奈良教育大学学術リポジトリNEAR
同和教育の実践=自主的・集団的活動の追求= ― 生徒一人一人のねがいを掘り起し、分析し、まとめ ていった生徒達 ―
著者 吉川 好胤
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 4
ページ 69‑82
発行年 1968‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/10105/6147
同和教育の実践=自主的。集団的活動の追求一
生徒一人一人のねがいを掘り起し、分析し、まとめていった生徒達
奈良教育大学付属中学校教官 (前任校生駒郡平群中学校〕
吉 川 好 胤 は じ め に
この報告は1965年4月から1967年3月に至る、生駒郡平群中学校における同和教育の総括で ある。過去18回の全同教育大会を通じて明らかにされた同和教育の内容、方法、課題に鑑み、われわ れが実践してきた同和教育の内容や方法は極めて微々たるものである。しかし平群中の生徒達が自分達 をめぐる教育条件や生活条件の中から、生徒一人一人の要求を掘り起し、何が差別であるかを徐々に明 らかにしていった活動は、生徒会の活動が質的な発展をした意味において、また教師の教育活動」:に重 大な反省の契機を与え、地域父母の教育要求を高め拡大した意味においても高く評価しなければならな い。この紙」=をかりて、われわれはこの生徒達の勇敢な自主的、集団的要求活動の過程を同和教育の観 点から整理し報告するものである。
報告の内容は(一)校区の未解放部落における労働の実態、部落の生徒達の教育をめぐる差別の実態 を概観し、(.n)部落の生徒達による差別についての集団学習が、全校生徒の要求を組織する生徒会活 動の質的転換の上に果した役割について述べ、(㎜)生徒個々の学校、教師、生徒会等に対する諸要求 を組織していった生徒会の自主的要求活動の過程を明らかにし、(w)これらの要求活動の過程におい て、長欠生問題をめぐり、問題生徒をめぐり、親の差別言辞をめぐり部落の生徒集団が全体として部落 問題と取り組もうと意気込み一この事を契機として部落の父母青年の部落問題に対する関心がどう高 まって来たかを概観しまとめとしたい。忌悼のない御批判をお願いする次第である。
1教育をめぐる差別の実態一一白書運動を通して根気よくこの事実をみんなの中・
へ
1.校区の概況・労働の実態一差別は一般化し、拡大されつつある一
生駒郡平群村、世帯数1408戸(213戸)、人口6408人(833人)、15才以上就業 人口2748人(293人)。これを産業別にみると、生産運輸関係969人(221人)、農林 890人.(25人)、事務551人(15人)、販売サービス330人(31人)。く昭和40年
国勢調査( )内は未解放部落の場合である> 一応は米作を中心に花卉、野菜栽培を中心とする 農村であり、労働老の職場は大阪方面を中心に大半が村外である。上記の数字で注意を要するのは、
部落の就業人口は、教育をめぐる差別の歴史的現実として、事務労働からは完全なまでに締出され、
土地所有をめぐる差別の歴史的現実として農林関係の労働からもほとんど締出されているという事 実である。この事だけをみても部藩に差別が集中しているという事実を誰も否定しえないのである。
しかし最近では農地はみるみる宅地化され、市街地に比して安い土地と労働力を求めて下請小企 業が進出しつつあり、農地をとりあげられた農家の主婦達が、この小工場で臨時的に賃労働に従事 し、あるものは村外の小企業へと進出し低賃金労働で現金収入をなんとか確保している。1ha以 ,69←
下の農家では主人が、大阪・和歌山方面へ工事人夫として出かせぎしており、0.5ha以下の農家 では、両親とも日雇人夫として農地を荒しておいても、なんとかして現金収入を確保しようとして いる。これが今日村内における農業破壊のいつわらぬ現象である。この事は子供の生活にも無関係 ではありえず、不安定な日雇い労務化により、以前にもまして生活は追い詰められている。この生
活の現実を無視して「教育」は存在しないのである。
特に部落における労働の実態に注意を要する。部落における15才以上の人口は588人。どこ ろが就業人口は上記のごとく293人でその約半分である。晋瞠藩内においては高校・大学に学んで いるものは10人を超えたいのが実状であるから、国勢調査の上では約250人が無職ということに
なる。しかしこの事はとんでもないことであって、この250人については今少し分析してみる必 要がある。
部落内には人々の生活を支えるだけの産業は存在しない。男子中堅層のほとんどは部落内の土建 下請業者に雇われる日雇±方であり、若年層は男女とも縁故就職により村外の小企業に勤めている が、縁故のため、企業内での身分は臨時工であり、他の工員と比して同一労働低賃金である場合が 多い。特に男子若年層はこの差別賃金に憤りを感じ職場を転々とする場合が多く、他の労働条件が 悪くても賃金が少しでもよければその方へと走る。最近夜勤の土方がふえているのもそれである。
これらの人々が生産運輸関係221人に属するわけである。統計にあらわれない約250人の人々は 部落内の零細企業であるr竹細工」rヘッフ製造」r靴」r電気部品組立」等の家内工業に雇われ ている。これには主婦を中心とする婦人層が多い。長時間労働、低賃金の典型である。
2.部落の生徒の教育をめぐる差別の実態
学校教一合に招いて差別が問題になる場合、われわれは「差別とはなんだということを具体的事実 に基づいて教えていない」ということがすでに教育における重夫な差別であることを忘れてはなら
ない。ここでは部落の生徒の学力が極めて低いという現実、部落の生徒に長欠生が多いという現実、
部落の生徒の進学率が極めて低いという現実、これらの現実そのものが差別であることを再確認し たい。
○都落の生徒の学力について一
家庭における様々な条件の劣悪さはその生育歴を通じて部落の生徒の学力を極度に低いものに している。学力といラ概念については種々吟味の要はあるが、参考までに期末テストの結果をみ てみると第一表の如くである。
第一表 41年度1学期末テスト学年平均点
(900点満点) 1学年 2学年 3学年
一般地区の生徒の平均点 514点(76人) 466点(94人) 423点(99人)
同和地区の生徒の平均点 246点(10人) 465点(26人) 290点(16人)
これを総合計点での個人の順位をみてみると、2学年の場合はあまり問題はないが、1学年で は86人中60番以下に同和地区の生徒が10人(100%)、3学年では115人中60番以下に 12人(ア5%)が位置している事二実である。この事実をたち切る教育実践が広く深く行なわれてい ないζとの申に差別があり、それをさせない体制の申に差別があることを、われわれはすな刺こ }ア0間
認めなければならない。この認識の上に立って、遅れた生徒をのばす教育実践を阻んでいる体制 そのものを足もとから変革し、教育の諸条件を高める努力を怠ってはならない。
U 不就学、長欠について一策2表にもあるように不就学長欠生徒の絶対数は年をおって少なく なりつっある。この成果を生み出した力には、部落の生徒を中心とする学級の仲間の執ようなま での説得活動、部落父母の差別に関する集団的学習の高まり、教師集団のrいかなることがあっ ても学校から追い出してはならないのだ」という構えがあることを忘れてはならない。今一つ忘 れる事のできないことほ「オレが今学校へ来れるのは、アニキとアネが働いてくれとるからや、
アニキやアネの時はオヤジだけの仕事で貧乏やったからな、アニキもアネも中学校へ来てへんね や、勤めに出てたんや」と話す生徒の言葉に表われているように、過去に作り出してきた不就学 生徒達が成長して家計を支える中心となり弟妹を学校にこさせている事実である。
○ 高校進学について一策2表の数字は進路をめぐりて差別が厳然と存在することを雄弁に物語 っている。このことは部落差別が拡大再生産される主要な要因の一つである。進学率がなぜ低い かについては今更いうまでもない瓜就職していった生徒のその後はどうであろうか。
第2表 進学率・長欠率の推移
38年度 39年度 40年度 41年慶
同和地区生
k進学率 4〃22人18.2% 2人/13人15.4% 1V16人 6.2% 1臥/16人62.5%
一般地区生
k進学率 99/119 83.2 83/124 66.9 83/105 790 88/99 88.9 進 学 率
i平均) 10y133 7ア4 85/137 62.0 84/121 694 98/115 85.1 同和地区生
k不就学長
∠ヲ(3学
Nのみ)
5人/22人22.7% 4人/13人30.8% 2人/16人12.5% 0/16人 0%
最近縁故就職も少なくなってきた狐職安幸琴して比較的近代的な企業に進出しても、例年半数 以上の者が半年以内に転職していく。落着く先は男子の場合は部落内の下請業者の土方として働
き、あるいは他の部落に外勤する傾向にある。
亙差別の現実を集団の力で掘り起していった部落の生徒数
1.非行生徒の存在は学級集団を質的に高める作用をする一部落差別の問題と取組むための部落の 生徒達の集団化はどのような過程を経て発展したかを明らかにしなければならない。前述の部落に おける差別の実態は表象的なものであり、ほんの 部であるに過ぎない。生徒をとりまく生活の中 には差別は幾重にも集なりあって存在している。その一つを根気よくとり出し、調べ考えさせ、差 別の問題として意識させる指導を通して、これら差別の事実に憤り、これをなんとかしなけれぱと 願う生徒が育つ。彼等はr差別をなくするんだという切実な憤り」でいつでも集団化する条件のも とにある。いいかえれば現に差別が存在することが必然的に生徒達を覚醒させることになるのであ る。われわれはこの裏を生徒が集団化する中で学ぶことができた。たとえその集団が寄合い的集団 であり、行動の不統一がありたとしても、まずは都落差別について学習し、その事実をみんなに知 一71一
ってもらおうという構えで成立したことの事実をしっかり踏まえなければならない。と同時に、こ のような集団化をなんとか阻もうとする力が生徒をとりまく体制の中に厳然と存在するということ も忘れてはならない。
平群中学において部落差別の問題を中心に話し合おうとする意識的な生徒の集団が成立をみた直 接の契機は非行生徒の顕在化であった。「授業のじゃまをする」r授業申室外へ飛び出す」r公共 物はたたきこわす」「生徒にいやがらせをする」「なんとかいえば暴力をふるう」等々直接生徒達 が色々と迷惑をこうむった。これら非行生徒の大半は部落の生徒であった。われわれはその都度校 長室に連れこみ手を変え品を変え、注意をしたり、話し込んだりした。しかしそれは全く対策の域 を脱していなかった。非行はくりかえされ、拡大された。これらの諸事件はわれわれ教師の生活指 導、同和教育についての考え方の大変革を必然ならしめた。集団主義教育理論の具体的実践が行な われるようになったのはこの頃からである。非行生徒の問題を生徒自身に考えさせるという実践で ある。学級集団、地域生徒会集団、あるいは校内生徒会集団の中でその問題を考えさせる指導が綿 密に追求された。この指導は個人主義に徹した生活理念に安堵していた生徒達にその考え方の重大 な変革を迫るものであった。初期の段階では教室内に非行生徒のいない時を利用して「自分達は非 行生のためにどんなに迷惑しているか」「その事に対し先生は注意のくりかえし以外の何もしてい ないことへの不満」等々が無教に出された。学級として生徒会として組織的に教師批判が出て来た のはこれが最初でありた。「先生らはどない思って指導しとんや一いやほってある時のほうが多 いのとちがうか……」等々批判はなかなかきぴしい。こうした取り組みの中で、われわれ教師仲間 の申には「教師が考えてもわからん非行生の処置を生徒に取り組ませるなんてどだい無理や」とい うような批判も出た。しかし生徒達の討論は以外に前進していた。非行生そのものに向けていた批
判、非行生の父母に向けていた批判一こんな批判をいくらしていても非行生は学級、学校集団か らますます離れていくことに気づき始めた。生徒達は「先生にもしてもらいたいこと」を追求する ことと平行して「生徒自らが非行生をどう考え、非行生に対して何をしなければならないのか・…・一
という反省、自己批判を活発に行なうようになった。討論はすぐ実践化した。r授業中室外に出れ ば呼びに行こう」ということから始まった。
2.差別の現実は部落の生徒の集団化の条件でもある。一学級の討論と実践にこのような方向を与 えたのは実は、学級での話し合いの中で終始はずかしく思いながら身の切られる思いでしょげこん でいた部落の生徒達の集団学習と実践であった。部落の生徒達は最初「こんなことは大字の恥や」
「なんとかしなくてはあかん」ということで有志が集まり、なんとか説得するんだと相談して、非 行生徒を囲んで何度かスクラムを組んだ。非行生徒達は色々間い詰められた。「なぜわけのわから んことをするのや」「わけのわからんことあるか、センコは授業中でもオ1ノらにかまいよらひんし、
授業はわけわからんし、わけわからんのに黒板の字ノートに写すのかい。おまえだってそうやない か。学級のやっらもオイらを白い眼で見てるやないか。おまえらもみられてるやないか。なるべく オイらにさわらんようにしょるやないか」こんな話し合いが何度がくりかえされた。教師の前では あまり悟られ楓毒がこの話し合いの中で色々出て来たという意味からも非常に重要な集まりであっ た。「白い眼でみられるのはあんたら無茶するさかいやろ」「そんならおとなししとるお前らは白 い眼でみられとらひんていうんか」「………」「おいらの村は他の村とちがうんやで、おいらはエ ツタやせ」「今はそんなこというたらあかんねぜ」「いうたらあかんというても、他の村とちがう
一ア2一
んやもん、しゃないやないか」一この集まりを契機に、出された疑問を中心にきびしい学習が始 まった。ある時は放課後教室で話し込み、ある時は夜大字の集会所に集まりだ。非行生は必ず集ま った。ある意味ではいつも話し合いをリート した。
部落の生徒達はおそるおそる最初に知りたがった事は「ユッタて河や」「プラクて河や」という ことでありた。生徒達はr昔悪い害した人の集まりや」「朝鮮人の子孫の集まりや」「変な仕事す る人の集まりや」いや「生きものばかり殺していた人々の集まりや」とぽそほそ言うのである。(
母親達の学習会の中で話されたこともこれらと大同小異であつた。)「やさしい部落の歴史」(部 落間題研究所)をさらにやさしく書きなおしてじっくり学習をつんだ。特に今フラクが厳然と存在 する意味について徹底的に学習した。非行生はわからないといって室外には出なかつた。生徒達に とっては長い間「差別的な言辞・態度」だけが差別であった日しかし地域の実態を色々な角度から 調べまとめあげ、それを中心に話し合う活動が始まる中で、差別は人の言辞や態度の問題ではない ことに気づき始めた。部落の生徒達の差別の概念は急速に拡大していった。と同時になんとかそれ をとり除く活動をしなければ何のための学習かということにもなった。この確認によってほんとに 身近かな「学級、学校、地域の中にある差別」をみんなに知ってもらおうという説得と討論が組織 されはじめた。部落の生徒達だけでなしにみんなに「部落の歴史」を授業せよ、みんなに「差別に ついての考え方」を授業せよと要求され、社会科のカリキュラムを変更していつた。
3、差別に一番苦しんでいるものが差別についての認識を広める原動力である。一部落の生徒達は 非行生徒の問題や長欠生の問題を中心に学級の一人一人に部落差別の話を始めた。と同時にその問 題意識の.上に立って学級や生徒会の活動の方向を変えなければならないということが終始話し合わ れるようになった。学級では「授業をぬけるという行動の つの原因には授業がわからないという ことがある」「エライヤツをなぐるという行動は、学級の中がバラバラで、エラィヤッは何があっ
ても鼻で集りて自分の事しか考えず、一人が一人のために・人でのぴることがあたりまえになって いるような学級から生まれるのだ」「意識的にガラスをわるという行動の大部分は非行生徒の不満 を学級の仲間のだれ一人として聞かない。またそれを本当に聞こうとしない先生の態度などから生 まれてくるのではないか」一等々学級みんなが非行生となんとか接近し、話し合う努力の中でこ
んな討論が行なわれるようになった日この討論の申には非行生を生んでいく諸条件に非行生を順応 させようとするのではなく、特異行動の根源を、個々の条件を、それに気づいた者が中心になりて
変革しなけれぱならないのだという生徒達の新しい構えがうかがえる。
長欠生問題にも討論は及んだ。3ケ年も級友の顔を見たこともないということはやはりおかしな ことだと感じはじめ、みんなが話題とするようになった。学級に一二の長欠生がいてもそれはあた りまえの事であったのである。学級代表は部落の生徒と共に長欠生宅を訪間する。そして色々と話 しこんでくる。学校にこない理由を学級で報告する。「A君は勉強はせんけど、学校が嫌いなんと ちがう。今テ1/ビの部品作っているんだけど、親会社に一週間以内に納品しなければならないので、
家族みんなで夜おそくまでやっているんや。仕事がすめば学校へ来るよ。でも長く休んだから勉強 わからんと思うな」こういった報告は部落にある差別の現実を生まのまま教室にもちこんだ。更に 活動と報告はつづけられた。欠席日数の多いA子さんの家をたずねた女生徒の代表は、「欠席の本 当の理由は頭が痛いんとちがう、ペップ作りが忙がしいからや。欠席の理由が正しく報告されない のはそれを受けとる先生に問題があると思う」これらの実践を繰り返す中で生徒違は徐々にではあ 一ア3一
るが、順応的態度から変革的態度へと発展してきたことをみのがしえない。
これらの活動は部落差別の現実を生徒なりに明らかにし生徒個々の意識の中に明確にもちこんだ。
この活動を通して、「みんなの力で立派になるのだ」r一人の十歩前進よりも十人の一歩前進が大 切なんだ」r一人はみんなのために、みんなは一人のために」という仲間づくりの基礎が生まれた。
更には差別は部落の中だけにあるのではない。みんなの生活のすみずみにはりめぐらされていると いうことを実感としてとらえる生徒がふえてきた。差別の問題は徐々に一般化され、生徒みんなの 共通問題として取り組む条件が育って来たのである。この段階で都落の生徒達の学習会では以下の ようなことが確認されている。一差別問題についてはできるだけ多くの人とすすんで話し合おう。
親とも勇気を出して話し合ってみよう。その中で一人一人の考え、親の考えを知ろう。返答のでき たい問題が出たら、みんなで考えよう。差別や部落のことがわかうてもすぐ部落がなくなるわけで もないし、差別がなくなるわけでもない。部藩をなくそうと思って部落を正しく知ることはまちが ったことではない。なくそうと思えばみんな力を合わせて正しく知らなければならない。みんな力 を合わせてできることからとりくまなければならない。そうでないといつまでもだまって差別を残 す人聞になりてしまう。どうなれば部落がなくなるのか今ははっきりわからない。しかし身近かな 差別を一っ一つとりのぞいていく活動を通してその方向が見えてくるのではないだろうか。非行生 問題を考える中で非行生がなくなればありがたいことである。その取り組みの中でそれが生まれて くるうやむやとしたものがはっきりわかればよいではないか。長欠生問題と取り組む中で、その生
徒が学校に来てくれれば申し分ない。しかしこれらの活動の申で困っている人とみんなが手をつな げたら、長欠の真の原因がつかめたら、それでいいではないか。
4.差別についての三つの認識一生徒の作文より一この時期における生徒達の差別に対する認識 の三つの典型を生徒の作文によって示す。(資料参照)この三つの作文は校内弁論大会、村青年団 主催弁論大会で発表されたものである。この内容を学校や村の中で堂々と発表することができるま でに成長した生徒と地域に多大の敬意をはらうものである。
資料1の作文を書いた生徒の認識は、知識として学習はするが前述の諸活動を傍観している中で 生まれたものである。われわれはこの作文が、この生徒の差別に対する認識がほんまもんになって いることを物語るものとは思わない。いかにも科学的にみえるこの認識は身近にある差別と本当に 取り組むことができるかどうかという試練を経なければならない。えてして作文ではこう書く生徒 が、実際の問題ととり組む時にしりごみする場合が多いのである。一都落の歴史を知識としての み教育してきた社会科教育はきびしい反省に直面しなければならなかった。資料2の作文は部落の 生徒である。相当客観的に自分の大字の現実をとらえている。部落の生徒の学習会の中で身近かな 差別の問題を学習した藤艮としてこれが生まれたと言える。資料1.の作文と比べて、差別の学習は 身近かな問題を掘り起こす取り組みの中で行なわなけれぱならないことをいみじくも物語っている といえる。資料3.の作文も部落の生徒である。学校の中にある諸現象を差別としてとらえ羅列して
いるが、学級会、生徒会の活動の現状にきびしい批判を加えている。この作文の発表は生徒会の活 動に大きな転機をうながすことになるのである。
皿 生徒一人一人の諸要求を組織していった生徒会活動
1.生徒会活動のあり方についての重大な反省一資料aの作文は学校内の差別をえぐり出しつつ、
一74一
学活・生徒会活動のあり方に痛烈な批判を加えている。学級の中でほっておかれているような人が 少し何かすると学級会は色々彼をせめる。しかし「ほ。ておかれている」ということが問題なんだ として討論したことがあっただろうか・・・…という指適、学活や生徒会で遠足や修学旅行について話 しあうと「バスの中は静かに」「おやつに百円以内」などの話し合いはされるが、遠足や旅行に行 かない、いや行けない生徒について話し合うたことがあっただろうか……という指嵐これらの指 適は同和教育はここから始めるのですよと教師に向って叫んでいるのです。底辺の要求を大切にし ないような討論や活動は差別に通じると叫んでいるのです。この作文発表を契機に生徒会は執よう に学級代表者会を開き過去の活動をつぶさに反省し、生徒会活動のあるべき方向を追求してい。た。
半年がかりの討論と活動の中で生徒達が確認した内容をや、抽象して整理してみる。O・生徒会の果 さなければならない使命は何か。 つは生徒一人一人の願いを聞き出しそれを解決していく活動で あり、今一つは生徒・人一人の学校生活を規律あるものにし、本当に生活しやすい学校をつくり出 す、規律ある学校を自分達みずからで作り出す活動である。○生徒の願いの実現は大切だがむず かしい。役員。はもちろんだが、生徒みんなの学校や先生に対するいままでの考え方をかえていかな いとこの活動は進まない。学校がやるから正しい、先生がおっしゃるから正しいとはかぎらない。
でもいままではこんな風に考えてきたし、親にもいわれてきた。C・生徒会はいろいろな行事活動 をやつてきた。その活動の中ではみんなの意見を十分にとり入れ実現してきた。だから行事のあと はいつもみんなが自分達の力でやりぬくことができたと感じている。この事は生徒会活動に対する みんなの要求を実現してきたという意味で大事にしなければならない。Oしかし毎日の学校生活 の中でみんなのもっている悩みをねぱり強く引き出す活動は何もしてなかったといってよい。そん なことは考えたこともなかった。○役員という刎壬そのためにこそ選出されたものである。生徒 の願いを実現していく活動は、本当に学校の中に民主主義をつくり出し、生徒の人間らしさを大切 にする活動である。O自分達は差別が何だ、権利な何だ、民主主義とはこんなことだと年々学習 して来た。しかしいくら勉強しても差別をなくする活駄権利を実現する仕事を小さなことからで もやらないと何もならない。 O自分達の生活は自分達でよくするんだということで「生活委員」
が中心になりて朝早くから夕方おそくまで努力してくれているが、みんなからみると「工一カッコ ヅテ」という感じがする。その証拠に毎週生活目標がいくらきめられてもみんな知らん顔している。
○生活委貝は毎朝校門に立。て生徒の服装を正し、遅刻者への注意や理由を調べている。この活動 には頭が下る。しかしそれが毎日くりかえされていながら必ず違反者がいる。この事については役 買としてしりかり考えてみなければならない。自分達はじきに 「してこん奴が悪い」と考えてしま うが、いくらそんなことを言りてみても、みんなが規律を守れるようにはなれない。目標をきめる ような人は立派だが、目標を守らぬ奴は悪いのだとだけ役員が考えてしまうのはまちが。ていない だろうか。O特に学級役員というのは担任の先生の伝達ばかりが仕事1巻たいになりている。だか ら一つまちがえぱ学級のだれかに困。た行動があれば、逆に仲間としては何もしないでいて、担任 の先生につけ口することに一心になりている場合が多い。「先生にいいつける」のではなくして、
先生といっしょになつて考えるように努力すべきである。O学級の中はまだまだ仲間同志の粗の さがし合いになっていて、これが学級の中の仲間同志のイガミあいの一つの原因にもなつている。
また逆にいくら粗がありても「さわらぬ神にたたりなし」といった無関心な人もたくさんいる。
○いたずらをしてはいっも先生にしかられているA君、B君、c君のことについて生徒会としてほ 」75
んならどないするんやということで真剣に話し合われたことはたい。行事をどのように成功させよ うかとおそくまでかかって話し合った程モ三君の事について生徒会として一心に考えなかったこと
は反省すべきだ。
これらの討論の中に一貫して流れているものは、生徒会活動は生徒の権利をきちんと守る重要な 任務をもっていること、今一つは自分達の生活を自分達の手で管理しなければならないという任務
をもっていることの生徒同志の確認である。
2.教師に対する要求活動の展開一授業に対する要求白書運動一長期にわたりこれらの総括を 確認した生徒は、手はじめに生徒みんなの先生に対する諸要求をまとめる話し合いと調査活動を始 めた。授業に対する生徒の要求が何よりもまず一番切実な要求であるということは代表者会の一致 した意見であった。要求を書きあげることの意味について各学級で話し合いをもちながら・調査用
紙が配布された。ぞくぞく集まる要求は項目別教科別にまとめ歩げられた。
この活動については教師仲間でも色々と批判があった。しかしわれわれ教師としては、過去一貫 して生徒達に対して教師側の要求を指導という形で提起しては来たが、生徒の側の要求を掘り起し
それに耳を傾けてみるという姿勢、生徒の要求を育てるという姿勢には欠けていた。この事が事実 であることは事のよしあしは別としてみな異論のないところであった。結果としてわれわれ教師集 団はこれら生徒会の自主的要求活動を静かに見守ることになった。現今の学校体制の中でこの活動 を消極的であれ保障しえたことは高く評伝しなければならないと考える。
学級として要求をまとめ、その先生個々と話し合う。教科の先生の考えておられることを十分聞 くと同時に自分達の願いも率直に出していくという活動が始まった。先生方の人格を傷つけないよ う十分な配慮をしていた。また要求事項をまとめるにっいても正しくない項目は学級討論の中で、1
あるいは代表者会の中で削除されていった。よくわれわれ教師は「生徒のかってな要求は聞けない
」というが、かってな、まちがった要求であるかどうかは学級数十人の集団的な判断によって決定 されるわけであるから、その事を忘れないようにしなければならない。
集約された要求は教科別、項目別に整理された。全校生徒約360人が各教科にわたって延ぺ 1500項目の要求を提起した。項目別にみてみると、○「授業をわかりゃすく」35.3敗O「えこ
ひいきをしないで・生徒の人格を尊重して」15.6紙○「授業内容をゆたかに」11.1弧○「授業 の雰囲気を大切に」93弧等々10項目に整理された。以下上記の要求項目を簡単に分析してみる。
○「授業をもっとわかりやすく」という要求が、全要求項目の中で圧倒的に多い。この要求は色 々な面からでている。「説明をわかりやすく」「ゆっくりとした口調で」「資料を十分用いて」「
大きな声で」等々である。この生徒の声にわれわれ教師は謙虚に反省すべきであると同時に、雑務 に追いまくられ、多い持ち時間に悲鳴をあげ、加えて補欠授業、補習授業等で週30時間をはるか にこすといった現実の条件をなんとしてでもかえていかなけれぱならないという姿勢が必要である。
この現実の条件が教材研究を不足にし、大きな声で説明もできないほど疲れさせ、資料なんてまわ りする時間もない状況をつくり出しているのである。こういった生徒の要求活動に支えられながら、
教師は地教委交渉、親の要求運動を通して二名の講師を獲得することになった。
○次に「えこひいきをしないで」「生徒の人格を尊重して」という要求の多いのに注意しなけれ ばならない。われわれ教師は意識しているいないにかかわらず、生徒達がわれわれの言動を「えこ ひいき」「人格無視」ととらえている場合が多い事実を言忍めないわけにはいかない。教育が民主主 一76一
義と人権の確立をめざして行なわなければならない以上寸毫もゆるがせにできない問題であると考 える。しかし今一っ重要な問題は全要求項目にっいていえることであるが、生徒達が教師の言葉を 「えこひいき」「人格無視」と受けとめていながら、教師に対しその事のあやまりをなぜ抗議しな
いのかということである。そうすることの大切さと手だてを十分に指導していかねばならない。こ の指導を通して育つ生徒達の願いに依頼してはじめてその教育は民主的となると考える。
以下省略するが、この生徒一人一人の授業に対する要求を集約する連動は、生徒はみんなどんな 要求をもっているのかということを、生徒個々人の前に明きらかにした意味において重要であった。
なぜなら共通の願いが明確化したことは生徒の集団化に大きな役割を果たしたからである。更には 「困っているという事実に基づいて、先生に対し学級として、生徒会として集団的に要求した」と
いうことそれ自身が評価されなければならない。同時にわれわれが自分の今やっている教育を今一 度みなおしてみる重要な契機となった事を忘れてはならない・
4.学校に対する要求活動の展開一 学校白書運動の先駆一授業に対する要求白書運動の中で学 校の施設や設備に対する生徒の要求を集約すること重要さが確認された。授業に対する要求の中に は教科の授業に必要な設備への要求も相当数あった。この事をふまえて「学校の施設や設備に対す る要求」活動が全校的に始まるわけである。r学校の施設や設備にっいてこうしてほしいと思うこ とを自由に書いてください……」という調査用紙が各学級に配布された。のぺ548人が大略19項 目の要求を列挙した。以下その一例を上げてみると、○戸窓、腰掛、机等を修理購入してほしい (95人)、○教室には照明器具をつけてほしい.(87人)、○保健室に薬品、備品をそろえてほ しい(68人)等々である。これら学校に対する要求項目については、その一っ一つがいかに正当 なものであるかという科学的根拠を「調査、実測を行なうことによって」「保健の教科書の記述よ り」r文部省の○○基準」等により明きらかにしながら、18頁におよぶプリントを作成し、生徒
のみんなに返し、要求の正当性についての学習を組織していった。要求そのものが正しいものであ ることを集団的に学習しえたことは、要求事項が一つ一つ解決した以上に重要な意味をもっのであ る。以下18頁におよぶプリントの内容の二、三を紹介する。
○はじめに(表紙) 「私達の要求」生徒会執行部は学校に対する生徒一人一人の要求をこまかに 調査しました。その調査の結果にもとずき、さらにくわしく実態を調査しました。以下その内容を 報告します。私達はこの要求を実現し、明るく、住みよい学校をつくるために真剣に考え、真剣に 行動しましょう。一生徒会長一 〇保健室の設備薬品について一私達は保健教科書を参考にし て学校におかなければならない薬品などについて調べてみました。おいておかなければならない薬 晶類は全部で33種類、現に学校にあるものは11種類です。なければならないものの三分の一し
かないような状態ですから、私達がけがをして救急処置をすると大へん困るのです。かぜをひいて 苦しくても体温はいくらだということもわからず、寒くても湯タンポのない部屋でねなくてはなり ません。ですから…・…。○照明器具について 保健の先生に問いて調べてみると文部省保健
体育局は基準照度としては「普通教室150〜300ルクス」「昇降□、廊下、便所アO〜150ルクス
」でなければなりません。机上の最小限度は100〃クスなけれぱならないことになっており、また 室内の最大・最小照度の比は10対1〜20対1をこえてはならないといっています。13教室あ りますが照明設備のない教室は3教室あり、設備があっても実際に電気のつく箇所は三分の一です。
各教室の照度を実際に測定Lてみると…・……・・…・1A教室 前右67ルクヌ、前左325、
一ア7一
後右62、.後左1ちO−0・{快晴1−1時嘉在机」≡測定)以下脇
lV ねていた親を起した生徒達一部落の父母や青年による学習会の成立
1.部落差別の現実を一人残らずみんなの中へ一部落の生徒達による学習会は以上のような生徒会 の活発な要求白書運動に支えられ一段とその活動内容も豊かなものになって行った。1966年4 月当初二年生には二名の長欠生が生まれつつあった。一人は自家下請家内工業の手伝のためであり、
一人は奈良市へ血縁をたよって靴の甲師見熱に通勤一し姐跳。部落の生徒達が中心となってr長 欠生をどう迎えるか」真剣な学級討論が組織された。生徒達は先輩の活動に学びながら、分担をき めては長欠生の家を訪問し、根気強く説得した。長欠に対する学校の考え方、先生の考え方、学級 会、学年会といった集団討論の場できびしく正されました。「一ケ月も休んでいる彼等が学校に来 たら学校としては具体的にどうするのか」という大きな課題をか㌧え教師集団としては何ら具体的 な手だてのたいま』・生徒達がなんとか援助してくれるように指導しようと考えていた。二人は やってきた。うち一人は従来から学校に来ていた二人といっしょになって様々た非行をくり返した。
そんな夜には部落の生徒達は必ず彼等非行生を囲んで話しこんだ。この話し合いの中で仲間をよく するのは注意よりもまず援助であることが増々明確となった。
この頃、二年生のある学級では日記事件が起った。この日記というのは学級のもちまわりの日記 で順番のまわってきたものが、 「自分の困っていること」「うれしいこと」「家のこと」「学級の こと」「友人のこと」「学習のこと」何を書いてもよい自由日記であり、また誰が読んでもよい日記 であった。ある日その日記にある女生徒が「うちの母は部落の子と遊ばないようにしなさいといい ます。しかし私はその意味がはっきりわからないので部落の人とも遊んでいます。でもこのことは 母にないし上です」と書いた。この事件は二年生の各学級の部落差別についての学習李更に深化発 展きせた。無関心をよそおっていた一部の生徒達も覚醒を余儀たくされた。部落の生徒の学習会も 量的質的に完全なまでに拡大した。
2. 「差別の現実」を親の中へ一この事を契機に部落の生徒達は意識的に部落差別の問題につい て家の人々と話し合うことの大切さを確認した。今までは差別の学習会に参加する場合でも「ちょ っといってくるわ」といって家を出ていた。しかし「学習の成果」を一番身近かな人々に広めるこ とが何よりも大切であり、またある意味ではとってもむずかしい問題でもあった。生徒達は親にだ ずねるという形でこの活動を展開した。親は色々複雑な意味から返答に困ってごまかした場合もだ びたびあった。いやごまかしたのではたく、ある場合は正しい事がわからず何も言えなかったのか も知れたい。親のあやまった考えについては生徒達はするどく訂正した。しかしどの生徒の報告で も「今はそんな差別なんかないんだ」といった親は一人もいないという報告であった。また逆に差 別について正しい考え方(差別は心の問題でなく、事実の問題)をもっている親もほとんどいない というのが生徒達の報告であった。親の考え方の誤りを正し、親の疑問に正しく答えていけるよう に更に学習を積み、実践を強化すること いや親の話しの中から学はなけれぱたらたい幾多のも のが含まれているのだという二見方で、根気よく、親と話し合い、話し合ったことを報告する活動を通し て、差別の問題をより広く、より深く理解しなければならないことが確認された。こういった生徒
一アあ
一達の活動と地域の民主的な力に支えら棚がら、部藩ゆ父矧期1回の学習会を組織し、集まっては子供の 事が話されるρたんとか勉強してほしいという願いを色々な形で出してくる。教育についての要求はぽ つわ出るが、実生活を高める要求はなかなか出てこない。父母の生活要求をどう育でどう組織し、ど う一運動し⑪・くかヵ今僕の課題である。この事なしに差別と取り組む運動は起らないし、差別について の理解も」深まらない。
3一 「差別の現実」を青年とともに一一方部落の青年達の学習会について少々触れておきたい。そ のはじまりは1964年7月 アラクサ という歌声サークルの結成に始まる。こ』には中学生、高校
校生、青年と色々な若人が集まり、平群村全体のサークルであった。がやがやと何度か繰り返す民主 的な話し合いを通して大きく三つの活動方針が確麗された。 ①歌声を通じて誰でも気安く参加でき るサ クルにじょう。 ②一人が百歩前進するのではなくて、みんなが一歩前進できるように活動し よう。 ③それがためには進んだ眉はどのように遅れた層を高めるかを配慮しながら活動しよう。こ れらの方針は一貫して追求された。そこに集まってくる青年の六割は部落の青年達であった。最初は 規律も何もあったものではなかった。しかしまじめな集団の力は徐々に彼等を変革し、彼等の無規律 な行動から色々なことを学びとった。方針は勝利をしめた。歌声のすんだ後、部落の青年達を中心に いつしか部落差別の現実について一青年一人一人の日々の労働の実態を報告する中で・真剣に話 し合うようになっていた。この事は地域の中学生に大きな影響を与えた。逆にまた青焦眉は部落の生 待の学習会から色々なことを学ぶことにもなった。目下青年達の学習会と平行して相互に影響を与え ながら前進している。青年達は言う 誰がなんといおうが、おれ違は部落の問題を避けて生きるこ とはできない。正しく知って広め、胸をはって生きるんだ。一しかし青年達の当面の課題は要求を 根気よく掘りおこすことをやりながら「差別があるのに要求なし、要求があっても連動なし」の現状 〃なんとかしてでも克服することである。
V むすびにかえて
対比れ一は全同教が多年の研究と実践の中て明らかにしてきた同和教育の目標に立ち返って自らの教 育実践を絶えず点検する必要があ糺
・何が差別であるかを子供達の生活条件や教育条件の中からはっきりと認識させる。
・差別が生まれてくる原因をしっかりと学習さゼ認識させ孔
・差別とどのように取り組んでいったらよいのかとい5ことを実践的に露識させる。
このような学力を豊かに身につけた人間を育てる
われわれはこれらの目標をふまえた上で更に以下六つの視点から絶えず実践を総括することが大切 であることを考える。
①教育の諸条件を高めることを組織的に行なっているだろうか?
②同和教育をすべての人々のものにしていく活動を行なっているだろうか?
③差別に対する子供の科学的認識を育てる実践をやっているのだろうか?
④子供の健康を守る実践をやっているだろうか?
⑥学習の遅れている子供を高める実践をやっているだろうか?
⑥子供の自主的な要求活動をすすめる実践をやっているだろうか?
お わ り
・79・
差別の問題を提起した生徒の作文〔資料1〕
部落問題 差別をなくするために
2年生 男 子
ぽくはこれから部落の問題と題して、差別についてお話します。現在は民主主義の時代だといいます が、民主主義の根本は、人間はみな平等であるということです。けれども現在の資本主義社会における 民主主義というのは全く形だけの民主主義です。その証拠に階級の差別があります。すなわち資本家の ように労働者を働かせてもうける人と、働いて資本家からお金をもらう人との間の差別です。叉、職業 でもこのような差別があります。それは汗を流して働く土方、炭鉱労働者などの職業の人々なのです。
この人々は、働いても働いても、生活が楽にならないという差別があります。だから、あんな所へは、
嫁に行かないとか、あんな所とっきあいはいけないなどの差別もあります。このような差別が集まって いる所、最も多い所が部落です。こういう部落を残しておくことによって榑をしている人間がいるので す。その人は経済をぎゆうじっている人々です。なぜこういう人々の得になるのか具体的にお話ししま
す。
ある工場で工員が賃金が安いためにストやデモをすると、経営者は、部落から失業した人々を呼び集 め、そこで安い賃金で働かせ前までの労働者をやめさせるのです。だから部落があるために労働者すな わち被支配者はデモやストもできません。するとしても部落の人々を経営者は呼び集めヌトやデモをと める役をさせるからです。こんな差別蛙のこしておくほうが支配者は人民を支配するためにつごうがよいので す。労働者の敵は部落民でない。部落民の敵は労働者てたい。ほんとうの敵というのは、他にあると考 えます。
この例を最近問題になった日韓会談について考えてみましょう。この会談でデモがおこった理由が現 在表われているのです。それは日本のだれかが朝鮮の低賃金に目をつけて条約を結び、日本の品物を朝 鮮の労働者は首にされて働く口がなくなるのです。だから日本の労働者は反対のデモをしたのです。
ほくたちも民主主義の敵をほっておいていいのでしょうか。歴史はそれをほっておかないでしょう。
それをかえるのはぽくたちなのです。日本国一民、そして全世界の人々が手をがっちりつながなければな りません。そして民主主義の敵をやっっけるためにみんな協力して、そして手をがっしりつないで団結 し、その中から勇気を発揮しなければなりません。それをしてこそ、今の社会を自由の社会、差別のな い社会にすることができるのです。 (おわり)
〔資料2〕
ぽ く の 大 字
1年生 男 子
ぼくの住む若井は、平群二十ニケ大字の中で最も人口の多い大字です。昨年十月の国勢調査によれば 人口883人です。これは平群村全人口の約1割5分になります。これからぼくがみなさんにお話しする
ことは、日頃不思議に思ったり疑問に思っている点にっいてであp、そのことについて、みんなといっ しょに考えて行きたいと思うのです。
まずはじめは職業の問題です。農村でありながら田や山をもって農業している人がごく少なく自分の 山をもっている家は1軒もないくらいです。田や畑にしてもせいぜい2段から3段ぐらいで、しかも若 井から遠くはなれた大字に点々とあるのです。ですから特に終戦までは仕事がしたくてもできなく大変
一8−0二
くらしに困。たと大人の人達は話しています。戦後少しの農地が手に入ったが、今では大多数の人は生活 費のために土地を手はなしたといわれています。会辻などにつとめている失対の人々も全部といっても いい程岩井の人達です。しかもこの失対の人達は毎日働きたいと一魯、っても月々22日しか働くことので きないように国からかってにきめられているのです。土方や山カぜき仕事は雨が降ると休まなければた
りません。それで収入がきまらず生活がとてもやりにくいのです。その上げがや病気になってもなんの 保障もないので生活は一段と苦しくなるのです。
次に教育の問題です。若丼大字は始めにもお話ししたとおり平群村の中で一番人口の多い大字です。
しかし高校にかよっている人は4〜5人で、大字を出た人又は現在がよっている人も合わせて、これも 4〜5人です。中学校でもよく休むのは若井の仲間です。勉強をしない人が特に多いのも若井です。大 人の人々の中に字の読めない人もたくさんあります。自動車の免許をとる時でも運転はうまいのに学科
ができず数回うけても通らず、ルかたなしに免許証だして車にのって交通違反でつかまって罰金を取ら れた人も多くいるのです。また選挙の投票の時でも自分の選ぶ候補者の名前が思うように書けず、この ため無効票になる人も多くいると父が話していました。
その他の問題の中にもけんかをしたり、むちゃをいったりする人も若丼に多く昔からガラの悪いとこ ろやといわれてきました。ぼくが中学校に入学した時も友人の中に若井といえば何か別な恐ろしいもの のように考えている人々がたくさんいることを矢口りました。
今までお話した中からみたさんが自分の住んでいる大字の実状とくらべていただけれぱたいへん違っ た点が多くあることに気づかれると思います。またなぜそうたったのかと疑問のある点も多いと思いま す。ぽくはぽくの住んでいる大字の人は決してなまけ者であったとは思いません。大人の人は毎日それ それ 生けん命働いて湘られるし、けっして頭が悪いから読んだり書いたりできないとも思えません。
そうなるためには何か悪い条件があったにちがいないと思います。今のところその原因にっいてはよく わかりませんが、今後自分の住んでいる大字や村の中にある色々と困った事実事みんなで明きらかにし、
考え、たぜそうなったかという問題をつかみ、どのようにすれぱそれが解決されていくのかについて勉 強し、先生の指導をうけつつ一つ一つの悪い条件斉なくし、正しい方向にみんたが力を合わせたいと思 うのです。このことが本当にできる強い人間になることによって、みんなが住みよい村に変えていける ことを信じます。
〔資料 3〕
学校の中にある差別
2年生女 子
私はこれからの身のまわりにある差別についてお話ししてみたいと思います。みなさんはなぜそれが 差別なのかと思われるかも知机ません。しかし私はこれからお話しするようなまちがったことが差別で
あると思うのです。 (中略)
神聖であるべき学校の中にも色々と差別があります。まず最初に女子家庭科のミシンが8台しかない という事実です。たとえば43人の生徒が被服の実習を受けるとしても8台しかないミシンで43人も の生徒がしっかりと実習できるでしょうか。とうていだめなのです。みんたが使うとすれば時間を割り 振ってみて下さい。事実上みんなが平等に実習を受けることはできたいのです。
補習ということについて考えてみましょう。私達二年生は全員うけていますが三年生は希望者だ 賦 うけていない人が3割もいます。しかも補習組はAとBに分けられ、Aは比較的勉強のできる人のグルi −81一
プ、BはAの人よりも少しおちる人という具合に分かれています。この事についてみなさんはどう思 いますか。補習を受けない人、受けている人でもA組の人、B組め人の三段階に差別されているので はないでしょうか。先生方は受けない入、B組の人を差別してないとおっしゃるかもしれません。A 組の人はB組の人の事を差別していませんというでしょ.う。しかしたとえ心の持ち方で差別しでない
としても三段階があることは事実であります。この事が差別なのです・
わたしたちのいやなものの一つに「成績一覧表」の制度があります。それを見ると一番からどんび りまでちゃんと序列がついています。後から数える方が早いという人はたまったものではありません。
だっていっもだいたい同じようなところにいるからです。私達にかえして下さるのは名前は書いてい ませんが、あきらかに差別だと思うのです。下の人が上へ上がれば、上の人は下へ落ちます。だから みなさんは落ちないように上へ上がろうとがんばります。もちろんそんな事を気にせず、なにもしな い人も多くいます。がんばることはよいことです。けれど一覧表の上での競争は本当に社会に出て役 に立つのでしょうか、ほんとうに仲間を大切にしながら立派になろうというほんとうの知識になるで
しょうか。
いっていけぱきりが参りませんが、次に修学旅行や遠足について考えてみます。行ける人はよいで しょう。けれども行けない人が組に1人でも2人でもいた場合はどうでしょう。それも経済的な理由 によって。これは修学旅行や遠足に行けるという教育を受ける権利が保証されていないということで す。みんなが平等でなくてはならないのに………。私達は学級や生徒会の中でこんな事について話し 合ったことがあったでしょうか。京都へ社会見学に行った時もそうでした。「並び方」「バスの中」
rシオリ」等々については色々しんけんに話し合いました。しかし行けない人の立場に立ってその人 の事をしんけんに話し合った事があったでしょラか。「バヌの中では静かにしましょう」と決めるよ うな事だけが、生徒会の仕事なのでしょうか。
次に勉強や生活の面でほっておかれているというような人が学級の中に何人かいることは事実です。
このことにっいてもみんなで話し合い考えた事があるでしょうか。たとえばある人に先生がこういわ れたとします。「おまえは勉強はできないが、走るのが得意だから、一生けん命はしれよ。」と。走 って体をきたえる事も大切ですが、学校へ走りに来たわけではないのですから、その人も楽しくわか るように授業がうけられるようみんなで考えていかなければならないのだと思うのです。
色々話しましたが、これらは私たちが学校や学級で生活していて一番身近かに感じる差別なのです。
差別でないとおっしゃられてもわたくしたちはそう感じるのですからしかたありません。将来私達が 社会人となり、日本の国の一つの原動力となり、日本の国の進展の一つの力となるために、その進展 をさまたげる色々な問題、身近におこっている差別をなくし、人々がみんな本当に自由で平等な平和 な国になるようたとえ小さな力であっても、自分達の出来る事からみんな力を合わせて努力したいも のです。
(おわり)
一82一