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高等学校日本史におけるBC級戦犯裁判に関する内容開発研究 : 単元「戦犯裁判を考える―BC級戦犯裁判を中心に―」

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(1)学位論文. 高等学校日本史におけるBC級戦犯裁判に関する内容開発研究 一単元「戦犯裁判を考える一BC級戦犯裁判を中心に一」一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科        教育内容方法開発専攻 認識形成系教育コース社会系教育分野 M11129B        金成 拓哉 主任指導教員 指導教員 副指導教員. 2012年12月20日.    難波 安彦    坂ロ 一成    吉水 裕也.

(2) 高等学校日本史におけるBC級戦犯裁判に関する内容開発研 究.  一単元「戦犯裁判を考える一BC級戦犯裁判を中心に一」一              目次. 序章・・・・・・・・・・・・・・・…  ■・・…  1     第1節 問題の所在と研究の目的・・・・・・・…  1     第2節 戦犯裁判の概念・・・・・・・・…  巳・・2         第1項 A級戦犯裁判・・・・・・・・…  2         第2項 BC級戦犯裁判・・・・・・・…  3     第3節 本稿の作業と意義・・・・・・・・・・…  3. 第1章 BC級戦犯裁判・・・・・・・・・・・・・…  5     第1節 戦争に関する国』際法・・・・・・・・・…  5         第t項 陸戦法規慣例条約(陸戦ノ法規慣例=関             スル条約)・・・・・・・・・・…  5         第2項 条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則                        ・ ・ ・ ・ ・6. 項項項項項項 項項項紳..     B へ4 第 第 第. 第3節 第4節. 123457 689C括. 第第第第第第.         第3項 俘虜の待遇に関する条約(ジュネーヴ条             約)           ・・…  14     第2節 BC級戦犯裁判の実態・・・・・・・・…  15 アメリが合衆国・ 大英帝国・… オーストラリア・ オランダ・… ブイリピン… 中国・・・… 1 国民党政府・ 2 共産党政府・ フランス共和国・ ソビエト連邦・・ 小括・・・…. BC級戦犯裁判の意義・.  ・15  ・17  ・18  ・19  ・20  ・ 21  . 2t.  −22.  ・22  ・23  .24 ・ ・24.  ・25.

(3) 第2章 戦犯裁判と教育・・・・・・・・・・・…  ’31 第1節 BC級戦犯裁判に関する教科書分析フレームワー. ク・・・・…31. 節節 節. 第第 第. 234. 第1項 分析の視点・・・・・・・・・…  31 第2項 分析の範囲・・・・・・・・・…  33 第3項 分析の方法・・・・・・・・・…  34 現行日本吏教科書における取り扱い・・…  34 地理と歴史の融合・・・・・・・・・・…  40 小括・・・・・・・・・・・・・・・・…  43. 第3章 BC級戦犯裁判を取り上げた授業モデルの開発 一単元「戦犯裁判を考える一BC級戦犯裁判を中心に一」一・・44    第1節 獲得させたい知識の構造・・・・・・・…  44    第2節 単元計画・・・・・・・・・・・・・・…  53    第3節 学習指導案・・・・…  ●●’●.●’○●58. 終章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…  95 謝辞. 資料編.

(4) 序章. 第1節 問題の所在と研究の目的  2012年で戦後67年が経過し、先の大戦が過去のものとなりつつ ある。しかし、ここ数年様々な分野において戦争というものがピッ クアップされるようになってきた。呉市海事博物館における戦艦大 和や、旧軍港所在地における海軍グルメ1などがそれに当たるだろ う。また、日本各地に残存している旧軍関係の建築物などにも注目 が集まっている。.  しかし、戦争というものは必ずしも明るい話題のみを提供してく れるものではない。暗く、それらを経験してきた人々を憂欝にして しまう話題も数多く持っている。それら多くの人々が経験してきた ことの多くが高齢化などにより、今現在、闇に埋もれていってしま っているのではないのかと筆者は危惧している。人間誰しも、憂欝 にさせること、思い出したくないことは胸の中に秘め、表には出し たくないものである。しかし、それではこれまで人々が経験してき た物事を後世に伝えていくことは困難になってしまう。歴史は、伝 えなければ考えることも理解することも出来ない。そのため、これ まで人々が経験してきた数多くの“歴史”を後世に伝えていく必要 があるのではないのか、と思うようになった。“歴史”を伝えていく だけが我々の仕事で「はない。これまで経験してきた“歴史”を伝え、. それらを学んだ上でどのように考えていくのか、どのようにそれら を生かし、今後生きていかなければいかないのかを考えていくこと こそが、“歴史”を学ぶことになるのではないだろうか。  そこで、筆者が注目したものが、戦犯裁判である。日本が戦争責 任を問われ、数多くの人々が戦争犯罪人として裁かれた裁判である。 戦犯裁判は、戦争を自虐的に捉える歴史観の中において、歴史の闇 に埋もれてしまった歴史とも言える。我々日本人の記憶の中に、戦 犯裁判という名前は残っていることが多いが、それを真摯に見つめ 直す機会を失している。そのため、戦犯裁判を改めて考え、何が悪 かったのか、何を学ぶことができたのか、将来に渡り何を伝えてい けるのか考える人は少ない。戦犯裁判を考え、どのように今後に生 かしていけるのか、今の国際社会において日本がどのようなスタン スでいる必要があるのかを考えていけないのは、しっかりとした内 容が教えられて来なかったからではないだろうか。そのため筆者は、 戦犯裁判を改めて考えていけるような授業開発を行う必要があると 考えたのである。また、現段階において、戦犯裁判という内容は、 漫画『はだしのゲン』2に代表されるように負の面を強調した内容 であることが多く、客観的に戦犯裁判の内容を見ることが出来てい. 1.

(5) ない。そのため、内容としてはかなり偏ったものが記憶されてしま っている。そのような偏った知識を断片的に教えるのではなく、様々 な要素を取り入れた授業設計を提案する必要がある。  以下は、高等学校地理歴史科同本史Aにおける科目目標である。 1 科目の性格と目標 (2)目標.  我が国の近現代の歴史の展開を諸資料に基づき地理的条件や世 界の歴史と関連付け、現代の諸課題に着目して考察させることによ って、歴史的思考力を培い、国際社会に主体的に生きる日本国民と しての自覚と資質を養う。3  つまりは、歴史事象のみで見るのではなく、地理的条件や世界の 歴史などの様々な要因と関連付けて考察させることにより、日本史 の歴史事象である戦犯裁判を世界の歴史の大きな流れの中で考えて いくことによって国際社会に主体的に生きる子どもたちを育成でき. るという趣旨と考えられる。そこで、本研究は、平成21年版学習 指導要領の趣旨を踏まえ、BC級戦犯裁判の正しい理解へと導くこ とが可能な授業モデルの提案を目的とする。.  なお、本研究で取り扱う戦犯裁判は、A級戦犯裁判ではなく、BC 級戦犯裁判であることを先にお断りしておく(両者の概念について は、節を改めて簡単に整理する)。. 第2節 戦犯裁判の概念     第1項 A級戦犯裁判  A級戦犯裁判とは、日本で行われたものは、極東国際軍事裁判(別 名東京裁判)を指し、ドイツで行われたものは、ニュルンベルク国 際軍事裁判を対象とする。これらが第二次世界大戦における戦争犯 罪を裁いた国際裁判である。本研究におけるA級戦犯裁判は、前者 の極東国際軍事裁判を指すものとする。A級戦犯裁判は極東国際軍 事裁判所条例によって規定された。極東国際軍事裁判では、従来か ら存在していた「通例の戦争犯罪」に加えて、侵略戦争の計画、準 備、瀾始、遂行などを犯罪とする「平和に対する罪」、一般市民に対 する虐殺などの非人道的行為を犯罪とする「人道に対する罪」が新 たな戦争犯罪概念として規定された。これまで国際法の概念として 定着していなかった、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」を法 制化したため関連法令が事後法であるといった批判を多く受けた。. A級戦犯裁判は、東京の市ヶ谷の法廷1箇所のみで開催された。そ のため、このA級戦犯は「日本の重大戦争犯罪人」と規定し、世界 中から注目を受ける裁判となった。軍の指導者や政府関係者が次々 と逮捕され、A級戦犯として法廷へと送り込まれた。日本では、28 人がA級戦犯として起訴され、東條英機を含む7名に死刑判決が出 2.

(6) され、刑が執行された4。.     第2項BC級戦犯裁判  次章において詳しく述べていくが、BC級戦犯裁判とは、陸戦法 規慣例条約及び条約附属書陸戦二法規慣例二関スル規則、俘虜ノ待 遇に関スル条約(ジュネーヴ条約)に違反し、俘虜や一般住民に対 して残虐行為を働いたり、虐殺、禁止されている行為を行った者を. 裁いた裁判のことを指す。なお、A級戦犯裁判とBC級戦犯裁判の 違いは、罪の軽重ではなく、適用法令や犯罪行為による(筆者の経 験からは、特に生徒の間では前者と解する傾向があるように見受け られるが、それは誤解である)。BC級戦犯裁判は、アジア・太平洋 地域8力国の合計49箇所の裁判地で裁かれた。A級戦犯裁判が、 東京の市ヶ谷1箇所のみで開廷されたものと比べると、BC級戦犯 裁判は、世界各地から注目を浴びることなく、粛々と裁判が進行し、 刑が執行されていった裁判であった。戦時中から戦争犯罪の捜査を. 行い、終戦後に関連法令の整備を行った。BC級戦犯裁判における 根拠法令は、事後法という批判を受けることが多々ある。BC級戦 犯裁判は、様々な問題を含んだ裁判であった。以下、BC級戦犯と 示すものはBC級戦犯、その他「戦犯裁判」と示すものは、A級戦 犯裁判及びBC級戦犯裁判両方を示すものとする。. 第3節 本研究の作業及び意義  本研究では主に次の2つの作業を行う。  第1に、戦犯裁判がどのような裁判であり、またどのような問題 や特色があったのかを先行研究をもとに整理を行う。その問題とは、 戦犯裁判の根拠法令の多くが事後法であったことであり、その特色 とは、地域によって背景・目的などの違いを持つものであった。こ うした作業はBC級戦犯を正しく理解するための必須の前提をなす。 さらに現代とのつながりという視点から、戦犯裁判の経験が戦後の 新しい秩序形成や、関連法令整備、国際刑事裁判所、国際司法裁判 所設置などに生かされたことも示す。  第2に、戦犯裁判に関する知見をもとに設定した教科書分析フレ ームワークを設定し、現行日本史教科書の分析を行い、それらの不 足を明らかにする。具体的には戦犯裁判を扱う上で特徴的な点であ る、根拠法令は何か、犯罪事実は何か、刑執行者数、BC級戦犯裁 判の地域による違いによる差異、徴用軍属記述。その他に、事後法. での裁判であった点、A級戦犯とBC級戦犯の違いという点を全て 記述したものがないことが明らかにする。これらを押さえない限り、 戦犯裁判を正しく理解することが出来ない。. 3.

(7)  そして以上の作業をもとに、本研究はBC級戦犯に関する授業モ デルを提案する。そもそもA級戦犯裁判に関する授業モデルや教授 書は稀少であり、BC級戦犯に関する授業モデルは開発されていな. ・レ祥力大まて人 青. ク. ﹄. ツ.  教. 一文. 年本. ド. 東 京 型 判 ハ ン. ブ. ﹃. 員. 会. 委 集. ク略. 編凱. ッ2.  溶. 4. 銘日. 縫畿. 鶴縫親 編. 絹. 親. .繕.  P. メう切Lッル洋0﹃丁年ハ9 ル言皮スログ間0治学0判9.                   . −る地レ湊ちい物23出4木. グををイコ軍平2・啓科01裁﹂ 軍の言う﹁海・庫沢部β京死 海も宣一ののる文中文版東書. 繍羅 輪鷲 麟欝 懸欝 灘難. できる。. 繋論驚恥. い。本研究はこうした空白を埋めることができる。「  そしてこれにより、子どもたちを戦犯裁判に対する正しい理解へ と導くことが可能となり、誤った知識を修正し、正しい知識を習得 させることができる。  こうした重要な空白を埋める点に、本研究の意義を認めることが.

(8) 第1章 BC級戦犯裁判 第1節 戦争に関する国際法  本節では、BC級戦犯裁判の具体的な中身に触れる前に、戦争に 関する国際法について見ていく。なお、国際条約の成文および注釈 については主に奥脇直也編『国襟条約集』有斐閣,2011年によった。 この場合、一々注記しないこととする。.     第1項 陸戦法規慣例条約(陸戦ノ法規慣例二関スル条約)  本項では、戦争に関する国際法の中でも、基本的な位置づけとな る陸戦法規慣例条約について見ていく。.  この陸戦法規慣例条約は、1907年10月18日の第2回ハーグ平 和会議で改正されたものである。その元となる条約は、1899年に第. 1回ハーグ平和会議で締結された陸戦ノ法規慣例二関スル1899年7 月29目の条約1である。そもそも、1899年に締結された第1回ハ ーグ平和会議で締結された内容は、これまでの歴史において成文化 されていなかった取り決めである。つまりそれまでの歴史において は、国際慣習法2として認知されていたものである。これを成文化 したものが、1899年忌締結された1899年の条約である。この1899 年の条約を改正したものが、本項で取り扱う1907年に締結された 陸戦法規慣例条約である。.  本条約は、陸戦法規慣例条約(通称ハーグ条約)と条約附属書陸 戦二法規慣例二関スル規則から構成される。本条約は、1899年の条 約に代わる条約として発展的解消を遂げるものとして締結された。 ドイツ、オーストリア、オランダ、日本など45力碁が締結した。 本条約は、陸上における戦闘行動のルールを定めた国際条約である。 条約自体は、前文及び9か条からなっており、具体的な法規内容に ついては、次項で述べる陸戦ノ法規慣例二関スル規則にゆだねられ ている。このように陸上における戦闘行動の決まりを定めた条約の ことを、陸戦法規3と呼ぶ。本条約は、陸上における戦闘行動の決 まりを定めた国際条約である。具体的には、交戦者同士の行動の決 まりを定めたものであり、陸上における戦闘行動の他、開戦におけ る場合は宣戦布告を行うこと、などの決まりを設けてある。以下で 条約の内容をかいつまんで見ていく。 第一条【軍隊に対する訓令】 締約国ハ、其ノ陸軍軍隊二対シ、本条約二付属スル規則二適合スル 訓令ヲ発スヘシ。. 5.

(9)  本条は、締約国が自国陸軍軍隊に対して、この条約を遵守するよ うに教育する義務を負うとする。本条に違反し、自国陸軍軍隊にお いて教育を行わなかった場合には、以下のような罰則規定が明記さ れている。. 第三条【違反】. 前記規則ノ条項二違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ之力賠 償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人 員ノー切ノ行為二付責任ヲ:負フ。.  本条は、軍隊4という国家の1機関が起こした責任は、その軍隊 を設置する国にあるという趣旨である。軍隊を構成する人員一人ひ とりの責任が国にあることを定めた。そのため、国家は責任を持っ て自国陸軍軍隊に対して、本条約の内容を教育しなければならない。 つまり、本条約を締結した国家に所属する軍隊は、本条約の内容を 知らないということが抗弁できないことを示している。  このように本条約には、各締結国における内容の周知徹底と、違 反が行われたときの罰則規定が明記されている。なお、大日本帝国 は、本条約を1912年2,月12日’に批准している。.     第2項 条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則  本項では、条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則について見て いく。本規則は、前項で見てきた陸戦法規慣例条約における附属書 であり、全56ヵ条からなり、陸戦に関する諸規則の大部分を集め た包括的なものである。この本規則は、陸戦法規の法典5とも言え るものとなっている。陸戦法規慣例条約と本規則とを併せてハーグ 陸戦条約とも呼ばれる。なお、本項においては、全条項を見ていく ことはしない。次節の考察に必要な限りで見ていくものとする。以 下では、まず本規則の構成を示す。 (表1−1:条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則) 第一款. 穿ェメ. 第一章  交戦者ノ資格 (第一条∼第三条) 第二章  俘虜 (第四条∼第二十条) 第三章  病者及び傷者 (第二十一条). 第二款  戦闘. 第一章  害敵手段、包囲及び砲撃(第二十二条∼第. @              二十八条) 第二章  間諜 (第二十九条∼第三十一条) 第三章  軍使 (第三十二条∼第三十四条) 第四章  降伏規約 (第三十五条). 6.

(10) 第三款. 第五章  休戦 (第三十六条∼第四十一条) (第四十二条∼第五十六条). G国ノ領土二 翼Pル軍ノ権. ヘ.                         (筆者作成)  では、中身を見ていくことにする。第一款、第一章では交戦者を 定めている。. 第一条【民兵と義勇兵】 戦争ノ.法規及権利義務ハ、単二之ヲ軍二適用スルノミナラス、左ノ 条件ヲ具備スル民兵及義勇兵団ニモ亦之ヲ適用ス。 一、 部下ノ為二責任ヲ負フ者其ノ頭二丁ルコト ニ、 遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽ヲ有スルコト 三、 公然兵器ヲ携帯スルコト 四、 其ノ動作二付戦争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト. 民兵又ハ義勇兵団ヲ以テ軍ノ全部又バー部ヲ組織スル国二黒リテ ハ、之ヲ軍ノ名称中二包含ス。.  交戦者の資格として、ここでは、軍隊の他に民兵や義勇兵団も軍 隊と見なすものとしている。民兵や義勇兵団であっても、部下の責 任を取る責任者がおり、遠方から見てすぐに軍隊であると識別でき るような容姿や印をしており、武器を公然と持ち歩いている。また、. それらの動作が戦争の法規慣例に関わる条約を遵守しての行動であ ること。これらの条件が揃っていると、民兵や義勇兵団であっても、. 無条件で交戦者として認定がされてしまう。また、彼らが敵地で捕 らえられるようなことがあった場合には、正規軍と同じ扱いで俘虜 とされる。.  第二章では、俘虜の取り扱いを定めた条項が並んでおり、各国が 俘虜を得てから、戦闘が終結し俘虜を解放し、本国へ俘虜を帰還さ せるまでの流れが規定されている。以下では、その内容を具体的に 見ていくものとする。 第四条【取扱い】. 俘虜ハ、敵ノ政府ノ権内二属シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内 二属スルコトナシ。俘虜ハ人道ヲ以テ取扱ハルヘシ。 俘虜ノー身二十スルモノハ、兵器、馬匹及軍用書類ヲ除クノ外、依 然其ノ所有タルヘシ。. 7.

(11)  俘虜の取扱いを示した条項である。俘虜の取扱いはあくまで、敵 国政府がその権力を持っている。そのため、俘虜を捕らえた個人や 部隊の権力が俘虜には及ばないとしている。つまり、俘虜の扱いで 個人や.部隊が不都合な取扱いを行った際には、責任を問われるのは 部隊や個人はもちろんのこと、俘虜取扱いの責任者でもある政府に も責任が及ぶということになる。俘虜の取扱いについては、人道を もって取り扱うべし、という注釈がついている。戦時中であっても、. 俘虜を同じ人間として扱うことを定めている。ここでは、俘虜の身 辺に身に付けられるものとして兵器、馬匹、軍用書類以外のものは、 俘虜の身辺で身に付けることが可能であるとしている。次に、俘虜 の使役にかかわる次項について見る。 第六条’【使役】. 国家ハ、将校ヲ除クノ外、俘虜を其ノ.階級及技能二応シ労務者トシ テ使役スルコトヲ得。其ノ労務ハ、過度ナルヘカラス。又一切作戦 動作二関係ヲ有スヘカラス。俘虜ハ、公務所、私人又ハ自己ノ為二 労務スルコトヲ許可セラルルコトアルヘシ。国家ノ為ニスル労務二 筋テハ、同一労務二使役スル内国陸軍軍人二適用スル現行定率二拠 リ支払イヲ為スヘシ。右定率ナキトキハ、其ノ労務二対スル割合ヲ 以テ支払フヘシ。. 公務所又ハ私人ノ為ニスル労務二関シテハ、陸軍官憲ト協議ノ上条 件ヲ定ムヘシ。. 俘虜ノ労銀ハ、其ノ境遇ノ難苦ヲ軽減スルノ用二供シ、剰余ハ、開 放ノ時給養ノ費用ヲ控除シテ之ヲ俘虜二交付スヘシ。  将校を除く俘虜を階級や技能に応じて労務者として用いることを 認めている。しかし、作戦行動外の労働に俘虜を従事させることの み認めている。また、俘虜の労働は、私的な労働は許可してはなら ないとしているが、仮にその私的な労働を行った際には、陸軍関係 者と協議の上でその労働条件を定めることとしている。俘虜が国家 のために労働をした場合は、同一国の軍人が同じ労働を行った場合 と同じ率で賃金を支払わなければならないとしている。  このように、俘虜を労働に使用することは禁止されていない。し かし、様々な条件が課されたり、労働を行わせた際には、その対価 となる賃金を俘虜に支払わなければならないものとしている。つま り、俘虜に労働を行わせて賃金を支払わないことは違法行為となる。 次に、俘虜に対する給養についての条項を見る。. 8.

(12) 政府ハ、其ノ権内二三ル俘虜ヲ給養スヘキ義務ヲ有ス。交戦者二二 特別ノ協定ナキ場合二於テハ、俘虜ハ、糧食、寝具及被服二関セ之 ヲ捕ヘタル政府ノ軍隊ト対等ノ取扱ヲ受クヘシ。  政府は、その権力が及ぶ範囲内にいる俘虜を給養すべき義務を負 う。交戦者同士において特別な協定がない場合には、その権力内に いる俘虜は糧食、寝具、被服に関して俘虜を得ている側の軍隊と同 じレベルの取扱いをしなければならないと取り決めている。次に、 俘虜の処罰に対する条項を見る。 第八条【処罰】. 俘虜ハ、之ヲ其ノ権内二属セシ刻苧ル国ノ陸軍現行法律、規則及命 令二服従スヘキモノトス。総テ不従順ノ行為アルトキハ、俘虜二対 シ必要ナル厳重手段ヲ施スコトヲ得。逃走シタル俘虜ニシテ其ノ軍 二達スル前又ハ之ヲ捕ヘタル軍ノ占領シタル地域ヲ離ルルニ先チ 再ヒ捕ヘラレタル者ハ、懲罰壁付セラルヘシ。 俘虜逃走ヲ遂ケタル後再ヒ俘虜ト為りタル者ハ、前ノ逃走二対シテ ハ何等ノ罰ヲ受クルコトナシ。.  俘虜は、俘虜となった国家の陸軍における法律、規則または命令 に服従しなければならない。命令違反などの不従順な行為があった 場合には、厳重手段を施すことが可能である。しかし、この厳重手 段が何を意味するのかといったことはこの条項には出てきていない。 また、俘虜が逃走し相手国の占領地に到着する前に脱走俘虜を確保 できた際には、捕らえることができた俘虜に対しては、懲罰を加え ることができる。しかし、逃走した俘虜が逃走を成功させた後に、 再び俘虜となった際には、先に逃走した際の罪は問われないものと している。次に、俘虜の解放についての条項を見る。 第十条【解放】. 俘虜ハ、其ノ本国ノ法律力之ヲ許ストキハ、宣誓ノ後解放セラルル コトアルヘシ。此ノ場合二於テハ、本国政府及之ヲ捕ヘタル政府二 対シ、一身ノ名誉ヲ賭シテ、其ノ誓約ヲ厳密二履行スルノ義務ヲ有 ス。. 前項ノ場合二於テ、俘虜ノ本国政府ハ、之二対シ其ノ宣誓二違反ス ル勤務ヲ命シ、下呂之二服セムトノ申出ヲ受諾スヘカラサルモノト ス。. 本国の法律が宣誓を行った後に解放を行うことがあるとしている。. 9.

(13) その宣誓が行われ解放された場合には、本国政府や俘虜として捕ら えていた国家に対して一身の名誉を賭けて宣誓した内容を厳密に履 行する義務を有する。本国政府は、俘虜が本国に帰還した後に、そ の宣誓を反故にするような勤務を命じたり、宣誓を反故にしたりす る恐れがある勤務の申し出を拒否することを拒んではいけない。  これまでは、第一至忠二章における俘虜の取扱いについて見てき た。同第三章は、この章は病者及び傷者の取扱いについて規定する。 第二十一条の病者及び傷者の取扱いについては、ジュネーヴ条約に 拠るものである。.  第二款では、戦闘に関する条項が列挙されている。第一章におい ては、忌敵手段、攻囲及砲撃についての事項が列強されている。. イロハ. 第二三条【禁止事項】 特別ノ条約ヲ,以テ定メタル禁止ノ外、特二禁止スルモノ左ノ如シ。. ト. 毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト 敵国又ハ敵軍二属スル者ヲ背信ノ行為ヲ以テ殺傷スルコト 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコ. ホ. 助命セサルコトヲ宣言スルコト 不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スル コト. 軍使旗、国旗其ノ他ノ軍用ノ標章、敵ノ制服又ハ「ジェネヴァ」 条約ノ特殊徽章ヲ檀二使用スルコト 戦争ノ必要上万己ムヲ得サル場合ヲ除クノ外敵ノ財産ヲ破壊 シ又ハ押収スルコト チ 対手当事国国民ノ権利及訴権ノ消滅、停止又ハ裁判上不受理ヲ 宣言スルコト 交戦者ハ、又対手当事国ノ国民ヲ強制シテ其ノ本国二対スル作戦動 作二十ラシムコトヲ得ス。戦争開始前壷ノ役務二服シタル場合ト錐. へ. ト. 亦同シ。.  この条項は、戦闘行動における禁止事項を示す。毒を使った兵器 や、武器を捨て降伏してきた敵対国軍人を殺傷すること。助命しな いことを宣言すること、敵戦闘員に対して不必要な苦痛を与えるよ うな兵器を使用すること、軍使旗・国旗・ジュネーヴ条約で示され た特殊な標識を無条件に使用すること、戦争上必要な場合を除き、 外敵の財産の破壊を行ったり、押収したりすること、相手国国民の 権利・義務の消滅や停止などを宣言すること、などが禁止事項とし て挙げられている。これらは、戦闘行動時の禁止事項であるが、こ れは戦闘員のみに限らず、相手国一般国民も対象となっている。次 10.

(14) に、戦闘行動における都市の攻撃について見る。 第二五条【防守されない都市の攻撃】 防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段二選ルモ、 之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス。.  防守されていない都市へは、どんな手段であっても攻撃をしては ならないものとされる。つまり、戦闘員がいないと分かっているよ うな都市に一方的に攻撃を加えた場合、この条項に違反することに なる。’次に、戦闘行動における略奪行為について見る。 第二八条【掠奪】. 都市其ノ他ノ地域ハ、突撃ヲ以テ攻取シタル場合ト錐、之ヲ掠奪二 三スルコトヲ得ス。.  都市やその他の地域について、突撃によってそれらを占領したと しても、掠奪はしてはならないとしている。  次に、第二章間諜について見る。 第二九条【間諜の定義】 交戦者ノ作戦地帯内二於テ、対手交戦者二間諜スルノ意思ヲ以テ、. 隠密二又ハ虚偽ノロ実ノ下二行動シテ情報ヲ蒐集セムトスル者二 非サレハ、之ヲ間諜ト認ムルコトヲ得ス。. 二二変装セサル軍人ニシテ情報ヲ蒐集セムカ為敵軍ノ作戦地帯内 二進入シタル者ハ、之ヲ間諜ト認メス。又、軍人タルト否トヲ問ハ ス、自国軍又ハ敵軍二重テタル通信ヲ伝達スルノ任務ヲ公然執行ス ル者モ亦之ヲ間諜ト認メス。通信ヲ伝達スル為、及総テ軍又ハ地方 ノ各部間ノ連絡ヲ通スル為、軽気球ニテ派遣セラレタルモノ亦同 シ。.  本条は、間諜つまりスパイを定義する。本条によれば、以下の4 項目に該当する者が間諜である。. ①交戦者の作戦地帯内において、相手側に通報する意思を持って隠  密に又は、虚偽の理由にて行動し、情報収集を行っている者。 ②交戦者の作戦地帯内において変装した軍人によって情報収集を  行っている者。. ③軍人や民間人間わず、自国軍又は相手国軍に対して情報を伝達し  ようとする者。. ④通信伝達目的や、各部問の連絡のために軽気球に乗って派遣され. 11.

(15) た者。. 次に、間諜を発見した際の対応について見る。 第三〇条【間諜の裁判】. 現行中興ヘラレタル間諜ハ、裁判ヲ経ルニ非サレハ、之ヲ罰スルコ トヲ得ス。.  本条は、間諜の裁判について規定する。、間諜であっても、裁判に かけ罰則を決めることを規定している。つまりは、即決で刑を決定 することは禁止されており、必ず裁判を経由させることを規定して いる。.  次に、第三章軍使と第四章降伏規約である。第三章は、軍使の扱 いや義務を規定した条項となっている。また、第四章は降伏規約と なっており、降伏する軍人に対しては、軍人の名誉を重んじた対応 をするように規定している。また、降伏規約は双方が一旦確定した ものは、確実に当事者双方が厳密に降伏規約を遵守すべきであると 規定している。次に、第五章の休戦を見る。 第三六条【作戦動作の停止】 休戦ハ、交戦当事者ノ合意ヲ以テ作戦動作を停止ス。若其ノ期間ノ 定ナキトキハ、交戦当事者ハ、何時ニチモ再ヒ動作ヲ開始スルコト ヲ得。但シ、休戦ノ条件二遵依シ、所定ノ時期二於テ其ノ旨敵二通 告スヘキモノトス。.  本条は、作戦動作の停止について規定する。休戦は、交戦当事者 間の合意があれば作戦行動を停止するものとしている。しかし、あ くまで休戦は休戦であり、作戦行動を再開することが可能である。 その場合には、当事者間において通告を行った上で作戦行動が可能 となる。そのため、一方的に休戦協定を破り作戦行動を開始するこ とは、、違反行為となる。次に、休戦の種類について見る。. 第三七条【全般的と部分的の休戦】 休戦ハ、全般的又ハ部分的タルコトヲ得。全般的休戦ハ、普ク交戦 国ノ作戦動作ヲ停止シ、部分的休戦ハ、単二特定ノ地域に於テ交戦 軍ノ或部分間二之ヲ停止スルモノトス。.  本条では、休戦には全般的休戦と部分的休戦の2種類があること が明記されている。前者は、交戦国同士が、作戦行動の一切を停止 することであり、後者は、交戦国同士が全面的に作戦行動を停止す. 12.

(16) るのではなく、単に特定に地域において部分的に停止することであ る。次に、休戦の通告について見る。 第三八条【通告】. 休戦ハ、正式二軍適当ノ時期二審テ之ヲ当該官憲及軍隊二通告スヘ シ。通告ノ後直二又ハ所定ノ時期二至リ、戦闘ヲ停止ス。  休戦を行うに当たっては、正式にかっ適当な時期に当該官憲及び 軍隊に通告を行わなければならない。正式にかっ適当な時期に通告 を行わないといつまでも作戦行動を停止することができないためで ある。そのため、通告を早急に行う必要が出てくる。通告の後に、 定められた時期に至ると、戦闘行動を停止することになる。次に、 停戦規約違反について見る。 第四〇条【違反】. 当事者ノー方二号テ休戦規約ノ重大なる違反アリタルトキハ、他ノ ー方ハ、規約廃棄ノ権利ヲ有スルノミナラス、緊急ノ場合二於テハ、 直二戦闘ヲ開始スルコトヲ得。.  休戦規約を締結した当事者が、重大なる違反をした場合には、他 の一方は規約の廃棄を行うことができるだけではなく、緊急の場合 においては戦闘行動も可能であると規定している。このように、規 約に違反した場合には、廃棄だけではなく、再び戦闘行動に入って しまう場合もある。次に、休戦規約違反者の処罰について見る。 第四一条【処罰】. 個人力自己ノ発意ヲ以テ休戦規約ノ条項二違反シタルトキハ、唯其 ノ違反者ノ処罰ヲ要求シ、且損害アリタル場合二賠償ヲ要求スルノ 権利ヲ生スルニ止ルヘシ。.  本条は、個人を対象とする。個人が自己の意思で休戦規約違反を 行った場合に処罰がされる。また、休戦規約違反によって生じた損 害がある場合には、その損害の賠償も行われるものとなっている。  次に、第三款の敵国の領土における軍の権力について見る。 第四三条【占領地の法律の遵守】 国ノ権力力事実上占領者ノ手二野リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ 支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ遵守シテ、成ルヘク公共ノ秩序及 生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキー切ノ手段ヲ尽スヘシ。. 13.

(17)  本条は、占領地における法律の遵守を定めている。占領者が占領 するにあたり絶対的に支障が生じている場合を除き、変更を認める ものとなっているが、通常は占領地の現行法律をそのままの形で遵 守すべしと定めている。また、なるべく法律を変更することなく、 公共の秩序及び生活の回復をするために様々な手段を尽くしていく べきであると規定されている、つまりは、占領者が自己の勝手な都 合により、現地の現行法を変更することは禁じられている。次に、 情報の供与について見る。 第四四条【情報の供与】. 交戦者ハ、占領地ノ人民ヲ強制シテ他方ノ交戦者ノ十三重量ノ防禦 手段二付情報ラ供与セシムコトヲ得ス。  本条は、交戦者が一方の交戦者の様子を占領地の人民を強制して 情報の供与を行うことを禁じている。大日本帝国は、本条を留保し た。.     第3項俘虜の待遇に関する条約(ジュネーヴ条約)  本条約は、1929(昭和4)年7月27日に締結されたものである。 本条約は、第2項で述べた陸戦法規慣例条約及条約附属書陸戦ノ法 規慣例二関スル規則を発展させた内容となっており、全97か条か らなる。その構成は以下のとおりである。第一編総則(第一条∼第 四条)、第二編捕獲(第五条∼第六条)、第三編拘束第一撃俘虜後送 (第七条∼第八条)、第二款俘虜収容所(第九条)、第三編第一章俘 虜収容所の設備(第十条)、第三編第二章俘虜ノ食糧及被服(第十一 条∼第十二条)、第三編第三章俘虜収容所ノ衛生(第十三条∼第十五 条)、第三墨隈四章俘虜ノ智的及道徳的要望(第十六条∼第十七条)、 第三編第五章俘虜収容所内ノ規律(第十八条∼第二十条)、第三編第. 六章将校及之二準ズル者二関スル特別規定(第二十一条∼第二十二 条)、第三編第七章俘虜ノ金銭収入(第二十三条∼第二十四条)、第 三急造八章俘虜ノ移送(第二十五条∼第二十六条)k第三款俘虜の労 働第一章総則(第二十七条)、第三款第二章労働ノ組織(第二十八条 ∼第三十条)、第三款第三章禁止労働(第三十一条∼第三十二条)、 第三款第四章(第三十三条)、第三口達五章労銀(第三十四条)、第 四款俘虜ノ外部トノ連絡(第三十五条∼第四十一条)、第五款俘虜ト 官憲トノ関係(第四十二条∼第四十四条)、第三章総則(第四十五条 ∼第六十七条)、第四編拘束ノ終了(第六十人条∼第七十五条)、第 五編俘虜ノ死亡(第七十六条)、第六編俘虜二関スル救仙及情報局(第 七十七条∼第人十条)、第七編或種非軍人二対スル条約ノ適用(第八. 14.

(18) 十一条)、第人編条約ノ執行(第八十二条∼第九十七条)。第2項で 見てきた陸戦法規慣例条約及条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規 則をさらに細かく分類したものが、この俘虜ノ待遇二関スル条約で ある。そのため、基本的な内容には違いはない。なお、本条約につ いて大日本帝国は、調印は行ったが、枢密院で賛成が得られず批准 を保留した。以下に、批准を保留した理由を挙げる。.       表1−2日本が批准を保留した理由一覧6 (1) 日本軍人は俘虜となることを厳に禁じられている。したがっ   て、俘虜条約の適用は目本にとって一方的義務を課せられる。 (2) 俘虜の優遇を保証すると、たとえば敵の搭乗員が目的達成後、.   俘虜となることを期して空襲をおこなえば、その行動範囲は   二倍となり、空襲の危険が増大する。 (3) 第八十六条の「第三国代表は立会人なしに俘虜と会談し得る」   は、軍:事上支障がある。. (4) 俘虜に対する処罰の規定は日本軍人以上に優遇しているの   で、日本の懲罰令などを改正しなければならないが、それは   軍紀上、不可である。  上記の理由により、特に陸海軍が中心となり強硬に本条約批准に 反対した。そのため、署名だけに留まり批准を行わないまま太平洋 戦争を迎えることになった。. 第2節 BC級戦犯裁判の実態  本節においては、戦後行われた各国におけるBC級戦犯裁判の実 態を明らかにしていく。なお、BC級戦犯裁判の全てを網羅するこ とは史料の公開状況から見ても難しく、また、時間的にも困難であ るため各国で1件∼4件を扱うことにする。また、関連法令の制定 年月日、施行年月日は史料の公開状況に応じて可能な限り掲載する。. 第1項アメリカ合衆国.    【アメリカ裁判の結果】(表1−3) 無罪 その他 無期・有期 死刑判決 起訴人数 起訴件数 188 255 1033 279 456 1453                  (林2005,p.61より作成)7 【裁判地】マニラ・横浜・上海・グアム・クェゼリン. 合計5箇所. 【根拠法令】・条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則       ・俘虜の待遇に関する条約(ジュネーヴ条約). 15.

(19)       ・グアム刑法(グアム法廷)8       ・海軍裁判所及び委員会規定       ・戦争犯罪被告人裁判規程(横浜・マニラ).        (1946年2月5日制定)9       ・戦争犯罪人裁判規程(1945年12月5日制定)10. 【特徴・特色】11  戦闘行動が激しかった地域(太平洋地域)においては捕虜虐待な どの罪が数多く裁かれた。また、日本本土空襲において撃墜された B29搭乗員の処遇に関する問題が重要視されている。 【主な裁かれた事件】. 0山下裁判(マニラ法廷)12  元陸軍大将山下奉文に対するBC級戦争犯罪裁判である。1944年 10月から開始された、連合軍フィリピン群島奪還作戦の最中に行わ れた犯罪行為が問題とされた。1945年2月から開始された連合軍に おけるマニラ攻撃に先立ち、山下はマニラ撤退命令を出し、ルソン 島北部の山中へ司令部を移した。しかし、マニラ撤退に反対し市内 に残存した海軍部隊を中心に連合軍包囲下において、暴徒化し「マ ニラの大虐殺」を行った。起訴状によると「指揮官としての義務を 果たすことなく義務を怠り、部下に残虐な行為その他の重大な犯罪 を犯すことを許容した」とされた。山下は、「指揮官責任」を問われ、. 絞首刑の宣告がなされ、1946年2月23日にマニラ郊外にて絞首刑 が執行された。. ○由利敬裁判(横浜法廷)13  福岡俘虜収容所第十七分所(大牟田捕虜収容所)の所長由利敬中. 尉に対する裁判である。由利中尉は、1943年8月2日から1944年. 7,月10日まで、大牟田俘虜収容所長の任にあった。この間に約1700 人の連合国軍俘虜のうちアメリカ人俘虜1人を殺害し、1人を餓死 させた責任を問われた裁判であった。1946年1月7日に死刑判決が 宣告され、4月26日に巣鴨プリズンにて絞首刑が執行された。 〇九大生体解剖事件(横浜法廷)14.  1945年5月17日から6月2日のあいだに、アメリカ軍B29搭乗. 員俘虜8人を、西部軍の監視のもとに、九州帝国大学医学部で4回 にわたって生体解剖を行った事件である。西部軍関係者や、九州帝 国大学医学部関係者らが捕虜虐待などで裁かれた。1948年8月27 日に絞首刑2人、終身刑2人の判決が出たが、1950年10,月にマッ カーサー元帥の名で再審が行われ、全員が減刑となった。 ○父島の人肉食事件(グアム法廷)・5.  別名父島事件と呼ばれている事件であり、6件の事件を総称した 名称となっている。この事件は、いずれも米軍飛行士の処刑を理由 に起訴されたものとなっているが、犠牲者の人数が未だに確定され 16.

(20) ておらず、少なくとも犠牲者は8人とされている。いずれの場合も、 パラシュートで降下した者を捕らえてから殺害し、人肉食が行われ た。本件では、人肉食に関わる部分を、法的には死体損壊と評価し. 裁判が行われた。師団長である立花中将以下5人遅対して絞首刑判. 決が下され、海軍根拠地隊司令官森中将以下5人に終身刑、他14 人に有期刑の判決が下された。. 第2項大英帝国    【イギリス裁判の結果】(表1−4) 無罪 起訴人数 死刑判決 無期・有期 その他 83 116 978 281 556                  (林2005,p.61より作成) 起訴件数 330. 【裁判地】シンガポール・ジョホV一一一ルバール・クアラルンプール・.     タイピン・アロルスター・ペナン・香港・ラブアン・     ジェットセルトン・ビルマ 合計10箇所 【根拠法令】・条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則       ・俘虜の待遇に関する条約(ジュネーヴ条約)       ・イギリス国王勅令特別軍令第81号 戦争犯罪人裁.        判規程(1945年6月制定)16.       ・東南アジア連合地上軍戦争犯罪訓令第一号第二版        戦争犯罪の捜査及び戦争犯罪人の裁判 【特徴・特色】17  戦前イギリスの植民地であったマレー半島やビルマを中心に裁 判が行われた。植民地における宗主国の地位向上を狙って行われた ため、民衆に対する犯罪行’ ラを中心に裁かれた(シンガポール華人 粛清事件など)。 【主な裁かれた事件】. ○秦緬鉄道建設俘虜虐待事件(シンガポール法廷)18  聖母鉄道建設に従事した俘虜やアジア人労働者に対する虐待の 罪を裁いた裁判である。秦緬鉄道は軍事上重要な役割を担ってい たため、早期完成が求められていた。しかも、タイービルマ国境 は、険しい山岳地帯であること、コレラなどの伝染病の多発地帯 であった。早期完成という目標達成のために、総計6.5万人の俘虜. や30万人のアジア人労働者を大量動員した。秦緬鉄道建設中に作 業に従事した連合国側の俘虜1.6万人が飢餓と疾病、虐待のために 死亡したとされている。しかし、アジア人労働者の死亡者数は明 らかにされてはいない。俘虜が飢餓と疾病、虐待で死亡したこと の責任と、軍作戦のための鉄道建設に俘虜を使用したという陸戦 ノ法規慣例二関スル規則違反で多くの者が起訴されることになっ た。秦緬鉄道建設俘虜虐待事件だけで有罪判決を受けたものは111 17.

(21) 人、死刑判決は32人にのぼった。特に、この裁判の特徴として、 鉄道建設の現地責任部隊であった野戦鉄道司令部だけではなく、 俘虜収容所関係者が多く裁かれた。それゆえに俘虜収容所に軍属 として勤務していた朝鮮人軍属も裁かれ、全有罪者111人のうち 33人置死刑判決も全32人中9人が含まれていた。 ○シンガポール華人虐殺事件(シンガポール法廷)19  シンガポール占領直後におこなわれた華人虐殺事件を裁いた裁 判である。シンガポール島在住の18歳から50歳までの男子全て に対して、日本軍指定の5箇所に集合するようにとの布告が出さ れ、そこに集まった華人たちを尋問し、抗日分子、ゲリラ兵と思 われる者を全て選別し、検束した上で拷問を行ったり、機銃掃射 したりしたことなどによって処分された事件である。当時抗日華 人ゲリラの動きが強まっており、粛清という形で大量処断が行わ れた。しかし、犠牲者は必ずしも抗日運動家だけではなく、様々 な業種の人々がおり広範囲に及んでいた。虐殺事件の責任を問い、 当時の現場実行者の近衛師団長西村中将、昭南警備隊長河村中将、 大石憲兵隊長らを起訴した。裁判の結果、河村中将と大石憲兵隊 長が絞首刑となり、西村中将らは終身刑となった。. 第3項オーストラリア.  【オーストラリア裁判の結果】(表1−5) 無罪 その他 無期・有期 死刑判決 起訴件数 起訴人数 36 267 225 294 949 493                   (林2005,p.61より作成). 【裁判地】ラバウル・ラブアン・香港・シンガポール      ・ウエワク・ダーウィン・マヌス・アンボン.      ・モロタイ 合計8箇所 【根拠法令】・条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則       ・俘虜の待遇に関する条約(ジュネーヴ条約).       ・1945年第8号戦争犯罪人の裁判及び処罰を規定する        法律(1945年10,月11日制定)20       ・1945年戦争犯罪法による規程 制定法による規則.        1945年第164号(1945年10月25目制定)21. 【特徴・特色】22  太平洋諸島におけるかなり細やかな事件まで裁かれており、特に 住民虐待や捕虜虐待について裁かれた。中でもオーストラリアは、 戦犯裁判における対日強硬派であった。.その理由として、自国捕虜 が捕虜虐待により数多く命を落としたためである。そのため、他の. 連合国各国がBC級戦犯裁判を終結する中1番遅く(1951年4月) まで行われていた。なお、オーストラリアマヌス裁判ではクインズ. 18.

(22) ランド州高等法院判事(文民)を裁判長として開催された。 【主な裁かれた事件】. ○今村均裁判(ラバウル法廷)23  日本陸軍第十六軍司令官、第八方面軍司令官今村均大将に対す る裁判である。このラバウル法廷において特に重視された内容は、 インド人、中国人俘虜、インドネシア人兵輔に対する虐待が重視 された。つまり’、このラバウル法廷においては俘虜虐待が重要視 されていた。今村は、それらの者は賃金労働者であって、俘虜で はないと主張するも認められなかった。今村は、多くの俘虜の死 亡に最高指揮官としての監督が不十分であったとの理由から10年 頃有期判決を受けた。. ○サンダカン死の行進(ラブアン法廷)24  陸軍の俘虜収容所関係者を俘虜虐待や栄養失調などで病死させ たとして裁かれた裁判である。サンダカンに俘虜収容所を設置し、 連合国軍俘虜を飛行場建設の労働者として労働させていた。重労 働であったことに加え、栄養失調や医薬品の不足などによって俘 虜が死亡していった。1945年に入ると、連合国軍の上陸が迫って きたため、俘虜を約260km離れたラナウに移すことになった。徒 歩でジャングルと山岳地帯を移動したが、落伍した俘虜に対して、 射殺をした。目的地に到着する前に、俘虜は衰弱し、マラリア、 赤痢、脚気などに侵されて死亡していった。軍司令官、収容所長 などが絞首刑の判決を受けた。また、実際に俘虜の移動に携わっ. た11人が起訴され、そのうち1人が絞首刑、9人が銃殺刑、1人 が終身刑という判決が下った。. 第4項オランダ.    【オランダ裁判の結果】(表1−6) 無罪 その他 死刑確認 無期・有期 起訴人数 起訴件数 73’ R 14 55 236 448 1038                   (林2005,p.61より作成) 【裁判地】バタビヤ・メダン・タンジョンビナン      ・ポンチャナック・パリクパパン・マカッサル      ・クーパン・アンボン・メナド・モロタイ      ・ホーランディア 合計12箇所 【根拠法令】・条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則       ・俘虜の待遇に関する条約(ジュネーヴ条約)       ・戦争犯罪人の裁判に関するオランダの法律25       ・戦争犯罪の概念規定.       (蘭領印度法令公報1946年第44号)2.6       ・戦争犯罪刑法. 19.

(23)       (蘭領印度法令公報1946年第45号)27       ・戦争犯罪刑法に関する総督令.       (法令公報1946年第45号)第9条の改正       (蘭領印度法令公報1947年第16号)28       ・戦争犯罪訴訟.       (蘭領印度法令公報1946年第47号)29. 【特徴・特色】30  蘭領印度における捕虜虐待や住民虐待が中心に裁かれた。欧米人 血に自国民であるオランダ人に対する犯罪について厳しく裁かれ た。植民地における宗主国の権威回復などの面も持っていた。また、 終戦後独立運動側にくみした旧日本軍将校が停戦協定違反で戦犯 として裁かれた点がこのオランダ裁判における最大の特徴である。 【主な裁かれた事件】. ○ポンチャナック事件(ポンチャナック臨時軍法会議)31.  1943年10月から1944年1月と1944年8月の2回忌わたりボル ネオ西部のポンチャナックで起きた大規模な住民検挙粛清事件であ る。抗日陰謀を企画したとして26人のオランダ人、混血児らを摘 発し、銃殺に処した事件に端を発し、以後抗日陰謀者摘発のために 検挙、処刑された。戦争犯罪の概念規定に違反したとして、当時の. 第二十二特別根拠地隊司令官醍醐中将らが逮捕され、1947年9月 22日に死刑判決を受け、同年10月3日に刑が執行された。 0シヤンタル事件(メダン臨時軍法会議)32  1945年10月15日インドネシア独立運動に参加している暴徒数 千名がシヤンタルホテルに乱入し、オランダ人、スイス人を殺害し た。その際、ホテルの警備を任されていた陸軍折田大佐は、暴徒鎮 圧のために有効な手段をとらなかった。そればかりではなく、上司 である師団長にも意見具申をせず、結局のところ暴徒に有効な手段 を取らなかった。そのことが日蘭終戦協定に違反し連合軍に敵対行 為を持つものと見なされ、BC級戦犯として逮捕され、8年から10 年の有期刑を受けた。. 第5項フィリピン    【フィリピン裁判の結果】(表1−7) 無罪 その他 死刑判決 無期・有期 起訴人数 起訴件数 11 79 27 114 169 72                   (林2005,p.61より作成). 【裁判地】マニラ 合計1箇所 【根拠法令】 行政命令第68号 比島戦犯法務局の設置及び戦争       犯罪被告人の裁判に関する規則及び規程.        (1947年7月29日制定)33 20.

(24) 【特徴・特色】34  フィリピン裁判は、アメリカ軍のマニラ法廷を引き継ぎ開催され. た。当時のフィリピンは、1946年に独立してまもない国家であっ た。なお、フィリピンは、日本軍の侵略を受けたアジア諸国の中で 自らの手で日本のBC級戦争犯罪を裁いた数少ない国家であった。 【主な裁かれた事件】35. 0児○ケース36  児○が昭和17年9月15日から10月1日の間ヌエバビスカや州 バヨンボン町に総て3名の非戦比市民を拷問虐待した。また、昭和. 18年2A同地に於て2名の拷問虐待した。昭和22年10月2日に 12年の有期刑判決を受けるが、昭和28年7.月4日に大統領特赦に より釈放された。. ○工○ケース37.  工○が昭和20年2月9日ラグーナ州バイ町に於て非戦比市民約 100名を虐待することを許容した。昭和22年11月6日絞首刑判決 を受け昭和23年8月13日絞首刑が執行された。     第6項中国  本項では、中国で行われたBC級戦犯裁判を見る。なお、本項で は、国民党政府と共産党政府によるものを区別して見ていく。 1 国民党政府   【国民党政府の裁判結果】(表1−8) 無罪 無期・有期 その他 起訴件数 起訴人数 死刑判決 29 149 605 883 355 350                   (林2005,p.61より作成) 【裁判地】北京・広東・台北・南京・漢口・徐州・済南・太原・.      上海・藩陽 合計10箇所 【根拠法令】・条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則       ・俘虜の待遇に関する条約(ジュネーヴ条約).       ・敵人罪行調査弁法(1945年9,月14日制定)38       ・敵人罪行種類表(1945年9,月14日制定)39       ・戦争犯罪人処理弁法(1945年9月14日制定)40       ・戦争犯罪人審判弁法(1945年9,月14日制定)4・       ・戦争犯罪人審判弁法施行細則.       (1946年1月27目制定)42       ・戦争犯罪人審判条例(1946年10月15日制定)43 【特徴・特色】44  中国大陸においては、長きに渡り戦闘行動が起きていたこともあ り、住民虐待や捕虜虐待など様々な罪が裁かれた。特に対象とされ. 21.

(25) た時期が1931年から1945年と他の連合国各国と比較し、非常に 長い間を対象としていた。特に、大きな戦闘行動がなかった地域に おいては、スパイ活動を取り締まるなどの治安維持活動に従事した 憲兵が裁かれた。また、良好として日本軍に協力した中国人や満州 国関係者も裁かれている。しかし、終戦と共に開始された国共内戦 の影響で早々にBC級戦犯裁判は打ち切られた。 【主な裁かれた事件】. ○南京虐殺事件45(南京国防部戦犯裁判軍事法廷).  日中戦争初期の1937年12月、日本軍が中国の首都南京を攻撃 占領した際、約2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便 衣兵、および一般市民を不法に殺害(虐殺)した事件である。不法 殺害の他に、掠奪・強姦も行った。当時の中支那派遣軍司令官松井 石根大将は戦後の極東国際軍事裁判で死刑判決を受け、刑が執行さ れた。また、南京法廷では第6師団長の谷中将が死刑判決を受け、 刑が執行された。.     2 共産党政府 【共産党政府の裁判結果】 資料なし 【裁判地】・藩陽・太原. 【根拠法令】・目下勾留中の日本の中国侵略戦争中における戦争犯       罪人の処理に関する中華人民共和国全国人民代表大       会常務委員会の決定 【特徴・特色】46.  1956年6月置ら開始された。満州国関係者などが裁かれたが、 死刑などの重刑が多かった国民党政府の裁判に比べ、死刑判決は出 なかった。それは、被告に対し教育を行い自省を促し改俊させ、そ の状況により免訴を行ったためである。 【主な裁かれた事件】. ・鈴木ケース(藩陽特別軍事法廷)47  本件は鈴木啓久元陸軍中将ら8人に対して、侵略戦争をおこな い、国際法の原則と人道の原則にそむく罪によって禁鋼13年から 20年の判決を受けたものである。 ・富永ケース(太原特別軍事法廷)48  本件は富永順太郎元華北交通地誌室主事ら9人が戦争犯罪、スパ イ罪、または閻黒山の反革命軍に参加した罪で裁かれ、連唱8年 から20年の判決を受けたものである。. 第7項フランス共和国.    【フランスの裁判結果】(表1−9). 22.

(26) 起訴件数. 無罪 起訴人数 死刑確認 無期・有期 その他 1 63 230 31 135                   (林2005,p.61より作成) 【裁判地】サイゴン. 39. 【根拠法令】・条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則       ・俘虜の待遇に関する条約(ジコ.ネーヴ条約)       ・戦争、戦争犯罪、戦争犯罪取締に関するオルドナン.        ス(1944年8,月30日置官報第780頁).        1944年8月28日制定49       ・軍事裁判法1877年7月3日制定50. 【特徴・特色】51  フランス裁判の特徴は、短期間における犯罪行為を対象にしたこ. とだ。1945年3月から終戦後を対象にしている。仏印では、大規 模な戦争行動が起きなかったこともあり、ここでは憲兵などの治安 機関の関係者が多く裁かれた。また、住民に対する犯罪を裁くのは 宗主国の役割であるとし、日本人を戦犯として裁いている。このよ うに、仏印では宗主国の植民地における地位向上を狙ったものがあ った。. 【主な裁かれた事件】. ○ランソン事件(サイゴン軍事法廷)52  1944年9月にフランス本国において、フランス共和国臨時政府 が成立したことにより、仏領インドシナにおけるレジスタンス活動 の強化やフランス軍の軍事行動が計画された。日本軍は、そのこと を察知し1945年3月9日から明号作戦と呼ばれる軍事活動を開始 した。その結果、フランス軍、警察、行政機関を日本軍の指揮下に 置くことになった。呼号作戦において、トンキン州ランソンにおい て日本軍がフランス軍俘虜約300人を殺害した。戦後のBC級戦犯 裁判において歩兵第二二五連隊長鎮目大佐を含む4人が死刑判決』 を受けた。. OFFI諜報団事件(サイゴン軍事法廷)53  明号作戦後ハノイ憲兵隊は、フランス本国に司令部を置くFFI 諜報団を検挙した。その取調べの際に拷問、殺害、致死などを行っ たとして戦後に起訴された。この事件では、サイゴン憲兵分隊、プ ノンペン憲兵分隊から多数の者が死刑に処せられた。.     第8項ソビエト連邦 【ソビエト連邦ゐ裁判結果】. 資料なし。. 【裁判地】ハバロフスク. 【根拠法令】1943年4月19日付ソ連最高ソビエト常任委員会 23.

(27)        法令第一条 【特徴・特色】54.  ソビエト連邦でのBC級戦犯裁判は、ハバロフスク裁判1箇所の みとなっている。ここでの特徴は、秘密部隊とされていた731部 隊(関東軍防疫給水部)の実態が明らかにされた。死刑はソビエト. 連邦では廃止されていたため、死刑判決は出ていない。GHQの方 針に対抗し開催された裁判であったため、すでに冷戦構造が見える 裁判となっていた。 【主な裁かれた事件】(ハバロフスク裁判)55. 0第七三一部隊及び第一〇〇部隊における細菌戦用兵器の準備及 び使用の件.  第七三一部隊及び第一〇〇部隊における細菌戦用兵器の準備の 段階において、生体実験を行った上で、虐殺された事実や、対中戦 争や対ソ戦争において細菌兵器を使用した事実が明らかにされた。 死刑判決は出なかったものの、2年から25年の矯正労働の判決が 下された。.     第9項 小括  BC級戦犯裁判には、地域による特色があった。地域を見る視点 として2点あり、1点目が独立国、2点目が植民地だ。林によれば、 「こうした戦時国際法により、それらの国際法規に反する行為を禁. 止し、違反した敵国民を裁く権利を相手国に認めるもの」56。つ まりは、独立国が敵国民を裁くという行為は、従来より認められて いたものであった。.  他方、第二次世界大戦においては、独立国のみならず、植民地 も被害を受けた。植民地では、宗主国がBC級戦犯裁判を主催し、 裁判を行った。そこには、植民地における宗主国の地位向上といっ た狙いが見て取れる『(イギリス・オランダ・フランス)。. 第3節 BC級戦犯裁判の意義  林によれば、「こうした戦時国際法により、それらの国際法規に 反する行為を禁止し、違反した敵国民を裁く権利を相手国に認める というものだった。被害国は自らの設けた裁判所において犯罪者を 裁く権利が認められていた。従来は戦時重罪あるいは戦時犯罪と呼 ばれ、戦時中のみ裁判にかけ処罰することが許されていた。そのこ とにより相互に戦時国際法違反を牽制し抑制する意図があった」57。.  しかし、第2次世界大戦後は、事後法を用いてでもBC級戦犯を. 裁いた。その意義について林は以下のように述べている。すなわち、 「もしBC級戦犯裁判において、捕虜だけでなく一般民衆に対する. 24.

(28) すさまじい残虐行為をまったく裁かれなかったとしたならばどうな っていただろうか。降伏した日本軍将兵や日本の民間人に対する大 規模な報復が起きていたとしても不思議ではない。もしそうなって いれば戦争犯罪とは関係のなかった数多くの人が犠牲になっただろ うし、報復に抗して血で血を洗う惨劇が起きたかもしれない」58。  BC級戦犯裁判は、捕虜や一般民衆に対して様々な残虐行為を裁 いてきた。それがもし仮に全く裁かれていなかったらどうなってい たのか、ということを林は投げかけている。現地住民やかつての捕 虜による大規模な報復が起きたとしたら、それは想像に難くはない だろう。もし、そのようなことが起こっていたら戦争が終結したに も関わらず血が流れることになっただろうし、戦争犯罪とはまた無 関係な人々の血が流れることになっていたかもしれない。その意味 においては、林博史が指摘’ キるように、「連合軍は、戦争犯罪人を裁 判で処罰すると宣言することにより、そして実際に戦争犯罪を捜査 し、容疑者を逮捕し、裁判にかけて処罰したことによって、民衆の 怒りを抑えることができた’。法による裁きとは、まず被害者による 報復をやめさせるという効果を持つ。たしかに戦犯裁判は勝者がお こなったことであり、勝者による裁きという性格を持っているが、 同時にそれが民衆の報復を防ぐ役割を果たしたということも認めな ければならない」59。確かに、事後法という批判は受けていても法 による裁きは受けている。そのため、被害者による報復を防ぐこと も出来た。BC級戦犯裁判については、様々な批判や意見があるも のの、法による裁きは、民衆の報復を一定程度防ぐ役割があったと いえよう。もちろん、全てがそのような効果があったとは言いがた い。しかし、アジア・太平洋の広大な戦域からの復員が早急に完了 したことの一因としてくこうした事情を指摘することができるので はないだろうか。また、このように民衆の報復を一定程度まで防ぐ ことができたのは、各国間で取り決めた国際裁判方式の採用があっ たからではないだろうか。その国家が単独で裁くのではなく、各国 が国際的な認識を持ち、侵略戦争を違法化したことに最大の効果が あったのではないだろうか。. 第4節 小括  これまで、戦争に関する国際法と各国におけるBC級戦犯裁判の 実態を見てきた。これまで見てきて言えることは、事後法とよく 批判の対象となる戦犯裁判であるが、大本となる根拠法令には、 陸戦法規慣例条約及び条約附属書陸戦ノ法規慣例二関スル規則、 俘虜の待遇に関する条約があった。それら大本となる根拠法令の 中身を元にして、事後法ではあるものの、それぞれ各国において 25.

(29) 適用される法令の整備が行われ、その上で裁判が行われ刑が執行 されていった。なお、アメリカ海軍が主催したグアム法廷におい. て適用されたグアム刑法は、戦時中の1944年10月に制定されて いる。また、フランス法廷における根拠法令である戦争、戦争犯 罪、戦争犯罪取締に関するオルドナンスは1944年8月3.0日に制 定されるなど、法令の制定についても特色が生じていた。  また、各国におけるBC級戦犯裁判には地域による特色が生じて いた。戦闘行動が激しかった地域(太平洋地域)特に、アメリカ・ オーストラリアが担当した地域においては捕虜虐待などの罪が数 多く裁かれている。また、アメリカにおいては日本本土空襲におい. て撃墜されたB29搭乗員の処罰が問題視されている。戦闘行動が あまり発生せずに、日本軍の後方基地化した蘭印や仏印、マレー半 島では、日本軍における住民虐待が数多く裁かれている。また、蘭 印や仏印においては、終戦後独立運動側にくみした旧日本軍将校が 停戦協定違反でBC級戦犯として裁かれている。蘭印や仏印におい ては、植民地における宗主国の権威回復などの面も持っていた。中 国大陸においては、長きに渡り戦闘行動が起きていたこともあり、 住民虐待や捕虜虐待など様々な罪が裁かれた。このように、BC級 戦犯裁判は地域によって様々な様相を呈していた。BC級戦犯裁判 をアジア・太平洋地域におけるBC級戦犯裁判という大きな括りで 概観するのではなく、地域という視点からより細やかに見ることが 重要になってくる。.  なお、戦犯裁判の反省を踏まえた、大戦後の様々な取り組みとし て、戦後制定された国際条約などを見ていく。 ○ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約) 60. 【採択】1948年12月9日.  前文には、「歴史上あらゆる時期において集団殺害が人類に多大 な損失をもたらしたことを認め、この忌々しい苦悩から人類を解放 するためには国際協力が必要であることを確信して、ここに次に規 定するとおり協定する」、61とし、歴史上のあらゆる時期に発生して いた集団殺害をなくすためにも国際協力が必要であることを述べる。  なお、日本国は本条約を未だに締結していない。 ○ジュネーヴ諸条約. 1、1949年ジュネーヴ条約第1条約(傷病兵保護条約)62 2、1949年ジュネーヴ条約第2条約(海上傷病者保護条約)63 3、1949年ジュネーヴ条約第3条約(捕虜待遇条約)64 4、1949年ジュネーヴ条約第4条約(文民保護条約)65 26.

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