博 士( 地球 環 境科 学) 後 藤慎介
学 位 論 文 題 名
Climatic Adaptations in Drosophila ( シ ョ ウ ジ ョ ウバ ェの 気 候適 応)
学 位 論 文 内 容 の 要 旨
多 く の 生 物 は 熱 帯 に 起 源 し 、 そ こ か ら 温 帯 、 寒 帯 へ と 進 出 し て き た も の と 考 え ら れ て い る 。 こ の 過 程 に お い て 低 温 耐 性 の 獲 得 は 必 須 で あ る 。 し か し ど の よ う な 過 程 で 温 帯 に 適 応 し て き た の か 、 ま た い か に し て 低 温 耐 性 を 獲 得 し て き た の か に つ い て は ほ と ん ど 知られていない。
比 較 的 近 い 過 去 に 熱 帯 か ら 温 帯 へ と 進 出 し て き た 昆 虫 の 例 と し て 、 キ イ ロ シ ョ ウ ジ ヨ ウ バ 工 種 群 が 挙 げ ら れ る 。 こ の 種 群 は12の 種 亜 群 に 分 け ら れ 、 そ の う ち の 夕 カ ハ シ シ ヨ ウ ジ ョ ウ バ エ 、 ト ラ フ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ エ 、 オ ウ ト ウ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ エ 、 イ チ ジ ク シ ョ ウ ジ ョ ウ パ ェ の4種 亜 群 に お い て 温 帯 へ の 進 出 が 起 こ っ た 。 こ こ で 興 味 深 い 点 は 、 夕 カ ハ シ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ エ 及 び ト ラ フ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ エ 種 亜 群 に は 亜 熱 帯 高 地 に 適 応 し た 種 も 見 ら れ る と い う こ と で あ る 。 こ の こ と か ら 、 こ れ ら の 種 亜 群 に お い て は 熱 帯 ・ 亜 熱 帯 低 地 か ら 一 度 高 地 に 適 応 し 、 そ の 後 温 帯 に 進 出 し た と い う 可 能 性 が 考 え ら れ た 。 そ こ で こ れ ら の 種 亜 群 に 属 す る 亜 熱 帯 低 地 種 、 亜 熱 帯 高 地 種 、 暖 温 帯 種 、 冷 温 帯 種 に つ い て 分 子 系 統 学 的 解 析 を 行 っ た 。 そ の 結 果 、 夕 カ ハ シ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ エ 種 亜 群 に つ い て は 、 そ れ ぞ れ の 遺 伝 子 間 で 、 ま た そ れ ら の 遺 伝 子 を ま と め た 配 列 と の 問 で 類 推 さ れ る 系 統 関 係 が 異 な り 、 こ の 種 亜 群 の 進 化 に つ い て は は っ き り し な か っ た が 、 ト ラ フ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ エ種亜群に関しては上記の 仮説が支持された。
次 に 、 低 温 耐 性 獲 得 の メ カ ニ ズ ム に つ い て 研 究 を 行 っ た 。 低 温 耐 性 獲 得 の メ カ ニ ズ ム に つ い て は 様 々 な 側 面 か ら 研 究 が 行 わ れ て い る が 、 熱 帯 種 か ら 冷 温 帯 種 ま で 共 通 に 見 ら れ る メ カ ニ ズ ム と し て は 、 ス ト レ ス タ ン パ ク 質 ( ヒ ー ト シ ョ ッ ク タ ン パ ク 質 :HSP)の 発 現 、 そ し て 低 温 順 化 が 挙 げ ら れ る 。 温 帯 種 は こ う し た ス ト レ ス 応 答 や 低 温 順 化 の 機 能 を 強 化 し 、 高 い 低 温 耐 性 を 獲 得 し た と い う 可 能 性 が あ る 。 そ こ で 、 ス ト レ ス 耐 性 獲 得 と ス ト レ ス タ ン パ ク 質 の 関 係 、 及 び 低 温 順 化 に 関 わ る 遺 伝 子 に つ い て 研 究 を 行 っ た 。 HSPは 様 々 な ス ト レ ス に よ っ て そ の 発 現 が 誘 導 さ れ る 。HSPの 中 で も 特 に HSP70 は 最 も 多 量 に 発 現 す る タ ン パ ク 質 で 、 ス ト レ ス 下 で の タ ン バ ク 質 の 保 持 ・ 修 復 ・ 分 解 に 役 立 っ て い る と 考 え ら れ て い る 。 本 研 究 で は ま ず 、 ト ラ フ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ エ 種 亜 群 に 属 する3種、D. watanabei( 亜熱帯低地種)、D.trapezif。nぷ(亜熱帯高地種)、D.f′血Hrロr血(温 帯 種 ) の 高 温 ・ 低 温 条 件 下 で の 〃s朋 口mRNAの 発 現 パ タ ー ン を 調 べ た 。 そ の 結 果 、 高 温 に 強 く 低 温 に 弱 いD.w口fロnロ ら ピfは 高 温 ・ 低 温 ス ト レ ス の 両 者 に お い て 、 他 の2種 よ り も
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高 い温度でHSP70 mRNAを発現し 始めた。このことは転写開始温度と温度耐性との相関 を示唆する。しかしD. trapezif。恥とD.f′ぬHm′血では温度耐性が異なるにも関わらず、
高 温・低温ストレスによる転写開始温度は変わらなかった。よってこれら3種間では発 現誘導温度と温度耐性との相関は従来考えられているほど厳密ではないことが明らかに な った。こ の問題に ついては 、今後さらにタンパク質レベルで検討する必要がある。
多くの温帯種は短日条件で生殖休眠に入る。休眠に入った個体は低温だけでなく、
高温、乾燥にも耐性を示す。このように多岐にわたるストレスヘの耐性の獲得にはHSP70 の関与が考えられる。そこでストレス下でのH即7〇mRNAの発現を、D.f′fロH朋rぬの休 眠 ・非休眠個体間で比較した。その結果、高温及び低温によるHゞP7〇mRNAの発現には 休眠・非休眠個体間で大きな差は見られず、また乾燥条件下では〃,卵7DmRNAの発現自 体が見られなかった。したがって、休眠個体におけるこれらのストレスに対する耐性の 獲得には、轟叩7〇遺伝子の転写調節以外のシステムが関与していることが示唆された。
次に低温順化に関わる遺伝子の探索を行った。多くの外温動物は低温順化によって しだいに低温耐性が増すことが知られているが、その分子メカニズムについてはほとん ど分かっていない。
本 研究ではキイロショウジョウパエを材料に、25°Cで羽化後14日間飼育した個体 か ら 抽 出し たmRNA、及 び15゜Cで1日 間 順化 さ せ た個 体 のmRNAを 用 い 、サブト ラク ション法により15゜Cに順化した個体で発現量が増大している遺伝子の同定を行った。そ の 結果8つの遺伝子が得られ、それらの塩基配列を調べたところ新規の遺伝子と思われ るものがいくっか見られた。そのうちの発現量の増大が著しいもの(以後、Dcロ遺伝子;
Drosophilacoldacclimationgene)について解析を進めた。ノーザンブ口ット解析では、Dcロ 遺伝子は低温順化24時間以内に発現量が増大し、48時間後には減少することが明らかと なった。また、卵から15゜Cで飼育した個体でも発現量の増大が確認された。よって、Dcロ 遺伝子は低温順化に何らかの役割を担っていると考えられた。次にRACE法によりDcロ遺 伝子の全長のクローニングを行い、その全塩基配列を決定した。塩基配列から予想され るアミノ酸配列から、Dcロ遺伝子はヒト、マウス及びラットでクローニングされている senescencemarkerprotein‐30(SMP30)遺伝子と相同であると結論づけられた。このタン バク質はカルシウム結合夕ンパク質であり、細胞内のカルシウム濃度のホメオスタシス に関与していると考えられている。低温ストレスや低温順化によって細胞内カルシウム のホメオスタシスが維持できなくなることが様々な生物で知られており、Dcロ遺伝子は そのような危機に対して何らかの役割を担っている可能性がある。また、哺乳類のSMP30 は老齢個体でその発現が減少することが知られているが、ショウジョウバエでは加齢に 伴 いその発 現が増大 していた 。このことからDcn遺伝子はSMP30遺伝子とは異なる転写 制御下にあると考えられた。そこで、Dcロ遺伝子の上流域のク口ーニングを行い、その 塩 基配列を 決定した 。DcロもSMP30と 同様にそ の上流にAP.1(SMP30の転写因子)の 結合部位を保持していた。また、Dcロ遺伝子の上流にはstressresponseelement(STRE)が 存 在 し 、 Dcロ が ス ト レ ス 応 答 性 の 遺 伝 子 で あ る こ と が 示 唆 さ れ た 。 低温耐性獲得のメカニズムについてはまだ不明な点が多い。しかし本研究、特にDcロ 遺伝子を得ることができたことにより、この分野での新たな展開が望める。また本研究
及びこれまでの研究から、低温耐性の獲得には多数の複雑なメカニズムが関与している と考えられ、それ故、温帯への進出には大きな遺伝的・生理学的変化が必要であり、熱 帯 、 亜 熱 帯 か ら 温 帯 へ の 適 応 は そ れ ほ ど 容 易 で は な か っ た と 考 え ら れ た 。
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学位論文審査の要旨 主査
副査 副査 副査
教授 教授 教授 助教授
木 村 正 人 高 木 信 夫 戸 田 正 憲 鈴 木 仁
学位論文題名
Climatic Adaptations in Drosophila (ショウジョウバェの気候適応)
多 く の 生 物 は 熱 帯 に 起 源 し 、 そ こ か ら 温 帯 、 寒 帯 へ と 進 出 し て き た も の と 考 え ら れ て い る 。 こ の 過 程 に お い て 低 温 耐 性 の 獲 得 は 必 須 で あ る 。 し か し ど の よ う な 過 程 で 温 帯 に 適 応 し て き た の か 、 ま た い か に し て 低 温 耐 性 を 獲 得 し て き た の か に つ い て は ほ と ん ど 知 ら れ て い な い 。 申 請 者 は 、 ま ず 、 比 較 的 近 い 過 去 に 熱 帯 か ら 温 帯 へ と 進 出 し て き た と 考 え ら れ て い る 、 キ イ 口 シ ョ ウ ジ ョ ウ バ 工 種 群 に 属 す る 亜 熱 帯 低 地 種 、 亜 熱 帯 高 地 種 、 暖 温 帯 種 、 冷 温 帯 種 に つ い て 分 子 系 統 学 的 解 析 を 行 い 、 少 な く と も 、 本 種 群 の ト ラ フ シ ョ ウ ジ ョ ウ パ ェ 種 亜 群 に お い て は 、 熱 帯 ・ 亜 熱 帯 低 地 か ら 一 度 高 地 に 適 応 し 、 そ の 後 温 帯 に 進出 した とい う可 能性 を示 した 。
次 に 、 申 請 者 は 、 低 温 耐 性 獲 得 の メ カ ニ ズ ム に つ い て 研 究 を 行 っ た 。 こ れ ま で に 、 低 温 耐 性 獲 得 の メ カ ニ ズ ム に つ い て は 様 々 な 側 面 か ら 研 究 が 行 わ れ て お り 、 熱 帯 種 か ら 冷 温 帯 種 ま で 共 通 に 見 ら れ る メ カ ニ ズ ム と し て 、 ス 卜 レ ス タ ン パ ク 質 ( ヒ ー ト シ ョ ッ ク タ ン バ ク 質 :HSP)の 発 現 、 低 温 順 化 が 知 ら れ て い る 。 し た が っ て 、 温 帯 種 は こ う し た ス ト レ ス 応 答 や 低 温 順 化 の 機 能 を 強 化 し 、 高 い 低 温 耐 性 を 獲 得 し た 可 能 性 が あ る 。 申 請 者 は この こと につ いて 生理 学的 、分 子 生物 学的 に検 討し た。
申 請 者 は 、 ま ず 、 ト ラ フ シ ョ ウ ジ ョ ウ バ 工 種 亜 群 に 属 す る3種 、D. watanabei( 亜熱 帯 低 地種 )、D. trpeカ′r〇恥(亜熱 帯高地種)、D.舶uraガa( 温帯種)の高温・低温条件下で のH卵7〇mRNAの 発 現 パ タ ー ン を 調 べ 、 こ れ ら3種 間 で は 発 現 誘 導 温 度 と 温 度 耐 性 と の 相 関 は 従 来 考 え ら れ て い る ほ ど 厳 密 で は な い こ と を 明 ら か に し た 。 ま た 、D, 川auranaは 短 日 条 件 で 生 殖 休 眠 に 入 る が 、 休 眠 個 体 は 低 温 だ け で な く 、 高 温 、 乾 燥 に も 耐 性 を 示 す こ と が 知 ら れ て い る 。 申 請 者 は 、 こ の よ う に 多 岐 に わ た る ス 卜 レ ス ヘ の 耐 性 の 獲 得 に は
HSP70が 関 与 し て い る と 考 え 、 ス ト レ ス 下 で のHSP70 mRNAの 発 現 を 休眠 ・ 非休 眠 個 体 間 で 比較 し た。 そ の 結果 、 高温 及 び 低温 に よ るHSP70mRNAの 発 現 には 休 眠・ 非 休 眠 個 体間で 大きな差 は見られ ないこと が明らかに なった。 これらの 結果から 、申請者 は、
温 帯種、 また休眠 個体はhsp 70遺 伝子の発 現を調節し 低温耐性 を獲得し ている訳 ではな いと結諭している。
申請者は 次に低温 順化に関 わる遺伝 子の探索を 行った。 これまで に、外温 動物では 低 温 順化に よってし だいに低 温耐性が 増すことが 知られて いるが、 その分子 ヌカニズ ムに つ いては ほとんど 分かって いない。 申請者は、 キイ□シ ョウジョ ウバエを 材料に、 サブ ト ラクシ ョン法に より、低 温に順化 した個体で 発現量が 増大して いる遺伝 子の探索 を行 っ た 。 その 結 果、8つ の 遺 伝子 を得 ることがで き、その うちの発 現量の増 大が著し いも の(Dca遺伝子:Drosophila cold acclimation gene)について、RACE法により全長のク口 ー ニング を行い、 その全塩 基配列を 決定した。 そして、 塩基配列 から予想 されるア ミノ 酸配列から、Dca遺伝子は哺乳類で知られているsenescence marker protein−30 (SMP30)遺 伝 子と相 同である ことを示 した。こ のタンバク 質はカル シウム結 合夕ンパ ク質であ り、
細 胞内の カルシウ ム濃度の ホヌオス タシスに関 与してい ると考え られてい る。低温 スト レ スや低 温順化に よって細 胞内カル シウムのホ メオスタ シスが維 持できな くなるこ とが 様 々 生 物で 知 られ て お り、Dca遺伝子 はそのよう な危機に 対して何 らかの役 割を担っ て い る可能性 が示唆さ れた。そ こで、申 請者はDca遺伝 子の上流域のク口ーニングを行い、
その塩基配列を決定した。その結果、Dcaの上流にはstress response elementが存在し、Dca がストレス応答性の遺伝子であることが示唆された。
低 温耐 性 獲 得の ヌ カニ ズ ム につい てはまだ不 明な点が 多い。し かし本研 究、特にDca 遺 伝子を得 ることが できたこ とにより、この分野での新たな展開が可能になった。また、
熱 帯から 温帯への 進出の経 路を推定 した研究は これまで ほとんど なく、本 研究は極 めて ユ ニーク である。 このよう に、これ ら一連の研 究は非常 に独創性 に富んだ ものであ り、
ま た、生物 の多様性 の緯度に よる変化といった現象を理解する上でも極めて有用である。
よって審 査員一同 はこれら の成果を 高く評価し 、また研 究者とし て誠実か つ熱心で あ り 、大学 院課程に おける研 鑽や取得 単位などと も併せ、 申請者が 博士(地 球環境科 学)
の学位を受けるのに十分な資格を有するものと判定した。