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第 5 章 長母音の短母音化に見られる位置の非対称性

5.1. 先行研究

5.1.1. 非対称性を引き起こす要因

窪薗 (2000) は音節構造という視点から分析を行い、幼児語、外来語の短縮、語形

成(ズージャ語49)、オノマトペの強調形を用いて、長母音の短母音化に見られる位置 の非対称性について「長音節+短音節」>「短音節+長音節」50という共通した音節 構造の原理が働いていると説明した。以下、本章は長音節のことを重音節、短音節の ことを軽音節と呼ぶことにする。(2)、(3)、(4)、(5)はそれらの例である

(2) 幼児語

マンマ *ママン ネンネ *ネネン

(3) 外来語の短縮

パンフレット → パンフ

                                                                                                               

47経済性とは、言葉のしくみは人間ができるだけ労力を使わなくて済むように、効率的に出来上がって いる性質のことをいう。つまり、話者にとって「不要」「エネルギーを要する」と感じられる要素は退 化し、逆に必要性が感じられれば新たな弁別が生じる (町田 2004)

48情報性とは、テクスト受容者にとって、あるコンテクストにおいて、そのテクストがどの程度予想可 能なものであるか、その程度のことを情報性とよぶ (Beaugrande & Dresler1984)。

49ズージャ語というのはジャズ音楽家たちの言葉遊びであり、この言葉遊びの基本は、いわゆる音位転 換の操作により、語末2モーラと語頭2モーラを結合して4モーラの語彙を作ることである (Tateishi 1989, Poser 1990, Itô et al.1996)

50短は1モーラ音節、いわゆる軽音節の事を指し、長は2モーラ音節、自立モーラと特殊モーラからな った音節の事を指す。既出の「ちょうちょ」は「長+短」という音節構造を持っている。

73 ローテーション → ローテ

ロケ(ーション) → *ロケー(ション)

デモ(ンストレーション) → *デモン(ストレーション)

(4) ズージャ語

ブータ51 *ブター スンダ52 *スダン

(5) オノマトペの強調形

ピッカピカ *ピカッピカ ズッバズバ *ズバッズバ

つまり、日本語においては「軽音節+重音節」の音節構造よりは「重音節+軽音節」

の音節構造が好まれる。従って、自立モーラと長音から成る重音節の語末位置にある 長音は、語中位置にある長母音と比べて短くなりやすい。

窪薗 (2000) では、何故日本語 (英語でも強弱のストレスパタンが好まれるという ことが報告されている) で「重+軽」の音節構造が好まれるかについては説明されて いないが、Hayashi et al. (1998) の実験研究では選好聴取法による検討を行い、生後 8~10ヶ月の日本人乳児は「軽音節+重音節」の音節構造より、「重音節+軽音節」の 構造のほうを有意に長く聴取することが分かっている。

更に、窪薗 (2000) で主張されている議論の妥当性の傍証として、Itô (1990) の統 計によると、外来語の短縮形には「軽+重」という2音節形が許容されないというこ とが明らかである。外来語の短縮過程は語頭から数えて2モーラ目まで残して後半を 削除するということがすでに知られているが (6)、語頭から2番目のモーラが長母音 である場合、3 モーラ目まで残されると言う手段が取られる (7)。それは語末の長母 音が消えやすいということと関連していると思われる。

(6) デモンストレーション デモ

(7) ローテーション ローテ *ロー

                                                                                                               

51タブーから出現する。

52ダンスから出現する。

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つまり、2音節の 2モーラ語は許されるが、1音節2モーラ語 (2モーラ目が長母 音) が許されないのは、語末の長音の聴覚的な印象が薄く、音声的に短すぎて、あた かも1音節1モーラ語に聞こえてしまう事が原因というわけである。1音節1モーラ の語は一般に短すぎるため、音韻的な制限で派生語において出現することがない。ゆ えにここで議論している、外来語の短縮形にも現れることがないということになる。

Itô (1990) はまたフットを形成する面から「軽+重」の音節構造が嫌われる理由を説

明した。それは、日本語におけるフットは語頭から数えて2モーラずつ1フットを形 成するため、1モーラフットが作りにくいからである。

5.1.2. 機能量

機能量とは対立する 2 音素がどれほど弁別性を持つかを計る指標である (King

1967)。その基準としては、対立する2 音素のみによって語の意味を弁別するミニマ

ルペアの数である。ミニマルペアの数が多いほど、機能量が多い。

更にSurendran & Niyogi (2006) によると、コミュニケーションに障害を与えなけれ

ば、機能量の少ない要素ほど、省略されやすいという。

また、Vance (2008) によると、日本語の母音は長・短の弁別性を持っているが、母

音の長・短のみによるミニマルペアが少ない。よって、日本語の母音の長さはそれほ ど多い機能量を持たないということが述べられている。しかし、Vance (2008) は語の 位置 (語中・語末) によって、日本語の母音の長さが持つ機能量に差が出るかどうか については述べていない。もし、母音の長さが持つ機能量が短母音化の生起と関わる のであれば、同じ音 (長母音) であっても、単語内のどの位置 (語末・語中) にある かによって、ある単語と別の単語の意味を弁別するための機能量に差が出る可能性が あると考えられる。つまり、語末位置にある長母音が持つ機能量が語中位置の機能量 と比べて少ないため、語末位置にある長母音が短くなりやすいということが予測され る。この仮説を検証するためには、それぞれ語中、語末位置にある母音長のみによる ミニマルペアを数える必要がある。これについては5.2節にて詳しく論じる。

5.1.3. 日本語母語話者の母音長に対する知覚

助川・前川・上原 (1998) は日本語母語話者は語末位置における母音長について短 母音化に気付くのが鈍感であるということを知覚実験で証明した。彼らは「どれが高 校付きの大学?」というキャリア文にある「高校」の語中、語末位置にある長母音の

長さを10msecずつ短くし、「高校」に聞こえるか聞こえないかを4人の日本語話者

に判断してもらった。その結果、4人中3人が語末位置にある長母音の長さの変化に

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鈍感であることが分かった。しかし、刺激音の情報 (原音の語中母音・語末母音の持 続時間など) については記載されておらず、被験者の数も少ないため、追加実験を行 う必要がある。更に、Nagano-Madsen (1990)、Kinoshita,K,Behne,D.M. & Arai,T.(2002) などの研究によると、falling pitch を伴う場合、日本語母語話者が母音を長母音であ ると知覚しやすいということが明らかである。そこで本章 (5.3 節) で知覚実験を行 った結果、falling pitch が母音長をより長母音に知覚させやすいという特徴は母音の 長さが曖昧な場合のみに観察され、先行研究と一致した。