑な地球システムの振る舞いを目の当たりにするにつけ,社会や自分たち
が住む地域の将来設計に地下深部の情報が不可欠であることに気づく.エネルギー資源の
約 90 %,金属・非金属資源のほぼ 100 %を取り出し,廃棄物を処分する場として人類が
使いうるのは,地球半径の 0.05 %にも満たない地下 3 km 以内であることを我々は忘れが
ちである.しかもその部分のことすら我々はほとんど知らないと言わざるを得ない.岩石
や地層が光をほとんど通さないことがそれに拍車をかけている.
掘削(ボーリング)は地下に深く細い孔をあける行為だが,孔の底から何かを取ってく
るだけが目的ではない.一本の掘削は,周辺の地質調査や,地表からの物理探査と組み合
わせることにより,広範な地域の情報を与える.また,その孔を使って計測やモニタリン
グを行い,数多くのデータを読み取ることができれば,価値はさらに増大する.科学掘削
というのはそれらすべての計画を組合せたもののことを指し,地下から最大限の情報を得
る手段である.ここに述べたサイエンス・プランは,科学掘削という手段が社会の直面す
る問題の解決に大きな寄与をなし得ることを明らかにし,それを広く一般に知って頂くた
めのものである.
我が国でこれまで掘られたボーリングのうち 5000 m を越えるものは 50 本程度である.
しかしそのすべてが石油・天然ガス探査目的であり,40 本が新潟,7 本が北海道,3 本が
秋田と地域的に偏っている.これらのボーリングでは,コア
*(iii 頁コラム参照)採取が行
われるのは,ごく限定された部分だけであるし,石油天然ガスの産出に関与しないような
データは取得されない.鉱業権などの関係のため,得られたデータの公表にも一定の制限
がある.また,掘削終了後の坑井を他の目的(たとえば坑井内への地震観測機器の設置)
に転用することも困難であった.数千 m よりも深いボーリングを掘るには,莫大な経費を
要する.国や公共機関が関係する深掘りのボーリングについて,科学的なものも含め複数
の目的を認めることができれば,限られた予算の中で我が国土の地下情報は飛躍的に増加
し,科学の進歩のみならず国益にもかなうと考えられる.
科学掘削は,直接的な災害や資源問題の解決のみならず,人類の将来設計および国民の
安全に多くの寄与をする可能性を持っている.このサイエンス・プランは,掘削以外の手
法では得ることのできない新たな科学的な知見を述べ,それが社会的問題に対していかに
重要かを再検証することによって,海陸の境界を越えた科学掘削の意義を述べるものであ
る.
このサイエンス・プランはテーマ別に 9 章に分かれている.
まず第 1 章では,サイエンス・プランを作成するに至った背景や目的が概説されている.
我が国の社会は脆弱性を増しており,自然災害,エネルギー,鉱物,および水資源などの
将来問題の解決に対し,科学掘削によってのみ得られる情報があることが指摘される.第
2 章では世界に先駆けて行われた雲仙火山の火道
*掘削や,世界最高温の掘削となった葛根
田地熱地帯における掘削の経験を通じて,活動的な火山列島である我が国の掘削テーマと
して,火山体および固結しつつあるマグマ溜まりの掘削が重要であることが述べられてい
る.さらには,火山活動や地震の引き金として,ますますその役割が明らかになっている
「水」について,掘削による検証が必要であることを示した.
第 3 章では首都圏直下のプレート沈み込み帯
*において,上下のプレートが固着してい
るエリアが最近見つかり,次の関東大地震の震源として危惧されることから,掘削による
検証が必要との見解が述べられる.関連して,内陸地震の地震断層の掘削による地震メカ
ニズムの解析が提案されている.プレート沈み込みにともない,海洋プレート上の堆積物
が地下において掃き寄せられ,上盤の陸のプレートの下面に貼り付いてできる付加体
*は,
海洋底の古環境変動の記録体であることから,地球史の解読に大きく寄与すると考えられ
る.第 3 章の後半には,それらの提案がある.第 4 章では,サンゴ礁などに記録された長
期にわたる古気候変動と,津波等のカタストロフィックな現象により形成された堆積物の
掘削が,高精度な古気候変動の解析を可能とすることから,将来予測につながることが示
される.
第 5 章では様相を異にして地下生物圏に関するテーマを概説した.我々が親しんでいる
地表や海洋の生物群集の総量をしのぐ量の微生物が,地下にいるのでないかという仮説が
提唱されて間がない.このテーマはすべての科学掘削と共存できるものであるが,掘削に
は特別の注意が必要であり,8.3 節に汚染のないコア取得法について提案されている.第 6
章では科学的な目的での地下空間利用が述べられている.特に放射性廃棄物の地層処分は
これまで科学掘削の範ちゅうに入れられなかったテーマであるが,そこに要求される品質
管理のなされたデータ取得の考え方は,科学掘削に求められるものであり,逆に科学掘削
の結果が地層処分の信頼性を増すことに貢献する.
第 7 章では首都圏を例として,都市の安全,防災,水供給を考える上で,いかに我々が
何も知らないかが述べられている.第 3 章とあわせて,首都圏の地下について,科学掘削
という立場から真剣に考え直す時期に来ているといって過言でないのではなかろうか.
これまで述べてきた目的も,それを実現する手段や手法がなければ絵に描いた餅である.
そこで第 8 章では科学掘削を実現するための技術的課題を検討し,その結果をわかりやす
く解説した.特に,科学掘削に不可欠なコアの取得が,これまでよりはるかに安価な方法
で可能であることを示した.さらに掘削孔の価値を飛躍的に高める孔内計測,モニタリン
グ,現位置観測についてまとめ,取得されたコアからより多くの情報を得るための手段に
ついても概説した.これらの技術を我々はすでに持っているか,あるいは開発可能なレベ
ルに居り,科学掘削に取りかかることを躊躇すべきではないことを訴えたい.
第 9 章では掘削船「ちきゅう」の就航という大きなニュースを受けて取り組みが進んで
いる海の掘削と,ここに述べた陸の掘削が科学的には不可分のものであり,J-DESC の活
動を通じて両者の協調を密接に進める必要性が説明されている.
このサイエンス・プランではさまざまなテーマを取り上げたが,キーワードを一つだけ
あげるとしたら,それは「水」であろう.水という言葉はくりかえし目次に登場する.我
が国のような沈み込み帯の上に存在する島弧
*の現象は,沈み込み帯において地球内部に還
流している水が引き金になって起こることが多いからである.しかし,水は容易に移動す
ることから,過去の地震や噴火の形跡を調べてもその存在の証拠をつかむことがきわめて
難しい.現在地下で起こっている現象や,これから起ころうとしている現象を知るために
は,実際に掘削を行い,地下深部で観測することが不可欠な理由がそこにあるのである.
★コアとカッティングス
*深い孔を掘るということは,地下にあった岩石・地層(岩層)を取り除くことに他ならない.
焼きリンゴを作るときのように筒型の芯抜きで掘り取るのがコアで,円柱状に掘り抜かれた岩
層がえられる.リンゴの芯は食べられないが,科学掘削の場合,このコアは地質情報をたくさ
ん持っていてもっとも「おいしい」部分である(8.1 節より).一方,コストをかけず早く掘り
たいときは別のビット(形状は 8.1 節参照)を用い,そこにある岩石をすべて細かく砕いて掘
りくずとして取り除く.この掘りくずのことをカッティングスとよぶ.カッティングスはコア
の代用として用いられるが,コアとカッティングスでは得られる情報量に雲泥の差があり,科
学掘削では単なるボーリングではなくコアの取得,すなわちコアリングを目指している.詳し
くは巻末の用語解説を見て頂きたい.
目 次
はじめに ... i 1 陸上掘削サイエンス・プランのめざしているもの ... 1 2 地球深部から上昇する熱と物質 ... 3 2.1 火山活動とマグマ 3 2.2 固結しつつあるマグマ 6 2.3 地殻を巡る水 8 2.4 マグマと熱水性鉱床 10 3 プレートの沈み込みと地殻の動き ... 12 3.1 沈み込み帯の地震発生メカニズム 13 3.2 内陸地震のメカニズム 15 3.3 地下深部の状態モニタリング 17 3.4 地下深部への連続コア 19 3.5 付加体の形成メカニズム 22 3.6 地球史の解読 23 4 地球環境変遷の復元 ... 26 4.1 熱帯浅海域の環境変動 27 4.2 カタストロフィックな環境変動の記録 30 5 地下生物圏とメタンハイドレート ... 34 5.1 地下生物圏の広がり 34 5.2 メタンハイドレート 38 6 地下空間の利用 ... 41 6.1 放射性廃棄物の地層処分 42 6.2 地下水の流動 45 6.3 地下空間を利用した科学観測 47 7 都市の防災と地質 ... 507.1 表層堆積物と地震動の増幅 51 7.2 深部基盤と地震 52 7.3 地下水資源と地下環境 55 8 科学掘削を支える技術 ... 58 8.1 超深度コアリング掘削 59 8.2 孔内計測とモニタリング 67 8.3 微生物汚染のないコア取得 72 8.4 地下水調査 75 8.5 コアの物性測定と物理計測 80 8.6 非破壊コア分析 82 8.7 コアの保管と管理 82 9 海陸統合による科学計画の達成(IODP-ICDP の連携) ... 85 おわりに ... 88 巻末資料 ... 90 1.編集委員会名簿 90 2.用語解説 92 3.国内で実施ないし提案された科学掘削計画一覧 97 4.ICDPの10年間(1996 ‒ 2005)の活動概観 99 5.我が国の陸上掘削研究のICDPへの関与について 100 コラム ★コアとカッティングス iii ★孔と坑 25 ★高傾斜は傾斜が緩い? 57 ★「掘削」の英語はボーリング?ドリリング? 84 ★地球深部探査船「ちきゅう」の掘削能力 87 †
本文中
*が付いた語は巻末用語解説を参照.
第 1 章 陸上掘削サイエンス・プランの
めざしているもの
掘削プロポーザルを国際的に査定し,採択された
科学研究テーマに対して分担金より援助を行う国際
プロジェクトとして,1996 年に国際陸上科学掘削計
画(ICDP
*: 巻末用語解説参照)が発足した.現在の
加盟国は 13 カ国である.ICDP が発足してから 10
年が経過したが,
その間,
我が国およびその周辺は,
雲仙普賢岳や三宅島の火山噴火,兵庫県南部地震,
台湾集々地震,スマトラ沖地震津波,長野県中越地
震など,重大な自然災害に見舞われた.一方で,我
が国の研究者が主導して,兵庫県南部地震の震源で
ある野島断層,
台湾集々地震の震源である車籠埔(チ
ェルンプ)断層の掘削が行われ,また雲仙火山掘削
がなされたことから,地震や火山に対する人類の知
識が飛躍的に増大した 10 年でもあった.なお,こ
れらのうち雲仙火山掘削とチェルンプ断層掘削は,
ICDP のプロジェクトとして国際協力の下に行われ
た(巻末資料 5「我が国の陸上掘削研究の ICDP へ
の関与について」参照)
.
地球科学技術はこのような災害から確実に学ん
でいるものの,次々に新たな課題が明らかになって
きているほか,将来予測といった能力を身につける
には至っていない.たとえば,1995 年兵庫県南部地
震の教訓を学んで支柱を強化した上越新幹線の高架
橋は 2004 年長野県中越地震でも倒壊せず,車両は
高速通過中であったにもかかわらず重大人身事故を
免れることができた.しかし一方で,それまで地震
の発生が予想されていなかった地点に地震が起こっ
たり,都心に掘られた温泉掘削孔よりメタンガスを
含んだ地下水が噴出して火災を起こしたり,地下に
ついての我々の知識がきわめて不足していることを
思い知らされる事態が頻発している.
さらに重大なこととして,我々の社会の脆弱性が
減少するどころか,むしろ増加していることが指摘
されている.特に,東京などの大都市に直下型地震
が発生した場合,112 兆円に達する人的・経済的被
害が起こることが推算されている.第 3 章に詳しく
述べるように,三浦半島の地下のプレート沈み込み
帯
*に,上下のプレートが固着している場所が最近発
見された.プレートは一定の速度で沈み込んでいる
ことから,この固着域が外れてズレが生じることに
より,1923 年関東大地震と同様のメカニズムの巨大
地震が再発生する可能性が高いことが推定される.
さらに,その様な地震が発生した場合,第 7 章に述
べるように,軟弱な堆積物が厚く堆積している都心
部で,地震による揺れが増幅される可能性が高いこ
ともわかってきた.日本の首都圏はこのような時限
爆弾を地下に抱えていることから,その脆弱性を軽
減する意味でも,科学掘削の重要性が指摘される.
というのも,三浦半島の震源域は現在の掘削技術の
延長で到達可能であり,それを実施することにより
多くの情報が得られると考えられるからである.
さらに,この 10 年間で新たに認識された脅威に
資源の枯渇がある.これまでの 30 年間でエネルギ
ー消費量は倍増したにもかかわらず,石油や金属資
源の可採年数
*はほぼ一定のまま推移していた.しか
し,近年の中国やインドの経済発展に従い,昨年ニ
ッケルの価格が 4 倍にはね上がるなど,これまで市
場から問題なく調達できた資源の供給障害や争奪が
現実のものとなってきている.資源探査のような目
的指向型掘削においても,国家のセキュリティーに
かかわる問題としての認識が再燃してきており,こ
の意味でも掘削による国土の情報の取得や,国内の
掘削技術を維持発展させることの重要性が増大して
いる.
人類の将来にとって不可欠な資源はエネルギー
や鉱物資源に限らない.安全な地下水資源の確保と
いう問題も,生活に直結する問題である.これは人
口が急増している途上国のみならず,我が国にとっ
ても緊急な需要が発生している分野である.以上の
ことから,我が国の将来設計を行うに当たり,系統
的に地下の情報を得る努力を早急に開始しなければ
ならないという結論が得られる.予想される危機へ
の備えや,災害の予知に向けての知識の蓄積は地味
な事業であり,これまであまり重視されてこなかっ
た.しかし,そのような考え方を大きく変えるべき
時期にきているのではないかというのが,このサイ
エンス・プランの最大の提言である.不確かな知識
を元に,地球に対して不用意な地下空間利用や資源
開発を行うことは,将来の世代に重大な困難をもた
らす可能性があるからである.
このような問題意識の下,J-DESC 陸上掘削部会
は 2004 年 4 月,46 会員研究機関から専門家を集め
て,このサイエンス・プランに関する討論を開始し
た.以来,5 回の編集委員会で作成した目次案を,
地球惑星科学連合 04, 05 年合同大会,04 年地質学
会,04 年アメリカ地球物理学連合大会での夜間集会
やタウンミーティングで披露し,多くの人の意見を
入れて内容の改訂を行った.また 05 年 J-DESC 会員
総会にはかり,意見の聴取を行った.もちろん,こ
こに書かれていることがすべて J-DESC 会員全員の
一致した見解という訳ではないが,今後 10 年程度
の間,陸上科学掘削の「バイブル」として,掘削に
より解決できる地球科学的問題と社会的問題を一覧
できる内容になっている.
このサイエンス・プランは単なる研究プロポーザ
ル集ではなく,科学政策の提案である.地質学,地
球物理学,地球化学,地球微生物学といった地球科
学コミュニティの科学的な興味のみに限定して書か
れたものではなく,それらの学問の成果の上に立っ
て,地球を対象とする科学が社会に対してどのよう
なことができるかを正面から問い直した内容になっ
ているからである.科学掘削により答えを見いだす
ことができる科学的・社会的課題は多く,かつそれ
なしには解決できないものである.科学掘削の実現
が遅延すれば,本書で述べたように,社会の将来計
画の立案に必要な地下情報の不足を招き,我が国の
社会の発展にも大きな影響が出ると憂慮される.そ
の点を広く社会に理解して頂くため,本書は術語の
使用を最小限に抑え,なるべく平易な表現を用いる
よう努めた.我が国の科学政策担当者のみならず一
般の市民にも,掘削が都市の安全や社会の持続的発
展にとって必要であることを理解してもらえれば幸
いである.さらに理解を進めるため,巻末に用語解
説および我が国の陸上掘削の歴史などの資料がある
ので参考にして欲しい.
ここに紹介されたテーマは 5 ‒ 10 年以内に実現
ないしは着手することを目指すものである.J-DESC
の最大の目標は陸上・海底を問わず,我が国が主導
する科学掘削計画を実現することであり,そのため
にさまざまな活動を行う覚悟である.特に,これか
ら地球科学を志す若い学生や大学院生の研究機会を
増大させたく願っている.
もちろん我々J-DESC はこのようなサイエンス・
プランを作れば,直ちに科学掘削が実現すると楽観
はしていない.我が国の陸上科学掘削の歴史は古い
が(巻末資料 3「国内で実施ないし提案された科学
掘削計画一覧」
参照)
,
これまで一貫した計画が無く,
掘削費用の獲得を計画ごとに行わなければならなか
ったため,継続性および系統性を求めることは困難
であった.一方これまで陸上では,建設,石油・金
属・地熱等の探査,防災その他の目的で数多くの掘
削が実施されてきたし,数を問わなければ今後も実
施されるであろう.そのような特定の目的で行われ
る掘削についても,ぜひ科学掘削の考え方を適用し,
本格的な科学掘削の補完として地下の情報を組織的
に得ていくべきである.つまり,掘削そのものは科
学目的でない場合でも,適切な科学的要素を加える
ことによって,投入資金からできるだけ多くの効果
を引き出して,掘削孔の価値を飛躍的に増大させる
ことが可能となる.それの実現には組織の壁を越え
た連携と,計画立案段階での情報の交換が必要だが,
J-DESC はそのような活動の核となって科学掘削を
推進し,社会の持続的発展を目指していきたいと願
っている.
第 2 章 地球深部から上昇する熱と物質
火山の噴火は地球内部で生産されるマグマによって引き起こされる.地球の創成期においては,
このマグマの大洋が地球全体を覆っていたと考えられているが,マグマが冷却するにつれ,そこ
から分離したガスが大気や海水を生み出す源となった.その後地球は冷却し,マントルの中でマ
グマが存在する場所はごく限られるようになった.現在,地球上で最も多くのマグマが作られて
いるのは中央海嶺
*である.そこで生産されるマグマが固まって海の地殻が作られるが,通常
2500 m ほどの海水に覆われているので噴火の様子が目撃されたことはない.2 番目に多くマグ
マが作られるのが島弧
*である.島弧は拡大した海底が地球の内部に沈み込むところで,マグマが
地表に集積して大陸地殻が形成される場所でもある.
火山活動は時としてわれわれに恵みをもたらす.それに伴う熱水
*の活動により金属が濃集し
た熱水性鉱床
*は金,銀,銅などの金属資源のほとんどを供給している.また,熱水の熱そのもの
を利用した地熱発電,さらには温泉なども火山の産物である.
一方で,火山噴火によって引き起こされる災害は人聞社会にとって深刻な問題となっている.
噴火の直接的な被害はいうまでもないが,マグマに含まれる二酸化炭素や二酸化イオウなどの火
山ガスや火山灰は火口から大気中に放出され,地球全体を覆うエアロゾル
*となって太陽光を遮り
地球の環境に影響を与える.実際,地球上で過去に起きた生物の大量絶滅や,大規模な飢僅の幾
つかは大規模な火山活動によるものと考えられている.数百万年間隔でおこる巨大噴火でなくて
も,数千年から数万年間隔でおこる大規模噴火の影響は,脆弱な現代社会にとって大きな脅威と
なるだろう.
このように,火山は地球の構造やそれの分化を理解する上で重要な研究対象であるだけでなく,
鉱産資源や地熱エネルギーの開発,および,噴火による災害を軽減する上でも重要なターゲット
である.より具体的には,マグマの移動・蓄積,熱水との反応や元素の濃集,噴火過程をふくめ
た「マグマのシステム」を理解することが重要である.さらに,そのためには,火山内部やマグ
マに可能な限り接近して行う掘削研究が最も直接的な手段であることはいうまでもないだろう.
2.1 火山活動とマグマ
火山は噴火を繰り返して成長するだけでなく,カルデラ陥没や斜面の不安定によっ
て崩壊を繰り返す.大噴火や崩壊は長い時間間隔の後に起こるため,観測のみでは
図 2.1 マグマのシステムを解明するための掘削.
火山の構造と噴火の履歴を知ることに限界がある.
掘削を利用して,火山体内部の噴出物を,時間的に精度よくひも解くことにより,
成長(噴火)や崩壊の規則性が明らかになる.さらに,掘削坑に計器や採取装置を
設置することにより,マグマや熱水等の火山性流体の移動を精度よくモニタリング
することができる.
これにより噴火の長中期予報に役立てることができるばかりでなく,マグマのシス
テムの理解が飛躍的に進むと期待され,大陸地殻の発達過程,マグマと熱水活動の
関係の理解にもつながる.
日本は世界の代表的な活動的火山の 1 割近くを有する 島弧からなる.多くの主要都市はこれらの火山の過去の噴 出物の上に発展しており,都市と都市を結ぶ主要交通網を 火山の近くやその上空を避けて張り巡らせるのは事実上 不可能である.このため,日本は火山災害を受けやすい社 会構造を持っている.逆に,日本はさまざまな火山を持つ ことから,世界をリードして火山について科学的に調べる ことが要請されている.火山は噴火を繰り返して成長する だけでなく,カルデラ陥没や斜面の不安定によって崩壊を 繰り返し,複雑な内部構造を持つ.しかし火山の内部構造 が深さ 1 km 以上にわたって露出することはまれであり, それを知る上では,掘削による情報が極めて重要である. また,地上の物理探査や噴出物の岩石学的性質から得られ た噴火モデルを検証する上でも火山体掘削は重要である. 掘削によって,火山の地下構造に関する新たな知見がこれ までに数多く知られている.たとえば,岩手県の葛根田(か っこんだ)地熱地帯では固結直後のマグマ溜りが掘り抜か れ,マグマ溜りの周囲での熱水・地震活動などについての 詳細な情報が得られた(2.2 節参照).また,北海道森町 の濁川カルデラにおける掘削では,それまで考えられてい た垂直に近い陥没構造が見られず,じょうご状の巨大な爆 発火口であることが発見され,日本のカルデラ火山学に大 きなインパクトを与えた.その影響があまりに大きかった ため,日本に存在するカルデラのほとんどはじょうご型爆 裂火口ではないかと疑われた時期もあったほどである.し かしその後,阿蘇カルデラで行われた掘削では地下に平ら なカルデラ底が存在し,箱型に陥没したカルデラであるこ とが証明された.さらに,八丈島,伊豆大島,雲仙岳など ではいわゆる火山の底まで掘削され,土石流や泥流堆積物 の上に火山が発達し始めたことが示された.富士山では地 上に露出していない埋もれた火山が発見された.一方,雲 仙岳では,約 10 年前に終わった噴火のマグマの通路であ る火道* に向けて掘削が行われ,火道に残された溶岩を採 取し,噴火時のマグマの脱ガスの仕方についてモデルが提 案された. 火山はそれぞれに「個性」があり,噴火の間隔や様式 は山ごとに異なる.このため個々の火山をそれぞれ観測す ることが火山災害を軽減する上で,不可欠になっている. さらに,それぞれの個性のある火山の噴火の仕組みを明ら かにするために,活動的な火山全てについて火山体掘削を 実施することが望ましいが,それは経費的にみて困難であ る.幸いにも,これまでの火山掘削研究を通して明らかに なったこととして,マグマシステムについての理解を進め ることにより,この矛盾を解決する手がかりが得られてい る.阿蘇山のカルデラ掘削と雲仙岳の火道掘削から得られ たマグマシステム理解の重要性について触れてみよう.(例 1)阿蘇カルデラ: 阿蘇カルデラは約 32 万年前から 4 回にわたる大規模な火 砕流噴火* によって陥没し形成された.このカルデラの形 成プロセスやカルデラ形成前後のマグマ活動史の理解は, 将来の大規模噴火の長期的な予報に役立てることができ る.掘削によって埋没した火砕流堆積物が見つかり,カル デラ陥没時の火山噴出物の量はこれまでの 1.4 倍以上 (180 km3以上)に修正された.カルデラを起こした噴 出マグマはカルデラ形成前に長期にわたって地下に蓄積 したと考えられるが,ここではカルデラ陥没事件に引き続 いて(1 万年以内)に大量(約 80 km3)の玄武岩マグマ が噴火していたことが明らかになった.これは通常の活発 な島弧火山における噴出率を上回り,カルデラ形成期前後 には地下深部でのマグマ生成率が異常に高かった可能性 を示した. (例 2)雲仙岳: 1990 ‒ 1995 雲仙普賢岳噴火時のマグマは大噴火を引き 起こしたフィリピンのピナツボ火山とほとんど同じ化学 組成を持っていたにもかかわらず,雲仙では,マグマが火 道を上昇する際に効率良くガスが逃げ出した(脱ガス)た めに爆発的な噴火が起こらなかった.その理由を調べるた め,2004 年にきわめて難しいと言われる傾斜ボーリング によって火道の試料が採取された.採取溶岩の解析から, 脱ガス効率の良さは母岩の特殊な物性に依存するのでは なく,噴火中に火道自身を利用した脱ガスが起こったこと によると結論された.このため,脱ガスは,マグマがゆっ くり上昇するときに効率良い脱ガスが進むというモデル が要請された.すなわち,マグマの上昇速度が脱ガス効率 を左右し,今後は,その原因が何であるかを探ることが鍵 であることがわかった. 上 2 例は,マグマ溜りの大きさや形状,冷却・分化過 程,および,そこへの深部マグマの流入過程など(マグマ システム)についての理解が不十分であることを示した. 今後はこれらの「マグマシステム」を明らかにする研究が 不可欠である.マグマシステムを理解する掘削として以下 のケースが必要であろう. <提案 1 カルデラ火山の掘削: マグマのシステムのその 場観測> 三宅島は代表的な玄武岩火山であり数十年に一度の小 噴火を繰り返していたが,2000 年に発生した規模の大き な噴火では島民に多くの苦難をもたらした.一方,その噴 火過程は詳細に観測された.それによると,今回の噴火で はマグマ溜りから大量のマグマが地下で北西方向に流出 したためカルデラ陥没が起こった.玄武岩火山ではしばし ば,地上へのマグマの大量噴出を伴わず山頂部の陥没現象 が起こるが,三宅島でも 2500 年前にも同様の陥没が起こ 図 2.2 阿蘇カルデラの掘削の結果判明した地下構造.Aso-4 火砕流堆積物がカルデラ内部(図の左 3 分の 2 部分)の海抜 -500 m 以下付近で厚く水平に堆積している(Sakaguchi and Hoshizumi, 2003, IUGG).
っていたことがわかっている.カルデラ陥没はマグマ溜り が押しつぶされたことを意味し,マグマシステムの一時的 な崩壊を示す.また,陥没が繰り返すことは,地質学的に マグマの蓄積が再び同じ場所に起こることを意味し,マグ マシステムは陥没後,何度となく回復することを示してい る.掘削試料を用いて過去の噴火サイクルを明らかにする と同時に,破壊されたマグマ溜りがどのように回復するか を,掘削坑を用いてモニタリングすることによって明らか にすることができると考えられる.三宅島を例として玄武 岩火山のマグマのシステムを理解し,噴火のサイクルの意 味するところを理解することができれば,地殻内にマグマ がいかに蓄積されるのかを理解する上でも重要なものと いえよう. <提案 2 既に成果が得られた火山体掘削の継続> この他,すでに終了し成果が得られている火山体掘削 の継続は是非推奨すべき課題であると考えられる.雲仙火 道掘削では火山体直下に複数の火道が平行に発達してい る火道域があることを明らかにした.1 本の掘削坑は基本 的には 1 次元の情報であるため,火道域の構造や脱ガス 過程の 3 次元的な情報を明らかにするためには現存の掘 削坑を利用して枝堀を行うことが経費的にも技術的にも 可能性の高いものである.また,将来の噴火や熱水系の発 達過程の解明のためには長期のモニタリングを実施する ための計器の設置が望まれる.
2.2 固結しつつあるマグマ
深成岩体
*は地下のマグマ溜りが,ゆっくり冷えて固まったものである.活動的な
火山直下のマグマ溜りは 650 ℃以上の高温であり,噴火や火山ガス噴出の危険が
あるため,直接掘削できない.しかし,固結したばかりの高温の深成岩体であれば,
掘削することができ,実際に岩手県葛根田地熱地域では 500 ℃以上の葛根田花こ
う岩体が掘削され,地熱掘削の世界最高温度を記録した.
このような高温の深成岩体を掘削することで,火山噴火の原因・地熱活動の熱源と
してのマグマ溜りの情報や,一般に 350 ‒ 400 ℃以上の温度では地殻がゆっくり
飴のように変形して地震や割れ目や熱水対流がなくなることや,蒸気・熱水ゾーン
より深部に濃厚塩水ゾーンがあって多量の重金属が含まれていることなど,マグマ
溜りに伴う貴重な地球科学的情報を得ることができる.
岩手県葛根田地熱地域の掘削は地熱開発のための掘削であり,調査項目に制約があ
ったが,再度,このような場所に科学的掘削を行うことで,火山学,地震学,岩石
学,地熱開発,金属開発等に関する貴重な情報を取得できる.
図 2.3 雲仙岳の火道掘図.普賢岳北斜面(USDP-4)から斜 めに掘削し,平成噴火の火道に到達した.掘削坑は黄土色.深成岩体は地下のマグマ溜りが冷却固結したものであ る.古い深成岩体の一部は地質時代の間に,その上部の地 層が削剥されて,地表に露出しており,直接観察すること ができる.わが国にも,白亜紀∼古第三紀*の花こう岩体 などが広く地表に分布している.この場合には,上部の火 山体は失われ,温度や共存流体も失われ,深成岩自体もし ばしば後の時代の変質作用や変成作用を受けている.他方, 多くの火山は,深度数 km ‒ 10 km 程度の地下浅所に, マグマ溜りをもつと推定される.とくにカルクアルカリ岩 系* と呼ばれる比較的密度が低く,浮力の大きなマグマは 地下浅所にマグマ溜りをつくると考えられる.しかし,活 動的な火山直下のマグマ溜りは,少なくとも 650 ℃以上 の高温であり,噴火や火山ガス噴出の危険性があるため, 直接掘削することができない.そのため,トモグラフィ一 等の地震学的観測により,間接的にその存在が推定されて いるに過ぎない.マグマ溜りで起こっている現象について は,多くの謎が残されている. しかし,マグマから固結したばかりの深成岩体であれ ば,直接掘削することができる.事実,岩手県葛根田地熱 地域では,1994 ‒ 1995 年に,地熱研究開発の目的で, WD-la 井という地熱調査井が深度 3729 m まで掘削され た.深度 2860 m で,地表に露出していない葛根田花こ う岩体に到達した.第 2.4 図のように,葛根田花こう岩体 上面の深度 2860 m 付近では,温度 370 ℃程度であった が,深度 3100 m の温度 380 ℃付近から,温度勾配が上 昇し,深度 3729 m の坑底では温度 500 ℃以上に達した. この深度 3100 m 付近は脆性/塑性境界* に相当し,割れ目 分布の底であり,熱水対流系* の底であると考えられる. これは掘削における到達温度の世界最高記録である.葛根 田地熱地域における地熱掘削においては多くの貴重な情 報が得られたが,地熱開発のための調査であったことや, 当初予想した以上の高温であったことから,取得情報の精 度は十分でなかった.たとえば,準備していた坑内温度計 は 414 ℃までしか測定できず,最も高温の部分は実測温 度から算出した平衡温度やその他の補助的データをもと に推定している.予めこのような高温を既知として,系統 的な準備のもとに科学的掘削を行えば,以下に示すように さらに有用な情報が得られると考えられる. 葛根田花こう岩体を科学的掘削する目的は次の通り. ・ 予め,エレクトロニクスによらないメモリ一式の高温 温度検層器を準備し,世界最高温度の坑井の実測によ る精密な温度プロファイルを取得する.この情報は熱 が対流によって運ばれているのか,伝導によるのかな ど,熱構造を解析するのに用いられる. ・ 葛根田花こう岩体のコアやカッティングス* を高密度 に採取し,分析して,マグマ溜りの特性を解明する. ・ 深度 3100 m 前後のコアを集中的に取得し,精密な割 れ目の解析や岩石力学的特性の測定を行い,脆性/塑 性境界の特性を明らかにする. ・ 深度 3100 m 前後の流体を集中的に採取し,気液 2 相 ゾーン* と濃厚塩水ゾーンの生成過程を明らかにする. これらの情報は,火山噴火過程の解明,マクマ溜りの
図2.4. 葛根田地熱地域における地熱調査井 WD-1a 井掘削の概念図と温度プロファイル.
特性解明,地震と脆性/塑性境界の基本的関係の解明,東 北日本弧中央の火山帯における変形・変動過程の解明,地 殻における割れ目分布の底の解明,地殻における熱水対流 系の底の解明,地熱開発への応用,2.4 節に述べるように 熱水性鉱床の成因研究への応用等,さまざまな分野に対し て,波及効果の高い基礎的な情報をもたらす.とくに,葛 根田花こう岩は 7 ‒ 34 万年前という年代が得られており, 世界で最も若い深成岩体の一つであり,固結しつつあるマ グマ溜りとして,世界的な対象である. また,葛根田地域が位置する東北日本弧中央の火山帯 は,最近の GPS 観測によると,東西距離が縮んで行くよ うな変形が集中する地帯であることがわかってきた.ここ では高温のため,地殻の脆性の部分が極端に薄くなり,集 中的な変形帯になっている可能性がある.これらのことを 具体的な地下データによって,評価することもできると考 えられる.
2.3 地殻を巡る水
ロシアやドイツで行われた大深度掘削の結果,いわゆる深層地下水よりはるかに深
い地下数 km の深度にも,水が存在することが明らかになった.このような水を地
殻内の流体
*と呼ぶ.
日本のようなプレート沈み込み帯
*では,プレート沈み込みによって供給される地
殻内の流体が地震発生や火山噴火などの地質現象などを引き起こす大きな要因と
なっている.さらに,地殻内の流体は地球温暖化や鉱床の形成に関連する物質循環
に大きな影響を与えている.
地殻深部への掘削により,その地域の地殻構造や条件(温度・圧力,物性など)を
知り,流体の起源や流動の実態を把握することは,我々の生活と密接に関連する自
然災害の発生メカニズムの解明や天然資源の発見にも繋がる.
<地殻内の現象と流体の役割> 地殻内の流体は,地殻内で起こる多くの地質学的過程 に大きな役割を果たしている.まず,地殻を構成する岩石 が変質・変形・変成したりする過程は水の存在とその循環, 間隙中の流体の圧力や化学成分に影響される.流体の循環 に伴う熱の流れは熱水性鉱床(2.4 節)そのものの形成に 関与する.また,間隙水圧*が高くなり,熱により岩石の 強度が変化すると,プレート運動による応力と岩石の強度 のバランスに影響し,地震という地殻の破壊が起こる.プ レートの沈み込み* によってさらにマントルまで運ばれた 水は,岩石の融点を下げ,それによりマグマが生成され, 地下で深成岩体(2.2 節),地表で火山(2.1 節)を形成す る.すなわち,このような地殻内の現象には流体が広範に 関わっており,それをコントロールするのは,地殻の透水 性,流体の圧力,流体の化学組成,温度などの条件である といえよう. このため,本書の幾つかの場所に地殻内の流体が繰り 返し登場する.温度の高いそれは熱水と呼ばれ,次節のテ ーマとなるし,やや深度の浅い流体は地下水と呼ばれて 6.2 節,7.3 節に登場する.本節では,地下 1 km より深 いところに存在する地殻内の流体について考えてみる. <沈み込み帯における流体> 上記のような現象が最も活発に起こっている地域の一 つが沈み込み帯である.陸上において,上盤プレートから 掘り始め,沈み込むプレートの上面に達することのできる 地域が日本列島周辺にあり,その一つが,房総半島付近で ある.この地域も他の環太平洋地域と同様に,陸側から運 搬された堆積物と,海洋プレート上の堆積物や火成岩類が プレート運動によって掃き寄せられて,大陸プレート前縁に付加された付加体* を形成する(3.5 節).したがって, 地質としては付加体堆積岩,海洋地殻が変質してできる岩 石,および島弧の地殻など,異なる化学組成と物性を示す 岩石が断層を境界に接していることが推測される. ここに存在する流体には,(i)プレートとともに沈み 込む堆積物の脱水によりもたらされるものと,(ii)沈み 込むプレート,つまり火山性の海洋地殻からもたらされる ものがある.しかし,それらの組成の詳細はわかっていな い.より深部になると,温度と圧力の上昇に伴い,堆積物 の脱水,含水鉱物* の分解などにより,段階的に水を放出 し続けると考えられるが,その水が上昇する過程で再び水 和反応を起こすなど複雑な過程を経る.付加体中にはデコ ルマ面* と呼ばれる大規模な断層が存在し,それを境に上 位の地層が下位の地層から分離して独立に変位・変形する と言う現象が見られる.このデコルマ* 面が流体の通り道 と考えられることから,そこでの透水性と間隙水圧の変化 は地震発生のメカニズムを考える上で重要となる.またそ の流体の起源を知ることは,プレートの沈み込みによって 起こる現象をモデル化するのに不可欠である.沈み込み帯 に供給される流体の大部分は脱水により海水に戻るが,一 定量の流体は含水鉱物とともにマグマ発生の深度(100 km)まで達し,そこで含水鉱物の分解により放出され, 岩石の融点を下げることによりマグマを発生させる. <地熱・火山地域における流体> 地殻内の流体の一部は,温泉や地熱水として目にする ことができる.しかし,その流体の起源はどこなのか,つ まり「どこまでが地表水起源なのかマグマ水起源なのか」 ということは,地殻内流体に関わる大きなテーマであるが 未だ不明確である.日本にはこれらを実証した好例がある. 前節に述べた葛根田地熱地域では,約 3100 m までの領 域が既存の地熱貯留層であり,天然の亀裂が卓越しその温 度分布は熱水対流型分布を示している.一方,約 3100 m を越える深部領域における温度分布は,天然の亀裂がきわ めて少ないことに起因して熱伝導型の分布を呈しており, 流体の状態は水の臨界点(374 ℃,22 MPa = 217 気圧) をこえて超臨界状態* になっていると予想されている.熱 水対流系* では微小地震が発生しているが,熱伝導系* では 地震は発生していない.このように深部と浅部の流体の性 状の違いや地震発生深度との関係が掘削によって明らか にされた.火山掘削としては,最も最近の成果として「雲 仙火山の火道掘削」の成功があげられるが,火山噴火機構 にも流体が大きく関与していることがわかる(2.1 節). <深層掘削による流体研究> 最近,地表からの物理探査,同位体や岩石鉱物学的な 研究により,地殻深部にも相当量の水が存在し流動してい ることが推測されてきた.これらの仮説を検証するには, 深層掘削が極めて有効である.地殻深部の情報を刻んでい る岩石や流体のサンプルを直接採取し,また孔井内での実 験や長期観測を行うことによって,地殻深部で現在進行中 の変化や現象を捉えることができよう.その際に,全深度 から岩石コアを採取し,鉱物中の流体包有物* を分析する ことによって,流体の起源や環境変化の様子をつぶさに捉 えることができるだろう. 流体の流動に関しては,地表からの観測はほとんど無 力なので,掘削井での測定,観測によるところが大きい. 透水性や間隙水圧の正確な見積もりは坑井での揚水・注水 テストが必要となる.破砕帯を伴う断層は地殻の透水性に 大きな影響を及ぼすが,その位置の予測には,ドイツ大陸 科学掘削計画(KTB)で実施されたように,掘削流体* 中 の化学成分のモニタリングが有効な手段となる.熱流量に 関しても,日本の場合,地温勾配や熱伝導率の非一様性が 強く,現状での推定に大きな幅があることから,孔井内で の正確な測定がなされなければならない.流体の挙動に関 連する観測は掘削後の孔井を利用した最重要課題でもあ る.たとえば,付加体中のデコルマ面での長期観測は,歪 み速度が速く流体の量が多いと考えられ,より深部で起こ る非定常な現象も捉えやすいことからその意義が大きい. 沈み込み帯の上に暮らす我々にとって,足下の構造は 図 2.5 沈み込み帯の水理図(浦辺ほか, 1997. 地質調査所月報, 48, 132-159)
どのようになっているのか,どのような地学的現象が進行 中であるのかを理解することは,災害予測,資源開発,環 境対策など,日々の生活に欠くべからざる基本的知識とな る.緊急な取り組みが求められている次のような諸問題に も貢献できるであろう. ・ マントルに沈み込んだ水により引き起こされる火山 活動の解明 ・ プレート間地震の発生機構の解明と流体の動きによ る発生予測 ・ 沈み込み帯への高レベル放射性廃棄物地層処分の安 全性評価 ・ 地球深層天然ガスや鉱床の推定 ・ 地球温暖化に関連する元素循環の見積もり ・ 地下生物圏と水の移動との関連性
2.4 マグマと熱水性鉱床
我々が日常利用する金属の多くは,地殻内を流れた熱水が金属元素を沈殿すること
により形成する「熱水性鉱床」から供給されている.
地球上に露出している熱水性鉱床は既にほとんど発見・開発しつくされ,現在では
地中に眠っている鉱床を地表からの探査で探し当て開発を進めている.
効率よく地中に眠っている熱水性鉱床を発見するには,金属元素を含む熱水がどの
ようにしてできたかを知る必要がある.
熱水性鉱床の下部を掘削し,金属鉱床を形成する源となった熱水の化学的性質を調
べることにより,金属元素に富む熱水がどのようにして形成したかを解明すること
ができる.
熱水性鉱床の全体像および成因が解明されれば,資源の発見率は大幅に上昇するで
あろう.
我々が日常利用している銅・鉛・亜鉛・金・銀といっ た金属の多くは,地殻内を流動した熱水が金属元素を沈殿 することにより形成された熱水性鉱床から供給されてい る.我が国は資源小国と誤解されることが多いが,かつて 世界ーの産銅国であったこともあり,数多くの熱水性鉱床 が知られている.それらのほとんどは現在閉山しているが, 我が国は世界の非鉄金属資源のほぼ 10 %を消費しており, 資源の安定供給は国内産業にとって死活問題となってい る. 我が国の熱水性鉱床の多くは生成した年代が新しく, 100 万年より若いものが知られている.そのため,鉱床の 成因を知る上で,非常によいフィールドとなっている.特 に,地下の固結しつつあるマグマとの関係を知ることがで きる北海道の豊羽(とよは)鉱床のような例もあり,研究 が進んでいる. 熱水性鉱床をもたらした熱水には,地殻を上昇してき たマグマから金属元素とともに分別したもの(マグマ水) や,もともと地殻中に含まれていた流体がマグマに熱せら れたり,地殻の変形によりしぼり出されて地殻浅部まで供 給されたもの,変成作用により岩石から生み出されたもの が含まれている. これまでに開発された熱水性鉱床では,地表から鉱床 までの部分は探査掘削により連続的に把握されているこ とが多い.従って,鉱床形成後の熱水の温度や化学的性質 の変化,熱水と岩石との反応により形成される変質鉱物の 種類は鉱床型ごとに極めて良く解明されており,これらの 特徴をもとに地中に眠っている未発見の鉱床の探査が行 われている.一方,鉱床を形成した熱水は,鉱床より深部にある岩石と反応して何らかの情報を残しているはずだ が,鉱山開発が鉱床より深いところに及ばないことから, 比較的低温(150 ‒ 300 ℃)で形成される低硫化型浅熱水 性鉱床* や造山型金鉱床* については,現在でも,熱水や熱 水に含まれる金属元素の供給源は明らかではない.またマ グマが関与している高硫化型浅熱水性鉱床*でも,その下 部のマグマ溜りが固結してできた斑岩* 中に銅・金鉱床が 存在するのかどうかはいまだ明らかではない. たとえば,浅熱水性鉱床の一つである豊羽鉱床には, さまざまな種類の金属が含まれ,多金属鉱床と呼ばれてい る.金属元素の中には,インジウムやコバルトのような通 常の鉱床にはほとんど含まれない稀少元素が含まれてお り,これらの元素がどこから供給されたかについて議論が なされているが,結論は出ていない.このように熱水性鉱 床の全体像が描ききれていないために,探査掘削による地 下の金属鉱床の発見率は未だ低迷を続けている.これは, 近年,海底下の地質構造や構成岩石が極めて高精度に把握 できるようになって発見率が急上昇した石油・天然ガスの 探査状況と対照をなしている. 熱水性鉱床の成因を解明するためには,これまで多く の研究がなされている鹿児島県菱刈(ひしかり)鉱床,春 日鉱床および北海道豊羽鉱床のような浅熱水性鉱床につ いて,熱水の供給源に向けて掘削を行い,金属元素に富む 熱水の成因を解明することが望ましい.そのような掘削の 主要な科学目的は次の通りである. ・ 低硫化型浅熱水性金鉱床の熱水および金属元素の供 給源がマグマであるのか,地殻中に滞留していた流体 であるのかを判定する. ・ 高硫化型浅熱水性鉱床の下部に固結したマグマ(斑 岩)が存在し,それに斑岩型金銅鉱化作用が伴われる かどうかを判定する. ・ 多金属熱水性鉱床の熱水の供給源がマグマであるの か,またそうであればどのような性質のマグマか,鉱 床を形成する銀・鉛・亜鉛・インジウムの供給源はど こか,なぜ菱刈鉱床において主要な金属である金が, 豊羽鉱床にほとんど含まれないのかの解明を行う. これらの結果は,浅熱水性鉱床や多金属鉱床の成因の 解明にとどまるのみでなく,全世界で行われている熱水性 鉱床探査に指針を与えることができ,今後の探査地域の選 定や探査深度の決定に役立てることができるであろう.こ の掘削により得られる情報は,資源の安定供給に資するの みならず,人類が使うことのできる総資源量を正確に知る ことにもつながる.ここで注意しておきたいのは,鉱床で 数多く行われている探査のための掘削では,このような情 報を得るに不十分であるという点である.「おわりに」で 述べるように,探査のための掘削を増掘するなど,まず上 に述べたような科学掘削のテーマを加えていくというこ とから始めて,最終的には新たに科学掘削を行うことが必 要である.なお科学掘削は鉱山会社の事業の範囲を超えた ものであり,国としての関与が必要であると思われる.
図 2.6 北海道札幌市の無意根(むいね)火山と豊羽鉱床との関係を示す地質断面図.豊羽 鉱床は無意根火山の北方約 3 ‒ 4 km に位置する.塩素に富む熱水は鉱床下部南方から供給 されている.無意根火山下部約 2 km 以深には巨大な低比抵抗帯が物理探査で検知されてお り,熱水の供給源と推定される.
第 3 章 プレートの沈み込みと地殻の動き
日本列島周辺は 4 枚のプレート
*が複雑に接している世界的にもまれな場所である.西日本が
乗っているユーラシアプレートと,東日本が乗っている北米プレートの下に,海洋プレートであ
る太平洋プレートおよびフィリピン海プレートが沈み込んでおり,そのプレートの沈み込み
*が,
地震・火山・付加体
*の形成をはじめとする地質現象の大もとの原因になっている.
沈み込む海洋プレートが 5 ‒ 15 km の深さに達すると,プレートの上に乗っていた堆積物が
変形し,折り重なって,陸側のプレートの下面に張り付くことが知られている.それが付加体で
ある(3.5 節).この付加体,およびそれが地下の高い温度と圧力で変化した岩石(変成岩)をあ
わせると,日本列島の表層の 21.1 %を占める.沈み込むプレートが 100 km に達すると,温度
や圧力の上昇で堆積物から水が絞り出され,それが引き金となってマグマが発生する(第 2 章).
日本の 38.5 %はそのようなマグマが噴出したり地下で固結した岩石(火成岩)からなっている.
このように沈み込み帯
*は陸の地殻が生成する場であり,そこに位置する日本の国土は,マグマの
噴出や付加体の形成により成長してきたのである.
沈み込むプレートと陸側のプレートの境界面で,深度 5 ‒ 60 km,温度 150 ‒ 350 ℃の部分
は地震発生帯と呼ばれ,大深度掘削の重要なターゲットの一つである.プレート境界面の地震発
生帯ではマグニチュード 7 を越える巨大地震がくり返し発生する.1923 年関東地震もそのひと
つであり,東京を中心とする首都圏が甚大な被害を被ったのは,この地震発生帯の上に位置して
いるからである.
近年の地震観測の非常に重要な成果としてアスペリティ
*の発見がある.アスペリティとはプ
レート境界面に存在する,上下のプレートが固着した領域のことである.プレートは年間数 cm ‒
10 cm の速度で定常的に沈み込んでいるので,留め金が外れるように固着領域が破壊されて大き
くすべることにより,繰り返し大地震が発生すると考えられている.この部分はいわば地震のツ
ボであり,その実態解明は地震発生を理解するうえで重要である.1923 年関東地震の震源付近
でも最近再びアスペリティの発達が示唆されているので,3.1 節のターゲットとして取り上げた.
一方,1995 年兵庫県南部地震で野島断層が活動して以降,内陸で発生する地震と活断層の関
連が注目を集めてきた.内陸の活断層は再来周期が長く,地震を引き起こす応力の蓄積過程など,
地震発生にいたるメカニズムはまだよくわかっていない.近年の内陸地震の観測と解析によると,
内陸地震の震源断層にもアスペリティが存在するなど,断層のすべり挙動の不均一性が明らかに
なっている.このような複雑な挙動をする断層の性質を掘削を通じて研究し,地震発生予測の精
度向上や地震が発生した際の強震動予測などにつなげていこうとする提案が 3.2 節である.地震
や火山のようなダイナミックな現象のエネルギーがどのように蓄積され,いつ現象が発生するか
を知るためには,地下深部の状態を定常的にモニタリングしておくことが必要である.3.3 節で
は,モニタリングの意義や観測項目などについて述べる.
この章の後半は付加体の掘削と,それを通じて展望される古環境の長期変動の研究について述
べる.変動の精密な解析を行う上で,連続的で質のそろったデータが得られるコア
*を連続的に採
取することはきわめて重要である.3.4 節では堆積岩研究の立場から連続的な試料を採取する意
義について述べる.
付加体の形成される沈み込み帯は活発な地殻の動きとともに,地殻深部と大気,水圏を含む表
層の間の物質移動がもっとも活発に行われる場でもある.3.5 節では付加体の連続コアの詳細な
解析によって,現在直接見ることのできない付加体の中∼深部で起こる現象を理解し,付加体の
形成過程の解明する課題を述べている.3.6 節では,海洋底掘削では得ることのできない 1 億年
オーダーの地球史の連続的なデータが過去の付加体の掘削によって得られることを指摘している.
このような研究にとって,日本はジュラ紀の付加体が広く分布した世界的にも屈指のフィールド
である.
3.1 沈み込み帯の地震発生メカニズム
最近,沈み込み帯のプレート境界面にはアスペリティと呼ばれるすべりにくい領域
があり,この領域の大規模なすべりによって関東地震などの巨大地震が発生するこ
とがわかってきた.しかし,この巨大地震の発生をコントロールするアスペリティ
の性質はよくわかっていない.
関東地域は,世界で唯一アスペリティを実際に陸上から掘削できる地域である.
このプレート境界面上のアスペリティの直接掘削によって,巨大地震発生を制御す
る断層面の性質を理解することができ,またボーリング孔での長期観測によって,
来るべき「関東地震」の被害を少しでも軽減することができる.
海洋プレートの沈み込み運動は,大陸成長や島弧* マグ マ活動など地球の進化を理解する上で重要なプロセスで ある.沈み込み帯で発生する地学現象の内,社会にとって 最も重要なものは巨大地震である.プレート境界面でのす べりは,決して一様ではない.滑らかに一定の速さで沈み 込んでいる領域もあれば,通常は固着していて長期間にわ たって歪みを蓄え,大地震を伴って大きくずれ動く領域も ある.こうしたプレート境界部での断層のすべりによって 発生する巨大地震は,大規模な津波を発生させた 2004 年 のスマトラ-アンダマン地震や,1923 年関東地震のように 多数の死者と巨大な経済損失を生み出す.沈み込み帯の巨 大断層の挙動を理解することは,地震による災害を軽減す る試みにとって極めて重要である. 近年,地震観測と制御震源による構造探査によって, プレート境界の巨大断層の挙動や性質が,次第に解明され るようになった.新たな重要な発見は,アスペリティの存 在である.アスペリティとは,プレートの沈み込みにも関 わらず,ほぼ固着したままプレートの移動を妨げている領 域であり,この領域の大規模なすべりによって巨大地震が 発生すると考えられる.したがって,アスペリティ領域が 強震動の発生源となる.アスペリティ以外の断層面上では, 微小地震活動も活発であり,ゆっくりとすべる地震や相似地震と呼ばれる小さな領域が繰り返しすべる地震が発生 する.アスペリティ領域では微少地震活動に乏しく,ゆっ くりしたすべりも見られない.また,アスペリティ領域で は断層面のすべりにくい性質を反映して,弾性波を強く反 射させない.これに対してすべりやすい非アスペリティ領 域では,境界面付近の流体などを反映して弾性波を大きく 反射させる性質がある.重要なことは,巨大地震を発生さ せるプレート境界断層の挙動は,アスペリティ領域の物理 特性が支配しているという点である.アスペリティ領域か 否かで,弾性波の反射の状況も異なることから推定すると, このような違いは断層面での物理特性に依存しているら しい.こうしたアスペリティの物理特性については,物質 科学的・力学的な推定はなされているが,直接な観察・観 測の例はない.また,過去のプレート境界の化石は地質体 の中に見いだすことができるが,それらがアスペリティ領 域としての変形を記録しているかどうかはわからない.し たがって,巨大断層を支えているアスペリティ領域の断層 の物理特性を明らかにすることは非常に重要で,掘削によ る直接的な観測が必要とされる段階に達してきた. また,こうした地震発生層領域での沈み込み帯のボー リングに期待される重要な利点は,長期間のさまざまなモ ニタリングである.一般に,断層帯*は地殻の弱線であり, 地殻の応力・歪状態の変化に最も鋭敏な箇所である.いわ ば地殻の物理状態の増幅器と見なすことができる.したが って,地震発生層中に掘削したボーリング孔における長期 間の観測には,巨大地震の発生プロセスの解明にとって真 に重要な成果が期待できる.沈み込み帯掘削は,IODP* においても,西南日本の四国沖・バルバドス沖などで具体 的な提案が提出されているが,永久的な掘削孔の観測井と しての維持が可能な点は,陸上掘削の大きな利点である. 掘削可能な深度で,震源断層の形状とアスペリティの 分布が明らかにされている場所は多くない.ここで提案す る東京を含む関東地域は,その目的からいえば世界で最も 有利な条件を備えた地域である(図 3.1).関東地域の下 にはフィリピン海プレートが年間約 4.5 cm の速度で北西 方向に沈み込んでおり,伊豆-小笠原弧が日本列島の中央 部に衝突していることから,プレート境界の一部が内陸の 衝上断層* として地表に露出している.したがって,プレ ート境界の巨大衝上断層は,掘削可能深度に横たわってい る.このプレート境界部の巨大衝上断層では 1703 年 (M8.0)や 1923 年(M7.9)に巨大地震が発生した.と くに,1923 年の関東地震では,東京で大規模な火災が発 生し 10 万人以上の死者を出した.現在,これと同じ規模 の地震に見舞われた場合,日本の国民総生産額とほぼ同様