奈良教育大学学術リポジトリNEAR
技術革新とイデオロギー教育 ― 東独社会主義教育 の諸問題(II) ―
著者 石井 正司
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 5
ページ 43‑51
発行年 1969‑02‑28
URL http://hdl.handle.net/10105/6175
技術革新とイデオロギー教育 東独社会主義教育の諸問題 (剛
石 井 正 司 (教育学教室)
I は じ め に
イデオロギー教育1iaθO■Ogi8Ch9腕iSl㎜1glぱ東独社会主義教育の中枢をなすものであり・社 会主義の建設,維持,発展に資サるため,マルク7・レーニン主義によって基礎づけられた公民的,
政治 道鮒世界観的意識・知識・能力・態度をつくりだれのである8したが爪それは・学 校内外の全教育活動,すなわち,全教科教育からピオネール「エルンシト・テールマン」,「自由ド
イツ青年団」 (F D J〕の活動まで,一頁してつらぬいている。しかし,主導的役割の見地からみる 庄らば,歴史,地理などの社会科的諸教科,とりわけ,第9,10学年にかける公民科(St晩t日一
一1〕ユrgθrk㎜曲〕ば重要な役割をしている。なぜなら,公民科はイデオロギー教育をもっとも科学的,
組織的に実施しているからである。
2j
いう言でもなく,イデオロギー教育は真空のなかで歩こなわれているわけでばない。東独の直面し ているきひしい時代的課題をとふしておこなわれているのである・とすれば・それはけっして一本調 子でサゴーめられたわけではなく,時代的課題にし走がってそのアクセントのおき方は微妙に変化して いる。さきに体紀要,第4号,1968・31,技術革新の進行にともなう総合技術教育の変化を考 察したが,ここセは公民科を中心として,技術革新の進行にともなって,イデオロギー教育,とりわ け,その課題意識がどのように変化してきたのか,そして,とのように変化しようとしているのか,
を考察してみたい。
皿 愛国心の強調
1957−58年,これ首での時事間題的な教科,「現代科」 (Gsgθ㎜aれ創㎝地1に代って,公民科 が登場してくる。公民科を中心としたイデオロギー教育は,1963年頃,技術革新が本格的に推進さ れる書で,1961−62年を頂点として愛国心強調の時期とみることができる。
1959年に制定された「10年制一般教育,総合技術教育学校」の第9,lO学年の公民科にぱつぎの ような単元が割当てられている。(1)社会主義に会ける青少年の展望,(2)青少年の労働階級やその 政党,および寸べての勤労者との結合,(3)わが国における青少年の積極的な協力,(4)青少年は今
日学んだもので明日新な屯のを創造サる。 (5)青少隼は彼らの生活を社会主義的にきづいていく。
(6)青少年は彼らと全人民の財産を守る。(7)青少年は他の諸民族と友好を結塙
この単元表では,愛国心は自明の前提とされているにしても,と(に熱狂的に強調しているわけで はない。それはD D R lDθut昌。hθDθm〕krati日雌Rs理bユik,東独国家〕の国民的,国際的意義と 伎割,その基礎,政策,展望,社会主義建設にとも在う青少年の権利と義務など,を教え,D D Rの 意識的,活動的在国民としての能力,態度をあたえようと守るものである。そして。その教育方法に 4,
合いては,単に矢口論にどと首ったり,図式主義に如ちいらないために,社会主義建設途上11959一 一43一
65年, ?年計画,社会主義の勝利の段階1の諸矛盾を積極的にとりあけることで強く要請している。
5,
だが,しかし,実際には,諸矛盾の把握,とり上げ方は不十分であり,知識主義,図式主義にふち いり,r平和,軍国主義,搾取,帝国主義」というような概念も具体的に理解されず,コトバ主義に 如ちいりつつあったりであ㍍
このような状況のうちに1961隼,8・13事件18月13日, 「ベルリンの壁」構築事件〕がおこ
った。
この8.13事件は公民科教育,イデオロギー教育を一挙に愛国心強調の方向におしやる契機をなし たものである。なぜなら,8・13事件は東独の国家的危機を赤裸々に,直面している諸矛盾を集中的 典型的に・書た最大限に表現したものであり1公民科教育,イデオロギー教育に現実的・具体的課題 内容を直哉に,強烈に提示したからである。
.
東独の現代教育史の史家ギュングlK.H.G㎜t㎏r jぱ,この8・13事件によって,「公民的 愛国的教育の課題,内容が正確につか書れた。」といい,ついでこういっている。「寸べての学校で
]⊃D R,労農国家権力,労働階級への愛情としての祖国愛教育,武装平和,ソ連友好の教育を集中的 な教育課題としてきた。しっかりした政治的,世界観的,道徳的知識を教えるイデオロギー教育,啓 蒙と態度,知識と行動,学習と労働を結合ゴるイデオロギー教育が公民教育の中心に庄ってきたので
ある=v
こり愛国心強調の動向ば1963年頃Iまで急速に高揚していったとみえる。 たとえば,ミーユラー①r コW.M虹ユ8r・ライフチッヒ・マルクフ大哲学部講師jば1962年9兄 「公民教育は在によりも・
社会主義的祖国D]⊃Rへの愛,労働者党,マルクフ・レーニノ主義党,その革命的指導者への愛を要 求サる。平和,社会主義を直器をもってでも守るという教育を要求サる。社会主義的愛国教育の国際 的要素として社会主義の世界組織の指導勢力,ソ連との内的結合の教育を要求寸る。」とアッピール 8〕
している。また・イデオロギー教育の理論的指導者・国立中央教育研究所長ノイナー(G.Nθ㎜θr〕
ぱ,1962年10月,つぎのようにいっている。「教育学,教育実践においては,愛国的教育と公民教 育との統一から出発しなければならない。」…「公民教育は青少年に現代の政治問題に関心をもたせ
ることであるO」…「青少年の政治的関心を覚醒させること,これが絶えず注意されねぱなら凌い。
これが基本的な教育問題である。」…r青少年は西独もドイツの一部であることを知り,帝国主義的 支配をやめさせ,西独の労働階級,愛国者の力強い行動とともに,平和で幸福な生活を愛寸ることを 学ばせなけれぱならない。」…「青少年の愛国主義,国家意識は,激情,党派的立場,強く深い感情 たくしてぱ考えられない。したがって,法則的関連をもった確実な知識にたち,しかも情緒によって 支えて,青少年の愛国的,公民的態度を生き生きとさせねぱならない。意識教育と感情教育1 11
B棚鯛 n日山Gs㎜8θ「屠 舳gjの統一は質の高い教育方法としては必須の条件であ智」
8・13事件以降,公民科教育を中心としたイデオロギー教育は,青少年の感情 情緒をゆゴりなが ら愛国心強調へと傾斜していったといえようO
皿 理論学習、地域発展理論の強調。
このような愛国心強調のイデオロギー教育は,感愉情緒にまで訴えかけているが,しかし,それ はマルクス・レーニン主義の科学というよりも,政治的ぜん動の傾向は否定づべくもないであろう。
それはすでに心ある者には感知されていたのである。寸をわち,「公民科は,どこでも,確固たる科 学的基礎もな(・ご(ありふれ鮎ん動の学科とみなされているのは・残念ながら事実であ諭・と いわざるをえないのである。
8・13事件は一応鎮静固定化した。東独は新た友,そして,巨大ではあるが,地道な課題にとりく 書をけれぱ在らない。と守れば,もはや,このようをぜん動的なイデオロギー教育にどと言っている わけにはいかない。
東独は8・13事件以降,資本主義国,とりわけ当面の敵である西独の技術革新 生産力,生産性に 拾いて決定的に劣勢であることを自覚しをけれぱならなくなってきたO西独への人口流出によって,
1「ヘルリンの壁」でくいとめたとしても〕1961−70年の間に就労年令人口は5%,実数でいえば 50万人,減少してし まう01950年には就労人口100人に対し,非就労人口は57.9人(そのうち 2I.8人は年金生活者〕であったが,1973年には83.8人(そのうち37.6人が年金生活者〕になっ てし軌しかも労働者の労働生離は西独に比較して25%帷怖と守れば・技術鞘を急速に
進行させること,リーベルマン利潤報奨方式(東独では「社会主義の経済法則」「新経済体制」とよ んでいる。〕を導入寸ることは必須不可欠,しかも緊急の措置であった。これが1963年の第6回社 会統一党大会における決定であった。このような情勢においては以前のような絶叫的を愛国心強調の 公民科教育,イデオロギー教育にととまれるはずはない。労働生産性,労働への士気をたかめるイデ オロギー教育に転換していかなければならない。
ノイナーは1963年6月・党のイデオロギー委員会と文部省の委託でベルリン計算セン貞一まで動 員した調査結果をぶ書え,今董でりイデオロギー教育の成果を一応認め左がらも,こう批判サる。
r調査結果は社≡会主義的世界観の基礎知識が青少年の意識によくいきわたっていないこと,政治的知 識に本質的欠陥のあることを示している。」…「最近,教師,生徒はとくに公民科教育の内容,その 一貫性の欠如に対立る不満をいろいろの面ではっきり示している。なかでもその不満はつぎの点にあ る。現在の公民;科教育フラノは政治,イデオロギー間題を表面的にあつかっているだけである。マル クフ・レーニン主義の最重要にして,基礎的な概念は科学的精密さをもって教えられていない。高学 年の青少年は,サでに比較的高度の精神的要求をもっているのである。彼らは従来よりも,もっと熱
心にマルクス・ レーニン主義を科学として学ぶことを要求しているのである。その他に,現在の公民 科教育プランは第。回党大会によるマルクス・レーニン主義の創造的発展倣術革新,リーベルマニ・
利潤報奨方式の導入一筆者jに対応していないのであ笛」このため党のイデオロギー委員会から 公民科教育の教授プランの改造が提案され,1脇一4年,お若くの学校での実験をへて,1964−5 年,全学校に導入されることになってきた。
第9.10学年の単元配置はつぎのように在っている。
第9学年,(1〕マルク7主義の古典が示すようを社会発展の法則性についての科学的理論,史的唯 物論を教える。(2)資本主義,現代帝国主義,国家独占資本主義の本質,矛盾,労働階 .級の使命労働運動,D D Rはドイツ労働運動,進歩的勢力の合法則的発展の成果,
(3〕D D Rは労農の国家,ドイツ唯一D正当国家
第10学年,(1)]⊃D Rでの社会主義建設Z)成果,課題, (2)その経済的課題,展望,計画,
(3)社会主義の発展,社会主義建設のための国家の股割,(4)社会主義的世界観と道徳 一45一
(5)平和と社会主義,平和共存とドイツ問題,(6)ソ連の社会主義を例として人類発展 の展望,
13,
ノィナーはこの単元の新しさ,特色はつぎの4点にあると指摘している。「(1)新公民科の内容は 生き生きとした創造的看マルター・・レーニン主義である。授業は内容,形態ともに最新り社会科学に 一致させてある。 r股教育学者の社会科学的教授にある教条主義を払拭して,生き生きとした,論争 的な,学校教育に拾ける宣伝的機能をレーニン的なフクイルにづくっている。(2)新公民科は党の綱 領の科学的説明に拾く。それは他の教科,とくに歴史と関連させて,生徒の思考,感情,態度に,比 較的 まと量ったイデオロギー的基礎を春く。それは,とくに従来の公民科とちがって,公民的知識,
態度と包拘的なイデオロギーとの関連のなかに券く。そして社会主義国家,国民意識への教育をより 痛い質にする。(3)新公民科は自主的在思考,マルクフ・レー二;/主義の文献についての自主的研究⊃
党,政府の政策の自主的研究,後進的な態度,反動的イデオロギーへの攻撃に大きなウエイトをおく。
討論,論争,誤まった見解に対する批判に大きなウエイトを拾く。授業時間には活発在精神を支配せ しめ,それを他の教科,学校内外の生活に及ぼしていく。(凸)新公民科は,生活,社会主義建設斗 争の実践に結合させ,居住地域,都,県1Hei血tort,Krθi8,Bθzirk〕 に右ける社会主義的発 展について具体的知識を教える。生活にお ける矛盾,葛藤について沈黙していないで,その斗争の弁 証法について説明し,教える。そして建設事業に参加させ,矛盾と障害を克月艮させる。」
I4
ここには以前の比較的平板なD D Rへの適応,それゆえに一転して激情的な愛国心強調になってい った動向とことなり,マルクフ・レー二:・主義,その現代的発展1技術革新,リ ベルマ;/利潤報奨 方式〕,地域における社会主義発展の理論的理解が強調さればじめていることに注目し在ければ在ら ないだろうOすなわち,ノイナーの指摘にしたがえば,「生き生きとした創造的なマルクス・レーニ
ノ主義」,「党の綱領の科学的説明」,「居住地域,郡,県に奉ける社会主義的発展についての具体 的知識」の強調である。
この動向は一体なにを意味するのであろうか。技術革新のもたらす社会風潮はある面では資本主義 社会のそれと同じものになってくる。青少年は骨の折れる,実入りの少凌い仕事よりも,7マートな
「いわゆる流行職業」 (Diθ・o g昌nlmtθModθ廠ユfe jに集中する傾向を示してくる。それは計画 15j
経済,労働力の計画的配分にさしつかえさえおこしてくる。とするならぱどうしたらよいのであろう か。それには,青少年にマルク買・レーニン主義,その現代的発展を理論的に理解,確信させ, (総合 技術教育がより早期に職業指導,訓練を重視したのと相まって1,地域社会の社会主義的発展を理解
させなければなら在い。そうし在ければ,技術革新を導入しても,うまく進行し在いだろうし,生産 性の向上も期待しうべくも在い。このような配慮,洞察が改造公民科教育の意図であろう。
さきに総合技術教育が1 度この時期に職業教育偏向に拾ちいっていったのをみたが,この動向はま さに総合技術教育のそれと麓を一つにするものである。しかし,このようなマルク7・レーニン主義 その現代的発展についての理論的学習,地域の社会主義的発展の理論的理解の強調は,はたして真に 技術革新時代のイデオロギー教育になりうるであろうか。総合技術教育は職業教育的偏向を自己批判 し。一般教育重視現代化,構造化の方向に進んでいったが,公民科教育を中心とするイデオロギー 教育はこのままでよいのであろうかっ
w 大衆社会状況
技術革新は単に技術だけの革新,変転だけですむ問題ではない。それは経済社会生活全般に大変 動をもたらしそれを強力に再編成せざるをえない。東独ではそれを「複合的社会主義的合理化」
(K㎝Pユ鵬日。屠iaユi8ti帥hθRatio岨■i8iθ㎜g〕とよんでいる。この過程は…東独の論者は否定し ているが一筆者も社会主義の原理からして東独の論者に一応同意するが…しかし,ある面では資本主 義社会と同じ様相をもってきているのを見落すわけにはいかな㎞すなわち,疎外の問題,広範な社 会変動にともなう孤独な群衆・マイ・ホーム主義,政治的アパソーの問題である・・
ベルゲルペDr,R,Bθ噌r,亙.D.G・B連合幹部会議長,1は「複合的社会主義的合理化 と人間」 0967,1jに拾いて,「わが国に拾いてもまた, (資本主義国と同様に1技術革新と社会 主義的合理化にともなって,生産労働者が生産の計画,組織,指導に影響をあたえる可能性はまずIま す減少していくであろうという見解がある樹といっている一ベル㍗.自身はこの見解にくみし危 いといっている〕ビッテヒフエーハーとツユモラ・リグ{Dr.B.Bitti敏。fθr㎜ilDr.J.Sc血帆ユack
ともに党中央委・社会科学研究所員〕は,否定の材料としてではあるが西独の著名な歴史家へ一ル
(F・Hθer〕の「個人と社会」 (1906〕を引用している。 「今日,ヨーロッバの東西に拾いて,
個人と社会の関係にとって特徴的なことは,社会の動向に対して,自らを確立しようとする個人がム ダな努力をしていることである。個人は巨大な自己中心主義1理ρz航rik一官僚機構一筆者1のな かで管理され 使役されているのである。…そして,個人は企業,上司,党,社会と共同責任をとる
ことから沈黙の税逃をしようとしているのである。この沈黙の税逃のなかで,共同責任を感じたり,
社会で自分の鰯を行使することは・時代の宿命として・できないことなのだと・あきらめてい予べ このような疎外の問題は社会主義社会に拾いてはないのだとどの論者もみ在否定はしている。しか
し,上記のようにしばしば疎外の問題がとりあげられることぱ,すでに潜在的にこの問題が発生して いることを感知したものだといえよう。
さらに,社会主義的合理化にともなって,孤独な群衆が発生してくる。ライブチッヒのある大企業 において,オートメ装置を導入した時の例をみてみよう。「新装置の導入は紙の上てば簡単であるが しかし,その背後には多くの人間的問題をふくんでいる。第1の問題は職場への転換である。多くの 労働者にとって, (新装置が今までと別の場所に設置されたためj住居と新職場の長い距離を往復し なけれぱならなくなったOさらに,新しい職長のもとで,新しい集団のなかで,新しい部署で働かな ければ危らないOそれは今までつくりあげた暖かい人間関係をあさらめることであるOさらに,新し
く学習さるべき知識,能力の問題,賃金の問題,その他,新しい社会的,物質的訪提の問題がだされ てくる。」…「このような社会的進歩とは,一定の生活習慣をやめること,個人的,家族的,社会的 政治的問題を解決していくこと・新しい能力・知識を鱗していくことであ〜合理化・職場配転
によって,孤独な群集が大量に発生しつつあることは否定できないであろう。 1論者は,このような 問題は党,傘桑責任老の指導によって解決さるべさものとしている。〕
このような動向とともに,青少年層にマイ・ホーム主義や政治的アパツーが発生してくる。リーザ 0
とアイゼンヒュッテニ!ツユ戸ット(Rie日a㎜a Ei目e砒皿taθn6椀t lの一般教育学校,拡大総合技術 教育学校,企業内職業学校の3校の第10,12学年,368人のうちからI80人をえらぴだして春こな
一47一
った社会学的調査報告の例をみてみよう。報告者は「調査のもっとも主要にして,注目すべきこと 19〕
は,自分の力,社会主義社会の力に楽観と信頼をよせていることである。」…「かつては大衆の不幸 を前にして少数の幸福があったことが問題であったが,現在てば,そうでなく,幸福像の選択,それ への方途が問題になっているのである」といってはいるが,つぎのような調査結果を示している。
「あなたは現在幸福ですか」の間に対しては,つぎのような結果である。「イエス,25%」, 「い くらか(t8iユ田θi88〕59%」, 「963%は努力と労働で幸福になれるものと信じている。」
(この結果は好ましい傾向である。 j一般教育学校第10学年の 「2人,幸福は偶然にやってくるも のである。」,「6人,この世では手に入ら在い。」「7人,幸福そのものに懐疑的」 にの数字は 少数であるが好一ましくない。 lつぎに幸福を労働と関係づけてみてみる。 (以下要約119の選択分 絞を拾いて,最高5点,最低1点を入れる。その結果,第1グループ(労働を幸福の条件とみている グループ〕「自分の能力を社会に役立て,そして,また自分の能力を発展させることができる興味あ る労働」に幸福を感じているクソ←ブが,頻度,点数からみて,4番から6番目である。 (3校の 間にちかいがある。j5点,4点を入れたものは6舳%o(12年制拡大総合技術学校では80%j「
「金になれば,どんな労働でもいとはない」は18,19番目, (西独の同種の質問に,青年労働者の 89%・青年サラリーマンの78%が・労勘を単に生活のためとして・労働の品位を歩としているのと 比較すれば,この結果は好 ましい傾向である。〕しかし,注目すべきことは,第2,第3グループで
ある。第2グループは労働を幸福の手段,契機にしているもの(たとえば,一生懸命働き,趣味をも ち,よい家庭,友人をもち,自分で幸福をつくるよう在グ仏プ1と,健康,愛情,友人,家族関係,
近代的生活,教養,金銭というようカ個人的関心に高し(価値をおくものとにわけられるが,後者が,
頻度,点数で2番目をしめているのである。第3グループは,「健康で気楽にくらしたい。気ままに 優雅に生活したい。自己満足をし,健康で,よい家庭,友人をもちたい。」というような,「まった ○
く軽薄で,軽卒な,ある種のマイ・ホーム主義(gθwi目8e privati8t i日。hθZu g8〕を 示しているものである。」したがって・報告者ばrとくに第2・第3グループの問題は・教師が幸福 な社会主義的人格を形成するときに,とりわけ注意すべき,大きな社会的課題をはっきり示してい る。」とのべている。この調査結果は,一面てば社会主義社会に好ましい青少年の生活態度をつたえ てぱいるが,他面てば、好ましくない,ケイ・ホーム主義的傾向や政治的アパツーの傾向のあること を示しているといえよう。
さて,以上みてきたように,技術革新,それにともなう社会変動によって,東独に拾いても, 1 たとえ,東独の論者は社会主義社会には原理的にありえないと否定し,あるいは適切な指導的措置が とられていると主張したとしても一資本主義社会に右けるのとまったく類似した諸傾向,疎外,孤 独な群集。マイ・ホーム主義,政治的アパソーなどの諸傾向が潜在的に発生しつつあるといえよう。
技術革新は一方ではこのような諸傾向を不可避的に発生させてくる。しかし,他方では,このよう な諸傾向と関係庄く,今までとは比較にならないほどの,包括的在,質の高い世界観,政治・道徳的 資質を要請してくる。これなくしては,巨大な社会主義的合理化の摩擦に耐えをいのぱもちろんのこ と,納経済的にみても,労働過程の機械化,オートメ化,生産の集中化,専門化,規格化,製品の質 的向上などの要請にこたえることばでき在いのである。
20〕
技術革新がもたらした好ましからざる諸傾向,また,それが提起する広範にして,強烈な要請をか
えりみるならぱ, (マルクフ・レー二!主義の人間的側面よりも,むしろj社会発展の法則性の面を 重視したマルクヌ・レーニン主義,その現代的発展の理論,地域社会の社会主義的発展の理解を内実 とするような,ありていにいえば,固い理論のヅメツケをするような,イデオロギー教育は十分にそ の役割をはたずことができるであろうか。マルク ,・レーニン主義の人間的側面,人間くささが強調 されてしかるべきでぱないのか。
V期待さ机る人間像
r社会主義的人格」(Soz1aI■st■che Pers6nIichkeユt)
の強調、
「全面的に発達した人間」,「社会主義的人格」の思想,理論はマルクフ主義の歴史とともに古い。
そして,その具体化の可能性も社会主義社会の出現,発展とともに古い。しかし,東独社会主義国家 の成立11949年10月〕以来,民間での論説はともかく。政府,党レベルでこの思想,理論が真剣に 討論されたことは古いごとではない。それぱほんのつい最近,196?年,第7回党大会,その準備の 過程においてである。 いうまでもなく,前節でみたような危険な諸傾向,強い要請が提起されてき 21,
たからである。東独に拾いて「社会主義的人格」の一言葉が輝きをもってきたのはこの頃からである。
このよう在事情を反映して,1968年5月, 文郡省主催,郡県視学中央セミナーに勢いて,文部大臣 ホネッカー(M.HOnθCkθr〕女史は・ 「全面的に発達した社会主義的人格のためにすぺてを」とい う講演をした。 同席に多いて,ノイナーば,「社会主義的意識,とくに政治,イデオロギー教育は 22〕
全面的に発達した社会主義的人格の形成を中心に拾かなければならない」 といっている。社会主義 一 23〕
的人格の強調が公民科教育はもとより,イデオロギー教育の中心になるであろう徴候をすでに十分に 示してきているといえよう。
ところで,今日的意味に拾いて「社会主義的人格」とはどういうものなのか。この点について1967 年以来精力的に論陣をぱってきたのは前述し先ツユモラックである。すなわち,「社会主義的道徳と 指導活動の関係についての若干の問題」 (1967,5〕,「社会主義と人格の発展」 (1967,12〕,
「社会主義的人問像と社会主義的教育」 (1968,1O lなどである。 これらを通して,今日的意味 24〕
の「社会主義的人格」の輪がくを要約してお叱う。
I
(1)それはヒューマニズムの伝統一個性1工ndiviauaユ胸t l,それゆえに他人から区別される 独自性(Bθ80naθrhθit〕一を社会主義社会で実現するものである。それは社会主義社会の利益に従
属するものではなく,社会主義の利益と個人の利益の一致として実現されるものである。 12)それ は社会主義社会の建設,維持,発展に活動的,意識的,創造的に参加し,集団,社会に責任を感ずる 人である。 (3)技術革新,社会主義的合理化に耐えうる資質をもつ人である。 (4)そして,その
ような人格のもつ道徳性は,社会主義社会に自らを主体的に「方向づけ,規制的で,組椴的で,価値 づけることができ・動機づけることができる機能」 (DiθOriθntierθ血θ・rθ9uユiθr帥曲Or璽ni−
8iθrθ血e,i航e臣iSrS血θ,鴨rtθ旭θ㎜d㎜tiVigra鮎θF㎜ktiOnlをそなえているO
このようた「社会主義的人格」では当然のこと個人の主体性が重視されるが,しかし,それは個人 6
の自発性1Spont㎝itat〕をまって,自然に形成されるものではない。それは「創造的人間能力の自 由左発展の過程,そして,個人の諸能力を意識的,社会的に組織された力に,社会的発展の課題を計
一49一
面的に,意識的にマヌクーした力に発展させる過程」である「生会主義的指導活動」 {日O池ユiSti80㎏
0
Lθit㎜験tatigkθit〕によってのみ形成されるのである。
25〕
さて,この「社会主義的人格」の形成には以前のように(社会発展の法則性を重視した〕マルクス レーニノ主義,その現代的発展,地域社会での社会主義的発展の理論ももちろん必要であろう。し かし,それだけは不十分なことも確実である。マルクフ・レーニノ主義の人間学的側面が強調され,
構造化されていか在けれぱなら広いであろう。それでなければr社会主義的人格」の概念が成立しな いであろう。とするならば,r般教育の諸教科,総合技術教育が技術革新の衝撃によって現代化,構 造化されようとしているが,公民教育,イデオロギー教育も同じ動向にあるのでぱある まいか。
1965年,技術革新の進展をみこして「統一的社会主義教育組織法」を制定,公布した。そして,
これに対応した教育課程は1968〜71年の間に導入されることに庄っている。「社会主義的人格」を 強調するであろう公民科,イデオロギー教育は具体的にどん在形をとってくるか,はその出現をまた なければなら在い。社会主義教育の中枢である公民科教育,イデオロギー教育も技術革新の衝撃によ って激動していることぱたしかである。
1,
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9〕
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11〕
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14,
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G. Nθαnsr. A. A. O. S. 1063−66.
千田禾高、 11,と同じ。 S. 22〜2教
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12, S. 1066.
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O・.Sc肺ユ地。k、 用と同じ。 S.390
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]≡i. 1968..8. 9. S. 762− 775.
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E r屠iθ1]1ユng. P. 1968. 8.9. S. 710.G.Sol]エ⑩ユ血。k. 17, 20〕と同じ。 So屠勉■i日ti自。㎏日Mθn畠。h舳bi皿㎜d−80ziaユi8ti8che
E r屠i8hじIng. P. 1968. 10.
R.Bθrgθr.16〕と同じ。 S.1O.
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