第 3 章 先行研究
3.3 日本語教育における学習動機研究の拡がり―2000 年代から現代まで―
3.3.4 第二言語習得独自の学習動機理論―ビリーフ、コミュニケーション意欲、L2
34 木下(2007)によれば、修正版グラウンデッド・セオリーアプローチ(M-GTA)とは特定の現 象が起こる過程に着目し、インタビュー・データをグループ化、カテゴリー化する分析を通じ て、独自の理論を生成する手法である。
L2
セルフシステム35―日本語教育においては、統合的動機理論は現在ほとんど使われなくなっているが、第二 言語独自の学習動機理論を提唱するアプローチは現在も存在する。本節では、ビリーフ研 究、コミュニケーション意欲、L2セルフシステムを紹介する。
ビリーフ
ビリーフとは、「学習者が言語学習に対して意識的・無意志的に抱いている態度や意識
(板井 2000)」である。日本語教育のおいても、複数の研究者が調査を行っている(橋本
1993, 板井1997, 板井2000, 板井2001, 片桐2005など。)ビリーフは学習動機とは個別に 論じられることが多かったが、学習者側の認識は学習行動と密接に関連していると言える ため、ここで触れておく36。
橋本(1993)は大学の予備教育課程に在籍する留学生 46 名を対象に、BALLI(Beliefs About Language Learning Inventory)(Horwitz, 1987)に27項目を加えたアンケート調査を行 い、多くの学習者が日本語学習に対して前向きのビリーフを持っていることを報告してい る。さらに、橋本(1993)は、アンケート実施後にいくつかのビリーフについてクラス内 にて英語で討論をさせ、日本語学習についてのビリーフをさらに意識化させる実践を行っ ており、クラス内でのビリーフの相対化および目標や課題の共有を記している。
板井(2000)は、欧米で開発されたコミュニカティブ・アプローチが必ずしもアジア圏 の学習者に適さないのではないかと考え、中国語版BALLIⅡを使用してアンケート調査を 行い、中国人学習者に適した教授法および教室活動を分析した。その結果、学習者は「語 彙や文型の反復・暗記学習」と「文法の学習」を重要視している点、「教師がクラスでイニ シアチブをとるべきだ」というビリーフが高い点などが明らかになった。また、学年別で 差が出たビリーフがあるため、留学体験や異なった教授法に触れた経験が、ビリーフに変 化をもたらしたのではないかとも指摘している。総合考察として、板井(2000)は、もと
35 L2 Motivational Self System の表記は、そのまま英語を用いる場合も見られるが(稲葉・倉田
2017, 王 2017など)、本論文では入江(2008)に倣った。
36 磯田(2008:63-68)は第二言語教育においてビリーフ(Learner Beliefs)と学習動機研究は別個に 行われてきたが、授業の評価に学習者の認識が影響するという考え方は同じ見方をしていると延 べ、「特定状況下」という水準で動機づけを捉える視点に立つことで、「両者を同一の理論的基 盤に基づいて議論することが可能」と判断している。
もと中国人学習者が持っていたビリーフを活かすような教授法から、徐々にコミュニカテ ィブ・アプローチを導入していくことを提案している。
片桐(2005)はフィリピンの大学におけるBALLI調査の結果を元に、先行研究との比較 を行っている。多くの文化圏で支持されているビリーフとして「繰り返したくさん練習す ること」を挙げ、フィリピンの学習者の特徴としては「様々なアクティビティーのある学 習者参加型の教室活動を望む」、「文法重視」、「<1日1時間の学習で外国語が1-2年で上 手になる>に賛成するものが多い」などの結果を述べている。また、学習期間とビリーフの 関係について、学習期間の長い学習者は学習に対してより実践的、自律的、統合的な思考 が強くなると分析している。
コミュニケーション意欲(Willingness to Communicate)
Willingness to Communicate(コミュニケーション意欲、以下WTC)とは、いわば「他者
と対話する意思」(八島 2004)の滋養を第二言語学習の主要な目標の一つとして捉える考 え方であり、MacIntyre, Clément, Dörnyei, & Noels(1998)が概念モデルを提唱し、コミュニ ケーション活動に関わる情意要因の統合モデルを示している(図 3-6)。八島(2004:14)
によれば、このモデルの特徴は、上の3層は状況に依存して変化しやすい要素と捉えられ ているのに対し、下の3層は比較的安定した要因と考えられていることである37。WTCは 第二層に位置し、コミュニケーションをする準備ができた心理状態を指している。
Yashima(2002)は、日本の英語学習状況を踏まえて、英語でのコミュニケーションに関
連する構成概念「国際的志向性」を提案し、WTCモデルとGardnerの社会教育モデルを援 用して297名の大学生を対象に質問紙調査を行った。共分散構造分析を用いて分析した結 果、この「国際的志向性」が学習動機に結びつくこと、「国際志向性」および英語でのコミ ュニケーションに自信があるほどWTCが強いことを示した。
37 2章であげた鹿毛(2013)の動機の三水準では、学習動機を3つのレベルで捉えようとしている が、このモデルでは2つの水準に分かれていると言える。
図 3-6 WTC モデル(MacIntyre, Clément, Dörnyei, & Noels(1998)38
日本語教育においては、小林(2008)がWTCについて調査を行っている。小林(2008)
では、留学生370名を対象に日本語学習動機に関する質問紙調査を行い、5 つの因子を抽 出し、さらにそこから「日本語学習への興味」「日本理解志向」「道具的志向」の3つの因 子とWTCとの関係を分析している。その結果、「日本語学習への興味」と「道具的志向」
からWTCへの有意なパスが見られたことから、授業を実践する上で楽しさや興味という 内発的動機づけを喚起するとともに、授業の目的や意義について学習者が持つ自己の将来 像と関連づけて説明する必要があると示唆している。
38 図は八島(2004)を引用した。
3
特定の相手と コミュニケーシ ョンをする意志
1 L2 使用
2 Willingness to Communicate
4
その場での コミュニケーション
の自信
5
対人接触動機
7
自信 6
対グループの接 触動機
9
その場の社会 的状況の認知
10
コミュニカティ ブ・コンピテンス 8
対グループへの 態度
12
性格 11
グループ間の 関係
Layer I
Layer VI
Layer II
Layer V
Layer III
Layer IV
情緒的・認知的
コンテキスト コミュニケーション行動
状況的要因 行動の意思
同期傾向
L2 セルフシステム
L2セルフシステムL2 Motivational Self Systemは、第二言語教育において、Dörnyei (2005, 2009など)が提唱している理論である。このL2セルフシステムはMarkus & Nurius(1986)
の「可能自己possible self」およびHiggins(1987)の「理想自己ideal self」、「義務自己ought
self」及び「自己不一致理論self-discrepancy theory」の概念を取り入れている。
Dörnyei(2009: 86-88)によれば、L2セルフシステムにおける「理想自己」は、「こうあ
りたい」と願う将来の自己像である。もし、現在の自分と理想自己が一致しない場合、学 習者はその差を埋めるべく動機づけられ、学習行動に向かう。「義務自己」は「なるべき」
自己像で、周囲の期待に応えたり、ネガティブな結果を回避したりするための概念である。
「学習経験」は、教師からの影響、教科カリキュラム、クラスメイトや成功体験などの、
学習者が実際に第二言語を学ぶ学習環境及び学習内容に関するものである。
2 章でも述べたが、八島ら(2004)は言語習得をアイデンティティと絡めて捉えるとい う点で、L2セルフシステムを、社会心理学的アプローチ(統合的動機理論理論)の研究と 同じ潮流に位置付けている。実際、Dörnyei & Ushioda(2009:29-30)も、統合的動機とL2 セルフシステムは、「アイデンティティidentity」と「自己同一化identification」を核として いる点が共通していると述べている39。
また、Dörnyei & Ushioda (2009:9)は、L2セルフシステムはNoels(2003)の提唱す るモデル(「統合的学習」「外発的学習理由」「内発的学習理由」)、及びUshioda(2001)の 提唱するモデル(「統合的要因」「外的圧力・報酬」「学習過程に関わる要因」とも対応して いると述べている。
L2セルフシステムは、ハンガリーでの大規模調査(Dörnyei et al., 2006)、日本・中国・
イランでの大規模調査(Taguchi, Magid & Papi , 2009)、日本の英語教育(Ryan 2009, Yashima 2009, 入江2008, 入江2011, 大和・三上 2012, Claro 2016など)で援用され、理想自己と義 務自己の分析はもちろん、従来指摘されてきた「時間と文脈」が、家族の影響や英語コミ ュニティへの態度などを含む学習経験として、測定されている。この理論は、自己像と学
39 Dörnyei & Ryan (2015:91)は、2005 年の時点では、従来の第二言語習得における学習動機研究の
「再構成reconceptualizing」を目的として提唱したものであったが、その後の学習動機研究で広く
受け入れられていったと述べ、さらに、「理想自己」について、Gardner らの「統合的志向 Integrativeness」と近い概念で相関関係があることも記しているが、統合的志向よりもより予測可 能性が高いことを記している。
習環境の双方に注目している点からも、今後の第二言語教育における学習動機研究におい て牽引的な役割を果たすと考えられる。
一方、日本語教育においては、L2セルフシステムの研究は若干数にとどまる(王・麻生
2017, 王2017, 稲葉・倉田2017など)。その理由として、L2セルフシステムは比較的新し
い理論であり、世界各地での研究報告が積み上げられている過程であることが指摘できる だろう。
王(2017)は、中国の大学生397名を対象とした質問紙調査から、肯定的な対日認識は L2セルフシステムの3つの要因を高めること、L2セルフシステムの要因は動機付けられ た学習行動を促進することを報告し、3 つの要因の中では特に「学習経験」の影響が最も 多いことを明らかにしている。また、稲葉・倉田(2017)は、オーストラリアとスウェー デンの大学生6名を対象としたインタビュー調査から、明確な「理想自己」を持つことが 長期的な学習の道筋に大きく影響を与えていること、教室外での日本語使用経験などの「学 習経験」が日本語学習の継続において重要な役割を担っていることを報告している。
王(2017)と稲葉・倉田(2017)の研究は、対象学生及び研究方法が異なっているもの の、「学習経験」の重要性を明らかにしている点が興味深い。今後は、「学習経験」とは何 を指すのか、より一層の解明が必要になってくるであろう。