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また、ことば表現の側面ばかりを重視して、 『国語科的』な扱いをする        ヨフラ ことは、形式主義、技能主義になりやすい。」と指摘している。  森田 によれば、 「書き手は、筆者が説明の対象であるものごとについての認 識にもとづいて、説明文を構成するにあたいする材料をとりそろえ、そ れらを、自己の認識の過程、読者の認識の過程を考慮しつつ位置づけ、

      お シ ことば化して文章を完成する」  のである。そのため、その説明的文章 は「知識、情報を与えるという機能のほかに、書き手が説明の対象とし ているものをどのように認識しているのかを提示する機能をもっている」

 というのである。つまり、筆者のものごとに対する個性的な認識の過

39)

程が、認識の結果として、文章に表現されているのである。

 そこで、指導において「認識の結果」のみを問題にすると知識、情報 を与えることに指導の重点が置かれがちになり、いわゆる内容主義にな ると指摘しているのである。また、同様に「認識の結果」を書き手の認 識の過程を抜きにして表現の側面、すなわち書き手の言語操作、表現形 式などを求める指導は形式主義になりやすいと指摘しているのである。

 また、森田は「教室における読みの深まりを、三層の構造をもつもの

       るロユ としてとらえ」  ている。

(1)内容、ことがらを理解することを主とする第一層の読み

(2)表現や論理構造の把握を主とする第二層の読み

(3)筆者の立場を追究することを主とする第三層の読み

    なう

とし、  さらに(3)を意識するなら、 (1)、 (2)は

(1 )なぜ筆者がそれらのごとh{らをとりあげ、

(2 )なぜそのような論理を用い、表現したか

      う ととらえるべきである  としている。これらを内容主義と形式主義から

考えてみると、第一層の読みが内容主義的読みであり、第二層の読みが

形式主義的読みと思われる。しかし、 (1 )、 (2 )からわかるよ うに、森田は内容と形式とを分けることなく、 「相互に関連をもちなが

   きう

ら」  常に筆者を意識した読みをすることによって、 「筆者の認識の過 程と認識の結果、そのことば化としての表現の両方を絶えず問題にして

         う いく学習指導」  を目指しているのである。つまり、内容主義と形式主 義の統一の手がかりを「筆者の認識(過程と結果)と表現をつなぐ」

 ヨラ       ビラ

 こと、すなわち森田のいう「筆者の工夫」 に求めたのである。

 2 筆者の工夫を評価する読み

 森田は、説明的文章指導の目的を「複雑、多様な情報が混在する現代 を、認識主体としての自己を見失いことなく生きぬく力を身につけるこ

   アラ

と」  とし、こうした力をつける読みの指導を「筆者の工夫を評価する       48》 読み」 (あるいは「評価読み」)と呼んでいる。

 森田は、 「文章という情報源が、どのように個性的に、あるいは主観 的に作られるかということを理解することなく、筆者の個性だけを尊重

して、読み手である子どもに、その個性の受容者であることだけを強い       う てはこなかったであろうか。」  と投げかけ、 「私たちは、情報に対す

る公正な受け手でなくてはならない。また同時に、個性的な受け手でな

         らリラ くてはならない。」  と述べている。このことは、説明的文章指導にお いて、教材を絶対的なものとして子どもに受身的に読ませるのではなく、

そこには個性的な筆者が存在していることを念頭に置いた子どもの主体 的な、個性的な読みの指導が必要であることを意味していると思われる。

そのためにも、 「情報のあるがままを厳密にとらえるとともに、その情       さけ 報の価値と問題を厳しく問い続ける存在でなくてはならない」  という

のである。

 このように森田は、個性的な読み手が個性的な書き手の認識の過程と

       一35一

, 結果を評価すること、すなわち「筆者の工夫を評価する読み」によって   読み手自身の認識能力を高めることができると考えているのである。

      ラ

   そして、その指導過程として次のようなものをあげている。  ただし、

       ヨ 

  これは「『一つの』過程であるにすぎない」  のであり、森田も「教材、

  指導目標、子どもの実態等に応じるためには、指導過程にも柔軟性が必   要である。特定の指導過程にとらわれることは避けるべきである。」

  54》

    と述べていることをつけ加えておく。

  題名読み

   ○説明の対象になっている「もの」、 「こと」について、読み手の認     識のありようを把握させる。

   ○「知っていること」、 「予想できること」、 「疑問に思っているこ     と」、 「意見」、 「説明や主張したいこと」、 「説明や主張の方法    (表現、構成など)」を考えさせ、記録させる。これらが書かれたも     のを、仮に「認識の見取り図」と呼ぶ。

   ○自分なりに、題名に即した文章を書いてみる。

  教材の通読

   ○「認識の見取り図」を念頭において、教材文と照らしあわせて読み     通す。

   ○反応(予想、同意、疑問、発見、意見、感想、批評など)を書き込     む。

   ○「内容読み」が中心になるが、多くを要求しない。

  教材の精読

   ○教材の客観的把握(書いてあることを書いてあるとおりに把握する)

   ○通読段階で得た学習課題(反応を学習課題化する)を解決する。

   ○新しい反応の創造と解決(通読段階の「内容読み」を内包しながら、

  「論理展開」、 「表現」の読みを目指す)

教材の総合的把握

 ○先行する段階に現れた反応(学習課題)を総合的にとらえ、筆者の   立場に迫る。

 ○残された反応を確認し、反応の意味を考える。 (反応の仕方の評価   をする)

まとめと発展

 ○教材文の総合的批評を「批評文」にする。

 ○学習の発展を図る。 (読みの拡充その他)

ここにみられるように、題名読みにおいて、 「認識の見取り図」をもと に自分なりに題名に即した文章を書かせ、読み手自身の認識の仕方を把 握させる。そのようにして、読み手自身の認識の仕方と筆者の認識の仕 方(過程)との違いに着目させれば、自ずと主体的な(筆者の立場に立 った)読みになっていくだろうと考えている。そうすれば、教材の通読

・精読においても、内容の読み取りは、単なる知識の獲得ではなくなり、

なぜ、筆者がそれらのことがらを取り上げ、そのような論理を用い表現 したかというような観点でおこなうことができる。そして、教材の総合 的把握・まとめと発展では、それまでの学習をふまえて筆者の工夫を評 価させることで、読み手自身の認識能力(内容・方法)を育てることが できるのである。

 3 筆者の工夫を評価する読みの実践例

 森田は上記の指導過程をもとに、 『みつばちのダンス』光村三年上

(昭和55〜58)で実践を試みている。

  『みつばちのダンス』

(1)一びきのみつばちが、花畑でみつをすっています。そのみつばち

       一37一

がとび去ると、何分かして、たくさんのみつばちが、次々とみつをすい にやってきます。どうして、花畑が分かるのでしょう。

(2)ある学者は、はじめの一びきのみつばちが、すばこに帰って、な かまに教えたのではないかと考えました。そして、次のようにして、み つばちをかんさつしました。

(3)はじめに、すばこから十メートルはなれた所に、花のみつのかわ りに、さとう永を入れたさらをおきました。目じるしをつけた一びきの みつばちが、さとう水をすってすばこに帰ってきました。注意ぶかく見 守っていると、そのみつばちはダンスを始めました。右回りや左回りに、

円をえがくようにダンスをするのです。それが合図になって、なかまの みつばちは、次々にとび出して、さとう水の所へ行きました。

(4)次に、三百メートルはなれた所にさとう水のさらをおいて、同じ ようにかんさつしました。すると、今度も、みつばちはダンスをしまし た。しかし、よく見ると、前とはちがって、8の字を書くようにダンス をするのです。それが合図になって、やっぱりなかまのみつばちは、次

々にさとう水の所へとんで行きました。

(5)この二つのかんさつから、みつばちは、ダンスでえさのある場所 をなかまに教えるのだということが分かりました。

(6)しかし、みつばちは、なぜ、はじめに円のダンスをして、次に8 の字のダンスをしたのでしょうか。

(7)そこで、その学者は、すばことさとう水のきょりをいろいろにか えてみました。すると、みつばちは、だいたい百メートルよりも近い所 にえさがあるときは円のダンスで教え、百メートルよりも遠いときは8 の字ダンスで教えるということがわかりました。

       (教材文中の挿し絵、図は省略)

 森田はこの教材を使った授業で、 「批判的な読みの体験を持たない子 どもたちに、限られた時聞(2時間)で、教材の抱えている問題に触れ        ヨらひ させ、可能な限り、その問題を克服させようと試みた」  のである。以 下ポイントと思われる部分をあげ、考察することにする。

 森田は、 「授業を実現させる上で最も重要なものは、私たちが教材そ        コ り のものをどのように読んだかというそのこと」 であり、 「子どもも、

      フラ 読み手として、私たちと同じ地平にあること」  と考え、教材研究にお いて自らも筆者の工夫を評価する読みをおこなっている。そして、 「二        ら う つの『かんさつ』の構造と問題」 と「重大な欠陥一『方向』について」

 明らかにしている。まず、前者について森田は次のように考察してい

59》

る。

 〔第一の観察〕

すばこから十メートルはなれた所に

(花のみつの代わりに)さとう水を入れたさらをおく

(目じるしをつけた一びきのみつばちがさとう永をすって、すば こに帰り)円のダンスをする

ダンスが合図になって、なかまのみつばちは、次々にさとう水の 所へ行った

〔第二の観察〕

ア 三百メートルはなれた所に イ さとう水のさらをおく ウ 8の字ダンスをする

エ ダンスが合図になって、なかまのみつばちは、次々にさとう水の   所へ行った

 ア〜エは、それぞれに対応している。第一の「かんさつ」を読みと

      一39一