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第 6 章 Lemke 色素を含む微小共振器の透過分光 134

6.3 Lemke 色素を含む金属鏡微小共振器の作製と評価

6.3.3 共振層の吸収分光

まず,測定した微小共振器における共振層の吸収スペクトルを Figure 6.3 (a) に示す.

なお,吸収スペクトルの測定は Figure 4.11 に示した光学系を用い,光は試料に対して垂 直に入射させた.吸収係数の導出には第 6.3.2 項で測定した Lemke/PMMA薄膜の膜厚 を用いた.Figure 6.3 (a) から試料ごとに吸収係数の大きさが異なることが確認できる.

一方で吸収スペクトル形状の色素濃度依存性は小さかった.第 6.2.2 項での測定結果を併 せて考えると,今回測定した色素濃度においては,Lemke 色素は単分散に比較的近く分 子間相互作用が少ない状態にあると予想できる.

式(2.87)および式(2.126)から,真空 Rabi 分裂エネルギーの大きさは物質の吸収ピー ク面積の 1/2 乗に比例する.従って,大きな真空Rabi分裂エネルギーを実現するために

6.3 Lemke 色素を含む金属鏡微小共振器の作製と評価 141

1.5 2.0 2.5 3.0 1.5 2.0 2.5 3.0

0 50 100 150

(a) (b)

J band

Concentration

Figure 6.3 (a) Absorption spectra of cavity layers dependent on weight ratio of the Lemke dye to polymethyl methacrylate. (b) Absorption spectrum of the pseudoisocyanine J aggregates dispersed in gelatin thin film. The filled area indicates the J band [32].

は共振層が大きな吸収ピーク面積面積を持つ必要がある.なお,Lemke/PMMA 薄膜の ように物質の吸収ピークが共振モードの線幅よりも大きな不均一広がりを持つ場合であっ ても真空 Rabi 分裂の大きさは吸収ピーク全体の面積で決まることが理論的に明らかに なっている [44].Lemke 色素を微小共振器に挿入した場合に観測され得る真空 Rabi 分 裂エネルギーを予測するために,第 4章で扱った pseudoisocyanine (PIC) J 会合体薄膜 の吸収スペクトルを測定し,Figure 6.3 (b) に示す.この薄膜における膜厚は約 48 nm, PIC と gelatin の重量比は 0.30 であった.また,この薄膜を 1DPC 微小共振器に挿入 した際に観測された真空 Rabi 分裂エネルギーは68.1 meV であった [45].

次に,Lemke 色素の吸収帯について考えていく.第 6.2.2 章でも述べた通り,

Fig-ure 6.3 (a) における Lemke 色素の吸収帯は振動励起準位に由来した複数のピークによ

り構成されている.このように複数のピークが観測される場合で,それぞれの吸収ピーク が明確に分離している時,共振ピークは共振器ポラリトンの形成に伴って 3 つ以上に分

裂する [8, 46–48].この時,最も低エネルギー側と高エネルギー側を除いたポラリトン分

枝をミドルポラリトン分枝と呼ぶ.これに対して吸収ピークの分離が明確でない場合,し ばしばミドルポラリトン分枝が観測されない場合がある [9–11, 21–27].このような吸収 帯内に複数のピークを持つ物質を用いて観測した共振器ポラリトンをどのように取り扱う べきか考えるために,物質内に光電場により誘起される分極のコヒーレンスを考える.不 均一広がりを持つ単一のピークで構成される吸収帯を持つ物質を用いて共振器ポラリトン を観測する場合,吸収帯内には均一拡がりを持つ多数のピークが存在する.このため,す べての周波数において誘起分極が同じ位相で振動しているとは言えない.従って,この吸

収帯に由来して形成されるすべてのポラリトンにおいて,同じ位相で分子と共振器モード とのエネルギー交換が行われているとは限らない.しかし,このような物質における真空 Rabi 分裂を扱う場合,物質を疑似的な 2 準位系と考えることがほとんどである [47, 48]. これは通常の線形透過・反射分光で得られる情報から同じ位相でエネルギー交換を行うポ ラリトンのみを選択することが困難であるからだと考えられる.そして吸収帯の中に複数 の振動励起準位が含まれる場合であっても,異なる位相を持つ誘起分極が混在するという 状況は変わらない.そこで本研究においても Lemke 色素による吸収帯が 2.41 eV を遷移 周波数とする疑似的な 2 準位系として扱えるものとして考察を進めていくこととする.

Figure 6.3 (a) で示した Lemke 色素による吸収帯全体の面積を J 会合体による吸収 ピーク面積と比較したところ,前者は後者の約 8.3 倍であった.一方で,第 3.6 項で述 べたように,第 4 章で用いた 1DPC 微小共振器のモード体積は金属鏡微小共振器のモー ド体積の 7.5 倍程度であると考えられる.さらに式(2.126)より,物質の遷移周波数 ω0

と共振モードの周波数 ωk が共鳴する場合,物質の遷移周波数 ω0 の比の 1/2 乗が真空 Rabi 分裂の比と一致する.そこで,PIC J 会合体とLemke色素の吸収ピークエネルギー の比をとると後者は前者の 1.1 倍であった.以上より,Lemke 色素を含む金属鏡微小共 振器においては

8.3×7.5×1.1×68.3 = 573meV 程度の真空Rabi 分裂が観測される と予想できる.573 meV は Lemke 色素の遷移エネルギーである 2.41 eV の約 23 % に 当たるため超強結合状態の実現が十分に期待できる.

ただし,式(2.87)および式(2.126)によれば真空 Rabi 分裂を正確に予測するためには 吸収係数ピーク面積,共振器のモード体積,物質の遷移周波数に加えて共振層の誘電率の 情報が必要である.さらに,式2.126は長波長近似を用いて算出されたが,実際には共振 層のどの位置に分子を配置するかによって分子が感じる電場強度は異なる.従って,分子 が共振層のどこに置かれたかによって真空 Rabi 分裂の大きが変化することにも留意する 必要がある.さらに,第4 章で用いた1DPC微小共振器はモノリシックな構造ではなく,

また PIC/gelatin 薄膜の膜厚と 1DPC 微小共振器の共振器長の間には大きな差がある.

このことは PIC/gelatin 薄膜と 1DPC反射鏡の間に空気が入り込み,共振層内部に挿入 された物質の位置に偏りがある可能性が高いことを意味する.真空 Rabi 分裂の大きさを 正確に見積もるためには,この分子位置の偏りの影響を考慮する必要も出てくるが,これ らの影響を定量的に評価することには困難が伴う.

そこで別の方法による真空 Rabi 分裂の予測も併せて行った.すなわち,cyanine色素 J 会合体を含む λ/2 金属鏡微小共振器に関する過去の文献を調べ,その真空Rabi 分裂エ ネルギーから Lemke色素を含む微小共振器における真空Rabi 分裂の大きさを概算した.

cyanine 色素 J 会合体を挿入した金属鏡微小共振器においては,一般的に数100 meV の

真空 Rabi 分裂エネルギーが観測される [49–52].これらの報告では Lemke 色素を含む 微小共振器と同じ金属微小共振器を用いているため,両者のモード体積は等しいと仮定す

6.3 Lemke 色素を含む金属鏡微小共振器の作製と評価 143 る.また,これらの J 会合体の吸収ピークエネルギーは 2 eV 程度で,Lemke 色素の吸 収ピークエネルギーとそれほど大きな差があるわけではない.そこで,Figure 6.3 で観測 された吸収係数ピーク面積の大きさのみを比較すると,Lemke 色素を含む金属鏡微小共 振器においては,J 会合体を含む微小共振器よりも

8.3 倍大きい—例えば 1 eV を超え るような—真空 Rabi 分裂エネルギーの観測が期待できる.

なお,トルエンは揮発性の溶媒であるため,第6.3.2項で作製したそれぞれの溶液におけ る PMMA濃度は経時的に変化する可能性がある.従って,PMMAに対する Lemke 色 素の濃度が PMMA を溶解したトルエン溶液に対する色素の質量に比例すると断言でき ない.そこで,以降は作製した試料を吸収係数の大きさでラベリングし整理することに する.