れる。
善 光 寺 周 辺 の 諏 訪 社 系 の 神 社 は も と よ り、 全 国 各 地 に あ る 諏 訪 神 社 の 総 本 社 で あ る 諏 訪 大 社 の 上 社( 諏 訪 市・ 茅 野 市 ) と 下 社( 下 諏 訪 町 ) で は、 御 射 山 と い う 山 に、 穂 屋( ほ や ) と い う ス ス キ で 屋 根 を 葺 い た 小 屋 を 作 り、 そ こ で 生 活 し て 神 事 を 行 っ た。 現 在 で も 御 射 山 祭 の 日 に、 ス ス キ の 穂 で 作 っ た 神 箸 で 食 事 を す る 習 慣 が あ り、 こ れ は そ の 伝 統 を 踏 ま え た も の で あ る。 武 井 神 社 で は、8 月 26 日 に ス ス キ の 穂 と 箸 が 頒 布 さ れ る。 ス ス キ の 穂 は、 各 々 の 家 の 神 棚 等 に 供 え ら れ、 ス ス キ 箸 で、 翌 朝 の 27 日 に 小 豆 ご 飯 を 食 べ る と、 一 年 中 無 病 息 災 で 過 ご せ る と い わ れ る。 ま た、 子 ど も た ち の 無 事 育 成、 家 内 安 全、 商 売 繁 盛 を 祈 願 す る 祭 礼 で も あ る。 さ ら に、 こ の 祭 り に は、 重 さ 約 2 ト ン と い う 宮 神 輿 も 登 場 す る。 東 町 の 神 輿 は、 問 屋 街 と し て 栄 え て き た 土 地 柄 も 重 な り、 昭 和 40 年(1965) 頃 ま で は、 毎 年、 町 独 自 で 盛 大 に 神 輿 が 担 が れ て き た。 し か し、 そ の 後 は 人 口 減 少 や 住 民 の 高 齢 化 な ど で 担 ぎ 手 が 足 り ず、 神 輿 が 30 年 近 く 蔵 に 眠 っ た ま ま の 状 態 で あ っ た。 し か し、 神 輿 復 活 を 願 う 声 は 年 々 強 ま り、 地 元 以 外 の 諸 団 体 の 応 援 も あ っ て、 平 成 8 年(1996) に 神 輿 が 再 び 復 活 し た。 平 成 23 年(2011) の 御 射 山 祭 は、 地 元 の 氏 子 だ け で も 200 人 の 担 ぎ 手 が 集 ま る ほ ど で、 一 時 の 中 断 は あ る も の の、 現 在 も 熱 気 の あ る 祭 り が 続 けられている。
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