博 士 ( 理 学 ) 遠 藤 干 絵
学 位 論 文 題 名
Low temperature‑induced inactivation of vacuolar H+‑ATPase
with reference to chilling injury in plants.
( 植 物 の 低 温 傷 害 に 関 わ る 液 胞 膜 H+ ― ATPase の 低 温 失 活 ) 学 位 論 文 内 容 の 要 旨
熱帯 や亜 熱 帯に 由来 する 植物1ま低温 に敏感で,0―12℃の低温に さらされると様々 な生 理的 傷害 を 受け やが て枯 死す る 。こ の現 象は 低温 傷 害(c}iilling injury)と 呼ば れ, 古く から 研 究が 行わ れて きた 。 細胞 の低 温に 対す る 初発 的反 応と し て, 生 体膜 脂質 の相 転移 ( Lyons&Raison,1970)が 有 力視 され ,葉 緑体やミト コンドリアの機能 と膜 脂質 の役 割 を中 心に 活発 な研 究 が展 開さ れて きた が ,低 温傷 害の す べて の現 象を 説 明 す る に は 至 っ て い な い 。 低 温 傷 害 の 機 構 を 明 ら かに する だめ ,東 南 アジ ア原 産 のヤ エナ リ(Vigna radiataL.) の黄化実 生を実験材料として,低温 傷害の過程を現象 論的 に詳 しく 調 べる とと もに ,細 胞 の低 温に 対す る生 化 学的 な初 期応 答 につ いて 詳し い解析を行った。
26℃ 暗黒 で 育て たヤ エナ リ黄 化 実生 を0℃で 処理 した ときの低温 傷害は, 可逆的 な初期過程(0℃24時間以内 )と不可逆的な過程(0℃48時間以降)のニつの段階で起こる。
低温 傷害 の初 期 過程 で細 胞内 に引 き 起こ され る生 化学 的 な変 化と その 細 胞内 局在 性を 明 ら か に す る た め , 生 体 膜の 主な 指標 酵素 の 活性 変動 を中 心 に解 析を 行っ た。O℃ に 冷や され た黄 化 実生 の下 胚軸 から 経時的| ミ各種生体膜を遠心分離法 により調製し,指 標 酵 素 の 活 性 を 測 定 し た とこ ろ, 細胞 膜H゛ーATPase,ER小胞NADH Cytcreductase, ミト コン ドリ ア のCytcoxidaseの 活性 は傷 害 の初 期過 程(0℃24時 間以 内 )で は変 化が みら れな いが , 不可 逆的 な傷 害過 程(0℃48時 間以 降) で はじ めて 低下 す るこ とが 解っ
H ゛輸送活性が低下することが解った。また,低温処理した下胚軸から経時的に粗膜 画分を調製して,ショ糖連続密度勾配遠心にて各生体膜の結合酵素活性および密度の 変化を調べたところ,24 時間以降,ゴルジ体膜の UDPase 活性の分布が変化し,48 時間 以降ではより高密度側に移行することが解り,低温傷害初期過程でゴルジ体機能も低 下することが示唆された。ヤエナリ下胚軸では,組織呼吸活性,タンパク質・脂質合 成活性,エチレン形成活性などが低温処理 24 時間以内に可逆的に低下するが,今回得 られた結果と合わせて考察すると,低温傷害の初期過程におけるこれらの生理活性の 低下は低温による細胞質環境の変化が原因と推測される。 液胞膜H ゛−ATPase はATP の 加水分解によって得られるエネルギーを利用してH ゛を細胞質から液胞内へ輸送し,こ れにより形成されるpH 勾配は各種イオンや二次代謝産物の能動輸送に利用される。し たがって,この酵素は物質の細胞内区画と,細胞内環境の恒常性維持に重要な役割を 持っている。 本研究で得られた,低温傷害初期過程での液胞膜H ゛‑ATPase の失活は,
細胞質中のpH ,Ca2 ゛濃度などのイオン環境の・変化を引き起こすことが推察され,低温 に 対 す る 細 胞 の 初 期 応 答 に お い て 重 要 な 役 割 を 持 つ こ と が 示 唆 さ れ た 。 液胞膜H ゛―ATPase の失活の機構を明らかにするために,本酵素の精製を試みその 特性を調べた。 本酵素の精製では,高純度に調製した液胞膜画分を用い,まずトリ トンX ―100 処理で膜にゆるく結合したATPase 以外のタンパク質を除去後,リゾレシチ ンで可溶化し,陰イオン交換体(QAE ―トヨパール)カラムクロマトグラフィーにて精製 する方法が有効であることが解った。精製酵素のサブュニット構成を, SDS ポリアク リルアミドゲル電気泳動(SDS/PAGE )法で解析したところ,これまで報告されてきた3 種に,新たに加えて6 種,合計9 種 (68 ,57 , 44 ,38 , 37 ,32 , 16 ,13 ,12 kDa )から 構成されていることが解った。68kDa ,57kDa サブュニットのN 末端アミノ酸配列の解 析,及び特異抗体による活性阻害の結果から,68kDa サプュニットは活性触媒サブュ ニットであり,57kDa サブュニットは活性調節サプュニットであることが示唆された。
また,32kDa サブュニットの特異抗体は,68kDa サブュニットの特異抗体と同程度に加 水分解活性,H ゛輸送活性を阻害したことから,32kDa サブュニットがH ゛輸送機能に重要 な役割を持つことが示唆された。 68kDa ,57kDa の特異抗体は,ラット肝臓及び腎臓の ライソソームの膜タンパク質と交叉反応し,アミノ酸配列の相同性,酵素学的性質の 類似性からも,本酵素が真核生物に共通の V 一夕イプATPase であることが明らかになっ
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た。さらに本酵素の液胞膜上での立体構築についてカオトロピックアニオン処理で調
べ たところ, 9 種のサブュニットのうち,膜疎水性領域に結合しているDCCD 結合性の
16kDa サブュニットを除く 8 種のサブュニットは膜表在性領域にあることが示唆され
た。これらの知見をもとに,低温傷害初期過程における液胞膜H ゛‑ATPase の活性低下
の機構を酵素分子レペルで解析した。 低温処理した下胚軸から経時的に液胞膜画分
を高純度に調製して,液胞膜ATPase の量を構成サブュニットの特異抗体を用いて調べ
たところ,液胞膜から本酵素の膜表在性サブュニットが他のタンパク質に先行して選
択的に消失することが解った。 さらに,精製酵素についての解析から,低温処理に
よる,32kDa サブュニットの減少と33kDa ポりペプチドの出現が明らかとなった。 これ
らの結果から,低温傷害初期過程での本酵素の膜表在性サブュニットの選択的遊離と
32kDa サプュニットの特異的な解離をもたらす酵素分子の構造変化が,本酵素の機能
低 下を誘発するものと推察される。低温による本酵素の細胞質から液胞内へのH ゛の
くみ出し機能の喪失が,その後の不可逆的な細胞傷害を誘導する重要な要因であるこ
とが示唆された。
学位論文審査の要旨
学 位 論 文 題 名
LO¥r) TEFIPERATURE‑l NDUCED lNACTIVATION OF VACUOLAR H゛‑ATPase WITH REFERENCE TO CHILLING INJURV IN MUNG BEAN
( ヤ エ ナ り の 低 温 儷 害 に お け る 液 胞 膜H゛‑ ATPaseの 失 活 )
. 熱 帯 や 亜 熱 帯 に 由 来 す る 植 物 は 低 温 感 受 性 が 高 く 、Oー12℃ の 低 温 に さ ら さ れ る と 生 育 が 著 し く 阻 害 ぎ れ 致 死 的 な 傷 害 ( 低 温 傷 害 ) を 受 け る こ と も 希 で な い 。 低 温 に よ る 生 体 膜 脂 質 の 液 晶 状 態 か ら ゲ ル 状 態 へ の 相 転 移 が 低 温 傷 害 の 初 発 的 な 要 因 と 考 え ら れ て い る が 、 現 象 の 全 て を 説 明 す る に は 至 っ て い な い 。 申 請 者 は 低 温 傷 害 の 機 構 を 明 ら か に す る た め 、 亜 熱 帯 原 産 の ヤ エ ナ リ ( Vigana radiataL. ) の 黄 化 実 生 を 実 験 材 料 と し て 傷 害 の 初 期 過 程 を 現 譲 論 的 に 言 羊 し く 調 べ る と 共 に 、 低 温 に 対 す る 生 化 学 的 な 細 胞 初 期 応 答 に つ い て 解 析 を 行 っ た 。
26℃ 暗 黒 で 育 て た ヤ エ ナ リ 黄 化 実 生 を0℃ で 処 理 し た と き の 低 温 傷 害 は 、 可 逆 的 な 初 期 過 程(O℃24時 間 ) と 不 可 逆 的 な 過 程(o℃48時 間 以 降 ) の ニ つ の 段 階 で 起 こ る 。 低 温 傷 害 の 初 期 過 程 で 細 胞 内 に 引 き 起 こ さ れ る 生 化 学 的 な 変 化 と そ の 細 胞 内 局 在 性 を 明 ら か に す る 為 、 生 体 膜 の 主 な 指 標 酵 素 の 活 性 変 動 を 中 心 に 解 析 し た 。O℃ に 冷 や さ れ た 黄 化 実 生 の 下 胚 軸 か ら 経 時 的 に 各 種 生 体 膜 を 遠 心 分 離 法 に よ り 調 製 し 、 指 標 酵 素 の 活 性 を 測 定 す る と 、 細 胞 膜H.‑ATPase,ER NADH cytcreductase, ミ ト コ ン ド リ アCytc oxidaseの 活 性 は 儷 書 初 期 過 程 で は 変 化 し な い が 、 不 可 逆 的 な 儷 害 過 程 で 始 め て 低 下 す る こ と が 明 ら か に ぎ れ た 。 一 方 、 液 胞 膜H゛‑ATPaseは 可 逆 的 な 初 期 過 程 で 基 質 分 解 活 性 お よ び プ ロ ト 冫 輔 送 活 性 が 共 に 低 下 す る こ と が 明 ら か に さ れ た 。 ヤ エ エ ナ リ 下 胚 軸 の 呼 吸 活 性 、 タ ン バ ク 貿 合 成 活 性 、 脂 質 合 成 活 性 、 エ テ レ 冫 形 成 活 性 は い ず れ も 儷 害 初 期 過 程 で 可 逆 的 に 低 下 す る こ と を 考 え あ わ せ る と 、 液 胞 膜H゛‑ATPaseの 低 温 に よ る 失 活 が 低 温 傷 害 の 初 期 要 因 と 推 察 さ れ る 。 本 酵 素 はATPの 加 水 分 解 で 得 ら れ る エ ネ ル ギ ー を 利 用 し て プ ロ ト ン を 液 胞 内 部 へ 輸 送 し 、 形 成 さ れ るpH勾 配 は 各 種 イ オ ン や 代 謝 産 物 の 二 次 輔 送 に 利 用 さ れ る 。 従 っ て 、 本 酵 素 は 物 質 の 細 胞 内 区 画 化 と 細 胞 内 環 境 の 恒 常 性 維 持 に 重 要 な 役 割 を 持 っ て い る 。
液 胞 膜H゛‑ATPaseの 低 温 に よ る 失 活 の 機 構 を 明 ら か に す る 為 、 申 請 者 は 本 酵 素 の 精製 を 試 み 、 そ の 構 造 特 性 を 調 べ た 。 高 純 度 に 調 製 さ れ た 液 胞 膜 画 分 をTriton X‑100処 理
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でATPase以外のタ冫パク質を除去後、リゾレシチ冫で可溶化し、陰イオ冫交換体(QA E Toyopearl)カラムクロマトグラフィーで高度に精製された。精製酵素のサプユニツ ト構成をSDSポリアクリルアミド電気泳動で解析すると、合計9種(68,57,44,38,37, 32,16,13,12 kDa)から構成されていることが明になった。68kDa、57kDaサブユニット のN末端アミノ酸配列の解析と特異抗体による活性阻害から、前者は活性触媒サブユ ニットで後者は活性調節サブュニットであることが確定きれた。 また、32kDaの特異抗 体誼、68kDa特異抗体と同程度に触媒活性ならびにプロト冫輸送活性を阻害することか ら、このサブユニットはプロトン輸送の調節に重要な役割を持つ可能性が示唆された。
本酵素の液胞膜上での立体構築についてChaotropic anionを用いて調べたところ、9 穫のサブユニットのうち、疎水性領域に結合しているDCCD結合性の16kDaサーノユニット を 除 く8種 の サ プ ユ ニ ッ ト は 膜表 在 性 領域 に 位 置す る こ とが 明 か とな っ た 。 これらの知見をもとに低温傷害初期過程における液胞膜H゛‑ATPaseの活性低下の機構 を酵素分子レベルで解析した。低温処理した下胚軸から経時的に液胞膜を分離しH゛.A TPaseの量的変化を構成サブュニットの特異抗体を用いて調べると、膜表在性サブュニ ットが液胞膜から選択的に消失することが明らかにされた。さらに、精製酵素につい ての解析から、低温処理により32kDaサプユニットが減少することが明かとなった。こ れらの結果からヽ低温懾害初期過程における本酵素の失活は膜表在性サブユニットの 遊離 と32kDaサプ ユ ニ ッ トの 特 異 的な 解 離 が原 因 であ ること が明かと なった。
以上の結果誼権威ある国際学術誌に発表され、低温傷害の機構に新しい知見をもた らしたものとして高い評価を得ている。 7月21日に口頭発表で行われた最終試験の 成績も勘案し、審査員一同は申請者が博士(理学)の学位を受けるに充分な資格を有 するものと認めた。