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反省

ドキュメント内 エッセー (ページ 116-124)

国語塾宮田塾のブログで鉄拳の「振り子」が紹介されていた。You Tubeにアップされたパ ラパラマンガだが、再生回数が300万回を超え、国内だけでなく世界的に話題になっているら しい。見ると確かに胸に迫って来るものがある。この人はどういう人なんだろうと興味を持っ たが、しばらくして卒業生の原田秀彦君が「泣けた」とタイトルをつけて鉄拳の「いじめ」を

Facebookで紹介しているのを見て、Googleで「鉄拳」と打ってみた。すると鉄拳とはプロレ

スラーを志したこともある異色のお笑い芸人だという説明が出て来た。ウ〜ム、これは全く意 外だ。もっと知りたいと思い、他のパラパラマンガを見ているうちに気が付いたら泣ける話や ちょっといい話を集めたところに来ていた。

 じいんと来る話、感動的な話がいっぱいアップされていて、思わず次から次へと見ていたら、

「先生、可能性のない人なんていない」に行き当たった。これにはこらえることができなかった。

じょぼじょぼに泣いてしまった。「一体俺は何をしていたのだろう?!」自分のあり方を反省し、

もう一度頑張ろうと決意させられた。以下は違法かもしれないが、画面の文字を拾ったので読 んでほしい。

「先生、可能性のない人なんていない」

ある小学校でいいクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。その先生が5年生の 担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、

みんなが手を挙げて発表する中でも一度も手を挙げない少年がいた。先生はどうし てもその少年を好きになれず、いつからかその少年を毛嫌いするようになった。中 間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

 ある時、少年の1年生からの記録が目に留まった。そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。

間違いだ、他の子の記録に違いない、先生はそう思った。2年生になると「母親が 病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。3年生では「母 親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。3年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意 欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

 先生の胸に激しい痛みが走った。だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを 生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目 を開かれた瞬間であった。放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教 室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? 分からないところは教えてあげ

るから」。少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予 習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわ き起こった。少年は自信を持ち始めていた。

 6年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚の カードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中 で一番すばらしい先生でした」。それから6年、またカードが届いた。「明日は高校 の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげ で奨学金をもらって医学部に進学することができます」。さらに6年を経て、また カードがきた。そこには先生に出会えたことへの感謝と父親に叩かれた経験がある から感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕は よく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってく ださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最 高の先生は、5年生の時に担任して下さった先生です」。そして1年、届いたカード は結婚式の招待状だった。「母親の席に座ってください」と一行、書き添えられて いた。先生は嬉しくて涙が止まらなかった …

(2012年11月26日)

5.55 「日本中枢の崩壊」

娘が中学生の頃、学校でビートたけしのことが話題になって、全く話について行けない彼女 は「ビートたけしって歌手?」と発言して原始人扱いされたらしい。そのときのことをまだ根 に持っているようで「結婚して子どもができたら、絶対にテレビのある生活をさせるからっ!」

と強く主張している。念のために言っておくが、我が家にもテレビはある。ただ民放が映らな いだけだ。そういうことで稲荷家の人間は世の中一般の話題に疎い。実際子供の関心事の範囲 は家庭での会話に大きく影響されることになるだろう。そう思って我が家において私が提供す る話題をチェックしてみると、あの子がどうだ、この子がこうだと生徒に関するものがかなり の割合を占めていることに気付いた。もちろん芸能界の話は全くなしで、政治や経済に関する ことも限りなくゼロに近い。残りの話題はテニスのことか釣りのこと … 正直言ってあきれる ほど偏っている。これではイカ〜ンということで、家内の勧めもあって、古賀茂明さんの「日 本中枢の崩壊」を読んでみることにした。いわゆる政治、経済に関する本だ。

 普通の人ならその主張に対しての感想を述べるのだろうが、私はその筋の全くのオンチ。へぇ

〜、官僚ってこんな仕事をしていたんだ! などとイロハを学びつつ、驚いたり感心したりしな がら読み進めた。なんせ知らないことだらけだから他の本を読むときの何倍も時間がかかって しまった。しかしとても面白かったし、勉強にもなった。この人は大筋で正しいことを言って いるように私には思えた。特に、頭がいい筈の官僚がどうしておかしなことをしたり、おかし なことをしたことを認めようとしないのかということについての分析は痛快で、大いに納得さ せられた。その部分を抜粋しておこう。

「利口だ」「秀才だ」と人から褒められると、われわれの脳はアドレナリンを分 泌する。アドレナリンは快楽物質だから、気持ちがいい。また褒められたいと思い 一生懸命がんばる。そのかいあって良い成績を取れると、また両親から「なんて頭 のいい子なんだ」と褒められアドレナリンが出る。

 キャリア官僚の多くは、小学生の頃から「まあ、今日も100点なの、凄いわねえ」

と母親から褒められるのに始まって、地域で一番の進学校に入ってトップの成績だ、

東大に合格した神童だ、国家公務員試験に通った超エリートだと、事あるごとに賛 美される人生を送ってきた。アドレナリンは出っぱなしで、次もまた褒められたい と、勉強に全力を投入してきた人が大半だ。

 秀才は性格が歪みやすい。入れ込み過ぎると、視野が狭くなる。これが秀才の陥 りやすい罠だ。

 しかし秀才の悲しい性で、常に褒められていたい。裏返していえば、秀才は他人

からの非難に弱い。内心おかしいなと思っていても、上司から褒められたい、叱ら れたくないと思い、従う。

 そのうちにたとえ世間から見ると「悪」であっても、気にならなくなる。

 褒められたいという秀才には他にも欠点がある。それはリスクを取れないという ことだ。子供の頃から怒られたことのない秀才は、失敗を極端に恐れるのだ。だか らみんなで渡れば怖くない「前例踏襲方式」に陥る。新しいことには挑戦できない し、イノベーションなど夢の夢だ。

 常に褒められていた秀才は、怒られることと批判されることを極端に嫌う。だか ら、批判のもととなる「過ち」は絶対に認めないのだ。

 自分たちは優秀だから間違えるはずはないという驕り。仮にそれに気づいたとし ても、なんとか糊塗するだけの知恵を有している彼らは、官僚特有の「レトリック」

を駆使して決して過ちを認めない。

 ひぇ〜、こんなに鋭い分析は見たことがない! これを読みながら、頭のいいやつにもそれな りの課題があるのを知って、少しほっとする反面、国家の浮沈を左右するような仕事に携わる 人には、もっとしっかりしてほしいものだと願わざるを得ない。それにここからが私の主とし た関心事になるが、子供の育て方は本当に難しいということを確認した。特に「子供は褒めて 育てよ」などという薄っぺらい方法論には以前から違和感を感じて来たが、上の一文はそれに 対する警鐘ともなっているわけで、思うに子育てとは、そもそも方法がどうのこうのというこ とではないのではないだろうか。確かに褒めてばかりじゃひ弱になり、逆に何でできないんだ と否定してばかりでは子供は勉強すること自体に「どうしてこんなことをしなければならない んだろう?」と疑問を感じ、その結果集中して取り組むことができず、その故に成績を伸ばすこ とが難しくなる。当然バランス良く対するのがいいに決まっているというわけだが、しかし多 少バランスが悪かったとしても、それで子供の人生が決まるわけではないし、どこかで子供自 身が自分の道を見つけ、自分の人生の責任を引き受けなければならないときが来るからだ。そ してそれを助けることができるかどうかは方法の話じゃない筈だ。

 つまり親は「子供が自立してやって行けるように助ける」という軸を維持して、肩の力を抜 きつつ、それでいて全力でぶつかることが要求されているのだ。要するに方法論ではなく、親 の生きる姿勢そのものが問われていると私は思うのだ。

 私自身のことを振り返ってみると、親の育て方には不満があったし、親父の方でも事あるた びに「育て方を失敗した」とこぼしたものだ。しかし、育て方を失敗したと言われて嬉しい筈 はなく、そんなもので決められる俺の人生ではないと強く反発したことを覚えている。そして 今、立場が変わって自分自身が親になってみると、とても理想的な親にはなれないし、育て方

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