奈良教育大学学術リポジトリNEAR
「コールユーブンゲン」の批判的考察 I
著者 奥 忍, 福井 隼仁
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 23
ページ 13‑22
発行年 1987‑03‑01
その他のタイトル A Critical Study of F. Wullner's "Chorubungen"
1
URL http://hdl.handle.net/10105/6624
「コールユーブンゲン」の批判向包考察I*
奥 忍・福井隼仁**
(音楽教室)
要旨:本稿は「コールユーブンゲン」の内容について、検討と評樋を試みたも のである。幾つかの視点から検討を行った結果、到達した結論は次の通りであ
る。
1.序文に記された理念は現代日本の音楽教育に適合しない。
2.ソルフェージュ教材としては聴音の学習領域を欠く、という欠陥がある。
3.楽典教材としては内容の不備、概念把握の弱さ、古さが問題となる。
4.視唱教材としては音名、リズム、音程、その他に量や配列の問題がある。
キーワード:コールユーブンゲン、ソルフェージュ、W舳ner
1.はじめ1こ
一般1とrコールユーブンゲン」と呼ばれているrミュンヘン音楽学校合唱練習書」Cho誠一 bmgen der Munchener M衙siksch汕eはFranz W舳nerによって1875年に記され、
Theodor Ackermam,Munchenから出版された。コールユープンゲンはrバイエル」と 共に日本の音楽教育を語るときには避けて通る事のできない教本である。しかも、これら2種 の教本は、執筆者の国ドイツを始め欧米諸国では既に忘れ去られた教本である、という共通点 を持っている。
コールユーブンゲンは何故日本の音楽教育でのみ大きな役割を果たしているのだろうか。コ ールユーブンゲンが日本へ導入された経緯とその後の普及の歴史は、音楽取調掛に始まる東京
芸術大学における音楽教育と、その卒業生たちの果たした役割とに深く関わっている。しかし、
この様な歴史的観点からの議論は他の機会にゆずりたい。本稿はそれに先立って、コールユー ブンゲンそのものについての検討と評価を行うことを目的としている。
2.日本の音楽教育におけるコールユープンゲンの現状
大正14年に、信時潔による全訳版が大阪開成社から出版されて以来、日本の音楽教育におけ るコールユーブンゲンの地位は不動の様に見える。全国音楽大学学校案内昭和61年度1によれ
ば、ソルフェージュ関係の問題が掲載されている4年制大学33大学の中25大学の入学試験にコ ールユーブンゲンが課せられている。この現状を反映して、現在日本で出版されているコール
* A Critical Study of F.Wωlner s ChorObmgen 1
** Shinobu OKU and Hayato FUKUI(oψ〃チme刎 ぴ Mm∫ c, M〃。 σ〃〃e73〃ツ
ぴ〃m〃0n,Mm0)
ユーブンゲンは抄訳・抜粋を含めると1O種を超える。
何故これ程コールユーブンゲンが入学試験に用いられ、この様に多くのコールユーブンゲン が出版されるのだろうか。その背景には日本の音楽教師たちのコールユーブンゲンに対する絶 大な評価が存する、と思われる。以下に列挙するコールユーブンゲン編者たちの表現は、音楽 教育界におけるコールユーブンゲン評価の氷山の一角である。
・音楽を志す人々にとり一番大切な基本である。2
・音楽勉学の「道しるべ」。正しい基本を身につける。2
・音楽を学ぶ者が最初に入り、かつ進んでは絶えず自らを吟味するための教本。3
・順序よく配列された厳格な教材の宝庫であり、限られた紙面のうちに要領よくまとめられた そのエキス。3
ここに挙げたコールユーブンゲンの編者たちは全て音楽の専門教育に携わる教師たちであり、
これらの評価はその視点からなされたものであろう。この様なコールユーブンゲンを絶対視す る見かたによって、現在の日本ではコールユーブンゲンは「楽譜を正しく正確に、読めて唱え る様に、そして楽譜を見て、その音楽の美しさを感じ、それを声で表現できる様になるため に4」、音楽を志す者全てにとって必須の道筋となっている。
ところで、日本では一般の音楽教育は専門教育の程度を低くすることによって行われてきた、
という歴史があ乱かくしてコールユーブンゲンの冒頭部分の幾つかの練習曲は中学校や高等 学校の教科書に掲載されていた。5 また、全国の教員養成学部の小学校教員養成課程のための 教科専門「音楽」のソルフェージュにおいてもコールユーブンゲンは最も有力な教材となって いる。この様に専門教育から一般教育に至るまで、日本で広く用いられているソルフェージュ 教本「コールユーブンゲン」は果たして現代の状況に耐えうる教材であろうか。
3.コールユープンゲンの性格
著者Wullnerによるコールユーブンゲンの序文は幾つかの日本版では省かれている。しかし、
この長大な序文は出版の意図を知り、教本を有効に用いるために必要な助言を述べた重要な部 分である。コールユーブンゲンの全ての練習曲はこの序文の理念によって作曲され、編纂され ている。この節では、序文の内容について検討したい。6
WOl㎞erがコールユーブンゲンを書くにあたって考慮した点は次の通りである。
①意 図 ・ミュンヘン音楽学校合唱科のため全般的音楽教養に益し、音楽的に考えさせる 教本を作る。
②目 的 ・音楽通論の根本的学習
旋律的進行、リズム、音程、和音等を楽器の力を借りずに表現できる。
③学習課程 表1の通り
④学習姿勢 ・多くを要求する時にのみ、多くを達成しうる。ただし、この原理の適用にさい しては極めて首尾一貫的な、平静な処置がとられなければならない。
余りはやく進むことのできないような人は、最下級を更に繰り返さなければな
⑤教 材
⑥学習成果
らない。そして二度目に段々と着実に目的を達成するようにしなければならない。
・作曲上価値のあるものや、独立した音楽的発見を意味するような種類のものは ない。なぜなら徹頭徹尾教育を目的としているからである。
生徒自身にとっての成果
・合唱の方法と性質の理解
・美しい合唱の音、明瞭な正しい詞の発音、芸術的なニュアンスの習得
・模範的な合唱ができる。
初歩の指揮者、教師、作曲家にとっての成果
・合唱指揮法と合唱の可能性への指針を得る。
・多くの合唱曲を知る。
・自作の試演の機会を得る。
表1 ロールユーブンゲンの学習課程
クラス
第1級
第2級
第3級
進級(クラス入る)条件 多少歌うことができ、
多少聴く耳を持ち、
多少音譜上の知識がある。
即ち、素人好楽家。まだ 少しばかりしか、または 全く歌うことのできない 人、あるいはまだこれま で音楽通論をすら習った ことのないような人。
既に練習ができており 正しく発声法もでき 多少でも譜面から歌える
人。
完全に譜が読め、
多少でも自分の声をコン トロールでき、
発音、強弱法、フレージ ング等を心得ている人。
学 習 内 容
音程上の基礎学習、およびこれと結び付け て各種の音程を正しくとる練習、およびリ ズム練習。
音程を正しくとること、および美しい声を 出すことに配慮してある小練習曲。
a b
和声学初歩を含む音楽通論の繰り返し。
芸術的に正しいニュアンスを配慮して、厳 格な、あるいは自由な多声的合唱の階名唱
法。
よい発音と正しいアクセントの特殊な学習 を含む歌詞のある多声的唱歌の練習。
a 極めて難しい合唱の階名唱法。
b 慎重、精密な演奏に充分の注意を為せる伴 奏付、または無伴奏大合唱曲の学習。
教 村
コーノレユー
ブンゲン
第1巻
第2巻
第3巻
以上の点を考慮して書かれたコールユーブンゲンを現代日本の音楽教育に適用した場合、何 も問題は起こらないのだろうか、その適合性について考えたい。
①意図、目的、対象について
W削1nerはコールユーブンゲンを、直接的には音楽の専門学校であるミュンヘン音楽学校の
全生徒を対象とした「合唱科」のために著した。しかし、その背景には「わが青少年(ミュン ヘン音楽学校および諸学校の)に対して、無益な、不徹底な時間空費的な授業の代わりに、徹 底的な、真に有益な、しかも教養達成的な授業が行われるように」という、彼の切願があった。
従って彼は、単に合唱のためのテクニック育成だけでなく、全般的音楽素養に益し、生徒に音 楽的に考えさせることをねらっている。この様にねらいが総合的である、という点はコールユ
ーブンゲンの画期的でもあり、優れた点でもある。
しかし、そのねらいの意味するところが現代日本の実状とは大きな隔たりがあると思われる。
例えば、W廿11nerの目的の一つは、コールユーブンゲンで音楽通論の学習をすることにあった が、彼の音楽通論は次の点で時代の制約を受けており、今日では使えない。
・理論の対象が西欧の調性音楽までである。
・音程や拍子が固定的な現象として肥えられており、その理論が規範となっているので、個々 の概念を多種の音楽に広げることができない。
音楽通論に関する時代的制約はそのまま、現代のソルフェージュ教材としてのコールユーブ ンゲンの欠陥となる。現代的なソルフェージュ教材が何を含むべきかについては4.で具体的に 述べる。しかし、現代の多様化された音楽様式を考える時、音楽の基礎的・総合的能力がr楽 器の力を借りずに音程、リズムがとれる」という程度の次元で計れないことは確かであ乱
⑦学習過程、学習姿勢について
現在の日本の多くの中学生の音楽能力はWOllnerの第一級に人学する生徒と変わらないかも しれない。大学の学生の音楽能力もまた同様であろう。しかるに、W舳nerの学習課程は週4 時間の合唱科の授業のためのものであり、多くの生徒は1年を経て第二級に進級するが、中に は2年を要したり、挫折する者もいた様である。日本の一般音楽教育では、どのレヴェルにお いてもソルフェージュにかけることのできる時間は週4時間よりはるかに少ない。故に大部分 の者は1年後にW舳nerの第二級に進むことは不可能である。中学・高校・大学のどのレヴェ ルにおいてもコールユーブンゲン第一巻を終了する前に卒業が来ることは明らかである。更に W舳nerは生徒が多量に練習することを望んでいるが、日本の一般の学習者に音楽学校の週4時 間分の練習を要求して卒業までにコールユーブンゲン第一巻を終了するようにカリキュラムを 組むことはできない。従って、第ユ巻の後半§34.r調体系」以降は西洋音楽理論の最重要な項目 であるにも関わらず、大学において必修とされている小学校教員養成課程の音楽の授業におい てすら、理論的にも、実践的にも学習するに至れない。
③練習曲の性格について
W舳nerによれば、「コールユーブンゲンは徹頭徹尾教育を目的としているために作曲上価
値のあるものや、独立した音楽的発見を意味するような種類のものはない」。その結果、コー
ルユーブンゲンで学習者は無味乾燥な、機械的な練習を強いられることとなる。しかし、「音
楽的に考える」能力をつけるためには、音楽的に意味のあるものを教材とする必要があるので
はないだろうか。良い教材は、学習者が随所に発見の喜びを感じ、その喜びが学習を進める上
での強い要因となる性格を持っている。この点で、コールユーブンゲンの教材観は過去のもの
である、と言える。特に冒頭の2度〜4度の練習は高い音域で声が出にくく、音楽的に単純で、
学習者に音楽への興味を喪失させる危険性すら感じる。魅力のない教材という点では、一般教 育の学習者も専門教育の学習者も、その反応は変わりないであろう。
以上、コールユーブンゲンの性格について著者Wmlnerの序文に沿って3点を検討した。そ の結果、コールユーブンゲンの練習曲の背景にある理念は、現代の日本におけるソルフェージ ュ教材として適合しないことが判明した。
4.ソルフェージュ教材としてのコールユーブンゲンの評価
コ二ルユーブンゲンが日本で用いられているのは2.で述べた様に音楽の基礎教育としてのソ ルフェージュにおいてである。また執筆者W血unerの出版意図も3.で述べた様に、音楽の総合 的な基礎教育をこの教本によって行うことにあった。W舳nerの意図は当時では画期的なもの であったろう。
ところでコールユーブンゲンの評価に先立って、現在の時点でのソルフェージュにはどの様 な学習内容が含まれる、と考えられるだろうか。小学校教員養成課程におけるソルフェージュ のありかたについては「教科専門r音楽」におけるソルフェージュの現代化」7において詳細に 検討・考察した。それ故にここでは、専門教育をも含めて一般的に論じたい。さて、ソルフェ ージュを「音楽の総合的な基礎教育」として把えると、その教材は少なくとも以下の学習内容 を含むものでなければならない、というのが我々の見解である。
1.楽典[音楽理論(楽譜に関する基礎知識を含む)、初歩の和声]
2.視唱[ソルミゼーションの応用による歌唱、楽器による視奏]
3.聴音[音高・音価・和音の識別と記譜]
この見解に照らし合わせてコールユーブンゲンを検討してみると、そこでは全内容が網羅さ れてはいないのである。まず第一に、楽典については後述する様な多くの項目の欠落が見られ る。第二に、視唱については、楽器による視奏を全く含んでいない。第三に、聴音については 叙述が皆無である。聴音の学習を含まないことによって、コールユーブンゲンは充足したソル フェージュ教材とはなりえないのであるが、ここでは更に①楽典教材として、②視唱教材とし てのコールユーブンゲンに焦点を合わせて内容を検討したい。
①楽典教材 としてのコールユープンゲン
「コールユーブンゲンで音楽通論の根本的学習を」という、著者W高11nerの意図に関わらず、
現在の日本でコールユーブンゲンが楽典教材として用いられることは皆無と言って良いだろう、
何故」コールユーブンゲンは楽典教材として用いられないのだろうか。その原因は楽典教材とし て体系的でなく、内容に不備が多いことと、概念把握の弱さ、古さにある、と思われる。まず、
内容の不備について述べよう。
表2はコールユーブンゲンの目次である。コールユーブンゲンはソルフェージュのための総 合教材として著されているので、項目の立てがたが一般の楽典や音楽通論とはかなりの相異が
ある。
表2 信時潔訳「全訳コールユーブンゲン」の目次
第 第 第 第 第 第 第 第 第 第
四 五 六 七 八 九 十
阜 県 阜 阜 県 早
.早
阜 県 阜
第十一章 第十二章 第十三章 第十四章 第十五章
第十六章 第十七章
第十八章 第十九章 第二十章
第二十一章 第二十二章
旋律,音列,節奏・…
音階……
音程 二度音程 拍子
節奏上のアクセント 単純二拍子
二倍の二拍子(重慶二拍子)
同長音符で休止を含む節奏 二拍が一音符となること 切分音
単純三拍子 三度音程
節奏の切れめ、楽句の切り方 二拍以上の拍が一音符となる
場合、附点音符・スラー・切分音の 新構造
四度音程
二音符を一拍に歌うこと そ 音.舌拍子における八分 音符
吾・吾・舌拍子における四分 音符
更に小さい附点音符 吾拍子と吾拍子 五度音程 音程の転回
更に小さい切分音(小拍皮切
分音)
第二十三章 第二十四章 第二十五章 第二十六章 第二十七章 第二十八章
第二十九章
第三十章
第三十一章 第三十二章
第三十三章
第三十四章 第三十五章 第三十六章 第三十七章
第三十八章
第三十九章
第四十章
第四十一章 第四十二章
上拍(Auftakt)
景拍子と旨拍子 六度音程 三連音 六度音程の転回
音符四個を一拍に教えること を 音・舌拍子における十六 分音符
多 吾・舌拍子等における八 分音符
最小附点音符 七度音程 七度音程の転回
長音階の音程に関する一般的 規則
和声,和音,音階の基和音、
基三和音長調体系 調の関系
五度の関係調への移り行き 終止
短調体系(Mollsystem)短音 階,その音程,その基和音 和声的及び旋律的短音階,短 調の調号,平行調
短調和音練習,拡張させる長 調の和音練習
属七の和音 半音階 臨時記号
この目次の項目を他の一般的な楽典や音楽通論の方法に習って整理し、それらと比較したのが表3
である。この表によってコールユーブンケンが他の楽典・音楽通論の書籍が含んでいる項目全てを
カヴァーするには程遠いことが分かる。また表3で△を付した項目は、}他の楽典教材には含まれて
いる細項目を含んでいないものである。なお△の内、欠けている細項目は表3の下に言己されている。
表3 コールユーブンゲンと他の楽典、音楽通論関係書籍の内容の比較 壱1コールユーブンケン
a 音 b譜 表
C 音 名 d音符・休符
e 拍子と小節
f音 程 9音 階 h和 音 i転 調
j標語と記号
k音楽形式 1楽器と音
×
△
△
△
△
△
△
△
△
×
X X
…■■■■ 一皿■ ■一I 1■■ I
一ンゲン 8 9 1O 11 12 13 14 15
真篠 菊本 山懸 清水 石桁
カワイC.N C.Y
○ O ○ ○ ○ ○ ○
×○ O ○ ○ ○ O ○ O
○ O ○ ○ ○ ○ ○一 ○
○
O○ ○ O ○ O ○
O ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
O O ○ ○ ○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○ ○ ○ O ○
○ O ○ ○
O○ ○ ○
O O ○ ○ ○ ○ ○ O
○
OO ○ ○ O ○ O
○
O○ ○
×○ ○ ○
○
OX ○ X ○ O O
b.譜 表楽譜についての理鯉、様々な音部記号等 C、音 名派生音、異名同音等
d.音符・休符 様々な種類とそれらの書法 f.音 程複合音程、協和・不協和等 g.音 階 教会旋法、諸民族の音階等
h.和 音初歩の和声学
以上の様にコールユーブンゲンは含まれている項目に不備がある上に、言及されている諸概念 は充分に説明されているとは言いがたく、把えかたも古い。例えば、コールユーブンゲン第一 巻で用いられる譜表は常にト音譜表であるが、この譜表についての説明がどこにも見当たらな い。音名にっいても中央の1オクターヴに関してドイツ音名、イタリア音名、数字譜の呈示が なされているが、他音域についての説明がないために、中央のオクターヴに関してすら相対的 理解が不可能である。
更に、リズム、拍子、音程、音階等全てが西洋古典派の理論に基づいており、しかも音の生 起を. 一運動 として把握するのではなく、音現象の結果として確定的に把えられている。例え ば、長音階はその生成と関係なく自明のこととして先験的 絶対的に与えられている。リズム
については、拍子を伴ったもののみを扱い、拍子は「2,3及びその倍数に限られる」と断定、
変拍子等は考慮外である。コールユーブンゲンには現代の多種の音楽に通用する概念把握は無
く、人間の内的欲求の現れとしての音楽の把握、表現行動の一様式としての音楽の把握が見ら
れない。
②視唱教材としての=1一ルユーブンゲン
著者W削1nerはコールユーブンゲンにおいて意図的に楽典と視唱を連関させているにも関わ らず、日本においてコールユーブンゲンは専ら視唱教材として用いられている。しかし、彼が 練習曲を彼自身の音楽理論に基づいて作曲、編成、構成したことを考える時、単なる視唱教材
として扱う場合でもその根幹となる音楽理論の理解は必要不可欠である。本質の理解なくして、
正当な教育効果を上げることはできない。この様な意味においてコールユープンゲンは理論的 観点から①で述べた欠陥を持っているので、それは即ち、視唱教材としての欠陥に通じること となる。それ故にここでは更に単なる視唱教材として、掲載されている教材について検討しよ
う。
ところで、「視唱能力」とは、楽譜を初見で理解・演奏するカのことである。視唱という行 動は次の様な作業の複合したものと考えられる
a 読
ェllllllヂ
b、呉音化 理解したことを音として表す。
従って、良い視唱教材はこれからの作業がある一定の秩序に基づいて分析され、組織化され、
総合化されたものでなければならない、と考えられる。
ここで、上記の項目に照らし合わせて、コールユーブンゲンで問題となる点を整理してみよ
う。
a.音名 楽典面の不備からも推測できる様に、変化記号、派生音等の登場が僅かで、こ れらについて、全体的に理解・呉音化が計れる様な内容量ではない。
b.リズム ・音符や休符、拍子等が質的・量的に不充分で、一様々な音楽のリズム・パターン のごく一部しか採りあげられていない。現代の音楽はクラシック、ポピュ和 を間わず、シンコペーション、付点音等の多用により、複雑化している。コー ルユーブンゲンに現れる様なリズム・パターンの音楽は現実にはごく一部にす ぎない。
・前半各章の冒頭に配されているr節奏読方練習」は、リズムの練習としては余 りにも単純すぎる。
・全体を2拍子から3拍子に1順に配列・帰納する方法が学習上適当かどうか、と いう疑問が生じる。変拍子・複合拍子が考慮されて配されていない。
c.音程 1度から7度までが順次配列されている。しかし、音程の理解は2度が容易で
7,8度がより困難である、というような数量的なものではなかろう。「音程
とその認知度」についての数量的・総合的研究は少なくとも現在までの日本で
はなされていないが、学習心理学的にみて数量に基準をおいた音程の配列は問
題がある、と思われる。更に、この様に音程を数量的変化のみによって把える
方法は、音程を固定化し、一般的音楽の理解に必要な和声感が育たないのでは
ないか、という危惧を与える。
d.その他 音階の配列、調性、長・短調の扱い等
以上述べたことから、コールユーブンゲンを視唱教材として用いることには、多くの問題が 存する、と言える。
さて、現代の多様な音楽文化に対応するための今日的な視唱教材は以下に挙げるような点に 留意すべきである、と我々は考えている。
a.視唱教材でありながらも、理論の学習と関連をもって指導できるような構成になっている こと。視唱教材は無目的に配列されるのではなく、それを裏付ける理論が必要である。
b.教材には現存する音楽が用いられていること。視唱のためにのみ創作された教材ばかりを 配するのは、実際の音楽理解には適さないであろうし、また学習者の意欲を低下させる。意 図的で、機械的な練習が意味を持つのは、絶対音感の様な特殊な能力の育成を目的とする場 合だけである。
C.視唱能力が確実かつ着実に上達するために教材は、リズムとメロディーの両要素にわたっ て難易度に応じて合理的にGrade化された形で配列されていなければならない。
d.曲が容易に歌える音域にあること。
e.様々なジャンルの音楽から教材を選び、日本及び諸民族の音楽の理解も図ることのできる 様な内容であること。
f.聴覚による音楽理解を図ることのできる様な教材であること。視唱は従来読譜から始まる のが通例であった。しかしながら、単なる視覚記号である楽譜は現実の音とは本質的には結 び付かないものである。}鳴り響く音 としての音楽は、まず第一に、そして最終的に聴覚 による認知・理解が図られるべきである。音による人間のコミュニケーションとしての音楽 の歴史を考える時に、耳からの音楽理解を促し、それに基づいて呉音化できる様な教材を開 発していくことが必要であろう。音楽の場合、楽譜はコミュニケーションの手段として第二 義的な役割を担ったものにすぎない、とも言えるからである。
5. おわりに
以上、日本の音楽教育において広く普及しているコールユーブンゲンについて、序文の理念 を検討し、ソルフェージュ教材としての観点から分析を行った。その結果、コールユーブンゲ ンは幾多の問題点を有しているので、現代のソルフェージュ教材としては適合しない、という
評価に達した。
コールユーブンゲンは今なお日本で最も有力なソルフェージュ教本である。日本教育を更に 押し進める上では、本稿で行った検討・評価に加えて、これまでコールユーブンゲンが日本で 果たしてきた役割を見直し、普及・温存の原因を探ることが今後必要である、と我々は考えて
いる。