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商売はやり方ひとつ

ドキュメント内 エッセー (ページ 124-127)

年末だ。毎年この時期に来年度の生徒募集のためのチラシを作り始めることにしている。年 度初めから、ああじゃないか、こうじゃないかとやって来たことを振り返ってみると次はこう しようというビジョンが生まれて来るので、大体これを元にチラシの文章が作られて行くよう になっている。しかし今年の場合、来年度の構想はあっても、訴えるポイントは今年度と大き く変わるわけではなく、何を書けばよいのか全く案が浮かんで来ない。うんうんと苦しみつつ 過去のチラシを見ていたら、何と2013年が稲荷塾開講20周年にあたることに気が付いた。

 その途端にいろんな思い出が頭の中を駆け回り始めた。チラシに関して言えば、初めて作っ たのが1995年のことで、勤めていた予備校(関西文理学院)のリソグラフを借りて1万9千枚 の個別指導の案内を刷ってみた。コピー用紙で作ったので紙質は今一で、印字が悪いものや印 刷がずれているものも混じっていた。まさしく「ザ手作り」というチラシだった。これを既に 京大生になっていた福田(「5.32余分の力は抜こうぜ」に出て来たやつで初代塾生)に手伝っ てもらって持ち帰ったのだが、B4のコピー用紙1万9千枚とは恐ろしく多い量で、彼の軽の 車がチラシでパンパンになったのを覚えている。それでこのチラシの反応はどうだったのかと 言えば、実に哀れなもので、たったの1件の問い合わせに終わったのだった。客観的に見れば、

こんな怪しい広告で人が集まる筈もなく、当然の結果だったと言えるが、何の基盤もないとこ ろからビジネスを立ち上げることの難しさを思い知らされた。

 しかしこの1人がその後京大の法学部に受かって細々とした流れはつながって行くことにな り、1997年に自宅という箱を準備したことをきっかけに一気に25人が集まった。これにより 個別指導教室を脱して「塾」へと進化することができた。そしてその翌年生徒数は45人にな り、さらに次の年50人を越えて軌道に乗って行くかのように見えた。

  だが危機は突然訪れた。2002年2月に撒いたチラシのヒット率は極端に悪く、新規の生徒 を10人も集めることができなかった。基本的に年1回の生徒募集で運営して来ているだけにこ れは大ピンチだ。私は暗い表情のまま、ビジネスの師匠上田氏に相談をすることにした。元々 彼とはテニスを通して知り合ったのだが、年令も同じだし、考え方も共通部分が多く、いわゆ る気が合う友達だ。当時はまだ上田さんの仕事も○△を作って販売するという業務だけをして いたのではなかっただろうか … 社長自ら前掛けをして○△を作っていた。その後○△料理専 門店を開き、○△喫茶店をオープンし … とどんどんと攻勢に出て行くのだが、そのように事 業を拡大する以前からビジネスが好きで好きでたまらないというタイプだったように思う。た とえば昼飯を食いに一緒にレストランに入ったとき、「店舗の広さがこうで、従業員が何人で、

儲かっているのかどうか。俺やったらこうするな …」なんてことをすぐに考えてしまうんだと 話していたことが印象深い。そうそう、「せやけど何で○△なん?」と私が尋ねたときの返答が

かっこよかった。

「何でも良いねん。あのな、商売はやり方ひとつやで」

「!!」

そういうことで「ビジネスで困ったことがあれば上田氏(うえだうじと読む)」が私の中での公 式になっているのだ。

 このときもヒットしなかったチラシを見ながら的確な指摘をしてくれた。まず塾の名前が悪 いというのが第一点だった。「Math Lectureなんて、何やよう分からへんやん。稲荷塾にし!」

この一声で我が塾の名前は「稲荷塾」に変わった。次に塾の売り文句を合格者の体験談の中で 代弁してもらう形にしていたのだが、これも悪いと言われてしまった。「伝えたいことは自分の 言葉でしゃべらなあかんで!」「ウ〜ン …」「稲荷さんは経歴もユニークなんやし、もっと自信 をもって自分を売らなあかんで!」

 結局塾名を変え、チラシの内容も大幅に変えて3月にもう一度広告を打つことになった。ひ やひやものだったが、結果は大成功だった。またこのとき上田氏の勧めでホームページを作っ たことも後々に大きな働きをしてくれることになった。本当に「商売はやり方ひとつ」なんだ なあとつくづくと思う。

 さて来春で開講20周年、チラシにもそのまま書いた。これがヒットするかどうかは分からな いが、他の塾では絶対にまねすることができないレベルを目指して突き進んで行くと心新たに 決意し、再出発したい。

資料:稲荷塾(及び稲荷代表)20年の歩み

1993年春 高槻市にて個別指導教室を開講(3名の塾生は全員翌年京大に合格)

1994年春 関西文理学院(予備校)講師になる(2004年離職)

1994年暮 鈴木(国語)、戸田(英語)氏と3人でZ会京大マスターコースを立ち上げ軌道に 乗せる(1999年離職)

1995年春 個別指導教室を向日市に移転(塾名を「Math Lecture」とする)

1997年春 長岡京市(自宅)にて京大受験専門塾を立ち上げる(受講対象生は高校生以上とす る)

1998年春 受講対象生を中3生以上にする 1999年春 受講対象生を中1生以上にする

2002年春 塾名を「稲荷塾」に改める ホームページを作る

2003年春 中2から高校数学に入るクラスを作る 小学生部開講の準備を始める 2004年  エッセィを書き始める

2006年春 小学生部開講

2008年春 「熱血先生」に取材記事が掲載される

2010年夏 「驚きの東大合格率 小さな数学塾のヒミツ」(東洋出版)を出版

2011年春 稲荷塾校舎新築 週刊東洋経済に取材記事「数学に強い塾」が掲載される 中1か ら高校数学に入るコースを模索し始める(参加者1人)

2012年春 プレジデントファミリーに取材記事が掲載される 4人の中1生が「中1から高校 数学に入るコース」に参加

2013年春 稲荷塾開講20周年 小学生部の目標を「中1から高校数学に入ること」とする

(2012年12月22日)

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