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プラトン哲學の性格 : 行爲主義的か存在論的か

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

プラトン哲學の性格 : 行爲主義的か存在論的か

田中, 晃

https://doi.org/10.15017/2545017

出版情報:哲學年報. 2, pp.1-31, 1941-03-31. Faculty of Law and Letters of the Kyushu Imperial University

バージョン:

権利関係:

(2)

フラトン哲學の性格

11行爲主義的か存在論的かI 田中

。画

(3)

Iノ

(4)

ギリシャ禰郵張存在論的であることは固より定説のある所である︒しかし此の定説の成立するためには︑ま今つ次の

やうな問題が解決されてゐなければならないであらう︒一︑ギリシャに於ても︑タレスよりレゥキッポスに至る自然

哲學︑プロタゴラスを中心とするソフィストの哲學︑またソクラテスよりアリストテレスに至る綜合期の哲學は︑夫

盈群しき差異を有するが︑それを存在論的と総稲することはいかなる根搬によってなされるのであるか︒二︑存在論

と行爲主義とは果して雨立するか否か︒二一︑もし雨立しないとするならば︑優れて行爲的であったソクラテスと︑こ

ぃを繼ぐプラトンの哲學とは︑存在論の名を以て呼び得るか否か︒まづ右のやうな重大な問題が画ちに吾糞の念頭に

浮んでくるのである︒

これに就て私の目下の見透しを述べるならば︑次のやうである︒一︑ギリシャ打撃は定説の如く存在論的性格を布

し︑全期に通じてと恥を立言することが出来ると老へる︒その根披に就ては本稲の内詳によって明かにしたい所であ

るが︑存在論の特色は︑人冊が諭那樵成の役割を演じない所にある︒固より論理といふ以上は︑︑何等かの意味に於て

人間的主観の關即︿がなければならない︒しかし︑その關皿︿の仕方は︑或は論理受容の形に於て︑或は論理椛成の形に

於て現はれるが︑その前者の形が即ち存在論的性格に外ならないのである︒さてギリシャ禰學に於ける論理はその

ロゴズ字術︽畑期に於ては.名の示す如くに宇宙の論理であった︒論理を言蕊とすれば︑宇宙論期の論理は字糊乃至自然豊言

葉であった︒そこでば人間的主概が何等僻成的な役制を減じてゐるのではない︒しかるにゾフィストの活蹄した人事

論期は︑こ恥また名の示す如く︑n然当一画葉に代って人肌の言葉の識場した時代である︒それとそは人間が︑しかも

プラトン祈學の性桁三

1J

(5)

經嶮的人川が術皿椛成の役割を波じた時代ではなかったか︒しかし︑プ画夕令コラスの有名な﹁人間尺度術﹂の人間が

經験的であったといふことは︑その変に於ては︑未だ術理椛成の役割を据ふべき人間の蚕場しなかったことを意味す

る︒ロ︑コスが言葉であり︑言葉が人間の用ゐるべきものであるならば︑自然哲學に内含されてゐた抄こい一号の論理

は.人事論期に於て人間の言葉となったとき︑まさに雷﹃い−号に展州されたと云ふことが出來る︒そこに於ては人間

の言葉の特色が露出した︒自然の言葉を人間の言莱に奪ったとき︑言葉の意義は雌も明瞭になったが︑自然が沈獄の

うちに語る言葉と對蹄的に.人間の言葉は曉舌となり︑争論となり︑党には諭辮とまでなった︒ロ︑コスは言葉であ

り︑言葉は人柵の語るものであるが︑言葉が人間のものになりきったとき︑それは既に言葉ではない︒否︑そこには

言葉の通じない泄界が現はれる︒ソフィストの相對主義とは︑かかるものに外ならない︒故にソフィストの諏學に於

ては︑総理は雄も尖鋭的に現れて脆辮となったが︑諭癖は既に論理ではない︒それは論理の喪失であったが故に存在

論的でもなかったのである︒随てまた︑それが存在論的でなかったといふととは.嵐に人側が論理椛成の主確として

の役割を捲って登場したことを意味するものではない︒それは存在論でなかった如く︑また存在論に代るべき何もの

でもなかったのである︒それは寧ろ思想の發展過程に於ける一現象に過ぎないが故に︑この派の思想の行きつくした

る場面に於て判断を下さなければならぬ︒さうして︑その行きつくしたる場面はγもとよりソクラテス以後の諏學で

ある︒さて自然の言葉は人間の言葉となったが︑言葉には人間のものになりきらない面が残ころ︒人湘が言葉によっ

て語るのであるが故に︑言葉には何等かの超越性がなければならない︒その超越性は最初に自然︵ピュシス︶に求め

られたが︑いまや人事論期を經て︑人間を通して求められる超越性は︑ピュシスに代る聞家︵ポリス︶︑または法︵ノ

モス︶でなければならなかった︒ソクラテスがソフィストと多くの共通鮎を有ちなばら︑しかもその面目に於て全く

■〃︒︑

(6)

さて存在論は存在者の根擴としての存在一般を問ふものであるから︑佃共の存在者を超えたものを求めなければな

らない︒いまさら云ふまでもなく.ギリシヤ折學の初期に於ては︑タレスの水.アナキシメネスの室氣の如く︐個交

の存在薪を以て直ちに存在一般の蚕格に於て見た︒パルメニデスリェオン︵有︶を以て︑市めて存在者に對する存在

一般の發見があったことも︑周知の所である︒しかしパルメニデスのエオンが︑佃盈の存在者を超えた存在一般であ

プラトン打學の性桁五

異なるのは︑幽家または法の把握によって︑即ち公の立場に立つことによって︑言蕊の超越性を確立したからであった︒ギリシャ哲學のこの展開は︑四コの言なる自然の言葉が︑胃mgなる人間の言葉を介上L︑鵬て︽一.匡己宮.いgなる國家の言葉にまで發展したものと云ひ得るであらう︒かくしてソクラテス以後の挿學が存在論的であるか否かが竣も重要な問題となるのであるが︑私はそれを本論に於て述べる理由によって︑存在論的と兄るのである︒二︑第二の問題︑即ち存在論と行爲主義とは雨立するや否やの問題は︐多分に用語乃至見解の相逹に左右されるものであるが︑私に於ては︑この剛立は不可能である︒三︑随て鋪三の問題︑即ち多分に行鰯主義的なるプラトンの哲學も︑それが根本に於て存在論的性格を右するかぎり︑眞の意味の行爲主義禰學ではないのである︒かくておしなべて存在︑論的である所に︑ギリシャ哲學の特色と限界とがあるであらう︒その理山を述べるのが本稿の目的である︒

もとより斯る大問題を一筆にして解決しようとする.のは無謀である︒この小論はただ一個の試論であり︑今後の私

自身の研究にとっての一階程に過ぎない︒この階程をいかなる方向に踏み越えるかは・私自身に於ても全く豫測を許

さない次第である︒

(7)

︽︿

るとき︑それは佃だの存在薪をいかなる方向に超えたものであるか︑即ち對象面的に超えたものか作用而的に超えた

ものかに就ては︑學者の見解が和岐れるのである︒そ恥も今日に於ては殆んど論定された問題ではあるが︑そこに存

在論の原型が雌も明瞭に現はれ︑随て垂曼が問題とするプラトン禰學の性格如何も︑これに開聯する所が大きいので

あるから︑姑らく從來の兄解を辿って︑その蹄結を明かにして世く必要があるのである︒

パルメニデスのエオンの有すべき性質は︑断片七及八に於て詳細に述べられてゐるが︑それを列畢的に概括すれば

次のやうになる︒一︑不生不滅︒二︑全艘︒三︑唯一不可分︒Ⅲ︑同一様机︵主として載差なきを意味し︑鷺兼なき

す〃でことをも含意す︒﹁色彩の愛化といふは筌名に過ぎず﹂の一旬によつ一し︑それは明かであるが︑しかし蹴差なきことは

寧ろメリッソスによって眠調された︶︒五.不動︒六︑現在︒七︑胆ゴス的︵表現的︶︒八︑興那o九︑エオンと思帷

との同一性︒十︑充秤そる球禮︒さて右の諸規定のうちには︑厳密に見れば容易に雨立し難いものが含ま恥一﹂ゐる︒

即ち第一より雛六までの規定は︑︑存在者に對する存在一般の蚕格を現はし︑しかもそれは存在者の對象面的超越によ

って得られてゐるやうであるが︑鋪七より鋪九までの規定は︑存在者に對する存在一般の養格を現はすことは前と同

様であるが︑ただその妾棉は存在者に對する對象面的超越ではなくして却て意識面的超越によって得られたやうに見

える︒しかして第十は︑いかにも素朴な表現であって︑ここには存在者に對する存在一舷の超越性が未だ向兇されて

ゐたいやうにすら老へられるのである︒これらの諸契機のうち︑そのいづれがパルメ一デスに於て本磁的な伽向であ

ったのであるか︒.●

まづ第十の素朴性は︑$ハーネット︑シ︸一ラー︑ポイムカーらの濟しく指摘するやうに︑タレスの水︑アナキシメス

の察氣の如く︑存在肴を以て直ちに存在評の根擦と見るミレトス學派的側向の残沫と老へることが︑縦も安餅であら

(8)

う︒ただ水や案鋪に比しては︑既に或る淫度まで抽象的思惟の所産であり︑しかもエオンの完全性︑即ち凡ゆる存在

者の根擦としての存在毛のものの凹滿無礎なる相を︑パルメニデスは︑その至る所が中心より等距離なる球艘として

︑︑︑比嚥的に表現したのであるが故に︑ミレトス學派と同日に語ることはできないであらう︒それと共に心ともかくもか

かる比楡的表現が可能であるとすれば︑彼の思惟は︑存在者の根振を存在希の對象面的超越によって得ようとする所

に向って働いたのであって︑第一より第六に至るまでものエオンの規定もこ恥を褒非きしてゐるのである︒しかるに

上述の如く鋪七より第九に至る規定は.俄かにこの蹄結を許さないやうに見えるのみならず︑断片三︵ディールスの

−4一画年版に於ては三︑それ以前の版に於ては五︶に於ては︑︾ゞ&︾︑§︑鳶︒g仰ぎ騨瑚ぞ魂昌師ご罠へ△↑といふ

右名にして難解な一句があって.これを﹁思惟と存在とは同一である﹂と課すときは︑存在考の根嫉たる存在は︑心稚

とM一なる故に︑存在者の根擴は存在肴に對する作川面的乃至意識面的超越によって得られてゐるかの如き印象を與

へるのである︒ゴーヘンはかかる解樺をとる代表者であらう︒かくて此の一句をめぐってパルメニデス祈學の性格

は︑反掌的解樺を可能にする︒吾迂はまづ断片三の解繰より始めなければならぬ︒︵川隆氏が思想四十八號に掲載され

た﹁パルメニデスの哲學史を蔽む﹂と題する論文は︑この問題に開する優れた研究であって︑本稿に於ても頗る稗益

される所があった︶︒

さて上の一句には亡om響︵若へること︶とのご貝へ︵在ること︶との二つの不定法が用ゐられてゐるが︒これを名詞

的用法と兄倣せぱ︑﹁老へることと在ることとは同一なるが故に﹂と解される︒参考のために一藤の澗識を掲げて見れ

ば次のやうである︒ご号国溥烏いい①一冨再己g斎.戸昌除冒︽︽︵ロorpo蜀暁侭冒8月号扁ぐ○蔚○汀農胃﹃ゞ鈩呈.

ご麗管陣一.烏︾い︐函曽︶o〆望︶い①冒匡ロ︵一号邑一8国叩一号一四mm①弓&①いずc苞①い陣oご回国旦堅凹協o︸ずo・宴︵z①隆艮ローo一利○扇○一内︲

プラトン祈學の性桁.七

1

rマ

(9)

岳壽9.︶戸島.邑隠﹀ぬ.届巴︒この晒讓は大岡小異であるが︑前肴は存在と思惟とを似に名河的に課して全く對等に

扱ったのに對し︑後者は思惟を烏邑庸己肖ゴ言協8.と課して︑しかもこれを存在に從展せしめるが如きニュアン↓︿

を含んでゐる︒笈にこの問題が︑即ち存在と思惟とのいづれに優先を認めるかの問題が吾堂にとって雄も重要なので

︵一︶あるが︑それに先きだって既にバーネットの提出してゐる文法論的見解を派過することはできない︒〒ハーネットによ

れば︑不定法が名詞的に︑しかも文章の主語として用ゐられることはパルメニデス時代には未だ成立してゐなかった

のであり︑不定法の名詞的用法は簸初に中性冠詞を作って現はれ︑その後に於て冠詞を省く用法が成立したのである

から︑この場合︑冠詞なき不定法を名詞的に且つ文章の主語として誠むととは不可能であるとせねばならぬ︒彼によ

れば︑この不定法は補助動詞︑ご角へ即ちこの場合では3戟亡と結合して︑當護動詞の受動的可能的意味を現はした

ものである︒随てこの文章の主語は&&3であって︑意味は﹁同一のものが老へられ又在り得るが故に﹂となる

のである︒ツェラーもまた華ハーネットと同じ立場にあり.彼は︾︾ご目百冒昌邑牌一コ陣忌め︑①房の︽↑と誠むことを排

し︑︾︸号︼冒烏弱①ザ①冨己冒鴨号︑烹夛﹃⑦己の昌昌a幽邑︽︽と解してゐる︒しかしてその意味を一層明瞭にすれば︑

︵一一︶響・国ロ﹃号切︾尹閣めい⑦ヨ冨旨己︾毎世的−9号冒庸目︽︽であるとしてゐる︒右の如き拳ハーネット.ツェラーの見解は逆に傾

蕊すべきものであるが︑垂見としてはかかる文法論上の論断を差控へ︑寧ろ一歩を凝って︑不定法を名詞的用法と兄

倣し︑且つこれを主語にとって︑﹁老へることと在ることとは同一である﹂とし︑更に進んで﹁思惟と存在とは同一で

ある﹂と解するとしても︑その同一性が思惟と存在とのいづれに優先を認めて成立するかは︑別にパ・ルメニデス自身

が語ってゐると考へるのである︒即ち思惟と存在とが同一であるとしても︑それは断片二︵前版四︶が語ってゐる如

く︑思惟は常に﹁有るものは有るとし︑・有らぬものは有らぬとする﹂思惟であって︑それが眞理の道であるのに對

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ドクザ

し︑逆に﹁有らぬものもあり︑あらねばならぬ﹂とするのは臆見の道に過ぎないのである︒即ち存在の榊迭を如笈に

把握する思惟が厘理であるのに對し︑それを逆に把握してゐる思惟は誤謬としての臆見であるとすれば︑思惟の基準

は存在であって︑決してその逆ではない筈である︒それはまた断叶八の三十四行より三十六行に亘る次の文章からも

︾夕〃一迫〃■0證明されるであらう︒ゞ︾﹁︵g3℃cのq凰亡o留這制x§・こて奥の逗伽Q句へ亡◎ミ負.&乱︑号︑こ﹃a&月呂︾暫員

夕内﹃︑︑︑

制腎q烈蔦定○逗習刊へ亡&息q︑あき定︒︑習曇︽この文章の前半に就ては︑さきの断片一年ご全く同様なる文法的問題があ

ノエでる︒即ち噂︒mごといふ不定法を名詞的用法と見徹して主語に誠むならば︑﹁思惟と︑それについて思想のあるもの︵思

惟の對象︶とは同一である﹂となるが︑ゞハーネット︑ツェラー等は上述の理由によってかかる解樺を排し︑不定法

9︐号を餅獣と結合して︑印&&てを主語にたて︑﹁同一のものが思帷され︑またそのものに就て思想がある﹂と誠

むのである︒しかし︑§かかる文法的理由が何虚まで安街してゐるかは問題であって︑既に上に引例した文章の蚊後に

agm等とぶふ不定法の名詞的川法もあること故︑この文法的理山を唯一の根擁とすることは不可能であらう︒ま

たバーネット︑ツェラーに随て上の如く課して見ると︑あまりにも文意が亜複してゐる縦ひが感ぜられるのである︒

随てことにも一歩を譲って︑﹁思惟と︑そ奴について思想のあるものとは同一である﹂とし.更に一層簡明に﹁思惟と

思惟の對象とは同一である﹂としよう︒かく課して見るとき︑そこに概念論的解繰の餘地が生ずるのであるが︑しか

しその後半は﹁何故なら︑右るものなくしては︑汝は思惟をlそれは布るものに於て表現されるものであるがl

兄出し得ないであらうから﹂とあって︑思惟の韮準が存在にあることを明示してゐるのである︒

かくしてパルメニデスのエオンは︑牙レスの水や︑アナキシメネスの塞猟を超えたものであるが︑それは先づ對象

而的に超えたものであり︑それは﹁右るものは有り︑布らぬものは布らぬ﹂として表現される所にロゴスかある故に

ブラトン訴學の性絡九

1

(11)

一○

第七の規定が得られ︑かかるロ¥コスが即ち厘瑚なのであるから︑そこに鋪八の脱走も郷られろ︒が衣が厄︒コス的であ

り︑反理性を布するのは.思惟と存在との同一性に於ける存在の優先に韮づくのであって︑決してその逆ではない︒

もしその逆であったならば︑コーヘン自身の祈學に兄る如く︑思惟の對象としての存在は佃共の存在者でない意味に

於て對象的には無でなければならない︒パルメニデスにはかかる恕想はないのである︒それならば忠惟と存在との同

一性とは︑たとへばカント的潅味に於て︐存在が現象的であることを意味してゐるのであるか︒否︑パルメニデスに

於ては︑思惟と存在とが同一であるといふとき︑雨粁を分ってその同一を定立したのではなく︑ただ存亦があって︑

その存在について﹁有るものは有り.有らぬものは右らぬ﹂といふローコス的表現が可能であり︑それが思帷であると

いふに外ならない︒かく云へぱ︑パルメ一デスをイデアリスムスの父とするコーヘン的解繰に對して︑却てそれをマ

テリアリスムスの父と解するやうに老へられるであらうcしかしマテリアリスムスに於ては︑感銘によって捉へられ

る個堂の存在者こそが何よりも商く評慨されなけ恥ぱならない︒しかるにパルメュデスがそのエオンに與へてゐる規

定は︑さきに列畢した如く︑悉く個舞の存在薪を超えたものである︒彼がエオンを感尭によって捉ヘナローコス的に表

現してゐるのは︑その證擦である︒かくてパルメ一デスは︑存在者を對象面的に超えて存在一般に逹し.それをロゴ

ス的に表現したのであるから︑イデアリスムスの父でも.マテリァリスムスの父でもなく︑言葉の虞の意味に於て.

まさに存在論の父であったのである︒かくて存在論に於ては存在がローコスを捲ってゐる︑存在の椛造そのものが論理

である︒この間に於て人間的主繼がいかなる役割を減ずるかは︑そこでは不問に附されるのである︒人咄が論理稚成

の主籠とならないのはもとより︑人間の思性を超えた存在の有無もまた意識されてはゐない︒

註一︑︷盲目①丘同月言︒﹃o鼻団邑○印gご︾騨旦・↓詞弓輯

(12)

』,

以上パルメニデスに就て見た存在論の性格は︑吾交の問題とするプラトン哲學の性格へも︑狼い影響を典へてゐ

る︒プラトンが︑その先行哲學者群のうちでも塒にパルメニデスに對して深い尊敬を抱いてゐたことは︑彼の述作の

随所に.ハルメニデス賞讃の僻のあることによって明かであり︑特に後期の對活筋に於ては.前期の對話筋に於て主役

を演じたソクラテスに代って漸次エレアの容人が壷場し︑妓後の﹁法律筋﹂に於てはソクラテスは党ひにその姿を波

することよりも明かである︒かくてプラトン思想の側熱は︑そのパルメニデスヘの接近とすら老へられるのである

が︑そのソクラテス的なるものとパルメ一デス的なるものとは︑いかなる關係に立つであらうか︒

今日に於てはプラトン對話篇群の年代決定は既に略掩決定されてゐるが︑﹁剛家端﹂を以て前期の総決算と兄倣し.

﹁テアイテトス﹂︑﹁パルメ一デス﹂等を過渡期として︑聡て﹁ソフィス|ブス﹂.﹁ポリティコス﹂等の後期にうつり︑

︵一︶しかして﹁法律篇﹂を最後とすることは︑通説になったと云ってよいであらう︒ステンッェルは此の随分法を探川し

て︑前期の特徴を倫理的愛践的︑後期の特徴を理論的自然哲學的と見てゐる︒この見解もまた極めて安岱である︒し

かして普通プラトン的と稲されるものが前期の特徴であることは云ふまでもなく︑そこではソクラテスに對する感動

と︑その虚刑に對する公慨とが︑プラトンの珂想主義を商揚せしめて紬測莊亜なる幾多の對話端を生んだのである︒

この熱傭の哲學が行爲主義の極致を示すが如くに老へられるとき︑しかもその根抵に存在論的性格があることは.果

して證明され得ることであらうか︒殊に存在論の性格が上にパルメニデスに於て見た如きものであって︑人間的主髄

プ|フトン新學の性淵一一

︲I

■■■

■■■■

11

'一

(13)

さてプラトンが最も弧く行爲主義的色彩を現はしてゐるのは.いふまでもなく﹁誕宴篇﹂に至って雄高潮に達した

エロースの論であらう︒愛知者の性格に就ての彼の興味ある規定は︑既に周知のことに厨し詳しく述べる必要はない

が︑ただ後の議論と聯開する限りに於て摘記しておきたい︒愛知者とは知を求めるものであるが︑それは知を有たい

が故に知を求めるのであって︑既に知を称するものはこれを求めろを要しない︒即ち愛とは自己に峡けたるもの#一求

めることであるが︑しかし全く自己に峡けてゐるものは︑これを求めることも不可能であるが故に︑愛知者は既に知

を有ってゐるものでなければならぬ︒かくて愛知肴は知を布たぬと共に布ってゐるものとすれは︑その性椿には矛盾

がある︒この矛旙の解決もまた周知のとほり布柄なミトス︵詩話︶によってゐる︒即ち愛知着が知を有ってゐるのは

過去のことであり.知を有ってゐないのは現在のことであって︑峡けたる現在に鮫て峡けざりし過去を蕊ふのである

と云ふ︒されば愛慕は過去の世に見たるイデアの回想である︒かくて愛慕︵ェ碑−ス︶の裏面が回想︵アナムネーシ

ス︶であるとき︑この︑ミトスの意味するところは何であらうか︒

愛慕はイデアに向ふ目的堂行鰯であり.︲イデアは即ち目的因である︒さうして目的は・ギリシャ語のテロスが示し

てゐるやうに︑完結したものでなければならない︒目的共行爲は愛慕として示されるやうに℃未來に向ふ行爲である

︑︑︑が︑未来への愛慕がその究寛に於て目的に到逹したとき︑n己の求めるものがこれであったことを知る︒Ⅲ的は完結 一一一一

の役割が認められ歩︑存在論と行爲主義とが雨立しないと老へられるときには︑右の潅明は殆んど不可能であると云

はねばならぬ︒それと共に︑若しとの證明が成立するならば︑ギリシヤ哲學の全般が存在論を以て一貫するといふ立

論は︑その最も悶難な關所を通過したと云ってもよいであらう︒

l r

(14)

この﹁愛慕l回想﹂説の語る消息は︑しかる長見の側下の槻黙にとっては︑極めて重要な示唆を含んでゐる︒

プラトンの愛慕説はその行爲主義を極めて雄辮に語るものであるが︑その愛慕説の裏面にある回想説は︑しかし果し

て行爲主義的であらうか︒愛慕の裏面に回想のあることは︑未来に向ふ主髄的行爲が過去にあ迩客隈的なものによっ

て規定されることを意味する︒この南面の媒介をなすものがイデアそのものであって︑イデアは主艘によって求めら

れると共に︑主繼を規定する客鵲である︒しかしイデアがこの雨面の媒介をなすとき︑それはいかなる性質に基づい

て可能なのであるか︒いふまでもなく︑へ評警からへ段島が.mへ蔵セミから︑ご品が生じたのであって︑もと﹁見ら

れるもの﹂または﹁形﹂を意味する︒さうして︑たとへぱ美しきものは多友あるが︑美そのものの形は唯一であるか

ら︑美のイデアは種堂の美をその下に属せしめるものとして範型︑原型の意味をもち︑そのかぎりに於てイデアはイ

デアールとなって典型の意味を打つ︒かくてプラトンのイデアが決して軍なる主観的観念でなく︑英語のアイディア

はもとより︑潤語のイデーとも異なって︑蟻ろ邦語の﹁形祁﹂に當ることは︑周知の所である︒

さてイデアが形相であるならば︑それは見られるもの︑可覗的なものでなければならない︒しかるにプラトンはイ

デアの可覗性を︑ただ美のイデアにのみ許容してゐる︒のみならず﹁ファイドロス補﹂の最後に於ては外的美に對す

る内的美の優位を示唆し・﹁饗宴浦﹂に於ては身艘美に對する粘祁美の優位を弧調してゐるが︒内的美︑糀祁美は可脱

的なものではない︒かく一L美のイデアの特性をその可覗性に求め︑そこに美の自律性を兄出さうとするプラトン美學

プラトソ打畢の枇陥一三

をるものであるが︑完紬せるものは時州に於ては過去的である︒故に目的に向ふ未来的行爲は︑その箕に於ては︑過去にあったものを見出す岡想とならざるを得ない︒︵この關係については本誌第一斡拙稲﹁歴史の原型﹂に於て鞘詳しく述べた︶︒

(15)

一四

の立場は一つの困難に到若するのであるがやそれは既に深川康邪博士の正街に指摘されたとほり︑内的美または精祁

美はその疵に於て善であり︑善なるが故に不可税的なのであって︑そのために美のイデアの可税性が動揺するもので

はないと云ひ得るであらう︒かやうに解すれば︒フラトン美學の齊合性は保たれ︑美の口律性は可覗性を以て一貫する

のであるが︑垂見の問題は寧ろここより發生すると云はなければならぬ︒何故ならば︑右の解樺によって美のイデア

を可覗的とすることは却て善のイデアを不可覗的とすることであり︑しかして凡そイデアの世界の究寛に善のイデア

が君臨するのがプラトンの根本的立場とするならば︑イデアは不可硯的なることを本貿とし︑ただ美のイデアのみが

可覗的なのでなければならぬ︒

それはそれに相達ない︒しかし︑それならば︑・フラトンは何故に内的美︑糀榊美等の概念を以て善を現はさうとし

たのであるか︒善として硯えないものであり︑美として覗えるものであるとき︑この矛盾を統一するためには︑イデ

アはいかなる性質のものでなければならないか︒とにかく軍なるイデーやアイディアであるならば︑それが美として

示される筈はない︒観えないものが硯られようとする要求の故に︑善は故らに内的美︑精祁美として現はされたので

なければならない︒硯えないものが硯ら恥ようとし︑硯えるものの奥にある肌えないものとして︑そこにまさに原型

といふものの性格があるであらう︒原型は︑原型の故に硯えるものでありながら︑また原型の故に硯えざるものでな

ければならぬ︒かやうにしてプラトンのイデアが主観的でなく容槻的であるとすれば︑愛慕の裏面に回想があり︑そ

の回想の對象がイデアであることは︑そこにいかなる結果を來たすであらうか︒それは主鵠的な愛慕の行爲が客鶴的

なイデアによって規定されてゐることを意味するより外はないであらう︒さうして客艘的なイデアは凡ゆる存在者の

原型としての存在そのものであるとすれば︑行鯛主義的立場が存在論的立場によって規定されてゐるのである︒.イデ

(16)

に占める地位は錐二次的であり︑.そこで演ずろ役目は從者的なものに過ぎない︒︵中略︶プラトーンが愛に認めてゐる

役川は︑途を川簿する仲介薪の役目︑探究新を腫理の方へ導く案内人の役目︑乃至その言葉を籍りて云へぱ︑↑子傳ひ

︵四︶の役目である︒どういふ意義を與へて見たところで愛はやはり鋪二位に止まってゐるC﹂このブロシャールの見解は

﹁謎要啼﹂の↓粘細な研究から結果したものとして噂亜に他する︒もとより彼も︑愛が鋪二錠的とはいへ︑愛の役割の

プラトン蒋學の性桁一五

﹁饗宴筋﹂に於ける愛慕の弧調は︑恰もプラトン哲學の眼目が愛慕にあるかの印象を與へる︒愛知を生涯の課題とす 俟って可能であると云ふことはできる︒しかしその故に存在論が行爲主義に支へられるとまでは云ひ難い︒何故なら

合には善くなり︑反對の場合には悪くなるo﹂また云ふ﹁愛はその本礎から云ふと善くもなく悪くもない︑つまり一 れろならば存在論も行爲主義に支へられると云はれないであらうか︒垂男の見る所を以てすれば︑同想もまた愛慕をく指摘してゐるc彼はいふ﹁愛といふのは本衝上美の中に生むことであるから︑その生み川した紡果が美にかなふ場 ぱプラトンに於ては︑愛慕の根抵に回想があるのと︑回想が愛慕を俟つのとは︑同等の蚕格を有たないからである︒ た︒しかしそれと同等の賛椿に於て︑回想もまた愛慕を俟って可能であるとは云はれないのであるか︒それが立言さ

qソ るソクラテスその人に於ては.或は愛慕の行爲が一切を決定するかも知れない︒しかしプラトンはソクラテスではな ぬ︒他でもなく︑愛慕と回想とが表裏するとき︑愛慕の根抵に回想があるといふのが右の論理を導いた眼同であつ アは愛慕の同的としてⅢ的因であっても︑そのこと自艘が存在論的立場に丈へられて可能なのである︒い︑﹁饗宴端.一に於ていかに愛が握調されてゐるとはいへ︑それはただ錐二義的である︒このことはブロシャールが鋭 私はこの解樺を正 フィストたちが祭り上げた高位から堕されてしまったとすれば︑

しいと老へるけれども︑との解樺に筵するためには︑いま一つの面が考察され一﹂ゐなければたら

q

プラトーンの艘系に矛届がない限り︑愛がそこ

(17)

一一︿

亜要性を涌過してゐるのではない︒彼にょ恥ぱ﹁梁喪捕﹂の主旨は︑﹁徳は教へ得るか﹂といふソクラテス以来の問題

に對して︑その答を提川するにあるといふのである︒即ち﹁徳は愛によヨL教へ得る﹂といふのが﹁饗婆端﹂の眼側

︵五︶である︒それは徳を教へるものとしていかにも亜要であるけれども︑依然として從厩的地位以上に出るものではな

い︒さうして徳とは學知の禮得であり︑イデアの観照であり︑その艘得観照の捗造が回想的であるならば︑回想は愛

慕遼俟つとしても︑愛慕は回想に對して對等とは云ひ雌い︒紗くともそこに費格の上下を老へなければなるまい︒こ

のことは.エロースがポロス︵漁裕︶を父とし︒ヘニア︵窮乏︶を緋とするに對し︑アナムネトシスが魂のリュシス︵解

脱︶︑カタル︑ンス︵浄化︶と通することによっても知られるであらう︒

かくて﹁愛慕l回想﹂説に於ける愛慕の契機と回想の契機とを正齢に評便して見れば︑その重鮎は回想の側に世

かれなければならぬ︒イデアは愛慕の川的であると共に回想の對象であることによって︑その雨契機キー媒介するもの

ではあるが︑しかもイデアの本性は︑愛慕の口的としてよりも寧ろ回想の對象として︑如変に露呈するとしなければ

ならぬ︒変にイデアは︑求められるものであるよりも寧ろ見られるものなのである︒しかして見られるイデアは︑凡

ゆる存在者の原型としての存在そのものである︒さすればエロースによって弧調されるプラトンの行爲主義も.プラ

トン哲學の全禮系に於ては鋪二次的立場を占めるに過ぎず︑鴨系そのものの性格は存在論を以て貫かれると云ふこと

︵︷ハ︶・ができるo﹁テアイテトス篇﹂に於ては打學の苦悩を産婦の陣痂に比してゐるが︑しかしその場合に於ても此のパトス

に至上の意義があるとは認め難い︒幾何學の侭理を發見する道程にもこのパトスはある︒しかし幾何學の眞理は既に

存するものである︒それは既存のイデアであるが故に回想的に見川される︒鈍存のものを兄出す道程は.いかに尊き

パトスによって滿たされてゐても︑︒ハトスそのものに至上の意義は認められない︒醜存のものを見出すのである以

(18)

厳密な意味に於ての行爲主義は︑行爲主隈のパトスそのものに至上の意義を認めるとき成立する︒しかしパトスの

ある所︑既にそこにはイデアが豫定され︑パトスはイデアを求める︒ハトスとしてのみ成立するとすれば︑パトスはイ

デアに對して何庭までも第二次的ではないのであるか︒パトスの至上性を要求することは却て行爲主義を成立せしめ

得ないのではないか︒この問題に對して︑ソクラテスの偉大なる人格が⑪諏共の秘密を語ってゐる︒ソクラテスはダ

イモ一オン︵糀謹︶の謀によって動いたと云はれる︒しかして此の聾を剛いたソクラ|アスの主繼面がいかにパトス的

︵一︶であったかは︑たとへぱ﹁蕊要篇﹂に語ら畑てゐる如く︑彼が一識夜に亙って一佃所に立ちつくしたといふ︑あの不

可思議な行鯛によっても明かではないか︒夜を徹して暁に至るまで︑一個所に立ちつくしてゐたソュラ|アスは︑蝿て

さし昇る太陽に所りを捧げて立ち去った︒彼は太陽の輝きと共にイデアの光を観たのであらうか︒否︑グイモニオン

プラトン哲駅の性絡一七・

主艘は客繼に吸收される︒そこに眞の行爲主義はないのである︒註一︑聾目雨鼻喫口巳呂闇匡司固具菖の匡巳信号局で巨○冒胃﹈﹈g己旦︑買涛く︒旨ぎぎ良研蹟員シ号sこ◎い︺ぬ.診昌.岳閨.

二︒深田康算全集節一巻︒﹁プラトーの美學﹂

三︑ブロシャール著︑河野典一課︑プ|フトーンの﹁饗裳﹂に就いて︒三十五︑六瓦︒瑞波諜階︑打學論推二十八號︒

ブロシャール若︑

六禿四=

同上︒三十六︑蛇

同上︒四十五頁c

邑呉○口﹀胃﹈局巨富言︑門﹈戸餌昌再拝O

‑し

0

(19)

一八

の雛は術に否定的であることを特色とした︒ソクラテスが何らかのことを爲さうとするときも﹁爲すべからず﹂と命じ

るのがダイモ一オンの聾であった︒それは超人的な力を以て辿るが︑明らかなイデアを見せるものではなかった︒そ

こにダイモ一オンと洲との机逹があるであらう︒その故にまたソクラテスの行動も常に否定的であった︑若くは単に

産婆的であった︒彼はアテーナイの街頭に於て凡ゆる人だと談論したけれど哨︑彼が他人に訊ねるそのことに就て︑

彼自身も何等の解答をも川意してゐるのではなかった︒そこに彼がソフィストと混同される危険がある︒しかしこの

危瞼を周して︑彼は術めて行爲の人なのである︒行鰯の契機にはイデア否定の面がなければならぬ︒行ふ人は︑正し

きことを行ひ得ると共に︑誤まれることをも行ひ得るのである︒行爲は自由意志的でなければならぬ︒そこではパト

スが至上である︒↓

このパトスが︑しかしイデアへ蹄向する所に︑︑ソフィストと異なるソクラテスの面目のあることは云ふまでもな

い︒プラトンはこの面目遁捉へた︒それが愛慕説である︒しかし愛慕説によって捉へられたソクラテスは︑既に︒フラ

トンの範鴫に徴てはめられたものである︒この範鴫はディァレク|アィヶー︵辮諦法︶として露出した︒果して﹁辮明

篇﹂のソクラテスも︑﹁クリトン筋﹂のソクラテスも︑あまりに合理主義的である︒鹿刑の前夜︑老友クリトンの切な

る逃亡の糊告に對して︑と肌を拒否したソクラテスの立場は︑畢党.図法は誤まってゐても︑図法なるが故に從はな

ければならぬ︑といふにあった︒この主張のいかに正盈錐盈たるかを︑何人も疑ふものはないであらう︒しかし︑そ

れが眞にソクラデスの心境であったであらうか︒垂見は勿論それを否定すべき文献上の證擦をもたないけれども︑ソ

クラテス生前の數交の行爲がデモーニッシュであるならば︑その死もまたデモーニッシュであらう︒プラトンが語る

さら汀ほ右の如き正義の倫理よりも︑蟻ろ夢に聞いた白衣の女惟の盤・﹁ソクラテスよ︑後三日.お前は幸饒きうテイアに蒲く

I

'

(20)

であらう︒﹂といふ︑このグイモニオンの聾こそが︑虞にゾクラテスを導いたであらう︒齢既に七十.みづから死期

を覺悟したソクラテスの心境としては︑・フラトンの博へる所はあまりに合理に過ぎるではないか︒同じく﹁ファィド

ン楠﹂はソクラテスの臨絡を紋して莊嚴極まりなきものながら︑あの霊魂不滅説の論理は︑雛にプラトン的加工であ

るoそれはともあれ︑プラトンに於ける一ブイアレクティケーの範鴫が成長を見た暁.即ち﹁ソフィステス端﹂以下に

於て分割の論理を提唱するに至るや︑果してソクラテスの名は漸次背景に退いたのである︒彼此商堂すれば︑プラト

ン的論理の範鴫は︑その愛慕説に於てすら︑既に如斑のソクラテスを合理化したのである︒即ちエロースに對するイ

デア的なるものの役割はあまりに弧かつたのである︒

ソクラテス及びプラトンに開する解樺の問題はいかにもあれ︑ともかくも行爲の出發黙は︒ハトス的であり︑一プモー

ニッシュでなければならない︒その行爲が糞を結ぶためにはパトスはイープァを媒介しなければならぬが︑それはプラ

トンの回想説の如く主繼が客艘に規定される仕方に於てではない︒ステンッェルは︑前にも鯛恥た如く︑・フラトン前

期の特徴を倫孤的蛮践的とするが︑彼はプラトン諏廊お所訓隔絶問題︵○ゴ01m目○m早○ず一のョ︶︑即ちイープァと現変と

︵一二︶の開係如何の問題も︑この前期に於ては自明的に解決してゐるといふ︒何故ならば倫理的誕践的といふことの眼目は

努力︵︑ロ.89︶にあり︑努力は努力の故に︑イデアと現変とを結合統一するものであるからである︒しかしステン

ッェルの謂ふ努力がプラトン哲學の何虚にあるかと云へぱ︑まさにエロース以外の何ものでもあるまい︒さうしてェ

●●

ロースが努力であるためには︑それは一途にイープアの回想に趨くことを止め︑却てエロース自身のパトスを活かさな

くてはならない︒それはイデアを求めることによってイデアとの關係に立つが︑その關係は︑エロースがイデアに媒

介されることによってではなく︑逆にエロースによってイープアが媒介麓現されることによって︑成立するが如き關係

プラトン祈學の性格一九

(21)

二○

でなければならない︒努力は現変を脱して理想に近づくことではなく︑郵想を一歩一歩と現変化することでなけ恥ぱ

ならない︒プラトンのエロースがかかるものでないことは︑﹁ファイドン端﹂に於ける解脱︵ぶqら︶と淨化︵鳶昏自ら︶

との弧調によって明かである︒もとより吾燕は問題の槻瓢によ2﹂行諭に抑揚あることを表過してはならぬ︒虚刑の

直前に最後の教諭を垂れるソクラテスが︑子弟の働尖を抑へつつ哲學は死の斑悟なりと論くに至っては︑肉催よりの

解脱と魂の淨化とが掘調されたことは︑理の常然に脇する︒こ恥なくしては﹁ファイドン端﹂一筋の眼目は失はれる

であらう︒されば理想主義の極致を示す﹁閲家筋﹂に於ても$ひとたびイデアを見たものは︑蹄り來ってその光を衆

愚に與へることの必要が碗かれてゐる︒のみならずプラトンその人がデイオンと共に三度に亙って企てた哲人政治の

努力をも看過することはできない︒け恥どもその努力が彼の理論の上にいかに形成されたか︒おもふにプラトンその

人は最も鋭敏なる道義主義肴であった︒彼がアテーナイ政治の腐敗を論ずるときには︑常に瀞意激烈を極め︑殺氣横

溢の趣がある︒この公憧の故に︑彼は哲學に志したのである︒しかるに斯る行爲主義的地盤は・却て彼の哲學を行爲

主義的としなかったのである︒現変の腐敗よりの脱却が彼の急務であり︑その方法が彼の哲學である以上.彼の志向

は永遠のイデアを慕ふに傾いて︑その現疵化には向はない︒彼は経生徳を説いたけれども︑徳の概念はギリシャ傅來

のものと異なるわけではなかった︒徳のギリシャ的概念は︑本性の發現といふことである︒馬にとっては走ること

が@眼にとっては見ることが︑夫掩の徳であった︒人叶の本性は何であるか︒周知の如くプラトンは人間の魂を三分

︵四︶した︒理性︵ざ.へq司異号/と氣慨Sc言︑へ農の︶と情欲︵獣へ吾ミ司息迄︶とである︒理性の徳は知慧であるが︑氣慨は

理性に從って勇氣の徳を得︑惰欲は理性に從三﹂節制の徳を得る︒さうして三者が右の如き訓和を保ってゐるのが人

間の本性の發現であって︑それが正義の徳である︒この見方は直ちに國家の三階級たる冶者と軍人と商工業者の夫盈

0

(22)

P

かやうに老へてくると︑プラトン前期が倫理的費践的であり︑その特徴とする努力によって所訓隔絶問題が解かれ

るといふステンッェルの解繰は︑あまりに安易に過ぎるものではあるまいか︒プラトン前期が倫理的蛮践的であるこ

とは寧ろ自明的であるが︑問題はその怖那的変践的といふことの性格如何である︒プラトンの悪戦苦闘は寧ろ隔絶問

題を深刻にする﹁努力﹂である︒ステンッェルはその深刻化によって却て隔絶問題が解けると老へてゐるが︑しかし

﹁努力﹂は努力の故に既に理想と現変とを結ぶものであるといふとき︑その努力は何虚までも理想の現変化でなけ恥

ぱならない︒垂兇はここにプラクシスとポイエーシスとの腫別に開する議論を樹くが︑前券が現蛮の理想化であるな

らば.後考は理想の現箕化でなければならない︒この現変化の原理は何であらうか︒ここに當然アリストテレスの四

原因の思想を想起せざるを得ない︒形相因とⅡ的因とはアリストテレスに於ても或る意味に於て同一であったが︑前

述の如くプラトンのイデアはこの雨面を有ってゐた︒しかるに今まで述べて来た所には︑蓮動因と質料因とが現はれ

てゐない︒しかしイデアの現変化は︑通動因と蹴料因なくしては不可能である︒︒フラトンはこの問題をいかに取り扱

ってゐるであらうか︒私はまづ愛料因の問越を見て︑運動囚の問題に鰯れろことにしたい︒ってゐるであらうか︒私はまづ密 ものの活かされる餘地はなかった︒

かやうに老へてくると︑プラトー

るといふステンッェルの解繰は︑生

誰−︐国鼻○昌辱ゴゼOm5p︾圏っ

二︑国旦O具侭昌○回心心国都

三℃︑芹口口融堅郡○勺◇9戸ご叩︒﹈心

四︑国具g晶弓○岸昌国富画弱.

の職分論となって具繼化されてゐるが︑いづれにしても正義乃至知慈が妓上の徳目であって︑そこにはパトス的なる

プラ・トン打撃の性絡

﹈心Iぬい

弱︒函つ串 阿部︑久保共課0滞波文脈︒

巽.国一旦sdm胸岸P目ヨ︼aoの@や弓︒

11画・

一一一

(23)

1

・生物一癖◆怖一単潤的

群居的廓癖鋤廓郷塾嘩

︑℃かかる分割法の特徴は︑エィドス︵形相はここで類となる︶.は二分されること︑二分は矛盾對立によること︵上の例

によりても知られる如く愛際は矛盾對立をなしてゐないが︑プラトンの意囮はそこにあったであらう︶.しかして分

割の階層に飛躍があってはならぬとと等である︒さてかかる分割を重ねて︑もはや分割を許さぬ最下のエイドス

︵岸︒這這向副島︶に至り︑錬ってこの分割の順序を逆に辿れば︑佃物に對する定義が可能となる︒尤もアトモン・手 この問題を考察するに鰭って︑ステンッェルは慥に一時期を劃した︒彼は隔絶問題の解決はプラトンの後期にある

ヂイアイLIう人とし︑﹁テアィテトス捕吟以下を亜硯して︑特に﹁ソフィステス捕﹂︑﹁政治家箱﹂の分割の論理に重要な役制を典へ

た︒との雨筋は夫盈ゾフィストと政治家との木質規定を目ざすものであるが︑寧ろその道程に於て展開された分割の

倫理に多大の興味がある︒ために從來はプラトンの反作なるか否かを疑はれたと恥らの對話篇は︑今日に於ては︑却

てプラトンがソクラテスの影響を脱し笈その猫自の本領を現はしたものとして︑極めて璽覗されるに至ったのであ

る︒

︵一︶いま﹁政治家篇﹂よりその分釧法の一例を示せば︑次の如きものである︒

FL 一一一一

(24)

イドスより仙物への飛雌がいかにして可能なるかは.フラトンによっては解決されf︑問題をアリストテレスの﹁この

もの﹂へ︑即ち&詳舟へへ残すこととなったのであるが︑いまはそれを度外に世いてよい︒さすれば︑佃物が定義

されたときは︑そ恥によって佃物と妓商のエイドスとが聯絡したことになる︒上述の例によって云へば﹁生物﹂なる

エイドスが﹁二足﹂の生物たる人州にまで展淵して来たのである︒それはまた︑人川を主語として︑それ以上の分割

の全段階がこの主語の述語となったことを意味する︒しかして述語は一般者であり.妓高のエイドスは蚊も包括的な

一般概念である︒ここにエイドスは一般概念としての﹁類﹂の性筑を群びる︒前に述べた如く︑プラトンのエィドス

は形加であったが︑いまや後期の分荊法に至って論理的概念としての性慨を附加されてくるのである︒尤もステンッ

ェルは雌商のエイドスと妓下のエイドスとは供に直観的性髄を保有し︑中間項に於てのみ論理的展捌が兄られると云

ふが︑それも営面の問題ではないが故に姑く度外帆し︑ともかくも妓商のェイドスが妓下のエイドスにまで下降する

道が拓かれたとするならば︑ここに隔絶問題を解決する錐が典へられたやうに見えるのである︒イデアの現変化に於

て行爲の立場を兇ようとする吾掩にとっても︑これは亜大な陪示を與へる事柄でなければならぬ︒

寸シメー・オンさて右の分割法によって︑生物を有怖と無怖とに分つとき︑布怖を有とすれば︑無怖は非有である︒さうして右情

カンメー︒オンは次の段階に於て群居的と単猫的とに分たれる輝前着が有であれば.後者は非右である︒非有はかくしてプラトン

の論理的騰系のうちに座を占めることになった︒これはパルメニデスの存在論乃至はプラトン初期のイデア論に比す

れば︑等しき革新であるが︑この非有とは絶對的な非行ではなく和對的な非有である︒﹁ない﹂のではなくて﹁でない﹂

のである︒甲がないのではなく︑甲でないのである︒甲でないものは︑しかし乙であることを妨げない︒随てこの棚

︵二︶對的非有は一定のものに對する他者︵野︑言上︶に外ならない︒ところで一者に對する他粁は︑そ奴が一者ならぬ限り

プラトン斬學の性格三二

(25)

二四

に於て無限定的なものである︒この無限定者は夛イレポス篇﹂に於て﹁より大Iより小﹂として一括して示され

た︒しかして﹁より大Iより小﹂によって示される無限定者には.山内得立博士の指捕されたやうに二様の意味を

︵四︶見ることができる︒一つは︑大または小の方向に無限に延びる意味であって℃それは無限定の外延的意義と云ふこと

ができょう︒いま一つは.現笠に於ける秀のものが﹁より大︲lより小﹂の規定を有つといふことである︒即ち現

壷に於ける貢のものは︑比較の對象如何によって常に﹁より大Iより小﹂の性瞳を右する故に︑それは無限定的

でなければならぬ︒現災のものが無限定的であるといふことば︑無限定考の内包的意義と云ふことができよう︒

料とを含むとすれば︑それは生成するものとならざるを御ない.︒否︑初期のプラトンが生成をおしな蚤﹂非存在と解 要素として肯定的に媒介したものと云ふことができる︒それと共に︑現迩存在は限と無限との混合であり︑形相と質 ならない︒質料は一たの現蛮存亦を不定ならしめると共に︑現変存在を超えたる無限の延長であるし一共の現蛮存在 らうか︒それはまさに斑料以外の何ものでもないと共に︑貨料には方の如き二様の意義があることを注意しなければ

︵五︶したのに對しゞいまや﹁存在への生成﹂を老へるに至ったのである︒この思索の展州に於て︑蹴料の包擁がいかに中

心的役制を減ずるかは明かであらう︒しかるに右の如き蹴料の役制は︑生成の起鯲︵聡警︶としてである︒プラト が不定であるといふのは・たとへぱ甲が﹁乙より大﹂であり︑﹁丙より小黒﹂あることであり︑叩は叩として一定のものでありながら︑甲の質料性はこれを動揺せしめてゐる︒その不定性の故に︑叩は一考であると共に他粁でもある・・ここに甲は限と無限との混合であるといふ︑﹁フィレポス筋﹂稠特の論理が生じた︒それは﹁ソフィ↓︿テス楠・↑に於て捉へられた他粁の概念︑しかしてその分劉法に於ては猫ぼ否定的に媒介されたる他者の概念を.いまや現庇存在の椛成

さて大小の雨方向に

無限に延びながら⑮しかも一だの現変に於ても無限定的なるものとは︑一禮いかなるものであ

L

(26)

を の叙述が明かにする如く︑それは質料の無限定性によってである︒一ブィレポス筋﹂の﹁限定と無限定﹂の思想もそ鯉 するととは安獄ではあるまい︒ 所

右の叙述は︑プラトン後期の諾鯆を︑吾凌の槻黙に開聯するかぎりに於て︑問題的に難恥したものである︒これに

よって垂見の目ざす質料因に到逹した︒さうして庇料の役割は︑一方に於て生成の殿ごとして︑他方に於て生成 ンのいふ﹁より大Iより小﹂は.その比較級的表現によってアリスト|諺スの反極︵習骨製&よりは禰蕊緩和された概念であるが︑およそ生成するものは反極の問を動くのであるが故に︑反極は生成の起黙︵または経軸︶である︒しかしたとへば小なるものが大なるものになると琶︑それが﹁小・大﹂といふ概念的固蒲を打州した生成であるためには︑後に︑アリストテレスの苦心解明した如く︐右の如き概念的對立が基礎G3鼠へ焉疋Csの上に附帯するこ

︑︑︑︑とにより︑小なるものより大なるものへ生成するのでなければならぬ︒そして飛艘は衝料であるが︑そ恥は生成の場

︵八︶ろか︑プロシャールの解する如き礎料であるかの問題も︑右の推移によって既に解決されたと老へる︒それは変質的︑︑︑︑︑には質料であるが︑生成のそこに於て可能なる場所として案州とも老へられる︒いづれにしても排他的に一方を固執

の場所としての質料は︑それの外延的意義に勝ると見ることが川来よう︒果してプラトンはこの場所的愛料を﹁ティ

プラトン打撃の性桁二五

語ってる︒即ち質料は無限定的な素地として︑それが限定莚受容することによって生成を可能にするのである︒ブ しかるに︑プラトンに於て質料が生成の可能根擁とされるとき︑それは質料のいかなる性質によってであるか︒右 暫心として・いづれも生成の可能根搬たるにあった︒ イオス端﹂に於て署身︶罠と呼んだのである︒このコーラが︑ツェラー︑ポイムカーの論く如き空虚なる恭間であ

︵六︶︵七︶

︵暫倉としての性格を有する︒生成の起鮎としての質料は︑﹁より大Iより小﹄の内包的意韮に髄るが︑生成

(27)

︿

︵八︶ロシャールはプラトンの質料には限定に對する抵抗性があるといふが︑それは彼の自山なる解稗に厩するものであっ

て︑プラトン自身は何膣にもかかる立言をなしてゐない︒それはnら無限定にして他の限定に俟つものである︒それ

は限定さる・へきものとして限定の可能性ではあらう︒しかし後のアリストテレスに於ての如く︑潜在より顯在へ︑可

能より現蛮への發展を目ざす可能性ではなく︑ただエイドスの限定を受芥する淌極的場所たるに過ぎない︒それは脚

己の内に發展の契機を内含するものと云ふことができない︒棚の諏子が柵の樹になるといふアリストテレス的發展観

は︑党ひにプラトン哲學に見ろを得ざるものである︒︒フラトン折學が數學を範型とし︑〆アリストテレス蒋學が生物學

を範型とする所より見れば︑このことは寧ろ営然の師結であらう︒

しかし︑質料そのものに動力的要凶がなくても︑これを動かす動力因なるものが別にあるならば︑右の難靴は解淌

するかも知れない︒しからぱプラトンによって動力因といふものはいかに老へられてゐるか︒この問題は比較的簡明

︵九︶である︒プラトンに於ける動力因は主として魂︵耆怠︶である︒そ奴はまづ﹁ファイドロス捕﹂に現はれた︒その

後︑﹁政治家端﹂に於て種盈の原因が翠げられたが︑﹁ティマイオス端﹂に至って宇宙形成のデミウル桑コスが語られる

ことによって︑この動力因は最も明瞭な形をとったと云ふべきである︒しからぱデミウルゴスは宇宙形成に際して何

をなしたのであるか︒それも術明である︒カオスからコスモスの成立するには︑秩序を與へることが眼日である︒然

らば秩序なきカオスは先づいかにして成立するか︒それが運動であるかぎり⑮通勤の原因は魂でなけ恥ばならぬ︒こ

の場合の魂とは︑もとより単なる人間の魂ではなく︑ミクロコスモスより類推されたマクロコスモスの魂である︒し

︵十︶かし魂が混沌の原因であるならば.それは悪しき魂でなけ奴ばならぬ︒事変︑﹁法律浦﹂にはかかる悪しき魂が説かれ

てゐる︒悪しき魂が良き魂の外にあるのか︑或はそれは魂に於ける非理性的部分を鮨すのかに就ては︑いまそれを一 h

(28)

方的に決定しないとしても︑とにかくカオスを説明するもの一として︑かかるものがなければならない︒かくして魂に

於ける良否の關係は︑自然に於けるコスモスとカオスの關係と類比的に老へられてゐる︒随てカオスよりコスモスの

成立することは︑恰も良き魂が悪しき魂を支配することであり︑理性が情欲を制御することに應ずる︒プラトンの宇

宙論と溌魂論とは︑かやうにしてその原理を同じくしてゐるのである︒

吾糞は既に︑︒フラトンの賀料が︑その無限定性︑被規定性に於て︑消極的にのみ把握されてゐることを見た︒しか

らば賀料を動かす動力因としての魂は如何といふに︑今述・へた如く︑それはカオスよりコスモスへの秩序の作用であ

って︑カオスに潜む質料性をその積極性に於て捉へることをしないのである︒それは形机の禰學着の宇柑槻として和

膳しきものであらう︒しかし其庭には蕗物を生み出だす根源的生産力はないのである︒

ただ﹁ティマイオス筋︲一の継想が垂昊にとって頗る興味があるのは︑カオスがコスモス以前にあり︑カオスに於け

︵+こる物質的なるものがコスモスにも残存して︑たとへぱ動物のうちにあるといふことである︒カオスガコスモス以前に

あったといふ祁話が︑その常識的自明性にも拘らず︑こ奴をプラトンの口よく聞くことは︑変は容易ならぬことと云

︑︑︑︑ふくきであらう︒蓋しプラトンの同想説より云へぱ︑コスモスこそカオスに先きだ2Lあるべき筈である︒既にある

︑︑︑︑︑︑︑︑︑ものはイデアであったものが︑いまカオスとされた︒既にあったものは奔髄の性椿である︒客艘がイデアであるとき︐

これを求める主艘の行爲が既にあった客艘に吸收される故に.私は初期のプラトンも行鯆的でないとした︒しかるに

ステンッェルによって理論的自然諏學的とされる後期のプラトンは℃客磯をカオスとすることによって︑却て行爲的

思惟方法に接近したのである︒何故ならば容艫がカオスであるとき︑これに秩序を與へることが行爲であるからであ︑︑︑︑︑る︒さうして亜要なことは︑容慨がカオスであり︑容艘は既にあったのであるから︑これに秩序を典へるといふこと

プラトン訴準の性桁二七

1

(29)

二八

は︑カオスよりの脱却ではあり得ない︒既にあったものからは逃れることができない︒却て主確的行爲がカオスに於

て見出される故に.カオスの質料性が活きると共に︑それに秩序を與へたコスモスがカオスの現変化となるのであ

る︒そこに混沌より生じた形相を見たならば︑それこそは行爲の立場によって捉へられたイデアであらう︒行危の立

場に於ては︑イープアは現在に於て変現するのでなけ虹ぱならない︒イープァを班存の客磯とする立場からは行鰯は生じ

来たらないのであるoカオスが既にあったが故に︑それに鯛發される人川の主繼面はパトス的である︒そこには猫ぼ

イデアの見えない過程がある︒正しきものと謬れるものとの岐れ行く道もそこになければならない︒そのいづれを選

ぶかの自由意志がなければならない︒その過程と經て︑イデアが刻友に新たに見えてくる所に行爲があるのである︒

既にあったイデアを回想するのが行鰯ではない︒

かやうにしてコスモスがカオスよりの脱却ではなくて具鴨化であるとき︑その具艦化の極致にポリスが現はれてく

るのである︒自然の画$コスが國家のロ幸コスとなって︑ってこにノモス︵法︶も成立するのである︒しがし︑いまはその

問題に立ち入ることを保留しよう︒.

要するに︑プラトンの﹁ティマイオス篇﹂は︑かかる鮎より見て無限の示唆を與へるものであるが︑しかし如迩に

この對活篇に對すれば︑祀黙を右の方向に没ぬくことを拒むものがあるのである︒一︑コスモスの前にカオスがあっ

たといふことは︑或は常識的に自明とされてゐたかも知肌ないが︑このこと陸フラトン禰學に於て原那的に反椅され

︵十二︶︑︑︑

たわけではない︒況んやコスモス以前のカオスが何等かの稜極的役制を演ずるといふことはなかった︒二︑カオスよ

りコスモスへの過程には︑ビタゴラス派の影響と見られる數學的考察が施されてゐるが︑かかる見方よりすれば質料

︵十三︶は被規定性によって評慨されるより外はない︒三︑質料の有する必然性が宇宙樅成の副原因と見られたことは︐消極

(30)

的ながら賃料の役釧を認めたのであるが︑それが﹁私生兒的類推﹂によって把握されたことは.プラトンの興意の那

︵十五︶逢にあるかを想察せしめるであらう︒四︑随て宇宙そのものも原型に對する﹁似鰻﹂に過ぎないのである︒︒フラトン

後期の諸作が汪目をひきはじめて以來︑人はそれを全く前期と異なる性格として捉へるのであるが︑右の諸黙を孝型

するならば︑﹁ティマィオス篇﹂に至ヨ﹂もなぼ︑初期イ一プァ論の思想は意外に狼く作用じてゐることを知らなければ

ならない︒プラトン哲學の樵成よりいへぱ︑コスモスは寧ろカオスに先行すべきであり︑良き魂は悪しき魂よりも︑

その由来に於ても仙値に於ても︑先きだつものであったのである︒ゴム︒ヘルツは﹁ティ一︑イオス篇﹂を評して︑﹁倫

理は宇宙論的韮礎を得春唾︶と云ったが︑その宇宙は天文學的であることによって︑却て倫珂の行爲的性格を失はしめ

たのではないか︒私はひそかにこれを疑ふものである︒

誰一︑国鼻○員宅○三房○m︶鵠︼.

十︑・国p8Hz

フラトン将學 九︑邑伊8国切目一 六︑悶昌①晶○や鼻.当鬮l爵P七︑園目ョ幹︒晶己P四国○一︶﹈・ョ﹄9旨呉昌︒︾ロQ臼○昌①︒三吻呂自国三○いoも三︒届g︾叩息司l易準.八︑プロシャル著河野坐認プラトー溺畢に於ける農︒︸千頁l︲旱頁︒男繋謄︐折単論鍵埜干捗 五︑冒皇○頁目量︒一︶○m閨ワ. こり﹈︾一瞬一○旨一︐○石一戸︷い︵︵岨︺四・﹃﹈︺︒三︑三具g岳里旨︶β鵠l鵠.四︑山内得立蕃﹁髄系と鵬祁﹂

色匙曙○鞭︾画﹄画︒.

9国且﹀電︵︸l沼騨

の性棉

のうち﹁捉合の論狸﹂

参照

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