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バリ紀行

ドキュメント内 エッセー (ページ 97-101)

バリ島はインドネシアのジャワ島の東側にある愛媛県ぐらいの大きさの島だ。オーストラリ アが日本の真南ぐらいにあり、その北西に位置している。日本との時差はちょうど1時間だ。ま た、赤道よりほんのちょっとだけ南にあるので日差しは強烈だ。だが、私達が訪れたのが8月 で、向こうの真冬(?)に当たり、風は強いし、日陰に入ると涼しく、朝夕などは肌寒いぐら いだった。4月から10月のこの時期は乾季で雨はほぼ降らないと言ってよい。雨季でも、ずっ と雨が降るわけではなく、3時間ぐらいざっと降って、あとは乾季と似たような天気が続くら しい。つまり年中似たような気候になっているということだった。

 宗教に関して言えば、インドネシア全体ではイスラム教が90%を占めるそうだが、ここバリ では90%がヒンズー教になっている。ヒンズー教に触れるのは初めての体験だったが、海の神 様をはじめ自然のなかにいろんな神様がいて、何をするにも簡単なお祈りをして守ってもらお うとするところは、日本の神道的だなと思ったし、なじみやすかった。

 言語はバリ語で、ジャワ島で使われているジャワ語とはまるで違う言葉だそうだ。一つの国 に複数の言語があると不便なので、それらを統一するインドネシア語があり、バリの人達は、

バリ語に加えてインドネシア語も話せるそうだ。

 ここでクイズだ。インドネシアの人口は世界で何番目か? 無知な私は日本よりずっと少ない のだろうと思っていたが、何と世界4位で、日本の約2倍の人口があるらしい。

 さて、ここバリ島は観光地で、沢山の観光客と、400万人もいる現地人とでごった返してい た。観光客の多くは日本人をはじめ、中国人、韓国人、それにオーストラリア人だ。また、サー フィンのスポットとしても有名で、映像でしか見たことがないような北斎の絵のごとくの波が 立っていた。これを目当てに来るサーファーはオーストラリア人が主で、どうも彼らと日本人 では遊びの感覚が違うように思えた。日本人は、少しばかりミーハー的に見えたが、どうだろ う。

 我々はここへ釣りをしにやって来た。つまりミーハーではなく、硬派だと言える。GTやイ ソマグロのような強烈なファイター達がそのターゲットだ。日本では見ることができない魚達 と出会い、彼らと闘ってみたい。それに加えてこの旅は、私と息子にとって、ある目標のため の準備でもあった。それは3年後に実行予定のアマゾンへの釣り旅の準備だ。準備は、道具を そろえたりするような国内でできる準備のほかに、あと2つあると考えている。1つはルアー 釣りで大型魚と闘ったという経験値を積むことと、現地で何が起こるか分からない中での対応 力を身に付けることだ。今まで日本では主に餌釣りでタイやチヌを狙って来たが、アマゾンで はルアー釣りがメインになる筈なので、そのためにポッパーを投げてGTを狙ったり、ジギン グでイソマグロを狙うといった経験がしてみたかった。それともうひとつは言葉が通じない中

で、現地の人と交渉をして協力してもらったり、必要な情報を得て、道を切り拓くといった訓 練をしておかなければならないと考えていた。

 ところが驚いたことにバリ人の多くは日本語が話せるのだ。これには拍子抜けしてしまった が、何でも学校で習うのだそうな! 学校で習うということは相当なことだが、それだけのニー ズがあるということだろう。まずは日本人の観光客が多いので、実際上日本語を使う場面も多 いということだが、私には彼らが日本を自分達のモデルにしようと考えているのではないかと 思われた。今、バリは建設ラッシュだ。それにすごいインフレだ。ちょうど1964年の東京オ リンピックを機に日本が高度経済成長期に入って行ったときに似たような活気というかエネル ギーを感じる。日本でもその当時から1990年代にかけて、土地の値段は10倍程度になったの ではないかと思うが、バリではこの10年で土地の値段が40倍になったところもあるそうだ。

上がっているのは当然土地の値段だけではない。一つ例を上げてみると、息子が怪我をしたと きの治療費が200万ルピアだった。「200万」の響きはかなりのもので、正直言ってぞっとした。

私達が滞在していた間のレートは1円が117ルピアだったから、必死で日本円に換算して、そ れが2万円以下だと分かってほっとしたが、同時にインフレのすごさも実感した。(結局、海 外旅行保険のおかげで一銭も出費しなくて済んだ)インフレがいいのか悪いのか。街に活気が あるのはいいに決まっているが、調子に乗りすぎてバブルがはじけるのも困るだろう。勢いの あるところにはビジネスチャンスもごろごろと転がっており、一方では大金持ちも生まれてい るものの、貧富の差も拡大されており、そこに不誠実さと、自分さえ良ければという考えが入 り込むと社会が不安定になる。この当たりの苦い経験をしている日本から学ぼうとするのは当 然のことかもしれないが、何かそれ以上にバリ人の心は日本に向いているように思えた。と言 うのは、現地で親しくなった6人のバリ人のうち2人の奥さんは日本人で、また、最も親しく なったジャックもお兄さんが日本に住んでいて、そのお兄さんの奥さんも日本人だということ だったからだ。さらに言えば釣り船とガイドの手配をしてくれた日本人T氏も奥さんがバリ人 だった。ここまで来ると偶然以上のものを感じてしまうがどうだろうか。あくせく生きて来た 日本人が、のんびりとして何事にも大らかそうに見えるバリ人に癒しを感じるのは理解できる として、バリの人達は日本の何に魅力を感じているのだろうか。 …T氏はバリに住んで14年 になり、現地の事情を知り尽くしているが、彼によると、バリ人は親しげに日本人に近付いて、

親しくなった日本人をレストランやツアーに紹介すれば、30%から50%のマージンを受け取っ ているとのことで、「結局は金ですよ」と言っていた。そう言えば、ジャックの仕事はマリンス ポーツのインストラクターだが、私と親しくなってからは、仕事を休んで我々に付き合ってく れていた。それが彼自体の収入にもつながるということだったのか … 。だから「お金のため に」という一面があるのは確かだとしても、全面的には受け入れ難い見解だ。そもそも、私と

してはT氏自体からうまく乗せられてぼったくられた感じが残っており、すっきりしない。話 が大分それたので、元に戻すと、バリ人の多くは日本語が話せるので、言葉が通じない中で暗 中模索するという経験は十分にはできなかったということだ。

 それに我々のメインの釣行は3日目に予定されていたのだが、その前日の夕方に息子が怪我 をしてしまった。どうもこれが釣りには良くなかった。旅の2日目のことだ。まず小手調べに 浜に出掛け、石畳の上で軽い釣りしてみたのだが、水分を含んでいる岩の上は非常に滑り易く 危険だった。だからそこを避けて、乾いた岩の上で釣りをしていたわけだった。 … 冷静なうち は。ところがいよいよ当りが出始めて、勢い込んだ息子は、少しでも有利な場所から竿を振ろ うとして危険地帯に踏み込んでしまったのだ。そしてこけた。大体こういうところでこけて無 事であることは期待できない。「筋が切れたみたいだ」と叫びながら動けなくなっている息子の ところへ行ってみると、右足の親指の付け根がばっくりと口を開けてしまっていた。筋が切れ たなんてなことはなかったが、結構深い傷だ。ジャックが友達を見つけ、バイクで息子を診療 所に運ぶように頼んでくれ、私とジャックも道具を片付けた後、別のバイクで後を追った。し かし、そこの診療所では消毒はしてくれたものの傷の処置はできないということで、そこから は息子と私は救急車に乗せてもらって大きな病院に運ばれた。「始めての救急車体験がバリ島 か」などとボウズはとぼけていたが、10針も縫う大怪我だった。ホテルに帰ってみると、夜の 10時を過ぎていたのに、ジャックは心配して待っていてくれた。何ていいやつなんだ。初めて 彼と出会ったのは、我々の旅の最初の夜、コンビニに水を買いに行ったときのことだった。「ヤ バくない?」などと日本の今風の若者っぽいしゃべり方をしている、やたら元気なやつがいた ものだから「お前、日本語上手いなあ」と声をかけたのが始まりだ。するとジャックは息子を 見て「バリ人? 何でそんなに黒いの?」と返して来た。それに対し、テニスをしているからだ と答えると、自分もテニスは上手いと言うものだから「勝負するか?」という話になったのだ。

それで結局2日目は、ジャックのおじさんの経営するマリンスポーツの会場でダイビングをし た後、テニスコートに行って勝負し(これは日本チームの圧勝だった)、そして夕方からは浜に 出掛けて釣りをしているときに上に書いた事故が起こったというわけだ。怪我自体も痛かった が(痛いのは息子だが)、靴すら履けないし、まともに歩くこともできない状態になって、そ れでも翌日は船に乗って釣りに行くのだということを家内に黙認してもらわなければならない、

これが難しいと思っていた。しかし家内は家内で、止めても無駄だと知っているからだろうか、

何も言わない。ただ非難の信号をピリピリと私に送るだけだ。家族に応援されないときの釣り は何故かうまくいかない。それに現実的にも、我々の集中力が今一つだったと思う。結果は餌 釣りでのカワハギが3尾と、トローリングでのスマ(カツオの一種)が13本にとどまり、キャ スティングでのGTは当たりすらとれず、ジギングはすることさえできなかった。惨敗だった。

ドキュメント内 エッセー (ページ 97-101)