橋本武さんの「伝説の灘校教師が教える 一生役立つ学ぶ力」(日本実業出版社)を読んだ。
文句なしで感動した。「奇跡の教室(エチ先生と「銀の匙」の子供たち)」(伊藤氏貴著 小学 館)という本があり、元々はこの本を通して橋本さんのことを知ったのだが、「こんなすごい先 生がいたんだ!」と少なからず驚かされたのを覚えている。この伝説の教師が有名になったの は現神奈川県知事の黒岩祐治氏が「恩師の条件」(リヨン社)という本を書き、橋本先生の教室 での詳細を報じたのがきっかけで、NHK総合テレビの「ザ·コーチ」という番組で全国放送さ れたことによるものらしい。つい最近もテレビに出ていて、もう100才になろうとしているの が信じられないぐらいにしっかり話し、しっかりとした字を書いておられたと聞いているので、
今では知っている方も多いのだろう。私は「恩師の条件」も読んでみたが、これは国語と数学と いう教科の違いもあり、橋本さんの授業がどのように素晴らしいのか、そしてそれをどのよう に数学の授業に取り入れて行けばよいのかということについて、よく分からないというのが正 直な感想だった。だが、教えることに対するただならぬ情熱に圧倒された感覚だけは残り、一 度本人の文章を読んでみたいと思っていた。だから本屋さんで「一生役立つ学ぶ力」を見つけ たときには、目次等を見るまでもなく本をレジに持って行っていた。そしてその内容は期待を 裏切るものではなかった。多くのことを考えさせられ、場合によっては塾の方針も修正して行 かなければならないと感じているぐらいだが、その話はもう少し考えが整理されてから書くと して、今回は特に心に残ったことをひとつだけ上げ、それについて思ったことを書いてみたい。
それは国語教育の重要性についてだ。少し引用すると、「英語学習がはやりのようになってい ますが、それよりすべての学問の基礎となる『国語力』を付ける方向にもっと力を入れたほう がいいのではないでしょうか。 … 小学校から英語に興味がある子もそうでない子も全部ひと まとめにして教えても教師、生徒双方の負担になるだけ …」と述べている。また、「私の教え 子たちは国語の成績がよければ、それに比例して英語もよい成績をおさめていました」とも書 かれている。そういえば藤原正彦さんの「祖国とは国語」にも似たようなことが書いてあった と思い、調べてみると確かによく似ていた。国語の重要性を語り、特に小学生の段階では英語 より国語に力を入れるべきだと説いているところはそっくりだ。ちょっと長くなるが、これも 引用しておこう。「国語が思考そのものと深く関わっている。 … 言語は思考した結果を表現す る道具にとどまらない。言語を用いて思考するという面がある。 … 人間はその語彙を大きく 超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言ではない。母国語の語彙は思考であり 情緒なのである。 … 日本人にとって、語彙を身につけるには、何はともあれ漢字の形と使い 方を覚えることである。日本語の語彙の半分以上は漢字だからである。これには小学校の頃が もっとも適している。記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を
逃さず、叩き込まなくてはならない。強制でいっこうに構わない。 … 読書は過去も現在もこれ からも、深い知識、なかんずく教養を獲得するためのほとんど唯一の手段である。 … 読書は 教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用 に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。 … 私はこの二十年近く、国 語の重要性ばかりを語ってきた。国語こそが日本人の主軸であり、また日本人としてのアイデ ンティティーを支えるものだからである。その間、声は届かず、こともあろうに英語が小学校 で教えられるなど、国語は軽んじられ、削られ、ついには折れかかるに至った。機を同じくし て、成るべくしてと言おうか、国家は大苦難に直面することになった。この苦難の克服には時 間がかかること、そしてそのための本格的な第一歩は小学校における国語教育の量的拡大と質 的改善しかない、と今また声を大にして言いたい」かなり強い主張だが、元々藤原さんは明快 な論理をベースにとても楽しい文章を書く方で、私のお気に入りの作家の一人だ。ちなみにこ の人の専門は数学で、東大の理学部を出て、現在(?)はお茶の水女子大学の教授だ。沢山本 を書いておられるが、そのうち新潮文庫から出ている本は全部読んだし、そのほかにも数冊読 んだ。その中でも「祖国とは国語」は印象に残っている一冊で、その影響を受けて、私もいつ かは稲荷塾で国語のクラスを開講したいと思っていた。そして今、橋本先生の文章に触れてみ ると、益々その思いが深まって来る。
実は小学生部を始めた頃は、毎週テーマを決めてそれについての作文を提出するという課題 を出していた。提出された作文は、読んでいて私もけっこう楽しめたし、添削をし、コメント を書き込んだりしているうちに生徒の文章が少しずつ良くなって行くという効果も感じること ができた。しかし、何と言っても指導者が私では、そのレベルが低すぎるし、人数が増えて来 るとこんなめんどくさい作業はやってられない。ということで、いつしかやめてしまっていた のだが、今思うと継続してやっておけばよかったと反省している。
そういう意味で、稲荷塾の国語クラスでは、まず作文を復活させたい。エチ先生(橋本先生 のあだ名)も「国語のカギとなるのは『書く』なのです。書くことによって読むだけではなか なか身に付かない『判断力』『構成力』『集中力』が養われる」と説明されている。
さらに「話す」とか、「聞いて話す」、要するに会話、ディベート、弁論といったアウトプッ ト系統の訓練も取り入れたいところだ。と言うより私自身がそういう授業を受けてみたいぐら いだし、ここに日本人の弱点があると指摘する声もよく耳にするからだ。
それに加えて、それらすべての基本として「読む」力を、古典を含めて日本の美しい文学作 品を通して身に付けるような授業をしてほしい。
数学専門塾が、英語でも理科でもなく国語のクラスを開講するというのは、一見変だが、私 の経験では言葉がしっかりしている子は伸び易いと思うのだ。敬語が使える子だとか、質問を
するにも「ここまで考えたのですが、どうもその先に進めません。方針がまずいのでしょうか」
「これで合っていると思うのですが、解答と一致しません。どこか間違っているのでしょうか」
… のように自らの状況を伝え、何が分からなくて、何が聞きたいのかを明確にできる子は成長 が速い。 … こんな話をすると思い出すのはチューターのマロンこと坂上君だ。彼はよく9時 半の授業終了時頃に塾にやって来て、質問をしまくった。ときには夜の11時近くまでつき合っ たこともある。抜群に質問の仕方が上手かった。こちらが疲れていても、「これは大変だからま た今度にしよう」と言わせないような聞き方をした。そんな彼も、最初中1の終わり近くに塾 に入って来たときは数学が苦手で、他教科の足を引っ張っていた。だから私は彼が文系だと思 い込んでいて、高1になるときには数IIIの予定表を渡さなかった。「あのう、数IIIの予定表 をもらってないんですけど …」から始まるやり取りの中で、彼が医学部志望だということを初 めて知った。その後彼の成績はどんどん伸び、最終的には数学で洛南のトップ10に入るように なった。そして結局は府立医大に現役で合格することになったのだが、後にも先にもこれ程伸 びた子は珍しい。会話能力と伸びる力が密接に関係している好例だと思う。 … 逆に質問する 際に「これっ」としか言えない子も多く、「これがどうしたん? どこの何が分からへんのかちゃ んと言わなあかんで」と注意しなければならないこともある。さらに言えば、授業後に「全然 分からへんかった。もう1回初めから説明して!」などと言って来るような子もいて、ムカッ とさせられることもある。こういう子が伸びることは断じてない。「頭がいい子に育てる親の話 し方」(樋口裕一著 幻冬舎)にも「私の家庭は両親とも、私に対するときと、私の友達に対す るとき、そして近所の大人に対するとき、地位の高い人に対するときで、それぞれ態度も言葉 づかいも異なっていた。子どものころ、私はそれを不純に感じ、誰に対しても同じような口を きく近所の人たちのしゃべり方を好ましく思ったのを覚えている。 … そして、ふと気づいた。
それなりに社会的に成功した子どもたちの親は、私の両親を含めて、相手によって言葉を変え る人、私が当時、反発を感じていた親たちだった」と書いてあるが、これも同じく会話能力の 大切さを強調する内容になっている。
だから英語でも理科でもなく、国語だということになる。橋本先生の言葉を借りるなら、「す ぐ役立つことはすぐ役立たなくなる」ということなのだ。入試で点を取るためというような枝 葉の技術ではなく、どこまでも伸びて行ける根源的な力を鍛える塾にしたいということなのだ。
ところで、これを一体誰が担当するのだろうか。ある程度できあがったような先生だと話は 早いが、そんな先生が稲荷塾に来てくれることは期待できない。それより若く情熱がある方に 来てほしい。仮に実力が不十分であったとしても、自ら努力する姿勢を示しつつ、第二の橋本武 を目指し、これから自らのスタイルを築き上げて行けばいいんじゃないかと思っている。とい うことで、共に夢を追いかけることのできる国語教師を熱烈に募集したい。(2012年4月9日)