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マクロ経済政策の影響

ドキュメント内 2003 3 (ページ 53-61)

第 2 章   ネパール政府の取組み

2.1. 貧困問題を取り巻く経済環境

2.1.1 マクロ経済政策の影響

(1) 安定化政策と経済自由化

ネパールでは 1960 年以降立憲君主制がとられ、1962 年には王制を強化するパンチャヤ ット制61が敷かれ、40 年にわたる鎖国政策が行われてきた。パンチャヤット制は議会を 構成するものの、国王による政策に異論を唱えることはできず、1980年代初めに拡大成 長路線がとられた際には、財政支出は拡大の一途をたどることになった。このため、1980

61段階的間接選挙による非民主的議会制。国家パンチャヤット(議会)を頂点に 、地域パンチャヤット、郡 パンチャヤット、村パンチャヤットが置かれた。村代議員から郡代議員、郡代議員から地域代議員 、地域 代議員から国家代議員が選出されるという制度であった。また、農民組織、青年組織 、女性組織等からも それぞれのレベルから代議員が選出された。

年代後半から財政赤字が拡大し、マクロ経済は不安定化した。1980年代後半から、財政 健全化を図るためにIMFの構造調整融資を受け、緊縮財政および構造改革による経済安 定化政策を導入した。構造調整政策の結果、1980年代後半には経済成長を達成しつつ、

マクロ経済の安定化が図られ、1989年には11%を超える経済成長を記録した。

しかし、パンチャヤット制に対する国民の不信感が高まる中、インドによるネパールに 対する経済封鎖62により経済情勢が再び悪化し、国民の政府に対する不満が爆発した。

これをきっかけに、1990年に民主化運動が盛り上がり、国王の権限を縮小するとともに、

議会制民主主義および複数政党制に移行した。

政治的な背景とインドとの経済関係の悪化は、ネパール経済にさらなる構造改革の必要 を迫ることになった。安定化政策における構造改革の延長線上として、経済自由化が進 められ、貿易、投資、為替の自由化、金融制度改革、国営企業などが着手された。しか し、民主化以降、ネパールは政治的に混乱し、多数の連立政権が誕生しては分裂してい る。このため、経済政策を含め、政策の一貫性・継続性が保てず、効果を上げられない という状態に陥っている。

財政赤字の対GDP比は1990年代初めには10%を超えていたが、その後8%前後で推移 した。2000年には6%にまで低下したが、2001年には8%に戻っている。ネパールの財 政赤字は、ドナーからの援助や海外借入により補われている。1990 年代初めに比べ、財 政赤字が縮小していることから、GDP に占める海外借入の比率は低下してきている。

1989年には対GDP 比で6%を超えていたが、1990 年代半ばからは4%前後の水準となっ ている。(図 2-1)

安定化政策は成果をあげているものの、マクロ経済成長の基盤はきわめて脆弱である。

1990年代初めから2001年までのGDP の平均実質成長率は年率5%であるが、年ごとに 大きく変動しており、安定的な成長基調にあるとはいえない状況である。要因としては、

主要な経済セクターである農業セクターの不安定性と、民主化以降の政情不安によって 投資環境の改善が進まず、投資リスクが高いため、外国投資を含む長期的な民間投資が 行われにくいことが挙げられる。

1990年代のネパールへの外国直接投資を見てみる。1990 年代半ばまではきわめて低調で あり、年間の外国直接投資額は 600 万ドル前後に止まっていた。1996 年から1997 年に かけては増加の兆しが見られ、それぞれ1,900万ドル、2,000万ドルに上った。しかし、

頻繁な政権交代による政治的混乱に加え、1996年ごろから活発化したマオイスト(毛沢 東主義反政府勢力)63のゲリラ活動により、治安が悪化したことから、再び投資は落ち 込んだ。

マオイストは中西部を中心に勢力を拡大し、武力闘争を行っている。これまでは、政府 の手の及ばない山岳地帯や遠隔地において活発に活動していたが、近年ではカトマンズ を含む、都市部においても勢力を伸ばしている。ネパール政府の発表によれば、2002年 11 月までに約7,000人がマオイストとの抗争において死亡している。また、マオイスト はネパール各地でバンダ(暴力的ゼネスト)を行っており、こうしたことも経済活動を

62インドがネパールとの通商・通過条約の交渉を拒否したため、結果として、内陸国ネパールは貿易ルート を失い、経済封鎖に追い込まれた。詳細は、p.47 (2) インドとの経済関係を参照。

63議会制民主主義と立憲君主制の廃止、共和制の確立等を目指す極左ゲリラ。

停滞させる要因となっている。また、ネパール政府は、マオイスト対策として政府の防 衛予算を拡大しており、このため、経済分野への予算配分が十分に行えなくなっている ことも、1990年後半以降のマクロ経済成長率の伸び悩みの一因となっていると見られて いる。さらに、2001年6月のビレンドラ国王暗殺事件とその後の政治的混乱も、ネパー ルへの投資を冷え込ませる大きな原因となっている。

0.00 2.00 4.00 6.00 8.00 10.00 12.00

1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001

(%)

0.00 2.00 4.00 6.00 8.00 10.00 12.00

(%)

GDP実質成長率 財政赤字 海外借入

〔出所〕ADB, (2002), Key Indicators of Developing Asian and Pacific Countries, pp.282-283より作成

図 2-1 経済成長と財政赤字の推移(対GDP比)

0 5 10 15 20 25

1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998

( 百万ドル)

〔出所〕IfDS, (2001), New Policy Initiatives for Trade and Investment, p.31, Table 3より作成

図 2-2 外国直接投資の推移

この時期のインフレ率の推移を見てみる。1990年代初めには、安定化政策が継続されて いたにもかかわらず、二桁を超える高インフレとなった。これは、インドによる経済封 鎖が行われ、食料品、日用品、エネルギーなどの供給不足に陥り、価格が高騰したこと に起因している。こうしたことに加え、1992年には旱魃から農産物は不作となり、食料 品価格は急騰した。インドとの経済関係が改善されると、1990年代半ばにはインフレ率 は落ち着き、8〜9%台で推移している。インフレの内訳を見ると、食料品価格が非食料 品価格の上昇率より高い水準であった。しかし、1999年以降、食料品価格は下落傾向に あり、食料品価格指数の上昇率はマイナスとなっている。これは、ネパールおよびイン ドにおける米生産が豊作で、米価が低下したことに起因している。他方、非食料価格は 1999年に6%に低下しているが、エネルギー価格上昇の影響から上昇傾向にあり、2001 年には8%超であった。

表 2-1 インフレ率(都市部)の推移(1983/84年度価格=100)

(単位:%)

  1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996

消費者価格  11.5 9.8 21.1 8.8 9.0 7.6 8.1 食料価格  9.6 10.2 24.4 6.5 9.1 7.3 8.9 非食料価格  15.3 9.1 15.0 13.5 8.9 8.1 6.7

〔出所〕ADB, (2002), Key Indicators of Developing Asian and Pacific Countries, pp.284-285より作成

-5.0 0.0 5.0 10.0 15.0 20.0

1997 1998 1999 2000 2001

(%)

消費者価格(都市部)

食料価格 非食料価格

〔出所〕ADB, (2002), Key Indicators of Developing Asian and Pacific Countries, pp.284-285より作成

図 2-3 インフレ率(都市部)の推移(1995/96年度価格=100)

ネパールのインフレ要因としては、国境開放により貿易が完全に自由化されているイン ドからの輸入財価格の影響が大きい。特に、米などを中心とする食料品価格や肥料など の農業セクターにおける投入財は、インドからの輸入に依存している。このため、これ らの輸入財価格の変動により、ネパールの物価上昇率は大きく影響を受けている。イン ドの影響については、詳細を後述する。

ネパールにおけるマクロ経済動向の貧困層へのインパクトは、地理的要因および農村部 と都市部によって大きく異なっている。比較的インフラの整備が進んでおり、市場への アクセスがよいタライ平野部では、輸入財を含め物流が活発であり、貨幣経済による活 動が盛んであることからインフレの影響を受けやすい。また、人口が集中しており、都 市化が進んでいるカトマンズ盆地地域(Kathmandu Valley)においても、マクロ経済動向 の影響が大きい。他方、インフラの整備が進んでおらず、市場へのアクセスが困難な丘 陵部、山岳部、特に遠隔地の貧困率の高い農村は自給自足的な経済であり、マクロ経済 動向そのものの影響は限定的である。しかし、近年では、農村でも現金収入の必要性が 高まっていることから、現金収入を求めて農村からの出稼ぎが増加してきており、今後 は農村においても、より直接的な影響が大きくなる可能性が高い。

また、貿易自由化の貧困層への影響としては、賃金の変動とそれに連動しての所得の変 化が想定される。表 2-2は貿易自由化の賃金および所得への影響を示したものである。

貿易自由化による丘陵部・山岳部の非熟練労働者の所得の低下が最も大きく、マイナス 1.6%の減少が予測されている。非熟練労働者は、基本的に農業セクターの従事者で占め られているが、貿易自由化が換金作物価格の下落を誘発し、その結果非熟練労働者の賃 金を低下させ、所得も減少することが予想される。丘陵部・山岳部の非熟練労働者には 貧困層が多いことから、貿易自由化の影響は貧困層に対して負に作用することが懸念さ れる。

表 2-2 貿易自由化の賃金および所得への影響

非熟練労働者 熟練労働者

賃金の変化率 所得の変化率 賃金の変化率 所得の変化率

都市部 -2.9 -0.7 -2.3 -0.5

タライ平野部 -4.1 -1.4 -2.3 -0.2

丘陵・山岳部 -4.3 -1.6 -2.3 -0.2

〔出所〕Cockburn, J., (2001), Trade Liberalization and Poverty in Nepal: A computable General Equilibrium Macro Simulation Analysis, p.9, Table 2より作成

(2) インドとの経済関係

内陸国ネパールは、国土の東西に渡る長い国境線をインドと接していることから、物理 的にインドの影響を受けやすい状況にある。また、ネパール政府は歴史的にインド政府 の政策の影響を強く受けてきた。特に、インドとの間で締結されている貿易および移動 に関する通商・通過条約64によって、ネパールはインド経済の影響を受けざるを得ない

64最初の条約は、1950年に通商条約として結ばれ、その後、1978 年に通商・通過条約に改正された。1988

〜1990年には一時停止されていたが、再び改正されて現在にいたっている。

ドキュメント内 2003 3 (ページ 53-61)