日本歌曲の研究とその応用 : 研究成果を伴奏,創作に生かす
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(2) 目次 凡例. はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 1 第1章 日本歌曲の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・… 3. 第1節 日本歌曲の歴史の概要と特徴・・・・・・・・・・・… 3 第2節 第1期∼4期の代表的な日本歌曲の主な作曲家の特徴と作品 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 6 第3節 代表的な日本歌曲の作曲家たちの年代・タイプ別分類表. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 22 第2章 日本歌曲の詩の分析・・・・・・・・・・・・・・… 27 第1節 ヨーロッパの模倣・ロマン主義の作曲家の歌曲の詩の分析. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 27 第2節 フランス音楽の影響を受けた作曲家の歌曲の詩の分析 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 32 第3節 民族楽派の作曲家の歌曲の詩の分析・・・・・・・… 34 第4節 前衛派の作曲家の歌曲の詩の分析・・・・・・・・… 41 第5節 アカデミックで保守的、又は古典主義の作曲家の歌曲の詩の分析 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 42 第6節 戦後派の作曲家の歌曲の詩の分析・・・・・・・・… 47. 第3章 日本歌曲の楽曲分析・・・・・・・・・・・・・… 49 第1節 ヨーロッパの模倣・ロマン主義の作曲家の歌曲の楽曲分析. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 49 第2節 フランス音楽の影響を受けた作曲家の歌曲の楽曲分析 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 58 第3節 民族楽派の作曲家の歌曲の楽曲分析・・・・・・・… 64 第4節 アカデミックで保守的、又は古典主義の作曲家の歌曲の楽曲分析 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 72 第5節 戦後派の作曲家の歌曲の楽曲分析・・・・・・・・… 84.
(3) 第4章 第1節. 第2節. 楽曲分析に基づく応用・・・・・・・・・・・… 88 伴奏の傾向・・・・・・・・・・・・・・・・… 88 1.伴奏傾向1・・・・・・・・・・・・・・・… 88 2.伴奏傾向2・・・・・・・・・・・・… .・.g1 3.伴奏傾向3・・・・・・・・・・・・・・・… 94 4.伴奏傾向4・・・・・・・・・・・・・・・… 97 童謡、唱歌の伴奏の応用・・・・・・・・・・… 99 1.伴奏傾向1の応用曲・・・・・・・・・・・… 99 1)《うみ》作詞 井上武士 作曲 林 柳波… 99 2)《めだかの学校》作詞 茶木 滋 作曲 中日ヨ書直. ’.’.’..’..’・’’..・’・・101 2.伴奏傾向2の応用曲・・・・・・・・・・… 103 1)《夕やけこやけ》作詞 中村雨紅 作曲 草川 信. ...’..’’.’.’.’....’・103 2)《ふるさと》作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一. 第3節. .’’..’...’’...’’..・・106 創作・伴奏への応用・・・・・・・・・・・… 109 1.メロディー創作の留意点・・・・・・・・… 109 2.伴奏傾向3の応用作品・・・・・・・・・… 110 1)《初恋》作詞 北原白秋・・・・・・・… 110 2)《ゆびきり》作詞 竹久夢二・・・・・… 115 3.伴奏傾向4の応用作品・・・・・・・・・… 118 1)《万葉集 巻十九 四一三二》大伴家持 作. .’..’.’......’.’.’・・118 2)《かぐやひめ》作詞 金子みすゾ・・・… 121 研究のまとめと今後の課題・・・・・・・・・・・・… 参考文献及び資料 謝辞. 125.
(4) 凡例. 1.. 『 』 文献名を示す場合に用いる。. 2.. 《 》 作品名、書名を示す場合に用いる。. 3.. ( ) 本文申の補足事項を示す場合に用いる。なお、作品の後の ( )は作曲年を示している。. 4.. ‘ ’ 特定の語句に対する強調を示す場合に用いる。. 5.. 一 ある年からある年におよぶの意味として表記している。. 6.. M モティ」フを示す場合に用いる。. 7.. a,b,c,d,e, フレーズ(小楽節)を示す場合に用いる。. 8.. A,B,C 大楽節を示す場合に用いる。. 9,. 楽語はカタカナ表記。場合によっては( )に言語を表記する。. 10.. 階名は、ドイツ語表記とする。. 11.. 調性は、ドイツ語表記とする。. 12,. 和音記号は、ローマ数字の大文字表記とする。. 13.. 参考文献、辞書、資料、論文などは巻末に記す。.
(5) はじめに. 楽曲の‘創作’において、最も身近な創作は、童謡や唱歌のメロデ ィー講に伴奏をつける、又は詩にメロディーをつけることである。こ のような創作を誰もができるようになれぱ、音楽に対する理解が深ま り、表現の幅が広がり、音楽をもっと楽しめるようになるはずであろ う。そして、このようなことができるようになることは、音楽を指導 する上でも非常に役立つことであると考える。. 筆者は、この身近な創作において、何かヒントになることはないか と考え日本歌曲の研究をすることにした。多くの言語の歌曲がある中 で日本歌曲を選んだ理由は、我々が、平素歌ったり、聴いたりする音 楽はほとんどが日本語で歌われており、まず日本歌曲の研究から行う のが妥当であろうと考えたからである。. 本研究においては、日本歌曲の歴史を調べ、日本歌曲の代表的な作 曲家の作風や作品を調べる。それから、作品をタイプ別に分け、詩の 分析、楽曲分析を行い、最後にその研究成果を伴奏、創作に応用する こととする。. 具体的には、第1章‘日本歌曲の歴史’では、明治に西洋音楽が日 本に導入された時期から現代までを調べていく。. 第2章‘日本歌曲の詩の分析’では、代表的な作曲家の作品を抽出 し、詩の形式、詩の特徴等の分析を行う。. さらに、第3章‘日本歌曲の楽曲分析’では、第2章で扱った作品 の中から音楽作品として理解しやすい作品や特徴的な作品を抽出し楽 曲分析を行う。楽曲分析においては、モティーフの特徴、フレーズの 特徴、和声の特徴、詩とメロディーの対比、伴奏の特徴等、特にある 部分を中心にということなく多岐にわたり分析を行う。. 最終章の第4章’‘楽曲分析に基づく応用’では、第2章と第3章の 1.
(6) 分析結果により、導かれた研究成果を基に、実際に童謡や唱歌に伴奏 をつけ、既存の詩にメロディーと伴奏をつけるという創作を行うこと とする。. 筆者は本研究において、このような身近な創作活動を誰もがスムー ズできるようになるための、何らかの方向性を導き出せるであろうと 考えている。.
(7) 第1章 日本歌曲の歴史. 第1車日本歌曲の歴史 第1節. 日本歌曲の歴史の概要と特徴. [1]日本歌曲の歴史の概要. 日本歌曲の作曲は、4期に分けられ、それはヨーロッパの近代歌曲の模倣に始まり、 日本語と現代の日本人の音楽感覚にふさわしい形を求めて変化、発展してきた。芸術歌. 曲らしい最初の作品が滝廉太郎によって作られたのは1900年明治33年ころであ ったが、第1期の歌曲はほとんどヨーロッパの模倣であった。. 1918年大正7年頃からは、民族的な表現への要求が表面化し主流となって、日本 歌曲の開花期、第2期を形成する。. しかし、1928年昭和3年には長調短調の支配をのがれる傾向が現れ、その上に未 来派から民族主義に至る多様なスタイルが現れて第3期を形づくった。. 第4期は12音技法による歌曲作品の出現によって1952年昭和27年に始まる が、スタイルの多様化が激しく、もはや歌曲の概念そのものの変更を迫る方向へ進みつ つあり、発声法、歌唱法を含む演奏法の面でも、ようやく日本の歌独特のスタイルヘの 模索が表面化しつつあった。. ヨーロッパ音楽のスタイルによる日本の歌は、学校教育用の唱歌から出発したが、明. 治20年代から30年代にかけて言文一致唱歌が現れ、学校唱歌独自のスタイルが確立 したことによって、歌曲が唱歌から分かれてその独自の芸術的性格を明確化していく条 件が整った。. 3.
(8) 第1章 日本歌曲の歴史. [21第1期∼第4期の特徴. 第1期1900年∼1917年頃 洋楽のスタイルによる日本最初の芸術歌曲《四季》が1900年ころに、滝廉太郎に よって書かれた。同じころ作曲された《荒城の月》は、無伴奏の中学校唱歌であったも のを、山田耕搾によって改編され、現在の形になっている。. この時期には洋楽の基本的な技法の消化に全力が傾注され、基本的にはヨーロッパ1. 8・19世紀の歌曲のスタイルの模倣であったが、チでに民族的な表現への志向が潜在 していることには注意を要する。. 第2期1917年∼1928年頃 童謡運動、新民謡運動、新目本音楽運動などと関連し、民族的表現への志向が表面化 し主流となって、多数のすぐれた歌曲が生み出された。代表的な作曲家は山田耕搾で、. 芸術性の高い作品を多数書いた。また、全体として日本語の扱い方に飛躍的な進歩が見 られる。このような、歌曲の発展の背景には、北原白秋を中心とする近代詩の発展があ. った。なかでも、山田耕搾と三木露風、藤井清水と野口雨情、本居長世と野口雨情、西 條八十などの結びつきは、この時期の画期的な発展の重要なものとなった。山田耕搾の 歌曲にロマン主義的傾向が強かったのに対して、他の作曲家たちの作品がとかく感傷主 義に流れたことも、このような詩人との結びつきと相関関係があるように思われる。. 第3期1928年∼1952年頃 長調短調の支配をのがれようとする傾向が強く、日本歌曲史の転換点となった時期で ある。. その意義は、ヨーロッパの古典派やロマン派の歌曲のイメージとは異なる近代的な、. より多様的な歌曲の可能性を開いたことにある。他方では1民族主義的傾向の歌曲も多 く現れた。. また、これらの近代芸術としての強い表現意欲に満ちた諸作品に対して、手慣れた安. 定した手法としゃれた近代感覚を持って書かれた平易で気軽な歌曲や民謡風な小品が 数多く作られたのもこの時期の特徴である。これは、日本の演奏会が管弦楽をはじめと してようやく一応の水準に達し、作曲界の関心がこの時期から器楽に移ったこと、日本 語の扱い方を含む歌曲の作曲技法の水準が高くなったことなどを反映している。. そして、この時期は第2次世界大戦をはさんでいて、戦後数年は戦前に現れた各種の 4.
(9) 第1章 日本歌曲の歴史. タイプを引き継ぎ洗練しただけであったが、その後、戦後の解放された空気の中で、戦 前派の作曲家たちも新鮮な感覚で作曲しはじめた。. 第4期1952年以降 1952年に日本で初めて、12音技法を用いた歌曲が作曲され、歌曲史に新局面が 開かれた。第3期までは常に歌曲の分野が新しいスタイルをソードしていたが、この前. 年には、i2音技法を用いた室内楽が作曲され、日本の作曲界の主導権は様式上の性格 からも完全に器楽に移ったと言える。. しかし、調性的な世界を脱皮し、精密な計算を重ねて人工的に構築する方向へ進んで きた作曲界は、一面ではその方向をますますおしすすめ、他の面では、それに対する反. 発と反省もあって日本の伝統音楽や非ヨーロッパ諸民族の音楽に対して強い関心を示 すようになった。その結果、音楽のイメージは大幅に広げられ、歌曲の概念そのものも. 修正を迫られるところにきている。例えば、伴奏楽器もピアノに限らず、ティンパニの みとか、邦楽器によるものなどといった各種の組み合わせが自由に用いられている。. 歌と伴奏との関係、歌詞の性格や役割など、どの要素も多様化しつつある。また、電 気処理の可能性や演奏の場の拡大など今後の変化が予想される条件もある。これに伴っ て声の使い方、日本語の表現法など演奏法にもようやく反省と変化が現れつつある。と. はいえ、従来の歌曲の概念の枠内で、しかし様々な現代的な手法を活用して作られた作 品もまだきわめて多く、そのタイプも洗練された都会的・近代的な感覚にあふれたもの から、民族基盤に深く根を下ろしたものまで、多くの種類がある。. 5.
(10) 第1章. 日本歌曲の歴史. 第2節 第1期∼4期の代表的な日本歌曲の主な作曲家の特徴と作品 第1期 作曲家名. 滝廉太郎. 経歴・特徴. 主な作品. 明治中期の日本最初の作曲家。小山作之. 1879−1903. 助の<芝唱歌会>で音楽の基礎を学び、1. 東京都出身. 849年高等師範学校付属音楽学校に入. 1894−98頃《春の海》. 1894’98頃《日本男児》. 学、ピアノを幸田延に師事。ピアノ作曲を. 1894−98頃《散歩》. ケーベルに学ぶ。1999年から、嘱託と. 國. して留学するまでピアノを教えた。この時. 1899・00頃《四季》. 期が最も充実した時期であった。ドイツ留. 1899−00頃《荒城の月》. 学をしたが、2か月で病に伏し、23歳で. 1899.00頃《箱根八里》. 世を去った。. 1899・00頃《鳩ぽっぽ》. 滝廉太郎の唱歌作品には<日本のリー ト>への、道を開くものがあった。明治の. 1899−OO頃《お正月》. 囲. 洋楽輸入・模倣時代にこのように西洋音楽. 1900頃《花》. を正しく把握、消化した作品を残した彼. 1902《荒磯》. は、日本における近大西洋音楽の歴史上重 要な位置にある。. 梁田 貞. 歴. 回. 1902《憾》. 我が国における初期の歌曲作曲家。札幌. 国. 1885’1959. 農学校、早稲田大学商科に在籍の後、19. 1910《隅剛11》. 北海道出身. 09年に東京音楽学校に入学。. 1911《昼の夢》. 声楽をベツオルト夫人、作曲をウェルクマ. 1913《城ケ島の雨》. イスターに学ぶ。研究科声楽部にすすみ、. 1914《寂蓼》. 14年に修了。 彼の唱歌、童謡は、従来の明治唱歌から の脱皮のきっかけとなり、のちの<赤い鳥 運動>の導火線の役割を果たした。また、 東京音楽学校、玉川学園などで、音楽教育 活動にも力を注ぐ。彼の歌曲には拝情的旋. 6. 璽. 1912《とんび》 1919《羽衣》. 1921《どんぐりころころ》.
(11) 第1章 日本歌曲の歴史. 律の流れがあり、民謡風の持ち味が生かさ れた作品も多い。. 第2期 作曲家名. 小松耕輔. 経歴・特徴. 作曲家、評論家。1906年東京音楽. 主な作品. 国. 1884’1966. 学校卒業。同年、最初の創作オペラ運動. 1919《泊り船》《母》. 秋田県出身. を起こし、山田源一郎、小林愛雄と<楽. 璽. 苑会>を組織。おもに日本の民族音楽を. 1925《お菓子の汽車》《電車》. 研究し、創作の基盤とした。. 圏. 我が国で初めてのオペラ《羽衣》を作. 出し、1906年6月YlMlCAで試演し た。また童謡運動の先駆となった《大正 幼年唱歌集》に新しいタイプの唱歌を発 表。のちに雑誌《赤い鳥》にも童謡作品. を書いた。1920年より3年間ヨー口 ッパに留学。パリ国立音楽院でヴィドー ル、フォシュ、ダンディに作曲を学ぶ。. 1927年国民音楽協会を設立し、理事 となり、合唱活動に尽力。第2次世界大 戦後、同協会は全日本合唱連盟となり現 在に至る。また、学習院大学、お茶の水 女子大学、東邦音楽短期大学で後進の指 導にあたった。その他、大日本著作権協 会理事、音楽コンクール理事会顧問、文 部省大学設置委員会専門委員などを務め た。. 1950《現代フランス音楽》、. 1952自伝《音楽の花ひらく頃》.
(12) 第1章. 本居長世. 作曲家。本居宣長の正系。1908年. 1885−1945. 東京音楽学校卒業。同校の邦楽調査掛の. 東京都出身. 1買として長唄の調査を行なう。近世邦 楽から深く影響を受け宮城道夫らに協力. 日本歌曲の歴史. 露 1920《十五夜お月さん》 1921《青い目の人形》《七つの子》 《めえめえ子羊》《お山の大将》. して新日本音楽運動に参加した。また、. 1922《赤い靴》. わらべうたにおける言葉のアクセントと. 1927《汽車ポッポ》. 旋律の関係を研究し、童謡や歌曲に意識. 困. 的に活用した。. 1914《夢》《月の国》. 1914年ごろ小オペラ《夢》、おとぎ オペラ《月の国》などを発表したが、そ れより、大正末期の童謡作曲によって知 られている。それらは、近火邦楽的な要 素がみられるほか、転調が多いなど複雑 な技法も用いている。こうした童謡作品. は彼の3人の娘によってステージで歌わ れ、童謡隆盛期の一角を担った。. 山田耕俸. 作曲家。日本最初の世界的水準に立っ. 国. 1886−1965. 作曲家。わが国で初めて交響曲、交響詩. 1914・《マルーシャの歌》. 東京都出身. を作曲した。歌曲が特に有名である。. 1917《野薔薇》. 日本語の語感を生かした近代リート曲. 1920《風に寄せて歌える春の歌》. やオペラを作った。それは、欧米楽壇に. 1922《六騎》《かやの木山》. も認められた。彼は日本的な旋律は日本. 1923《鐘がなります》. 語の抑揚から導き出されると考え、日本. 《待ちぼうけ》《ペイチカ》. 語のアクセントの本質を直感的に捉え、. 1923−24《芥小粒夫人ポストマニ》. 強弱ではなく、高低の変化による日本語. 1925《からたちの花》. の抑揚に自然に従った旋律法、拍節法と. 1926《砂山》《こんこん小山》. リズムを用いるのが彼の注目すべき点で. 1927《赤とんぼ》《この道》. ある。. 1928《松島音頭》. 1908年東京音楽学校本科声楽科卒業. 1938《兵士の妻の祈り》.
(13) 第1章. 日本歌曲の歴史. 後、研究科に在学中にドイツ留学。ベル. 1943《連峰の雲》. リン音楽大学で、マックス・ブルッフ、. 1950《白ばらの歌》. カルル・ヴォルフに作曲を師事した。1. 国. 914年帰国後自作の交響楽作品演奏会. 1912《堕ちたる天女》. を行い、そのメンバーで東京フィルハー. 1931《あやめ》. モニーを組織する。1917年渡米し、. 1940《黒船》. カーネギーホールで自作管弦楽曲を演. 1947《香妃》. 奏、ニューヨーク近代音楽協会、全米演. 璽. 奏家組合の名誉会員となる。. 1912交響曲《かちどきと平和》. 1920年日本楽劇協会を興しオペラ 運動を行う。ユ922年北原白秋と雑誌 《詩と音楽》を創刊。1925年日本交 響楽協会を創設。その後もヨーロッパ、. ソビエトなどで音楽活動を行い、193. 1921交響曲《明治領歌》 1940交響詞《神風》 1947音調《曼茶羅の華》. 璽. 1909ヴァイオリン曲. 6年フランスからレジオン・ドヌール勲 章を受章。同年、ドビュッシー協会、サ. ン・サーンス協会名誉会員となる。19. 1928弦楽重奏曲N02,ピアノ曲 《からたちの花パラフレーズ》. 42年目本芸術院会員。1956年文化 勲章受章。. 中山晋平. 作曲家。日本民謡を基調とした大衆歌. 塵. 1887−1952. 謡の作曲家。1912年東京音楽学校卒. 1921《てるてる坊主》. 長野県出身. 業。ピアノを辛目ヨ延、理論をユンケル. 1924《兎のダンス》. らに師事。典型的な歌謡の形式ヨナ抜き. 1925《証城寺の狸購》. 陰旋法、4小節4段完結のパターンを打. 《雨降りお月さん》. 国. ち出した。. 新民謡作品も多く、民謡大衆化に貢献. 1919《背くらべ》. したとして1952年に日本民謡協会理. 1922《シャボン玉》. 事長、副会長、日本音楽著作権協会会長. 1923《砂山》. などを歴任。. 1924《あの町この町》. 同世代の山田耕篠、信時 潔らの在り方. 国. 9.
(14) 第1章. 日本歌曲の歴史. とは全く別に、専心民衆の友として存在. 1914《カチューシャの唄》. し、レコードでの大衆音楽の普及時代に. 睡. 際して大いに意味をもった。. 1921《船頭小唄野崎雨情調》 レコード作品. 1923《波浮の港》 1925《東京行進曲》. 信時 潔. 作曲家。山田耕搾とならんで日本作曲. 函. 1887−1965. 界の礎石となった正統的作曲家。191. 1919《小倉百人一首より8首》. 大阪府出身. ○年東京音楽学校卒業。研究科に進みチ. 1935《沙羅8曲》. エロ、作曲をウェルクマイスター、指揮. 1940代《古言25首》. 他をユンケル、和声、対位法をルドルフ・. ロイテルに師事。その後母校で教鞭をと. 睡. り、20年ドイツに留学。作曲をゲイル. 1937《大寺の》《海行かば》. ク・シューマンに師事。帰国後も母校で. 1938《国に誓う》. 教鞭をとり、多くの俊才を生む。彼は極. 1939《やまとには》. めてオーソドックスな手法を用いて穏 健、荘重な作品を残す。歌曲作品も多く、. また日本の管弦楽の発展にも力を尽くし た。. 1933《日本古謡4曲》《阿蘇》. 区. 1940《海道東海》. 匝. 1927《日本里謡集》. 1931《6つの舞踏曲》 1941《東北民謡集》. 弘田龍太郎. 作曲家。1914年東京音楽学校卒業。. 函. 1892−1952. 研究科ピアノに進み1916年修了。1. 1921《小諸なる古城のほとり》. 高知県出身. 919年同校の授業補助をつとめながら. 1925《千曲川旅情のうた》. 研究科作曲部も修めた。本居長世に師事。. アイヌ民族歌劇. 1920年同校の助教授になったころか. 1943《西浦の神》. ら童謡作品を多く書き始める。ほかに唱. 歌風様式の作品や歌曲なども書く。19. 10. 露.
(15) 第1章 日本歌曲の歴史. 28年文部省在外研究生としてドイツに. 1920《叱られて》. 留学。ベルリンでシュミットに師事。翌. 1922《浜千鳥》. 年帰国し同校の教授。退官後は作曲に専. 1921《雀の学校唱歌風様式》. 心。アイヌ民族歌劇《西浦の神》が注目. 1919《靴が鳴る唱歌風様式》. を集めた。作品は歌曲が主で、広く一般 に愛唱されたものが多い。. 第3期 作曲家名. 橋本国彦. 経歴・特徴. 主な作品. 作曲家、指揮者。東京音楽学校本科、研. 1904−1949. 究科でヴァイオリンと作曲を修めた。その. 東京都出身. 後、同校の講師、助教授を経て作曲科教授. となる。1934年文部省留学生として欧 米に留学、アロイズ・ハーバ、エルネスト・ クルシェネック、アノレノルド・シェーンベ. ルグなどに師事。1937年帰国。194 7年東京音楽学校作曲科主任教授を辞め るまで、他の音楽コンクールや、ビクター 管弦楽懸賞などの審査員も長くつとめた。 彼の本領は歌曲作品にある。特に初期の作 品に優れたものが多い。器楽曲では、紀元. 2600年記念の委嘱曲がある。わが国で は早くからフランス印象派の手法を敢り 入れた作曲家の1人。ドビュッシー風な近 代的デフォルメを加えた大胆なデタラメ. 一ションスタイルを持ち、長調短調の支配 をのがれようとする傾向を強く見せて、楽 壇に大きな衝撃を与え、日本歌曲史の転換. 11. 函 1028《お菓子と娘》《徽》 《斑猫》《笛吹き女》. 函. 1940《交響曲イ短調》 1934《夜曲》.
(16) 第1章. 日本歌曲の歴史. 点となった。. 1903−1977. 始める。1932年ベルリンに留学。作曲. 亟. 東京都出身. 理論をレオ・ジュラッテンホルツに師事。. 1928《朝の歌》. 第2次世界大戦まではもっとも盛んに作. 1929《坐しき秋》. 品を発表した。彼の作品はドイツで学んだ. 1931《乳母車》. 形式感をもとに、どっしりとしており、特 に対位法の知識と、作品にみるその能力は. 團. 日本における第1人者とうたわれた。第2. 1938《交響曲第2番0p.16》. 次世界大戦を境としてほとんど作品を発. 1944《交響曲第3番Op.25》. 表していない。その後、彼は長年文部省杜. 1951《交響曲第4番Op.27》. 会教育局に視学官として勤務した。だが、. 1970《交響曲第5番r大学祝典. 諸井三郎. 東京帝国大学美学科在学中より作曲を. 1926《風、光、木の葉》《少年》. 1934《交響曲第1番ハ短調Op.8》. 著書も多く、後進の指導をもって作曲界に 貢献した。門下生には、團伊久磨、矢代秋 雄、戸田邦雄、柴田南雄、入野義朗、陶野. 重雄など、第1線で活躍したものが多くい. る。また最晩年の1977年に書かれた《ピ. 交響曲」0p.29》. 函. 1943《こどものための小交響曲 (シンフォニユッタ)Op,24》. 1950《カンタータ. アノ協奏曲第2番》では、弟子たち(入野 義朗、柴田南雄)や息子(諸井誠)より数. 十年遅れて十二音技法による作曲を試み ており、作品数は少ないながらも新境地を. 切り開いていることは大いに注目に値す. 「平和の祈り」》. 團. 1936《チェロ協奏曲0p.12》. 璽. 1928《ヴァイオリン・ソナタ. る。作曲活動が下火になるのと対照的に、. 第1番》. 著作者としての顔が表に現れるようにな. 1937《フルート・ソナタ0p.15》. る。1946年からの20年間に、平均して年. 1977《ホルン・ソナタOp.32》. 2冊のぺ一スで著書を出版するほどに力. 團. を注いだ。. 1941《機能和声法》 1949《純粋対位法》 《作曲学研究》. 12.
(17) 第1章. 日本歌曲の歴史. 1957《楽式の研究》(全5巻). など多数. 国. 平井康三郎. 作曲家。1934年東京音楽学校卒業。. 1910’2002. ヴァイオリンをポーラックに、作曲と指揮. 1949《平城山》. 高知県出身. をプリングスハイムに師事。卒業後、研究. 1935《九十九里浜》. 科の作曲科に入り、1937年修了。在学. 1947《ゆりかご》. 高目ヨ三郎. 中、公声曲《大いなる哉1934》で作曲家. 《三つの挽歌》. としてデビュー、1936年第5回音楽コ. 《ふるさとの》. ンクールに公声曲《不尽山をみて1936》. 《合唱讃歌》. が第1位に入選。のち、NHK嘱託となり. 《夜曲》. 書き下ろし作品を多数発表。1939年∼. 《秘唱》. 47年東京音楽学校で理論・作曲を教え. 《しぐれに寄する粁情》. る。一方、弦楽四重奏団や合唱団を組織し、. 歌曲集《日本の笛》. 演奏、指揮にもあたる。1947年以降、. 歌曲集《日本の花》. 文部省教科書編纂委員となる。1965年. 男性合唱曲《太陽の子》. <詩と音楽の会>を結成、日本の新しい歌. 公声曲. 曲、合唱曲集の創作運動を行う。!973. 1934《大いなる哉》. 年紫綬褒章を受章。大阪音楽大学教授。一. 1936《不尽山をみて》. 般には歌曲作家として知られる。邦楽器を. 露. 用いた作品も目立つ。ドイツ古典および口. 1941《ひなまつり》. マン派の影響が色濃く、さらにその上に日. 1942《スキー》. 本民謡や邦楽の要素を加えた日本的作風. 1947《山のこども》. が見られるのが大きな特徴である。. 1949《とんぼのめがね》. 作曲家。1939年東京音楽学校卒業。. 1913−2000. 1941年同校研究科作曲部修了、194. 愛知県出身. 3年同校聴講科指揮部修了。この間、和声. 国 1950歌曲集《立原道造の詩に よる4つの歌》. を細川碧、片山穎太郎、プリングハイムに、. 1956《石川啄木短歌集》. 作曲を信時潔、ヘルムート・フェルマー、. 1958《前奏曲抄》. 管弦楽法をマンレート・グルリット、ピア. 1963《パリ旅情》,. 13.
(18) 第1章. 日本歌曲の歴史. ノを福井直俊に、指揮を口」ゼン・ジュト. 1967組曲《心の四季》. ックに師事。1949年平尾貴四男、安部. 1969合唱組曲《橋上の人》. 幸明、貴島清彦らと<他人会>を結成。す. 《水のいのち》. くれた室内楽曲や独唱歌曲を発表する。ま. 1980合唱《イザヤの預言》. た、長年にわたり、日本語歌詞による典礼. 璽. 聖歌の作曲も手がけている。国立音楽大学. 1941《山形民謡によるバラード》. 名誉教授、日本現代音楽協会委員長であ る。. 柴田南雄. 作曲家。1939年東京帝国大学理学部. 国. 1916’1996. 植物学科、1943年同美学美術史学科卒. 1943《海田章》. 東京都出身. 業。在学中より和声を細川碧、作曲を諸井. 1946−48《優しき歌》. 三郎氏に師事。1946年、戸田邦雄、別. 1952《朝の歌》. 宮貞雄らとグノレープ<新声会>を結成。後. 1971《み仏の春》. に、入野義朗とともに十二音技法を取り入. 1981《耳なし芳一》. れ、先進的音楽家の中心となった。195 7年、入野、諸井誠、黛敏郎らと<二十世. 国. 紀音楽研究所>を設立。国際的視野から現. 1971《花伝書》. 代音楽の動向をとらえ新しく展開してい. 1973《追分節考》. こうというねらいで、軽井沢現代音楽祭を. 1975《萬歳流し》. 継続してひらいた。偶然性の音楽や文学へ. 1976《念仏踊り》. の指向がみられ、1970年以降は引用や. 1980《長恨歌》. コラージュの技法を含んだ新しい作風を 形成し、多様な技法を用いた。. 1959《優しき歌、第2》. 璽. 1972−73《コンソート・オーブ・. オーケストラ》. 中田喜直. 作曲家。1943年東京音楽学校卒業。. 国. 1912’2000. 入学前はピアノを金子登、在学中は豊増. 1947《6つの子供の歌》 〔1.う. 東京都出身. 昇、田中規矩士に師事。陸軍航空士官とし. ばぐるま、2.烏、3.たあんきぽ. て応召、第2次世界大戦後1946年、柴. 一んき、4.風の子供、5.ねむの. 田南雄、入野義朗、別宮貞雄らの<新声会. 木、6.おやすみ〕. >に入会。数多くの歌曲を作曲する。19. 14. 《海田章》.
(19) 第1章. 日本歌曲の歴史. 55年、磯部傲らと<ろぱの会>を結成. 1949《夏の思い出》. し、新しい芸術的な子どもの歌を作る運動. 1950《マチネ・ポエチックによ. を行う。1960年代∼70年代は女声合. る4つの歌曲》〔1.火の鳥、2.さ. 噌を多く作曲する。フェリス女学院短期大. くら横ちょう、3.髪、4.真昼の. 学教授をつとめる。女声合唱や童謡を多く. 乙女たち〕. 作曲した彼は戦後の歌曲ジャンルのひと. 1953《雪の降るまちを》. つの作風をかたちづくった。作品の特徴は. 1966《日本のおもちゃの歌》. 平易な親しみやすさをもった叙情性と、だ. 合唱曲. れもがくちずさめるポピュラリティにあ. 1951《早春》. る。. 1954《美しい季節》. 1961組曲《海の構図》 1965組曲《みえないもいのを》 1969組曲《蝶》. 1971組曲《マダムサイト幻想》 1977《花のある街》. 團伊玖磨. 作曲家。中学時代、下総暁一に和声学を. 廼. 1924’2001. 師事。1945年東京音楽学校卒業。細川. 1946《6つの子供の歌》. 東京都出身. 碧、橋本国彦、諸井三郎らに師事。194. 《5つの断章》. 8年に交響詩《挽歌》、1950年《交響. 1948《萩原朔太郎に依る. 曲イ調》がNHK管弦楽懸賞に特選入選。. 4つの詩》. その後《夕鶴》が初演されると毎日演劇賞、. 1950《美濃びとに》. 山田耕搾作曲賞、伊庭歌劇賞を受賞するな. 合唱曲. ど注目されるところとなった。1953年. 1963カンタータ《岬の墓》. 芥川、黛らとグループ<三人の会>を結. 1968《築後川》. 成。華々しくジャーナリズムの中心とな. 1975《原艘剣舞連》. る。また、彼は、ポピュラーで親しみやす. 1977《西海讃歌》. い歌曲を多く作曲しており、戦後の山田耕. 国. 搾などと称される。随筆《パイプのけむり》. 1951《夕鶴》. シリーズもベストセラーであった。196. 1953《ききみみづきん》. 6年目本芸術院賞を受賞。1973年よ. 1972《ひかりごけ》. 15.
(20) 第1章. 日本歌曲の歴史. 函. り、日本芸術院会員。. 1949−65《交響曲イ調》. No1・No5、. 1954交響曲《シルクロード》 1965《祝典序曲》. 芥川也寸土. 作曲家。1949年東京音楽学校卒業。. 国. 1925’1989. 橋本国彦、伊福部昭、金子登らに師事。《交. 1949《車座集より5曲》. 東京都出身. 響三章1948》でデビュー。戦後派の第一. 1950《パプア島土蛮の歌2曲》. 戦にたつ。1953年、團伊玖磨、黛敏郎. 合唱曲. らとグループ<三人の会>を結成。ジャー. 1978《うたの旅I》. テリスティックな話題をふりまく。作品は. 1979《うたの旅■》. リズムに特徴があり、オスティナート手法. 1980《うたの旅皿》. を用いているものが多い。その他、童謡、. 国. ミュージカル、映画音楽にも多くの作品が. 1960《暗い鏡》. ある。著書に《私の音楽談義》などがある。. 璽 睡. 日本音楽著作権協会理事長。日本作曲家協 議会委員長。サントリー音楽財団理事。ア マチュアの新交響楽団の代表をつとめた。. 1948《交響三章》. 1953《弦楽のための三楽章》. 1953《煙突の見える場所》 1974《砂の器》 1977《八つ墓村》《八甲田山》. 困. 1951《河童》. 1969《蜘蛛の糸》. 放送劇の音’く. 1949−1951《えり子とともに》 1963・i964《赤穂浪士》. 16.
(21) 第1章 日本歌曲の歴史. 第4期 作曲家名. 経歴・特徴. 主な作品. 函. 石桁真礼生. 作曲家。東京音楽学校卒業。下総暁一に. 1916’1996. 師事。1943年《小交響曲》でコンター. 1947歌曲集《四つの詩》. 和歌山県. ル入選によって、作曲界に進出したが、第. 1949《笛を吹く女》. 出身. 一線に出てきたのは1952年のNHK. 1951《ふるさとの》. 放送作品、《2管編成のための組曲》によ. 1952歌曲集《秋の瞳》. ってである。作品は声をともなうものが多. 1953《きつね》. く、古典から現代に通ずる正統な音楽技法. 《若い日の歌》(全国唱歌ラジオ. を用いている点に特色を持つ。1946年. コンクール現NHK全国学校音. より、母校の講師、1968年に教授。音. 楽コング』ル高等学校の部課題. 楽学部長を1974∼78年までっとめ. 曲). た。著書には《楽式論》《楽典一理論と実習》. 1956 《鴉》. などがある。また、教育芸術杜の小学校の. 1959《鎮魂詞》. 音楽教科書の著作も担当していた。. 1960《築地聖路加病院》. 1979低声と室内楽のための《月 に吠える》. 1984歌曲集《貝殻》. 国 1肪4オペレッタ《河童謡》 1956オペラ《卒塔婆小町》 1964オペラ《ポエティク・喪服》. 函. 1989ヴァイオリンとオーケス トラによる《協奏的黙示》. 函. 1970《箏・鼓・尺による 無体の味》. 圏 《楽式論》《楽典・理論と実習》. 17.
(22) 第ユ章. 日本歌曲の歴史. 作曲家。東京大学理学部物理学科を. 廼. 1922.2012. 1946年に卒業。さらに同大学文学部美学. 独唱. 東京都出身. 科に入学し1950年卒業。のちフランスに. 1947歌曲集《海田章》. 渡り、パリ音楽院で、ダリユス・ミヨー、. 1951歌曲集《二つのロンデル》. 別宮貞雄. オリヴィエ・メシアンらに師事した。帰国. (第2曲さくら横ちょう). 後1955年から桐朋学園大学で教鞭を執. 1959歌曲集《在りし目の歌》. る。1961年から桐月月学園大学教授、1973. 1977歌曲集《三好達治による. 年から中央大学教授を務めた。中央大学の. 四つのうた》. 音楽研究会吹奏楽部から作品を委嘱され. 1982歌曲集《智恵子抄》. てもいる。翻訳家の別宮貞徳は実弟。. 合唱曲. 別宮は、作曲家としての理想像をべ一トー. 1958《万葉集による三つの歌. ヴェンであるとしており、調性もしくは旋 法性に依拠し、直裁で単純明快かつ打情的 な表現を得意とした。一方で、十二音技法. 落葉松》. 1967混声合唱のための組曲 《山の四季》. などの前衛的な手法に対しては、概して批. 1988女声合唱とピアノのための. 判的な態度をとった。ミヨーやメシアンに. 組曲《“ある噴水の物語”より》. 師事しているが、様式的に見てアカデミッ. 函. クな手法を守り抜いた。調性を固守する態. 1964《三人の女達の物語》. 度は同じフランスの先輩のジャン・フラン. 1979《葵上》. セと同じ世界で作曲している。1988年紫. 圃. 綬褒章、1994年勲三等瑞宝章。. 1961《交響曲第1番》 1975《交響曲第2番》. 函. 1964《管弦楽のための二章》. 圃. 1971《ヴィオラ協奏曲》. 室内楽・独奏曲 1953−54《フルートとピアノの ためのソナタ》. 18.
(23) 第1章. 林 光. 作曲家。4歳より自由学園の早期音楽教. 日本歌曲の歴史. 国. 1931−2012. 有を受け、10歳より尾高尚忠に作曲を学. 独唱曲. 東京都出身. ぶ。1951年に東京芸術大学に入学。池. 1968《空》. 内皮次郎に師事。1953年に退学。間宮. 合唱曲. 芳生、外山雄三と<山羊の会>を結成。当. 1959《蹄鉄屋の歌》. 時の政治的な現実に抵抗する姿勢で作品. 1960《アイヌの歌》. 発表を行う。在学中に《交響曲ト調1953》. 1976《マザーグースの歌》. が第8回芸術祭賞を受賞。1956年に. 1982《新原爆小景》. 《オーケストラのための変奏曲1955》で 第4回尾高賞を受賞。このほか代表作に合. カンタータ. 1958《原爆小景(第1部 水ヲ. 唱曲《原爆小景1971》がある。彼は同時 代の社会的な状況への認識を音楽に交錯. クダサイ)》. 1971《原爆小景第1部・第2部》. てとらえようとする<社会参加>の音楽. 璽. を書くひとりであった。また、言葉と音楽. 1955《オーケストラのための. させながら、それを自らの内部の問題とし. 1953《交響曲ト調》. の関係に独自の視点を持ち、声楽作品や、. 舞台音楽に注目すべき作品が多く、新しい. 変奏曲》. 函. 1968《72丁目の冬》. オペラ運動も行っている。. 歌劇・オペラ. 1958テレビオペラ 《あまんじゃくとうりこひめ》. 1961歌劇《絵姿女房》. 国 国. 1955’61《白毛女》. 間宮芳生. 作曲家。1952年東京音楽学校卒業。. 1929・. 作曲を池内友次郎、ピアノを田村宏に師. 独唱曲. 北海道出身. 事。1953年外山雄三、林光と<山羊の. 1955−68《日本民謡集第. 会>を結成。北海道、および東北出身の作 曲家の多くに、民族的な色彩が強いのは注 冒すべきことだが、彼の作品一覧を見ただ. 19. 1集∼第5集》.
(24) 第1章. けでも、民謡や童謡が標題になっているも. のが大半をしめており、絶対音楽としての. 日本歌曲の歴史. 合唱曲 《合唱のためのコンポジション》. 協奏曲にも、古い故郷の主題が少年時代の. 1959No1 1962No2. 思い出として現れるのである。彼はまた、. 1963No3,No4《子供の領分》. 日本の民族音楽の客観的な分析研究も行. 1966No5《鳥獣戯画》. っている。近年はジャズや非ヨーロッパ音. 1971No7《マンモスの墓》. 楽を含めた背景のもとにいっそう独自の. 1974No9 《変幻》. 世界を築いている。. 1981No10《北国の2つの歌》. 函. 1965《オーケストラのための2 つのタブロー》. 圃 1959《昔灘 人買太郎兵衛》 1974《鳴神》. ヨ 国. 1963《祇園祭》. 三善 晃. 作曲家。作曲を平井康三郎、池内友次郎、. 1933’. レイモン・ガロア=モンブラントに師事。. 1955《高原断章》. 東京都出身. 東京大学仏文科在学中にフランス留学。1. 1962《白く》. 955∼57年パリ国立音楽院に学び、1. 1963《四つの秋の歌》. 960年東京大学仏文科卒業。東大入学の. 1964《赤い日記帳より》. ころより作曲活動を始めた。鋭い感性と洗. 合唱曲. 練された作風が注目を浴びていた。《交響. 1962《3つの好情》. 3章1960》前後から、主題を緻密に変容. 1963《小さな目》. させていく語法を打ち出し、《弦楽四重奏. 1965組曲《月夜三唱》. 曲第2番1967》など自己の内面を投影さ. 1966組曲《四季に》. せるようなシリアスな作品を多く書く。1. 1968組曲《5つの童画》. 970年代に入ってから邦楽器を用いた. 1972《レクイエム》. 《トルスIV1971》や、社会的題材に目を 向けた合唱曲《レクイエム1972》、あるい. 20. 1973《3つの海のうた》 1975《狐のうた》.
(25) 第1章. 日本歌曲の歴史. 1975》など未知の感受性への探究の姿勢. 歴. がうかがえる。創作の態度はアカデミック. 1964《管弦楽のための協奏曲》. であり、新奇を好まず、十二音技法の音楽. 1969《変容秤情短詩》. や、偶然性の音楽には全く興味を持たなか. 1970《祝典序曲》. った。彼の作品に見られる特徴は繊細で緻. 團. は不確定性の要素をとりいれた《狐のうた. 密で、流暢に音楽が流れることや、響きが. 1960《交響3章》. 1954《ピアノと管弦楽のための 協奏交響曲》. よいことにある。. 1965《ヴァイオリン協奏曲》 1974《チェロ協奏曲》. 塾. 1959《トルス》I 1968《トルス》血 1971《トルス》1V. 21.
(26) 第1章 日本歌曲の歴史. 第3節 代表的な白本歌曲の作曲家たちの年代・タイプ別分類表 この節では、作曲家を6つのタイプに分ける。そして年代順に一覧表にしていく。. 1)ヨーロッパの模倣・ロマン主義の作曲家. ・滝 廉太郎1879・1903(第1期に活躍) ・山田耕搾 1886−1965(第2期に活躍). ・信時潔1887−1965(第2期に活躍) 2)フランス音楽の影響を受けた作曲家 ・菅原明朗 1897−1988. (第3期に活躍). ・橋本国彦 1904・1949. (第3期に活躍). ・深井史郎 1907−1959. (第3期に活躍). 3)民族楽派の作曲家. ・小松耕輔 1884−1966. (第2期に活躍). ・梁田.貞 1885.1959. (第1期に活躍). ・本居長世 1885.1945. (第2期に活躍). ・中山晋平 1887・1952. (第2期に活躍). ・藤井清水 1889・1944. (第2期に活躍). ・弘田龍太郎 1892・1952. (第2期に活躍). ・箕作秋吉 1895・1971. (第3期に活躍). ・清瀬保二 1900・1981. (第3期に活躍). ・松平頼則 1907’2001. (第3期に活躍). ・平井康三郎 1910−2002. (第3期に活躍). ・早坂文雄 1914・1955. (第3期に活躍). ・小山清茂 1914・2009. (第4期に活躍). ・伊福部昭 1914−2006. (第3期に活躍). ・林光 1931・2012. (第4期に活躍). 4)前衛派の作曲家. ・柴田南雄 1916−1996. (第3期に活躍). 22.
(27) 第1章 日本歌曲の歴史. ・入野義朗 1921−2009. (第3期に活躍). 5)アカデミック・保守的な音楽・古典主義の作曲家 ・諸井三郎 1903・1977. (第3期に活躍). ・中田喜直 1912・2000. (第3期に活躍). ・高田三郎 1913−2000. (第3期に活躍). ・石桁真礼生 1916・1996. (第4期に活躍). ・別宮貞雄 1922.2012. (第4期に活躍). ・三善 晃 1933一. (第4期に活躍). 6)戦前派・戦後派(ジャーナスティック)の作曲家. ・宅 孝二 1904・1983 (第3期に活躍) ・團伊玖磨 1924・2001 (第3期に活躍) ・芥川也寸志 1925・1989 (第3期に活躍). 年代別年表 年代. ○ ?[ロッバ. フランス音. の模倣・ロマ. 楽の影響. 民族楽派. 前衛派. 、 Aカデミツ. 戦前派・戦. ク・保守的. 後派. な音楽・古. ン主義. 典主義 明治. 維新 1868 1879‘1903. 滝 廉太郎. 小松耕輔 1884’1966. 梁田 貞. 188511959 本居長世 1885’1945. 23.
(28) 第1章. 年代. ○ ?[ロッバ. フランス音. の模倣・口. 楽の影響. 民族楽派. 前衛派. マン主義. アカデミツ. 戦前派・戦. ク・保守的. 後派. な音楽・古 典主義. 山田耕搾 1886−1965. 中山晋平. 信時 潔. 1887‘1952. 1887’1965. 藤井清水 1889−1944. 弘田龍太郎. 1892.1952. 箕作秋吉 1895’1971. 菅原明朗 1897’1988. 24. 日本歌曲の歴史.
(29) 第1章. 年代. ○ ?[ロッバ 一の模倣・口. フランス音. 民族楽派. 前衛派. 楽の影響. マン主義. 日本歌曲の歴史. 、 Aカデミツ. 戦前派・戦. ク・保守的. 後派. な音楽・古 典主義. 清瀬保二 1900−1981. 橋本国彦. 諸井三郎. 戦前派. 1903−1977. 宅 孝二. 1904−1949. 1904−1983. 松平頼則 1907−2001. 深井史郎 1907−1959. 平井康三郎. 大正. 1910‘2002. 1911. 中田喜直 1912.2000. 早坂文雄. 高田三郎. 戦後派. 1913−2000. 團伊玖磨. 1914−1955. 1924−2001. 小山清茂. 芥川也寸志. 1914−2009. 1925.1989. 伊福部昭 1914−2006. 柴田南雄 1916・1996. 石桁真礼生. 1916−1996. 入野義朗 1921−2009. 25.
(30) 第1章. 年代. ○ ?[ロッバ. フランス音. の模倣・口. 楽の影響. 民族楽派. 前衛派. マン主義. 日本歌曲の歴史. 、 Aカテミッ. 戦前派・戦. ク・保守的. 後派. な音楽・古 典主義. 別宮貞雄 1922−2012. 戦後派 團伊玖磨 1924・2001 芥川也寸志. 1925’1989 昭和. 1927 林 光 1931’2012. 三善 晃 1933一. 26.
(31) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 第2章. 日本歌曲の詩の分析. 歌曲において、詞、メロディー、伴奏はそのどれかひとつが欠けても、日本 歌曲として成立はしない。歌曲を作る上で、最初に作られるのが詩である。そ の詩の中に、例えば「花」という言葉があったとしよう。それは、単に野に咲 く「花」なのか、または、花瓶のなかの「花」なのか。何かの比喩なのか。と、 色々な解釈ができる。そして、その解釈に基づいて作曲家はメロディー、伴奏、 と曲を完成させていくのである。つまり、詩を解釈することは、その歌曲を解 釈する上で大変重要な役割を持っている。そういう理由からここに、各タイプ 別の作曲家の歌曲の詩の形式、内容及び特徴を分析する。. 第1節. ヨーロッパの模倣1ロマン主義の作曲家の歌曲の詩の分析. 特徴. 歌曲の歴史において、明治以降、洋楽が日本人によって作られるように. なった。第1期から第2期に、このヨーロッパの模倣・ロマン主義の作曲家た ちが活躍した。. 1.滝廉太郎:. 1)《荒城の月》2)《花》について. 1)《荒城の月》 作詞 土井晩翠 塵三翌 春高楼の 花の宴. めぐる盃 かげさして 千代の松が枝 わけいでし むかしの光 いまいづこ. 塵:垂i秋陣営の 霜の色 鳴き行く雁の 数見せて. 植うるつるぎに照りそいし むかしの光 いまいづこ. 塵…茎1今荒城の 夜半の月 かわらぬ光 たがためぞ 垣にのこるは ただかつら 松に歌うは ただ嵐 27.
(32) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 匿酉垂1天上影は かわらねど 栄枯は移る 世の姿. 写さんとてか今もなお 鳴呼荒城の 夜半の月 ・詩の形式. 七・五調。各4行。四連。 起承転結の形。 ・詩の内容及び特徴. 第一連は、天守閣での花見の宴の華やかな情景。. 第二連は、戦陣の厳しさを歌っている。会津若松の鶴ヶ城をイメージして し・る。. 第三連は、栄枯盛衰の無暗に対する思いを深めている。仙台の青葉城をイ メ]ジしている。. 第四連は、再度荒城を見上げ、人の世の無常を諦観している。 2)《花》 作詞 武島羽衣. 塵三田春のうら㌧の隅剛11 のぼりくだりの船人が 擢のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき 匿:国 見ずやあけぼの露浴びて われにもの言ふ桜木を 見ずやタぐれ手をのべて われさしまねく青柳を 塵…;国 錦おりなす長堪に. くるればのぼるおぽろ月 げに一刻も千金の ながめを何にたとふべき ・詩の形式. 七・五調。各4行。三連。’. 28.
(33) 第2章 日本歌曲の詩の分析. ・詩の内容及び特徴. 春燭漫の隅田川の美しさを歌っている。 第一連は、「擢のしずくも」のもは、擢のしずくでさえも、花吹雪のよう に見えると言いたい。それは、「ながめを何にたとふべき」という反語の修辞 法でもわかるように、たとえようもない美しさを表現している。 第二蓮は、この連は二行ずつ対比になっている。r見ずや」は修辞的疑問の 表現で、実際は、きっと見ているはずだ。という意味。 第三連は、r錦おりなす」(古今和歌集)、rげに一刻も千金の」(蘇載の詩一 節)は古典の引用である。. 2.山田耕俸 1)《鐘がなります》2)《この道》について. 1)《鐘がなります》作詞 北原白秋. 匿三重鐘が鳴ります かやの木山に. 匿雪山は 寒空 遠酋. 塵…雪一つ星さえ ちらつくものを. 睡垂1なぜに ちらりとも 出て見えぬ ・詩の形式. 五音、七音が主。二行、三行、二行、三行、四連。 ・詩の内容及び特徴. 晩秋から初冬にかけて、山々のつらなりの木立がすっかり落葉し、鐘の音 がかやの木の木立に響いている情景である。. 第四連は、若者がいとしい娘が家を出てくるのを今か、今かと待ち焦がれ ている様子を表現している。トつ星さえちらつくものを」とあるのは、若者 の気持ちのいじらしさを衝いた表現でもある。 29.
(34) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 2)《この道》作詞 北原白秋. 塵ミ垂1この道はいつか来た道 ああ さうだよ あかしやの花が咲いてる. 塵:璽 あの丘はいつか見た丘 ああ さうだよ ほら 白い時計台だよ. 塵…田 この道はいつか来た道 ああ一さうだよ や母さまと馬車で行ったよ. 匿酉理 あの票もいっか見た雲 ああ さうだよ 山査子の枝も垂れでる ・詩の形式. 五・七・二・四・五・七音、各三行。四連。起承転結の形式。 ・詩の内容及び特徴. 192ら年、白秋は鉄道省樺太観光団に参加し、一札幌の思い出を勇の子の 目を通して甑ったものである。季節は夏である。本州の夏では感じられない さわやかな印象の歌である。. rあかしやの柁」は夏の季語である。r白い時計台」は、札幌の時言十台。rあ. の丘」は、羊ケ丘。r馬車」は当時の重要な交通機関。現在は観光崩に使われ ている。r山古子」は中国産バラ科の落葉樹の低未で、春先に花をつけ、秋に 黄色の実を結ぶ。. 3.信時. 潔1)《北秋の》について. 1)《北秋の》作詞 清水重道. 匿三重北秋の かひ. 峡のこごしき道のくま. わが見し花に 名づけてよ 君 30.
(35) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 匿:固いなむしろ 君によそえて 呼ぱましものを. 匿≡1里みつみつし 白く小さき. 北秋の花 ・詩の形式. 第一連は五・七・五・七・七音、第二・三連は五・七・七音。四行・三行・ 三行。三連。. ・詩の内容及び特徴. 「北秋」は、地名ではなく、北方、北国の秋と捉える。. 第一連のr峡」はr山と山の間」の意味、rこごし」はr岩がむきだしで険 しい」の意味、「道のくま」は「道の曲がり際。かたすみ」に意味。「てよ」. は意志・完了の助動詞「つ」の命令形で、文を強めている。山あいの険しい. 道をたどっていると、そこに名もない花をみつけた。それに名前をつけてお くれという内容。. 第二連はrいなむしろ」のrいな」はr否」、rむしろ」は副詞のr寧ろ」 であるので、第一連の内容を翻し、花を傍らの女性にたとえ、愛をこめた賛 美の独白である。. 第三連の「みつみつし」は、本来は古代の氏族名「久米」の枕詞であるが、 可憐な花と作者の夫人の名前(みつ子)が関係しているとも思われる。. 31.
(36) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 第2節 フランス音楽の影響を受けた作曲家の歌曲の詩の分析 特徴 日本の歌曲の歴史においては、第3期(1928∼1952頃)にフランス音楽の影 饗を受けた作曲家たちが活躍している。中でも、橋本国彦は、ドビュッシー 風な近代的デフォルメを加えた大胆なデタラメーションスタイルを持ち、長 調短調の支配からのがれようとする傾向を見せ、楽壇に大きな衝撃を与え、 それは日本歌曲の転換点となったと言われている。 1.橋本国彦 1)《勘の花》2)《お菓子と娘》について. 1)《繭の花》作詞 北原白秋 今日も蔀の紫に、 棘が光れば目は暮れる。. 何時か野に来てただひとり 泣いた年増がなつかしや。 ・詩の形式. 七・五調。四行。平安時代末期の今様歌と同じ韻律。 ・詩の内容及び特徴. 今様歌と同じ韻律で、小粋な感じであり、人の世の「あはれ」の風情をう たいながらも、暗く沈んだりしない響きとなっている。 「年増」は「年増女」のことで、ここではおそらく二十代後半から三十前後 位。r娘盛りを過ぎた」というより、r女としてもっとも成熟した年頃」とい うニュアンスがある。. 作者が、少年の目、野原で遊んでいると、そこに大人の女の人がやってき て、その人は一人でさめざめと泣いていた。それは、少年の胸に驚きと憐欄 を湧かせたが、一方では、生の「女」の姿に何ともいえない艶めきをおぼえ、 息を呑むおもいでもあった。そして、今、春の夕暮れに見える勅の紫と光る 棟のような花弁に、あの目の女の人を思いだした。という内容の歌である。 2)《お菓子と娘》作詞 西條八十. 塵ミ垂1お菓子の好きな 巴里娘 ふたりそろえば いそいそと. 角の菓子屋へ ボンジュール 32.
(37) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 匿:璽選る間もおそし エクレール 腰もかけずに むしゃむしゃと 食べて口ふく 巴里娘. 塵…茎1残るなかばは 手に持って 行くは並木か 公園か 空1は五月の みずあさぎ. 匿酉垂1人が見ようと 笑おうと 小唄まじりで かじり行く ラマルチーヌの 銅像の 肩で燕の 宙がえり ・詩の形式. 七・五調。三行・三行・三行・四行。四連。 ・詩の内容及び特徴. 1924年から、作者がパリのソルボンヌ大学に留学した際の作品。 公園をお菓子を食べながら散策している巴里の娘たちの様子を描いている。 当時の日本では考えられない明るく自由な姿への憧れ、驚き、興味等が混じ っている。「選る間もおそし」は選ぶ間もなく。「エクレール」はエクレア。「み. ずあさぎ」は緑がかった薄い藍色。「ラマルチーヌ」は二月革命で活躍したロ マン主義の拝情詩人。ブローニュの森近くに銅像がある。. 33.
(38) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 第3節民族楽派の作曲家の歌曲の詩の分析 特徴. 日本歌曲の歴史においては、第2期以降第4期まで常に民族楽派の作曲 家だちは活躍している。西洋音楽が日本でも作曲されるようになり、めざま しく進化をしていく中で日本の作曲家が日本の音楽を再確認又は、軌道修正 のような形で、民族楽派の作曲家が表れている。 第2期においては、山田耕搾により、全音音階や、増減和音などの最新技 法を活用した見事な作品が書かれた一方で、小松耕輸、中山晋平、藤井清水 らが、徹底的に民族的春スタイルを打ち出したり、本居長世、弘田龍太郎ら が、邦楽に影響されている。 第3期では、橋本国彦らフランスの影響を受けた作曲家が活躍する中で、. 他方では箕作秋吉、清瀬保二などの民族楽派が表れ、民謡的表現を取り入れ た松平頼則や、少数民族の音楽を基礎に作られたものなども現れた。. 第4期では、12音技法など新しいスタイルが発展する中、日本の伝統的 な音楽が見直されたり、西洋音楽と日本の音楽を組み合わせたものもあらわ れた。そして、時代も現代へと移り変わり、日本の音楽といっても、近代的、 都会的なものが作られるようになった。. 1.小松耕輸 1)《毎》について 1)《母》作詞 竹久夢二. 塵三重1ふるさとの山のあけくれ みどりのかどに たちぬれて いつまでも われまちたまふ 母はかなしも. 塵:璽幾山河とほくさかりぬ ふるさとの みどりのかどに. いまもなほ われまつらんか 母はとほしも ・詩の形式. 五・七・七・五・五・七・七音。四行、四行。二連。. 34.
(39) 第2章 日本歌曲の詩の分析. ・詩の内容及び特徴. 第一連のrみどりのかど」は、作者の岡山の生家の門。rたちぬれて」は、 夜露・朝露やそば降る雨に濡れて立っているという意味。もちろん、母の様 子ではなく、何があっても、自分が名声を失い、孤独になっても、母は何の 変わりもなく、自分を迎えてくれるという思い。「われまちたまふ」に、母を 慕い、敬う思いがこめられている。. 第二連は、はるか遠くの故郷を偲ぶ思いから始まっている。「幾山河」は、 本来「いくやまかわ」と読むが、この曲では「いくさんが」と読む。「さかり ぬ」は、「遠くなるJという動詞!こ完了の助動詞「ぬ」がついた形。「まつら. んか」のrらん」は、r∼していることだろう」と、情景を思いやる助動詞。 遠く故郷を離れた自分を母は今でも待ってくれているだろうか。きっと待っ ていることだろう。あの門のところで。という意味の歌である。. 2.梁田 貞 i)《城ケ島の雨》. (この作品は山田耕搾、橋本国彦も作曲している。). 1メ《蛾ケ島の雨》作詞 北原白秋. 匿ミ璽 雨はぶるぶる 城ケ島の磯に 利休鼠の 雨がふる 塵:璽 雨は真珠か 夜明けの嚢か それともわたしの 忍び泣き とほ 塵…重1舟はゆくゆく 通り矢のはなを. 濡れて帆上げた ぬしの舟 匿酉璽 ええ舟は櫓でやる 櫓は唄でやる せんど. 唄は船頭さんの 心意気. 塵王国 雨はぶるぶる. 目はうす募る. 舟はゆくゆく. 帆がかすむ. ・詩の形式. 七・七・七・五音。各二行。五連。第四連の前のrええ」はかけ声。. 35.
(40) 第2章 日本歌曲の詩の分析. ・詩の内容及び特徴. 城ケ島は神奈川県三浦半島の最南端にある島。現在は、北原白秋の碑と記念 館がある。. 「利休鼠」は、利休好みの鼠色。緑がかった灰色のこと。「舟はゆくゆく」は 舟山の様子。「通り矢のはな」岬の地名。「濡れて」は、情事と雨に濡れてを かけてい一 驕B. 「ぬし」は、あなた。女性から男性へのよびかけ。「舟」「櫓」「唄」を重ねた 押韻効果が印象的である。. 女が男と別れたそぼふる雨の早朝、男の舟山を見送っている、そして舟が 見えなくなって女が泣きながら、高台に登り、もう一度男の舟の舟山を見る。 しかし、その舟はすぐに遠ざかり、再び女は悲しむという内容の歌である。 又、この詩を作った当時の作者は苦難の時代であり、「利休鼠の雨がふる」に その苦悩の心情を託して、「通り矢」は早くこの時が去ってほしいという願い であり、「船頭さんの心意気」は、再起への希望、「うす曇る」「帆がかすむ」. でその時の心情を表しているとも考えられている。. 3.本居長世 1)《白刃》について 1)《白刃》作詞 三木露風. 塵≡国照る月の かり. 影みちて. 雁がねの. さおも見えずよ. わが思う. 果もしらずよ. ただ白し. 秋の月夜は. 匿:雪吹く風の. 音さえて. 鮪の. 虫がすだくぞ. 何やらん 泣きあかせ. 心も泣くぞ 秋の月夜は. ・詩の形式. 五・七調。第一行のみ五・五音。各四行。二連。. 36.
(41) 第2章 日本歌曲の詩の分析. ・詩の内容及び特徴. 冴えわたる秋の夜空に煙娃と輝く月を仰ぎながら、孤独の思いをかみしめ る、格調高い詩である。. 「影みちて」は光がいっぱいという意味。「雁がねのさおも見えずよ」は雁 の鳴く声も聞こえないので、姿は見せてほしいものだ、という意味。rさお」 は長いもののたとえ。ここでは、雁がまっすぐに並んで飛ぶ姿。「わが思う果 もしらずよ」は、ひたすら静寂と月光にひたる孤独の心情が歌われている。「虫. がすだく」は、たくさんの虫が鳴くの意味。「何やらん」は、何なのだろうか という疑間の慣用句。. 4.中山晋平 1)《砂山》について 1)《砂山》作詞 北原白秋. 匿三重1海は荒海. 向こうは佐渡よ. すずめなけなけ. もう日は暮れた. みんな呼べ呼べ. お星さま出たぞ. 匿;国暮れりや砂山. 汐鳴りばかり. すずめちりぢり. 又風荒れる. みんなちりぢり. もう誰も見えぬ. 塵…;国 かえろかえろよ. ぐみ原わけて. すずめさよなら. さよならあした. 海よさよなら. さよならあした. ・詩の形式 七音調。各六行。三連。. ・詩の内容及び特徴. この詩は、中山晋平と山田耕搾の両氏によって曲がつけられている。両方 とも親しまれている。中山晋平の作品は、軽妙な民謡風のリズムで童謡風に なっている。山田耕搾の作品は荒波のかなたに浮かぶ佐渡島を望み、雄大な 情景を東欧風な流れの中に秘めた作品である。山田耕搾の作品とは対照的に、 全体に明るく、リズムに乗って軽妙に歌われる。 この詩は、作者が、新潟の小学校で開かれた音楽会に招かれて、会が終了 したあとに、感動的な童謡をと請われ書いた作品である。 作者が夕刻、寄居浜海岸に出ると、そこでどんよりと曇る空、見渡す限りの 37.
(42) 第2章 日本歌曲の詩の分析. ぐみ原に雀が飛び、はるか荒海のかなたに佐渡が見えた。その中で二、三、. 人のこどもたちが遊んでいる淋しい夕暮れの浜辺の情景をイメージして書い た作品である。. 「なけなけ」「ちりぢり」「さよなら さよなら」と重ねた言葉で、印象を深. めている。「ぐみ」はグミ科植物の総称で、葉は全縁の低木が多く、果実は食 用となる。. 5.弘田龍太郎 1)《浜千鳥》について 1)《浜千鳥》作詞 鹿島鳴秘. 匿三重 青い月夜の 浜辺には 親をさがして 鳴く鳥が 波の国から 生れ出る ぬれた翼の 銀のいる. 塵:国夜鳴く鳥の. かなしさは. 親をたずねて. 海こえて. 月夜の国へ 銀の翼の. 消えてゆく. 浜千鳥. ・詩の形式 七・五調。各四行。二連。. ・詩の内容及び特徴. この歌は、作者が新潟県柏崎市の審神海岸の浜辺をそぞろ歩いていた時、. 和田浦の浜辺で遊んでいた亡き愛娘の思い出がにわかに蘇り、作者を詩作へ と駆り立ててできた作品とされている。. 内容は、親を亡くした子どもの淋しさ、切なさを浜千鳥の声に重ね、温か いまなざしの中、いたわりや思いやりが歌われている。 「浜千鳥」は、浜辺にいる千鳥で、冬の季語。和歌では、よく「行方」や「跡」. といった語を導く時に用いられる。ここでは、親の行方を導いているとされ ている。. 38.
(43) 第2章 日本歌曲の詩の分析. 6.平井康三郎 1)《秘唱》について 1)《秘唱》作詞 西條人十. 塵三国ひとすじの青き葦さえ 吹き吹けば桂き音をしらぶ. 塵:璽ひとすじの畑とならば いつの目か君燃えざらむ 匿………ヨたまきはる命をかけて おみな. 愛はしきひとよ 女よ ・詩の形式. 五・七調。各二行。三連。第三連のみ、五・七・八・四音。 第三連の八は字余り。四は、単に字足らずではなくあえて、八・四として情 熱の昂ぶりを表現している。. ・詩の内容及び特徴. 第一連は、比喩的な表現。一本の葦でさえ、ひたすら吹けば音を出す。つ まり、私があなたへの熱い想いを持ち続ければ、いっかあなたも私の想いに 応えてくれるという内容。「吹き吹けば」は、ひたすら吹くという強調の言い 方。「しらふ」は、音楽を奏てるという意味の動詞。第一連、第二連ともに、 「ひとすじの」で歌い始めているのは、前述の繋がりを示す技巧である。. 第二連は、「いつの日か」の「か」は、反語を表す助詞で、文末の「∼ざら む」と呼応している。意味は、「いつの日かあなたもきっと燃えていることだ ろう」。. 第三連は、「たまきはる」は命の前に置く枕詞で、「この命をかけて想い続 けるわが愛しの人よ、真の女性よ」という熱い呼びかけで詞を閉じている。. 7.林光1)《四つの夕暮れの歌[1][4]》について 1)《四つの夕暮れの歌[1][4]》 作詞 谷川俊太郎 [1]夕暮は大きな書物だ すべてがそこに書いてある 始まることや 終わることや一 始まりも終わりもしないぺ一ジの中に 39.
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