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長浜市歴史的風致維持向上計画 ~ 奥琵琶湖に暮らす人々の知恵 ~ 琵琶湖と人々のかかわりは 古くは 1 万年前にあたる縄文時代から確認でき それ以来 人々は琵琶湖とともに生活してきた 中世には供御人として漁を行ってきた菅浦の人々をはじめ 琵琶湖岸の集落では 水田を営みながら漁を行うという 半農半漁を

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~奥琵琶湖に暮らす人々の知恵~ 琵琶湖と人々のかかわりは、古くは 1 万年前にあたる縄文時代から確認でき、それ以来、 人々は琵琶湖とともに生活してきた。中世には供御人として漁を行ってきた菅浦の人々を はじめ、琵琶湖岸の集落では、水田を営みながら漁を行うという、半農半漁を基本とした生 活様式が弥生時代から根付き、現在でも、企業で働くかたわら漁を行う人もおり、獲った魚 はその日の食卓にあがっている。 奥琵琶湖一帯における代表的な漁法としてオ イサデ漁があり、明治以降大正にかけて普及して いったとされる。オイサデ漁は、コアユが烏を恐 れる習性を利用した漁法であり、竿の先に烏の羽 をつけ、羽が湖面を滑るように走らせ、コアユが 驚いて一方向に進むところを待ち構えて網です くい取るものである。早い年で 2 月末、通常は 3 ~6 月に行われる。この漁は、岸辺で行うため、 岸辺がある程度開けている必要があり、奥琵琶湖 一帯の湖岸線ではこのような場所が多いため、盛 んに行われている。この他にもエリ漁など様々な 漁法を活用して現在も漁が行われており、平成 24 年(2012)3 月時点で西浅井漁業協同組合では、 正規組合員 31 人、準組合員 34 人が活動してい る。 また菅浦集落と同様に奥琵琶湖一帯の集落で は、琵琶湖岸沿いや集落内の生活道路などに、1~ 3m程度の石垣が設けられているところがある。 湖北東尾上町においても、明治 9 年(1876)に作成された「浅井郡第十区東尾上村地位等級 取調絵図」に石垣が描かれており、その一部が現存している。 これらの石垣は、古くは琵琶湖の波によって家屋や道路が被害を受けたため、波風除けと して家屋の周囲に設けられたものである。湖岸沿いの石垣は、かつてそこが汀線であったこ とを示しており、家屋の前には、水が入ってくるのを防ぐため、堰板をはめ込んでいた設備 が残っているところもある。特に菅浦集落では、湖岸の石垣と同様に、集落内を山側から流 れる深い水路にも石を積み、水路に「イド」と呼ばれる水溜を設け、現在も生活用水として 利用している。また、土地も限られていることから、石垣によってできた平坦な土地も畑と して利用しているところも見られる。 奥琵琶湖一帯の集落では、古来より琵琶湖とともに暮らしており、今も残る石垣がその歴 史を物語っている。中でも菅浦は、険しい山々と琵琶湖に囲まれた環境の中で、住民全員で 自治を支える体制を確立させた。静寂が漂う集落の中で、四足門が存在感を示すなど、惣村 の名残が人々の暮らしの中に今も静かに息づいている。 【菅浦の湖岸線】 【オイサデ漁(年未詳)】個人蔵

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写真【浅井郡第十区東尾上村地位等級取調絵図(明治 9 年)】長浜市蔵

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[7]地域の民俗行事にみる歴史的風致 [7]-①オコナイにみる歴史的風致 滋賀県湖北地方の民俗行事の中で、最も特徴的なものはオコナイである。オコナイは、村 内の豊作と安全を祈願し、1 月から 3 月にかけて繰り広げられる年頭行事である。同様の行 事は西日本で広範囲に執り行われているが、これほど高密度にオコナイ行事が村々で営ま れている地域は、滋賀県、とりわけ湖北地方をおいてほかにない。 オコナイの由来は明らかではないが、オコナイという言葉の初見は平安時代に遡る。「今 昔物語」の巻第十九「以仏物餅造酒見蛇語第二一」に、村々のオコナイの様子が記されてい る。「比叡山で修行した僧が、生まれ故郷の摂津の国に帰り、妻を娶って仏事を執り行って いた。僧はいろいろな法要に呼ばれていたが、特に正月のはじめの修正会し ゅ し ょ う えには必ず導師にな って行い(オコナイ)の餅を多く貰っていた」とある。このことから、当時、国家鎮護、万 民快楽け ら く、五穀豊穣を願う国家行事として正月に行われていた修正会が、湖北地方にも伝わっ て村々に定着し、今日まで伝わるものと推察されている。 行事のあらましは、御鏡餅をつくって神仏に供え、直会をし、トウヤ(当屋、頭屋)と呼 ばれる村の代表者がオコナイの祭祀権を次のトウヤへ渡すというものである。ところがこ れに付随する要素は種々雑多である。御鏡といっても 1 俵を超す巨大なもの、四角いものな どさまざまあり、つくりものに至っては、欅や柳の枝に餅を巻いたマユダマや、蛇じ ゃと呼ばれ る巨大な注連縄、放射状にのびる竹串に月や星の切り餅を飾り付ける供物など、多彩である。 時代の変遷とともに簡略化されながらも、古式どおりの例祭が今も粛々と執り行われてい る。 姉川沿いの農村部に位置する川道町のオコナイ は、湖北最大のオコナイであり、古式を重んじた 厳格なしきたりを今に伝えている。その中心にあ る川道神社は、社殿によると和銅年間(708~715) に河内忌寸が近江守となってこの地を治めたとき に社殿を造営したのが創祀とされている。明治 3 年(1870)に 2 社が合祀されて川道神社と改称し、 昭和 2 年(1927)に郷社に昇格している。 川道町は約 300 戸の所帯で構成され、オコナイ には 30~50 戸で構成される 7 組の「村」が参加 し、藁仕事から道具を片付けるまでの約 1 週間の 間に、さまざまな準備と儀式を繰り返す。中心的 な役割を担う当屋は 2 軒 1 組であたり、一方は御 鏡つき、宵宮よ い み や、本膳などを行い、他方はこれを補 助する。川道町では、男子は 16 歳になると「村入 り」し、それと同時に父親は村から引退する。オコ 【川道町の町並み】

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ナイは村入りしている男子のうち、16 歳から 35 歳までの若衆が仕事にあたり、年長者が最古参の 年番として若衆を束ね、指示を出す。この御鏡つ きや宵宮は村によって異なるが、一連の流れはほ ぼ同じである。若衆は今年の役割を確認すると無 言のうちに手際よく段取りにかかる。 御鏡つきは一俵の糯米を用い、手間を要する独 特の御鏡つきによりつくられる。できあがった御 鏡はきめが細かく、表面はろくろをかけたかのよ うに、うっすら丸みを帯び、格別の存在感がある。 前夜祭にあたる宵宮では、御鏡を載せる神輿の 準備が行われ、夜 9 時になるとこれを神社に供え る献鏡の儀式が厳かに始まる。提灯や御幣で飾り つけた神輿の中に、注連縄をつけ紐でくくった鏡 餅が納められる。若衆は清めの酒を含み、カンバ ンというオコナイの半纏に着替え、裸足に通常の 半分の草鞋をはき、豊作を祈願した「エーモト、 ホーホーヨー、ソーラエ」の掛け声とともに、吹 雪の中でも神輿をかついで神社に向かう。 翌朝 10 時には本膳が始まり、紋付き袴の人々が 集まり神事が執り行われた後、年寄り衆が中心と なって直会が始まる。川道は古くから稲作ととも に養蚕が盛んであり、今も蔵のある立派な家並み が残っている。年寄り衆が中心となり、屏風を設 えた座敷の中で当屋の宴が催される。 夕方には、若衆が三々五々、御鏡を下げにやっ てくる。太鼓をたたき、歌いながら、決められた 道を通って当屋宅へ向かい、各村々へと戻され、 人数で均等に分けそれぞれが持ち帰り、ありがた くいただく。 また、木之本町杉野のオコナイは、杉野中薬師 堂で行われる。薬師堂は 16 世紀後期の建築である と考えられており、一般的な仏堂とは趣が異なる。 切妻造、妻入で、奥行きが長く、身舎と庇から構 成される古代以来の二面形式の仏堂であり、滋賀 県の地域性を帯びた建築物であるとともに、オコ ナイの場にもなっていることから価値が高く、滋 賀県有形文化財の指定を受けている。 【御鏡つき】 【宵宮での献鏡の儀】 【川道神社に供えられた 7 つの御鏡】 【杉野中薬師堂】

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昔から「オコナイがすまなければ湖北に春が来ない」と言われており、古式を今に伝える 大切な春の神事・オコナイは、地域の人々によって長く守り伝えられた“生”への営みの結 晶であり、今なお、厳しい冬を乗り越え、芽吹きの春へと向かう村々の風景と一体となって 伝わっている。 図 川道町におけるオコナイ(平成 20 年、西村の献鏡・神輿の順路) 姉川 川道神社 当屋宅 中村 川原村 下村 東庄司村 藤之木村 東村 西村 大門橋 献鏡・神輿の順路

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[7]-②地蔵盆にみる歴史的風致 長浜市の民俗行事の中で、全市的に行われているものに夏の地蔵盆がある。地蔵盆は、地 蔵菩薩の縁日である 8 月 23 日・24 日を中心に、各町内に安置されている主に石造地蔵菩薩 に灯明をつけ、供え物をあげて祀る子ども中心の行事である。近畿地方を中心に広く行われ ているが、長浜市内には特に高密度に地蔵堂が分布し、古くから人々に親しまれてきた。 地蔵尊は、六道の衆生の救済、特に地獄におちた人々の救済の仏として、平安時代末期か ら京都を中心に信仰され、次第に各地へ広がり、長浜にも伝わったと考えられている。地蔵 尊は村へ入ってくる悪霊を取り除く道祖神信仰と結びつき、村の入口や路傍、辻などに祀ら れることが多い。その多くには地蔵堂が設けられ、中には基壇まで設けられているものもあ り、いかに地域の人々に大切にされてきたかをうかがうことができる。地蔵尊は子どもの成 長を守る仏として庶民の信仰の対象となり、その地蔵信仰と亡くなった人々を追善供養す る盆行事が習合して地蔵盆が成立したと考えられている。 図 市内中心部における地蔵堂の分布状況(平成 13 年長浜市調査)

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長濱八幡宮の南に位置する「田たの中な か延命地蔵尊」 は、今から約 150 年前の江戸時代後期から「八幡 の地蔵さん」として人々の信仰を集めてきた。地 蔵堂内部には、銅製の古いおみくじ筒が残されて おり、その側面には「奉納木村氏・安政四己年二 月吉日」(1857 年)と刻まれている。明治 11 年 (1878)に建てられた現在の地蔵堂には、水田か ら掘り出されたという地蔵尊が祀られており、紅 提灯や古い絵馬、奉納額が飾られ、四代目となる 堂ど う主も りにより、いつも綺麗な花や水、線香が供えら れている。 各町で行われる地蔵盆は、子どもたちが主役で あり、自分たちで計画を立てて実行し、これを地 域の大人たちが見守る。まず、地蔵や地蔵堂をき れいに洗い清め、新しい前掛けを着せ、地蔵堂の 周囲は提灯や行灯で飾り付けを行い、さらに各戸 を回ってお賽銭やお供え物を集める。地蔵は子ど もたち自身による読経で供養された後、お供え物 のスイカや菓子類が振る舞われ、夜になると肝試 しや花火を楽しむ。 このように、子どもたち自身の手で運営される 地蔵盆は、子どもたちが集団生活に必要な社会性 や協調性、リーダーシップ、生気に満ちた創造性 を自然な形で身につけることができる貴重な機会 になっている。また、年 1 回の縁日に多世代の住 民が集うことで、地域社会の重要なコミュニケー ションの場にもなっている。 地蔵盆が行われる頃には、うるさかった蝉の声がいつの間にか消えつつあり、空には秋の 気配が漂いはじめる。ほほえみを浮かべる路傍の石仏地蔵尊は、子どもたちに楽しい夏の思 い出を与えると同時に、夏の終わりが近づいたという一抹の淋しさを感じさせる。 【田の中延命地蔵尊(高田町)】 【地蔵盆で飾り付けされた町並み】 【地蔵盆の様子】

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[7] -③野神信仰にみる歴史的風致 野神は、滋賀県をはじめ、奈良県や大阪府など、 近畿地方に多く分布する稲作の守護神の一つであ り、五穀豊穣を祈願する神として祀られている。滋 賀県内では稲作だけでなく畑作物を含めた農作物 の神様と考えられており、県内の野神の風習は湖 南・湖東・湖北地方に残っている。特に湖北地方の 高月地域や木之本地域では、大きな行事の一つとし て脈々と受け継がれており、その依り代は、ケヤキ やスギなどの巨木や老木であることが多く、「野神 さん」と呼ばれ、これまで人々に大切にされ、何百 年という歴史を刻んできた。江戸中期の集落の記録 に、「野神」についての記録が見られることから、そ れ以前から信仰されていたことが分かる。 野神がある位置は、集落の入口や他集落との郷 境、歴史的意義のある場所、用水の分岐点など、村 にとって重要な場所であることが多く、高月町高月 の野神塚は百余年前、前田俊蔵が旱ばつから村を救 おうとこの場所で自刃した場所であり、高月町唐川のスギは、昔からこの地域が水害に悩ま されていたことから、それを治めるために観音像を沈め、その目印として植えられたとされ る。 渡辺大記「野神に見る、人間と自然との共生の形態」(2007)によると、高月地域の野神 の依り代の種類としては、樹木が 16 集落、塚が 6 集落、石碑が 4 集落、祠が 1 集落、自然 石が 1 集落であった。樹木では、スギが最も多く 9 集落、次いでケヤキが 5 集落、サクラと サカキが各 1 集落であった。 図 高月地域の野神とその分布 (野神に見る、人間と自然との共生の形態 平成 19 年) 【高月町柏原の大ケヤキ】 【木之本町黒田のアカガシ】

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野神がある集落では祭事として野神祭を行うところが多く、湖北地方では毎年 8 月前後 に行われる。この時期は、稲の出穂期にあたり、農家にとっては用水期であり、病害虫や風 水害の被害が懸念される時期でもある。このため、 稲の害虫を追い払う火祭りである虫送りや、雨乞 いやその返礼のためと思われる太鼓踊り、相撲な どを行うなど、野神祭の内容は集落によって様々 である。 また、太鼓踊りは野神祭に限らず湖北地方の多 くの地で行われており、その由来としては雨乞い とその御礼、お盆の精霊迎えや豊年祈願、山神迎 えを目的としているものが多い。 野神祭の一例として高月町高野の例を紹介する。高月町高野では、集落を入ったところに ある大スギを野神としている。明治 11 年(1878) の「伊香郡第二区高野村等級絵図」には「野神」の 文字が見られ、現在もこの場所に野神が立ってお り、その横には昭和 4 年(1929)に建てられた石碑 がある。毎年 8 月 17 日に最も近い日曜日に野神祭 が行われており、享和元年(1801)の高野自治会の 「申年小入用帳」には、「拾壱匁 野神祭礼入用 神酒御膳等」とあり、この当時から野神祭が行なわ れていたことがわかる。自治会では、集落を東西南 北の 4 つの組に分け、「普請」と呼ばれる様々な作 業や行事の準備などを分担して行っており、野神 祭も同様にして行われる。各組では「年行事」と称 される当番者が決められており、野神祭の運営に 当たった組では、年行事が「祭主」として準備に当 たる。祭には原則として、組を構成する各戸から 1 人が出ることになっている。 野神祭当日の朝、担当の組が高野神社拝殿に集 まり、礼拝を済ませた後、隊列を組んで野神へと 向かう。列順は御幣、一番太鼓、二番太鼓、三番 太鼓、鉦(2 つ)、松明の順である。この時、太鼓 と鉦を演奏しながら歩いていくが、その拍子は 3 種類あり、それぞれ少しずつ異なっている。高野 神社に対して遠ざかる方向に進む時には「下り拍 子」、逆に神社に近づいていく時には「上り拍子」、 神社に対して横方向に進む時には「横拍子」で演 奏される。演奏の変わり目には、「そーりゃーのう」 の掛け声で、太鼓と鉦の調子を合わせる。またこのときの太鼓と鉦の拍子は、オコナイの供 【余呉町下余呉の太鼓踊り】 【高野集落の野神】 【野神前で松明を燃やす】

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進のときと同じである。 野神に到着後、そこでスギの葉を集め、それを 焚きつけにして松明に点火する。このとき松明の 柴を半分だけ燃やす。その後、野神を出発して集 落の境界沿いを巡る。西に下り集落を過ぎ、北方 に向かう西端の筋で曲がり、農道を北に進む。境 近くで松明を燃やしきり、東方向に向かう最北の 筋を曲がり、東に進路を変える。山裾に到ると、 山沿いに南へ、そして集落の北側の道を西に下り 野神の祭場に到る。野神の祭場では、前年から供 えられていた御幣を取り外し、新しい御幣を野神 のスギの木の幹にくくりつける。 このように松明を持ちながら集落の境界を歩 く姿に、虫送りや郷廻りの要素が見られる。 集落内にある一際目を引く巨木には野の神が 宿るとされる。秋の実りに向けて人々は野の神に五穀豊穣を祈願し、さらには集落の繁栄を 望む。その姿からは、今も変わらず人々が持ち続けている自然への畏敬の念が感じられる。 図 高月町高野の野神祭の順路 【郷廻りの様子】 凡例 順路 集落の境界 野神 高野神社

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(2)歴史的風致の維持及び向上に関する方針

長浜市は、秀吉が築いた城下町をはじめとして、大通寺や浄信寺の門前町、北国街道や北 国脇往還の宿場町など、様々な側面から発展してきた。一方、奥琵琶湖一帯では、周囲を険 しい山々と琵琶湖に囲まれた中で、これまで独自の文化が育まれてきており、現在までそれ が受け継がれている。 このような環境の中で、地域の人々によって長浜曳山祭などの祭礼や年中行事が大切に 守り伝えられており、それらが歴史的な建造物や風情ある町並みと一体となって、長浜の歴 史的風致を構成している。 ①長浜市のこれまでの取組み ア.歴史的な町並みの保存・再生について 秀吉の築いた城下町にあたる旧長浜町地域には、江戸時代以降の伝統的な様式を受け継 いだ町家が多く残されてきた。しかしながら、昭和 30 年代以降の商業近代化の流れの中で、 商店を営む町家の多くが通りに面するファサードをパラペットで覆ったり、通りにアーケ ードを設置したり、少しずつ町並みに変化が見られるようになった。当時は大変な活況ぶり を見せていた中心市街地であるが、昭和 40 年代から 50 年代以降、モータリゼーションの 発達や生活様式の変化により人口の郊外拡散や大型商業資本の郊外進出が進み、中心市街 地は徐々に賑わいを失っていった。 こうした中、昭和 58 年(1983)4 月に市民の念願 であった「長浜城歴史博物館」がオープンした。豊臣 家の滅亡により長浜城は姿を消してから、これを何 とか再興させたいという多くの市民からの浄財をも とに建設された。往時の活気を失いかけていた当時 の長浜は、まちのシンボル・長浜城ができたことで、 新たなまちづくりが動き出した。 長浜市は昭和 59 年(1984)に「博物館都市構想」を策定する。これは、「伝統を現代に生 かし美しく住む」、「先人の情熱や英知に学び、進取の気性を継承する」というまちづくりの 基本理念を示すものであり、市民と行政がこの理念を共有しながら、歴史的な町並みの再生 や魅力的なイベントの創出が始まった。 大通寺の門前に位置するながはま御坊表参道は、まずはアーケードを撤去し、各店舗が 1 ~2mセットバックして庇を深くとる雁木方式が用いられ、雨の日でもまち歩きを楽しめる 工夫がなされた。さらに、参道には石畳を敷き、白壁と格子、一文字瓦で統一された町家づ くりの商家が軒を連ねる。こうして、アーケードに遮られていた大通寺の山門が威容をのぞ かせ、活気に満ちた通りへと蘇った。 【長浜城歴史博物館】

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また、北国街道では、地元の商店主や建築家、郷土史家らと市による町並みの基本調査が 行われ、このデザインマニュアルに基づき、道路の修景舗装、橋の高欄などの修景整備、ま ちかど広場の整備が行われた。さらに平成 2 年(1990)には、近隣住民約 70 人による「北 国街道町衆の会」が設立され、ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例に基づく近隣景観形成 協定が結ばれた。各家の塀を修景したり、エアコンの室外機を格子で覆ったりという自主的 な取組みが進められた。 ながはま御坊表参道や北国街道のこうした取組みは、その後に続く長浜の修復・再生型ま ちづくりの先駆となり、博物館通り、大手門通り、ゆう壱番街の町並み整備へつながってい った。 表 主な通りの町並み整備事業の経過 年度 通り 整備内容 国の支援制度 S62~H 元 ながはま御坊表参道 アーケード撤去、石畳舗装、消雪装置、 ファサード改修(雁木方式) S63~H4 北国街道 まちかど広場整備、橋の修景、路面の 修景舗装 ふるさとづくり特別対策事業 H7~H12 博物館通り カラー舗装、消雪装置、ポケットパー ク整備、ファサード改修 街なみ環境整備事業 H9 大手門通り アーケード改修 リノベーション補助金 H10 ゆう壱番街 カラー舗装、ファサード改修 商店街・商業集積活性化事業費 補助金、同施設整備費補助金 H15 ゆう壱番街 アーケード改修 中心市街地等商店街・商業集積 活性化施設整備費補助金 博物館都市構想に基づくまちづくりが展開される中で、新たに市独自の補助制度も創設 された。昭和 62 年度からスタートした「商業観光パイロット事業(現伝統的街並み景観形 成事業)」は、個人所有の店舗ファサードを歴史的な風情が感じられる外観へと改修する際 に補助金を交付する制度であり、現在までに 85 件の補助実績がある。この「商業観光パイ ロット事業」をはじめとして、その他にも様々な制度を利用してファサード整備を実施し、 空き店舗の解消や中心市街地の街並み整備に一定の効果が得られた。 また、「まちかど整備事業」や「美しい観光地づくり事業」等の補助制度も創設され、曳 写真 長浜御坊表参道の統一ファサード改修のイメージ 「長浜物語」より転載

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山の山蔵前を憩いのポケットパークとして整備したり、文化財指定されていない大通寺の 外塀を修復したりするなど、地元の山組や商店街、まちづくり団体等のニーズにきめ細かに 対応して町並みの質的向上を図ってきた。 北国街道木之本宿においては、江戸時代に建築された伝統的な建築様式を残す町家も見 られる。老朽化等に伴い改修されている町家もあるが、パラペットで屋根を包み込むような 大がかりな改修は行われず、周辺環境へ配慮された改修が多く、往時の外観が残されている。 また街道筋には、新築の住宅や商業施設が散在するが、在来の真壁構法で建てられ、外観 全体の輪郭や開口部をはじめとする意匠形式が伝統的な町家形式を踏襲するものが一部で は見られるなど、住民らによる景観配慮がなされている。 イ.文化財の保全について 一連の大通寺建造物修復整備計画の最初の事業として、平成 19 年度から市指定文化財の 「大通寺太鼓楼」の保存修理工事に着手し、平成 21 年(2009)6 月に完成した。 また、大通寺本堂裏手の庭園はこれまで非公開とされてきたが、都市計画公園としてリニ ューアル整備を行い、平成 20 年(2008)7 月から一般に開放され、市民の憩いの空間とし て広く活用されている。 竹生島においては、島内に所在する文化財の保全に向け、平成 19 年(2007)に市と関係 者により、「竹生島文化財防災施設設置計画」を策定し、その計画に基づいて具体的な防災 施設の整備を検討している。 さらに、名勝・史跡である竹生島では、昭和 57 年(1982)に戦後初めてカワウの営巣が 確認されて以来、その生息数は年々増加し、最大で 平成 20 年(2008)の秋に 6 万羽弱の生息が確認され ている。竹生島は国内最大級の集団営巣地(コロニ ー)となっており、カワウの巣作りの際の枝折りや 糞害による樹木の枯死が進行し、山肌があらわにな り土砂崩れの発生が懸念されるなど、竹生島の景観 を大きく損ねる要因となっている。こうしたことか ら、平成 21 年(2009)以降、銃器を用いた大規模な 捕獲を実施するなどし、その結果、カワウの生息数 通りの名称 件数 ながはま御坊表参道 4 北国街道 17 大手門通り 21 博物館通り 5 ゆう壱番街 17 やわた夢生小路 4 北国街道木之本宿 6 駅前通り 1 十里街道 3 その他 7 計 85 写真 ファサード改修のイメージ 表 商業観光パイロット事業(現伝統的街並み景観 形成事業)を用いたファサード改修の実績 【竹生島に生息するカワウ】

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は顕著な減少傾向にあり、一部の植生に回復の兆しが見られるなど、一定の効果が見られつ つある。 ウ.伝統文化の保存伝承について 400 年以上にわたって継承されてきた長浜曳山祭については、その円滑な執行と保存伝承、 後継者育成を図るため、これまでに様々な組織が設立され、これらの取組みによって祭が支 えられている。 昭和 41 年(1966)には「長浜曳山祭協賛会」が設立され、長浜曳山祭の執行にかかる費 用を市民や企業から集めることを主目的に活動している。また、長浜曳山祭の保存伝承を図 るため、昭和 54 年(1979)に「長浜曳山祭保存会」が設立され、平成 11 年(1999)には「財 団法人長浜曳山文化協会」へと法人化されている。 後継者育成の取組みとしては、昭和 46 年(1971)に「長浜曳山祭囃子保存会」が結成さ れた。曳山巡行や狂言執行の際に囃は やされるシャギリ(囃子)は、長浜曳山祭に欠くことがで きない重要な要素であるが、囃子方の老齢化や後継者難のため、昭和 40 年代にはシャギリ の録音テープを使用する山組が出始めた。こうした中、同保存会が結成され、後継者育成の 取組みがはじめられ、今でも毎週あるいは隔週に山組ごとに子どもたちが集められ、若い衆 の指導によりシャギリの稽古が重ねられている。 また、長浜曳山祭の狂言執行には、主役である子ども役者はもちろんのこと、三役(振付、 太夫、三味線)は欠くことができない存在であるが、近年、三役の高齢化などによる後継者 不足が危惧されるようになった。このため、長浜曳山祭保存会(現財団法人長浜曳山文化協 会)の中に伝承委員会が設けられ、平成 2 年(1990)から「三役修業塾」が開講され、太夫 と三味線の育成が始まり、今日まで多くの修業生が養成されている。 さらに、長浜曳山祭を後世まで保存伝承するための施設として、平成 12 年(2000)に曳 山博物館が開館した。これにより、絢爛豪華な曳山の常設展示が可能となり、修理ドッグで は曳山の解体修理が随時行われている。 【三役修業塾】 【長浜曳山祭囃子保存会】

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②長浜市の歴史的風致を取り巻く課題 「①長浜市のこれまでの取組み」に記載したとおり、歴史的町並みの保存や文化財の保全、 伝統文化の保存継承を図るための取組みを推進し一定の成果を得ているが、長浜市の歴史 的風致を取り巻く環境には、以下のような課題が存在している。 ア.歴史的町並みの保存に関する課題 旧長浜町の区域は、今も城下町時代の町割りが残 り、当時の町家が高密度に集積している。しかしなが ら、そうした町家の多くは、老朽化が進む中で耐震性 が確保されておらず、また間口が狭く奥行きが長いと いう形状から、機能性の向上や駐車場の確保など現代 のライフスタイルにあった増改築がしにくいという 問題がある。こうした中、古い伝統様式をもつ町家が 取り壊され、空き地や駐車場等の空閑地になっている ところが徐々に増えており、歴史的な町並み景観の喪 失が危惧される。 図 長浜市中心市街地活性化協議会による空閑地調査(平成 20 年 8 月実施) 【空閑地(駐車場)の増加】

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また、旧長浜町は、大通寺の門前町、宿場町、湊町としての性格を有していたため、今も 多くの店舗が軒を連ねており、多くの看板類があふれている。これらのファサードに設置さ れる屋外広告物は、良好な景観を形成する重要な要素であるが、歴史的な町並みとは調和し ていないものもみられる。 一方で、現在、駅前シンボルロードでは、県事業 として電線類の地中化工事が進められており、まも なく明るい都市景観へと生まれ変わる。しかしなが ら、その他の道路については、一部で民地に電柱類 がセットバックされるなど一定の景観配慮がなされ ている通りはあるものの、多くの通りでは電線類が 密に張り巡らされている。これらは良好な町並み景 観を阻害する要因であるばかりでなく、長浜曳山祭 の曳山巡行の際にも支障を来しており、時にはその 装飾品が電線に接触し破損する事故も発生している。 北国街道木之本宿においては、伝統的な町家が軒を連ね、あるいは点在していることから、 現在も木造の建築物が多くあるが、建替えにより、鉄骨造や鉄筋コンクリート造の非木造の 建築物も見られる。非木造の建築物の中には、勾配の緩い屋根や陸屋根で、外壁も新建材に よるものが多く、伝統的な町家と調和しているとは言い難い。また、街道筋に設置される工 作物や広告物についても、町並みと調和していないものが見受けられる。 中世惣村の雰囲気を残す菅浦については、東西に配された四足門などの破損や老朽化が 進んだ建築物が見受けられる。こうした建築物についての調査が不十分であり、その価値を 損なうことのないような適切に維持するための方策や管理体制が整えられていない。この ように菅浦をはじめとした奥琵琶湖一帯において、景観の保全が十分とは言えない。 イ.文化財をはじめとする歴史的建造物の保全と活用に関する課題 真宗大谷派長浜別院大通寺の建造物は、国指定及 び市指定文化財の宝庫であり、また宗派内別院の中 でも真宗寺院の形態を色濃く残している数少ない貴 重な文化財である。しかしながら、建造物のほとん どが長年の風雪によって老朽化が進み、雨漏りばか りでなく、崩落や倒壊の危険性をはらんでおり、小 規模な修繕ではもはや限界に来ている。平成 19 年 (2007)には、降雪の重みで山門の老朽化した屋根 瓦が崩落し、山門が一時閉鎖されたため、大通寺の 拝観者数が大幅に落ち込んだ。 こうした中、大通寺では平成 19 年(2007)に長浜別院建造物修復整備計画が策定された。 平成 21 年(2009)6 月に実施された最初の事業である太鼓楼の保存修理に続き、台所門、 【電線際を通過する曳山】 【大通寺の破損箇所(山門)】

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0 20,000 40,000 60,000 80,000 100,000 120,000 H11 H13 H15 H17 H19 H21 H23 H25 H27 拝観者数(人) 図 大通寺拝観者数の推移 鐘楼および山門附山廊(いずれも市指定文化財)の保存修理を順次終えている。今後も、本 堂(重要文化財)等の保存修理が順次計画されており、関係機関と連携しながら円滑に実施 することが求められている。 また、大通寺で報恩講等の行事の際や、長濱八幡 宮への初詣・七五三詣りが行われる時期は、それぞ れ駐車場が手狭であるため、その境内に車両を誘導、 駐車されることがあり、両社寺の美観を大きく損ね ている。 一方、長浜曳山祭が執行される各山組所有の山蔵 については、町並み景観を構成する重要なアクセン トになっているが、これについても壁面や扉、雨樋 の損傷が進んでいるため、緊急性の高い山蔵から順 次、保存修理を進めなければならない。 名勝・史跡である竹生島には、国宝 2 件、重要文化財 4 件の建築物が所在している。しか し島内の建築物の大半が可燃性の木造建築物であり、防災面においては、既存の防災設備が 老朽化しており、また常駐する人々は高齢者が多く、緊急時に急斜面に設置された防災設備 を円滑に操作できる可能性が低く、さらに離島であることから地元消防署の出動に時間を 要するなど、多くの不安要因を抱えている。また現在、自家発電装置により電力供給を行っ ているが、災害時に十分な電力を確保できない可能性もある。 さらに、竹生島のカワウについては、生息数は大幅な減少傾向にあるものの、依然として 竹生島がカワウの大きな営巣地であることに変わりはなく、今後もカワウによる森林被害 等が危惧される。 これらの文化財や歴史的建造物の保存修理後は、それらを適切に維持管理することはも とより、より広く公開、活用され、より多くの人々に地域の歴史的・文化的資源の価値を知 っていただけるような機会の創出に努めなければならない。 ※長浜市観光振興課調 【長濱八幡宮境内における景観阻害】

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ウ.伝統文化の保存継承に関する課題 前記の三役修業塾や長浜曳山祭囃子保存会の取組みは、長浜曳山祭を支える様々な担い 手の育成に一定の効果をもたらしている。三役修業塾で養成された修業生の中には、実際に 太夫や三味線として長浜曳山祭に出場したり、さらに近隣の米原や垂井(岐阜県)の曳山祭 にも請われて出場している。また、囃子保存会の取組みにより、長浜曳山祭の際にはシャギ リの生演奏が実現し、後継者の層が拡大している。 しかしながら、各山組の区域を包括する中心市街地の人口は、40 年前と比較して約 6,000 人減少(約 39%減少)しており、近年はかろうじて横ばいの傾向にある。さらに、その中に は、高齢化率が 50%を超える自治会も複数存在している。したがって、多くの山組が、多 額の経済的負担と人的負担を伴う祭の運営に苦慮している。具体的には、狂言を行う子ども 役者の確保や、これを支える若衆や中老の減少・高齢化による役務負担の増加、3 年に 1 度 の出場や曳山・山蔵の修繕等に必要な費用の積立、金工品修理を行う錺かざり金具師や漆工品修 理を行う塗師ぬ し等の高齢化など、多くの課題がある。 また、長浜曳山祭を担う山組によっては、所有する曳山や山蔵、見送幕などの資産が、 明治から大正期の個人共有名義になっている場合もあり、長期的な視点で長浜曳山祭の保 存継承を見たとき、その資産管理は大きな課題である。 16,641 13,149 12,194 11,234 10,657 10,762 10,211 9,623

9,000

10,500

12,000

13,500

15,000

16,500

S45

S60

H2

H7

H12

H17

H22

H27

中心市街地(人)

図 中心市街地の人口の推移

※中心市街地の人口は、第 1 連合自治会から第 9 連合 自治会までの住民基本台帳人口の合計とする

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③長浜市の各種計画との関連性 ア.長浜市基本構想(平成 19 年 6 月策定、平成 23 年 9 月変更) 長浜市基本構想では、市の将来像を「協働でつくる 輝きと風格のあるまち 長浜」 と定め、長浜らしさあふれる自然資源や地域文化を、大切な資産として誰もが共有・継 承しつつ、新しいまちづくりや産業、暮らしに活かしていくことを基本姿勢としている。 また、基本となる施策の大綱の一つに「地域の魅力を高めるまちづくり」を掲げ、地 域に残る有形無形の伝統文化の継承や、地域特有の自然的景観・文化的景観・歴史的景 観を守り育てることを位置付けている。

長浜市基本構想の概要

□将来像 「協働でつくる 輝きと風格のあるまち 長浜」 □まちづくりの基本目標 (1) 住民自治を確立し、市民が活躍できるまち (2) 豊かな人間性を育む、教育のまち (3) 安全で安心して暮らせるまち (4) 環境に配慮した自然共生のまち (5) 強固な経済基盤と豊かな地域魅力のもと、若い人たちが輝くまち □基本となる施策の大綱 (1) 住民自治のまちづくり (2) お互いを認め合い、すべての人がいきいきと輝くまちづくり (3) 学びの環境が充実したまちづくり (4) 生涯を通じて健康に暮らせるまちづくり (5) 災害に強く、犯罪・交通事故の少ないまちづくり (6) 子どもが元気で、子育て安心のまちづくり (7) 自然を守り育てるまちづくり (8) 地球にやさしいまちづくり (9) 地域の魅力を高めるまちづくり (10) たくましい経済基盤をつくるまちづくり (11) 住み良さを高めるまちづくり 基本となる施策 ○地域にある伝統や歴史、文化を継承します 地域に受け継がれる有形無形の伝統や多くの歴史、文化について、次 の世代に誇りをもって引き継ぐため、市民との協働により継承します。 ○美しい景観を保全、創出します 地域特有の自然的景観・文化的景観・歴史的景観など、長浜にふさわ しい景観を守り育てるために、景観条例による取組を基本に、市民や事 業者と連携し都市の魅力と活力を高めるまちづくりを進めます。 (抜粋)

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イ.合併基本計画(平成 21 年 3 月策定、平成 26 年 10 月変更) 前述のとおり、長浜市は、平成 22 年(2010)1 月 1 日に、虎姫町、湖北町、高月町、 木之本町、余呉町及び西浅井町の 6 町との配置分合による編入合併を行った。この市町 合併にあたり、市町村の合併の特例等に関する法律(新合併特例法)の規定に基づき、 合併後の長浜市の新たなまちづくりに向けた基本方針等を定めるため、平成 21 年(2009) 3 月に「長浜市及び東浅井郡・伊香郡 6 町合併協議会」により合併基本計画が策定され ている。 この合併基本計画では、合併後の長浜市の将来像を「琵琶湖の真珠 ひと・まち・み どりが結び合う自律協働都市」と定め、「ひとの営み」と「まちの活力」、そして「みど りの豊かさ」といった資源を結びつけ、真珠のような輝きを日本や世界に放つまちを目 指している。 そのうえで、この将来像を実現するため、下記に掲げる 6 つの基本目標を設定してお り、これに基づく主要な施策の一つに「地域文化の継承・発展」を掲げ、「歴史文化資 産を活かしたまちづくりの推進」、「歴史文化資産の保存・施設整備」、「文化財の保護・ 普及活用」等の事業を推進することを位置付けている。

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合併基本計画の概要 □将来像 「琵琶湖の真珠 ひと・まち・みどりが結び合う自律協働都市」 □基本目標・基本施策 (1)地域活力の源泉となる多様な産業づくり (2)住むことが誇りとなる環境共生・循環型社会づくり (3)地域全体の人間力を育むひとづくり (4)結いの心で結ぶセーフティネットづくり (5)連携と拠点機能を生み出す都市基盤づくり (6)自律と協働による住民自治のまちづくり (抜粋) 地域文化の継承・発展 ○歴史文化資産の保護・継承 ・指定文化財をはじめ、次代へ引き継ぐべき歴史文化資産の適切な保存 と活用を図るとともに、歴史文化の学習や体験等に資する情報や展 示・学習機能の整備充実を図ります。 ○生活に根ざした文化芸能の継承 ・伝統的な祭りや芸能など、地域特有の生活文化を継承するため、地域 における技の習得と伝承者の育成を図るとともに、人材や資源など の生活文化情報の記録・整備を図ります。 【まちの活力】 江戸時代以降、商業都市として発展し、も のづくり産業(工業)も盛んで、また、地 域の歴史文化を活かした観光産業などに より、一層の経済発展が期待できる。 【みどりの豊かさ】 琵琶湖や姉川、高時川などの「水」、伊吹山の 眺望や賤ヶ岳などの山々、里山、田園などが織 り成す「緑」など、豊かな自然環境に恵まれる。 【ひとの営み】 古くから幾度となく歴史の表舞台となり、 様々な文化と出会い、個性的で多彩な地域 文化が育まれてきた。

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ウ.長浜市都市計画マスタープラン(平成 21 年 3 月策定、平成 25 年 3 月改定、平成 28 年 12 月改定) 長浜市都市計画マスタープランでは、市の将来像を「地域が共生し、快適で住みよい 市民元気都市」と定め、都市づくりの目標の一つとして「豊かな自然と歴史文化が未来 を育む都市づくり」を掲げている。市街地に残る長浜らしい歴史や文化を感じさせる伝 統的な町並みなど都市がもつ資産の保全と活用に努め、未来を担う人々に継承できる 住みよい都市づくりを推進する。 また、平成 22 年(2010)1 月に市町合併したことに伴い、合併した6町域の内容を 追加することを基本に、平成 25 年(2013)3 月に改定した。 さらに、平成 22 年の市町合併から約7年が経過し、人口減少時代を迎え、社会状況 が大きく変化する中で、将来にわたり、安心して暮らせる、魅力と活力あふれる都市づ くりを目指すため、改めて長浜市を「一体の都市」として見直し、新たな都市計画マス タープランとして平成 28 年(2016)12 月に改定した。 エ.長浜市景観まちづくり計画(平成 20 年 3 月策定、平成 23 年 1 月、平成 26 年 4 月変更) 長浜市では、景観法に基づく長浜市景観まちづくり計画を策定し、「長た け高た かい自然と独 自の歴史文化がとけあうまち」を目指している。この景観まちづくり計画では、良好な 景観形成が特に必要とされる区域として、歴史的な建造物や町並みが残る中心市街地 の 6 つの通り及び北国街道木之本宿沿いを特定景観形成重点区域に指定し、建築物や 工作物の高さ制限を設けるなど、周辺の町並み景観と調和した建築行為等が行われる よう規制誘導している。 オ.長浜市中心市街地活性化基本計画(第 1 期:平成 21 年 6 月策定、平成 21 年 11 月、平 成 22 年 3 月、7 月、11 月、平成 23 年 3 月、11 月、平成 24 年 3 月、12 月変更、平成 25 年 7 月変更 第 2 期:平成 26 年 4 月策定、平成 26 年 7 月変更、平成 27 年 3 月変 更、平成 27 年 7 月変更、平成 27 年 11 月変更、平成 28 年 7 月変更) 平成 21 年(2009)6 月に国の認定を受けた第 1 期長浜市中心市街地活性化基本計画 の計画期間の終了に伴い、第 1 期計画に引き続き博物館都市構想に依拠し、新たに第 2 期計画策定した。(平成 26 年(2014)3 月内閣総理大臣認定。)第 1 期計画における取 り組みの検証や中心市街地の現状と課題の分析を行い、中心市街地の活性化に必要な 視点として導き出された「まちの活力」、「賑わいと交流」、「まちなか居住」の三つのキ ーワードをもとに、第 2 期計画を中心市街地の活性化に向けた新たな取り組みを進め る中期的な戦略と位置付けている。 カ.びわ湖・近江路観光圏整備計画(平成 21 年 2 月策定、平成 23 年 2 月修正、平成 25 年 3 月計画期間満了) 長浜市を含む滋賀県湖北・湖東地域の 4 市 6 町では、びわ湖・近江路観光圏協議会を 設立し、観光圏の整備による観光旅客の来訪及び滞在の促進に関する法律に基づく観 光圏整備計画を策定している。この計画では、計画期間を平成 21 年度から平成 25 年 度までとし、近江商人の理念である「三方よし」をもじった「水よし、里よし、人情よ

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し」をコンセプトに掲げ、戦国時代を中心とする豊かな歴史文化資源や自然風景を活か しながら、宿泊滞在型の観光圏の確立を目指している。 キ.長浜市観光振興ビジョン(平成 29 年 2 月策定) 平成 20 年に策定した長浜市観光イノベーション戦略によって達成できなかった観光 消費額の拡大や戦略策定時に想定されていなかった「地方創生」や「訪日外国人の急増」 といった新たな外的環境の変化に対応し、観光による地域の活性化を図っていきたい という「想い」を着実に「形」にしていくため、観光イノベーション戦略に替わる新た な計画として策定した。長浜の観光に経営の視点を取り入れ、持続可能で生産性の高い 産業へと変革を促すことで、観光消費の拡大による地域経済の好循環を生み出し、観光 資源の魅力の創造につなげることを基本方針としている。 長浜市の歴史的風致の維持及び向上を図ることは、長浜市基本構想に示すまちづくりの 戦略テーマに沿ったものであり、本計画に基づく施策を推進することは、長浜市が目指す将 来像の実現につながるものである。 また、長浜市及び東浅井郡・伊香郡 6 町合併協議会が策定した合併基本計画においても、 基本施策に歴史文化資産を活かしたまちづくりの推進が位置付けられており、本計画はこ れとも整合し、その実現に寄与するものであり、市町合併後の現在においても、長浜市にお ける歴史まちづくりを総合的、一体的に推進するものである。 長浜市のまちづくりの推進 ウ.長浜市都市計画マスタープラン エ.長浜市景観まちづくり計画 オ.長浜市中心市街地活性化基本計画 カ.びわ湖・近江路観光圏整備計画 キ.長浜市観光振興ビジョン その他の各種計画 ア.長浜市基本構想 〈平成 19 年~28 年〉 長浜市のまちづくりの基本方針 イ.合併基本計画 〈平成 21 年~31 年〉 合併後の長浜市の新たな まちづくりに向けた基本方針 歴 史 的 風 致 維 持 向 上 計 画

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④長浜市の歴史的風致の維持及び向上に関する基本方針 「②長浜市の歴史的風致を取り巻く課題」に対応するため、「③長浜市の各種計画との関 連性」をふまえ、長浜市の歴史的風致の維持及び向上に関する基本方針を以下のとおり定め る。 ア.歴史的な町並み景観の保全と良好な景観の形成 イ.文化財をはじめとした歴史的建造物の保存と活用 ウ.祭礼行事等の伝統文化や伝統工芸技術の継承 ア.歴史的な町並み景観の保全と良好な景観の形成 伝統的な建築様式を残す町家や歴史的な風情を感じさせる町家、往時の暮らしを感 じさせる町並みは、そこに住む人や商う人の姿と重なり合うことで、良好な歴史的風致 を形成していることから、これらを適切に保存、活用することに努め、魅力ある景観の 保全、形成を図っていく。 旧長浜町の区域では、中心市街地活性化基本計画等の他の計画に基づく事業と連携 しながら、伝統的な町家を改修して、住宅や店舗、宿泊施設等として活用するなど、現 代的なライフスタイルに合わせた新たな機能を創出する。さらに、駐車場などの空閑地 においては、伝統的な空間構成を維持するよう共同住宅として整備するなど有効活用 する方策を検討し、歴史的な町並みの創出を図る。 また、歴史的な町並み景観への誘導と来訪者の回遊性の向上を図るため、長浜曳山祭 の曳山の巡行路や歴史的建造物周辺の道路の無電柱化や修景整備を行う。 北国街道木之本宿については、歴史的な建造物やその周辺の町並みを保全し、往時の 人々の暮らしや文化の香りが漂う良好な景観を次代へつなげるため、景観形成のルー ル作りに向けて検討する。あわせて、これまでから行われている自主的な景観形成の取 組みをさらに促進し、歴史的な風情の漂う町並み作りを誘導する。 菅浦をはじめとした奥琵琶湖一帯においては、今後、文化的景観としての価値を評価 し、その上で必要とされる保存修理を進めるとともに、これらを適切に維持するための 仕組みづくりを検討する。 さらに、既存の景観まちづくり計画に基づく規制誘導や、平成 24 年(2012)4 月か ら施行された市屋外広告物条例に基づいて良好な景観の形成に努めるとともに、特に 景観まちづくりを進める必要がある区域については、景観に対する住民の関心を高め、 その合意のもとで景観形成重点区域に指定する。 イ.文化財をはじめとした歴史的建造物の保存と活用 歴史的風致を形成している建造物のうち、すでに文化財としての保護措置がとられ ているものについては、その保存と活用の強化に努める。一方、未指定の歴史的建造物 については、特に保存の措置が必要なものについては十分な調査を行い、歴史的風致形 成建造物に指定するなどして保護措置をとり、積極的に公開してその活用を図る。 とりわけ、長浜の歴史的風致を構成する重要な要素である大通寺の伽藍群や長浜曳

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理を行う。 また、大通寺境内には老朽化した手狭な市立保育園があったが、民間への事業委託に 伴い、現在は閉園している。一方の長濱八幡宮にもかつては市立幼稚園があったが、既 に移転している。祭礼行事等の舞台となる両社寺の境内については、移転後の跡地利用 の検討を進める。 これらの建造物等の保存修理や整備が済んだ後は、積極的な公開、活用を進める。さ らに、これらの建造物や周辺の町並みに漂う風情や情緒を活かした催事等を開催する ことにより、市民はもとより広域からの来街を促進する機会の創出を図り、門前町のに ぎわいの向上に努める。 竹生島の文化財の保全については、平成 19 年(2007)に策定した「竹生島文化財防 災施設設置計画」に基づいて、引き続き防災施設の整備に向けた検討を進める。また、 電力供給についても市と関係機関との間で、安定した電力供給体制の確立に向け、検討 する。 カワウ被害に対しては、引き続き滋賀県と共同して銃器駆除等の効果的な対策を継 続的に実施することにより、カワウの生息数を減少させ、竹生島の自然回復による景観 の向上を図る。 ウ.祭礼行事等の伝統文化や伝統工芸技術の継承 祭礼行事や伝統工芸など、歴史的風致を形成している地域固有の歴史や伝統を反映 した人々の活動を活発にし、これを将来へ確実に継承するため、その普及と啓発に努め、 担い手となる後継者の育成に努める。 とりわけ、長浜の地域文化を醸成してきた長浜曳山祭については、平成 28 年(2016) 12 月に長浜曳山祭の曳山行事がユネスコ無形文化遺産登録されることが決定したこと もあり、引き続き三役修業塾や囃子保存会等による保存伝承活動を支援し、新たな担い 手の確保と充実に努める。 また、長浜曳山祭を担う山組が所有する資産については、古くからの個人共有名義と なっている場合がある。このため、諫皷山(御堂前組)においては、平成 21 年(2009) 8 月に山組を一般社団法人化し、山組で曳山や山蔵を所有・管理するようになった。こ のように、山組の法人化を含め、資産管理と人材の確保に向けた仕組みづくりを行う。

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⑤計画の実施・推進体制 国の認定を受けた長浜市歴史的風致維持向上計画(認定計画)の推進を図るため、歴史ま ちづくり法第 11 条の規定に基づき設置した「長浜市歴史まちづくり協議会(協議会)」を中 心としながら、認定計画の推進に係る連絡調整や認定計画の変更に関する協議、歴史まちづ くりに関する周知・啓発を行うこととする。 なお、協議会の事務局は、都市計画・景観行政を担う都市計画課と文化財保護行政を担う 歴史遺産課が務める。 【審議会】 <長浜市文化財保護審議会> 文化財 <長浜市景観審議会> 景観まちづくり計画 景観重要建築物・同樹木 屋外広告物 国 文部科学省 国土交通省 農林水産省 【長浜市歴史まちづくり協議会(法定協議会)】 認定計画の推進に向けた協議・連絡調整 認定計画の変更に関する協議 ・学識経験者(大学等の各専門家) ・関係団体の代表 ・滋賀県(土木交通部・教育委員会等) ・長浜市(都市建設部・市民協働部・産業観光部) 【長浜市庁内連絡会議】 認定計画の推進に向けた 協議・連絡調整 【事務局】 ・都市建設部 (都市計画課) ・市民協働部 (歴史遺産課) ・庁内関係課(詳細次頁) 事 業 実 施 歴史まちづくりに関する周知・啓発 (フォーラム・説明会等) 先進都市の事例研究・情報交換 認定計画 推進・実施体制 協議・支援 意見聴取・報告 連携・支援 (財政支援・助言等) 事業主体 <各種団体・文化財所有者・個人など> 長浜市 <事業担当>

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市長 副市長 総務部 財政課 商工振興課 総合政策部 総合政策課 長浜駅周辺まちなか活性化室 観光振興課 森林整備課 都市建設部 都市計画課 産業観光部 歴史遺産課 市民協働部 長浜市では、総合的かつ継続的に歴史的風致の維持向上を図るため、庁内に「長浜市歴史 的風致維持向上計画策定庁内連絡会議」を設置し、横断的、専門的な推進体制を構築してい る。 今後、長浜市の歴史的風致の維持向上に寄与する事業を確実に実施し、歴史まちづくりを 推進するため、都市計画課と歴史遺産課が主体となり、認定計画の実施・推進に向けた協議、 連絡調整を行うこととする。

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⑥主体別の役割 ア.文化財等の所有者・管理者等 文化財等の所有者や管理者等は、自らが所有又は管理する文化財等が、長浜市の歴史 的風致を構成する重要な要素であり、地域に与える影響が大きいことを十分に認識し、 その適切な保存・管理に努めるとともに、あわせて積極的な公開や活用に努めることと する。 イ.市民・民間事業者等 市民や民間事業者等は、長浜市の歴史的風致を理解し、その維持及び向上のための市 の施策等に協力し、自らもその施策の実現に向けて多様な事業を展開するとともに、歴 史的風致の維持向上に資する取組みに積極的かつ主体的な関わりを持つよう努めるこ ととする。 ウ.行政 行政は、歴史的風致の維持向上を図るため、これを構成する歴史的建造物やその周辺 の環境整備を推進し、これを実施する文化財所有者や民間事業者に対して必要な支援 を行うこととする。 また、歴史的風致を構成する祭礼行事や伝統工芸等については、これを保存継承する 取組みについて広報啓発・情報発信を行い、市民の参画を促進するとともに、必要な支 援を行うこととする。

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(1)重点区域の位置

重点区域の設定にあたっては、長浜市の歴史的風致の維持及び向上を図るための施策を 重点的かつ一体的に推進することが特に必要と認められる区域でなければならない。 古来より北国街道や北国脇往還など街道の宿場町として発展してきた長浜市において、 地域の民俗行事をはじめとして、歴史と伝統を反映した人々の活動が市内全域で繰り広げ られている。その中でも、長浜市の中心市街地である旧長浜町の区域では、今から約 430 年前に豊臣秀吉が長浜城下町の礎を築いて以来、大通寺の門前町として、あるいは旅人や 物資が行き交う宿場町・湊町として、さらに明治の文明開化を先取りしてきた近代化の町 として、これらを支えてきた町衆により、これまで歴史と文化が積み重ねられてきた。 この区域には、重要文化財である「大通寺本堂」「大通寺広間」「大通寺含山軒及び蘭亭」 と国指定名勝である「大通寺含山軒および蘭亭庭園」が所在している他、周辺には城下町 や門前町に由来する伝統的な町家などが軒を連ねており、情緒ある町並みを形成している。 さらに、秀吉時代に由来をもつ国指定重要無形民俗文化財の長浜曳山祭は、かつては周 辺地域から借り役者として子どもを借りてきたり、シャギリ、太夫、三味線、振付を周辺 地域から雇うこともあった。こうした周辺の芸能環境のもとで長浜曳山祭の曳山狂言が支 えられてきており、旧長浜町の区域では長浜曳山祭が今日まで脈々と受け継がれている。 しかしながら、この区域においては、人口の減少や高齢化の進展により、連担する町家 の中に空き家や空き地が生じたり、長浜曳山祭に代表される伝統文化の継承に支障を来す など、歴史的風致が一部損なわれ、今後これがさらに進行するおそれもある。 このため、本計画においては、こうした課題を解決するため、旧長浜町を中心とする区 域を重点区域に設定し、歴史的風致の維持及び向上を図るための施策を重点的かつ一体的 に推進することとする。

第3章

重点区域の位置及び区域

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(2)重点区域の区域

重点区域は、上記「(1)重点区域の位置」をふまえ、下記の 3 つの視点に示すそれぞれ の要素を包括する範囲を設定する。 ①天正時代に豊臣秀吉が築いた城下町(旧長浜町 52 ヵ町)の区域 ②長浜曳山祭を担う 13 の山組と山蔵が位置し、その山車が巡行し、曳山狂言(子ど も歌舞伎)が執行される区域 ③真宗大谷派長浜別院大通寺や長濱八幡宮等の歴史上価値の高い建造物等が所在す る区域 図 長浜市域における重点区域 【名称】長浜市歴史的風致地区 【面積】約 61ha

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重点区域の境界については、前述の 3 つの要素を基本としつつ、その一体性と連続性が 確保されるよう、3 要素を重ねたときの外縁部、または外縁部と外縁部を繋ぐ、あるいは 外縁部に近接する地形地物(市道、主要地方道、JR線、一級河川)とする。

図 重点区域の境界

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図 重点区域

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●重点区域内の文化財の分布状況 重点区域内には、国指定文化財 13 件、登録有形文化財 5 件が所在する。また、県及び市 指定等文化財(美術工芸品を除く)は 14 件(30 点)が所在している。 表 重点区域内の国指定等文化財(平成 29 年 3 月 1 日現在) № 区分 種別 名称 所有者 1 重要文化財 建造物 大通寺本堂 真宗大谷派本願寺別院大通寺 2 重要文化財 建造物 大通寺広間 附玄関 真宗大谷派本願寺別院大通寺 3 重要文化財 建造物 大通寺含山軒及び蘭亭 附棟札 真宗大谷派本願寺別院大通寺 4 重要文化財 絵画 絹本著色三月経曼荼羅図 舎那院 5 重要文化財 彫刻 木造愛染明王坐像 舎那院 6 重要文化財 彫刻 木造阿弥陀如来坐像 舎那院 7 重要文化財 彫刻 木造十一面観音坐像 知善院 8 重要文化財 工芸品 長浜祭鳳凰山飾毛綴 附鍍金飾金具 祝町組 9 重要文化財 工芸品 長浜祭翁山飾毛綴 附鍍金飾金具 伊部町組 10 記録選択の無形の 民俗文化財 無形の民俗文化財 長浜曳山狂言 長浜曳山祭文化財保護委員会 11 重要無形民俗文化財 無形の民俗文化財 長浜曳山祭の曳山行事 財団法人長浜曳山文化協会 12 記念物 名勝 大通寺含山軒および蘭亭庭園 真宗大谷派本願寺別院大通寺 13 記念物 名勝 慶雲館庭園 長浜市ほか 14 登録有形文化財 建造物 黒壁ガラス館本館(旧第百三十銀行長浜支 店) 株式会社黒壁 15 登録有形文化財 建造物 長浜旧開知学校 個人 16 登録有形文化財 建造物 ふじ石亭主屋 光亜興産株式会社 17 登録有形文化財 建造物 ふじ石亭蔵 光亜興産株式会社 18 登録有形文化財 建造物 ふじ石亭客間棟 光亜興産株式会社 表 重点区域内の県指定等文化財(美術工芸品を除く)(平成 29 年 3 月 1 日現在) № 指定区分 種別 名称 所有者 1 有形文化財 建造物 舎那院護摩堂 舎那院 2 民俗文化財 有形民俗文化財 長浜曳山祭の山車 附山蔵 長刀山 小舟町組 月宮殿 田町組 萬歳樓 瀬田町組 猩々丸 船町組 春日山 本町組 孔雀山 神戸町組 壽山 大手町組 高砂山 宮町組 常磐山 呉服町組 諫皷山 御堂前組 鳳凰山 祝町組 青海山 北町組 翁山 伊部町組 3 民俗文化財 記録作成等の措置を 講ずべき無形の民俗 文化財 長浜曳山祭 長浜曳山祭文化財保護委員会 4 選定保存技術 曳山金工品修理 個人 表 重点区域内の市指定文化財(美術工芸品を除く)(平成 29 年 3 月 1 日現在) № 指定区分 種別 名称 所有者 1 有形文化財 建造物 大通寺台所門 真宗大谷派本願寺別院大通寺 2 有形文化財 建造物 知善院表門 知善院 3 有形文化財 建造物 大通寺山門 附山廊 真宗大谷派本願寺別院大通寺 4 有形文化財 建造物 大通寺庫裡 真宗大谷派本願寺別院大通寺 大通寺鐘楼 大通寺太鼓楼 大通寺渡廊 大通寺新御座 5 有形文化財 建造物 大通寺宝蔵 真宗大谷派本願寺別院大通寺 6 有形文化財 建造物 妙法寺石造笠塔婆 妙法寺 7 記念物 史跡 長浜城跡 長浜市 8 記念物 史跡 妙法寺塚墓(石囲い箱棺墓) 妙法寺 9 記念物 名勝 長浜八幡宮放生池 長浜八幡宮 10 記念物 名勝 大通寺学問所庭園 真宗大谷派本願寺別院大通寺

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(3)重点区域の歴史的風致の維持及び向上の効果

当該重点区域は、長浜市の維持向上すべき歴史的風致の中でも、特に代表的な長浜曳山 祭の行事が繰り広げられる区域であるとともに、大通寺の門前町が色濃く残っている区域 である。 この重点区域において、歴史的風致の維持及び向上を図るための施策を重点的かつ一体 的に推進することにより、歴史的建造物の保存・活用や周辺の環境整備を進めることがで き、また、伝統文化の保存・継承・発展にも大きく資することになる。 また、市が市民を対象に実施した下記のアンケート結果によると、重点区域に居住して いるかどうかにかかわらず、市民にとって長浜市は貴重な歴史や伝統が残されたまちであ ると強く認識されていることがわかる。 したがって、こうした歴史的・文化的資源に磨きをかける取組を強力に推進することで、 その個性や魅力を高めることにつながっていく。それにより市民の歴史・文化に対する理 解や愛着心を深めることができるとともに、交流人口の拡大や観光振興など多方面に及ぶ 効果も期待され、さらには地域経済の活性化も期待できる。 なお、当該重点区域は、長浜市中心市街地活性化基本計画(平成 21 年(2009)6 月認定) に定める重点区域、都市再生整備計画(平成 22 年(2010)3 月提出)に定める計画区域の 中に包含されるため、これらに基づく事業を総合的かつ一体的に展開することで、上記の 投資効果をより一層高めることができる。 ●「長浜市基本構想」改定に係る市民アンケート (募集期間:平成 22 年(2010)8 月 1~31 日、市内全戸に配布、回答件数 343 人) 【問】 現在の長浜市の良いところを、次の中から選んでください。(3 つ以内で選んでく ださい。) 【結果】 250 194 99 51 37 25 14 14 14 13 10 9 7 4 27 0 50 100 150 200 250 300 歴 史 ・ 伝 統 の あ る ま ち 自 然 豊 か な ま ち 観 光 の ま ち 保 健 ・ 医 療 が 充 実 し て い 交 通 の 便 が 良 い ま ち 高 齢 者 に 住 み よ い ま ち 環 境 に 配 慮 し た ま ち 福 祉 が 充 実 し た ま ち 教 育 環 境 が 整 っ た ま ち 子 ど も を 育 て や す い ま ち 農 林 漁 業 の 盛 ん な ま ち 防 災 体 制 が 充 実 し た ま ち 商 工 業 の 盛 ん な ま ち 若 者 に 魅 力 あ る ま ち そ の 他 回答数

参照

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