1.はじめに
本誌の今回の特集企画の内容は、「日本語能力」というものをどのようにとらえるかと いう問題に関して、投稿者がそれぞれ自己の専門領域の視点から考えを述べるというもの である。ただ、筆者の専門は外国語教授法だが、種々の教授法理論について詳細に見て いっても、外国語/第二言語能力について明示的に記述されていることはなく、暗示的に でも記述している部分を分析しようとすると、長い引用やいくつもの関連文献への言及を しなければならない。そこで、個々の教授法理論には触れず、筆者が通常行っている初級 の日本語授業に折衷的に取り入れた教授法の理念やテクニックによる教室活動を紹介し、
筆者がそこで日本語能力をどのようにとらえているのかを示すことにする。
なお、本論を書くにあたっては、次の三つの図書が論をまとめるための主たる参考文献 になった。本論では、この三文献を引用するときは、出版年を記さず、著者名のすぐあ とにコロンを打ち、引用・関連箇所の所載ページを示す。(以下の著者名は、本稿での登 場順)
・白井恭弘(2008)『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』岩波書店
・ 縫部義憲(2001)『日本語教師のための外国語教育学―ホリスティック・アプローチと カリキュラム・デザイン―』風間書房
・ 塩谷奈緒子(2008)『教室文化と日本語教育―学習者と作る対話の教室と教師の役割』
明石書店
2.初級クラスの教室活動
本大学院研究科は、日本語教育の「理論と実践の融合」を図るべく、研究科の演習担当 の教員が、学内の日本語教育を一元的に管理する「日本語教育研究センター」という機関 の日本語授業を受け持っている。筆者は、現在、「総合日本語(集中)1-2」というクラス を担当している。このクラスは、一学期15週間を、週あたり90分× 10コマを使って主教
―その認知的側面・情意的側面・社会的側面―
川口 義一
1キーワード
日本語能力 初級日本語 教室活動 「文脈化」 「個人化」
材『みんなの日本語』Ⅰ・Ⅱを終わらせるコースであり、別科日本語専修課程の学生2と 一部の大学院生が登録する初級日本語クラスである。このクラスでの筆者の授業構成は、
だいたい以下のような内容になっている3。
1.「出席ゲーム」と名づけたウォーミング・アップ活動
2.学習項目の「文脈化」導入4
3.学習項目の練習(一部は「個人化」)
4.「個人化作文」の作成活動
5.テスト実施・回収および 前回のテスト・宿題などのフィードバック 6.テストの「チャンピオンのスピーチ」
7.宿題などの課題や教務的通知の配布
以下、この授業構成に見える教室活動について簡単に説明しておく。
まず、「出席ゲーム」であるが、これは、出席をとるときに、既習・未習の文法事項を 取り込んだ場面を作り、その場面の要請するところにしたがって学習者に特定の役割を演 じさせながら返事をさせる活動である。以下に、主教材23課に入る日のゲームを示す。
下線部は、主要文型の使われている箇所である。
教師が出席を取り、学習者 Aの名前を呼ぶ。しかし、学習者 Aは携帯メールを見
ている。近くの別の学習者Bが「Aさん、先生が呼んでいますよ。先生が呼んで いるときは、聞いていないとだめですよ」と注意する。
学習者 Aは、「あ!」と気づき、「先生、 A です。すみません、ここにいます」と答
える。教師がAの出席を確認し、あいさつをする。
Aは教師にあいさつを返し、そのあとBに「どうもありがとう」と礼を言う。学 習者Bは、Aに「あ、いいえ、ともだちですから」と答える
「出席ゲーム」では、未習事項を積極的に取り扱っている。そうすることで、文法事項 の特定文脈での使い方を理解する機会を与えるのである。しかし、この筋書きをモデル会 話にして、あらかじめ学習者に与えることはせず、口頭や板書で文脈を説明してから取り かかる。そのため、文脈と表現の関係が分かるまでに、相当な時間がかかることがある。
「チャンピオンのスピーチ」も、似たような練習であるが、こちらは、文法テストの最 高得点者を「チャンピオン」と呼び、クラスの前であいさつさせる活動である。スピーチ に用いられる言語形式は、2週間ごとに待遇レベルが高くなっていく。第5週目からは、
司会を立てることで、テストの成績に関係なく、司会者になった学習者にも発話練習の機 会が与えられるようにしてある。司会のことばも待遇レベルが徐々に上がっていく。以下
に、第1-2週・第7-8週・第11-12週の「チャンピオンのスピーチ」の実例を挙げる。下
線部は、文体のレベルを上げるキー表現である。
第1〜2週目:
チャンプ: みなさん、こんにちは。スミスです。きのうのテストのチャンピオンです。
どうもありがとうございました。
第5〜6週目:(司会の終了部分省略)
司 会: みなさん、こんにちは。司会のキムです。今週のチャンピオンは、スミス さんです。では、スピーチをお願いします。
チャンプ: みなさん、こんにちは。アメリカからまいりました、マイケル・スミスで ございます。おかげさまで、きのうのテストでチャンピオンになりました。
どうもありがとうございました。
第11〜12週目:(最初と3番目以降の司会部分省略)
チャンプ: みなさん、こんにちは。アメリカのシカゴからまいりました、マイケル・
スミスでございます。おかげさまで、きのうのテストでチャンピオンにな りました。これからも一生懸命勉強いたします。どうもありがとうござい ました。
司 会:スミスさん、おめでとうございます。
チャンプ:ありがとうございます。
司 会:いまのお気持ちはいかがですか。
これらのスピーチは、初回は教師のモデルを繰り返すことで伝えられ、その後プリント として渡されるが、チャンプ・司会ともプリントを読んではいけない。また、3週間目に は新しい表現が入っているので、どこが前と違うか改めて注意して聞かなければならない。
「授業構成」の「3. 練習」と「4. 作文」のところに見られる「個人化」というのは、文 型練習や会話練習の際に、すべて学習者自身のことについて話させ、書かせるということ である。したがって、教科書の本文会話や文型練習を扱うことは、ほとんどない。また、
この活動は、多くの場合、学習者同士あるいは学習者とボランティア5とのピア活動であ る。「出席ゲーム」の例を挙げた主教材23課練習時は、接続助詞トと形式名詞トキが主要 文法項目だったので、前者では「ひとりで暇なときには〜する」、後者では「こどものと きに、〜が私に「〜する/しないと、〜よ」とよく注意した」というトピックなどで、学 習者個々の生活や経験を表現させた。
3.教室における日本語能力の認知的側面
前章で紹介した教室活動では、学習者がどのような日本語能力を得ることが想定されて いるのだろうか。
まず、「出席ゲーム」は、ある程度複雑な話の流れになっているので、学習者はそれを 理解しなければいけないが、未習の項目も入っているため、はじめの何人かはもちろん、
途中の何人かもどうしていいのか分からず、そのために教師は何回も同じ説明を繰り返す ことなる。これは、基本的にはTPRの手法だが、この繰り返しによって多量のインプッ トが保証される。TPRの主唱者クラッシェン(Krashen, S.)の「インプット仮説」(白井:
93-100、113-116)は、主張が極端なところがありさまざまな批判を受けている(白井:
111-112、142-143)が、現在までの第二言語習得の研究には、インプットの重要性を否定 するものはない(白井:135、147)。そこで、インプットの機会を多くして、そこからゲー ムに潜むメッセージ(トとトキの文型で忠告ができる・教師や友人への応答には配慮を 持って)への理解に、そして言語構造の認知につなげるという教授方略には基本的に問題 はないと考える。
ただし、クラッシェン批判の「アウトプット仮説」(白井:142-143)に見るように、イ
ンプットを理解するだけでなくアウトプットも習得を助けるのではないかという研究(白 井:147-150、168)にも説得力があることから、「出席ゲーム」では、新しく導入された 部分についての正確さは求めないものの、学習者にはその文脈を表現する発話が求められ る。例示した「出席ゲーム」では、学習者A役の学生が教師に謝罪したあとに、「何をし ていたんですか」という教師からの質問を加えてみたところ、「友だちとメールをしてい ました」という反応があった。すると、それ以降はだれとメールをしていたか自主的に説 明する学習者が増え、中には「彼女からメールが来ました。先生、この日本語をtranslate してください」と教師に頼む学習者も現れた。「出席ゲーム」では、よくこのような独創 的な表現が生まれるが、それはこの活動が「インプット=インターアクションモデル」(白 井:150-153)になっており、状況としてはフィクションであっても、「意味交渉」が行わ れているからであろうと思われる。
このようにインターアクションの場が保証されるために、既出表現は「自動化」(白井:
111-113)されて、自然に使えるようになっていく。この「出席ゲーム」に出てくる「先 生が呼んでいますよ」という「中立叙述」表現も、主教材第14課導入の前日あたりから 登場しているので、この時点では「自動化」されている。そのため、教師はガをハで発話 する者には、正確さを意識させるために注意を促すが、「先生は…」と言い間違えて注意 を受けた者は、2010年度の秋学期では、30名を越す学習者の中でわずか2名であった。
「チャンピオンのスピーチ」も、このような「自動化」の例である。しかし、2週間経 つと、それまで「自動化」していたものはリセットされて新しいインプットが与えられる ため、こちらの理解も進めなければならない。しかし、すでにできている理解を土台にし て、それより少し上の段階の新しい項目を見つければよいため、「教授可能性仮説」(白 井:127)にかなった習得が可能になる。また、2週間の同じパターンの繰り返しのあいだ、
文法処理・語用論処理の時間が与えられるので、理解したインプットを「フォーカス・オ ン・フォーム」(白井:145)で再認知する機会が保証されていると考えてよい。
このように、「教授可能性仮説」で推奨されるような、少しずつレベルを上げた大量の インプットを与え、それをインターアクションの中でアウトプットにつなげていくのが、
このクラスの基本的な「学びの構成」であるが、そのためにはインプットの質がよくなけ ればならない(白井:153)。この「質的条件」がいかなるものであるか、まだ研究の余地 がある(白井:127)が、筆者はこれを「表現の機能が生きているもの」と考える。例えば、
上述の「出席ゲーム」では、「忠告・助言」表現の受け答えが、また「チャンピオンのスピー チ」では社会的レベルが同等の学習者間における、「一対多」の敬語表現が意図的に盛り 込まれている。このように、特定の表現がどのような人間関係と表現の意図をもって選ば れるかを示しつつ導入・練習し、学習者の日本語能力の認知的側面を支えることを、筆者 は「文脈化」と呼んでおり、これをインプットの「質的条件」と位置づけている。
4.教室における日本語能力の情意的側面
筆者の授業構成の中に「練習の一部個人化」や「個人化作文」という用語が見える。こ れについて筆者は、日本語能力の情意的な側面に関係する教室活動であると考えている。
外国語教授法の歴史の中で、現時点では、コミュニカティブ・アプローチの伝達能力重 視のパラダイムから「学習者主体」の人間を中心とした教育パラダイムへの転換が見られ るが、その中における研究課題は、学習の認知領域(第二言語習得過程・誤答分析)・情 意領域(自尊感情の発達)・社会=相互作用領域 (フィードバック行為・対人関係の発達)
を統合した教授法を導き出すことである(縫部:55-57)という意見には賛同できる。特 に、「コミュニケーション」を、コミュニカティブ・アプローチで言う社会言語学的能力 獲得の問題だけに限定せず、「インターアクション」としてとらえること、すなわち「今 ここで」生起していることを目標言語で表現し、他者からフィードバックを得る相互交流 としてとらえることが重要である(縫部:47)。このような相互交流は、お互いが尊重し あう協同的活動において効果的となり、そのような効果的なインターアクションを通じ て、学習者は目標言語で「自尊感情」「自己受容」「他者受容」を発達させ、不安感を減 少させて目標言語を使うことに自信を深めるのである(縫部:47-48)。このような観点か らは、外国語学習の本質を「目標言語のリアルなコミュニケーションを通して、自己の 成長・発達について語り、自分にとって重要なものを分かち合い、自己の確立を促す他 者との相互作用に能動的・自発的に参画すること」であるととらえる、モスコウィッツ
(Moskowitz, G.)の考え(縫部:103)には、大いに共感できる。筆者は、これを日本語 能力の情意的側面としてとらえたい。
そのような自己と他者との相互作用・相互交流を、日本語能力の伸長を保証するものと して筆者が用意しているものが「個人化」活動である。「個人化」というのは、学習項目 を使った表現の練習を、すべて学習者個人の感情・経験・思想に関して話させたり、書か せたりすることによって実施することである。というのは、自分にとって真実で、有意味 で、重要なことが何か、それを自分自身で考え、まず自分について表現して目標言語で交 換し合う「リアル・コミュニケーション」(縫部:188)が自己開示と他者理解を促すと考 えるからである。
「個人化」活動には、前述のとおり、「練習の一部個人化」と「個人化作文」があるが、
まず前者には、「個人化質問」や「グループワーク」がある。「個人化質問」は、文型練習 でよく行われる教師と学習者の応答練習であるが、教師が質問を連発していくところに特 徴がある。例えば、単純な動詞文の練習でも、教師の「朝ごはんに何を食べますか」の質 問に「パンを食べます」と答えたら、教師がさらに「どんなパンですか。ジュリアンさん はフランス人ですから、クロワッサン?」と尋ね、「はい、クロワッサンを食べます」と の答えにはさらに「それ、どこで買いますか」とか「日本のクロワッサンはおいしいです か」などと聞いていくことである。これによって、学習者の嗜好や生活の一部が明らかに なる。「グループワーク」は学習者が二人、三人でお互いのことを言い合い、聞きあう練 習で、例えば、「私は10年前上海に住んでいました。トムさんは、10年前どこに住んで いましたか」のような文型から始めて、そこでの生活や町の様子などについて語り合うも のである。「個人化作文」は、第2章で二例を挙げたが、ただ書かせるだけでなく、書い たものを読み上げさせて、他の学習者同士がその内容を理解するようにして他者理解につ なげている。
このような「個人化」活動によって、クラスは、その成員である学習者一人ひとりの
主体性・独自性が容認され、成員相互に柔軟で機能的かつ心理的に濃密な結びつきを持 つ「内集団化」(縫部:190-191)が起こる。これによってクラスには、成員である学習 者間の「援助的関係形成(ラポール)」を促進する「支持的風土」が醸成され(縫部:
179-204)、学習者は情意的に安定して相互交流ができ、日本語能力が伸びて習得が進むの である。もちろん、教師もクラスの成員であるため、教師と学習者はパートナーシップを 有するべきであり(縫部:47-48)、そのことは、教師にも自己開示を要請することになる。
前章で述べた導入の「文脈化」の際に、筆者は自分を話題にして例文を作ることがよくあ る。例えば、「忠告・助言」の機能を持つ表現を主教材の第23課で導入するとき、筆者の よく挙げる例は、「私の母は、私が食べてすぐに横になると、「ご飯を食べてすぐに寝ると、
ウシになるよ」と言いました」というもので、これを例として、学習者の子供の頃の、家 庭や学校での保護者からの「忠告・助言」を表現させている。その他にも、教師としては 教室風土が「防衛的」にならないように、学習者に対して非難・叱責・嘲笑ととられる行 為をしないように努力をし、またチーム・ティーチングの同僚である他の担当講師にもそ のように促している。
5.コミュニティにおける日本語能力の社会的側面
第3章で、筆者の運営するクラスでは、「文脈化」した質のよいインプットを志向しな がら「インプット=インターアクションモデル」の枠組みで授業を構成しているというこ とを示した。言語習得論からすれば、このインプット理解から表現の構造や機能を認知し ていくことが学習者に期待されているわけだが、ではその「認知力」というのは、教室と いうコミュニティのなかでは、どういう力なのであろうか。この問いに対する答えの一つ として「知的初心者」(塩谷:40)という概念が有効かと思われる。
「知的初心者」という術語は、教育学者ブラウン(Brown, A. L.)らが、教師が質問を出 し、学習者がそれに答え、教師がその答えに評価やフォロー・アップを加える「IRE/IRF 型クラス」(塩谷:28-29)を、協働的なディスコース・コミュニティに変えていく試みを 論じる枠組みの中で使用しているものである。ここでブラウンらは、学校教育における学 びを「徒弟制度」とのアナロジーで論じる研究に関して、学校における本物の活動とは
「 学習 の徒弟制」であり、「学習者が学ぶコミュニティ」であると述べ、さらにそのよ うなコミュニティでの「学習の熟達者」が「知的初心者」として社会に出て行くときには、
「伝統的な徒弟制度のように、最初に年季奉公に入った分野にずっと縛りつけられている のではなく、複数の実践文化の選択肢の中から選ぶことのできる素地を、身につけている」
はずだと主張する(塩谷:39-40)。
ブラウンらのこの議論は、特に成人の外国語教育について行われているものではないの で、本稿での日本語能力の議論に援用するには、より細かい議論が必要かもしれないが、
前章で引用した白井の著作からは、言語習得論が、そもそも言語習得が生じる教室や教室 外のコミュニティの中で「言語を学ぶ」ということが社会的にどういう意味があるのかを とらえようとはしていない(そこには学問的興味が向いていない)ように見えるので、広 く「ある社会集団の中で学ぶこと」の意味を教育学の知見に求めることには意義があるも
のと思われる。筆者の運営する初級クラスでは、「IRE/IRF型」の活動はあまりなく、事 前のメタ言語による説明もほとんどなしで、導入・練習に進むため、学習者はインプット の自立的な理解とインターアクションによる相手からの反応によって、学ぶべきものを見 つけていかなければならない。この教室は、学習者個人の日本語能力がこのような形で鍛 えられるのである。その際、日本語能力の認知的側面を支援するのが「文脈化」された導 入・練習であり、またその情意的側面を支えるのが、「支持的風土」の醸成を促す「個人 化」活動なのである。学習者は、このようなクラス内の支援を得て「学習の熟達者」とな り、やがて「知的初心者」として教室外の社会でも日本語能力を発揮して、自立した日本 語使用者となるのである。さらに言えば、学習者は前日のクラスで「学習熟達者」になっ たことを踏まえて、次のクラスではすでに「知的初心者」として新しく提示される「文脈」
に取り組み、そこから得たメッセージを自分のものにしながら、他の学習者とのインター アクションを通して、自己開示と他者受容を繰り返しつつ、佐藤学の言うように「自らの 内面を表現するという意味における自己実現」(塩谷:37)を行っているとも言えるので ある。
6.まとめ
本稿では、筆者の担当する初級日本語クラスの授業構成とそのなかの教室活動の紹介を 通して、筆者がとらえる日本語能力の概念を、その認知的側面・情意的側面・社会的側面 から描き出そうとしてみた。
まず、日本語能力の認知的側面は、与えられた状況からその意味するところを抜き出し、
それがどのような表現を通して描かれているのかを認識し、意味と表現の関係を習得する 力である。日本語の教室でその力の伸長を支え、言語習得を支援し促進させるために、筆 者は教師として、「文脈化」された学習素材での導入や練習を提供し、インプット=イン ターアクションモデルで多くのインプットの提供とアウトプットへの動機付けを行っている。
日本語能力の情意的側面は、「支持的風土」を持つ教室の中で学習者が自己開示と他者 理解を行って、積極的に「内集団」における相互交流に参画する力である。この力の伸長 を支えるために、筆者は「個人化」活動において学習者が他の学習者や教師とともに(ま た、クラス内のボランティアとともに)自己開示と他者理解を平行して行えるような機会 を与え、かつそれを妨げるような「防衛的風土」が発生しないように努めている。
日本語能力の社会的側面は、前述の認知的・情意的側面で日本語能力を身につけた学習 者が「知的初心者」となって社会の中でさらなる学びを獲得する力である。前章でも述べ たように「知的初心者」が出て行く「社会」は、教室外の社会でもよいし、さらに狭く「次 週のクラス」でもよいし、「中級のクラス」でもよい。また、「知的初心者」は、外国語教 育に特化した概念ではないので、学びの対象は日本語だけでなく、日本の歴史・習慣・人 間関係に関する知識や体験など、日本語能力の深化・伸張に関係するさまざまなものであ りうる。学習者のこの学びの力の十全な伸長のために、前述の日本語能力の認知的側面と 情意側面の伸長がともに保証されなければいけないのである。
本稿では、日本語能力を、初級日本語クラスの教室活動を言語習得論と教育学の視点か
らとらえる形で描いてみた。ただ、どちらの分野にもまだまだ分析の枠組みとして利用で きるものがあり、さらに心理学・大脳生理学・社会学・哲学などの分野からも日本語能力 の解明に援用できる知見や議論が存在するはずである。今後も、科学の諸分野に目を開き つつ、日本語能力の内実とその生成・発達・伸長のために教師ができることを考えていき たい。なお、本稿で議論した日本語能力は、日本語の初級学習者についてのものである。
筆者が長く初級のカリキュラム開発や教授法研究に関わっているために、具体的な分析が できるものとしてこのレベルの日本語能力に限定して論じているのだが、中級以上の日本 語学習や特定の言語的技能の学習についても、それぞれの実践者が同様の分析を行い、レ ベル別・技能別の日本語能力の記述を行っていき、それらの知見を集めることによって、
それぞれの分野6における日本語能力の個別性とそれらの間の普遍性とが徐々に明らかに なってくることを期待したい。
注
1 かわぐち・よしかず(早稲田大学大学院日本語教育研究科・教授)
2 学部・大学院に所属せず、1年の在籍期間中このセンターで日本語だけを学ぶ留学生。
3 2006年度以降、この構成はほとんど変わっていない。チーム・ティーチングの他の講師にも、こ の構成で勧めるように奨励していて、おおむね準拠してもらっている。
4 「文脈化」の概念については、参考文献の川口(2002)参照。
5 このクラスは、週5回のすべての授業に学部生・大学院生のボランティアを復数名入れている。
ボランティアは希望登録制で、各講師がその中から指名する。筆者のクラスだけは、大学院の「実 践研究」科目の対象クラスなので、この科目の受講者が自動的に参加している。
6 レベル別・技能別のほかに、学習目的に応じて「一般外国語」か「専門外国語」か、学習形態に 応じて「教室学習」か「自然習得」かなども、異なる「分野」としてそれぞれ個別の考察の対象 になるであろう。
参考文献
川口義一(2002)「「文脈化」による応用日本語研究―文法項目の提出順再考―」『早稲田日本語研究』
第11号、57-63、早稲田大学日本語学会
川口義一(2004)「表現教育と文法指導の融合―「働きかける表現」と「語る表現」から見た初級文 法―」『Journal CAJLE』第6号、57-70、カナダ日本語教育振興会
川口義一(2005)「表現教育への道程―「語る表現」はいかにして生まれたか」『講座日本語教育』
41分冊、1-17、早稲田大学日本語研究教育センター
川口義一(2008)「日本語教育の実践から見た第二言語習得研究」『第二言語としての日本語の習得研 究』、5-22、第二言語習得研究学会
塩谷奈緒子(2008)『教室文化と日本語教育―学習者と作る対話の教室と教師の役割』明石書店 白井恭弘(2008)『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か―』岩波書店
縫部義憲(2001)『日本語教師のための外国語教育学―ホリスティック・アプローチとカリキュラム・
デザイン―』風間書房