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第2章 科学と芸術

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第 2 章  科学と芸術 

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はじめに

科学や哲学が我々を取り巻く外的世界に関して与えてくれる数々の知見は、芸術、さらにはその芸術の 根底にある世界理解の一つのベースになる。表象される対象の空間的・時間的関係を芸術家がシンボル化 する手法は、同時代に一般に受け入れられている世界観や科学観の基本的タイプと通常は結びついており、

見方を変えれば、芸術作品はそうした世界観の隠喩ともいえるからである。本章はジョイスの文学ならび にモダニズム芸術運動に与えた科学論や哲学の影響を見ていく。

第 1 節  光、視覚をめぐる思想史 

文学と絵画でモダニズム期に同時並行で進行したヴィジョンの変革をみるにあたり予備的考察としてま ず、モダニズム期以前の支配的ヴィジョンである遠近法の形成の歴史を振り返ることにしたい。旧来のヴ ィジョンを考えることで、そのどこに限界があり、どのようにして新しいヴィジョンが発生したかの技術 的、芸術的な理由が明らかになると考えられるからである。20世紀のモダニズム期に起こった知覚の変容 を考察する意味において、「見る」というヴィジョンの変化は決定的な意味をもつ。それは科学や哲学の言 説と重なり合うものだった。古代ギリシア時代以来、「見る」ということ、視覚ということは哲学の主要な テーマであって、すでにその当時から認識の問題として扱われてきた。そして、時代が下るにつれ、見る という行為が純粋に主体を離れた物理的な現象なのか、それとも主体の関与によって初めて成立する解釈 的な現象なのかという問いが起こり、ヴィジョンは科学と心理学双方にまたがる問題としてより深く考察 されるようになる。モダニズム期の芸術家は、単に肉眼による生理学的な視覚情報をうのみにして世界を 表象するのではなく、自らの心の内に生じる主観的な視覚像を重視した。ヴィジョンのあり方に対する軸 足の変化は芸術家の内面(それは芸術精神とも世界観とも名づけられよう)に起こった重大な変化を反映 したものであると考えられるのである。

光学の理論をさかのぼれば、古くはギリシアのプラトンが視線を光線ととらえ、「眼から一直線上に、ど の方向にせよ、内から出ていくものが外界で出くわすものと衝突してこれに抵抗を与える」と考えていた [Plato 1975:65-66]。視線を実体化した直線ととらえ、その直線の先が物体にあたることによって物が見え るようになるという考え方はルネサンス以降の遠近法の下地をつくるものといえる。

『原論』を著した古代ギリシアの数学者ユークリッドは、このプラトンの視覚光線の考え方をさらに先 に進め、『光学』において視覚現象を幾何学的な構図で説明した。ユークリッドは、視線が直線的に、ある 角度をもって広がると考えた。つぎに、眼を頂点として視覚対象を底とする錐(視錐)を想定し、物体が 大きく見えたり、小さく見えたりする「見かけ」の大小が起こる理由を次のように説明した。「より大きな 視角で見られたものはより大きく見え、より小さな視角で見られたものはより小さく見え、等しい視角で 見られたものは等しく見える」[伊東 1971:437]。ユークリッドはこうして同一の大きさの物体が距離の違 いに応じて見え方が違ってみえるという視覚現象を、定量的に説明した。こうした「見かけ」の像を作図 法として採用したのがルネサンスの遠近法である。

作図理論を初めて記録に残したイタリアの建築家アルベルティの『絵画論』には次のような記述がある。

「絵画とは、与えられた距離と視点と光に応じて或る面上に線と色を以て人為的に表現された裁断面に外

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ならない」[Alberti 1435=1971:20]。このアルベルティの考え方にはユークリッドの視錐の考え方が反映し ているのは明白である。こうして確立した絵画の遠近法には大きく2つのポイントがある。まず1点目は、

視覚は「見かけの像」であるという点である。そこで見える視覚とは数学的に定量的に表現される像であ る。観察者の視点の位置が変われば、対象の見え方も変化する。2 点目として、固定した一点からみた限 られた視野であり、1 人の絶対的な観察者が存在する。遠近法が誕生したのはルネサンスの人間中心主義 の影響があった。中世のヨーロッパの宗教画は神の栄光をたたえる目的があり、描かれる対象は遠近法的 な構図に支配されず、重要な意義をもつものが大きく描かれた。ところがルネサンスでは、人間が神に置 き換わって人間中心の世界観が支配的になる。そこで、人間を視覚の中心、つまり観察者の立場に置く遠 近法的な世界解釈、再現法が有力になり、表象の技術論として確立した。こうして遠近法は人間の主観的 な視覚を数学で客観的に表現する方法として西欧の絵画で支配的な地位を占めることになる。ただ、世界 のほかの地域でも同様なことが起こったわけではなく、きわめて限定された知の形式であったことは留意 しておくべき点である。

ビザンティン時代の宗教絵画を遠近法の絵画と対照させて分析した旧ソビエト連邦の美術家フロレンス キイは次のように述べている。

  ロシアの十四世紀と十五世紀のイコンにはじめて接するとき――あるいはときには十六世紀のイコン に接するときでも――ふつう人々は思いがけない遠近法的な関係に驚かされる。とりわけ平らな面と直 線の稜線をもつ対象、たとえば建物や机、王座、そしてとくに書物――描かれている救世主や聖者が手 に持っている福音書――の場合がそうだ。その独特の関係は線遠近法のさまざまな規則にあまりにも反 しているので、線遠近法の観点からはつねに素描法に対するまったくの無知とみなされている。

[Φлορенcкий 1919=1998:13]

フロレンスキイは中世の宗教画では遠近法に基づいた秩序ある構図がないことを指摘し、遠近法からの 逸脱が芸術的な観点からの意識的な行為であること、遠近法的な世界像とは異なる世界解釈から由来して いることを例証していく。視点や視覚は、時代や地域、文化・生活様式によって異なっており、それによ って物の見え方が変わり、芸術作品の様式も異なってくるとフロレンスキイは主張している。このように、

視覚、視点といったヴィジョンが地域・時代に固有なものであることは、モダニズム期の視覚・認識の変 容を考えるうえでも注意すべき論点である。

視覚に対するもう1つの見解、すなわち視覚は単なる物理現象ではなく、精神と眼との相互作用で発生 するものだという心理的な解釈は、古代から連綿とあった。物理学者のアーサー・ザイエンスによれば、

プラトンの考えた視覚光線、直線的に進む眼差しの光は情動的な解釈の光でもあったという[Zajonc 1993=1997:52」。プラトンは認知行為の比喩として視覚を取り上げ、精神自身の知覚器官を「魂の目」と か「心の目」と名づけた。近代ではゲーテがこうした心理的な視覚について研究している。彼の『色彩論』

(1810)の主要な主題は、色彩に備わる情動的、美学的な性格を解明することだった。ゲーテは特に、幻影

という人を惑わす現象自体が、実は視覚的な真理であるとし、錯視の問題を追求した。そこで彼が取り上

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げたのは残像である。明るい色の物体は暗い色の残像を人間の網膜に残し、暗い色の物体は反対に明るい 色の残像を引き起こす。そこでは錯覚を通して視覚というものの一つの特質が浮かび上がる。それは、視 覚とは観念的な想像力の産物であるという側面である。ゲーテによれば、視覚は視神経が実際に外界の光 を受けて受容した情報以上のものを脳内で見せるのだという。

ゲーテが考察した「錯覚」は、視覚のあらゆる面で精神の働きがかかわっていること、知覚という知的 行為がその場その場の状況や、過去の記憶によって影響を受けていることを示唆するものであった。色彩 が何であるかという謎については当時の人々は、ニュートンの『光学』に基づいた色彩理論に拠っていた。

ニュートンは、色によって光が屈折する角度が異なっていることを実験で示し、色彩を測定可能な対象と して扱った。虹は様々に屈折する光線からなっており、特別の色の感覚を引き起こすというのである。そ れは人工的にはプリズムによって実現する。ゲーテにしてみれば、ニュートンの単色光はプリズムを2回 も通すという人工的な操作によって得られるものにすぎず、それはもはや自然の光ではない。色彩とは自 然の光を源泉として生まれるものだとゲーテは考えた。『色彩論』でゲーテは「屈折の作用が現れても、色 彩現象が知覚されないことがある」[Von Goethe 1810=2001:189]と述べ、「彼〔引用者注:ニュートンを指 す〕の犯した誤りは、唯一の、しかも人為的な現象を根底に据え、そのうえに仮説を築き、この仮説から きわめて多種多様な無制限の現象を説明しようとしたことである」[Von Goethe 1810=2001:58]とニュート ンをこきおろしている。ゲーテが対峙したのは、ニュートンが広めた自然科学観、自然法則に基づいた視 覚プロセスであったが、歴史的にはゲーテの色彩理論は同時代の科学者から無視された。

以上まとめると、視覚や光に関する知覚の方法には2つの思想史的コンテクストがあった。1つは幾何 学的に空間を把握する遠近法的な手法であり、ルネサンス期に絵画論として確立され、後節で考察するデ カルトの合理論とあわさって、その後の近代合理主義を支える認識のモデルになった。遠近法的な世界把 握は、世界を目でみえたままに忠実に再現するという模倣的な表象につながる。もう1つは観察者の精神 の働きによって主観的な視覚が生産されていくという考え方である。目という自然の器官を備えていても、

それだけでは人間は事物を認識できない。外界をみるには、ある種の訓練、後天的に「見る」という所作 を身に着けなければならず、視覚とは主観的、心理的な現象であるとするのが、後者の立場である。現在、

知覚を巡る人文学上の言説は、知覚を単に数学的・生理学的なメカニズムに規定されるものではなく、む しろ社会的、文化的な知覚のパラダイムとしてとらえる。クレーリーは、ヨーロッパの知の制度において 支配的だった遠近法的視覚モデルのあり方が19世紀のはじめに根本的な転換を迫られ、それが19世紀末 の モ ダ ニ ズ ム 絵 画 に お い て 古 典 主 義 的 な 視 覚 モ デ ル か ら の 切 断 に つ な が っ た と 指 摘 す る[Crary 1988:33-34]。クレーリーが文化的言説のレベルでその転換をなしたとみなすのが、先ほど紹介したゲーテ の『色彩論』や、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(1819)である。そこでは観察者はも はや遠近法に則って視覚を受動的に受け取るのではなく、自ら視覚を作り出す能動的な役割を果たすよう になる。本稿もジョイスやジョルジョ・デ・キリコの芸術作品の分析を通じて後者の知覚モデルの枠組み が優勢になることをみていくことになるだろう。

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第 2 節  自然科学と芸術の史的関係

科学的世界観の変化もモダニズム芸術の生成・発展と並行して進んでいた。科学が我々を取り巻く外的 世界に関して与えてくれる数々の知見は、芸術、さらにはその芸術の根底にある世界理解の一つのベース になる。芸術家が事物の空間的・時間的関係をみる仕方は通常、同時代に一般に受け入れられている世界 観や科学観の基本的タイプと結びついており、見方を変えれば、芸術作品はそうした世界観の隠喩でもあ るといえるからである。モダニズム期には文学のミメーシスや絵画の遠近法は後方に退けられ、新しい表 象の方法論(様式)を開拓することが、芸術家の主たる関心事となった。そこで正当性や権威を失ったの は遠近法的視覚による空間認識であった。ヴァーギッシュとムックは19世紀の絵画と小説が前提としてい た原則として、現実を鏡像として再現すること、世界の統一性と一貫性を作品に反映することこそが芸術 の仕事であったと指摘する[Vargish and Mook 1999:38]。これは絵画では遠近法、文学ではリアリズムと いう方法論を用いることと関連する。ところがモダニズム期に入ると絵画や文学では多視点的、相対的な 世界把握が優勢になった。ここにアインシュタインの相対性理論の影響を認める先行研究は多く、たとえ ばヴァーギッシュらは、相対性理論、キュビスム、モダニズム文学の3つに相互の連関を認め、説得力の ある議論を展開している(1)

  19世紀的リアリズムの時代の世界観を規定していたのは、ニュートン物理学の絶対時間と絶対空間の概 念である。ニュートンは宇宙の至るところで均等に流れていく時間のことを「絶対時間」と名付け、時間 とは無関係にそれ自体で存在する不動の空間を「絶対空間」と呼んで両者を区別した。ニュートンは『自 然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』(1687)の中でたとえば絶対時間については、「絶対的な、真の、

数学的な時間は、それ自身で、そのものの本性から、外界のなにものとも関係なく、均一に流れ、別名を 持続ともいいます」と説明している[Newton 1687=1979:65]。リアリズム小説もこのニュートン物理学の 考えに準拠し、時間と空間の協力関係を前提として世界を描写した。たとえば、小説家は読者の日常の世 界がそうであるように、ある時間の、ある場所でのエピソードを語る。出来事はある順番で、因果関係を もって記述され、特定の期間に起きる。神が創造した世界を所与のものとする西欧キリスト教世界では、

神が宇宙の始まりをつくり、世界は精密な機械時計のようにニュートン物理学で厳密に支配されていると みなされた。世界の空間は閉じたシステムであり、宇宙の惑星から地上のりんごまで同じ力が宇宙にあま ねく働く。時間は過去から未来へと連続的に流れている。こうした時間と空間の静的な協業が外的世界の 背後で確固として作動しているのがニュートンの考えた宇宙であり、リアリズム小説もニュートンの時空 モデルを所与として創作された。小説の筋が時系列で進んでいくことを当時の小説家や読者は自明なもの としてその妥当性を疑わなかった。リアリズム小説で重要なことは、小説内容の経験内容(それが物質的 なものであれ、社会経済的な問題であれ、心の問題であれ)が、小説の語り手の外で独立して確固として 存在しているということだったとヴァーギッシュらは指摘する。それは小説の語り手が物事を正確に読者 に伝える「信頼できる語り手」として存在する担保ともなっていた(2)。 

  それを大きく変えることになったのが20世紀のアインシュタインの相対性理論である。相対性理論は、

それまでのニュートン物理学に基礎をおいた静態的な宇宙論を否定するものであった。相対性理論では物 の動く速さが光速に近づくと、空間と時間の関係が変化する。運動の方向に沿って長さが縮み、動いてい

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る時計はその時間の進み方が遅くなる。ふつうの数百年の時間が、光速に近い速さで進む観察者にとって は一瞬の瞬きの時間に変じる。同時代の数学者であり、哲学者のバートランド・ラッセルは相対性理論が 時間と空間に対する概念を大きく変えたことを次のように説明している。

  ……空間における位置を決める方法と時間における位置を決める方法とは、互いにまったく無関係に できると思われていました。時間と空間はまったく別個のものと考えられたのです。相対性理論はこの 考えを変えてしまいました。(中略)さらに時間と空間の数え方は、もはやお互いに独立ではありません。

もしも空間における位置の数え方を変えれば、二つの事象の間の時間のへだたりを変えてもよいでしょ う。もしも時間の数え方を変えれば、二つの事象の間の空間の距離もまた変えてもよいでしょう。……

[Russell 1925=1991:66-67]

ラッセルは時間と空間がもはや互いに独立別個な関係ではなく、空間における位置がかわれば、時間も それに影響されること、ニュートン的な宇宙で想定されている絶対普遍の時間は存在しないことなどを説 明している。相対性理論は、時間は相対的なものであるという意味において、小説世界の時間の概念を覆 すことにもなった。20世紀初頭には四次元の空想科学小説などがたくさん描かれた。時系列が破壊された り、過去と現在が同時刻に起こる同時性の現象が起こったり、空間と時間が分離されたりするといった新 しい叙述が同時期の小説のスタイルとして登場している。それと相似なものをモダニズム芸術の中に見つ けようとするとダニエル・ベルが指摘するように、キュビスムの同時多元的な表現があてはまるだろう。

ニュートン力学はユークリッド幾何学と手を携えて、近代の正統的世界観を体現し、文学のみならず、

絵画においても認識論の前提となっていた。絵画の遠近法はユークリッド幾何学を基本に置き、単一の視 点から世界を眺める手法であるが、ニュートン力学も不動の観察者というものを前提としていた。リアリ ズム小説もニュートンのモデルに基づいて時間と空間を二つ一組のセットでとらえ、目に映る世界を描写 した。いずれも、ニュートン的世界観を共有し、その中で現実世界(時間と空間の中で存在する物質的な ものすべて)を再現的に表象したといえる。ところが相対性理論では、観察者の存在は見る対象物にも影 響する場にいるため、客観的な実在という確証はゆらぐ。相対性理論が示してくれる新しい知見は、世界 表象のあり方にも疑問を呈することになった。

ただ、ここで相対性理論が直接的に、文学や絵画の芸術家に影響を与えたと図式化することも危険であ る。物理学と絵画、文学が極めて高いレベルにおいて相関を示すことは事実だと考えられるが、そこに直 接的な因果関係があるという証明は容易ではないからである。実際、ピカソは相対性理論の類比で自分の 作品が解釈されることに対し、次のように苦言を呈している。「キュビスムを安直に説明しようとする際に、

キュビスムが数学、三角法、化学、精神分析、音楽などと関連づけられてきた。そうしたものはことごと く、無意味なものとは言わぬまでも、パンフレットの類にすぎなかったのであり、せいぜい理論でもって 人を盲目にしてきただけのことだった」[Picasso 1966:168]。この指摘は、キュビスムがその芸術内部から 独自に新しい表現、視点を生み出したという主張である。それにもかかわらずキュビスムがほかの分野の 発達の影響を受け、しかも外部にも影響を与えたことも確かである。この時代には文化や社会、学問など

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広範な分野で認識論的な変化が同時発生的におこったのであり、そこに明快な因果関係を求めるのはきわ めて困難であり危険ですらある。本稿ではこの時代に協同的に新しい認識、世界理解の方法が深まり、時 間と空間の座標を処理する自由が著しく増大していったことを確認するにとどめる。文学や絵画における 表象の革新はあとで見るように、個々の芸術家の独自の精神活動の中で育まれた結果ともいえるからであ る。

第 3 節  非ユークリッド幾何学 

20世紀の相対性理論の誕生を準備したのが18-19世紀における幾何学の革新である。ギリシア時代から 19世紀まで数学を支配してきたのは、ユークリッド幾何学だった。しかし、19世紀半ばまでにかつてのユ ークリッド幾何学は絶対的な権威を失い、非ユークリッド幾何学と呼ばれる新しい考え方が登場する。非 ユークリッド幾何学は文字通り、ユークリッド幾何学ではない幾何学のことであり、それらが標的とした のはユークリッド幾何学の第5公準だった。

ユークリッド幾何学の第5公準とは平行線の問題を扱い、「1本の直線とその上にない点を与えられたと き、この点を通ってもとの直線に平行な直線がつねに1本だけ存在する」と定式化している。これが古代 より数学者の疑問をかきたて、第5公準の誤りをみつけようと多くの数学者が努力した。非ユークリッド 幾何学の発見者の1人であるロバチェフスキーは、「与えられた直線と交わらない直線が1本だけでなく、

少なくとも2本引ける」とし、第5公準と対立する公理を提唱した。

簡略化すれば、ユークリッド幾何学が平面上で与えられたAという直線の外の1点を通り、その直線A に平行な線は1本しかないとしたのに対し、非ユークリッド幾何学ではAの平行線が複数ある場合もあれ ば、1本も存在しない場合もあるとユークリッドの第5公準を否定するのである。非ユークリッド幾何学 ではロバチェフスキーとボーヤイがほぼ同時期にこれを発見したが、リーマンは別のリーマン幾何学と呼 ばれる非ユークリッド幾何学を編み出した。

日本の中学レベルの数学、理科は三次元のユークリッド空間(X、Y、Zの3本の座標軸が直行する空間)

を前提にカリキュラムを組んでいるため、その知識では、非ユークリッド幾何学をイメージするのは困難 だが、非ユークリッド幾何学の理論をイメージする分かりやすいモデルが球面のモデルである。デブリン によれば、太陽系とか銀河系のような大きなスケールで見ると、ユークリッド幾何よりも非ユークリッド 幾何学が宇宙の現象を理論的に説明するのに適しているという。なぜなら、こうした宇宙的スケールでは 相対性理論が示唆するように時空はゆがみ、光が直線的に進行しないような現象が起こるからである。

  どの非ユークリッド幾何学がふさわしいのかは、宇宙の理論として何を選ぶかに依存している。もし、

宇宙の膨張がそのうち止まってやがて収縮に向かうという仮定を採用すれば、楕円幾何学がふさわしい。

しかし、もし、宇宙が永遠に膨張を続けると見なすのであれば、双曲幾何学がふさわしい。

アインシュタインの相対性理論とそのニュートン的理論に対する優越性を証明した天文学的観測が、

非ユークリッド幾何学の出現から半世紀を経て登場したという事実には、とくに驚かされる。これは、

数学がいかにして世界に関するわれわれの理解に先行するのかというひとつの例を与えている。[Devlin 

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1994=2005:208]

  非ユークリッド幾何学の登場によって、ルネサンス期から画家たちが用いていた遠近法も変容をこうむ る。遠近法はユークリッド幾何学を前提にしていた。必要な操作は、ユークリッド幾何学のパターンをカ ンヴァスの平面上の点に投影する技術であった。遠近法は目にうつったようにみえる三次元的場面の幻影 を、二次元の平面上に写し取るための技法であるが、ユークリッド幾何学と異なる概念が提唱されたこと は、遠近法によって世界を表象するというルネサンス以来の絵画のあり方を理論的に揺るがすことになる。

年代的にみると、非ユークリッド幾何学が誕生したのは、遠近法に代わる新しいアプローチを印象派が 模索しはじめたのに先行した。ユークリッド幾何学が世界を認識する唯一の構成原理でないことが分かっ たことが、直接的にモダニズム芸術家にインスピレーションを与えたとまでは言えないにせよ、間接的に 影響を与えたことは否定できないだろう。19世紀から20世紀の初頭にかけて、この非ユークリッド幾何 学を応用した大衆小説がいくつも書かれ、その流れに反抗するルイス・キャロルのEuclid and His Modern 

Rivals(1885)のような著作もあった。非ユークリッド幾何学の知見を使った作品として、ライスは四次

元を扱ったエドウィン・アボットのFlatland(1884)や、H.G.ウェルズのTime Machine(1895)などを 挙げている[Rice 1997:57]。大衆文学と科学理論の相互作用を示すものである。

絵画との関連でいえば、こうした新しい幾何学は遠近法の正当性の根拠を薄弱にし、キュビスムなどの 新しい空間構成を準備した。より分かりやすい例を引けば、この幾何学的空間と目に見える物体の間の錯 覚を利用しているのが、オランダの画家モーリッツ・エッシャーのだまし絵である。物理的な世界と精神 的な視覚認識の経験が連続するところに、通常では考えられない視覚空間を出現させるのが、だまし絵の トリックである。エッシャーは幾何学的な知見を利用して、現実にはない世界をカンヴァス上に表現した のであり、双曲幾何学を用いた《円の極限 Ⅲ》という作品がある。この作品では同じ大きさで生き物が描 かれているのに、画面の周辺に目が移るに従い、生き物の大きさが小さくなっていくように見える。これ は ユ ー ク リ ッ ド の 世 界 に 双 曲 的 な 世 界 を 埋 め 込 ん だ た め に お き る 現 象 で あ る と い う[Devlin  1994=2005:208]。非ユークリッド幾何学はジョイスの作品世界にも影響を与えていると考えられ、本論で 具体的に分析する。

 

第4節  主観と客観 

 

モダニズム文学と科学哲学との関係で言及が必要な、もう1 つのポイントがデカルト的心身二元論であ る(3)。モダニズム文学者の間で主要な関心事の1つとなったのは、内的経験の描写であった。そこでは現 実の外的世界に主体がどう感じ、どう反応するかという主観のあり方が問題になってくるのだが、モダニ ズム期においてはそこにリアリズム小説とは違う変化が生じた。それは、デカルト哲学では自明とされた、

実在とその知覚という素朴な対応関係が 20 世紀文学ではそのまま受け取れなくなったという認識モデル の違いである。 

  近代の認識論の基礎をつくったデカルトの思想は世界の外部に位置する主体が、身体に属さない固定さ れた1点から対象を認識するという二元論に基づく世界観を前提としている。思惟の実体(精神)と、延

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長するもの(外界、身体)を分ける心身二元論は、ユークリッド幾何学とあわさって遠近法の理論的土台 をつくっていた。ジョン・ロックの経験論も、観察者という主体を前提とし、ユークリッド幾何学に基づ いた認識のモデルを念頭に置いていた点で同列にある。モダニズム運動は、この主体、自意識という感覚 が社会の急激な変化の中で見失われた中で発生したと、ルイスは指摘する[Lewis(P) 2000:8]。19 世紀か ら20世紀の変わり目における社会や政治経済的な激変が、自分は今ここにいるという、基本的な現実認識 を希薄化させ、個人は自分の存在根拠に不安を覚えた。こうして以前には疑いすらしなかった「リアリテ ィー」の存在が怪しくなり、同時並行的に主観、主体概念の見直しが始まる。それは外的な実在と、それ を知覚する主体という素朴な対応関係が成立しなくなるからである。モダニズム文学の多くが、心理小説 として個人の意識の内面に分け入っていくのもこの主体概念の揺らぎが関係し、意識する主体の限界を自 覚することを迫られたからであるとルイスは主張する。 

  認識論的な観点からみれば、自我、自意識の揺らぎは、視覚モデルの揺らぎと密接に関係すると思われ る。現代を代表する哲学者の1人であるリチャード・ローティは近代の哲学史を振り返り、西欧の心が視 覚的メタファーによって支配されてきたとみる[Rorty 1979=1993:31-32]。17 世紀以来、心や知識をめぐ る議論は表象の問題として扱われ、心は実在を映し出す1 枚の鏡になぞらえられた。ローティは 17世紀 以降の近代の見方と近代以前を隔てている認識論的な違いを説明する材料として、「なぜ心身問題は古代に なかったのか」と題したウォレス・マトソンの論を引いている。マトソンによれば、ギリシア人には、心 の内面状態、意識状態を外部世界の出来事と区別する概念がなく、デカルトの心身二元論が市民権を得た 17 世紀的なものの見方とはかけ離れていたという。「観念」という心的内容を示す用語を用いるのはデカ ルト以降に始まったのであり、「痛みと明晰判明な観念の双方が単一の<内的な眼>の前を通過していくよ うな内的空間として人間の心を考えることもなかった」[Rorty 1979=1993:36]。 

視覚、ヴィジョンの問題がデカルト的主観、主体概念と密接に関連して認識論の重要な問題となって立 ち現れてくると考えられるのは、まさにこの点である。すなわち視覚のモデルは、視覚をつかさどる主体

(精神)を特権化するという効果を帯び、外界の世界を認識する観察者を絶対優位の位置に置く。そうし た視覚モデルが絵画に応用されて遠近法をうみ、文学では「全知の語り手」という単一不動の視点がリア リズム小説を背後から支えた。芸術作品が視覚モデルに依存し、芸術家が無意識にもつ認識論の隠喩とみ なせるのもまさにこの構図があるからである。 

近代以降の西欧では遠近法的視覚が支配的な認識のメタファーとなったが、その理論的土台をつくった デカルトとロックは実際、カメラ・オブスクラという遠近法で使う光学器具を考察のモデルとしていた。

カメラ・オブスクラは語源的にはラテン語で「暗室」という意味で、レンズと鏡を備えた装置として、透 視図法を描く時に使われた。暗室の1箇所に穴を開け、通ってくる光の先をみると、穴の反対側の平面に、

外の景色が倒立して映る。様々な細部と色をもった風景全体が1点を通してこのカメラ・オブスクラの中 に入り込む。17 世紀には目のモデルといえばこの装置であった。実際、デカルトは『屈折光学』(1637) の中で、眼の構造を説明する際に、カメラ・オブスクラをほうふつとさせる装置を例示している。 

 

完全に閉めきった部屋のうちで、一つの穴だけを残し、この穴の前にレンズの形をしたガラスをおき、

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そのうしろに或る距離をおいて黒いリンネル布を張ると、その上に外部の対象からやってくる光が形象 を形づくるというのである。(中略)この部屋は、眼を表わしており、穴は瞳、ガラスは水晶液、あるい はむしろなんらかの屈折をひき起こす眼の部分すべてであり、このリンネルは視神経の末端でできてい る内部の膜だというのである[Descartes 1637=1973:138] 

 

遠近法とデカルト的心身二元論の密接な関係がここで明らかになる。世界の外部に位置する主体が、身 体の経験に属さない表象=再現の装置の一部をになう、そして固定された不動の位置から対象を認識する という世界がカメラ・オブスクラで機械的に表現されている。思想史家のマーティン・ジェイは、デカル トの主観的合理性と遠近法的な世界把握の仕方を一緒にまとめて「デカルト的遠近法主義(“Cartesian 

perspectivalism”)」と命名し、これが近代の知覚のパラダイムとなってきたと指摘する。デカルトの心身

二元論は、近代における視覚優位の言説の根拠としてその後の近代思想に多大な影響を及ぼし、近代の認 識のモデルは視覚を中心として組み立てられた「視の制度(“the modern scopic regime”)」であるとする [Jay 1988:4]。この視覚の絶対的地位が揺らいだのは19世紀後半からであり、知覚のパラダイムシフトが モダニズム芸術を巻き込んでいった。 

本稿の主旨にひきつけてローティらの主張を考えれば、20世紀芸術にも多大な影響を与えた、主観と客 観という哲学上の問題は、芸術作品の中で認識論的な見方の変遷として読み解くことが可能になる。本稿 で試みようとしていることは、芸術作品をその時代に優勢となる認識のパラダイムの隠喩とみたて、そこ に同時代的な世界観の変容を探り、芸術家の創作精神に接近することである。このアプローチは近代の合 理主義的認識のメタファーであったデカルト的遠近法主義からどのように芸術家が離れていったかという 事実の確認ともなり、多分に近代の認識に関する批判的視座を含んだものになるだろう。形而上学とは字 義通りには「物理学を超えた」という意味であるが、ローティが言うように近代哲学が考えてきたのはも っぱら表象の問題であるとすれば、それは芸術作品の中でこそ有意な分析が可能になると考えられるので ある。文化的表象の代表である芸術作品の中にこそ、時代の認識の変容が明快に現れるからである。 

視覚、ヴィジョンが絵画では印象派の登場により19世紀後半から揺らぎ始めたことは先にみた。文学で はそれが個人の主体概念の揺らぎとなって現れてくる。人間の心理を扱ったモダニズム小説では、内なる 精神と外界が相互に浸潤しあい、精神と自然の区別が不明瞭になってくる。そこには、人間の内的経験を 描く過程で、外界を精神の活動と切り離して理解することが難しくなったという事情もある。心理小説が 心身二元論という近代の前提を否定したという契機と、内と外という区分け自体が作家にとっての日常の 現実感覚(リアリティー)ではなくなったという2つの理由が同時並行的に存在している。視覚の揺らぎ は主体概念を揺るがし、それを前提として成り立っていた19世紀的なリアリズム小説や遠近法的構図の絵 画をモダニズム芸術家が否定する契機になったといえるだろう。 

ソーントンは「主観がそれ自体で絶対的な存在で神聖不可侵であるという考え方は、近代の西洋の知的 環境の中で一種の防御的なうぬぼれた主張であった」と指摘する[Thornton 1994:30]。そしてモダニズム 文学の作家は、それ以前の「全知の語り手」という視点(“omniscient perspective”)を捨てたと指摘する。

モダニスト文学はこうした近代の主体概念の限界を悟り、新しい現実感覚(リアリティー)を模索し、そ

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れを語り方の革新を通じて実行に移したとも解釈できるのである。本稿ではジョイスを通じてそれを実証 的に検証していくが、そこに同時代の動きと共鳴しながらもジョイス独自の認識論の展開があったことが 明らかになるであろう。 

小括 

一つの時代の様々な表現形態の間である種の平行関係がみられるのは、この時代に限ったことではない。

それらの関係のどれか一つを起点として因果関係を求めるのは、困難を極めるばかりか、時代の認識観の 変遷の理由を過つ原因にもなる。むしろ、この章でみてきた認識をめぐる思想的な展開は、さまざまな分 野で同時並行的におこったことを今は確認するだけで十分であろう。現代芸術はもはや数学的な遠近法の 秩序に満足せず、絵画の主題は自律的な構成を目指すようになった。文学でも近代哲学の主体意識は揺ら ぎだし、それに伴って、主体と客体との間に引いていた境界線はあいまいになる。リアリズムの退潮で新 しい空間構成へと変わっていくのがモダニズム期に文学と絵画で起きた共通的な変化である。

次章以降において欠かせないと考えるのは、異なる文化様式を解釈するのに際し、それぞれで自律して いる文化・芸術分野の内部に、それらに共通する認識論的な土台があると考えられることである。それを 本稿は視覚の変容という問題を中心に取り上げていく。ここでいう視覚とは、ひとりの人間の眼に生じる 生理的な視覚現象や、その行為を指すことではない。むしろ、もっと集団的な現象、ある特定の時代の人々 のものの見方、思考法を規定するものであり、本稿の場合だとモダニズム芸術の文化のありようの隠喩と しての視線である。19世紀から20世紀の変わり目に、現実や実在というものに対する認識の変容が起こ った。視覚モデルの変容は絵画の世界だけでなく、言語芸術にもみられるのである。

註 

(1)ヴァーギッシュらは、物理学の相対性理論と絵画のキュビスム、モダニズム期の文学作品の三者が相互に刺激し合 ったという直接的な因果関係はないものの、高いレベルにおいて認識可能なある共通的な特徴をもっていたと指摘する [Vargish and Mook 1999:4]。世界を多視点的にみるアプローチが相対性理論の考え方に少なからず依存し、キュビスム などの芸術運動も相対性理論がおこした科学的革新から有形無形の影響を受けたとみる先行研究は数多い。ダニエル・

ベルも『資本主義の文化的矛盾』の中で、「キュビスムには、混乱ぎみではあるが、相対性理論の概念を表現しようとい う努力が見られる」と指摘している[Bell (D) 1976:112]。

(2) このリアリズムの原則を逆手にとって「信頼できない語り手」を意図的に用いる作品もあった。マーク・トゥエイ ンの『ハックルベリー・フィンの冒険』や、20世紀の作品になるがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は、語り 手が10代と若く、表現力や外界の理解力に限界や未熟なところがある。20世紀の小説であるフォークナーの『響きと 怒り』の語り手ベンジャミンのように、知的障害者という設定からくる制約により、その思考や論理を正常人の感覚で はつかめず、判然としない例もある。また、語り手の性癖や人格をゆがませて、その語る内容に不信を抱かせる手法も ある。いずれも「信頼のおけない語り手」を用いることによって、見せ掛けと現実の乖離や、人物の欺瞞をさらけ出す 効果があった。ヴァーギッシュらが信頼できる語り手をもつリアリズムの終焉を示す作品としてあげているのが、ヘン リー・ジェイムズの『ねじの回転』である。この作品では、女教師の言動は矛盾に満ちており、読者は彼女の発言がど こまで真なのか、それを意図的に発しているのかさえ、確証がもてない。

(3) ルネ・デカルト(1596-1650)は『方法序説』(1637)の中で絶対確実な自我の存在を以下のように説明する。「し かしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えている このわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして『わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟 ウ、故ニワレ在リ〕』というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確 実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した」

[Descartes 1637=1997:46]。4年後に刊行した主著『省察』(1641)の第2省察では「それゆえ、すべてのことを十二分 に熟慮したあげく、最後にこう結論しなければならない。『私は在る、私は存在する』Ego Sum, ego existoという命題 は、私がそれを言い表すたびごとに、あるいは精神で把握するたびごとに必然的に真である、と」[Descartes 1641=2006:45]。いわゆるコギト命題、cogito, ergo sum(ワレ惟ウ、故ニワレ在リ)は『方法序説』の引用文のラテン

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語訳に由来する。デカルトは認識する主体と異なるものとして、認識される物体を「延長する実体」としておいた。こ うして精神と物質は、「思考するもの」と「延長するもの」、主観と客観という対立軸におかれ、認識のモデルとして心 身二元論が導かれる。 

                                                                                                                     

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