九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
北宋初期の便糴に就いて
森佳, 利直
https://doi.org/10.15017/2344456
出版情報:史淵. 3, pp.188-209, 1931-12-28. Faculty of Law and Letters of the Kyushu Imperial University
バージョン:
権利関係:
宋は國初より契丹及び西夏
鉗に
して
兵を構へ
︑ 北
盈・西邸の防備↓ぜ寸時も忽にすることが出来なかったが故に︑
出征屯戌の豚士並びに之に附酌せる軍馬
に供
給すべき米礎狗豆セ常
に必
要としたのであるが︑政府は之が支給を
o o o o c
o o o o
為すに常り ︑
時日と照蓮の費用と努役との三條件を︑同時に油品に運用するに由なく︑北方穀物商或は逸境土滸
(
l )
の民をして入納せしむる方法を講じた︒李燕の絞査治通鑑長編.
1
ーに ︑
自有事二邊︒戌兵疫廣・師行︒餡逃仰於膊易︒有司務艇物佑︒以来輪入︒河北有水蓮而地耶差近︒亦有京師
殻送者︒其入中︒大約入粒斗増六十五錢︒馬料培四十五錢︒西郡回遠︒及沙術陰︒運載甚難︒共入中
之似
︒ 態州斗粟有至千錢以上者︒百餘州率不下数百゜
と見
え︑
京師の穀物商が彿粟を河北・狭西方面に輸送すれば︑政府は納入物貨の質債よりも可成りの高額を
以て
買ひ取った︒而して河北の塞下に輸納せる場合には︑其の支彿似格を優堀する度令に略椋準が有つたけれども︑
映四方而にあ
って
は
︑地
の阿遠なると運搬の困難なるがため勁揺極まりなく︑河北に比すれば逝かに高額の支彿
畠したやうで
あ る
︒ 同 塑 詞
大宗端挑二年九月戊子の條
には
︑
︵ 一
︶
河北・映西雨路の折中
北 宋初期
の 便
耀 に 就
い て
北
宋初期の便甜
に就い
て
才 ‑
ォ 平
住
利
八八一直
北宋初期の便
甜に就
いて
昔レ之︒轄既典茶買゜ 名椛貨務︒慇父引
者痰
[
J
︒叶右
行商
則鋪買為保任
︒
詣京師椛貨務給錢゜¥ t
‑ ; 11
又移文南州給茶︒若非行廂︒則鋪買自乱 怨
こま
トー
︑
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/ 一
紅 ﹂ ︑
ヶレパ
翡 蘊 粟 者
︒ 非 懃 闘
︒率共土人︒鉦得交引︒
特詣面要州府繋之︒市得者寡至京師
︒
京師有坐ー質饂鋪︒隷 とあれば、交引は豫め京師の三司より北巻二路
5 •
□瓦河の各轄運使に装送されてゐたと考へられる°而して長
0 0 O O O O 0 0 0 0 0 京朝官廷臣監臨︒凡一路之財︒骰栂運使掌
之 ︒ 誓 贔
︒詔認州
麗 羞 買
︒
凡
麿 羹 恩
︒ 無 得 占 留
︒ 誓 鎖 有 眼
゜ 誓 文 臣 昇
︒ 所 在 場 務
︒ 或 以
にまた代恨腑求額の記入されたる文券であったが ︑
券 (
3 )
ろが
︑ 李似の宋朝事質Lを見る
に ︑
・ ブ
それ
を交引と稲した︒宋の
國家 財政柚は三司にあったのであ
入の地と代債支彿の地黙とは異
つて ゐたのである︒而してこの雨渚翌迎絡するものは ︑納入證明臀であると同時 とあって︑京師の商人を
して 彿料を河北の器
下に
絵送せしむるこ
とは
︑紙に太宗の荊熙年間より行はれ︑ 荊煕後︒用兵切於錬餡゜0
0
交引︒至京師給以
紛錢
゜ 多令商人入彿
料塞
下︒
酌地之遠近︒而為共直゜ とあり︑原注
には
︑ 塞下折中︒自荊煕始︒既罷復行︒
自 河 北 用 号 累 誓
° 始令商人輪壁糀
翠
゜ 誓 之 遠
近︒
0 0
00
( 2 )
江淮︒給茶獅︒謂之折
中 ︒
取市仮而厚増
之 ︒
物貨納 授以要券︒謂之
と見え︑更に宋史履↑亘食貨下五
︑茶
上に も︑
而
俊箆共直︒執文券至京
師︒倣以
縁錢︒或移文
北宋
初期
の
便甜に
就い
て
( 5 )
こる文の一節には 呑一百
と述
ぺ
︑
︑同密 ド
\ 李 諮 の
奏睛を載せー
北商持券至京師︒恋必得交引鋪為之似任︒井得
︱ 二
司符
酔 呵
然後給錢︒以是京師坐買率多巡求︒三司吏稽留為
と見えてゐる︒右に引用せ
る二
つの記事を併せ考ふれば ︑彿粟納入の地に於て受取りたる交引を持つて京
師に来
(6) る者の中︑行商即ち商人組合
( G l d M i e
r c h o
. u t ,
K a u f m a u u s g
般穀簡等は︑必す一應
i l d
に恥する穀物賄及び一e )
交引鋪に立寄つて︑其の持参せる交引の検認を受け︑また三司の符瞼をも得
て ︑
然る後稲貨務に行く︒稲貨務で
は現金支彿をなすを原則とはしたが︑或は江淮の茶に振替へて茶券を給典したのである︒映西遥地の土箔民
は ︑
その齋し来れる交引
をば
︑直ちに行尚若
しく
は交引鋪に齊り
彿つ
て現金に換へ︑郷土に向つて蹄逗した︒而して
( 7 )
行商及び交引鋪の得たる茶交引は︑京師に在
つて
茶券の入手を待望せる南方茶商との間で取引壺賀されたのであ
る︒既に交引鋪が狭西土痛民より買ひ
たる
交引を直接茶商に韓咬する
以上
︑
殺物脚の持ち来る交引と︑映西土箔
民のそれとは︑幾分その性例を異にし︑前者は飽くまで現金支彿それ自個を約束するものであり︑後者は韓運使
が給付する賞初より茶交引の性質を帝びてゐたに相述ないのである︒然しながら︑これは館宗中葉までのことで
あって︑天誂二年以後
は河
北路同様になってゐる︒尚ほ此のことは後に述ぶる所によって確められるであらう︒
京 師 の 折 中 贋 治 通 鑑 長 編 診 盟 二 年 十 月
癸酉
條の
に︑
姦 ゜
(
‑ l )
腔折中倉︒聴商人輪粟京師︒而請茶即芋江淮︒胞部員外郎苑正僻・洛苑副使基仁澤・作坊副使罪崇
誇 ︒
同掌
‑ i L
o
北宋初期の便甜に就いて に難くないのである︒ 折博倉即折中倉也︒端批二年九月初囲︒雰以歳旱中止︒今初復之︒
と見えてゐる︒前掲の折中倉は創設後間
もな
く︑
旱魃のために共の存在理由を失ひ︑
淳化1一年再び折博倉の名稲のもとに復活されたのである︒京師は多数の禁兵を掟してゐたが為︑南方の穀物を京
( 8 )
都に逃ぶことは︑政府にとつて重要なる任務であったことは論を侯たない︒たゞ︑京師の折中が北邊の折中と並
び行はれたに就いては︑雨者の間に緊密なる闘係の存したる事質を見逃せないのである︒即ち︑此逸に向つて京
師の商人が穀物の輪送を盛んに行へば︑裳然京師民間の米粟不足を来し︑政府はその補給を計らねばならない︒
されば折膊倉を特に設罹したのであらう︒折博倉の米粟が︑必要に應じて民間に究掬かれたであらうことは推測
とあ
b
︑また原注には︑ 0 0 0 復置折博倉゜ 淳化二年五月乙己の條には︑共出 納︒
.
毎一百萬石為一界︒緑仕之家及形勢戸︒不得輔入粟︒御史姦糾之︒會歳旱罷︒とあり︑北邊多事にして蜀粟の供給に切なるがため︑塞下の折中と殆んど時を同じうして︑京師に於ても折中倉
が創設せられ︑南方穀物簡をして粟を京師に運ばしめ︑その代恨を江淮の茶痴に振り替
へて
支彿
った
︒原注
に ︑ 塞下納彿糧︒`京師納粟︒皆謂之折中︒丑益良雨事︒
一 九
一旦麿せられたのであるが︑ とあれば︑河北・侠西方面の折中と︑京師の折中とは︑各獨立して行ぱれたことは明かである︒而して同饗
澤 一 ー 一
茶の専
と楷貨務
岸の産茶地と楠貨務との闘係に獨れておかねばならない︒ とあるが如く︑政府の
専究制度のもと
にある茶班を以
て代倣することは正に有利なことであった︒されど
長 編
勺
f
( 9 )
‑ ̲
邊地︒市佑之外︒別加撒為入中︒債無定︒皆轄運使親裳時緩
急而裁虐之0
如粟
債︒
.
裳得七百五十錢者︒交引給以千錢︒又倍之為二千゜珈応知珈
︒紛和
c x o l
齢鉛︒
.
とあり︑同
魯樗叫にも
00 0 0
先 羞 竺 窪 蒻 嗜 上
言
︒ 侠 西
患揺折中糧草︒
率皆高挫
腐︒倍給公錢゜
とあって︑官の彿粟セ需むること切なるに乗じて︑動もすれば納入
者
は物債を市債以上に吊り上げて止まなかつ たのである︒政府は又此
等入中者に到して吝氣もなく茶齋を提供した為︑自然茶照の利は崩賀の手に渡るものが 多かつた︒斯る情勢の後を受けて︑折中新法が施行されたのであるが︑之に論及するに先立ち︑姑らく揚子江沿
(l‑l)
中唐以後飲茶の風は極めて
盛ん
になり、従って茶の
喪買も顕著に行はれ、徳宗の建中三年
(A•
D .
7 82 )
( 1 1 ]
︶
戸部侍郎趙
贅の意見
に依つて始めて税の目的物となった
︒宋の太祖乾徳二年八月に権茶法
f i O
疇鯰専が制定されて
本祖宗権茶︒蓋豚備二邊之郷︒且不出都内
錢 ︒
公私以為便︒
北宋初期の便
柑
に
就い て
一 九
こよ
ー:︐1 こ
.
之を要するに政府は出来得る
限り國
庫の逍接
負揺を轄減
せんとし︑共の財源の一部たる茶獅を代用したのであ
つて
︒宋史謬戸噸孫長卿の他に︑
北宋 初期
の便
甜
に就
い て
'とあるに
拡
つて
︑
茶︒如京師︒ 商質貿易 ︑
民間市場に出たことが知られる︒即ち政府と茶商との齊買行為は棺貨務に於て為されたのである
a而して京師椎
貨務に金銀錢吊を納れたる者が︑
共の證
明饗として交引を受
けたる如く︑東南の椎貨務に納
めたる者も亦交引を と見え︑また︑
合 ︶
より︑採茶の民が製造したるもの
は全部政府で賀ひ上げること
になった︒太宗の太平興國二年五月に至って曾楊
︵ 認
︶
子江沿岸l
帯の産茶州軍は完
全に政府の事喪制
度施行下におかれたのであるが
︑要會の地六ケ虚
には
班究事務を
喜す
i
楠 貨 務 が 設 旺 さ れ て 虐
° 宋 史 竺 噸 食 貨 下 五
︑荼上を見る
に ︑
0 0
淮南
則箭
・黄
・脱
・
舒・
光 痴 六
州
︒官自為場︒腔吏紐之︒聞之
山
場者
十
三︒六州采茶
之民皆隷漉︒諧之園戸︒
ト
シテ
00
歳課作茶楡租︒餘則官悉市之︒其督於官者︒皆先受
錢
而後入茶︒謂之本錢>紐其出
毀︒皆就本場︒
とある︒茶の製造者を︑園戸と稲したのであるが︑彼等は政府所定の山場に隷
脱
して
吏の監督を受け︑父その造
b
たる茶は自己の励する山場に持ち行きて官に究った
︒ 其の際官より園戸に支彿ふ錢を本錢と呼んでゐた︒本錢
とは今日の
言葉で表現すれば査本金或
は元金に賞
り ︑ 本錢に到して息錢の語が有つて︑これは純利得の謂である
右引用文の少し後には︑輻建路の山場所在地及び歳課総額を戟
せて
︑
ゴト
ーー
ユキ
セ ・
ソム
00 O O O 0 00 輻建則建・網二州︒歳如二山場f
楡租折税︒総為歳課︒幅建三
十九
廊三千餘斤︒悉送六棺貨務既
之 ︒ 入錢若金吊京師植貨務︒以射六務
十三 場茶
︒給券助所射
典之︒願就東南入錢若金吊者胎︒計直予 一旦
山 場に集放されたる茶貨は︑更に官の手を以て植貨務盆専喪局︶に運搬され︑然る後始めて
一 九 ︱
︱‑
と見え︑同二年春正月の條には︑ 買ったのである:﹂のことは︑王應麟の玉海竺噸乾徳植貨務の條に︒
0 0 0 0
開翌二年七月丁︱亥︒移建安務於拗州︒令客旅入金銀錢吊揚州︒給憑︒就建安請領茶貨︒交引始於此︒
とあるに徽して確められる︒等しく交引とはいへ︑京師権貨務に金銀錢吊を納入せる商人に典へたるものは︑京 師植貨務と東南諧楠貨務とを述絡するものであって︑所持者が東南椛貨務に到つてその交引を示せば︑記入額面 相賞態の茶を直ちに買ったに相述なく︑東南の諧植貨務に金吊を納れし者に典へたる交引は︑植貨務と其の所轄 の山場とを連絡するものであって.商人は山
場の吏 に之を示して茶を受取ったであらう︒
林 特 の 新 法 宋史傾浜宗本紀二︑景徳元年十
二月の條に ︑
乙未︒契丹使丁振︒以
蓉書 来︒ 丁酉︒契丹兵出
痙 ゜ 庚戌朔︒以契丹諧和
C大赦天下︒ とあって︑宋と契丹との戦も︑
景徳 元年末を以て一段落を告げ︑雨國の間に
講和が成立
した︒是に於て宋の政府
.
は︑従来國事多端の際に行へる臨時應急策たる折中法の後始末を為すべき必要に迫られ︑茶法改
革
には林特を起 用したのである︒絞査治通鑑長編謡謡景徳二年五月辛亥の條に︑
J o o o o o
及和好罷兵︒邊儲梢
綾
︒物偵差減︒而官給
交引︒虚錢之名未改︒
師以茶代
醗 咤 而買茶所入・不充其給
︒交引
停笥故商旅所得茶︒指期於敷年之外︒京師交引愈賤︒至レ有ぶ裁ー得
1
所入彿粟之質債玉れ1
3
官私倶無利︒於
︵ 四
︶
北宋初期の便
糀
に就いて
一 九 四
北宋初期の便糀に就
いて
一九
五
是命熙鐵副使林特︒典宮苑使劉承珪・崇儀副使李婢就三司︒悉索祖條制詳定︒特呼豪商問訊︒別為新法︒
と
あっ
て.北邊孵穏に蹄
し ︑
軍祝保給も梢緩やかになり︑従って納入物偵も次第に低減したのである︒此の際政
府は現愈条累為せばよいのであるが︑依然として庶額の茶交引
( L A
這麟虚譴頌藝請︶を喚行して代慎に充て4
ゐた︒そのために︑政府が園戸より買ひ上げる所の囲物茶の供給不足を招来し︑其の結果は茶交引の氾濫停梢と
なったのである︒斯くて京師に於ては侠西土人封交引鋪.侠西土人到南方茶商︑北方穀商到交引鋪︑北方殻商鉗
南方茶商︑交引鋪封茶商︑などの間で復雑に行はれてゐる茶交引の取引に影啓
し ︑
交引の相場を下落に趨かしむ
るのみであった︒延いては︑従来糀食を輸送せる者をして憶惧浚巡の念を抱かしむるに至ったであらう︒京師の
絡蔵は次に引用する文によっても明かなる如く︑決して豊かではなかったのであるから︑局而牧拾策として選ぶ
べき
最上の手段は
︑平
和克復以前に濫被せられ︑現に倅滞せる恋交引を買ひ占めて行き︑依然納入物貨に到
して
は現
金支彿を憐んで碇物茶を典
へて
ゆかねばならなかったのである︒若しこれを酋行に移せば︑姑息の到策たる
長編刊釦大中詳符
八年
閏六月丙戌の條に︑林特の交引同牧策及びその弊害を記
して
︒
0
0 0
0 0
0 0 0 0
自新法之行︒習有交引而未給
者 ︒
己給而未至京師者︒己至而未磨者︒悉差定分敷︒抽納入官︒大約商人有薔
引千貰者︒令依新法・歳
入 一
●百
千︒
候五
歳則新恋皆給足
︒
官府有以茶充公費者︒慇其債賤乱法︒悉改以他物︒0 0 0
C ' 0 0
山場節其出耗︒所過税務︒厳其畳學︒毎詔椛務所受茶︒皆均地配給
場務
︒
以交引至先後為次︒大蒟刺姉精好
0
o
O o o o
o
o o o
之 0 0
0 0
総 ︒
日夜走倣使︒荊券詣官︒故先猥︒初猿泄南
班 ︒
小簡已困︒至是盆不能自行︒ の殷は到底免れ難
いで
あらう︒
とあ る︒
レ有
こ 歳 之 内
・文
移小
改至
二
十
数 玉 怠 商 人惑之︒顧望不進︒
とあって︑右二文を併せ考ふ
るに
︑ 政府はその進置が可成
り無皿なものとは知りつヽも︑京師の現在錢窮乏のた め ︑
翌父
引の
有効期間を限定し︑期限内に直接東南椛貨務或は山場に行って質物茶の交付を願はざる者は無効と
する︑但し窟交引に共の記入額のゴ詑の現紛を添へて
京師或は江淮の植貨務
に差出せば︑新交引と引換へてやる
ことにした︒斯くすれば︑北
廂が自ら陀茶地まで行かな
いの
は自明のことであるから︑自然現緞を恋へて新交引
に換へるであらう
︒従
つて 京師に現錢が集まると同時
に ︑ 裔交引の同牧も出来て︒一部雨得であったのである︒然
しながら京師の
楽 商 恥
翫遣
輝 聾 尉 は
︑ 餘 分 の 聰 緞
笠添
へて新交引に換へるまでもなく︑期限に間に合ふやうに 贋 を 東 南
に走らせては︑記入額通りの︑而も精好の茶を受取る
こと
を結果
した
︒而して北商の財力乏しきもの
は︑止むなく
︷如
僻臣
所
L o
持の嶺交引を濠尚
に齊
9
渡 さ ね ば な ら な か つ だ 宋 代には都市内部に於ける商業の淡逹
( 1 5 )
すると同時に︑都市と都市との間に於ける商
業も亦装逹し'常時物
t t
を舟車馬匹に
殺載 し て 裔
業地と生産地と
の間若しくは商業地相
互の間を往来する多くの商
人
があ
って
.
客廂︒客人・客などと
いふ
語に依つて呼ばれてゐ
5)
﹈ ︵ 七︒引用文中の小商とは此等客商のことである
︒
大中詳符八年の條には︑
0 0 0 0 0 0 0 0 是時敷年間︒有司以京師切須錢°裔人恋執交引至場謗︒即付物︒
時或特給程限︒蹄限未至者︒徳
十分
︒ 復令
別楡二分見紛゜
靡芦
膨野
︒
i蒙商率能及限︒小
商 或 不 即 穂 或 無
帖納︒則賤
幽 邸 於楽簡
3有司徒細移用之便︒至 一貫は
一千 文︑ 千 貰は千千文である︒故に二百千文は千買の
一 読 一 ︒
に営る︒次に宋史履↑
尋食貨下五茶
上 ︑
北宋
初
期の
便琉
に就
い て
一 九
六
北宋初期の便猫に就いて
ある︒長編直誓蒻元年二月甲成の條に
︑
一九 七
され ば︑
菩交
引は政府の手に依つて同牧せられるよりも︑睾ろ棄
商の兼併
に趨き︐徒らに南
北の
客商を
して
困
°斯くて林特の
I i r
叫納
法
に依る
祖交引同牧策は全然失敗
に終
つた 態せしむるのみであったことが知られるであらう ので
あるが︑このことは後拙まで祟
つて
︑
荊末の人陸心源の
宋史
齊丁
l m
ば' に
は姦臣側中の人とさえなってゐるので
ソヅカ︱I0
0 0
0 0
曹 竺
︱
克 狭 西 入 中 糀 草 交引愈賤︒総虚碇錢百千︒既レ之オ得十二千︒請於永興・鳳翔・河中府︒官出錢市之︒0 0
奏
可 ︒
と見え︑同害
樗覧揺五年五月己亥の條には︑
時狭西交引盆賤︒京師オ直五千︒有司惜其投茶︒於是出内蔵錢五十萬買︒令閤門祗候李徳明
︒於京城市而毀
之 ︒
と
あっ
て ︑
天膊年間に入っては ︑
新法施行以後に装行せる交引すら持
て餘
し ︑
遂には内
蔵廊
より現金五十萬緞を
名 じ
出し
︑ 或は狭西衝要の地
に
於て
︑或は京師に於て之が買占q竺
行ひ︑燒菜するの止むなきに立到つたのである︒長
面料天誂元年七月癸丑の條を見る
に ︑
紅 てゐたと察せられる︒ と
あれば︑江淮の地に於ても亦二
蒙尚と客廂・桑尚と認椀貨務との間で︑京師に於けると同様の車象が展開され 北方のみならす︑長編疇い天
絃元年二月甲戌
の條L福げられたる詳定茶斑司の
上奏の一節には︑
0 0 O O O O O O O O 0
0 0
今暇於市︒止猥八九千︒恐梨痢乗其賤依
︒
不於官場入中︒̲̲,
︵ 五 ︶
之︒餘従其請︒ 食貨下五︑茶上︑
便
罐 一様に現金支彿をなすやう 詳定茶斑所請︒罷買狭西榔稲交抄︒別立久制︒許商人入中︒従之︒
とある︒映西彿栂交抄とは前に引用せる同
争贔 彗 研 翠 認
醐鱈に見ゆる狭西入中粗草交引
に相
常
し ︑ 詳しくは
巻 狭西 一 百 八十三入中佛耀交抄と言 ふべきであって︑入中粒草交引・入中御糀交抄ともに︑同性質の約束手形である︒更に宋史 天脳二年の條には︑
ゴト•-7モー_一ハー三司言︒侠西入中彿稲︒請依河北 例︒斗束址増其直︒計囲錢給紗
︒入京以見錢買之︒願レ受︳一
茶貨
交引
f給依
0 0 0 0 0 0
0 0
0
0 0
0 質錢数︒令乙権貨務︒並依時債納紛錢支茶︒不
n l 和空更用二彿糀文紗一帖ー納
茶貨
3詔
︒毎
入百千︒増五千茶典
と見えてゐる︒右に掲げたる雨文に拙れば︑天紹元年には狭西土浩民の彿粗納入者
に ︑ 轄運使より入中料草交引 を給典することが罷められ︑爾後︑狭西に焼甜を輸送するものに到しては︑河北に於けると同様︑現金支彿を約 束する所の交引を典へることになった。かくて、行裔・客商•土浩民らに到しては、
になったが︑而もなほ政府は︑依然としてこれ
を忌避
し︑茶の代用に努めねばならなかつた
︒
偕て︑河北に彿粟を輪納せる崩人にも︑映西に彿粒を楡納せる廂人にも︑婚しく轄運使より交引を典へてゐ
t
のであるが︑宋會嬰食貨
三十
︑ 天漉元年四月の條には︑
盆本
洋文
賄裁
抄本
︶
0 O
0 0 0 0
ニテ
"
共映西新入中根草交抄︒鋸虚宜百千°在京・見今破錢五千牧買
o
々‑ K
とあり︑天堂元年は︑
侠西方面の入中粗草交引を燒漿したる天誂五年よ
り二年後に
常つ
てゐ
る︒さらに同密の同 北宋初期の便糀に就いて
.\ー1 一
九八
北宋初判の使糀に就いて
とあ
って
︑
映西入中糧草交抄の外に河北便翻粒草交抄の名が見えて
ゐる
︒以
下便細の性質を究明せん
とす
る
ので
あ
る︒絞資治通鑑長編繹↑
這仁宗皇祐四年三月
丁未の條には︑包振の奏識を掲げ
︑
0 0
臣轍見︒天下之患︒在乎三路︒而河朔為甚)冗兵耗於上︒公用猛於下︒内則致絡棄︷会崚外則
致生
鯰困
弊゜
0
中方 今泌郡無事︒正是保國息民之時︒而屯兵盆衆︒用度盆廣︒毎年河北便糀糧娯
三四
百寓石︒約支見錢四略
°
云々 三年之備五萬貰︒僅有二とあ
り . 宋會要食貨
三十 力︑
00 O O'!,Loi•Iテ河北沿泌︒歳於権貨務給紛錢二三百萬゜
と見え ︑ 市縮耀草には
︐
以供
便翻
゜
また同饗食貨三十九
印 昇 謬 定 鱈
に掲げられたる三司の言
に ︑
0 0 0 0 0 0 0 河北耀便粒草紗恒︒本以見錢法一等給還︒
とい
ふ
一節 があるが︑翻便は便羅と
同じ
い︒此等三文を綜合すれば
︑
便翻は河北路に於て行はれ ︑その支挑には京師権貨務の現金が充てられてゐたのである︒而
して
章如愚の山堂群害考索甲集樗疇平耀常平裟倉には .
0 0
0 0 0 0 0 0 0 本朝市熙之名有三︒和糀以見錢給之︒膊糀以他物給︒便郷裔而は以抄引給之︒
とあ
り ︑
また
長編輝亡呼至和元年十一月の條には 璽二司︒河北歳大型︒其令絲泌州郡︒便翻軍料三百部・馬塾
二百
萬︒
じ條
には
︑
0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0
0
四月
︒ 定恋茶庶所言︒客人将伍諒
I河北入中便郷根草交抄上貼納錢物︒罫射茶貨︒
t L
‑ 1
ブとあるに微
して
︑
便猫は早くより行はれ︑殻物尚が河北の沿必に彿粟ーぜ輪納すれば︑三司は轄運使
︐ て
して
穀商
に ・
京師椎貨務に於ける硯金支彿を約束する手形を交付せしめたのである︒要約すれば︐便糀とは﹁まづ殻物裔をし
て河北常返に卯粟を輪納せしめ︑河北轄逃司よりこれら殻商に到して︑京師権貨務における現金支彿を約束する
所の手形を交付する﹂ことであって︑かAる役目を果す交引が
︑ 即
も便糀料草交
引で
あっ
た
ので
ある
︒ これ
が便糀
のプ リ`
t ‑
プイヴな形態
であ
り︑和糀との相違は︑轄運司が約束手形を川ふるか︑或はその場
で現
金支彿をなすか
に存する︒元来便糀
は和
糀の進化したものであって︑この
こと
は曾翠の元豊類菜刊紅平耀の項に .
使歳穣殻不賤出︒歳凶民不病食︒故平翻之令自此始︒李裡脩之︒魏以富彊︒樅興︒軟壽昌開常平之法︒以至
晋
︒ 痒 四
r l b
廣︒後魏定珈鬱之制︒北
齊築
窟人之介︒附人罹監︒附人辟東西市之舘︒雖琥名殊︒其為法
一也
︒
賞盛宋建隆之間︒始因河内之稔°脩泌羅之事︒至淳
化而
天下
之耀
復・
大備
︒
とあるに拙
つて
︑
容易に推察され得るこ
とで
あ
り ︑
宋史這↑鱈食貨上三︑和翻
に ︒
河北叉孫商
人 ︒
輪彿粟於邊︒以要券取伽竿及緞錢・香築賓貨
於・
京師
或東南州軍上 0
とあ
ろは
.
P
るに
とりもなほさす便羅と呼ばれてしかるべき性質のものである°馬端臨の文献通考刊ー
一 ︱
00
o ̲
00 0 0 0 0 河北菩有便耀之法
︒
聴民轍粟泌州︒而京師給以締錢︒錢不足・即移文外州給之︒又折以
象牙
香薬
︒
とあって︑便郷にあっては︑京師の椎貨務にて硯金支挑を為すを原則としたが︑現金不足の場合
には
ー ︑象牙香葵︐ぜ以
て代位し
たり
︑
東南の諸州軍の紛錢・茶・態
に文
券を振り替へたりじたのである︒沈括の夢淡筆談ぢ
1]
官政一には︑
北宋
初期の便猫に 就
い て
̲1ー
1
, ̲
一 [
1 0
0
市耀考二を見
北宋切刺の便甜に
就い
て
便羅を詳
述して~
︵六︶
南海喩
入品の専
便翻者︒次函糧草︒廂人先
入
巾栂
草︐
乃
詣京師︒罪請操便錢
.慢
苓ハ
紗及
雑貨
︒
慢便錢︒謂道路貨易非便虚︒悛茶紗°謂下三
山
場植務
︒
︱ ‑
0
と記
して ゐる︒宋の太訊の間賓
三年︑
附朝飛錢の故恵に倣つて便錢務が設立され
︑商人
が錢を便錢務
に納むれば
約束手形と
して の有債諦券が典へられた︒商人が其の券を持つて語州に至
り.州廊に於て之を示せば︑即日現金
0 0 (
z
i]
︶ と引替
へて
や
った のであるが
︑こ の證券を使錢と呼んだ︒
箪談
に謂ふ所の慢便錢とは
︑
多少遠陥
にして而も金融
の閑没なる
地方に
通用する政府の約束手形である
︒また
殴茶紗とは
︑
劣等の茶を産する
山
場を管轄する権貨務
に
於ける引
替券であ
り ︑ 雑貨とは
︑
宋史
・通考に照し合せて香
葵象
牙の類であ
ったことは容易に
首肯
出来るであら
う︒故に
便麒に於ける支彿
には︑京師
若しくは東南諸
州
軍の縁錢︑東南謡
州軍に
女座
する
茶・
堕
︑京師
椛貨務の象 牙香葵の類を以
て
充てられてゐた
こ
とが知られるのである
︒便耀の
主閤は河
北路であ
った
が︑
尚ほ河東路・狭西路
G
門 ︶
にも
行は
れたこと
を︑
零細な記事に拙
つてではあるが狽ふ
こ
とが
出
来る
゜
ー
慢便錢
と慢茶紗
とは壁一
炉の相違
であ
っ て ︑
やAも
すれば悛便
綾は政府
の御都合主
義に依つて︑
検茶紗
に菱
形され膀ち
のも
のではなか
った
らうか
と ︑ 現在の私は恩惟するものである︒
註
1 8
の御精殴と
'
大方の御叱正とを幽涵
iして止まな
いーー
喜 が 早
くより政府の印
ぷ 政
に帥してゐた
こ
とば
︑
宋史碑↑汀香
に ︑
而して
その原注
に ︑
︱ ‑ C
︱ ‑
張海佃を見るに︑
0 0 0 遜請︒於京置椎易署︒梢培其恨︒聡廂人金吊市之︒恣其販既︒歳可狼錢莉十駕縁以齊親喪︒太宗尤之︒
とあり︑同
帯 竺 耀 食 貨
下八︑互市舶法には︑
太宗時︒腔椎署子京師>詔︒賭審香薬賓貨︒至廣州・交趾︒雨浙.
n
水州︒非出官廊者︒無得私相貿易︒とある︒會要に見ゆる椎易院は︑
宋史
に於いて植易署又は箪に権署となっ
‑l
ゐるが.京師に在つて香築賓貨の琳
究事務を掌る黙より考へ
て ︑
皆同一のものである︒
北宋の初期には︑主なる貿易港の市舶司に︑折拇本錢.栂易本錢叉は市舶本錢と稲する若干の衰本を用意して
審商の輪入する貨物の買上げを行ったが︑之を陣買・和買又は官市といふ︒かく買上げたる審貨は︑各市舶司よ
り京師の椎易院に猿送
し ︑
権易院は之を民間
に出
究
して
若干の利得を牧めたのである︒
而し て︑
︑
長編にセ太宗太平興國二年三月庚寅の條には
︑
契丹︒在太祖朝︒雖聴浩
泌互
市︒
而未有官司︒辿月︒始令鋲.易・雄・覇・沿州︒各置権務︒命常参官典肉
,9 中︒果得三十萬緑︒自是歳有培羨︒至五十萬゜ 一歳 とあるに
拙つ
て知られ︑太宗即位の初年より︑民間にて膀手に外廂と貿易することを厳禁してゐた︒宋史繹↑庫 と見え︑宋會要︵瑚海欄志海所引︶
に ︑
00
0 0
0 0
0 0 0 0 0
0つ00 0
0 0
太平興國初3京師梱棺易院︒ル詔︒賭番國香薬究貨︒至廣州
・交
趾・
泉州
・雨
浙
︒非出於官庫者︒不得私相市易︒ 00 0 0 0 宋之網毀
︒
茶糊暮之外︒惟香之為利膊°故以官為市︒北宋
初期
の便
糀に
就い
て
北宋初期の便
甜に就かて 六年改四分︒ と見え.その原注に︑ 咸平五年9三司使王嗣宗︒始立三分法︒
と あ り
︑ 塁 海 庫 勾 羹 茶 法
・
景祐茶法
の條
には
.
香築犀象・四分茶引︒ たことを︑有力に物語るものに他ならぬのである︒ とあって︑香築・犀曲・
象 牙 の類は︑既に大宗の初世より︑茶と共に官の手に依つて契丹との
國境
近く
運ば
れ︑
國家財政上重要なる役割を勤めてゐたのであるが︑演宗の大中群府二年に至って.此等香築犀歯象牙などの専夜
なった︒即ち長編巻七同年二月甲寅の條に︑
事務を司つて
・
ゐた所の権易院は︑京師稲貨務に併合されることヽ是月︒併香薬植易院︒入権貨務︒
と見
え︑
同饗輝恥大巾詳符八年閏六月丙成の條には︑
官府有以茶充公費者︒感其債賤趾法︒ 0 0 0 0 0 悉改以他物︒ 侍︒同掌輩香葉・犀象及茶
︒典
相貿
易︒
︱ ‑ 0
とあるP此のことは一個何を意味するかといふ
に︑
香葵象牙犀曲等が︑北逐への彿粟入中の代債に利用され始め 腐筆談謡一官政二︑本朝茶法に︑奨宗朝のことを記して︑
咸平五年︒三司使王嗣宗︒始立︱え几法つ以十分茶債
︒
四分給香棄︒三分犀象︒三分茶引︒六年︒又改支六分
●9
︑
'
︵ 七 ︶
結
語 二分法•四分法が制定されたと考ふべきである。
とあ
り︑
孤早
俊郷
の
山堂群書考索後集樗冦稲茶の條には︑四朝志い紅虹譴を引き
て ︑
0 0 0
.
又牲正三分法突︒十分茶似︒四分給香薬︒三分犀象︒茶引別以二十一色︒と記されてゐる︒
即ち︑従来北邊
入中
には
︑
茶を利用して代佃してー
のた
が
︑王嗣宗の三司使たるに及び︑支彿全額の一︱i闊だけは
茶交引を以て充常するも︑残餘の七割は香薬・象牙.罪曲の頭を適宜に配合して典へることになり︑斯る代伯方
法を三分法と稲した︒若し茶が代伯全額の四割を占むるならば.之を四分法と稲したのである︒故に三分法とい
ひ四分法と呼ぶは︑たゞ茶の配合率の上から名付けられたに過ぎないので
あっ
て︑便絆の一分野に恥し︑政府の
商人に到する代償支辮法そのものを重親した時の名梱であると言へるであらう︒顧ふに︑見錢
・
香薬象牙・茶の三種を配合する所の納入物債支彿法が徐々にその形態を固
めだ
した
のは
.
香薬稲易院が京師の植貨務に併合され
たる大中詳符二年以後のことではあるまいか︒
以上述べ来りしことを慨括するに︑便耀施行の常初にあっては︑見錢・茶・鮨・香築象牙犀曲などが︑各孤立
して代個支彿の用に充てられてゐたであらう︒然るに其宗朝に入って間もなく︑政府の支彿方法が秩序
付け
られ
︑
便細と三分法•四分法との闘係は右の如くであるが、緻衰治通鑑長編戸仁宗天蜜元年春正月丁亥の條を見る
9 ,
9.I.
︑
,1北宋
初期
の便
甜に
就い
て
二
0
四北宋初期
の便耀に
就いて とあって︑北
過納入物貨の
代俗として茶を利用し始
め
てより以来︑班究に依つて江淮全般の山場よ
り
得る純盆金 時以為至論
3
廠後雖屈
笈以救之︒
然不能無
弊゜
衰苺
2 3
i"
J
i'.J' i~
5.
5
x
1 1 1
13
10
二
0
五 計置司首考茶
法利害︒奏言︒
十三 場茶︒歳課絡錢五
十萬 ︒
天認五年︒罷及紛綾二
十三萬3
鋸直錢
十
萬︒
既レ
之
つQQ 0 Q Q Q Q Q 貨一錢五萬五千
f穂為紐錢質十三腐
3
除九萬紛為本錢
>歳殺得息錢三萬餘縁
︒而
官吏稟給不典焉︒是
則肱数雖 多。質用殊
寡。〔因請罷三税(詮)行貼射
之法。〗一
とあつて︑奨宗天賭五年に於ける
淮南十三山
場の茶産額は
二十三
萬紛であっ
た●然る
に此 等の茶は
︑京師 椎貨務
に於
いて
︑ 穀商 に封する現金支彿の代り
に茶交
引に
振向けるか︑若
しく
は茶商に現金セ納入せしめて茶交
引を輿
へるかして︑全部商人に
彿下げて了ふのであるが
︑
其の際政府は
︑
現婚五廊五千文を支彿つてやるぺき北商・或 は五部五千文を納入せる南商に鉗して︑十萬
縁の茶交引を狽
ヘ・ 山
場
に於いては記入
額相常屈の距物茶を受
取ら
せたのであるから︑二十三
萬紐相賞品の宜物茶
より
︑ 官が宜際牧得
する所のものは︑
である︒而して此の十三
萬紺
より
︑ 毎年政府が園戸
に
支給する茶本錢九廊紛︐を除けば
︑茶の専究よ
り
得る純益
即
0 0
ち息錢は
︑僅かに三廊
紺に過ぎ
な
かっ
た︒し
かも
此は
︑ 箪に淮南
十三山
場の茶
に止
まる
︒ 長 編 ニ
z
の胃頭︑
天迎元年春正月叩
A E I
砂Lの條を見る
に ︑
訳 J
景徳中︒丁謂為三司使
︒
神計其得失︒以為し泌
羅
殺及五十萬︒而東南三百六
十餘萬茶利︒盛
節廂質︒賞
の國庫に入るものは︑幾くもなかったことが知られる︒共の間︑緞錢や香薬象牙等を配合して︑幾分茶の濫費セ 綾和することは出来たであらうが︑無論それは程度上の問題たるに過ぎなかったであらう︒長編訊一ー
一に は
李諮の
毎給十窺︒茶筈錢萬一千至六萬二千︒香薬象曲筈錢四萬一千有奇︒東南緞錢魯錢八萬三千゜
とあれば︑政府が民間に茶を彿ひ下げる時の平均
究位
は︑
となる︒此の三萬六千をば︑東南婚錢の八寓三千へ香築象曲の四萬一千に比すれば︑李から言
って
最下位である︒
換言すれば政府が代債支彿を為すに常り︑俊増の度は右三種の中茶が最上であって︑従つてまた︑茶の利用李が
最も低かつだわけである︒尚ほまた程度の差こそあれ︑右三種のものが何れも︑法定債格と腐際通用仮値との間
に
.
︑かなりの開きを持つてゐたことを看取出来るであらう︒これは畢党政府の損害となって行くのである︒而しで宋史碩詞↓李諮の他に︑
0 0 0 0 0 商人入粟邊郡︒算茶興犀象・締錢°為虚匹二佑゜
念
b
曾翠の隆平集輝柩密の李諮の項には︑
天聖初︒在三司︒言︒天下賦入有常︒而用度日盆︒願一切裁節之︒詔校一歳親費︒減冗長者十之三︒又以商
0 0
0 0 0 人入粟邊榔︒邸茶典犀象°為虚究三佑︒坐耗官努︒睛以廷錢参紐︒
│ . .
h,',•J.I』ー"ヽ".'..、
i . : r m
十
6 .2 1 1 ,i
1 t1 .
m
1 1 1
.3
.6
2 上疏を載せ︑その一節に︑
北宋初期の便
癒
に
就い て
二
0
六( 8 )
( 7 )
( 6>
( 5 )
( 4
> (3)
( 2
) ︵‑︶
︹ 注
︺ と見え︑
北宋
初期
の 便糀
に就いて 仁
宗最
●卯
三年
三
月丙午の
條゜
批掠二年互月
辛亥の條 巻
( 2 1 )
さ
らに明の箭應茄の宋元通
鑑ヤJへ
宋紀
十六仁宗
一に も
︑
初狭西河北︒商
人入 彿料者3棺貨務給券以茶倍之
︒
叉盆以束南紛錢及香薬犀象︒朽虚匹三佃uとあっ
て ︑ 政府
にして
使翻の原則を適
用せざる限
り︑北
贋 璽 忍 籠
に納む
る時の徴格と︑京師に
おける交
引
の取引偵格
と ︑ 市商が東南祁州
にて
茶若しくは
現金竺受取る時の債格
とは各相述があって︑
之 ・
ぜ統一することはヽ出来なかったのである︒し
かのみならす︑茶・摩香
燥象
牙などの民間市場に出ること徒らに多く
︑これに需要が
全 ︶
伴はなかったりである
か ら そ の
市
場伯 値は低
落せざるセ得ない︒かくては官民共に
損失を蒙るばか
り
であ る︒
箕宗最掠二年五月辛亥の條゜
二
0
七折中 とは
︑
I折して他
のも
の
に巾
てろ
﹂
の揺
で
︑宋代では尚ほ折斐
・折 支な どの
語が
あ
り︑折は代
J I J
を窯 昧 ししゐろ
︒
宋史巻一百七十九︑^伶下一︑合計
に︑宋衆
兵取師︒外州無留財°天下支用悉
出
三司°故札叩蕊多︒云
々
翡 整 寵 繋 策 閏
誓
誓 儡 喜 士 の 論 文
﹃店 宋
時代の商人紐合﹁
行 ﹂
に就い
て ﹄
ー主として第三節参
照︒ なほ
植村活之助栂士浙﹃西洋
中泄 史
の研
究﹄
所牧
﹁ギ ル
ド
の起
源
﹂巷
考
︒
窓 馨
一百八十三︑企貨下五︑茶上
に ︑
商買奴易°入
錢若金
吊京師柚宜務︒以射六務
十 一 ー
涵
茶°給券脇所射奥之
︒
宋史巻
1百七十五︑食貨占二
漕 辿に︑太祉起兵間布天下°懲屈李五代薙叙之禍︒t
裕兵
京師
︒
以
成眼幹弱支
之拶
︒ 故於兵
︿蒻虫︒
砧隆以
来
︒首浚三河°令
n
今窃州歳 受 税 租 岱 盗
利︒上供物舟悉官給
舟車
︒
愉送京
師︒
籾役民妨
股°開
究五年︒率
汁・
禁雨河公私船︒
迎汀淮米数
十部后
︒以
給食
蚊︒
( m )
( 1 5 )
( 1 4
) (5l)
宋史巻
一百八十
三︑企貨下宜︑茶上
に
︑宋柚茶之制︒掃要合之地°曰江陵府
0臼奨州0
曰悔州︒日渓陽軍°曰無鈴 箪︒日酷州之賄
n o
筋柚仔務六°とあリ︑此停六ヶ庭の中︑梅州のみ淮水の北
に
あっ
て︑他の五ケ成は何れ
し拗子
江の沿岸に位してゐた
︒尚ほ︑六柿貨務が決定したのは淳化四年であら
うとは︑版に
松井 氏も
言
はれてゐろので
ある
︒
葵原源士溢肝紀念東洋史
論
叢所 戦︑ 加豚繁碑士の論文﹁宋代の都市悛逹
に
就いて﹂参照︒
加藤繁栂士の大箸﹁店宋時代
に
於けろ金銀の研究
﹂
第二分冊︑第十
二卒︑七三一頁参照
︒
宋史倦四
︑太宗本紀
一に
︑ 説江南柚茶楊゜
矢野仁一膊士箸︑﹃近代支那の政治及文化﹄の中
に
牧められたる
﹁茶の歴史に就いて
﹂
や滴鮮地理歴史研究報告第冗 倦所餌︑文型士松井等氏の論文﹁北宋の甜契丹防備と茶の利用﹂並ぴ
に桑原栂
士
逗肝紀念東洋
史
論叢所載文墨
士山
下
寅次氏
﹁支那歴
代煎茶考﹂など
御参照あ
リたし︒ 組査治通
鑑
長編俗五娩
徳
二年八月辛酉の條
に ︑ 初令京師
・建安
・談拗
・賄口︒
並説楊柚茶︒自廊武宗始恭民私沢茶︒
自十斤 至三百
斤
︒ 定 納 錢 決 杖 之 法
° 於 品 令 民
° 茶 折 税 外°悉官買民°
敢裁訟 而不送官・
及私販瑕名
0没入之0と 見え、民の造
れる
茶ば全部政府で買ひ上げろ規定であった
0
但し、彼等が税として納むぺきもの
ー—人丁
税の如き
—
を食折し
て代納すろことは許され―
Jゐたので
あろ°故
に政府 の専毀制炭
にし荻分不徹底な所があったわけで
従つて今後
と
雖も尚 ほ︑私 販蔽船の行は
れろ隙が
あっ
たので
あろ
0
長編倦 十五︑開
究七 年五月甲寅の條
に ︑ 藍察御 史劉 婚︒受詔
子砒
.舒
等州
巡茶︒蜻莱砿
°
低稲商
人
°抵民家求市︒民家不疑︒
I I I
茶奥之°郎捻如叫
子法︒と
あろが如
き︑そ
の好例であろが
︑
此等密衣瑕締のことなど
に
は隅れろ必要がない︒節便
には
︑ 消朝の法律學者
︑沈
家本の逍
稿﹁
沈寄稔先生遺害
﹂
甲編所牧﹁私茶考
lを御一賊されたし︒
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成平六年正月壬寅の條
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最徳二 年五月辛亥の條
北宋初期の価
糀に就
いて
二
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八( 2 1
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( 2 2 )
︵幻
︶
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北宋初期の便猫に就
いて
歿年は︑仁宗嘉眈五年六月辛己であろーー
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九 典ば映西永典軍路永巽革︵聰迦司の所在地︶永︒鳳 魏
ば眺西粂凪路鳳
翔府
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所在
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0河中は映西永典革
路河中府︵提邸刑紐司の所在地︶な
いふ
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宋史︵俗八十七︶地理志三に掠ろ0 1 9
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王 悔 硲 一 百 八 斗
︶
錢幣の開究似錢務の條に︑閑究三年五月丁巳°詔於雨京骰便
錢務
︒とあリ︑本文に注して︑版
店朝飛錢故事°許民入鈍左蘊
︒即
以語州錢給之︒救賭州°侯券至帥給0とあリ︑長器
︵巻
八
十五︶大中詳符八年閏
六月丙戊の條
には
︑
開孜三年︒叩肛便錢務°令商人入錢活°詣務隙牒°帥且殻致︒左巌庫給以
券︒
仰救賭州侠商人滋
券至
° 帥如
共敷給之0自足無復留滞°共後定外地閑慢州︒乃許指射︒と記されて
ゐる
︒
長編巻一百三︑仁宗天幽二年六月丁巳の條
に ︑
河束蒋迦使鎧離癖術°罷便猫官°止従本司選逍判或猫職官領之0
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あり︑元豊類菜
︵岱
四十
三︶駈部貝外郎︒知臨江
軍疱君器誌銘
には
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君
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氾息逍︶始以父任総大廟齋郎°累靱至侮苫即部貝外郎︒ーー中略ーー又筋勾露開治畿内溝油°提緞映四河北路便甜揺穿°至知臨江軍亦
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桑原隙蔽拇士著﹃宋末の提欅市船四域人蒲齊阪の叩跡﹄第五節﹁宋時代の枇森畑と官市﹂
参照 ー ニ
六三頁
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天幽元年春正月癸未の條゜
ゴトニ長編倦一百七十泉祁三年二月庚子の條︑國子栂土監柚貸務膵向
言︒
︵
中略︶是跛箭倍出中都注︒而茶・煎・香薬象牙
之物︒出多而用有
椒°
則賤而不
侑 ︒
官租雨失共利︒