パン屋さんといえば普通、お店があって、大きな窓から店の中の様子が見えるようになって いて … というイメージをもっていたが、西君は「今おいしいパンを持って来たんですけど」と 飛び込みのセールスマンとしてやって来た。見てみると軽のワンボックスタイプの車にパンが 並べられている。それだけでも十分珍しかったけれど、この西君、40才前後のおじさんだが、
愛嬌がある上に何か元気に溢れていて、すごく魅力的だった。これは1年半ほど前の話だった ように思うが、それ以来毎週水曜日はパンの日として我が家では西君から「おいしいパン」を 買うことになった。大概は家内が応対していたが、いつしか息子も娘も西君と親しくなってい た。水曜日に西君が来るのが当然のことだとみんなが感じていた。
ところがこの春、突然「来週で最後になります」と西君が言い出したのだ。ちょうどそのと きは春休み中だったので、子供たちも家にいて、「西君が来た!」と叫びながら、私と子供達3 人でパンを物色しに飛び出した矢先の出来事だったので「えぇ〜!?」ということになった。聞 いてみると西君は喜界島の出身で、島に戻って商売をするという夢のために、こちらで働きな がら軍資金を貯めていたそうなのだ。そして遂に準備が整い、京都でつかまえた奥さんと子供 達を連れて故郷に帰ることになったのだそうな。ウ〜ンかっこいい!
「で、商売は大丈夫なんけ?」
「大丈夫です!」
西君は強気で自信満々だ。
そうか、じゃあ頑張れよと言ったところでパン代を取りに私は家の中に引き返した。そして 戻って来るまでのわずかの間に子供達は西君から喜界島の写真を見せてもらったりして、かな り盛り上がっていた。とにかくきれいな所のようで、子供達の心は既にその世界に飛んで行っ ているようだった。
「ふ〜ん、じゃあ1回行くか?」
「行きた〜い!」
西君も「是非来て下さいよ!」と誘ってくれるから「今年の夏は喜界島」と決定した。
決定した後、費用を調べてみて驚いた。伊丹から喜界島への直行便はなく、鹿児島経由かあ るいは奄美大島経由のどちらかを選ぶことになるのだが、いずれの場合も航空代金だけで1人 往復8万円だ。昨年台湾に行ったときはホテル代込みで1人往復3万円だったのと比べてみる ととんでもなく高い。しかも去年は息子と2人で出掛けたのに対し、今年は家族4人での旅行
だ。まず8かける4。プラス宿泊費。それにレンタカー代 … 。ひぇ〜! しかし一旦行くと約束
したのに「高いから止めにするわ」ではかっこが悪すぎる。ここは行く一手なのだ。 … さて喜界島、私は始めて耳にする名前だったが、世間では何年か前に皆既日食が見られるとい
うことで有名になったところらしい。元々はサンゴ礁が隆起してできた島だということで、島 の周りはあっちもこっちもダイビングスポットだと案内が出ている。人口は8200人。車を40 分も走らせれば島を1周できる程度の広さのようだ。 … 行く前に最低限の情報を仕入れておこ うと喜界町のホームページに入ってみたところ、結局は自然を楽しむところなんだと納得した。
私は特に計画を立てるでもなく、海に潜ってサンゴ礁に住む魚を見てみたいだとか、まだ見 ぬ南方系の魚が釣れればいいなだとか、のんびりと過ごす旅を漠然と思い描いていたが、息子 の考えは少し違うようだった。何を釣るにはこういう仕掛けが必要だとか、道糸の号数(太さ)
はこれぐらいでないといけないだとか、竿は何と何で何本持って行こうとか、話が細か過ぎて とても付いて行けない。ただ「サメは釣れるかなあ?」という話には興味をそそられた。でか くて凶暴な魚と闘うことには心惹かれるものがある。早速とんでもなく大きい針と、見たこと もないぐらいに太い糸を買い込んだが、残念ながらこれを使う機会はなかった。
そうして遂に8月8日はやって来た。奄美大島までは何も変わったことはなかった。しかし そこから喜界島へと運んでくれる飛行機は普通じゃなかった。何とプロペラ機だったのだ。うぁ
〜! と大はしゃぎして記念撮影をした後にこれに乗り込んだ。乗ってしまえば実質的に飛んで いる時間は10分ほどで喜界島に着く。するともうそこは別世界だった。まずこれが空港とは とても思えない。メインの建物は平屋で、まるで小屋だ。学校の運動場に器具などをしまって おくための小屋が設置されていると思うが、まさしくあれだ。そして予約していたレンタカー 屋さんに行ってみると、店は開いているのに誰も人がいないじゃないか! えぇー、どうなって るの?! そして俺達はどうなるのか? のんびりしようと思って来たのだが、ここまでのん気に やられると面食らってしまう。とは言っても待つしかないので、いつまで待てばいいのかも分 からないまま玄関の階段に腰を下ろしたところ、店員と思われるおばちゃんが自転車でぎこぎ ことやって来た。おぉ助かったと思ったのは束の間で、もっと強烈なカルチャーショックを味 わうことになった。「予約していた稲荷です」に対して「あぁ、あのヴァモスです」指差された のだ。一体どう対応していいのか全く分からない。私が戸惑っていると「キーは付いてますか ら」ととどめを刺された。その後一応免許証をコピーして書類にサインをすることにはなった が、こんなんで本当にいいのか?! つまり勝手に乗って行っていいよという状態になっている のだ。この島には泥坊なんている筈がないと本気で信じているのが伝わって来る。
すごい所に来たなぁ、こんな所がまだ日本にもあったんだと驚きながら宿に着いてみると、
宿のおばちゃんがやっぱり「ザ喜界島」だった。底抜けに人が好い。自分が留守をするときも
「勝手に使って下さい」と言ってあっけらかんとしている。もちろん鍵などかけたことがないそ うだ。釣り餌が必要だと言えば、私達を乗せて車を走らせてくれる。西君の住んでいる集落近 くを通れば「寄りましょうか」と言って家まで案内してくれる。私が怪我をしたときも、さっ
と消毒液を買いに出掛けてくれた。当然宿泊料金に入っているものだと思っていたがそうでは なかった。そもそも朝食と夕食が付いて、釣った魚は料理してくれて1人1泊4000円って安過 ぎるんじゃないか? ここは都会とは全く別の時間が流れていると言える。全く別の価値観が支 配する空間なのだ。言葉も現地の人同士がしゃべっている内容は断片的にでさえ聞き取れない。
一体どんな生活をしているのだろう? 産業と言っても農業と漁業ぐらいしかなさそうだ。宿は 空港から車で15分ほどの池地というところにあり、そこまではぽつぽつとお店もあるが、そこ から西君の住んでいる小野津、釣りエサのお店があった早町まではどこまでもサトウキビとゴ マの畑が続いている。牧歌的風景とはこのようなものを指すのだろうか … 。そんな景色の中 でひとつ違和感があったのは防波堤のところに積み上げられた巨大なテトラだ。通常のテトラ の何倍もの大きさがある。「どうやって運んだんだろうねぇ」などと言っていると、タンカーの ような船がまさしくそのテトラを載せてゆっくりゆっくり近付いて来るのが視界に入った。そ れを見て何となくだが、ここが完全に内地と隔絶されているわけではないんだという安堵感の ようなものを感じた。
ともあれ喜界島での3泊4日が始まった。私と息子は釣りまた釣りだった。家内と娘は海岸 散策と島巡りを楽しんでいた。この後の話はほとんど私と息子の話になるので、娘に関するエ ピソードをひとつだけ入れておこう。私達が初日の釣りに出かけようとしたちょうどそのとき、
トイレから娘の叫び声が響いて来た。これはあれに違いない。ゴキブリ対策処理班が急行する ことになったが、役目を終えて帰って来た息子の手には、きれいなタマムシがのっていた。ア オムネスジタマムシと言って、奄美諸島以南に住んでいるらしい。これをゴキブリと間違うと は … 。さて話を釣りに戻そう。まず初日夕方は小野津の防波堤に行った。この防波堤の内側は きれいな砂浜になっていて、海水浴場として使われている。ここには毎年海亀が産卵に来るそ うだ。 … まずサンゴが固まってできた岩場を100mほど歩いて防波堤へと続くコンクリートの 通路に達すると、ここは波が乗り上げるので、濡れていてコケが生えていた。ぬるぬると滑る のでとても危険だ。十分気を付けてここを通過した後、防波堤に登って釣りをした。初日なの でどんな釣りができるのかを偵察するぐらいの軽い気持ちだったが、オヤビッチャ、スズメダ イ、アイゴなどいかにも南の島特有の色鮮やかな魚が釣れた。だんだんと熱を帯びて来た頃に
「もう夕食の時間よ!」と家内から電話が入る。おぉそうだったかと慌て気味に片付けをして防 波堤を降りた。そう、ここは危険な場所だった。「絶対に走るなよ!」私は息子に声を掛けるの を忘れなかった。と、そのとき大きな波が迫って来るのが目に入った。あれにザブンとやられ た日には堪らない。気が付いたときには私は走り出していた。結果として私はこけた。それも ひどく。こけたところに大波がザブ〜ン。あまりの痛さに声が出ない。何とか立ち上がると血 がボタボタボタ〜と落ちる。右腕を体とコンクリートで挟むように落ちたので手がしびれてし