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ソクラテス研究序說(上) : 對話と問答

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

ソクラテス研究序 說 (上) : 對話と問答

永野, 羊之輔

https://doi.org/10.15017/2545001

出版情報:哲學年報. 5, pp.23-64, 1946-06-05. Faculty of Law and Letters of the Kyushu Imperial University

バージョン:

権利関係:

(2)

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〜凸

ソク

ラテス研究序説

!︲11對話と

躯回

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ミーノ

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︒I

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一『

﹁折駆粁のパトスは鰐である︒折︑蕊の姑は此外にはない﹂とプラトンは云った︵目の鯉の︽・愚目︶︒併し乍ら︑祈學が

驚異に始まるとは︑抑盈如何なる意味であらうか︒

・プラトンの意逓一堂けてアリストテレースは︑﹁形而上壌﹂に於て︑﹁人共が哲學し始めるのは︑今日に於ても北画に

於ても鰐によってごある﹂と述べたが︑彼は直に論逓繼いで︑一人糞は身逢に於ける新奇なるものに驚き︑かくて少

しづ典進んで︑例へぱ月の盈臓や日や狐や︑曲物の發生にも亦跿を感ずるやうになる︒而して疑ひ鱗く者は自己が無

知なるな墨える﹂︵冨黒.読号︶と論じてゐるね

即ち︑諏學が鰐異に飴まるとは︑諏駆がやがて﹁無知﹂のn挺に挫附けらる可き逓云ふのである︒人は共幼時もの

心附き始めるや︑外界の現象に驚き慌しみ︑﹁あれは何か﹂︑﹁之は何故だらう﹂と専ら外に向って川ひ始める︒然る

に人が一度對象的知識相兀川の矛府に柿論するや︑・知識そのもの氏吟味に脚ひ︑やがて﹁無知﹂を自兇するであら

P︑もう︒かくて叉︑此n鼬を縛機として︑﹁ものを識る﹂と云ふ専ら容概に川ふ態度が反打されて︑人が外に向って渡す

る所の間は第二義的なものに過ぎず︑根本的な間題は世に内面の問題であり︑内と間ふ事が人生の雛一義である事が

悟られる︒従って︑﹁驚異﹂が哲學の﹁即︑態﹂であるとすれば︑共﹁町内的段階﹂は羅荊の自兇﹂即ち﹁不知の知﹂であ

ると云へる︒所で此﹁内﹂を問ふとは︑﹁自己﹂を問題にする事︑換言すれば︑問はれてゐる自己を戒脱する事に他︑℃︑1ならない︒故に此問題は躬を以て即ち﹁征雌﹂によって符へられいばならない︒之は究極的興理が︑唯主朏的にのみ

ソクラテス研究序挽二五

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9

ソクラテス研魂序脱二六

把握さる可き事︑從って禰鯉は﹁雌知﹂のⅢ題を艸川の軸として︑深く﹁溌践﹂の慨域に突き入る可き事と意味す

る︒我舞は此所に哲躍史上︑希臘﹁宇澗而期﹂の﹁自然禰皐﹂が︑﹁人事論期﹂の﹁没践打學﹂へ雁Ⅲしなければ・なら

なかった内面的必然性莚理解するであらう︒而して此制期的大郷回を成就したのは︑楜知の如く我がゾクラープメであ

る︒即ちクセノフ洲ン.に振ればソクラテスは︑↑

ソワfスタィー﹁蔑有の本質に就て他の秘めて多くの人だの様に︑研究し論議する事はしなかった︒即ち識粁逹が所訓コスモスな

るものは如何なる性賀を有するか︑叉天職の仙凌一の現象は如何なる必然性を以て生起するか逓間ふ事なく︑かへつて

之等の事と穿鑿する事が蝋かしい郡であると指摘した︒彼は先づ鋪一に︑之等の人堂は人事︵§丘貝qb旨騨︶は充分知

ってゐると老へ︑之等の事逓穿盤するのか︑とれとも人Ⅲの蕊は放って世いて︑超人間的な事︵国鳥の言c己四︶と考

究し︑鰯す可き事を爲してゐると老へるのか涯吟味した︒一辰︑彼は︑︲此人糞ほか上る襄柚は人問に發兄出来ない

事が分らないのだらうかといぶかった︒何となればか上る事を論議する事に鮫も脚佑ある人灸でさへも︑五に兄解一

致せず︑相五に狂人さながらの壯態種呈してゐるからである︒.⁝⁝坐洩物の本質を恩ひめぐらしてゐる群の巾︑或人葱

群坐盈は存在は唯一と老へ︑或人麹は共数無限であると老へる︒或人糞は寓物は永速に通勤すると考へ︽或人だほ一物も

曾て動かないと老へる︒叉或人糞は閥物は生成消滅すると考へ︑︑或人糞は生成油減しないと老へる︒:⁝.:.かく彼は之

等の事にか上づらへる人舞に就て論じたが︑彼同身は術に人事に就て研究し︑敬祁とは何か︑不敬とは何か︒美とは

何か︑醜とは何か︒正とは何か︑不正とは伽か︒思唯とは何か狂氣とは何か︒勇氣とは何か︑卑怯とは何か︒剛家と

は何か︑政治家とは何か︒政府とは何か︑統治淵とは何か︒共他それを知飢る人糞は立派な善き人となり︑知らなけ︒〃

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Q

れぱ奴隷と呼ぱるLも常然である如き事椚に就て術裁したのである﹂G扁冒.閏吟偉I屋︶︒

併し乍ら.単的關心が﹁自然﹂より﹁人事﹂へ移ったと云ふ訓は決して邸に折聯の對象が一方から他方へ郷じたと

云ふ意味に淵らない︒それは在に打撃的思椛の歴史に於て荊期的意推を有するのであって︑勝錐の打學は正にソクラ

〆︑−1.テスに於て確立したのである︒﹁折離﹂の脈語喜旨ぃ︒吾樹が特に彼によって自兇的に使川され︑爾来彼に源流症汲

む人糞の側に次節に熟されて︑略交今日の意味にまで形成されて行ったことは周知の如くである︒併し乍ら︑七十歳

又は少し之を出づる商齢に及んで共悲劇的妓後を遂げる迄︑生涯の大半を﹁哲學活動﹂に献げて倦む事駐知らなか

ったソクラテメが︑此械城に於て荊期的郷回を噺らしたと云ふ調に就七は︑諸家の等しく認める所であるが︑然ら

ば抑糞ソクラテ式の打學精祁は如何にとの根本問題に關しては︑今日未だ各研究家の間に一致と見る事が出來ない︒

もつとも今日迄幾多のすぐれた學者の努力によって︑一﹁彼に就て何か耳新しい事逓いふ事が期待され得ようか﹂

︵弓旨号吾騨巨.5月曾胃鼻隅・博昌ロ島のP忌巨長の皀邑旨・目・F切呂︶と云はれる程︑細部に至る迄考證し識さ

れてゐるにも拘らず︑扱て共全貌逓捉へる事は今︑術ぼ未解決の問題として残されてゐる︒否︑老證や研究が進めば

進む程ソクラテス理解は益為困難の度を加へると云ふ告白は屡掩我交の耳にする所である︒良一︺

・所で︑ソクラテス研究の上に大いなる障碍と江ってゐるのは︑直接史料の欠除である︒即ち彼自ら何等の著作魅も

残さなかったがゞ而かも彼に就ての後人の記鋒は数多い上︑何恥も著者の性格によって色着けられ︑各舞共傾向を反

映してゐる︒従って文献相互間には少からね矛盾が見受けられるので︑何れも旗璽な批一判無しには採用し難い︒從っ

て︑其場合︑誰の何の記録を何虎主で信頼して︑史料取扱の規準とするかによって︑様盈なソク・ラテス像が描かれる

ゾクヲテ案研究序跳二七 一︼ 一一

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一一コ

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ソクラテズ研究序晩二八

認であり︑此所に眞のソクラテスに迫らんとする者の先づ岱面せねばならぬ鋪一の難關がある︒︵姓二︶

併し乍ら.史料取扱上の閲鮴にも輔して︑根本的砿きとなるのは︑ソクラテス自身の端悦す可からざる風貌とそれ

に相晒しい彼の反語的教諭であると云はねばならぬ︒︵姓三︶ソクラテス彌學の本賀が所謂﹁不知の知﹂なるアイロニーに

存する事は異論なき所であるが︑此の季ふ餘地なく彼に蹄せられる﹁私は知らざる事逓知る﹂︵○一89陣鼻︒己騨︶

と云ふ言莱も︑之逓不知に亜軸を世いて﹁不知の知﹂と解するか︑﹁不知の知﹂と解い秀﹁知﹂駐弧訓するかによ

って︑解織上祢域もたぜならぬひらきが生じて來る︒蓋し︑後若が﹁不知﹂より﹁知﹂への主知主義的展開逓意味し

西洋的回ゞコスの端初を決したものであるとすれば︑後者はかへつて︑﹁無知﹂に安住せる哲人の合言葉として︑深く

東洋的叡智とも通ふものであるからである︒︵註四︶そこで我渋はソクラテス研究に入る前に﹁不知の知﹂の問題を中心

に︑一鰹︑東西學問の對質莚試みようと恩ふ︒

學問とは一般に辨賃のロゞコメ化である︑と云へる︒然るに﹁ロ︒コス﹂とは本来﹁言葉︲一を意味し︑﹁語る﹂と﹁聞

く﹂との樅遥的聯關一と前提とするが故に︑學問は語る群と側く新との要口語共同態一の地盤に於て成立する︒之は學

問の杜會性を云ふのである︒似令︑我堂が猟りで思索に耽ける場合でも︑醜に.フラトンが述べてゐる様に︑﹁恩帷す

るとは⁝⁝領・魂が其研究ぜんと欲する群に就て自分自身に對して語る言葉である︒・・・⁝︒:魂が思惟してゐる時には︑

魂は明かに自分自身で問ひ且つ答へ︑肯定し否定し乍ら對祇してゐるに他ならない︒.⁝⁝︒﹂︵昌の騨鼻.﹈望のl﹈弓騨︶

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之は思惟と言誌との密接な關係を明示すると共に︑學間の本質とも道破してゐる・學問が字義通り﹃學ぴ問ふ﹂事で

あり︑術に﹁川﹂によって批か恥ねばならぬとすれば︑﹁問答﹂こそは學問の脈型でなければならぬ・然るに本研究

に於て殊更に﹁對話﹂と﹁問答﹂と逓随別する所以は前者筵以て希臘ひいて西洋の學問の母胎たる哲學的﹁對話﹂

︵島漂︲旨習︶苑意味せしめ︑後者に於て例へぱ祁家の﹁問答﹂の如き對話を特に﹁問審﹂と呼び慣は十恢用に從って︑

東洋的躍問の原型と之に求めたのである︒今北全例逓畢ぐれぱ︑

昔聯醤歓が王呪に道莚間へる話が︑推子一態帝王﹂筋の同頭に述ぺられてゐる︒此時間群が四度問逓發したに對して

四度﹁不知﹂と答へたとある︒而かも一見不得要仙な右の問答によって彼は求むるものを得たと見えて︑﹁溜飲Nツ

テ躍リテ大イ|盃ゼ︑行イテ洲衣子一一告グ﹂と記されてゐる︒かうした﹁問答﹂の催症なさぬ﹁問答﹂は後世岬家の

間に見受けるものであって︑所謂﹁問答﹂の先躯と見る事が出来る︒蓋し禰宗の起源は印度に發したと云ふよりは︑

寧ろ古くから支那に存する老疵思想を地盤とせる︑佛激の支那的展開と見る可きである︒︵陀五︶從って︑右の﹁不知﹂

の内容が決して単純なる不知ではなく︑莊子﹁知北遊﹂筋に所謂﹁不知之知﹂であり︑其背後に老子の﹁不言之教﹂

︵﹁逝徳経﹂雄二章︶の存する事・は改めて断る莚要しないであらう︒而して此﹁不知﹂と云ふ一言が長く東洋の學風を

決定した事を忘れてはならない︒

服リス此所に︑興味深く思ひ合はされるのは︑希臘の市邦・アテナイの都大路に立って︑市民の誰彼逓捉へては︑朧んに

﹁對話﹂を試み︑今日見る如き西洋的學術に亜要な方向逓與へたかの﹁無知﹂の教師ソクラテスである︒彼が添耀し

た昨代は希臘祈鍛史上川訓﹁人事倫期﹂に脇し︑支那では奔秋末期に街る︒時あたかも波斯戦争の勝利によって︑新

ソクラーアス研究序挽二九

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凸互︑ ソクラテス.研究序競ヴ三○

輿アテナイは東方からの脅威︑・ヘルシャ慨界帝國の侯進より︑希臘の澗立と自由と莚救ったと云ふ自蝿症以て︑外は

希臘全土に對し︑政治上經濟上の珊椛を掌握すると共に︑内には此ポリスを中心として文運も亦競ひ起り︑一齊に文

化の花咲き剛づる希臘砕蒙期逓現剛した︒ソクラープスが生れたのは紀元前四○○年であるが故に︑︵姓六︶波斯戦争逓希

・脳の勝利に導いたサラミスの海戦後約十年の事である︒さ肌ば彼は此希臘簸礁期に共牛生涯過した課であって︑深く

畔代の糖紳を呼吸し︑時代の文化に垪はれて人と成ったのである︒︵此側の淌忠はシ︽回・厨甦︒﹃一m︒︒§のぃ言・毎︺の

①鯉島冒のggnH具︒いゞに悉しく述べられてゐる︒︶併し乍ら︑畔代は既に畔流に埋没するを許さなかった︒﹁もの盛

んなれば必ず変ふ﹂と云ふ如く︑アテナイが希臘の中心として︑其全廃を帆ふさ中に於て︑危機は既に孕まれてゐ

た︒縣蒙期の常として︑力くの如き急速な逆徳的政論的進駐の時代に於ては立法・政治・個人の虚世等は妓早從來の

如く仰統や仙調に依存する事は出来ない︒此昨職含的要求に唯じて︑砕蒙的役割症減じ︑青年達に寳際的知識技能を一

授けたのがソフ→スト進であった︒從等がか上る時代に果した数多くの砕蒙的功級は閲より渡す可からざるものがあ

った︵Qc5思いgo︑︒﹇goの︒参脈︶にしても︑傅統的權威からの解放淀求める啓蒙期そのものが︑生の解催の危淡

を誠するのであって︑此昨代が既に一佃の大きなソフーストであったと云はれると同時に︑ソフィスト自身は又︑精紳

・の型に於て︑生の弛綏を表はしてゐた︒常時単越せる能嶽と該博なろ學識と逓以て︑一世を風際せる彼等が︐青年雄を

教育し︑市民的徳を發展せしめる事逓揚言するつ︺﹃・行農.筐ご畔︑彼等は悉く遠方より︑︵例へぱ︑ラエノスはパ

、=

ロスより︑〒コルギァスはレォチーノより︑プ鱈ヂコスはケオスより︑而してヒッピアスはエリスより︵鈩冒﹈・岳の.参

照︶恰かも﹁行商人﹂の如く族行して角昌攪.曽腎︶︑行く先食のポリスの青年逹涯引き寄せた職業的敢師として

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区▲

であって︑測岡生え抜きの︑深き体糀に根ざせる徳の教師としてぜはなかった︒もつとも︒フ睡夕等コラスの如く︑ゞポリ

ノをスス紅術定しノモスの椛威駐認め﹁挫敬と正推とを帆布し御ざる群はポリスの病として之逓殺すべし︑と云ふ法律を置

フユレスく﹂︵旨罵四sとの保守的見解の人もゐたが︑﹁ノモスは人共の染溝であり︑多くの事を自然︵の理法︶に反して

弧制する﹂色︶.幸寄︵一︶と云ひ︑或ぱ又﹁之を制定した共人盈が屡荏改駿し鍵更するノモス乃至其迩奉は齢り軍大なも

のと老へる識にゆかぬ﹂Qg︵︶で一一.三の9.員・.﹄︾医︶と云へるヒッピアスは彼等の思想を一般に代表してゐたo而し|

て︑かLろ思想がポリス生活に擁隙と師らし︑全船に於ける生を破壊するものであった事は云ふまでもない︒施癖は

必ずしも彼等の本質には脇さなかったけれども︑﹁眞理を諮る事﹂︵薗国爵戸の胴①旨︶は彼等の問題ではなかった︒彼等・

の閥心郵ぱ唯﹁雄辮に語る﹂︵号旨一切庸晒の旨︶に在り︑︵ど︺呉.冒す︶興理らしく語って雅衆淀肯かしめるに在った︒

從って彼等は偉統の破壊のみならず︑隊守的理論とも亦述べ・得たのである︒即ち彼鑛は前背にも後粁にも立ち得ると︑

云ふ浮動性に共本質があったのである︒プロタゞコラスの﹁人間尺度﹂の所訓祁對主義的命題︑︽コルギアスの所謂﹁虚

無主旋﹂等は︑何れも認赦理論として述べられたものではなく︑極ばかへって︑何事をも論じ得る癖諭の力を誇示す

る鰯めの︑雄涛家の立場から述べられたと云はる可き事︵宝.冒凹目誕曾六.恥・.9コも︑今日周知の堺筏であるが

彼等がかく炭狐不画定に勢で徹底し得ず︑中途半端に立って︑何れの主張とも興理らしく述べ得る鮎に︑彼等が生の弛

凸︒︑

と︑の綏そのものを表現してゐると云はれる所以がある︒かくて又︑弓美僻と腿句とで飾り立て︑訓へられ進貢韮﹂.︵巷c樟.

﹈号︶を脇位し︑果ては﹁薄弱な術を稗じて有力にする﹂の脆辮︵昼扇一︺︶寮で使川して︑艫衆の心理逓支配し得る

アレテ︲I・技能を誇り︑此一ノレテー莚青年に授けて彼等に榮逹の逝逓教へる畔︑か上る在利主義的態度が︑やがて青年に對し︑

ソクラーアス研究彫溌三一

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(11)

ソクヲテス研究序説︑一雪一

噸端への途筵怖へた郡も手ひ難い︒畢党するに︑ソフ→ストは牌談畔代の時流に乗って世淀渡鯉ろ職業教師か︑此傾

向逓助艇せる煽動家であって典ポリスにとって危険なる要素であった︒ゾフィストのか凶る破壊的勢力に對して︑之

乙附服せんとしたのが︑ソクーzブスの打撃的使命であった︒即ち自ら天下の知粁を以て任すろ所の彼等が︵言のロ.go

参雌︶︑〃凡ゆる知識症知り︑且つ之を教授し得ると稲したに對して︑ヅクラテスは唯自ら知らざる事症知るのみと唱

へて︑此﹁無知﹂の自兇こそ﹁興知﹂に通する門である事と教へた︒

翻って東洋花顧る時︑飛子が﹁不知之知﹂筵唱通した支那戦剛時代の思想界の状況は希臘人事論期のそれに酩似し

てゐる︒先づ第一に︑何れも侭理の客槻的規準逓失ひ︑人糞が激しい動描と混乱の中に人生の蹄趨に迷ふた職に於て

全く同じであった︒次に︑此混側と動描とは人冊的胸碓のよびさまされた時代︑即ち群蒙期特獅の現象であったと云

ふ鮎に於ても︑雨背は共軌を一にしてゐる︒︒

もっとも人公は先秦畔代を晤黒時代と老へて来た︒併し乍ら夏般澗﹁三代之治﹂破れて︑天下脈の如く乱れたと秘

せる此昨代が︑政滴的には混乱の︑道徳的には背徳の昨代であるにも拘らず︑文化的には所訓﹁講子百家︲一逓乖出せ

しめた黄金時代であった事は注目す可きである︒

而して間代の領土と職剛の側脈症克服して天下一統せる案の版岡とを比較するならば︑我凌はそこに漢民族勢力の

驚く可き伸張を見出す︒されば政治的飢脈も道徳的頽艤も此仲張に件ふ随伴的現象であったと見る雁史家の意見︵註ど

も壷O

は傾総に値すると思禽︑

併し乍ら當時支那思想界の混飢は想像に雌るものがあった︒即ち各思想家は夫変自説を立て凶譲らず︑紛糾は紛糾

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を爪ねて何時果つるとも知らす︑識尚の深く理ふる所であった︒荷子が共﹁非十二子﹂楠で慨嘆してゐる如く﹁今ノ

祉ニイタリ︑邪説ヲ飾り姦言ヲ文リ︑以テ天下ヲ染飢ス・禰宇児哨︑天下ヲシテ混然トシテ是非治乱ノ芥スル所ヲ知

ラズ:⁝⁝﹂と云ふ状態であった毛竹子は之等思想的撹乱村の十二人と梁げて︑共非を難んじたのであるが︑就中共

大なる稀の一人として︑歴白同異の脆糯を以て一世に鴫つた所訓﹁名家﹂の罪を指嫡してゐる︒硴子が﹁不知之知︲一

逓咄へる時には︑明かに典背餓として﹁病家﹂の横行が涌取せられるのである︒即ち︑莊子・一︲朕薩﹂筋には︑﹁知

詐漸録︑頷滑睡白︑〃解蛎同異ノ礎︵瀞︶多ケレパ︑剛チ僻︑涛二惑う︒故二天下毎登トシテ大二副ル︒罪知ヲ好ム一

アリ︒故二天下特ソノ知ラザル所ヲ状ムルヲ知リテ︑巳二知ル所ヲ求ムルヲ知ル群ナシ﹂と述べられてゐる︒

かく新来るならば︑洋の東四に於て殆んど時を伺うしで︵駐八︶二人の哲學群が︑﹁不知之知﹂逓唱へ川した事は決

して遇然でない様に忠は恥る︒何とな伽ぱ︑究肋に於て問題は一つだからである︒唯此問題に鋤する態度によって人

身の立場は異って来るのであり︑東四の學間の行方の和述も︑此所から分れると云へる︒麓に﹁不知之知﹂は︑東洋

と西洋との境界に屹立する分水槻に比する率が川来る︒我舞は此峻嶮なる商唯ときはめる事によって︑世界逓一眸の

下に展望し得る搾り脈を雄得するのみならず︑卒然と東洋的と西洋的とを随別する︑所謂﹁識型駆﹂的考察を脱して

蝋州の本蹴的要求たる﹁問題論﹂的探究に一歩逓進める郡が出来るであらう︒

恩ふに︑東洋の離間と凹洋の単問との對衝は餘りにも施大なる問題である︒そ卿は東西の學問の遡奥をば一身に究

め得た大家にして始めて成就し得る所であらう︒否厳特に云へぱ絶對に不可能であるとも云へる︒にも拘らず東西學

間の超克綜合は我等に課せら虹た切迩なる課題である︒私が敢へて此問題に就て論ぜんと欲するのは︑其切狂さの故

ソクヲテス研沈序説三三

P

(13)

1

蕊間は其探究の首途に於て︑根本的な難問に柿論してゐる︒

リア︵名目旨︶である︒↑

﹁人間は知ってゐる事も知らぬ蔀も探究する事は川来ない︒ との交渉によって鋭くせられた諭叩的反椅︶との從錨は﹁不知之知﹂の東洋的性格をぱロゞコス的立場との著しき對立に於て捉へる好個の材刺である︒之に對し︑西洋油単川の本擬を理解する鰯めに︑主として・フラトンの諾對話禰を川ひ殊に︑祁秘家の﹁想起﹂︵四目目前のどの説を僻川し乍らも︑祁秘主誰逓換什奪胎し︑以て﹁不知の知﹂の画一コス的展捌と示し︑西洋打學ひいて西洋の學術に飛要なる方向逓決した﹁メノン﹂鯆逓手がかりとして選募︒從って本研究一に於て︑歴史的ゾクラテスは必ずしも問題ではない︒問題は寧ろ︑ゾクラテス的﹁無知﹂のプラトン的展開である︒此考察は併し乍らやがて︑歴史的ソクラテス研究にとっても少からね意推を有すると信ずる︒|〆

ソクラテス研究序説三四︑・

である・間より︑小論の意脚は問題の提起に冊る・・韮し糊り︑私は東洋の難問の研究に︑﹁莊子﹂の﹁問答﹂駐材料と

しようと恩ふ︒特に﹁坐忘﹂︵健九︺の境地より捕り蝿まされた南郭子棊と︑これ注呼び醒して﹁共ノ方﹂を間へる顔成

子淋との﹁川答﹂に始まる︑莊子﹁獅物論﹂筋は︑庇は舵子共人の自問同然に他ならない︒既に自問自答たる限り︑共

所論は極めて反橘的である︒元来︑﹁言﹂を超越せる境地に就ての反椅は︑やがて叉︑﹁言﹂そのものL反櫛をひきお

としてゐる︒莊子に於ける超画ゴス的なもの︵即ち︑老子に山來する祁秘的慨鹸︶と︑ロゞコス的なもの︵名家の脆溌

それはプラトンの﹁メノと筋に禍ろ所の有名なアボ

何となれば︑少くとも知ってゐる説は探究しな

(14)

い︑既に知ってゐるのだから︒叉かLる人は探究する必要もない︒↑又知らない事は何逓探究すれば良いか分らないか

ら探究しない﹂︵三αョ.gの︶︒

Tナムヰ・︲シス

メノンが右の一ノポリーゾ莚提起する事によって︑︾ソクラテスと對話淀練ける栗を拒んだ時︑ソクラテスは﹁想起﹂

によって此難問を解決してゐる︒所説によれば︑﹁魂は不死でありへ謄交郷生して現世やクプスの園にある︑凡ゆる

物を兇知ってゐるから︑何一つ學んでゐないものはなど︒然るに今日忘却し壬ゐるに過ぎない︒從って探究藩しく・

エgステ的←βは認識とは菰起﹂に他ならない︒右の﹁想起﹂説より︑其ミュトス的色訓牡挑拭し去れば︑正に次の卯く進るで

あらう︒

云ふまでもなく﹁問﹂は﹁不知﹂・に發する︒人は知らざるが故に問ふのである⑥併し乍ら︑之と同時に人は問の主

題に就七全くの無知である事も許されない・杢然知らないならば何が間はる可きか︑何が間はれざる可きかの庭別す﹀

ら辨へ得ないであらう︒かくて﹁冊﹂とは︑何等かの意味で既に知ってはゐるが︑未だ明確には知らない事に就て始

めて發せられ得るのである︒即ち冊は﹁未知﹂にして﹁既知﹂な毛矛盾症弛むものであって︑ソクラープスの﹁不知の

知﹂とは正に﹁問全﹂と一蔀ふ自己矛府的活動の脚蠅的解明に他ならず︑從って此矛府涯内合する﹁問﹂は必然的に護

展して︑所謂﹁對話法﹂蚤旦縮云冨嗣となるのである︒即ち﹁對話法﹂とは︑對話に於ける我と汝との間淀主題に就て

の探究が︑ロ︑コズを媒介として進展するのであるが︑此展開中︑何らかの意味で知れる事︑即ち︑主概的知識︵Qc潔騨︶

症﹁根擦の推孤﹂︵旨騨旨喧鰺ョ︒鞆︶によって﹁洲定﹂せしめる事によって︑客湘的認識︵g勝勘計︶と成立せしめる方

法荏な味するのであるQ︺・葛騨︶︒ヘーゲル流に云へぱ︑二般に胃百日儲は一︶⑦百口員なるを以て︑・鼻陣︒黒である

ソクラテス研究序説三五

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