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       した。その中で、0201 バーンアウトの予防に       ド0

       必要なもの の項目を再活することより

1離1鷲鱗葦

       論を進めていくことにする。

      「あなたは燃え尽きそうになる教師の       X軸

図5−6バーンアウト予防のアンケート予防に必要なものは何だと思いますか」に 50%近くが 同僚の励まし ゆとりを持った生活を心がける 》と答え、45.3

%が 学年・学校の支援 と答えている。ゆとりを持った生活を心がけたいが、

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なかなか難しいのが現状である。

 同僚の励ましや学年・学校の支援、仕事をセーブする、管理職の理解、また 家族の支援に期待されているところも高いことを思えば、当然本人の努力なし には解決の難しいところがあるが、それが期待できないところにこの問題の難 解さあるわけで、いかに周りが支えるか、いわゆるソーシャルサポートの必要 性が問われているのである。

3−2 職場環境(学校に於けるソーシャルサポート)

 個人を取り巻く環境とは、教師で言えば、学校、よって学校に於けるソーシ ャルサポートと学校外に於けるソーシャルサポートに分けて考えてみる。

(1) 同僚からの支援

 教師の半数が、悩み、つまづきに於いて同僚の励ましを望んでいる。そ れは同じ悩み、苦しみを理解できるのは、それを分かち合っている同業者 以外にない。また、その同僚の励ましこそが、他のどんな言葉より説得力 を持つからである。

 また、 職場に尊敬できる先輩教師がいますか の問いに90%以上の教 師がrいる」と答えていることは、その教師を手本にしたい、困ったとき は相談したい、こんな時、あの人だったらどうするだろうと思うわけで、

そういう人を1,2人普段から持つことが必要だろう。また、そういう存 在に自分がならなければならない。人生は持ちつ持たれつである。

 アンケートの中に次のようなものがあった。

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 まさに弱っているとき、エネルギーが低下しているときは、叱咤激励は かえって疲れるときがある。カウンセリングの「共感的態度」で、話の内 容にどうかなという部分があっても、まずは聞いてあげることが大切だろ う。話している内に本人の口から反省の弁も出てくるものだ。「叱られる より、褒められた方が反省するものです」という言葉もあるくらいである。

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 先輩のアドバイスとして成功談より、失敗談の方が心に入ってくる場合 が多い。これは上記のように、こんなすばらしい先生でも、誰でもうまく いかないときもあるんだと思えるだけで気持ちは楽になる。

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 相談された方がrありがとう」と返す、相談した方がそれが嬉しかった という。それほどまでに信用してくれたことに対する感謝と、藁にもすが りたい気持ちで、迷った末、相談したが、相談してよかったという気持ち がよぎったのだろう。適切なアドバイスも必要だが、それ以前に相手の体 場に立って考えようとするその姿勢が大切なのである。

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 同僚の役目として、r善意ある励まし」とは何だろう。人はよかれと思 って励ましている内に叱咤激励し、その内、そのできていないことを非難

してしまっていることが多いのではないだろうか。そうなるとますます気 持ちは重くなり、こんなことなら相談しなければよかったとなる。善意あ るということばには様々な意味が込められている。最低でも自分は一人で はないということが分かち合えたらそれだけでも十分である。

 誰でもバーンアウトの危機にある。中でも書いたが、人生持ちつ持たれつの 精神を忘れず、悩んでいる教師には、励ましの言葉の前に、誠意ある、善意の 気持ちで「聴く」ことが、最初の掛けボタンであるように思える。

(2) 学年、学校からの支援

 同僚の支援、すなわち個人的支援に続き、学年・学校の支援であるが、

要するに体制としての支援である。

 校内暴力等で被害にあったとき、「あなたは被害届を出しますか」と聞        たぐいかれるのは辛いことである。こういった類の問題は個人の見解ではなく 学校体制としての判断であり、その旨は第三者の教師が本人並びに保護者 へ説明すべきであろう。

 学級でのトラブル等は程度問題があり、早急にやるべきこと、しばらく 様子を見るべきことあるだろうが、学年・学校でそのことは分かっている よという意思表示は該当の教師には伝えるべきだろう。そのことで自分は 一人ではない、守られているという安心感は育つはずだ。

 学年会、職員会議等で、特に学年会では、別に問題が無くても、学級の 様子を聞く項目を案件の中に必ず入れ、「遠慮無く、愚痴を言って下さい」

のような取組をしていると、かなりのガス抜きにはなる。

 國分(2003)は会社員に比べ、教師の役割は曖昧であり、自分の権限は何 か、責任は何かがはっきりしない。そこが不明瞭だと、知らぬ間に悪意が 無くても、でしゃばりになりやすい。でしゃばると、人から文句を言われ るので、人間関係がうまくいかなくなるといっている。確かにそんなとこ ろがあるように思う。教師は往々にして、話すことが好きであるが、聞く ことが苦手であり、何か言わずにはおれないといった性分の人が多いよう に思う。待つことが苦手なのである。見守ることも大切なのだが。

 また國分は曖昧で優柔不断であることが人間的な教師、という錯覚に陥 っているのではないか。教育とは社会化すること(ソーシャライゼーショ ン)である。社会化するとは現実原則を学習させることだと言う。能動的 にかかわらないと、人間関係は育ちにくい。人間関係をつくり、愛情交流 をするには、教師が能動的にならなければならない。ところが、教師の世 界には誤解があって、ちょっと能動性が目立つ教師に対しては、権威主義 だ、管理主義だ、というレッテルをはってしまう。これでは教育の社会で、

愛が益々育たなくなってしまうのだ。気をつけねばならないことである。

 職場の雰囲気

筆者の勤務する学校は、毎朝、用務員さんが打ち水をして、生徒や教師を 迎えてくれる。朝から気分がいい。校長室からはほのかな香の匂いが漂い、

職員室に花の一輪でもあると本当に心和むものだ。こういった環境作りも 大切である。また、職員室は大概に於いて雑然としているものであるが、

これも小中高で、学校によっても違うであろうが、机の前に何もない学校

もあるが、2段の本立て、その上に更にプリントが山積みという光景も見 受けられる学校もある。これは物理的に職員室に壁を作り、それが心理的 壁にもつながっていることが少なくない。何も置かないに越したことはな いが、せめて本立ては1段のもので、その上には何も置かないを徹底すれ ば職員室に入った印象は大きく違ってくるだろう。そんな中でこそ明るい 会話が飛び交うと思うのである。

 國分によると、全ての人間関係は「役割関係」と「感情交流」という二 つの柱で成り立っているという。権限と責任の約束ごとに則り、意図的に つくり上げる公的な関係が「役割関係」で、役割の鎧を脱ぎ、だれもが一 人間として胸を開き合う私的な関係が「感情交流」であると。

 役割関係が主になった人問関係をソーシャル・リレーション(社会的関 係)、感情交流が主になった人間関係をパーソナル・リレーション(個人 関係・感情交流)といい、学校は両方が共存している。学校でヒューマン

・ネットワークをもつこととは、この両方を十分にもつということで、ど ちらもあるという人はストレスに落ち込む率は少なく、自信喪失が少ない、

自己卑下が少ない、自己肯定感(自尊感情)が下がってしまうことが少な いのである。

 またタテの関係は、人間がつながり合うための一つの歯車の役目をして いると言うが、教師の世界はヨコの関係であり、タテ関係をいやがる傾向 があるという。確かに企業で言えば、社長にあたる校長を校長とも思って ない言動が無いわけではない。そこに「先生」の壁があるのではないかと。

この「先生」という呼び方には、本来、生徒と先生という地位的距離感を 保つ機能がある。この機能が先生同士にも働いて、あまり親しく慣れない

のではないだろうかというこの推論はどうだろう。

筆者の勤務校は、ほとんど「〜先生」で呼ぶ教員はいない。さわん、や っさん、やのちゃん、なべちゃん、かっちゃん、うなさん、ヒーロー・・

とニックネームで呼び合うし、生徒もそうである。こういった自然発生的 な仲間意識が、荒れた学校を建て直した、無意識的な原動力になっている かもしれない。しかし筆者は、こだわりがあり、肥後先生と呼ばせている。

  「さん呼び、ちゃん呼び、ニックネーム」だからといってタテ関係とい う感じではないように思う。このような呼び方が教員のメンタルヘルスに 貢献しているのか確証はない。ただ國分は教師社会があまりにヨコ偏重で はないかとの警告から論じているようだ。

 筆者の勤務校を何回も引き合いに出すが、ある意味で特別な施策校であ るこの学校は、想像を超えるような荒れの中にあったとき、剛腕な教師を 送り込み、カで押さえ込む指導をしてこなかった、またできない実態もあ