生徒の概念体系の再構成を促す理科授業の実践的研究 : 「のりこえの構造」を加味した理科授業設計を中心として
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(2) 日ンF 一 !、. 序章............9....。....................6.........6..9........5...4. 1節はじめに,._____.__._.___.,.___4 〈理科は何を学ぶ教科か〉.....................................4 〈自然から何を学ぶのか〉.....。...。...........................了. 2節問題の所在____._._._.____._.._.11 理科授業に求められること..,.........................。.......11 理論と実践の融含の必要性........。......................。....12 第1章 研究の理論的背景.............,.............................14. 1節科学観の変遷___.___..__.____._.14 1 論理実証主義的な科学観...._...........................14 2 新しい科学観と理論の交替................................16 2節 概念変換D............。.............9......9...,..........22 1 概念形成...............葡...........。......β9.....9.....p 22. 2 概念変換............._...6......,.....................24. 3節のりこえの構造____.__._._.____....28 1 のりこえの構造.......。.....。...........。................28 2 のりこえの方法..........................................32. 3 「のりこえ」が理科授業に示唆するもの...............。....34. 第2章研究の目的____.._.___.___...__...3了. 第3章研究の計画.._____...______....__.38. 1節研究の枠組み.._____..__..____.__38 2節調査・授業対象.____.._...___.._._._..40 1 調査・授業対象...........................................40. 2 実験群・統制群。...........,...........................。40 3 単元.....9...........。..9.....巳.......。..口...........5..41. 一1一.
(3) 4 調査・授業日程....._.................。..............。..42. 第4章事前調査_..__._._.______...___.43. 1節GALT(pre−test)_._____.,_.___。_43 1 GALTの特性...................9....9..........。.9.......43 2 調査目的........の.....。6........書.....ρ.............。9‘σ44. 3 調査結果及び考察..............。.。.......................45. 2節「磁石の性質に関する調査」_.____....____.4了 1 調査内容の............................................9..4了. 2 調査結果及び考察................。.......................50. 第5章授業実践._.__..__..__.____.___.54 1節授業設計__.__._....__._.__...__..54 1 等質グループによるコミュニケーション活動................54 2 授業の基本型................。...........................55. 3 授業の全体計画...............................,..........56. 2節実験授業______.._.._.__.._.__.662 1 実験・統制群の授業内容..................................62 2 班の構成方法.....................。......................62. 3 プロトコル収集..........................................63 4 授業プリント.......。。...................................64. 第6章事後調査.__._.__..___..___.___.65. 1節GALT(post−test)__.____.__..__._65 1 GALT得点の推移........................................。65. 2 実験群・統制高間の有意差検定。...........................。65. 2節定期テスト.__._._.._....___.__.._..66 1 定期テスト(学年末テスト)の作成.......................。66 2 定期テストの結果と群別の比較............................6了. 3 定期テスト問題と素朴概念の連関.......。..................68. 一2一.
(4) 3節 事後調査のまとめと考察...................。...........。... 了1. 第了章授業分析.._.____,..___.___.___. 了3. 1節分析の手法_.__.___.___.___.._.. 了3 1 授業分析の意図............。.............................. 了3. 2 分析の手順................。..................。.......... 了3. 2節理科授業にみられる「のりこえ」の構造_._____.. 76 1 「のりこえの構造」の段階と分析単位...................... 了6. 2 生徒の発話から抽出された「のりこえの構造」.............. 78 3節 授業分析のまとめと考察.......。........................... 第8章結論__.____._._.____.____.. .99 102. 第9章提言_..____....______.____.. 104 提言1 自分の考えにこだわりを持たせる......................... 104. 提言2 授業では考える場を保証する............................. 105. 提言3 何がどう分かったのか理解させる......................... 106. 謝辞......◎.唇.....費.......の...................‘.................... 108. 引用・参考文献.9........9...9....謄................................. 108. 巻末資料. 一3一.
(5) 序章. 1節はじめに く理科は何を学ぶ教科か〉 『理科』とは何か. 「『理科』とは何か」と訊ねられたら、教師の多くは返答に窮するのではな いだろうか。たとえ、それが専門の教育を受けてきた理科教師であっても同様 である。それは理科教師にとって「理科」という教科は、空気にもたとえられ る存在であるからだ。. 一般的に「理科系」と称される学問分野ならびに職業分野が存在し、そこに 多くの人たちが所属している。 「理科系」に属している人たちは学校教育を受 けていた時に「理科が好き」で「理科が得意」で「自然や科学に興味があった」. という人が大多数を占めることは想像に難くない。これについての明確な証拠 の類は存在しないが、最近の理科教育のトピックにもなっている「理科離れ」 の問題(1)を論ずる際の文脈が、「理科嫌いの児童・生徒が増えている。」→「研. 究者・技術者の人的資源の確保が将来において不安である。」→「科学技術立国 を任ずる我が国の発展に関わる問題である。」となっていることからも、 「理. 科好き」=「理科系への進路選択の大きな要因」という図式が暗黙のうちに了 解されていると考えてよいであろう。. 我々理科教師も「理科系」の人間である。他の「理科系」の人たちと同じよ うに小学校に入学した当初から教科としての「理科」に触れ、 「理科」に興味. を持ち続け、長じて理科の教師となった者がほとんどである。つまり、我々に とって「理科」は気が付いたときにはすでに存在し、現在に至るまで我々の意 識の中にあり、今では意識しないとその存在を認めることができない程のもの となっているのである。. これが、 「理科」とは一線を画してきたような人たち(例えば理科が嫌い、. 理科が苦手と思ってきた人たちである。)ならば、「理科はどうしてあるのだ 一4一.
(6) ろう。」 「なぜ理科を勉強しなくてならないのかな。」と思った事が多いはず である。しかし、我々は「理科」をすんなりと受け入れてしまったがために、. 改まって「『理科』とは何か」と問われても、それに対して明確な回答を示す ことができないのである。. 理科の危機. 「理科」という教科は明治19年(1886)の小学校令によって新設されたも のである。それ以後も「理科」という教科は内容の変遷はあるものの、教科と しての形を保ち続けこれまで存続してきた(2)。しかし、今この教科が開設以来 の危機を迎えている。. これまでにも、「理科」に関してさまざまな問題が指摘・報告されてきた。先. に述べた「理科離れ」の問題については、1993年に日本物理教育学会が会長声 明「科学教育の危機を訴える」を出した前後から政府機関や理科教育関係団体 による調査が行われ、それと同時に「理科離れ」の克服に向けてさまざまな実 践報告がなされている(3)。. また、最近では国際教育到達度評価学会q∈A)の第3回国際理科教育調査(4> や文部省教育課程実施状況調査(新学力テスト)(5)⑥の結果が報告され、「知. 識・理解面は高水準であるが応用や表現が苦手である。」「課題解決のために観 察や実験の方法を考え、実践する力は低い」ことが問題として指摘されている。. しかし、これらの問題は「理科」という教科が存在しているからこそ出てく るものである。開設以来の危機とは教科そのものの存続に関わるものであり、 具体的に言えば教科の再編・統合の流れのことである。. 教育の内容を根本から見直していこうとする動きはここ数年のうちに始まっ たわけではない。1970年代初期に11hchらは「脱学校教育論(deschoo㎞g)(7)」. を提唱した。これは学校解体論であるという批判もあるが、固定化された社会 制度の中に人間性を封じ込めている現代社会に対する文明批評として高く評価 されている。学校の解体という事態は現実的ではないものの、硬直化してしま ったと批判されることが多く、さまざまな問題を抱え込んでいる現在の教育に 一5一.
(7) 対して、 「脱学校教育論」をひとつの理念として捉えることは意義が深いもの である。. 平成8年7月に出された中央教育審議会(第15期)第1次答申では、 「横 断的・総合的な指導を一層推進するため、各教科の教育内容を厳選する。」そ のために「教科の再編・統合を含めた将来の教科等の構成の在り方について、 早急に検討に着手することが必要であることを提言している(8)。 学校そのものの存在の意義を視点に入れるなら、教科の再編・統合という問題. はより現実的な問題として浮かび上がってくる。その際に教科として何がどの ような形で残されるのかという基準は教科が過去において挙げてきた業績では なく、これからの未来においてその教科が何故必要であるかという存在理由で. ある,これまで一世紀以上も存在し続けた教科㈱であるからといって、これ からも「理科」が教科として存続するであろうという考えは成り立たない。教 科としての存在理由を明確に示すことができなければ教科の存在を保証するこ とができないのである。. 教科としての特性 では、 「理科」の教科としての存在理由は何であろうか。そのためには他の 教科には見られない「理科」の特性を考えてみる必要がある。. 教科を構成する要素を考えると、まず対象となる学習者、それから学習の場 である学校・教室、さらには社会の要請や制度としての教育システムなどを挙 げることができる。また、これらの要素を結び付けるためにソフトウエア的な 役割を果たすものとして教育学や哲学、人類の歴史などを挙げることができる。 さらに、 「理科」ではこれらの要素に付け加えて教科が対象とする「自然」. の存在を忘れるわけにはいかない。先に挙げた学習者から歴史までの要素が理. (注). 明治40年(1907)の小学校令の改正で、尋常小学校の義務教育期間が6年間に延長された。(実 施は翌明治41年)これにより、「理科」が義務教育の中で教えられるようになった。義務教育内に限 って言えば「理科」の登場は約90年である。. 一6一.
(8) 科以外の他の教科においても共通した存在基盤であると考えられるのに対して、 「自然」は「理科」特有の要素であるということに異論はないだろう。. 「理科」の存在理由を他の教科と独立して求めるのならば、 「理科」が何ら. かの形で噛然」に関わっている教科であり、人間にとって「自然」を学ぶこ とは必要不可欠な所為であることを強調する必要がある。. 〈自然から何を学ぶのか〉. 哲学と自然科学 では、自然から何を学ぶのか、自然を学ぶことにどんな価値があるのだろう か。. 有史以来我々人類は自然から多くのことを学び取り、それがさまざまな分野の 学問に発達した。その中で自然に一番深く関わった学問は当然「自然科学」で あるが、歴史を遡ってみると「自然科学」は哲学から生み出されたものである ことが分かる。. 哲学は世界や人間の究極の根本真理を探求する学問で、 「人は世界をどう認. 識するのか」という問題をこれまで追及し続けてきた。西洋哲学の起源はギリ. シャ自然哲学に始まるとされる。そこではf世界観」二「物の見方」について 考えを深めることは自然の世界の意味を考えることと一致しており、両者は本 来は同じ行為で分離不可能であったことがうかがいしれる。これは近代科学が 誕生したとされる17世紀においても同様であった。例えばガリレオはトスカナ 大公に仕える際に「哲学者」という肩書きに固執したというエピソードが残っ ているし(注1)、現代哲学の父と呼ばれているデカルトは優れた数学者であり、 自然科学者であった(注2)。. (注1)因みにガリレオは、この時もうすでに望遠鏡を製作して木星の衛星を発見していた。 (注2)彼の最大の貢献はデカルト座標の発明である、これにより代数学と幾何学が解析幾何学に統合 されニュートンの微積分学への先鞭をつけることとなった。. 一7一.
(9) その後哲学と自然科学は分離していったが、デカルト以降にもカント、ヘー ゲル、など多くの哲学者が自然科学に大きな影響を与え続けて今日に至ってい る。. 自然の認識とは 先にも述べたように、自然科学の究極の目的は自然の合理的認識である。哲 学と自然科学は今日でこそ峻別されているものの、両者のこれまでの歩みを考 えれば、方法は違ってしまったが、自然科学も哲学も本来は同じことを目指し てきたのである。. 文芸評論家の竹田青嗣は近代一現代哲学の思想の変遷をたどりながら「人が 世界像を思い描くのにはどんな意味があるのか」という問いに対して、 「人は 世界を思い描くことによってのみ、〈社会〉という目にみえないもの(日常の向 こうの世界)と自分とを関係づけているのである。」と回答している(9)。この. 論法で持って∫人が自然を認識する意味」を考えてみると自ずから次のような 回答を引き出すことができる。つまり、 「人は自然を認識することによっての. み、自然世界の中に置かれている自分の位置づけをはかることができるのであ る。」. 自然の「同一性・桓常性」と「変化」. 自然を認識し、その認識をもとに自分の位置づけをはかるためには、対象と なる自然に「同一性・恒常性」という性質が必要とされる。前日に東の空から昇. った太陽が翌日は西の空から昇ったり、目の前の石ころが時間とともに形が変 化したのでは認識そのものが不可能であるからだ。ところが自然には「変化」. という性質もある。例えば、月は形が毎日変わるし、生物は成長とともに姿形 が変化していく。. 「同一性・恒常性」という性質と「変化」という現象は一見相矛盾しているよ. うに思えるが、これは現象をミクロに見るか、マクロに見るか、連続的(アナ ログ)に解釈するか離散的(ディジタル)に解釈するかで「同一性・恒常性」と 「変化」の線引きができると思われる。. 一8一.
(10) たとえば、今日見ている太陽や石ころは、明日見ても同一であるが、数十億 年の年月を遡れば現在の太陽や石ころとは違うはずである。(ミクロ⇔マクロ). また、生命は連続しているが、その担い手であるそれぞれの個体は独立した存 在である。 (アナログ⇔ディジタル)他に例を挙げると枚挙に暇が無いが、こ のような二重性を持つことは自然の持つアプリオリな性質である。したがって、 ある現象を「同一性・恒常性」と解釈するか「変化」とみなすかは個人の問題に. 帰結する。それは先に述べたように、自然の中での自分の位置づけをはかるこ とにもなるのである。. 理科の存在基盤. 自然を学び、自然世界の中で自分の位置づけをはかることは、生きていく上 で基本的な能力を養うことにつながる。これについて松本は次のように述べて いるく10)。. 「自然を対象とすることで、たとえば今日見ている太陽や石ころが、明日見 ても同一であること(同一性の認識)や、その対象とされている太陽や石ころ には、常に変わらない性質があるのだと考えること(恒常性の認識)が他の対 象より容易に行える。そしてこのような認識を基にして初めて、見ることや考 えることを記憶し、比較し、関係づけ、意味付けし、未知のことを推理し、判 断し、創造することが可能となるのである。」. 松本は自然の「同一性・恒常性」に限定して述べているが、「変化」という面 もあわせてもこの考えは成り立つ。しかも、 「変化」という現象に目を向けれ. ば「未知のことを推理し、判断し、創造する」能力はより一層高まるはずと期 待される。. 一9一.
(11) これまで述べてきたことをまとめると、外界の様相を認識することは、外界 を自己の内部世界に構成するだけでなく、自己と外界との関わりをも認識する ことができる、と言える。そして、そのような学習の場を意図的に設けるとす ると、自然を学びの対象とし、自然の「同一性・恒常性」という性質と「変化」 という現象で記述することが必要である。それが可能な教科は現在のところ「理. 科」しか存在しない。したがって、ここに「理科」の教科としての存在基盤を 確立することができるのである。. 一10一.
(12) 2節 問題の所在 理科授業に求められること. 前節で述べたように、理科という教科は自然を学びの対象とし、自然の認識 を通して、生きていく上で基本的な能力を養う教科であった。しかし、自然の 認識という行為は学校教育に限らず日常的にさまざまな形で行なわれている。. 日常生活場面での子どもたちの自然の認識は、一言で言えば無意図的であり、 子どもたちの興味関心の赴くままに展開されている。したがって、そこから得 られる知識や概念は多様であり非構造的である。しかし、子どもたちは日常の 経験を通して理科授業以前にすでに自然に対する概念体系を形成しているので ある。. これに対し学校における理科授業では明確な目標のもとに段階を追った学習 の展開がなされている。したがって、子どもの概念体系を意図的に構造化し、. 変容させることも可能である。この可能性ゆえに、学校教育の理科授業には子 どもがすでに持っている考えを修正・発展させ適切な概念の形成・獲得ができ るよう教師の意図を授業に盛り込むことが求められているのである。. 理科授業に限らず、一般的に授業を構成する要因として教師、教材、学習者. を挙げることができる。さらに教材は複数の素材から成り立っている㈱。理 科の授業で用いられる素材の組み合わせば無限に近いと考えてよいだろう。そ の中から最適な教材・素材を選択するのは教師である。さらに、その選択の基準 は学習者の状況に求められるはずだ。したがって、教材・素材の選択はあくまで も教師の意図の反映であり、授業の方策である。. その際、何を(どんな物を)学ばせるかということよりも、学ばせることに. (注). 素材とは教材を構成している要素である。例えば「電気」という教材があると、その学習を円滑 にすすめるために「電池」噂線」「電流計」…などの素材を用いる。教材は教科の特質や社会的な要 請によってその枠組みがある程度規定されている解、素材は教材の解釈や学習者の実態に合わせて授業 者が任意に選択することができる。. 一11一.
(13) よって学習者をどう変容させるか、ということがより重要であることはいうま でもない。理科授業においても教材・素材の選択は、学習者の概念体系を変容さ せるために意図的に行われる必要があるのだ。. 理論と実践の融含の必要性 教育現場での理科教育に関する研究のほとんどは理科授業をベースとした実 践的研究である。しかし、この大半は理科教材・素材の研究で占められていると. いっても過言ではない。中には「このような方法で観察・実験を行えば子ども の理解が高まる」というように、授業の一部である観察・実験の方法の改善に 終始している研究も数多く見られる。. 最近では学習論の実践に近いものも散見されるようになったが、それでも教 授方略の研究であったり、授業方法論の域を出なかったりするものが多い。前 項で述べたような、理科授業において子どもの認識や概念がどう変容するかと いうことに焦点を当てた研究はほとんどみられないのが実状である。. 一方、大学を中心とする理科教育研究者の間では理科学習論研究は理科教育 学の中心分野となっている。海外での研究動向も同様で、認知心理学や科学哲 学の研究成果と結びついた研究報告が数多くもたらされている。しかし、研究. の内容は概して理念的であり、実践と結びついた研究は少ない曲。 子どもが持つ概念体系についての研究も1980年代後半から、子どもが学習以 前にどのような概念体系を持っているのかという実証的調査は数:多く報告され てきている(11)。しかし、概念体系の変容については、授業の分析からさまざ. まなモデルが提唱されてきているものの、その逆のアプローチ、つまり概念体 系の変容のモデルから理科授業を構成しようという試みは数少ない。. 子どもは自分の回りの世界の様子を自分の概念体系に取り入れ、それを変容 させながら自然の認識を深めていく。理科授業で意図的に概念体系を変容させ ようとするなら、実践に即した、つまり氣際の採業において概念がどのように. (注)このあたりの研究動向については1章2節で詳述する。. 一12一.
(14) 奪容するのかというメ巾ニズムを解明する必要があると考えられる。. 一13一.
(15) 第1章研究の理論的背景 本研究の主要な概念である「のりこえの構造」とは、学習者である生徒の概念体系が変化する過程、 つまり広い意味での「概念変換」に含まれている。また、「のりこえの構造」、「概念変換」は共に、 いわゆる新しい科学観を理論のベースとしている。そこで、本章では第1節で科学観の変遷を徳瞼し、. 第2章で概念変換の理論を概観した後、第3節で「のりこえの構造」について理論構築を行う。. 窪節 科学観の変遷 序章で述べたように理科は自然科学と密接なつながりを持っている。理科一自然科学というわけでは ないが、自然科学を抜きにして現在の理科教育を語ることはできない。. 自然科学と理科教育のつながりと同様に科学哲学も自然科学と深くっながっている。何らかの方法を 使って実際に自然を研究するのが自然科学であるが、その方法について研究することは科学哲学の分野 に含められる。そして、科学哲学も理科教育と深く関わっている。近年、西欧を中心として多様な理科 の学習論が展開されているが、それぞれの学習論が現代の科学哲学の研究成果を基盤にしていること.を 見逃すことはできない。. 本研究も現代の科学哲学、いわゆる「新科学哲学」における科学観に大きな影響を受けている。この 節では本研究の背景となっている科学哲学の進展がもたらした科学観の変遷について傭回する。. 1 論理実証主義的な科学観 経験主義 イギリスの経験論哲学者フランシス・ベーコンは「自然は開かれた書物であ る。」とし、純粋な心で「神が書いた自然の書物を」読めば我々の前に真理が顕 示されると考えた(12)。その方法として、 「データを集めて一般的原理を帰納. し、その原理から演繹によって導出された結果を観察することでその原理を検 証していく」という図式で表される、いわゆる「素朴な帰納主義」を用いて、. 「神の言葉としての真理」を読み取ろうとした。その後18世紀の啓蒙主義の時 代に科学は宗教(キリスト教的信仰体系)から分離し「聖俗革命(13)」が成立. するが、「素朴な帰納主義」の考え方は400年たった今でも一般市民のみなら ず、多くの理科教師たちが素朴に信じている科学のイメージと一致している。 この「素朴な帰納主義」は、ロックやヒュームの経験論に引き継がれ、さらにコ 一14一.
(16) ントを経て、ミルによって科学の方法として集大成され、実証主義の哲学に発 展した。. 実証主義においては観察するものとされるもの、あるいは主観と客観の区別 が存在することを暗黙裡に認めている。そのため実証主義は「世俗からの離脱」 「正直さ」 「公正さ」をその規範としていた。. 論理実証主義. 20世紀になって、このような経験・実証主義から新しい科学哲学である論理 実証主義が生まれた。一般にウィーン学団とよばれている彼らの主張は次の3 点にまとめることができる(14)。. ①公理主義…科学理論をひとつの形式的演繹体系として捉え、それを公理主義 的に再構成する。. ②検証主義…科学理論は観察事実によって検証あるいは反証される。 ③進歩主義…科学理論は試行錯誤を繰り返しながら最終的には「科学的真理」 に接近していく。. つまり、論理実証主義的な科学観では、科学理論は観察事実によって検証な いしは反証され、そのような試行錯誤を重ねながら最終的には「科学的真理」 へ接近していくとされている。それゆえ、「今日までの科学の歴史は唯一の「客 観的真理」へ向かう絶えざる〈進歩〉の歴史として記述され、それは同時に科学. 的知識の連続的累積的性格を認め働」るものである。 古い理論は時間的に「遅れて」いたので新しい理論からみれば限界があり、歴 史的経過とともに古い理論は薪しい理論に修正されていくが、基本的な理念、 考え方は新しい理論に継承されていく、という考え方である。. そのひとつの例としてニュートン力学と相対性理論の関係を挙げる。ニュー. トン力学はv《Cであれば相対性理論での近似解として得られる。ニュートン の時代には光速を正確に測る技術もなかったし、物質の速度を光速に近い速度 まで高める技術もなかった。そういった技術を得た後、ニュートン力学から相 対性理論が導かれていった。すなわち、ニュートン力学は時間的に「遅れて」 一15一.
(17) いたので歴史の経過として必然的に相対性理論に修正されたが、その基本理念 は相対性理論にも引き継がれている。という考え方である。. 2 新しい科学観と理論の交替 新科学哲学の科学観. 新科学哲学とは1960年代から興隆してきた科学哲学の潮流を総称する呼び 方である。先述の論理実証主義やそれを継承しているポパーの批判的合理主義. に対し「根本的な異議申立て⑯」を行い、その主張は従来の科学観に転回を 要求するものであった。. 栽科学哲学という名称は特定の思想を表すのではなく、共通の問題に興味を 示す哲学者の総称である。したがって、新科学哲学に含まれる哲学者の主張も 多少の差異が認められ、それぞれが明らかにしている科学観も多少異なったも のである。しかし、基本的な見解は共通していると言ってよい。これについて Cle田insonは以下のようにまとめた(!7)。. (1)科学的知識は暫定的なものであり、決して真理と同一視されるべきでは ない。それはただ単に一時的な地位を占めるだけなのだから。 (2)観察だけを使って単純な帰納的やり方で科学的知識を生み出すことはあ りえない。我々は自分が事前に持ち合わせている知識から構成される理. 論レンズを通して世界をながめているのである。観察と推論の問に鮮明 な定義や区分をすることは不可能である。 (3)科学における新知識は科学的探究の諸方法と同盟を結んだ想像力の創造. 的諸活動によって生み出される。科学はそれ自体個人的でとても人間的 な活動なのである。 (4)新しい科学的知識を獲得することは問題を孕むもので決して容易なこと. ではない。間違っていることが立証されてきてはいても、これまで大切 にしてきた知識はいやいやながらに放棄されるのが普通である。. (5)科学者たちは自分たちがその一部であるような世界を研究しているので あって、自分たちが切り離されたような世界を研究しているのではない。 一16一.
(18) 理論の交替 これらように、新科学哲学が描く科学観は旧来の科学観と考え方が全く異な っているが、その中で考えの違いが一番際立っているのは理論の交替について の考え方である。前述のように旧来の科学観では検証による科学の進歩がその テーゼとなっている。これに対し新科学哲学での考えでは、科学的観察は必ず 一定の理論を背景にして行われるので、観察という行為は「理論的枠組みに合 わせて事実を積極的に選択し、解釈し、構成する行為なのである(18)。」した. がって、観察が理論を反証することは不可能に近いことになり、当然科学の累 積的な進歩も科学的真理への漸進的接近もありえないのである。. では、新科学哲学の考えでは理論はどのように交代するのであろうか。これ に対する新科学哲学側の回答は次のようにまとめることができる。つまり、 「. 理論はそれを否定するような観察事実によって反証され打ち倒されるのではな く、それと対置される別の理論によって取って代わられる。(19)」というもの. である。この回答を提起したのはターンであるが、彼はこの回答をもって同時 に新科学哲学の礎を築いたのである。. ターンのパラダイム論 ターンはパラダイムという概念を導入して、科学における理論の交替を説明 した。パラダイムとは特定の科学者集団によって合意された基本的な考え方や 方法で、現揚の科学研究を導く指針や手続きの総体、すなわち「何をいかに探 求すべきか」という研究の方向づけを与える範例的業績あるいは理論的枠組み のことである(20)。そして、それぞれの専門分野において、そこに所属する科. 学者集団によってパラダイムが保持され、それに基づいてさまざまな自然現象 が研究されていくのである。. ターンによると新しい発見などによってパラダイムに矛盾が生じると、パラ ダイムは不安定になり、もうどうしようもなくなってしまったところで元のパ ラダイムとは全く違う別のパラダイムが投入され、今度はそのパラダイムに従 って研究が始まっていくものと考えられている。この理論交替のメカニズムを 一17一.
(19) 「科学革命⑳」ないしは「パラダイム転換」と呼んでいる。そのひとつの例 として、アインシュタインが相対性理論を導出した際の、その他の理論との関 わりを見ていく。. 相対性理論と他の理論との関係. アインシュタインが1905年に相対性理論を提唱したのは、1887年のマイケ ルソン・モーリーの実験を説明するため、つまり同実験の結果によるニュート ン力学の破綻を修正するためではない。それは、ガリレイ変換について矛盾し ているニュートン力学と電磁気学を統合するためであったと考えられる。また、. この矛盾はアインシュタイン以前にも知られていたことであるが、アインシュ タインだけがそれをのりこえるべき内部矛盾としてとらえたことに、彼の独自 性がある。. 1686年にニュートンによって導出された万有引力の法則は重力の機構の問 題にふれるものではなかったが、彼自身が「ひとつの物体が、遠方の物体に、. 真空を通して、他に何の媒介物もなく作用する…ということは、私にはあまり にばかげたことで哲学的問題に関しすぐれた思考能力をもつほどの人なら、だ. れもそんな考えに落ち込むことはあるまいと思われる。⑳」と述べており、 万有引力を媒介する何か(たとえばエーテル)の存在を認めている。. ニュートンと光学理論で対立していたホイヘンスは光を弾性波と考え、その 媒質としてエーテルを仮定した。もともとエーテルを科学史上に初めて登場さ せたのはデカルトであるが、ホイヘンスは光だけでなく引力もエーテルで説明 しようと試みた。この試みは成功しなかったが、彼が導入したエーテル仮説は マクスウェル理論など近接作用での力学的な説明には必要不可欠なものとなっ ていった。. マクスウェル方程式は光の速度が電磁波の伝播速度と同じであることを示し ており、1873年、光の電磁波説が唱えられた。それを実験的に確かめたのがヘ ルツでG888)、これによりエーテルは「仮定」より「実存」するものと信じられ. るようになってきた。ところが、このマクスウェルの方程式は式中に光速度C 一18一.
(20) が含まれておりガリレオ変換に対して共変的ではない。いいかえれば、絶対空. 間でのみ光速度がCになるわけである。マイケルソンとモーレーは違った方向 の光速度を比較することで絶対空間での地球の絶対速度を求めようとした。 (1887)しかし、そのような運動は見出されず、文字どおりに解釈すると地球は 絶対空間に静止しているという驚くべき結果を与えたのである。. これはエーテルの存在を否定する結果とも考えてよいのだが、多くの科学者 はエーテルの考えを捨て切ることができず、いろいろな試みでこの考えを救お うと努力した。. その代表がローレンツで、彼はエーテルの中を動く物体は光速度がどの方向 でも同じになるように変形すると考えた。(ローレンツ収縮1892)ローレンツ はさらに考えを発展させアインシュタインの相対性理論と同等の理論を完成さ せた。しかし、彼はあくまでもエーテルに固執し、絶対空間をもとに考えてい たのである。. では、アインシュタインの偉大さとはなんであろうか。アインシュタインは マクスウェル方程式がガリレイ変換に対し品変でない事実から出発し,等速度 運動をしている観測者の立場から見た運動学だけにかぎって考察した。つまり 光の本質やエーテルの物質性などの問題に固執しなかったのである。このとき アインシュタインはマッハの「力学の批判的発展史」の考え方に影響されたと いわれている。マッハは絶対空間に疑問を持ち「もし宇宙に一つしか物体がな かった場合.この物体を加速するといってもその基準がないから意味がない。. したがってその物体の慣性質量も決まらない。結局,全宇宙を基準系に選ぶべ. きである㈹」というマッハの原理を提唱した。アインシュタインは「ニュー トンの絶対時空の考え方を捨ててしまえば,互いに等速度運動しているすべて の系(慣性系)は全く同等で,力学現象にかぎらず電磁現象まで含めて物理法 則の不変性が保たれる」と考えた。これをアインシュタインの相対性原理とい う。. アインシュタインの相対性原理が成り立っためには,ガリレイ変換とは違った 一19一.
(21) 新しい変換に対しマクスウェル方程式が形を変えないことが必要である。マク. スウェル方程式に光速度Cが含まれているから,すべての慣性系で同形である. ためにはすべての慣性系で光速度はCとなるはずである。これはマイケルソ ン・モーレーの実験で検証され、相対性理論のもうひとつの柱である光速度不 変の原理として採用された。アインシュタインは相対性原理と光速度不変の原 理との二つの要請を基礎に特殊相対論を建設し,時間と空間の概念に革命的な 変革をもたらしたのである(1905)。. パラダイムとは 科学史研究家の村上陽一郎はパラダイムというのは、「さまざまな理論と、さ らにその理論を支えるより日常的なもの」が「常に相互干渉を重ねながら、動い ている、そういうダイナミックな空間」であると考えた(24)。さらに、そのパ. ラダイムの内部構造にはある種のヒエラルキー(階層性)があり、そのヒエラ ルキーが壊れたり、転換したりするとネットワークをつくる素材は同じでも全 く違ったパラダイムが現れてくる、と考えている。. この考えを用いれば相対性理論が導出されたときの、アインシュタインとロ ーレンツの違いを理解することができる。マイケルソン・モーレーの実験結果 が発表された時、二人が理解していた当時の物理法則の理論(素材)はさほど変. わらなかったはずである。しかし、両者の立場の違いを反映して、それぞれの 理論(素材)の結びつきや理論同士を結び付ける際の優先順位や結びつきの階層. 性が違ったためアインシュタインとローレンツは異なったパラダイムを持つこ とになったと考えられるのである。. 惑乱不可能性 アインシュタインとローレンツのように、異なったパラダイム同士の関係は どうなっているのだろうか。この問題についてターンは、 「科学革命」前後の 二つのパラダイムの関係について、「新しいパラダイムの下では、古い用語、. 概念、実験はお互いに新しい関係を持㈱」ち、お互いのパラダイム同士は断 絶していることを指摘した。つまり、異なるパラダイムに属している人はあた 一20一.
(22) かも「異なった世界で仕事をしている㈹」ようなもので、その世界観が全く 違う。さらにパラダイムの異なる科学理論の間では、記述の仕組みが全面的に 異なるために共通の尺度を設定することが不可能でお互いのパラダイムの優劣 を比較することができない、ということである。例えばニュートン力学や相対 論力学でも「質量」という言葉は共通して使われるが、その言葉の意味は違っ ているので、この一点に関してさえ、ニュートン力学と相対論力学を同時に論 ずることはできないのである。ターンはこのようなパラダイムの関係を共約不 可能性と呼んだ。. パラダイム間を貫通する共通の基準が見出せないことはその優劣を比較する ことは無意味である。それならばある人が古いパラダイムを破棄し新しいパラ ダイムを選択する根拠は何だろうか。これについてターンは「パラダイム間の. 競争は、証明によって決着を付けられるような種類の戦いではない⑳。」と し、「パラダイムからパラダイムへと説を変えることは、改宗の問題である(28>。」. と述べている。つまり、ターンの説では理論の交替について合理的な根拠を示す. ことはできないのである。古い理論Aと新しい理論Bの関係を考えるとき、A とBの関係は相対的であり対称的なので、Bはたまたま時間的にあとから出て きたというだけで、理論Bにそれ以上の新しさと言う意味を持たせることがで きない、という問題が残るのである。. 一21一.
(23) 2節 概念変換 序章で述べたように、人は自然の認識を通して自然の中に置かれた自分の存在を認識することができ る。では、入は自然をどのように認識していくのであろうか。. この世界を長年生きてきている大人たちにとっては、この世界を支配している法則は無意識的に感知 されるものである。それは長年にわたる外界へのはたらきかけを通して、自己の内部に外界を構成する ことができたからである。しかし、成長の途中殺鼠にある子どもたちは自分のまわりにある世界を自己 の内部世界に構成することも途中段階なのである。. この節では学習者である子どもがいかにして外界を自己内部に構成していくのかを概観する。. 1 概念形成 言葉と概念. 認識という行為は、我々のまわりに存在するさまざまな事物に,それが何者 であるのかという意味を与えることと、さらにそれらの事物どうしの関係を定 義付けることのふたつからなっているといってよいであろう。我々はこのよう な認識の作業を経験を通して行う。我々が経験する事柄は人それぞれである。. しかし、経験を重ねるうちにそれは一般的抽象性を持つようになり、個々の経 験から共通特性が引き出される。それが概念どして学習されていくのであるが、. その際に我々は言葉を用いて認識及び概念形成の活動を行っていくとされてい る。. ソシュールが「一般言語学講義」(29)(30)で明らかにしたように、世界は言語. に無関係にはじめから個々の事物に区分されているのではなく、ある言語が指. すものは、その言語が世界から勝手に切り取ってきたものである⑳。 したがって、生まれたての赤ん坊はこの世の中に対する概念を何一つとして 持ち合わせていないということになる。赤ん坊にとっては、対象物が目の前に あって手で触れたりすることができても、それに対する意味付けができていな いから、その対象物は存在しないのである。その対象物が存在するようになる のは此ん坊が成長し、言葉を覚え、対象物に対し名前を持たせることができた ときである。概念は言葉と共に生まれ、言葉によって表現されるのである。 一22一.
(24) 言語哲学者の丸山圭三郎は「世界のロゴス化とはそれまで分節されていなか. った生体験の連続体に区切りを入れ面これを観念なり事物なりのカテゴリー として存在せしめることなのである。(32)」と述べているが、言葉を覚えはじ. めたばかりの幼児にとっては、毎日の瞬間、瞬間が新しい分節、つまり世界の 意味付けの行為の連続と言えるだろう。. 概念形成 概念は言葉で表現されるので、それは言語情報として脳に保存される。一度 保存された概念は長期にわたって再生可能である。また、脳内部のはたらきに よって概念同士を結合させて新たな概念を創出させたり、概念の及ぶ範囲を比 較し、上位概念・下位概念といったレベルに分類して体系的に記憶しなおすと いった処理が行われている。. これらの処理は動的な過程を経ていると解釈されている。概念は日常経験を 重ねて発達するものであるから、経験次第では概念同士のより新しい結びつき が発生したり、概念のレベルや結びつきが変化するという事態が頻繁に起こる はずである。概念はたえず変容を続けながら個人の内面に形成されていくので ある。. 子どもの概念や思考の特徴. 経験の種類や質は人によって異なるので、概念の意味するものが誰でも同じ であるとは限らない。さらに子どもたちにおいては日常経験という枠組みの中 で概念が形成されるので、それが科学的な意味からもずれてしまうことが多い。. 例えば子どもたちの使用する「動物という言葉は概念的には「けもの(身近 な哺乳類)」を表すことが多く、科学的な意味と一致していないことが報告さ. れている圃。 堀は、この報告をはじめとして最近の科学的概念理解の実態調査・研究をもと. にして、子どもの概念や思考について次のような傾向が見られると指摘してい る(34)。. 一23一.
(25) ①子どもの獲得している概念や思考は、非科学的・前科学的である傾向が強く、科学的な概念 や思考と比較して、その適用範囲が限定されている。さらに、子どもは極めて主観的な見方 や考え方をするので概念や思考は多種多様な形をとり、子どもの用いる用語・概念には多様 性がみられる。. ②子どもの思考は、彼ら独特の論理に基づき、明快かつ一貫性を持っているので、子どもの思 考は極めて堅固で容易に変化することが困難であるばかりでなく、学習者の二二の知識や概 念と適切な形で結合しないと、かえって問題解決の障害となることもある。. 子どもの経験の広がりや深まりとともに、概念は発達し変容していくであろう ことは容易に想像できるが、結果としてこれが科学的に正しい概念に一致する とは限らない。これを意図的に行おうというのが理科教育の目的の一つでもあ る。学校教育において概念形成をはかる場合、経験を通して新しい概念をつく ることよりも、すでに子どもの内面に構成されている概念を変容させることが 主になってくる。. 構成主義学習論との関わり. 構成主義学習論は1980年代から欧米を中心に発展し、我が国においては80 年代後半から広まった。この学習論は認知科学や新科学哲学の研究の進展を背 景としているのでその影響から、学習者は学習者なりの世界を持っている、と いう考え方を重視している。. 概念形成の考え方も認知科学の成果に負うところが多い。構成主義学習論の 考えでは、学習者があらかじめ形成している概念の体系に、新たな経験・知識 が取り込まれて学習が進行するとされているが、これは概念形成について本節 でこれまでに述べてきたような考え方と一致する。子どもは内部世界に形成さ れた概念を変容させていくことで概念を発達させているという考えは構成主義 学習論の大きな支柱となっているのである。. 2 概念変換 同化と調節. 前項で述べたように構成主義学習論においては学習者の概念をいかに変容さ 一24一.
(26) せるかがポイントとなっていた。. 学習者が新しい現象に直面したとき、学習者既払の概念はどのような変容を 遂げるのだろうか。これに対してボスナーらは同化と調節とよばれる二つの局 面が考えられる、と主張した(35)。. ボスナーらは理科授業を学習者が持つ既存の概念体系と新しい概念の出会い の場ととらえた。この時、新しい概念が既存の概念体系に調和的に追加される 場合と、両者の問が決定的に調和不能で新しい概念が既存の概念に置き換わる 場合があるとした。彼らは前者の過程に同化(assimilation)という用語を後. 者の過程に調節(accommodation)という用語を当てた。ここで用いた同化・ 調節という用語はかつてピアジェによって使われたものであるが、ボスナーら はピアジェ理論とは無関係にこれを用いていたため、現在では同化の代わりに 「概念捕獲」 (conceptual capture)という用語を、調節の代わりに「概念交 換)」 (conceptual exchange)と言う用語を当てる。. 「概念変換」(conceptual cha:nge)というと「概念捕獲」と「概念交i換」の. 双方を意味していたが、理科授業においては後者の方が多くの困難を生じるこ. とが明白であるため、やがて「概念変換」というと主に職念交換」の意味合 いが強調されて用いられるようになった。. 概念生態系. 「概念変換」というアイディアを導入する際に、ボスナーらは新科学哲学に よって明らかにされた科学理論の交替のメカニズムが、学習における学習者の 概念形成と類似している点に着目した。新科学哲学の中にも見解の相違により いくっかの流れが認められるが、ボスナーらが採用した科学哲学はトゥールミ ンの考えであった。. トゥールミンは「概念体系は個々の概念の意味が社会歴史的な過程において 変わったり、合理的な行為(それらは論理的である必要なはない)によって変 わったりするように変化する。(36)」と考え、それを「概念の集団に生じる“生 態学的変化”」にたとえた。 一25一.
(27) 概念の“生態学的変化”とは生態学における生物の環境への適応の類推から、. 学習者の持つ既存の概念体系への新しい概念の獲得を考えるものである。つま り、生態系の中である生物が生き残ったり淘汰されるように、学習者の概念体 系の中にも概念が保持されたり排除されたりする過程が繰り返されているとい うものである。. 概念変換の条件. 生態系の中である生物が生き残るためにはいくっかの条件を満たしておく必 要があるのと同様に、新しい概念が学習者の概念体系の中で保持されるために もいくつかの条件が必要である。ボスナーの共同研究者であったヒューソンら はその条件として次の4つを挙げている(37)。. ①学習者に、既存の概念に対して不満(dissatisfaction)を抱かせなければな らない。. ②学習者にとって、新しい概念が分かりやすく(intelhgible)なければなら ない。. ③学習者にとって、新しい概念がまことしやか(plausible)に見えなければ ならない。. ④学習者にとって、新しい概念が実り多い(fruitful)可能性を示唆しなけれ ばならない。. ここで挙げられた条件は学習者の既有の知識、概念、考え方を再構成するため の条件とも考えることができる。. デマステスの4モデル. ポスナーらが提出した概念変換の理論はCCMモデル(Conceptual Change Movement)と呼ばれている。このモデルは前述の構成主義学習論の進展と相 まって80年代以降の理科教育の研究動向のひとつのキーワードとなった。し かし、後年ボスナー自身が述べているように(38)、このモデルはあまりにも合 理的すぎていたようだ。. デマステスらは実際の学校現場で1年間を通してデータを収集し、そこから 一26一.
(28) 概念変換の4つのモデルを抽出した倒。その4つのモデルとは以下のとおり である。. 大規模モデル(wholesale changes). ボスナーらが提唱していた従来のモデル(CCM)に該当するパターン。 段階モデル(casca盛e changes). ひとつの概念変化が概念変換の連続を可能にするように、概念変換が段階的に すすむパターン。. 発展モデル(incremental changes). 認識(概念)が発展的に変化するパターン。CCMは概念変換の唯一のパター ンとされていたので、このパターンが見出されたことでCCMに対する疑問を 提起された。. 二重構造モデル(dual construct). 論理的に相容れない認識(概念)が構成されたり、部分的に前の概念が使用さ れたりするパターン。このパターンが認められたことで、学習は既存の認知構 造の再建や競合している認識の完全な交換を必ずしも必要としないことが裏付 けされた。. CCMモデルでは概念変換を科学の主要な概念上の変化に類似したパターン として考えていたので、概念は急進的な過程を経て変換する、と見なされてい. た。しかし、デマステスらは上記の4つのモデルを見出したことから、理科授. 業の中ではCCMモデルによってあらわされる以外の概念変換が存在するとい うことを認め、新しい概念変換のモデルを構築する必要があるとした。. 一27一.
(29) 3節のりこえの構造 1 のりこえの構造 旧約不可能性の限界. ターンが使用した「パラダイム」という言葉は現在、科学哲学のみならず多 くの領域・分野で使われている。ターンは本来の考えでは、パラダイムはある種 の共同体を背景にして成立しているもの、という範囲を超えてはいなかった。. しかし「パラダイム」という概念が物事が変化していく過程や様相をあらわす のに好都合であったため、現在ではそれぞれの領域・分野において、少しずつ違 った意味を与えられて使用されている。. 前節で述べたように、学習者の概念変換が科学理論の革命的転換と類似した パターンがあるとボスナーらがとらえたのもその一つの例である。ボスナーら は学習者の概念体系が科学革命的に変換するとして概念変換を考えたが、本来 は共同体での考え方や方法の変化を議論するために用いられた「パラダイム」 という概念を個人内部の変化にも適用したのである。. 個人の思考や概念の変化についてパラダイムという言葉を使用することにつ いては、集団が認めている「理論」や「方法」が個人の「思考」やその人が認. 識している「概念」に置き換わったと考えればよい。しかし、パラダイム転換 という概念をベースにしている以上それが抱えている「共約不可能性」という 問題は避けては通れない。それが明確にあらわれるのは転換する前と後の概念 体系同士の関係である。. 第1節で述べたようにターンの考えでは、ふたつのパラダイムは断絶してお り、共通の尺度を持たないので、その優劣を比較することは無意味であった。. これを個人の思考や概念変換に置き換えて考えると、ある人がそれまで持って. いた考え方と新しい考え方の間には何らっながりが無く、しかもこれまでの考 え方と新しい考え方とではどちらが優れているのかという比較ができないとい うことになる。つまり、思考や概念には連続性がなく、進歩性もないというこ とになるが、これは常識的に判断して到底認められるものではない。 一28一.
(30) さらに、ターンの説では古い理論Aと新しい理論Bの関係はBはたまたま時 間的にあとから出てきたというだけで、理論Bにそれ以上の新しさと言う意味 を持たせることができなかった。これを個人の思考や概念変換に置き換えて考 えると、今もっている考えは前に持っていた考えよりも新しいとは言えず、そ もそもなぜそのような考えがでてきたのかということさえも説明できないので ある。. 半共約可能性 前項で述べたいくつかの問題点は、一言で言うとパラダイム論が抱えている 「共約不可能性」に根差している。この問題について、唐木田は科学史のみな. らず宗教や芸術の事例を詳しく検討して、二つのパラダイム、つまり二つの理 論の関係について、 「新しい理論は古い理論の内部矛盾をのりこえることによ って創造される(40)」という「のりこえの構造㈲」を見出した。. 唐木田もターンと同じように、異なった思想体系に対し、それらが正しいか どうかを判断する共通の基準・原理は存在しないと考えた。それは、新しい理論. Bと古い理論Aは自然観を全く異にしているので両者には完全な断絶があるか らである。したがって、理論が漸進的に真理へ接近していくという考えを唐木 田も否定した。. しかし、古い理論Aと新しい理論Bは完全に相対的であるかという点に関し ては次のように述べている(42)。. 新しい理論は古い理論とは自然観を全く異にしています。両者には完全な断絶があります。両者に共通 の用語が存在することはしばしばありますが、それらは全く異なった意味や概念を背:負っています。従. 来考えられていたこととは異なり、理論は、徐々に、蓄積的に、〈真理〉に漸近していくというのでは ありません。一方、新旧二っの理論は完全に相対的であって両者の間のコミュニケーションは閉ざされ ているのだとする昨今流行の考え方も、極めて一面的であることに注意しなければなりません。まず、 新旧二つの理論は決して〈対等〉ではありません。一方は他方を母体として誕生するのです。生まれて しまえば独立だ!といっても、〈母親〉は、さまざまな形で、〈子供〉に影響を及ぼしています。また、. 一29一.
(31) 新しい理論においては、もちろん全く異なった自然観のもとにではありますが、古い理論がいかに成功 を博すことができたかを完全に理解することができます。言い換えれば、新しい理論は古い理論の成功 をそっくりそのまま引き継いでいるのです。逆に、古い理論は、のりこえられることによって初めて、 その究極的意味が明らかにされます。(中略)古い理論は、それまで、さまざまな知識や活動を統合し 導いてきたのですが、その限界が明らかにされ円環は閉じられたのです。のりこえられた理論は、誤り が明らかにされた(反証された)理論なのではありません。それはむしろ、のりこえられることによっ て、完成されたのです。. つまり、唐木田は古い理論Aと新しい理論Bは非対称的で、古い理論Aから 新しい理論Bは必然かつ不可逆的なプロセスを経ているので、古い理論Aは新 しい理論Bにおいて理解できると指摘しているのである。これは言い換えると、. 二つの水準AとBでBを新しいと定義することができ、ターンが主張するよう に、異なった思想問のコミュニケーションや相互作用を本質的に無意義である とする考えは受け入れていないことになる。. このような理論AとBの関係を唐木田は「二一通約(旧約)不可能性」ある いは「半一通約(二二)可能性」と名づけた圃。. そして、基本理論の交替における古い理論Aと新しい理論Bとの関係におい て. BはAを母体として誕生する。 しかし、BはAに還元できないし、またAからBを導出することもできない。. ただし、AはBにおいて蘇できる。 1 という.「のりこえの構造」を抽出したのである。. 一30一.
(32) のりこえの構造. のりこえの構造は唐木田が科学史や宗教、芸術の事例を詳しく検討して、二 つのパラダイムつまり二つの理論や思想の問の関係から抽出したものであり、. これが個人の思考や概念体系にどう関わってくるかということは彼自身は深く 検討していない。しかし、ボスナーらが概念変換をパラダイム変換の類推で考. えたように「のりこえの構造」も 個人をベースにして考察をするこ. とができると思われる. 図1でAを、ある人がこれまでに 持っていた概念体系とする。のり 図でのりこえの構造での古い理論Aと. こえの構造では新しい考えBはA 新しい理論Bの関係 を母体にして誕生するのであるか. らAとBの関係を一方通行の矢印 であらわすことが可能である。し かし、AとBでは全く別の概念体系であるから、両者の接点はない。 たとえば、これまではクモやミミズは「動物」ではないと認識していた子ど. もが、ひとたび働物」の概念が変換するとそれらを「動物の範曙に加える ことができるようになるように、元の認識と現在の認識は全く物の認識である。. しかし、現在の認識がこれまでの認識から生み出されたことも間違いない事実 である。. さらに、AとBは全く別の考え方のなのであるが、 BからはAの考え方を理 解することは可能である。ミミズを「動物」と認識できた子どもが、「昔はミ ミズは動物じゃないと思っていたんだな。」と違う認識していた過去を振り返 えることができるのはごくあたりまえのことである。 概念のつながり. 理科教育では子どもが認識している事物や考え方の関係を把握するために、 概念地図(concept map)とよばれる手法を用いることがある。図2はその一例 一31一.
(33) である(44).. と考えれ聴念体系も同様に (垂 さまざまな概念の複雑な結びつ 図2概念地図(その1) きから成り立っていると考えら れる。したがって、現実には概念体系は図で表せるような単純なものではない。. 村上はパラダイム転換=ヒエラルキーの転換と考えたがこの考えは概念変換 にも通じるものがあるよう思われる。思考や概念体系を具体的に示すことは当 然不可能なことであるが、概念地図を用いれば、. 静電気 同しではない. \. 思考や概念体系の構造を模式的に捉えることが. /1↑ /. 静電気の中に. ある程度可能である。. 電 流. 電流の中に. 静電気を郵 \ ことがτぎる. たとえば図3のように、図2と同じ用語(ラベ. 1. 電 子. ルという)を用いてあっても、それらのつなが り(リンクという)が違う場合、村上が述べた. 聾蕉懸 プ襟貌汐. ように概念の結びつきや、その際の優先順位や 階層性が違うので、図2と図3とでは異なったパ ラダイム=異なった概念体系を持っていると考 えることができる。. 電流を逮ふこと ができない. 原 子 金属の中に. 金 属 静電気を運ぶこと. ができない. 図3 概念地図(その2). 2 のりこえの方法 「のりこえ」の方法. パラダイム転換では、なぜ理論が交替したのかという問いに回答を与えるこ とはできなかった。しかし、唐木田の「のりこえの構造」では新しい理論Bは. 古い理論Aを母体にしているのでAからBへ「のりこえ」ていく必然性を示す ことが可能である。. さらに唐木田は理論の矛盾に着目することが「のりこえ」の方法であると主 一32一.
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