• 検索結果がありません。

集落移転に伴うコミュニティの変容に関する研究 −五島列島のカトリック集落・折島を対象として− [ PDF

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "集落移転に伴うコミュニティの変容に関する研究 −五島列島のカトリック集落・折島を対象として− [ PDF"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)集落移転に伴うコミュニティの変容に関する研究 五島列島のカトリック集落「折島」を対象として. 高地可奈子 1 研究の背景と目的. ቝਭፉ.  五島列島に多く存在するカトリック集落は、近世、. ዊ୯⾐ፉ. 隠れキリシタンの長崎本土からの移住を起源とし、そ. ᛬ ፉ. ᄢᦥ. の中でも明治初期のキリスト教禁制の撤廃後、名乗り. 㕍ᣇ. ਛㅢፉ. 㕍ᣇḧ. ᛬ፉ. 出てカトリックとなった集落である。それらは隔絶性. 写真 1 耕地の展開. ᵿ䊉ᶆ. ⧯᧻ፉ. の高い所に立地し、斜面に段々畑をもつ独特の村落景. ᄹ⇐ፉ. 教会 ↓. ਭ⾐ፉ. 観を創り出している。本研究の対象地であるカトリッ ク集落『折島』は、五島列島中通島の西方に浮かぶ島. ⑔ᳯፉ. であり、1976年に中通島青方の町営住宅『折島団地』へ. 0. の集団移転を機に、150 余年の歴史を閉じた集落であ 図 1 五島列島の中の折島. る(図 1)。. 写真 2 教会のある島の風景.  本研究の目的は、移転により失われた折島集落の空 間、コミュニティの復元、集落移転の経緯の検証と、移. (. ;. ;. 転後から現在に至るまでの団地における生活空間の実 態を明らかにすることによって、折島のコミュニティ. * -. /. 及びその変容について考察することである。その際、. ,. 生活レベルの事象に視点をおき、一社会現象としての 図 2 折島・血族による所有の状態. 集落移転の持った意味を問うこととする。尚、本研究 は、2001 年 10 月から 2002 年 11 月にかけて行った現地. を示し、更に血縁関係によって塗り分けた図である。こ. 実測やヒアリング調査に基づくものである。. の図から、土地はかなり細分化されているが、実は血族. 2 折島集落の概要. による領域が形成されていることが判る。また、集落形. 2-1 折島集落の空間構成. 成初期段階にみられた、一人の土地所有者が宅地、畑、.  折島は、東西 400m 南北 1km 面積 0.32k ㎡の島で、南. 山という全ての構成要素を持つことによる領域的な完. 北に並ぶ 2 つの山で構成されている(図 3)。最初に居. 結性は、時代が下り、世代交代が進むにつれて崩れて. 付いたのは 4,5 軒といわれ、人々は険しい地形を開墾. いった。つまり、折島集落は集落域が島の大きさで限定. して畑を作り、集落を形成してきた。しかし、当初折. されるため、当初行われていたような土地の均分相続. 島は浜ノ浦の地主のものであったので、1880 年に住民. は継続できなかったといえる。その際、特に生活に関わ. 13名が共同で買い上げた。島の人口は最大の1960年で. る畑のみが相続の対象となったため、畑は細分化が進. 230 名、移転時の 1976 年には世帯数は 23 戸、人口 112. み、時には個人が飛び地的に所有することもあった。. 名であった。.  教会は、島の中央に位置し、山道を登り詰めたところ.  折島は、西側が海からの強風に晒されるため、家や. の尾根に建っているため、島のどこからでも見え、折島. 畑は島の東側に混在している。居付き当初、家々は距. の象徴的な空間を創り出している(写真 2)。. 離をもって散在していたが、世代の移り変わりの際に. 2-2 折島集落の生活. 起きるイエワカレ(隠居分家慣行など)により、小さ.  島の生活に船は欠かせな. なイエ群が出来ていった。島には、南北に延びるミチ. いものであった。折島教会. が東海岸沿いにあり、このミチから各家までは細い山. では月に 1,2 回神父が折島. 道がつながっていた。. にやってくる時だけしかミ.  図 2 は 1965 年頃の地籍集成図より、土地所有の境界. サが行われなかったので、. 10-1. 写真 3 郷の伝馬船.

(2) 写真 4 折島教会. 毎日曜には近くの大曽教会まで皆. むとーて」船から落ちてしまったというエピソードも. で伝馬船を漕いで行っていた。買. ある。漁で捕った魚は、自分たちの食料にしたり、漁. い物に行く時は伝馬船を相乗りし. 協や仲買業者に売ったりして生計を立てていた。1960. ていた。小中学生は渡海船で通学. 年代からは現金収入を求めて多くの人が巻き網船に乗. し、学校から帰ると伝馬船で釣に. るようになった。巻き網船に乗ると 3 年で家が建てら. 出たりもした。. れたと言われる時代で、折島では、中学卒業後、高校.  信仰活動は生活に密着してお. に進学する人はおらず、 「迷わず巻き網船に乗った」と. り、子どもは毎日のように教会横. いう人が多い。また、高度成長期には、特に女性が集. の稽古部屋で公教要理の勉強をしていた。また、2度目. 団就職で地方都市に出ていった。. の折島教会建設の際には、住民全員によるキビナ漁で.  男性が漁業で現金収入を得る一方で、女性は自給の. その建設費を賄ったということからは、信仰活動を介. ための農業をしていた。稲作が困難な土地のため、畑. した住民の結束性をうかがわせる。. でイモや麦、野菜を作っていた。食べ物は、これらの.  折島は、慢性的な水不足による苦労が絶えなかった。. 農作物や海で捕ってきた魚介類ばかりであった。. 島の主なミチ沿いには、水源である 5 つのカワ(湧水).  折島の生活は、食べ物が特別豊富にあるわけでもな. があった。水汲みの時には山がちなミチを何度も往復. く、苦労も多かったが、 「いい生活だった」という人が. しなければならず、夜中の作業になることも多かった. 多い。 「折島は不便だったけどそれが日常だったから」. ため大変な重労働であった。また、他集落から船で運. というある住民の言葉は、特に印象的であった。あら. んでくることもあった。水道は 1967 年に漸く完成し. ゆることが、直接生きていくことにつながる生活で、. た。電気やガスに関しても折島は中通島本島よりもそ. 他に選択肢があるわけでもなかったが、そこには何に. の普及が遅く、長い間、薪や灯油の生活をしており、子. も縛られることのない自由があったのではなかろうか。. どもも一生懸命手伝いをした。 「風呂の水汲んだり手伝. 「海に囲まれているから視界が広かった。空気もきれい. いしてたし、ジミという灯りは暗くて勉強も出来な. で別天地みたいな感じだっ. かった」と、ある住民は子ども時代を振り返った。. た」という言葉からは、折.  折島近海はかつてから好漁場で、戦後直後までは盛. 島集落が他集落とは海を隔. んに漁が行われていた。中学生は、天気の良い日には. てたところで、魅力ある共. 学校を休んで親の手伝いをしていたという。夜は遅く. 同体を形成していたことを. まで餌の準備をして、朝は早くから漁に出るので、 「ね. 読みとることが出来る。. 写真 5 浜. ධ⷏䈎䉌㘑䈏็䈒 ጤო䈏ု⋥䈮䈭䈦䈩䈇䉎䈎䉌ᶏᐩ䈮 ᳓䈏ᵹ䉏಴䈘䈝䇮੗ᚭ䈮᳓䈏䈢䉁䉎 ᶏ. ጤო. ጤ ო. 䇸ዊቇᩞ䈱ᐢ႐䉇ᢎળ䈱๟䉍 㵘䈪ㆆ䉖䈪䈇䈢䇯䇹. ᶏ. 䇸ᢎળ䈱వ䈎䉌ਅ䈏䈦䈩 㵘ᶏጯ䈮䈢䈬䉍⌕䈐䉋䈦䈢䉋䇯䇹. ߦ ⴕ ߊ ㆏. 䈖䈖䈱ᵿ䈲䉂䉖䈭䈪૶䈦䈩䈇䈢. ੗ᚭ᳓. ᢎળ ⧎䈲ጊ䈪៰䉖䈪䈇䈔䈩䈇䈢䇯. ᚢ੎ਛ䈲ጊ䉕ಾ䉍㐿䈇䈩⇌䈮䈚䈩䈇䈢䇯 ᤘ๺㪊㪇ᐕ㗃䈏⇌䈏৻⇟ᐢ䈒ዷ㐿䈚䈩䈇䈢䇯. 䇸ጊ䈮⒁ኒၮ࿾䉕૞䈦䈢䉍䇮 㵘ᧁ䈱ታ䉕ណ䈦䈢䉍䈚䈩ㆆ䉖䈪䈇䈢䇯䇹 䇸䊃䉾䊌䊅䈱䉫䊤䊮䊄䈮⦼↢䉕Ⓧ䉖䈪 㪏㪇㫄૏䈱䊃䊤䉾䉪䉕૞䈦䈢䇯䉂䉖䈭䈏 㓸䉁䈦䈩ㆇേળ䈭䉖䈎䈚䈢䇯䇹. ጼ䉕⿧䈚䈢䈫䈖䉐䈮⇌䈏䈅䉍䇮 䉟䊝䇮㤈䉕૞䈦䈩䈇䈢䇯. ዊቇᩞ. ⿠ફߩỗߒ޿㆏. ࠞࡢ. 䮏䮥䮕䭭䮈. 䇸ㄘ⠹↪䈮‐䈲㪉㪃㪊㗡䈇䈢䇯 㵘ሶ䈬䉅䈱㗃䈲‐䉕⷗䈢䉌ㅏ䈕䉋䈦䈢䇯䇹 ࠞࡢ. ᷰᶏ⦁䈏䈫䉁䈦䈩䈇䈢 䈫䈖䉐. ߩ ߷ ࠅ ߩ ࡒ ࠴. 䊚䉼 ⍹䈏䈗䉐䈗䉐䈚䈩䈇䈩ᱠ䈐䈮䈒䈇䉅䈱䈣䈦䈢䇯 ጊ䈲㔎䈏㒠䉎䈫㆏䈏Ꮉ䈱䉋䈉䈮䈭䈦䈩䈇䈢䇯. 䉇䈓䉌䈱਄䈪䈗㘵㘩䈼䈩䈇䈢䉌䇮 䉇䈓䉌䈱ᧁ䈏უ䉏䈩ਅ䈮⪭䈤䈢䇯 ࠞࡢ. Ⴤ. ⫋ᑼ䈱ᤨ䇮⧯䈇↵䈱ੱ䈏䈇䈭䈇 ႐ว䈲䇮ᅚ䈱ੱ䉅ᜂ䈇䈪䈇䈢䇯 䇸ầ䈏ḩ䈤䈢䈫䈐䈮䈲䇮ᶏ䈮㘧䈶ㄟ䉖䈣䉍 㵘䈚䈩ㆆ䈶䉋䈦䈢䇯㊁⃿䈚䈩䊗䊷䊦䈏ᶏ䈮 㵘⪭䈤䈢䉌ข䉍䈮౉䈦䈢䉍䇯䇹㵘. ࠞࡢ. ࠪࡕࡁࡂ࠽. 折島の地形. 䈖䈖䈱䉦䊪䈲ፉ䈱┵䈪ኅ䈎䉌㆙䈎䈦䈢䇯 ᄛ䈪䈭䈇䈫᳓䈏䈅䈢䉌䈭䈇䈎䉌䇮 ኢ䈝䈮᳹䉂䈮ⴕ䈦䈩䈇䈢䇯 䇸ῳ䈱ᚻવ䈇䈪䇮ᦺᣧ䈒䈎䉌Ṫ䈮಴䈩䈇䈢䇯 㵘৻ᐲ䇮ᰊ䉕䈖䈑䈭䈏䉌⌁䈦䈩䈚䉁䈦䈩䇮 㵘ᶏ䈱ਛ䈮䈬䈿䊷䉖䈫⪭䈤䈢䈖䈫䈏䈅䉎䇯 㵘䈬䈖䉁䈪䉅ᴉ䉖䈪䈇䈦䈢䇯䇹. 䈖䈖䈱᳓䈲䈫䈩䉅䈐䉏䈇䈣䈦䈢䇯 䈠䈚䈩䈍䈇䈚䈎䈦䈢䇯 㘶䉂᳓䈫䈚䈩૶䈦䈩䈇䈢䇯 䮂䮺䭿䮮䭭䭿䭴 ࠞࡢ. ᧲ะ䈐䈲ᣣᒰ䈢䉍䈏䉋䈒䇮䈶䉒䇮᪸䇮 ᩑ䇮䉂䈎䉖䇮᪢䈭䈬䉕ᬀ䈋䈩䈇䈢䇯. ࠻࠶ࡄ࠽. ᐔࠄߥࡒ࠴. ⍾ᵿ 䇸ኅ䈱೨䈪ᵒ䈇䈪䈇䈢䇯 䉨䊎䊅䈲䈖䈖䈱ᵿ 㵘ኅ䈱ਛ䈎䉌ᄢ䈐䈭䉼䊉䉕 䈪ᒁ䈐਄䈕䉎 㵘㊒䈦䈢䉍䈚䈩䈇䈢䇯䊔䊤䉇 㵘䉝䊤䉦䊑䉕㊒䈦䈩᥵䉌䈚䈩䈇䈢䇯䇹. ࠞࡒࡁࡂ࠽ 䉦䊚䊉䊊䊅䈲ᄐ䈱ᶏ᳓ᶎ႐ ⍾ᵿ䈫ਣ䈇⍹䈏䉮䊨䉮䊨䈅䈦䈢䇯 ፉ䈲䈵䉊䈉䈢䉖ፉ䉂䈢䈇䈪ኅ䈎䉌 ᄖ䉕⌑䉄䉎䈫ᶏ䈏⷗䈋䈩䈩䉁䉎䈪 ⦁䈮ਸ਼䈦䈩䈇䉎䉂䈢䈇䈣䈦䈢䇯. ⇌. ࠠࡆ࠽ߩ⟲ࠇ. ኅ ᄛ䇮⷗᥍䉌䈚䈱⦟䈇䈫䈖䉐䈮䈅䉎 䉇䈓䉌䈱਄䈎䉌䉨䊎䊅䈱⟲䉏䈏䈒 䉎䈱䉕⷗ᒛ䈦䈩䈇䈢䇯. ࡒ࠴ . . O. 0. 図 3 折島の生活空間. 10-2.

(3) 3 折島集落移転の経緯 3-1 背景 石油備蓄基地 ↓.  移転の 10 年程前から折島の人口は急減し、人の通ら. 折島 ↓. ないミチや畑は荒れ始めていた。若い男性のほとんど は巻き網船に乗っているため普段は家を空けているこ 写真 6  青方湾に浮かぶ石油備蓄基地と折島. とが多い上に、島には老人が多かったため、急病人が. 写真 7 折島(左)石油備蓄基地 (右). 出た時などはその対応が大変だった。また、1966 年に 折島分校は廃校となり、子どもは船で通学しなければ. 権放棄の問題ではなく折島土地買収問題であった。. ならなくなった。そんな状況で、1970 年『過疎地域対.  移転時と同様、土地買収の際にも住民の間で意見は. 策緊急措置法』が制定されたことにより、過疎化が進. 割れ、国や役場、事業者との交渉は難航した。 「先祖の. む折島に移転の話が浮上した。. 苦労の血が流れとる貴重な島。町は島の人の気持ちを. 3-2 話し合いから移転実行まで. 分かってなか」という反対者。 「基地が出来ても折島が.  移転の話し合いは、移転の4,5年前から始まった。移. 消える訳でもなか」という賛成者。移転時にも土地買. 転の話を持ちかけたのは小学校の先生であったが、移. 収の話はあったがその時は住民の反対で流れている。. 転を希望する住民が申し出たことによって町との交渉. 国が提示した土地の値段は移転時のそれとは比較にな. が始まった。話し合いは月に 1 度、巻き網船漁師が島. らないほど上がっていた。この計画は移転後に浮上し. に戻って来る月夜間に行われ、決定までに何十回と繰. たものであるが、 「町は基地建設のために住民を騙して. り返された。移転に対する意見は、人によって様々で. 移転させた」と思っている人も多い。結局全ての土地. あったが、特に世代ごとに意見が分かれた。老人の中. を買収することにはならなかったが、1988 年、石油備. で初めから賛成した人はおらず、移転に賛成する若い. 蓄基地は完成となった。. 人はそれぞれの親を説得したという。最終的には多数. 4 移転後・折島団地での生活. 決で移転が可決された。. 4-1 折島団地初期計画.  移転の理由としては、慢性的な水不足に悩まされて.  折島団地は、中通島青方の中心地近くの山の斜面を. いたこと、子どもの教育と将来のことを考慮したこと、. 切り開いた所にある。団地の規模は折島集落と比べて. 急病人を運べる人がいなかったことなどが挙げられる。. とても小さく、図 4 からは島に点在していた家々が団. これらの理由で積極的に移転に賛成した人もいるが、. 地では 1 カ所に集められている様子が判る。自らの手. 中には、国の事業なので反対しても無駄だと判断し、. で山や畑を整地し石垣を積んで作り上げた折島の宅地. 消極的に賛成という形をとった人もいる。ずっと反対. とは違い、団地は人工的に切り開かれた、殺風景な宅. していた人も、村八分にされたら嫌だからと最終的に. 地である。家族の人数によって 4 つの住宅タイプのい. は承諾の判を押した。町の立場としては、このまま島. ずれかが割り当てられ、場所はくじ引きによって決め. に人が住み続けることになるとインフラ整備にコスト. られた。折島では血族によるまとまった領域の中で生. がかかるが、移転であればお金もかかるが国から補助. 活していたが、団地ではそのような現実とは無関係に. 金が出るということが、移転推進の理由であったと考. 家の場所が決められようとしていた。そこで住民は、. えられる。五島はこの時期、折島の他に少なくとも5つ. くじ引きの後に親子・兄弟が隣同士になるように同じ. の集落移転が行われている。折島は、移転が決定した. 住宅タイプの人同士で場所の交換をした。また、住宅. 1 年半後の 1976 年 3 月末に移転が行われた。. は 12 年後に払い下げられる契約であった。. 3-3  「上五島洋上石油備蓄基地」の建設. 4-2 住空間の変容.  折島集落の移転が行われたわずか 1 年後、折島沖に.  住宅は移転当初全 23 戸で、現在は新たに住宅 3 軒と. 石油備蓄基地を建設するという計画が浮上した。建設. 集会所が加わっている(図 5)。移転から四半世紀経っ. の為には、青方湾の漁業権に加えて折島の土地所有権. た今、折島団地は住民の手が加わって生活感あふれる. が必要であったため、折島住民はこのとき折島の土地. 環境になっている。敷地境界には塀がなかった為、住. を手放すことを要請された。漁業権放棄とその補償金. 民自身が塀を作った。その際、近い血縁関係にある. 額をめぐって、上五島の漁民は開発側と 5 年の歳月を. 家々の間には設けず、それぞれの血縁領域を囲むよう. かけて闘い新聞を賑わした。この時、同じ上五島町の. に作った。また、約半分の家が庭に畑を作ったり増築. 漁民である折島団地の住民が関心を向けたのは、漁業. をしたりしている。これらの増築は、払い下げられる. 10-3.

(4) 前に町から許可をもらって行われたものが多い。増築 の主な理由としては、子どもの成長で家が手狭になっ た、また、子どもが結婚して親が隠居するためという のが挙げられる。団地の限られた敷地内においても、 島で行われていた隠居分家慣行が引き継がれた。 4-3 折島団地の生活  「団地での生活は楽ではあるけど、お金なしでは通ら ない」。団地での生活は、水にも病院にも困ることがな. . . O. 0. い。学校へは徒歩や自転車で行けるようになった。食. 図 4 同スケールの折島と折島団地. べ物も何でもお金を出せば買える。この便利な生活は、. 跳びをして遊んでいる。折島の子どもが折島でしか出. 自給自足の現金がいらない折島での生活とは正反対で. 来ない遊び、経験をしていたことに比べて、団地で遊. ある。徒歩で行ける最寄りの教会では毎週ミサが行わ. ぶ子どもの姿は日本のどこででも見かける光景である。. れる。その教会は折島住民だけの教会ではないため、. 5 まとめ. 教会を通して住民のコミュニティ範囲は広がったが、.  かつて折島集落で、人々は信仰を中心とした結束あ. それは自らが主体的に構成すべきものではなく、既に. るコミュニティの中で生きていた。島と団地では、環. あるものに参加すれば成り立つものに変わった。折島. 境が大きく変化し暮らしも変わったが、島を懐かしむ. では結婚式の時は島中の人が集まり、年始は全戸を. 住民にとっても、どちらの生活が良いかどうかを測る. 廻って挨拶したりしていたが、団地では結婚式も親戚. ことは難しいことであった。今、人の住まなくなった. だけで行い年始の挨拶回りもしなくなった。皆が助け. 折島は山と化し、30年前とは全く違う姿となっている。. 合わなければ生活できなかった折島にみられた結束性. 折島に存在していた生活共同体も、もはや過去のもの. は、個人で何でもできる団地では薄れていったといえ. となった。社会の変化が環境を変え、環境は社会とと. る。また、閉ざされた孤島の世界から、既に出来上がっ. もに人々の暮らしに影響を与え、一方で人々のあり方. ているまちの一角への住環境の変化は、住民の集団意. が社会と環境を動かしていくという事を、折島集落移. 識に何らかの影響を与えたに違いない。. 転という一つの出来事は、端的に物語っている。.  巻き網船漁業をしていた男性は、移転によって職を.  折島団地住民は、移転という特殊な経験をしたこと. 変えることはなかった。一方、女性の日常の仕事で. により、これまで無意識のうちに営んでいた折島での. あった農作業は、畑を失ったために継続できなくなっ. 生活を改めて見つめる機会を得たと考えられる。折島. た。しかし移転後まもなく、住民は団地そばの荒れて. 住民が移転により得たものは、日本のどこにでも見ら. いた土地を無償で借り、自ら開墾して再び畑を獲得し. れる平均的な生活だったといえるが、今、住民はそれ. た。今は生活のためというより趣味としての農作業は. ぞれの記憶する折島で築いてきた歴史に基づいて、自. 住民同士のコミュニケーションに役立っている。. 分たちの生き方、あるべき姿を定義し、それを継承し.  就学前の子どもは団地の道路で自転車に乗ったり縄. ようとしている。.  ↓既存住宅. ↓増築 新たに加わった 家. 11 9 8. 写真 8 玄関も構えられた増築 写真 9 庭先の櫓に干すカンコロ. 集 会 所. 住民が開墾した畑. 写真 10 畑で作業する人々. 10. 写真 11 団地の道で遊ぶ子ども 図 5 現在の折島団地. 10-4.

(5)

参照

関連したドキュメント

それぞれの絵についてたずねる。手伝ってやったり,時には手伝わないでも,"子どもが正

わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから

この条約において領有権が不明確 になってしまったのは、北海道の北

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

あれば、その逸脱に対しては N400 が惹起され、 ELAN や P600 は惹起しないと 考えられる。もし、シカの認可処理に統語的処理と意味的処理の両方が関わっ

□一時保護の利用が年間延べ 50 日以上の施設 (53.6%). □一時保護の利用が年間延べ 400 日以上の施設

原田マハの小説「生きるぼくら」