そして、次のように指摘している。
「森田は、 『筆者』概念の強調が教材の絶対化を生まないとしたが、逆 72) に『筆者』概念の強調が教材の絶対化を生むことがある。」
寺井は、このことについて西郷竹彦の考え(説得の論法)を手がかり にしている。それは、 「西郷の提案する指導は、模範文からある種の表 ひ
現方法なり、認識方法なりを学ぼうとするもの」 であるから、 「模範 ア り 文という発想は教材の絶対化を生む可能性を多分にもつ。」 というの
である。西郷の提案について教材の絶対化を生む可能性があるというこ とは納得いくが、寺井はそれを森田の提案に言及して、 「つまり、 『筆 フロラ 者』概念の強調は、教材の絶対化を生むことにもなるのである。」 と
述べている点には疑問が残る。森田の提案も西郷の提案も同じ『筆者』
概念の強調であると考えられるが、森田の場合は「模範文からある種の 表現方法なり、認識方法なりを学ぼうとするもの」を中心に据えている のではないように思われるのである。
長崎伸仁もこのことについて、 「すべてにおいて『筆者』概念の強調 が教材の絶対化を生むとは言い切れない。それは西郷氏のような考えに 適用できるのであり、同じようにその外の『筆者』概念提案者にも適用 フ ひ されるべきではない。」 と述べている。
森田が、 「特定教材を絶対視せず、また、散漫な情報獲得に走らない ようにするために、2の立場(「筆者の説明の工夫を確認し、評価する」
フフラ 読み一引用者)を取りたい。」 と述べているのは、 「特定の書き手が、
私たち読者に対して、何らかの事象についての説明をするために、どの ような角度から、どのようなことがらを選び、どのような論理展開で、
どのようなことばを用いているのかを確認し、それが、私たちにとって、
最も分かりやすく、また、説明されている事象の本質を最も明確に解明
フ う しているものであるのかどうかを吟味、七島ナ乙」 (圏点一引用者)
ためであると思うのである。
5 筆者の工夫を評価する読みについて
3の最後にみたように、森田は「批判、批評を目指す読みは、私たち 指導者にも厳しい要求をする」と述べている。教材(筆者)と子どもと の中間に位置する私たち教師自身も、當に認識主体としての成長を図ら なければならないのである。森田に従えば、 「子どもでない私たちは、
子どもたちの読みの範囲を授業に先立って体験しておくと同時に、教材 作成者たる筆者の創造過程をも体験しておきたい。いわば二重の肩ごし フむう の読みを求めなくてはならない。」 のである。このことは大変重要な 指摘であると思う。
説明的文章指導の改善にあたって、このような教師への厳しい要求は、
当然のことであろう。また、 「筆者の工夫を評価する読み」に頼れば、
内容主義と形式主義の統一がかなうと楽観的に考えるのは危険であろう とも思われる。しかし、教師が「二重の肩ごしの読み」の困難を乗りこ えるよう努力していくことが少しでも、説明的文章指導の前進につなが ると思うのである。
第3節 藤井囲彦氏の「述べ方読み」
1 説明的文章指導(内容と形式)について
藤井は、 「説明的文章の読解指導の現状が『ことがら読み』になって
しまっているところに問題がある。 『ことがら読み』というのは、文章
一45一
表現の内容を読みとらせることを、指導のねらいとし、授業において内 容を読みとらせただけで満足している『読ませ方』のことをいう。」
と述べている。そして、 「ことがら読み」の典型的な指導例を次のよ
eo)el) うにあげている。
雪のあるくらし 原田 津
根雪ということばがある。毎Eのように雪がふり、とけてしまわ ないうちに、新しくふった雪が上へ上へと積もっていく。そして、
それは、冬の間じゅう消えない。そういう雪を根雪という。
日本で根雪が見られるのは、北海道と本州の日本海側で、太平洋 側にはあまり見られない。そして、積もる量がとくに多いのは、秋 田県の横手盆地、山形県の新庄盆地、新潟県の魚沼地方などである この部分の指導において、次のような発問をし、児童の答えを予想す
る。
T「根雪というのは、どんな雪ですか。」
C「冬の間じゅう消えない雪です。」
T「なぜ、消えないのですか。」
C「ふった雪が消えないうちに、新しくふった雪が上へ上へと積もって
いくからです。 」
T「そうですね。」(といいながら、 「消えない雪→根雪」と板書する。)
T「では、根雪の見られるのはどこだと書いてありますか。」
C「北海道と本州の日本海側です。」
T「積もる量が多いのはどこですか。」
C「秋田県の横手盆地、山形県の新庄盆地、新潟県の魚沼地方などです。」
T「そうですね。日本のどのへんか分かりますか。」 (といいながら、
大きい日本地図を掲げ、日本海側や県・盆地の位置などを示して教
える。)
藤井によれば、このような指導が「ことがら読み」であり、 「知識・
情報をちょっぴり拡げたり、その取得の仕方を教えたりすることにはな っても、国語科の指導の本命であるところの『ことばの力を伸ばす』こ
う とにはならない」 というのである。また、藤井は「現時点における説 明的文章の読解指導の実態の大部分が、このような『ことがら読み』に
ヨラ 終始している」 ととらえており、 「このような現況は、すみやかに改 ヨ 善されなければならない。」 と述べている。
大西道雄は、このような藤井の提案について、 「現在の多くの国語教 室において、説明文の『読ませ方』の指導が、内容本位主義一『ことが ヨさう ら読み』に偏っているという指摘は、その通りであると思う。」 と述
べ、 「ただ、藤井氏は、自明のこととしてあえて触れられなかったのか もしれないが、説明文指導における問題点の一つとして、形式的技能士 ヨ ラ 義とでもいうべき実践状況のあることも無視できない」 と指摘してい
る。
藤井は、 「形式的技能主義とでもいうべき実践状況」も把握している
フコ と思われるが、先の提案から考えると、いわゆる内容主義に偏った指導 を改善していくことが、国語科の読解指導の重要な問題ととらえている ように思われるのである。
2 述べ方読み
藤井は、 「国語科の読解指導としての読ませ方は、以上のような『こ とがら読み』から脱却し、 『述べ方読み』への転換が図られなければな
う らない。」 と述べている。
この「述べ方読み」がどういうものか明らかにするために、まず、藤
井が説明的文章をどうとらえているかをみてみることにする。
ドキュメント内
小学校国語科授業改善についての一考察 : 説明的文章の指導を中心に
(ページ 46-50)