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石川県における大正期の読み方教授

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石川県における大正期の読み方教授

著者 深川 明子

雑誌名 金沢大学教育学部紀要教育科学編

巻 30

ページ 33‑50

発行年 1981‑09‑14

URL http://hdl.handle.net/2297/7321

(2)

33

石川県における大正期の読み方教授

深川明子

-,明治から大正へ

明治から大正へ。石川県の国語科教育におい て,その過渡的な性格を現わすものとして,ま ず最初に二つの論考から紹介しよう。

その一つは,大正2年6月に発行された「石 川県教育雑誌」(113号)に掲載された羽咋郡柏崎 尋常高等小学校長志尾由作氏(石川師範明39卒)

の「小学校読本語法修辞法調査を述べて国 語教授法に及ぶ」という論考である。

氏は,まずこの研究をするに至った動機を「綴 り方成績の不良にあり」として,綴り方教授不 振の現状を憂え,その原因を,「読み方教授に於 ける形式的材料の研究不十分なることを求むる を似て敢へて過言なりとせず。」と強い調子で言 い切って,読本の形式方面における研究の不充 分さにあるとしている。そして,特に語法と修 辞法は文章の根幹をなすものであり,前者はr形 式の正否をを批判し」後者は「文章を有効なら しむるもの」として読本におけるその徹底的研 究の必要性を強調している。調査は次のような 形式でまとめられているので一例を掲げておこ

う。

タケ(二)

ス守〆

ヤナギ(二)

ツバメ

合並列を示す助 辞なれども,こ の場合にはむづ かしき語学的の 説明をなす必要 なく只調和のよ きものを添ふる 付物の「二」と 承るべし。左の 練習をなすべ

し。

タケ(二)トラ ツキ(二)クモ マッ(二)ツル

タケニ スマメ

ヤナギニ ツベメ

この調査の後,氏は教授法について次のように 述べている。

小学校に於ける語法修辞法は,高等なる学校の如く 一定の時間に於て特殊の事項を孤立的に授くるが如

きしのにあらず。読方綴方話方の各分科に連絡し,全 学科を通じて教ふべきなり。又,困難なる名称原則等 を演鐸的に説明すべきものにあらず。多くの類例を挙 げ,帰納的に了解せしむべきなり。即ち,語法修辞法 の教授は,尋常一年に於て単語単文を授くる頃より-

の文字,-の言葉を授くる毎に,或は,物の名称をあ らはす言葉,或は,物のはたらきをあら'よす言葉とし て自品詞の区別を知らしむる様つとむべし。

以上が,氏の論考の主たる内容である。(具体 的な調査の全貌は前年,石川県教育会の主催で開催され た教育品展覧会において,「尋常小学読本語法修辞法調 査」として出品されたものにみることができる。それは 157頁にも及ぶ為雑誌にはその一部力紹介されているの みである。)ここには,読本における語法・修辞法 の研究が急務とされ,それは究極的には綴り方 教授の不振を解消する為であるとの見解が示さ れていると言えよう。

=、

f捧

昭和56年4月30日受理

|〃Ⅲ蒲’

頁次 語法 修辞法 教授上の注意

(3)

金沢大学教育学部紀要(教育科学編) 第30号昭和56年

34

ところで,このような見解は氏一人のみの意 見であったのであろうか。全国的な研究の中で それを捉えてみたい。

明治期末期,綴り方教授においては,その目 的がいかに形式の整った上手な文章を書かせる かという方法論に研究が集約されていった。そ して,文章の模範を読本に求め,読本との有機 的関連を主にした教授細目が整えられる一方,

読本における形式上の研究,特に修辞法,語法 についての細密な調査が研究対象となってい た。(もっとも,五十嵐力の『国定読本文章之研究」(明 治45年二松堂書店刊)のような卓抜した批判的研究も 後には見られるが,現場教師の大半は,読本に対しては 盲信的であった。)綴り方教授は形式上,方法論上 の乱熟期を迎え,新しい綴り方教授への脱皮を 目前にしての終息状況にあったと言って良いだ ろう。その研究は細密を極めていた。(注l)

たとえば,友田宜剛は早くから修辞法の必要 性を強調していた一人であるが,『国定読本の新 研究綴り方教授法』の中で読本の中から修辞法 を具体的に引用して解説を加えている。そうい う中で最も注目すべきは,島根県師範学校訓導,

並河栄四郎らの『綴方教授要綱」(明治44年刊。松 江市園山文学会発行)であろう。「第二篇綴方基礎 材料」(p27~100)の中て,読本についての種々 の調査をまとめているが,その第二は「文法 語法統計表」(p30~46)であり,第三は「読本修 辞調査表」(p47~62)である。これは,地方にお いてもその方面の研究の必要性が認識されてい たことを示すものであり,地方における綴り方 教授の動向を伝える-左証となると言えよう。

志尾氏の研究も全くその同一線上にあるもの と言え,金国的趨勢の中で氏が独自に行った研 究であったと言うことができる。

次にその教授方法であるが,教授者は,一応 読本についての研究を精密に行った上で,それ を直接児童に与えるのではなく,機能的に取り 扱うことの必要性が強調されていた。これは,

当時としては一般的認識に達していた見解であ り,妥当なところと言えよう。ただ,読み方教

授において一年生の頃から品詞に注目させるな どやや言語上の形式方面に偏重している傾向が 見られる。

次に紹介するのは,前者とは対象的に,これ からの新しい研究の方向を示す論考と言えよ う。それは,「童話的材料の研究」と題するもの で,大正2年7月の「石川県教育雑誌」(114号)

に掲載された。執筆者は鹿島郡高階尋常高等小 学校訓導の小寺幸三氏(石Ⅱ|師範明45本科二部卒)

である。

大正期に入り,読み方教授においては教材研 究に関する論考が次第に多くなり,やがて国語 教育史上,教材研究期と呼ばれる時代を迎える ことになるが,この論考もその路線上にあるも のと見倣して良いだろう。また,その中で文学 的文章についての考察が主流を占めるようにな る屯のこの期の特徴であり,その意味でも新し い研究方向に乗った論考であると言える。

さて,氏の論考の内容であるが,まず氏は,

「童話的」と標題をつけたことに関し,単なる 童話のみならず,「神話,童話,仮作童話,歴史 的伝説」を含む広範なものであると概念規定を した後,その教育的価値についての利害を考察 している。

利とする点

1.想像力を養ふこと。

2.児童の理会に適すること。

3.道徳的判断を養ふこと。

4.審美的なること。

5.同情心を輿さしむること。

6.思想が確実になること。

7.趣味的精神を養ふこと。

8.実際的知識を与ふこと。

9.児童の心理に適当すること。

10.学校を愛好する念を養ふこと。

11.真面目となること。

害とする点

1.想像力が大となること。

2.真面目な学科を嫌ふやうになること。

3.道徳上不純なる童話のあること。

(4)

深)||明子:石川県における大正期の読み方教授 35

4.虚偽的のものあること。

5.虚偽と事実上の混用せるもの。

今日から見ると,上記の利害についての判断 は,実利的に傾斜していると言えよう。道徳心 や同情心を函養し,実際上の知識を確実にし,

学校を愛好する真面目な人格を形成する上で童 話的教授が有効であるとしているところにそれ

を見るのだが,更に,害とする点に道徳上不純

な童話があるとか,虚偽的なものがあるという 項目を挙げている中にもその傾向を認めること

ができるものと思う。童話的教材の有効かつ必

要性を積極的に認めている点は評価しなければ

ならないが,それらに対する観念にはまだ旧態 依然としたものがあった。しかし,童話につい ての研究が盛になり,児童の豊かな人間形成に

不可欠であるとの教育的意識が明確になるには

まだ間のある,大正初年頃の論考としては,来 るべき新しい研究方向へ目を向けている点を認

めるべきであろう。

次に,童話的材料の扱い方として,①読ませ る方法②聴かせる方法③見せる方法の三

種類を挙げている点に着目しておきたい。

②聴かせる方法では,家庭,学校,公衆の場 と児童が話を聞く場の全てが想定され,それぞ れに於ける特色や注意が述べられている。また,

③見せる方法では,芝居や活動写真にして見せ る方法があり,これは談話(童話的材料)を具 体化するので児童に良く理解でき最も進歩した 方法であると,視聴覚教育の有効性に触れてい

る。

更に談話をする上での注意として,①言語上,

②身振,③その他と実際的な注意が述べられて いるが,その中に,「原書にとらはれざること。」

とあり,「世界は-日一日と進歩しつ上あるので あるから,原書にとらはれては不可である。随

って随時適当に変じて時代に応じたやうに話 すことを要するIま当然である。」と述べている。

氏の研究の対象が授業中の談話に限定してい

ないことは,上述した通りである。従って,大 勢の聴衆の前で話したり,芝居や活動写真など

ジャンルの異なった作品に作り変えた場合脚色 するのは当然のことであろう。しかし,学校に 於ける談話においても,「教師は梢々芸術的なる を要する。」と述べており,上述の注意点は読糸 方教授上の注意点でもある。読み方教授に於け る説話のあり方が,上手な説話による理解のさ せ方から,読ませる力をつける教授方法へ転換し ていく中で陶汰されていった大正前期の経過に ついては,既に報告ずみであるが(注2),教授上 の説話が重視されている点,教授方法論上にも まだ古さを残存させていると言えよう。

以上,大正初期の二つの対照的な研究を挙げ,

明治から大正への研究の石川県に於ける推移の 一つの実態を示してみた。前者は,明治期のあ る完成された研究の-典型例であり,後者は部 分的には明治期の教授観,教授方法から脱皮し ていないとは言え,新しい研究の方向に添っ たものであり,研究の不充分さは,全国的な研 究水準の未熟さに依るものであったと言える。

二,初期の読み方教授 読み方教授の目的と構造

本節では,雑誌「石川教育」(大正3年4月から

「石川県教育雑誌」を改題し「石)||教育」となる)に大

正3年,3回に渡って「読方教授漫言」と題し て論考を寄せた師範学校付属小学校訓導,南伊 三松氏(石川師範明39卒)の意見を中心に読み方

教授について考察してふたい。(注3)

まず氏は,読承方教授の石川県における現状

を次のように述べている。

或者は徒に内容の末に走り,読本として修身・地 理・歴史・理科の練習草紙たらしめ,或者は,単に文 字語句文章の詮索lこの承腐心し,あたら読本の生気を 奮ひて文法的教科書の如き取扱ひをなし,或者は,花 鳥風月の閑文学にあこがれ,佳詞麗句をのみ調ぜしめ て以て読方教授となし得たりとなす。

ここには,国語教授が教師の趣味に応じて,

ともすると,内容の説明や文章の分解や朗読な どで終ってしまう現状が書かれている。後者の 二つは,それでも次第に影を潜めつつあったが,

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第30号昭和56年 金沢大学教育学部紀要(教育科学編)

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これは語句の取扱いのことで,その内容は,

「直覚的に正確有力なる活用の道を感得せしむ る」べきであるというのがその趣旨である。即 ち,「すべて語句は,他の言葉をもって,一々換 言し得べき屯のに非ず゜児童は発表の期に際し て正確に使用することを得ば,之れ当に動・静 両概念を取得し得たるものといふくし。」という のが彼の意見であった。ここには,語句の解釈 は文脈に即して捉え,それを児童が正確に文脈 の中で使用できればそれで良いのではないかと いう見解が示されていると言えよう。

この語句指導の取り扱いも当時は良く研究の 対象となった点である。前記の広川捨吉氏は,

南氏と同様,文脈の中での意義の把握が重要だ として次のように述べている。

……子供の字引を見ればある様な語句を柚き出し て,仮名付や解釈をなし,或は新語を作らしめる。此 は時間は随分入るが案外価値の少ないものである。此 よりも文の内容を明瞭にすることが大切である。……

即ち,内容を明にする道に於て,基の道に横ってゐる 難語句を明にするといふ主張がよい。斯様ならば具体 的であって把持も容易である。

文章内容との有機的な関連の中で語句の意 義を把握すべきであるとの見解と見て良いだ ろう。しかし,氏は入学試験のことなどを考え ると,その語句の持つ直接の意義を与えてお くことも大切だとして,究極的には,「両方法 を併用することが必要」と言い,まず直訳をし て,次に意訳(文脈の中での理解)に進むべき だと述べている。

これに対して,むしろ語句の持っている本 来の意義に教授の中心を置くべきだと考えて いるの,が師範学校付属の桜井祐男氏(石Ill師範 明44卒)であった。彼は大正4年7月号の「石 川教育」(137号)に「国語教授界の新思潮(?)

に対する見解」と題する論文の中でこのこと に触れ,次のように書いている。(以下,本節に おける桜井氏の引用文は本論文による)

全然思想(引用者庄,教材内容のこと)と何等の交 渉しない一文字の解釈には反対したいと思ふ゜けれど も,思想主義者の主張する具体的特殊的解釈を施し

最初の内容説明は,国語教育の目的が教材の内 容自体を理解することという考え方から,理解

させる為に国語科としての授業を逸脱した方法 が講じられることも多かった。つまり,国語科

の授業が,文章が対象になるのではなく,内容

の理解が主目的となったわけだが,ここらあたり の理解がなかなか自明のものとならなかった。

しかし,そのことに関しては言及する人も多く,

広)||捨吉氏(河北郡種谷村高等小学校訓導,石)||師範

明43卒)も「石川教育」の大正4年2月号(132号)

に「国語教授の刷新」と題する論考を寄せ次のよ

うに述べている。

読方は歴史と大に趣が異なってゐる。歴史では内容 を耳にして感じ,又は,知りたる所を教科書の文章に て留保するものであるが,読方は此と反対に形式即ち 教科書の文章を正当に解して,内容を十分に誤りなく 領得すべきものである。

非常に理解しやすい文章であるが,これらの 啓蒙的見解のもとで次第に国語科の目的が整理

されていったのであろう。

次は,南氏の読み方教授の構造であるが,氏

は次のようにまとめている。

鍵|篝:|蕊iiiiril山

ここで注目すべきは,読み方教授を「国民語

の学習」と「国文学の玩味」の二分野から捉え

ていることであろう。言語教育に主体を置いた 日本語それ自体の習得と人間形成に直接関わる 文学教育的立場との両面からの把握は,ともす ると現在の文学的文章の読解が,心情や人物形 象などの読承とりに偏向しがちである点,その 構造的把握の欠如から来るものがあるのではな

いかと反省を促がされるのである。

語句指導の方法

次に氏は,「読方教授の二大鍵」として①動的 取扱い②主眼点を明にせる取扱いの二点を 挙げている。②の趣旨には問題がないので,① についてのみ考察する。

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深)||明子:石川県における大正期の読ゑ方教授 37

が当時教授方法論上の一つの争点であったと言 えよう。

全課主義と分節主義

当時,国語教授上最も現場教師達の関心が深 かったことは,-課の取り扱いを分節単位です る縦割か,全課を対象に教授していく横割かの 問題であった。

当時の状況について南氏は次のように書いて

いる。

一度保料先生の通読主義現はれ,実験教育学者亦之 に油を注いで全体主義の分節主義に優れる結果を呈 せることを主張するや,殆んど捲士の勢で斯界を風摩 したやうである。

また,広川氏も「-課を-篇として教授する のは教授上の理想である。-課は即ち-体であ

る。首尾ある有機的組織である。……之を勝手

に分節するは当を得ないと。之の説は成程明に 道理である。」と,全課主義の理論上の優位性を 認めている。しかし,氏は,続けて,「併し乍ら

一方から考へて見ると多くの場合には分節して

教授することを得策と認める。何故かと言ふに

児童には其の想像,思考,努力等に自ら程度が

ある。-課を一度に提供しても中々分るもので

ない。只食傷するの承である。」と実際の教授で

は分節主義が有効であると言う。これは,まだ 全課主義の教授方法が試行錯誤の状態で教授方 法論上の未熟性のためと思われるのだが,その ことが一方現場においては分節主義が根強く残 存することになった原因とも言えよう。

そういう中で両者の折衷案とも言うべき見解

が示されたのがこの時代の特徴である。南氏

はそのことに関し次のように述べている。

(イ)知の文は多くの場合分節主義によることLし,前 後の関係が密接で離してはあきたらない感じのす る処は全体主義によること。

(ロ)情の文は多くの場合全体主義によることユし,余 りに長い文だけは予習を全体に命じて内容の梗概を 知らせ,かくて二三問答の末該課大体の観念を得さ せた後で分節に入ること。

h知情の文を通じ-課全体を扱った後には,統括的 復習を忘れてはならぬこと。

て,それで満足しやうとする説にも全然不賛成を表示 したいと恩ふ゜

そして彼は次のような例を挙げて説明してい る。「さらば是にて本意を遂げよ」(巻11熊王丸)

という文がある。「本意」とは「本来の意志」「も とからもって居る心」の意がある。従って,「さ らばこれでもとからもって居る心をとげよ」と 言うのが従来から行われた解釈であった。そこ で,思想主議者(彼はこれを文字語句主議者と対照的 に使用している)達はそれを批判して,文脈に即し て,「さらばこれで敵を打てよ」とすべきだと説

く。これで一応立脈に通じるが,「果して,国語 教授上から見て,全量の任務を尺してゐるもの たらうかと疑はれるのである。」というのが,彼 の主張である。

彼は,国語の教授上は,「理解と同様に使用力 も付与しなければならない。」として,思想主義 者のような教授方法では,例えば「本意なく失 礼した」の場合,まさか「敵がなく失礼した」

とも言えぬから,再び「本意」の意味を教授し なければならないことになり,応用力のない点 を非難している。そして,「吾々が国語を学ぶ上 に於て,文字語句の歴史的意識=本義=抽象的 意義を知るといふことは極めて必要なことであ る。」と述べ,結局「余は読方教授に於ては,此 の両様の意義を教へなければ,未だ十分なもの でないとおもふ。」と,語句の持っている本質的 意味と文脈の中での意味との両方を教授する必 要性を説いている。

広川氏の場合も,桜井の場合も結局両方の意 味を取り上げるべきだと主張する点には相違が ないのだが,文脈の中での意義を重視し,そこ に教授の重点を置くか,語句の持つ本来の意議 に中心を置くかでは,実際の教授においてはか なりの差が見られたものと思う。この問題は,

ある意味では現在の国語教育においても解決を 見ていない問題があり,これはまた,先に述べ た南氏の読み方教授の構造とも関連して,現在 へその結論を保留している問題とも言えるので ある。が,免も角,語句の取り扱いを巡る問題

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第30号昭和56年 金沢大学教育学部紀要(教育科学編)

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的な学習を進めることが出来るというわけであ る。児童の側からの立言であり,教授方法が教 授者の一方的な押し付けでなく,児童の立場か ら問われ出した大正期の思潮が反映されてい る。

また,予習とは何かということについては,

次のように書いている。

元来子供の予習といふのは問題を解決する事では なくて,提供,することである。今の時間には何を,

或はどんな文字,語句を習ふのであるかといふ事を意 識に明にして教室に臨ませることである。

ここにも問題意識を持って授業に意欲的に,

主体的に臨む児童の姿勢が強調されている。な お,予習は問題解決が本義でなく,問題提供に 重点を置いている見解は,ともすると,授業が 単なる予習発表の場になってしまうことを危倶 しての意見だと思うが,これは今日でも心すべ き問題であると言えよう。

当時,予習や復習の機能については,まだ研 究が行き届いていなかったのだが,彼の場合,

この予習に言及したことと,また,復習につい ても,全課主義,分節主義の中て,どちらに扱 っても最後にはその「総括的復習を忘れてはな らない。」と述べるなど,機械的・練習的要素か ら一歩脱皮し出ているところが注目される。

形式と内容

読み方教授に限らず国語科の教授全体に亘っ てであるが,形式方面と内容方面とに分類して 考えるのが伝統的な常套手段であった。従って 教材研究の段階からそれは画然と分けられ,教 授もその機能はそれぞれ別個のものであるとの 認識から区別して扱われるのが普通であった。

南氏はそれに対して,「要するに内容を離れて 形式なく,形式を離れて内容がない訳だから,

其取扱も裁然と区別せぬ方がよいと思ふ。」と,

読自Z八方教授は形式・内容一体として捉えるべき であることを主張している。そして,「内容を離 れた乾燥無味な形式たどりをする位なら,漢和 大辞典か辞林でも教科書にした方が遙に語彙が 豊富になるであらう。形式を離蕾れて内容を主 ここには,原則的には文種によって教授方法

を使い分けることが提案されているが,なお,

その文章の特性に応じて臨機応変にすべきだと いう見解が見られる。同じような見解は桜井氏 にも見られ,彼は,「文学的'情緒的思想」は全課 主義で,「非文学的理解的思想」は分節主義の色 彩を濃厚にする必要があると言う。また,この 教授法の区別は学年が考慮されることも多く,

全課主義は高学年で,分節主義は低学年で主に やるべきとの見解が散見された。

ところで,桜井氏の場合は,その取り扱い方 において南氏と同様ではあるのだが,その基本 的態度としては示唆に富む発言をしている。

吾々は全体的体形を見ないうちは,部分の考察に満足 しやうとはしないものであるけれども,一度全体的体 形を眺めれば,更に部分の深き尋究と考察とに入らう

とするものである。初め朧朧たる全体的体形を示し,

漸次各部の深き考察と尋究に入り,最後に再び全体的 体形Iこかへって更に申し分なく判然せる全体的体形 を捉へしめやうとすることは,極めて吾々の心的作用 に順応した遣り方と言はねばなるまい。

ここには,教授法における全体→部分→全体 の構想が示され,方法論的には文章法の形式が 取られている。単なる折衷案から脱皮した新し い教授方法のあり方が示されていると思うので あるが,それ以上に考察が深まることなく,結 局先に述べたように教材の性質に応じて使い分 けることに結論が落ち着いているのである。

予習に関する考察

南氏の論文で教授方法論上特に注目すべき は,予習についての考察であろう。彼は予習の

必要性について次のように説く。

読方教授については如何にすれば容易に,且つ有効 に児童自らをして多く読ましめ,書かしめ,活用せし める事が出来るか,又自学の結果を検閲し,補導する 事が出来るかといふ世の叫び声がかなりに喧びすし いやうだが,私は有効なる予習が,是等の叫びに答へ る一策であらうと恩ふ゜

児童の意欲的・主体的学習を可能ならしめる ものは予習である。また,予習が行われること によって始めて児童のつまずきがわかり,効果

(8)

深川明子:石)||県における大正期の読糸方教授 39

とするならば,修身か地理,歴史のみを課した 方がよい。」と,どちらに偏重してもそれは読承 方教授を逸脱したものであると言う。ここに国 語科教授の構造を問い直そうとする意欲を見い 出すことが出来る。

ところで,彼は,形式・内容について,それ ぞれの立場から留意事項を挙げているので,最 後にそのことについて触れておきたい。

形式方面

(イ)文字の教授は活用を主とし,学者ぶった遡及的な 取扱をさぐること。

(ロ)文脈も知的取扱を避けて鑑賞的に取扱ふこと。

h文章教授も……文全体の上より眺めて其精神を 静かに味はしむること。

(二)語法・修辞法も必要に応じ随所に行ふこと。

㈹構想・文種などもやかましくいはざること。

内容方面

(イ)知識として授<べき主眼点はどこか。

(ロ)記述事項に対し,敷桁すべき箇所はどこか。

、記述事項が情意方面に如何に要求するところが あるか,従って陶冶方面にも。

これを見ると,形式的取扱いに対する禁止事 項が多く,やや内容偏重的傾向を示していると 言えよう。大正期に入り,文学的教材に対する 関心が高まってきていることについては既述し た通りであり,従って,教授法においても必然 的に内容偏重的傾向をきたしたのであるが,こ

こにはその傾向が如実に示されていると言え る。大正期の読み方教授は,大正7年の国定読 本改訂を機に,文学教材を主とした内容偏重的 傾向が急速に進んでいくが,その為の温床が既 に充分用意されつつあったことをこの論文は意 味していると言える。

更に彼は,現在の教授内容は知徳に偏向して 感情が閑却視されているとして,「今迄の趣味教 育は,趣味其のものに触れないで,趣味の理屈 を教へたものだ。全く知的に取扱ったものだ。」

と言い,「趣味は実感である。……実感によって 感情を養っていく,それが趣味教育,内容取扱 の大切な部分ではあるまいか。」と述べている。

文学的教材の根本的あり方を示唆し,国語教育

史上文学教育期を形成していく土壌が,これま た,順次地方にも準備されつつあったことを示 す一つの証拠と言うことができよう。

三,読み方教授案と教授の実際

本節では明治期末期の読糸方教授案からまず 紹介したい。下記の教授案は,明治45年4月か ら6月まで師範学校付属小学校で教育実習を受 けられた坂本六兵衛氏(注4)のものである。氏 の教生時代の読み方教授案は現在37枚残存し ているが,ここにその一部を紹介することにす る。(原本は縦書き)

観念唾

言UilEの〃

ZF

-1回

今日11土ノーC

lliiilljl

滴存命弓

尋常科

第三学年教授按 第一学期四月十九日金 第二週受持坂本六兵

題目 水のたび 備考

目的

形式上「間」「一思ひ」「何だ力

知らず

まはって

n」

「がけ」「目が

しばらくの きがついてたき

の文字語句の読方意義用 法を知らしめ此種記事的 叙事文の読解になれしむ 内容上滝の観念を確実にせんと

教材 尋常小学読本巻五自九頁三行 至九頁八行 教具 滝の絵小黒板

(9)

第30号昭和56年 金沢大学教育学部紀要(教育科学編)

40

来乏せ詞見鷺篭

三「ひと思ひ」「何だか」を用い て短文を綴らしむ

壺勺帯》}一唾》一伽押壹か三澤諭曲邑》帥一一》歸搾』》}]》』》》》三F痒掛》⑪一》鮒用『二『》伊毎へ》む 一一一一一四五123456六七123456八九十応一

一一

(坂本家所蔵)

分節教授法の一つの完成された型であると言 えよう。(注5)教法は教材の質を問わずほとん ど同じ形式を取っており,わずかに第五週(13 枚目の教授案)から「提示」が「教授」と変更され たのを認める程度である。形式方面が多少重要 視され,内容上の取り扱い方がやや機械的とい う印象はあるが,一応バランスの取れたそれな りに良く考案された教授案と言えるだろう。そ して,これは当時の師範の付属小学校における 読み方教授を反映しているものとも言うことが 出来る。このことは,また次の読み方教授案を 見ると一目瞭然であると言える。

尋常第二学年読方教授案(第二学期第九週)

題目アキナヒアソビ

目的形式上新語「ツリ」,「毎ド」ノ意義用法ヲ知ラ シメ此種叙事的説明文ノ読解二習熟セシム。内容上 アキナヒノアソビノ実際ニツキ知ラシメ商業二関 スル思想ノ整理ヲナス。

教材尋常小学読本巻四,八

区分第一時始ヨリニ十四頁五行マデ

第二時二十四頁六行ヨリニ十五頁末行マ

本時二十六頁一行ヨリ終マデ 第四時全課取扱

教法予備(五分)

-,前回の復習二,目的指示……(省略)

教授(三十五分)

-,素読ヲナサシム

1-ド読ンデモラヒマス。

2今一度,誰サンモー度。

二語句ノ取扱ヲナス(文章ヲ通シテ売買事実ノ調 ヲナサシメ,語句「ツリ」ノ意義ヲ知ラシメ句ノ 補填ヲナス)

1,「三十センアゲマスカラ…」'、,誰ガイツタコ トデスカ,誰ニイツタノデス力。

2デハオトミカラオマツニ上ゲナクテハナラ ヌ代金,、イクラデスカ。オハシ

摘書間(あいだ)

ひとおも-思ひ

(10)

深)Ⅱ明子:石川県における大正期の読孜方教授 41

3前二読ミマシタネ,ソレニ三十セン上ゲテハ 少シ多ウ過ギマセウ,イクラ多イデスカ。

4オマツハ八セン多クモラツテドウシマシタ

カ。

5ソノカヘシタオ金ヲ何トイヒマスカ,若シ二 十五センダツタライクラニナリマスカ。

6コ、二行ヲオ読ミナサイ。(本ニツキテ示ス)

7「毎ドアリガタウ」,、誰ガ言ツタコトデスカ,

誰ニイツタノデス力。

8「毎卜コト同ジヤウナコトハ何デスカ。

三通読ヲナサシムル。約二回,時宜ニヨリ斉唱ヲ

交フ

四左の事項ニツキ深究ヲナス 1慣用ノ語法ヲ会得セシム。

三十センアゲニ莞鬘ドリニ;期]に

ドウチガヒマス力。

2文ノ省略ヲ補ハシム。

コレデトツテクダサイ(トイヒマスト)

毎ドアリガタウゴザイマス(トイヒマシタ)

五,対話体口語文トシテノ範読ヲ示ス 六,達読(数回)ヲ行ハシム 応用(五分)省略

(「憩杲雲霞学校新撰教授'実際」石川県師

範学校付属小学校箸大正2年4月刊)

坂本氏の教授案とその教授法に於てほとんど

同一であると認めることが出来る。本書は,緒

言に,「-ニハ各科教授の統一ヲ図リ,ニニハ教

生ノ教育実習指導ノ用二供センガ為二編纂

研究教授者は師範付属学校1.M生とあるの で,南伊三松氏と推測される。第五学年の研究 授業である。(以下「石川教育」第137号大正4年7月 号より引用)

教授案 題目勇主しき少女

教材尋常小学読本巻十,第十九課

区分,第1時,全体の読みと主想の把握,及び新出 文字の取扱

本時,全課の読解及び文段の大意,主想より見たる 語句の取扱

第三時,全課の読解,構想及び詞姿の鑑賞,文字語 句の活用

目的此種美文的叙事文の読解に合せグレース・ダー リングの勇壮慈愛の美徳を知らしめ且つ文学的趣 味を養ふ゜

教具欧州地図,船舶遭難の図,ダーリングの肖像

教法

一予備(二分)

イ,目的指示

今日も勇ましき少女グレース・ダーリングのと ころを調べませう

ロ,全課の主想喚起 二教授(三十八分)

イ,全課の読解吟味

1質問に応じ語句の読解を授け通読せしむ 2第1第2段を通読せしめ主要語句等の意義を

問答す「船体,一半,さかまく波,悲鳴の声,い そく,心ならずも,声を限り,息もたえたえ」

3第3第4段につき同上の取扱をなす(省略)

ロ語句の尋究につれ内容の活躍せるところを味 はしめ実感を起さしむ

「墨を流したる如き空模様,山なす大波,船体二 つに〈だけ云々,声を限りに」(以下省略)

ハ文段の大意を尋究することによりて一層主想

を明らかならしむ 二美読数回 三整理

イグレース・ダーリングの行動批判 ロ自由書取を命じ書写せしところを読ましむ

教授の実際

教師は読本及び国語帳などの整頓を命じ参観者の 席に静まるを見て

教今日も勇ましき少女「グレース・ダーリング」の シタルモノに過ギザレバ未ダ完壁トナスニ足ラ

ザルヲ知ル」(下線引用者)とあるところから,教 生の教育実習の規範となったことが了解される のだが,それは既に明治末期にほ竺形式・内容 共に完成を見ていたのであった。(なお,この時読 永方科における主査として尽力したのは畠山治作氏で あった。)

次に明治期の分段教授法から脱皮し,新しい 教授法を意欲的に研究,実践した例を挙げるこ とにする。また,この実践記録は教授案,授業 記録,授業研究と全てが網羅された貴重な資料 でもあるので,なるべくその実態がわかるよう に引用しながら考察を加えていきたいと思う。

(11)

第30号昭和56年 金沢大学教育学部紀要(教育科学編)

42

○範読一回の後左の問答をなし一層主想を明ならし

教一番勇ましく思ふところは 教優しい心だと恩ふところは

教一番気が気でなかっただらうと思ふところは 教此少女はどんな点が並の人と違ってゐたので瀕

死の水夫が助かったのでせう

○美読数回

○書取事項処理

○左記取扱を為して整理Iこかふ

教ダーリングについて何か感心した点がありまし たか(二三生口答)

教名々が感じたこと,覚えておいてよいと思ふこ と,其時の有様が目に見える様に書いてあると恩ふ 点などを書き出しなさい

教右書取の結果処理

以上,教授案と実際の教授の中から,第三,

四,五段の部分は省略はしたが,その概要が全 面的に了察されるようにと心掛けて引用した。

次に,参観者の批評を整理することで,当時の 読み方教授に対する認識の実態をみてみよう。

まず,教授計画であるが,教授案をみると,

これは全課主義の立場を取り,どのような時間 配当にすべきか一つの見本を示そうとしたもの と思われる。これに対しては,r第一は第二時第 三時の仕事の分量は均衡を失してゐる。今少し 第一時に仕事も多く即ち語句解釈迄を配当し且 趣味ある様に工夫されては如何」という基本方 針に賛成の立場を取りながら部分修正を促した 意見があった。しかし,また次のような反対意 見も見られる。

材料の区分は第一時に知的,第二時に情的,第三時 に文学的材料が配当されてありますがこんなに裁然 区別するのは教師の主観的の分類で児童の心意活動 にも合はず,欲求にもそはない事と思ふ。私の考では 今日の如き材料は二時間で読解の一般を終り第三時 に於て其欠を補ふことにしたらよいと思ふ゜

教授者の意図を全面的に否定した意見であ る。また,「詞姿の鑑賞は第三時に於てするIまよ いが,-時二時に於ても省略すべき性質のもの でないでないか」と,部分的にではあるが,全 課主義を否定した見解も見られ,大きく意見の ところを調べませうといひつ上題目(勇ましき少

女)を書板し二三児に読ましむ

教ダーリングはどんな勇ましい|動をしましたか 児二三生回答

l英国東海岸なる一島に於ける灯台番の娘である が父を促して瀕死の水夫を助けました

2少女の身であり乍ら狂澗怒涛と戦ひ難破船中万 死の水夫を救ひ出し親切に看護しました 教では之から其勇ましい働き振りについて精しく

しらべて見ませう

教誰かに一度読んで貰ひませう(全課通読)

教今度は第一第二段だけを読んで貰ひませう其 間質問に応じ語句の読解を授け左記事項の書板を なす「さかまく波,悲鳴の声,いそく,心ならず」

○第三,四,五段について同上の取扱をなす(省略)

○第一段内容の活躍せるところを知らしめ実感をせ しめん為に一回朗読せしめたる後左記取扱をなす 教先づ何処にあった事でせう

児英国東海岸の一島です 教どんな時でしたらう

児七十七年前の或夜恐ろしい々々大嵐の晩でした 教船や水夫はどんなになりましたか

児船は岩の上に乗りあげ破れた船体の一半は早や 大波にさらはれました

教此時教師は用意しおける難波船の図を示し左記 補説を行ふ

自分が此水夫の立場にあったらどんな感じがす るでせう。友達は早や波にさらはれて泡の様 に……自分は破れた船体にすがってゐるがそれ さへ今にもさらはれさう……水夫はどうしてゐ たと書いてありますか

児声を限りに救ひをよびました

○第二段同上

教掛図を示し,此暗夜に闇を破ってそんな声が耳に 徹したらどんな気になるでせう

児助けてやりたい

教殊に優い、心のダーリングはどうしたとありま すか

児幾度となし父をゆり起して磯辺に出たが一寸先 も見えぬので心ならずも夜明をまちました 教水夫はどんなになってゐるでせう 児もう息もたえたえとあります

教よく意味を考へて一回読んで貰ひませう

○第三,四段同上(省略)

○第五段同上(省略)

(12)

深川明子:石)||県における大正期の読み方教授 43

別かれるところであったようだ。

次に形式と内容の問題に入るが,これについ ては,内容が重視されすぎたという意見が圧倒 的に多い。

形式を通して内容を把握せしめるのが読方教授の 目的であらうと思ふが,今日のやうに児童が索求する だけで満足し得ず教師の巧なる補説によって迄内容 を活躍せしめんとするのは果して当を得たものであ るか。それよりも寧ろ児童の心意自然の傾向に従っ て,形式方面を今少し深く持っては如何。いはば今日 の教授は教材に対して教師が有するやL高き趣味に迄 児童を引きつけねば満足し得ざるが如き煩があった のではないかと思ふ゜

形式の重視を説く一方,内容教授においても教

師の強引なひっぱり方に疑問を投げかけた意見 である。児童の素直な感'盾を重視するというこ

とでは次のような意見もあった。

感情の人為的に喚び起すといふのは果してよい事 か?……今日の様な教材では或は第一時に於て起し てをるのではないかしらん。今日は其上塗りと申しま すか甚だ疑はしいと思ふ゜……

その他,「教師の言葉は頗る'清的に偏してゐた様 である。……甚だしきは知的の部分に迄趣味的 取扱が及んだやうである。」とか,「実感を多く 発表せしめんとする傾きがあったが之は決して

一々言はせる必要はないと恩ふ゜」など,内容偏

重に対して細く教授態度,方法の面から指摘す

る人もいた。

次に,形式方面の重視を説く人の意見だが,

彼等は主として語句の取扱いにその的を絞って

いるようだ。

○今日の教授は内容を目の前に活躍させるだけで語 彙の拡張,文脈の解剖に及ばなかったのは甚だ遺憾

な感じがする。……

○語句の解釈は一々主想に引きつける様にして説け ば成程主想は明になるが語句固有の意義が分らず して語彙の拡張を計ることが出来ないではない

か……

○今日の如き主想鮮明主義の語句解釈では文意は よく分るが語句の機能を知らすことが出来ない感 じがする。

文脈における意義だけでなく,語彙の本質につ

いての教授の必要性が強調されていると言え る。

その他,細かい教授方法についての批判とし ては読みに対する意見が多く出た。

○斉読は他に目的があるなら兎も角も情的材料には 大に考へH1)のだと恩ふ゜全く趣味をそぐの嫌がある

○大意を取らす為に斉読をさせられましたが如何に 教式に変化を要する時とはいへ梢不自然の感じが した。全体に読ます必要があるなら自由音読が至極 適当と恩ふ゜

以上のような斉読に対する非難から,「子供の読 承は一般に知的読承に偏して居て何等の感じ何 等の妙味もあらはれてゐない」という意見に至 るまでその教授方法の誤りが指摘されている。

その他,少数意見の問題点については省略す る。以上,新しい教授方法を目指しての研究授 業であったが,今一歩,その真意が理解された とは思えず,どちらかと言えば,評価の定着し たオーソドックスな立場からの立言が多かった と言えよう。

次は,教授案のみだが,もう一例挙げておこ

う。

尋常第五学年読方教授案(第二学期第十一週)

題目冬景色

目的写生的記事文としての本文の妙趣のあるとこ ろを玩味感得せしめ自然美に対する趣味の養成に

資せしむ

教材尋常小学読本巻十第九課

区分第一時全課の概覧と二十八頁八行までの

取扱

第二時前の復習と本課終までの取扱 本時全課の総括的復習

教具絵画 予備(約五分)

一目的指示 二読解上の復習 (省略)

教授(約三十五分)

-味読各自に読ましめ静かにその情景を心に 描かしむ

二問答

1気分について

全文を読んでみるとどんな気分がするか 2着眼点について

(13)

金沢大学教育学部紀要(教育科学編) 第30号昭和56年 44

比較すると,従来の形式から脱皮した新しいも のを求めようとしている姿を見い出すことが出 来る。

以上,読永方教授が,大正初期どのように変 貌しつつあったかについて,具体的な教授案を 中心にそれを見てきた。読み方教授について,

このように関心の高まりつつある中で,大正5 年12月,冬季講話会に引き続いて,第1回訓導 協議会が開催されたが,その協議題目は読み方 であった。次表は,その要項の一覧表である。

協議題目や研究発表題目によって,当時の読み 方教授に対する関心の傾向,実態などを窺い知

ることが出来るものと思う。

作者はどんな景物に着眼してゐるか(自然に対 する観察の巧妙なることを悟らしむ)

問答しつ上順次に板上に略画を描き以てなる べく児童の経験に訴へ自らその境にあるの恩 ひあらしむ

3観察の順序について

イ作者はどんな順序にこれらのものを見てゐ

るか

pどこまでは遠景と見られるか(第1段)

へ中景は…… (第2段)

二近景は…… (第3,4段)

ホこの中で最もさLやかな点を精密に観察し て記録してゐるのはどこか

4季節並に時刻について この地方でのいつごろにあたるか 時刻は……

5作者の位置について

どの辺に居てながめたものと考へるか 三味読個読又は自由読Iこよらしむ

四問答かきぶりの上で面白いと感ずるところはな

いか

イはうきを立てた様に高く雲をはら'ようとして ゐる

ロ人影の見えないのみか,力、上しの骨も残ってゐ

ない

,、ねぎや大根が青々とうねをかざって,こ堅ばか りは冬を知らないやうに活々とした色を見せ

てゐる

二黄色い大きな実が枝もたわむ程なってゐる 木ずどんと一発。何を撃ったのたらうc・・…この一

般にて全文が躍動してゐる

へ全体としては,格段の技巧もなく見たま上感じ たま堅を飾りなくかきあらはしてゐること 五範読瞑目して耳より味はしむ 練習(約五分)

-達読暗調の練習をなさしむ

「戦雲篝学校新撰教授の実際修正第三版」

大正6年刊

第一回訓導協議会(読象方)

第一日

-,実地授業

尋常第六学年読糸方師範付属篠田定治 二,質疑問題協議

語法修辞法教授に関する問題四件 三,研究発表

地方に於ける読方教授思潮の推移鹿島・中島坂本六兵衛 読方教授の主要住務金沢・菊川黒田与吉 読方教授の意義と其の方怯羽咋・高浜村上豊吉郎 読方教授の効率増進金沢・新堅伊藤嘉秋 高等科に於ける綴方実力養成方案羽咋・富来佐藤廉 読方教授羽咋・末森松井専松 経験上より得たる読方教授管見金沢・小将町野村豊康 読方教材の郷士化鳳至・栗蔵滝尻与三吉 読方と地方化河北・今町廣瀬清作 村落小学校に於ける読方教授河北・種谷崇田直治 読方の心理江沼・菅谷西納蝉 国語教授と発音江沼・山中西村算 余の読方教授石川・野々市寺田徳次郎 読方教授に於ける形式と内容江沼・山代林光成 読方教授と準備江沼・月津西出初枝 高等小学読本各課目的の調査能美・辰口北出喜作 読方教授に於ける文章の取扱河北・宮崎和久田佐男人 尋常小学校読本補充教材として儀式的文の必要

金沢・材木為村矩勝 綴方教授より見たる読方教授師範付属桜井祐男

文章表現という形式上の点ばかり注意が行

き,内容それ自体を味わうという点にはほとん ど目がむけられていない。鑑賞活動の意義・方 法などについての研究がまだ充分でなかったこ とを意味していると言える。また,他の授業案 などを見ても全体的に古い形式から脱げ出して いない点も多い。前述したように,本書が規範 的性格を持つことはその性質上やむを得ないこ とでもあった。とは言え,前記大正二年の書と

第二日

-,討論問題協議 話し方力高進の方法如何

二,質疑問題協議

個別指導(取扱)に関する問題等五十件

(14)

深川明子:石)||県における大正期の読糸方教授 45

三,研究発表 高等小学読本口語文の取扱 読方教授に於ける直観教授 如何なる場合に範読を必要とするか 読方教授上語句の取扱

読本新語句の取扱 国定読本の挿画 韻文教授

読方の職能と書取主義 漢字の教授 漢字別体の教授 漢字収得に関する研究 複式学級に於ける書取 読方教授に於ける復習の吟味 辞書使用に関する研究 読解力の養成

扱える長さに教材が限定されていたが,文章そ れ自体が重視されていることに注目している。

「国語読本」を以上のように捉えた氏は,次 にその教授法について,①従来の型にはまった 教授法でなく,「文章本位」の真意を生かし,教 材の特質に応じた教授法の考究,②教材の特質 と協調を保った教調(「教法を運転して行く呼吸一こ つ-」と注釈あり)の体得の必要性を述べている。

ここには,綿密な教材研究に立脚した新しい教 授法を生み出すに必要な態度が強調されている

と言えよう。

金沢・高岡町小池直太郎 羽咋・志雄盛田喜雄 石川・中奥三須順朔 能美・小野後口重一 河北・袋高木識一郎 金沢・石川中宮健二郎 河北・高松今永茂 河北・笠野松本吉太郎 金沢・味噌蔵斉藤辰雄 江沼・北浜松下繁一 能美・島越橋本辰一 鹿島・鵜浦中山一郎 石川・蝶屋尾形稚松 能美・芦城田淵次郎与門 師範付属篠田定治

「国語読本」に関しては,「石川教育」の大正 8年12月号(188号)から師範学校の山上訓導が

「国語読本の読み方」を連載している。氏は,

「余の疑問として之を直接編者に質したものが 少なくないので,若し余と同様の疑念をいだか る~方のために」として連載を開始した。かつ て,師範学校教諭の松富助之丞氏は,大正5年 2月から大正6年5月にかけて10回にわたり,

「小学読本応問録」を「石川教育」に連載した。

これは,単に読ゑ方ばかりでなく,彼がかつて

「夏季講習会」の講師として出講した折や手紙

などで問い合わされたものについての彼の見解 を示したものであるが,発音についての質問も 多く出ている。また,大正9年6月号の「石川 教育」には「綴方教授と話方教授」と題する巻 頭言で,「話方教授の進歩を促すことは,我が県 に於ては特に緊要と信ずる。そは標準語に遠い 言語を有し,且つ口述が不得手なりといはれて

居るからである。余輩は本県の初等教育者が協

心教力,速かに先づ方言狸語を矯正して国語の 四「国語読本」の研究

大正7年教科書が改訂され,石川県では尋常

小学国語読本が採択された。しかし,関心は意外 に低く,尋常1年の受持ち教師が僅に手にするの 承で,教員集会などで,国語読本の研究などを 企画しても高学年の先生の出席は殆どなかった

という状況だったようだ。

そういう風潮を憂慮して,女子師範学校主事 の久芳龍蔵氏は「国語読本の特色を述べて読み

方教授の態度に及ぶ」という論考を「石川教育」

(大正7年9月,173号)に寄せておられる。

氏は,「国語読本」の特色の第1に「興国精神」

を挙げておられる。これは,当時文部省図書官 で,高野辰之氏と共に「国語読本」の執筆に直

接当った八波則吉氏の見解が強く影響してい る。(注6)八波則吉氏は,かつて第四高等学校教 授であった関係から,わざわざ上京した久芳氏 に会い「国語読本」の編纂上,意としたところ

を累々説明した中で,この「興国の精神」を強

調したと言うことである。

第2点は「読書力の増進」である。これは,

①分量の増加,②反復練熟,③児童本位の文章

(材料の選択,叙述の態度,挿絵の改善にそれ が見られる)などの点にそれが具体化されてい ると評価している。

第3点は「文章本位」ということである。従

来,1時間という時間に制限されてその範囲で

統一を図るは勿論,尚ほ進んで話方教授法を大 成し……」(下線は引用者)と述べている。話し方教 授の基本としても,読本の正しい発音がまず緊急 の要務であった当時の実情が了察される。従って,

山上氏のこのような調査も,当時においては意 味を持つものであった。

また氏は,「石川教育」の大正10年3月号(203 号)に「国語読本から学校園へ」と題して,読本

(15)

金沢大学教育学部紀要(教育科学編) 第30号昭和56年

46

を助くる為図画の類を多く挿入したるもの 中等児用一現行のもの

優等児用一現行教科書各章の終りに類語等参照 事項を挿入し,或は補習用の章を加へたるもの

能力別の編纂方法など,勿論問題になる点は 多いが,個性に適応した教育を目指している点 は認めることが出来ると思う。更に,教育は,

従来のように只教えるのではなく,「児童各自を して自ら学ばんと欲する心を旺盛ならしめ,即 其の知識欲を刺激して自ら進んで疑を質 し,……」ていくべきであると説く中には,教 科書を学ぶのではなく,教科書で学ぶ姿勢が窺

われ,その為の編纂方法であったと'も言うこと ができよう。

に出てくる植物の一覧表を載せている。そして,

前文には,「新読本も活用し,その徹底を期する ためには,どうしても学校園の助力を仰がなけ ればなりません。……(今は)学校園に対する

新しい計画を立てるとしては逸すべからざる好 時機かと存じます。この際,幸にしてこれが計画

をなされる方々のために多少なりとも御参考に なるならばと思ひまして,……」と,国語読本 の植物について調べた旨の説明がなされてい る。読み方教授の基礎的研究に意を注いでおら れた氏の姿を窺うことが出来る。

最後に,「国語読本」に直接関係あることでは

ないが,教科書に対する面白い提案を取り上げ

ておきたい。

「石川教育」の大正9年11月号(199号)に,能美

郡蘆城尋常高等小学校の宇野菊太郎氏は「個性 と教育」と題する論考を載せている。氏は,「今

や我初等教育界に於ては,一学級児童を同一能

力者として取扱ひしへルバルト式教授の不自然

なるの承ならず,児童の個性発達を阻害するこ との大なるを悟り,個性に適応したる教育を施 し個性に適当せる発達を遂げしむることに努力

するに至りしは次代国民の為慶賀措く能はざる

所なり。」と,個性尊重の教育が除々に浸透し

つつある現状を慶んでいる。そして,それを更 に徹底的に推進する為,「教科書編纂形式改善私

案」を提案しているのである。

教科書編纂形式改善私案 国語

読方に用ふる読本は,読み得るが故に読永,理解し得 るが故に理解し,進んでこれを追求翫味せんと欲求す るに至るあのなれば,優劣等児共梢読み辛ふじて理解 し得るしのたらしめざるべからず。されど一学級とし て指導する必要上,全然異なるものとなすこと能はざ るを以て,其の内容を同一にしたる左記三種のものと なすを可とす。

劣等児用一其の内容は現行読本と殆んど同一とす るも,行文を平易にし,漢字を少くし,或る漢字には 仮名を付する等劣等児の多数も漸くIこして読み且つ 理解し得る程度のものとし,且一種の興味を惹き理解

五,自由主義教育下での読み方教授

第一次大戦後,日本においては国際主義やデ モクラシーの思潮が高まり,欧米の自由主義的 な近代思想が教育界を風塵した。そこでは,主 として,児童の個性の尊重,創造力の育成,自 由な発表力の養成が叫ばれ,ようやく児童中心 の教育が教育界全体の動きとして胎動を始め た。

石川県でもその風潮は,綴り方,理科,手工,

図画などの教科に顕著に現われた。当時,各学 校では研究会の折などその展示会を積極的に行 っている。また,所謂学芸会という形でもそれ は現われた。早くは大正7年の石川郡野々市尋 常高等小学校での「温習会」があるが,師範の 付属小学校でも意欲的に開催している。特筆す べきは大正後期に鹿島郡で積極的に取り組まれ たことであろう。「鹿島郡における学校劇」(「石

Ⅱl教育」240号)「鹿島郡小学校児童劇大会」(「石)11教 育」252号)などにその実態を窺うことが出来る。

ところで,この自由主義教育を現場ではどの ように受け止めていたのであろうか。次に挙げ るのは,師範学校附属小学校の作田保治氏の感 想である。彼は,「或る一定の施設と方法の下に 自由ならしむべき自由主義が,直ちに総てを束 縛と令命から開放して怪しまず,-面から見れ

(16)

深)Ⅱ明子:石)||県における大正期の読象方教授 47 ぱ放任の形と迄進糸過ぎたのではなからうか。」

個性の尊重という観点から個々の児童に目が及

んだ時,当然成績不振児童の取り扱いを如何に

するかという問題に行き当る。彼の次の弁はそ

の意味でまた注目に価しよう。

劣等生を劣等生として理解し,之に対して適切なる 取扱をなすことは必要であるが,劣等生を劣等生と思 はしめ其友人にも劣等生と思はしめたり,劣等生扱に させたりしてはならない。……創造教育を行はうとす る者は凡て児童は何れも何等かの意味乃至何等かの 点で独自にして優秀なる素質の所有者であることを 銘記し,現在に於て如何程素質の低劣なる児童をも文 字通りの劣等扱する様のことなく,其最も長ずる所を 同級生の面前に於て,推称することによって,当人に も友人にも理解せしめ,常に一道の光明を認めて学業 に従ふ様にしなくてはならない。

以上,自由主義教育の理解が本県においてど

のようであったかについて,小幡氏の論を中心 に見てきた。その理解は自由主義教育の真髄を 捉え,また,彼の論が果した啓蒙的役割も大き

かったと思う。しかし,それを実際の授業で具

体的に如何に生かすかはまた別の大きな問題で

あった。放任でなく,自由に創造的にやらせる効

果的方法は,結局見い出し得ることが出来なか

ったようである。

次に紹介するのは,そういう中で何とか方法 を求めて,具体的に実践した鹿島郡向田尋常高 等小学校,福田喜一氏の研究記録である。氏は それを,「自学的発表主義の教授」と題して,「石 川教育」の大正13年1月号に発表している。標 題の趣旨は,自学の習慣を養い,発表を重じる

教授法という意味である。最近,ダルトンプラン

が紹介ざれ研究された結果,それが我が国では 年少の児童には適さないことが明らかになっ た。そこで,年少の児童にはこの「自学的発表 主義」の教授法,つまり,「口頭復演(問答)の

ゑによらない方策,即ち筆頭答案を作製せしめ

て,児童の活動を促し,自学の習慣を養ひ,以 て従前の不足を補」う教授法が,最も有効であ

ると彼は言う。教授上の実際的適用は次の通り である。

1.予習又は宿題を命じた場合口頭のみに止めず,簡 易適当なる問題を与へて筆答せしめること。

(下線は引用者)と述べ,石川県における現在の教育 状況は,「今直ちに自由たらしめ得ぬとすれば再び 威圧的命令的束縛的の訓練,全然教育的教授の 昔に帰るべきか。否如何に施設し,如何に教授 法を改善せば其の理論を実際化し得るか。本県

教育の第二期は斯うした実際問題に関する煩悶

の期である。」(「石川教育」226号,大正12年2月「最 近に於ける本県教育の変遷」より)と言う。理論と

現実の段層に遭遇して真剣にどう打開すべきか

悩む者も多かった実状を反映しての弁であろ

う。

金沢市松ケ町尋常小学校の小幡美濃里氏の次

の発言は,その-左証となるものを思う。

自由教育と言へぱ放任的教師のサポルに好都合な 教育の如く誤解してゐる。自由教育の真髄を究めな いで,自由の意義を穿違へて放任するのが自由教育だ と至極単純に考へてゐる。……実際自由教育とは誤解 され易い名称である。正しくは個性尊重の教育であ り人格的教育である。教材や教法に児童を順応せしむ る教育に非ずして,児童に教材乃至教法を順応せしむ る教育である。(「石川教育」222号大正11年10月「之 が個性尊重か」より。以下氏の引用は本稿による)

氏の論考は,自由主義教育の誤解から生まれ たその低迷の中で,それを打破し,真の自由教

育樹立の必要性を訴えている。自由主義教育の 形式にのみ捉われ,その根本精神を充分理解し 得ていなかった現状に対し,正しい理解を求め

ている。そして,氏は,’1児童中心いの教育理念

とは,次のようであると説明する。

児童の生活は,決して大人の生活の準備や手段では ない。それ自身に目的がある。故に教育の理想を児童 が将来幸福な社会生活を営糸得るための準備と解す る所謂大人本位の生活準備教育は却て其反対の結果 を生ずる。児童の生活を充実せしめる児童本位こそ正 しく完全なる準備教育である。

現在でも,ともすると教育を大人になる為の 準備期間と考える人が少なくない中で,児童の 生活の充実それ自体が教育の目標であると説く 氏の論は関係者の耳目を驚かすに充分であった ろう。児童中心,児童本位とは何かを追究する 中で到達した-つの結論であった。そして更に,

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