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小学校社会科歴史的分野 多面的な見方を育てる人物学習の研究 : 小学校の近現代史教育を事例として

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(1)学位論文. 小学校社会科歴史的分野 多面的な見方を育てる人物学習の研究 一小学校の近現代史教育を事例として一. 、. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科  教科・領域教育専攻 社会系コース.     MO2151E磯部剛司       2003年12月22日.

(2) 次. 目. 10乙. 序章 本研究の目的と方法.     1.研究の目的     2.研究の対象と方法 人物学習論の形態と課題  文部省の人物学習論 明治期の人物学習. H皿. 1.人物学習の目標 2.人物学習の内容 3.人物学習の方法 国定教科書期の人物学習. 学習指導要領の人物学習. 1,人物学習を軽視した時代 2.人物学習が再び取り入れられ始めた時代. 3.人物学習が中心となった時代 第2節 民間教育研究団体の人物学習論一歴史教育者協議会 1.歴教協の歴史教育論がうまれた背景. 1234 15 2345. 2.成立期の歴教協の歴史学習における人物学習論 3.1980年代の歴教協の人物学習論  研究者レベルの人物学習論一小原友行 第3節 意思決定力とは 意思決定力の育成とr人物学習」 人物の問題解決的行為の認識のための3つの活動 小原友行の人物学習の方法原理 方法原理に基づく授業構成. 第4節 先行研究を踏まえた課題 「明治期」の人物学習論. 「国定教科書」期の人物学習論. 学習指導要領の人物学習論 歴史教育者協議会の人物学習論 小原友行の人物学習論. ㌧. 1. 3 33357556933380001237       11112222333333333333. 1第.  節歯 章11. 第.

(3) 第2節. 分析の方法 分析と考察. 1.  分析結果の概要. 2.   視点1(学習論による類型)の分析結果 3.   視点2(価値形成による類型)の分析結果 4.   視点3(人物教材の性格による類型)の分析結果.  第1節授業モデルの設計原理    1.r満州は日本の生命線?一進出か撤退か一」    1. 年間指導計画の中の位置づけ  ねらい    2.    3. 授業過程    4. 学び方の発展   皿.. r新生日本の出発点一単独講和か全面講和か一」.    1。 年間指導計画の中の位置づけ    2, ねらい    3. 授業過程 第2節授業モデルの構想①    1.単元名    2.単元の目標    3,単元の指導計画    4.授業の展開    5.授業用資料. 第3節 授業モデルの構想②    1.単元名.    2.単元の目標    3、単元の指導計画    4.授業の展開    5.授業用資料 終章. 1.研究の成果 2.今後の課題 分析フレームワーク.                 、.  第3節  授業構成原理の抽出     1,教材選択     2.授業過程 第3章 人物学習による小学校6年の歴史授業開発. 9 40 41 43 43 43 55 55 55 55 55 75 75 7 7 96 77 4 35 45 39 39 30 44 45 45 48 4 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 9 9. 1234. 第2章 人物学習による歴史授業構成の現状と課題  第1節 実践収集と類型化 分析視点1…  学習論による類型化 分析視点2…  価値形成の扱いによる類型化 分析視点3…  人物教材の性格による類型化.

(4) 序章 本研究の目的と方法. 1.研究の目的   現行の小学校6年の学習指導要領(以下、指導要領と略称)では、歴史学習は42人 の人物を例示して人物学習を展開するようにしている。これは、平成元年度の指導要領の. 方針を受け継ぐもので、人物、文化遺産、歴史的事象をより精選して取り上げ、またその. 取り上げ方にも軽重をつけるなど重点の置き方に工夫を加えて、いわゆるダンゴによる歴 史学習を展開することを強調している。.  このように歴史学習の中心要素となる人物であるが、指導要領では目標の(1)にある ように「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」ために「国. 家・社会の発展に大きな働きをした先人」を取り上げるようにしている。このような基準. から選定された42人の人物を見てみると、国の政治にかかわっていた人物が過半を占め ており、子どもたちはこうした人物を中心に歴史を学ぶことを通じて為政者側からみた歴 史を学ぶこととなる。時代を代表する人物ということでこうした人物が選定されたのだが、. 社会科で求められる資質・能力の一つである「社会事象を多面的に考察し、公正に判断す る能力や態度」を育成するという点では疑問が残る。小学生期の子どもたちは、ともする と事象を一面的、一方的にとらえて、それがすべてであるかのような理解をしてしまうこ ともある。社会科の学習においては、社会事象に対しては多面的な見方や考え方があるこ とに気付くようにすることや、事実や事象をできるだけ多面的に見たり考えたりできるよ うにすることが大切である。.  また、42人の人物は明治時代を最後に近現代史の人物は例示されておらず、その選定は 個々の教師に任されている。適当な人物が見つけられないため、ここから歴史学習は特定 の人物から民衆へと観点が変化していくか、歴史的事実の流れの把握になっていく。しか し、当時の民衆の生活も子どもたちの生活とかかわりのあるものではなく共感できるもの. ではない。子どもたちの時代認識は表面的なものにとどまってしまう恐れが十分に考えら. れる。このため、近現代史の学習はそれ以前の学習に比べ子どもたちにとって魅力ある教 材とはいえないのが現状である。それに対し、自由主義史観研究会では近現代史における 人物学習を積極的に行っているが、「国民意識の形成」という観点で人物を選定している関. 係上、より一面的な価値観の注入に傾いており、「社会事象を多面的に考察し、公正に判断 する能力や態度」が育成されるとは考えにくい。.  近現代は外国との関係が深くなり、政策を決定する際、国内の事情を考えるだけでは不 十分であり、外国の主張にも耳を傾けることが必要となっている。国内・外国の主張もさ まざまで、歴史的背景を踏まえながらそれらを比較し、それぞれの長所・欠点を把握しな がら検討していくことが国際化の進む現代社会を生きる子どもたちにとって有為であろう。 そこで、多面的な見方を育てる人物学習を、近現代史を事例として探究した。. 1.

(5) 2.研究の対象と方法 研究の対象と方法は、以下の通りである。. (1)人物学習論の変遷と課題.   まず、これまでにどのような人物学習論が論じられたかを分析する。分析対象とする. のは文部省の人物学習論では明治期と国定教科書期、昭和30年以降の学習指導要領であ る。それに加えて、民間教育団体の歴史教育者協議会、研究者レベルの人物学習論として 小原友行氏の人物学習論をあげる。この二つを取り上げる理由は、歴史教育者協議会は、. はやくから文部省の入物学習論を批判し独自の人物学習論を展開し研究を進めてきている. からであり、小原友行氏の人物学習論は価値注入の危険性を克服しようとした先駆的存在 だからである。. (2)人物学習による歴史授業構成の現状と課題.  次に、人物学習の先行授業実践を収集し、類型化する。近現代史にこだわらず、さまざ まな人物学習の授業実践を取り上げ分析し、多面的な見方を養う授業構成原理を抽出する.. (3)人物学習による小学校6年の歴史授業開発   これまでの分析をもとに、多面的な見方を養う人物学習論の授業構成の原理を規定し、.  それに基づいた人物学習の授業モデルを開発する。単元構成としては8時間程度を予定  する。. 、. 2.

(6) 第1章人物学習論の形態と課題. 第1節文部省の人物学習論 1.明治期の人物学習. 1.人物学習の目標  戦前の人物学習のきっかけとして、明治13年に出された「教育改正令」、そしてこれを. 受けて14年に出された「小学校教則綱要」があげられる。「小学校教則綱要」では歴史学 習の目標を「歴史ヲ授クルニハ務メテ生徒ヲシテ沿革ノ原因結果ヲ了解セシメ殊二尊王愛 国ノ志気ヲ養成センコトヲ要ス」(1)とし、歴史的認識と道徳的態度の両面を育成すること が目標となっていた。.                                ヤ  明治23年にはf教育勅語」が発布され、神国観、天皇の神聖観のもとに、儒教道徳の 徳目を並べ、これが永遠不変の真理であるとした。これを受けて明治24年のr小学校教 則綱要」では、教育の目標を「日本歴史ハ本邦国体ノ大要ヲ知ラシメテ国民タルノ志操ヲ 養フヲ以テ要旨トス」(2)とし、歴史教育に国民(臣民)の育成の役割を担わせている。. 2.人物学習の内容  歴史教育が人物学習の形をとって行われるようになったのは、明治14年の「小学校教 則綱要」がもとになっていると考えられる。その中で、教育内容を「歴史ハ中等科二至テ. 之ヲ課シ日本歴史中二就テ建国ノ体制、神武天皇ノ即位、仁徳天皇ノ勤倹、延喜天暦ノ政 績、源平ノ盛衰、南北朝ノ両立、徳川氏ノ治績、王政復古等緊要ノ事実其他古今人物ノ賢 否、風俗ノ変更等ノ大要ヲ授クヘシ」(3)と規定し、日本歴史の重要な歴史事象と人物を中. 心とした記事本末体の内容構成をとった。っまり、この時期の歴史学習とは「沿革ノ原因 結果」の理解を容易にするための教材として人物を取り上げ、人物を活用して歴史授業を 行うことによって「尊王愛国ノ志気」の育成につなげていこうとする人物学習であるとい える。.  この時期の歴史教育学者である三宅米吉は、小学校中等科の歴史教育の内容構成として、 ① 歴史上の開化の進展を軸として内容構成を行う.. ②「仁君英主ノ治蹟」r執政ノ更迭及政蹟」「外交外戦」「内乱」「文学宗教技芸付著名ノ.  学士僧侶」r風俗j r忠臣、賢者、英雄、等ノ伝」を開化の進展をつかませるための教材  選択の基準としている。特に「忠臣賢者英雄ノ言行ハ当時ノ有様ヲ参考ニスルニ大ナル  益アルノミニナラズ又以テ或ハ生徒ノ歓ヲ支へ或ハ道徳ノ教ヘヲ示スニ大切ナリ」(4)  と述べ、人物学習を重視している。. (1) 「小学校教則綱要」『明治以教育制度発達史』第2巻 龍吟社 1938年 pp.254−255. (2) 「小学校教則綱要」『明治以教育制度発達史』第3巻 龍吟社 1938年 p,98. (3) 前掲(1) PP.254−255 (4) 三宅米吉「小学歴史科二関スルー考察」『東京茗渓会雑誌』第11号 1883年 p。38. 3.

(7) ③開化の進展や進歩の意識を育てるための年代史構成と時代区分の提唱.. をあげている。(5).  また、若林虎三郎は『改正教授術続編』のなかで、「小学校に此ノ課アルハ♪・・(引用. 者中略)… 唯本邦臣民タルモノノ最モ先ヅ知ラザルベカラザルノ事実ヲ授クルノ謂いナ リ。… (引用者中略)… 此ノ課ヲ教授センニハ、先ヅ本邦歴史中其ノ最モ幼稚ナル脳. 裏二感受印識シ易クシテ、且最モ能ク尊王愛国ノ志気ヲ育成スルニ足ルベキ事実、及最モ 多く生徒ノ修身処世上ノ補益スベキ事実ヲ選択シ、之ヲ談話体或ハ列伝体二編成シテ詳密 二教授シ以テ各事実二就キ仮成的精確ナル観念ヲ得サシムルヲ以テ最モ有益ナリトス。」 (6)と述べ、臣民として知っておくことが必要な事実を教授することが歴史教育では重要. であり、そのためには、最も印象に残る事実や「尊王愛国ノ志気」を育成することを可能 にする事実、いかに生きるべきかという修身処世に役立つ事実を選択することを求めてい る。また、その事実を「談話体」(一人の人物)とか「列伝体」(多くの人物)に組み替え て教授する人物教材を中心とするよう提唱している。.  明治24年の「小学校教育大綱」では、歴史教育の基本方針を「日本歴史ハ本邦国体ノ 大要ヲ知ラシメテ国民タルノ志操ヲ養フヲ以テ要旨トス。尋常小学校ノ教科二日本歴史ヲ 加フルトキハ郷土二関スル史談ヨリ始メ漸ク建国ノ体制、皇統ノ無窮、歴代天皇ノ盛業、. 忠良賢哲ノ事蹟、国民ノ武勇、文化ノ由来等ノ概略ヲ授ケテ国始ヨリ現時二至ルマテノ事 歴ノ大要ヲ知ラシムヘシ。高等小学校二於テハ…  (中略引用者)…  、日本歴史ヲ授. クルニハ成ルヘク図画等ヲ示シ児童ヲシテ当時ノ実情ヲ想像シ易カラシメ人物ノ言行等二 就キテハ之ヲ修身二於テ授ケタル格言等二照ラシテ正邪是非ヲ弁別セシメンコトヲ要ス」 (7)と定め、これ以降は、人物中心の内容構成が基本となった。.  この教則に基づいて、明治25年から34年にかけて多くの歴史教科書が検定を受け出版 された。日本歴史は尋常小学校でも始められるようになっていたが、多くは高等小学校1. 年(第5学年)から始められた。その際、郷土の史談から始める方針が提示された。これ は、身近な郷土の歴史を学習することにより、歴史を学ぶ基礎を作ろうとする趣旨である と考えられる。.  この時期に、各府県別に郷土史教科書が刊行された。郷土の歴史としての独特な教材を 編成し、それを日本通史と関連できるように記述された。.  この時期の歴史教科書は、郷土史と日本通史の初歩を合わせて2年で授けるようになっ’. ている。さらに、高等小学校の後期すなわち7,8学年では、より高度な内容の上級用の. (5) 小原友行「明治期における「人物学習」の歴史授業論の展開」『廣島経済大学研究論集』第21巻第4号.   1999年PP、16−17. (6) 仲新他編『近代日本教科書教授法資料成』第2巻 東京書籍 1982年 pp.185−186. (7)前掲(2)P.98. 4.

(8) 日本歴史教科書が刊行された。.  この時期の歴史教育学者である本荘太一郎が、「「品性の陶冶」のために歴史を利用する. のであって、歴史学を教授するのではなく、道徳的観念や品性の陶冶に必要な歴史を、必. 要なところだけ教授すればよい。取り上げる人物においては、当時の社会規範におけるr模 範的人物」および「社会二影響ヲ及ボ」した人物を取り上げ、ひとつの事実について詳細 に話すことが大切である。」(8)と述べているように、ヘルバルト学派の「歴史は人物の伝. 記によって教えるのが望ましい」という方針で教材が編成された.教則に示される歴代天 皇の盛業や忠良賢哲の事蹟、国民の武勇などいずれも人物の伝記として教材を整えるのが 適切とされた。.  明治33年に「小学校令」が改正され、日本歴史は高等小学校で行われると定められた。. この時期の教科書の『新撰・帝国史談』(学習指針社・明治32年刊)は、偉大な人物と事. 件とを主題として配列したが》人物は児童に敬仰させ、事件はこれを推究させるためであ る。挿絵は正確を期するように心がけ、児童の歴史へのイメージ作りに意を尽くしている.. 目次は、人物名とともに事件名をあげている。この編集方法は後の国定教科書に引き継が れる。.  明治30年代になって、歴史は「日本の国体を知らせること」にその目標を置き、天皇 については、天照大神、神勅、天孫降臨、皇統無窮、善政などを教え、国民としては忠良. 賢哲の事蹟、国民の武勇について教える教材を選択し、人物中心主義をとることで、児童 が学ぶ日本歴史の内容が定型化されていった。.  この時期の歴史教育学者で彦る斎藤斐章は、「歴史の因果関係や人物の思想盛情(動機). を重視」して、r歴史的事実に対してr何故」と問うことによって、「因果関係」を明らか にするとともに「生徒をして自ら活動せしめ、自ら練習せしめる」ことが可能となる」(9). と述べ、歴史上の人物の問題解決的行為の過程を、問題の原因となる歴史状況、解決の行. 為、その結果というように、人物に感情移入しながら追体験させることを通して、行為の. 事実とその社会背景、行為を行った人物の動機や心情、行為の結果に対する価値付けと人 物の歴史的評価を、問答法を取り入れながら共感的に理解させていこうとした。. 3.人物学習の方法 小原友行は、明治期の歴史授業論の課題を. ①明治維新によって成立した近代国家を担う国民(臣民)に求められる、国民(臣民)  的資質の育成という目標を達成するための授業論の構築。. ② 国民(臣民)的資質の育成に必要な、歴史認識(知識・理解)と実践的資質(意識・  自覚・態度)という内容を統一的に育成する授業論の構築。. (8)本荘太一郎『歴史教授法』博文社 1892年 pp.156−166を筆者がまとめて引用した。. (9)斎藤斐章『実証的見地心理的思索に拠れる歴史の内容的教授法』目黒書店 1913年 p.328. 5.

(9) ③国民(臣民)的資質の育成という目標論、歴史認識と実践的資質の統一的育成という  内容論に基づく、歴史教育独自の教授方法論を備えた授業論の構築。. とあげた。(10)そして、明治期の「人物学習」の歴史授業論の展開過程を. ①成立期…  明治13年(1880)「改正教育令」∼明治23年(1890)「小学校令j. ②確立期…  明治23年(1890)∼明治33年(1900)r小学校例」改正. ③完成期…  明治33年(1900)∼明治45年(1912)  の3つの時期に分類し、それぞれの時期において前述の課題を解決すべく提唱された教 授方法を紹介した。(11)ここでは、それをもとに教授方法をまとめてみることとした..  成立期の歴史教育の教授方法としては開発主義教授法があげられた。これは、r開発主 義教授法で重視する教案の方式や教授過程、説話・問答という教授・学習活動を歴史の授.                                 ヤ 業に応用しようとするもの」(12)であった.しかしこの説話・問答という学習活動が、尊王 愛国の心情を育成に結びつげる観点から行われるものなので、価値注入的な授業になって いくことは否めない。.  確立期の教授方法としては、内容のところでも触れたが、「ヘルバルト主義」教授論が あげられる.歴史の教授法も他の学科と同じように教授学一般の形式(ヘルバルト主義の. 5段階教授法)に準拠する必要があると考えられていた。この教授法は教授過程をより系. 統的に組織できるという利点が考えられていた。人物学習における5段階教授法とは、「予 備期」で人物に関する学習動機を喚起する、「新教授ノ提示」で人物の行為を直感的資料と. 説話を用いて提示する、「比較期」で人物の行為と類似もしくは反対の事例を列挙して比較 させる、「概括期」で人物の行為から学ぶことのできる道徳上の格言などを明確に理解させ る、「応用期」で獲得した知識や格言を活用させる、といったものである。取り上げられる. 人物に関する説話はr品性陶冶」の目的のためにあらかじめ教師が解釈したものだから、. 結果として道徳的価値を児童に注入していく授業となっている.これは本荘太一郎が唱え る「普通教育の目的は国民(臣民)として必要な資質と考えられる「品性の陶冶」であり 各教科の内容はその目的を達成するために手段である。」(13)という考えに合致するもので. あるが、「著しく資質の育成に傾斜」するものであったり、「歴史認識について、因果関係 よりも国家のために尽くす国民(臣民)の形成に都合よく解釈され」(14)るという課題を残 すものとなった。 (10) (11). (12) (13) (14). 前掲(5)pp.11−12. 前掲(5)P.12 前掲(5)P.17 前掲(8)P.160. 前掲(5)p,12. 6.

(10)  確立期には、歴史学と心理学・教育学の成果を取り入れた「共感理解型の人物学習」が あげられる。r教授内容をr個々の事実」と「開化史的観察」に分け、教授方法を示し、歴. 史教育の中心となる「開化史的観察」の場合は、学習した個々の事実を比較・概括し七歴. 史の変遷、原因・結果、その時代の特質などを明らかにし、歴史上の位置づけを行う必要 から、「予備」「提示」「比較」「概括」「応用」という過程を提唱」するものだが、その特質 として、. ①人物の行為を軸とした歴史的事象の原因・結果や、その意味・意義、そこから読み取  れる時代の特色と歴史の発展を理解させるr人物学習」になってきた。. ②歴史的教授方法が、ヘルバルト主義の五段階教授法の影響を残しながらも、人物φ行  為を追体験させることによって、その人物が直面した問題状況、問題の原因、人物の目.  的・意図・動機・問題解決の行為、その結果を共感的に理解させていこうとする「人物  学習」独自のものに発展した。. ③「なぜ」が授業の中心発問となり、その問いに答えることによって、人物の行為につ  いての歴史理解や歴史解釈を行うことになる..  といったことがあげられる.(15)この「共感理解型の人物学習」により、歴史認識と実践. 的資質を統一的に育成していぐ「人物学習」独自の歴史授業論として完成していったと考 えられる。. H.国定教科書期の人物学習  明治36年に教科書疑獄事件が起こり、それまで検定制であった歴史教科書を国定制と した。著作・発行の二権を文部省が握り、図書監修官が教科書、教師用書を編修した。.こ. れにより全国画一的に臣民育成を目標とした歴史教育が行われるようになったのである。.  デモクラシーの時代といわれる大正期にも教育勅語の精神は貫かれ、国体護持の国民思 想であるべきことを強化した歴史教育がなされた。.  昭和10年には、「教学刷新評議官制」が発布され、「国体護持・日本精神を根本として 学問・教育刷新の方途とする」。よう定められた。.  昭和16年にはr国民学校令」が公布され、r皇国ノ道」に則ったr国民ノ基礎的練成〕 が教育の目的となった。歴史教育は「国民科歴史」として行われ「我ガ国ノ歴史二付テ其 ノ大要ヲ会得セシメ、皇国ノ摩史的使命ヲ自覚セシム」ることであり、皇国史が歴史の教 材であった.国粋主義の精神史観を児童に説いた..  明治36年から国定教科書湖発行され、画一的な歴史教育が進められた。以下では第1. (15) 前掲(5)pp.27−28. 7.

(11) 期から第6期までの国定教科書を分析する。. (1)小学日本歴史(第1期国定教科書).  この教科書は高等小学校1,2年生用として用いられ、第1巻は明治36年10月6日1. 第2巻は明治36年10月16日に発行された。ページ数は第1巻が68ページ、第2巻が 70ページである。.  目録(目次)は2巻を通して37課あり、そのうち天皇や皇族が題目となっているもの が9課(9人)、政治家や武士が題目になっているものが個人名、一族名をあわせると16 課(15人と3氏族)、それ以外の人物が題目になっているのが1課(2人)、人物以外の出. 来事などが題目になっているのが13課(15事項)となる。このように全体の約65%が人 物名の題目となっている。また、「第12課 尊王論」以降は人物名が題目より姿を消レて いるがこれは、人物による学習を行わないということではなく、課題に表現される歴史の. 全体の動向を何人かの人物の動きをとおして記述しており、人物中心の学習が全体を通し て行われるような編集となっている.また巻末に「後歴代表」を載せている.  天皇についての記述を見ると.、r第1天照大神」では、天照大神は、天皇の先祖であり》. たいへん御徳が高いことを述べた後、「御孫のニニギノミコトにこの国をさずけたまひで、 「皇位の盛んなること、天地とともにきはまるなかるべし」(16)と仰せたまひき.万世にう. ごくことなき、我が大日本帝国の基はここにさだまれるなり。」(17)と述べ、天皇の血筋り. 正しさを明らかにした。また第1課から「第5課 仁徳天皇」までは、ほぼ全て天皇と天 皇が遣わした人物が心を砕いて日本を治めていった様子で埋められ、それ以後の時代も天 皇の盛業を教えるという要旨で天皇が選択され、その事跡が記述されている。、.  挿絵については、全29点(第1巻 14点、第2巻 15点)で、目録の課の数より少な くなっている。内訳を見ると、. 人物の肖像画が17人(第1巻6人、第2巻11人)㌍. なる.天皇は2人、皇族が1入、武士・政治家が12人、文化人が2人である.それ以外 は建物が1っと場面絵が11場面(第1巻 7場面、第2巻 4場面)になる。原典がある ものが多く、想像画は「仁徳夫皇民のかまどの煙をのぞみたまう」ただ1点である。この. ように、あくまで挿絵は学習の補助的なもので、客観的な科学性のあるものとして扱われ ていたことが分かる。. (2)尋常小学日本歴史(第2期国定教科書).  明治40年の小学校令の改正で尋常小学校が6年生の義務教育となった。この教科書は. 尋常小学校5、6年生用として用いられ、第1巻は明治42年9月13日、第2巻は明治 43年9月30日に発行された◎器一ジ数は第1巻が84ページ、第2巻が98ページであるg 第1期に比較して、ページ数が著しく増加している。これは、課題の追加のほかに、記述 (16) 海後宗臣・仲新編『日本教科書大系・近代編』第19巻 講談社 1953年 p.441 (17) 前掲(16)P.441. 8.

(12) 量の増加と挿絵の増加が挙げられる・.  目録(目次)は2巻を通して39課である。課題名は第1期とほとんど変わりはなく、 課題名で変わった点は、「天智天皇と藤原鎌足」および「平清盛」が(っづき)として2課 に分かれるようになったこと1・,r桓武天皇」の課題のもとに「桓武天皇と坂上田村麻呂∫「伝. 教大師と弘法大師」を吸収して1課としたこと、「英雄の割拠」をr戦国時代」に改めたこ となどがある.また、1期発行後の時代変化として、「明治三十七八年戦役」と「平和克復. と戦後の経営」の2課を追加している。また、巻末の「御歴代表」の後に、天皇のr御略 系」と藤原氏・平氏・源氏・北条氏(以上第1巻)・足利氏・徳川氏(以上第2巻)など の略系を収めている。.  天皇に関する記述を見ると、r第1天照大神」において第1期では天皇血筋の正しさを 明らかにする記述であったのに対し、第2期では「大日本帝国は大神が御孫ニニギノミ」 トをして治め給ひし国なり」とした上で「この国は我が子孫の君たるべき地なり。汝皇孫 ゆいて治めよ.宝神のさかえまさんこと天壌ときはまりなかるべし」(18)と述べ、天皇の血. 筋の正しさを明らかにするだけでなく、天皇統治権の由来をも強調する形となっている。.  その他の叙述については、第1期に比べて人物に対するイメージをつかみやすくするよ うな文学的、修飾的な物語的毒現が多く用いられるようになっている。1例をあげると、. 聖徳太子の課では、第1期では「聖徳太子は…  幼時より才智すぐれたまひしが、長ず るに従ひて、学問も、大いに、進み、・一」と簡潔に述べてあるのに対し、第2期ではr聖. 徳太子は…  いとけなき時より才智人にすぐれ、長ずるに及びては、一時によく十人の. 一(下線部引用者)又深く学問を…  」(玉9)というように具体例 をあげ太子の才能の豊かさを児童にイメージさせやすくする配慮がなされている。.  さらに記述にっいては、第2巻の「第17 平和克復と戦後の経営」の最後に「国民の覚 悟」という小見出しがつけられ、国民の自覚を喚起させようとする文章で結ばれている5.  挿絵については、全49点と表が1っ(第1巻 24点、第2巻 25点と表1)となり、 第1期と比べてほぼ倍増してレ.、る。人物の肖像画が10人(第1巻 2人、第2巻 8人). と第1期に比べて減っているのに対し、場面絵が34図(第1巻 19図 第2巻15図) と大幅に増えている。そして、その場面図のうち、資料によらない想像図が、大幅に増え ている。このことから、挿絵は、客観的な科学性よりも児童に深い印象を持たせること,を ねらいとして掲載されたという.ことが考えられる..  この第2期国定教科書にまつわり、明治44年に「南北朝問題」が起こった.第1期ξ 第2期の教科書では南北朝が両立していたことが記述されていたり、巻末の「御歴代表」 にも「後醍醐天皇」「光厳天皇」の後に「南北朝」の項目を特記し、上段に「南朝」下段に. 「北朝」の天皇を記していたりした。これが、政治問題とからみ、r皇位は唯一神聖にして (18)前掲(16)P.497 (19)前掲(16)P.502. 9. 、.

(13) 不可分なり」の天皇制の立馳ら問題とされた・そこで・改訂版(第・巻明治44年1・0. 月14日発行 84ページ、第2巻 明治44年11月3日発行 98ページ)が発行された。 これにより、第1巻の「第23課 南北朝」が「吉野の朝廷」と改題され、改定前は1尊 氏は光厳上皇の院宣を請ひて上皇の御弟を位に即け奉れり.之を光明天皇と申す」(20)と天. 皇と名づけたのだが、改定後は「尊氏は賊名を避けんがために、豊仁親王を擁立して夫皇 と称せり.これを光明院といふ。」(21)と天皇という名をはずした.さらに尊氏の軍勢をr賊. 軍」と明記し、尊氏が逆賊で喬ることを児童に明確に教えるようになった。また、巻零り 「御歴代表」にも南朝の天皇のみを記し、南朝の正当性を確認した.. (3)尋常小学校国史(第3期国定教科書).  尋常小学校5、6年生用として用いられ、上巻は大正9年10月22日、下巻は大正10 年12月5日に発行された。ページ数は上巻が160ページ、下巻が153ページである。F  この時期は大正デモクラシ山の時期であり、この時期の国語読本は唐沢富太郎に「大正 デモクラシー期の教科書」と特徴付けられているが、歴史教科書は逆に国体思想がいっ,そ. う強化されたものとなり、教科書の名称もそれまでの「日本歴史」から「国史」へと豪更 されている。.  目録(目次)は上下巻を通して52課である。そのうち天皇や皇族が題目に入っている. ものが18課となっている。また、政治家や武士が題目に入っているものが個人名、r族 名をあわせると31課ある。それ以外の人物が題目になっているのが1課、人物以外の出 来事などが題目になっているのが4課となる.このように全体の約93%が人物名の題目’と. なっている。人物の題目への取り上げられ方としては、まず、天皇、皇族の数が著しく増. 加し、天皇のご盛業が詳しく記されたことがあげられる.また、皇族以外で第2期に比べ. て新しく名前が登場した18人の内r楠木正成」のように天皇に忠節であった者が13人、 戦国時代の武将として立派に国を治めた3人、後は、元の脅威から国を守った「北条時宗」 と苦労の末主君の仇を討った「大石良雄」であり、児童の手本となるべき生き方をした人々. が題目としてあげられていることが明らかである。反対に、天皇に対して好ましくない人 物は「藤原氏の専横」「足利氏の潜上」といったように個人名が載せられていない。.  皇室にっいての記述であるが、r第1課 天照大神」で、従来記述されなかった天の岩 戸・八岐の大蛇・大国主の国ゆずりを加えたこと、「第2課神武天皇」で、金色のとびに ついて記したこと、「第4 神功皇后」で、新羅王が日本を神国とし、神兵が来たといった. 言葉を加えたことなど、全体的にこのような神話や逸話が多く入っている。これにより天.                                 ぺ. 皇血筋の正しさや天皇統治権の由来に加え、日本の国が優れていることなど「建国ノ精神 国体ノ要義ヲ児童ノ脳裏二徹底」(大正6年9月の臨時教育会議の答申)させるような記述 が加えられている。. (20) 前掲(16)P.519. (21〉前掲(16)P.586. 10.

(14)  挿絵にっいては、全87点(上巻47点 下巻40点)と、第2期に比べ大変多くなって いる.そのうち人物の肖像画が5人(上巻4人、下巻1人)と第2期に比べて減っている. のに対し、場面絵が52図(上巻29図 下巻23図)と大幅に増え、地図が17図(上巻 11図 下巻6図)載せられている.また、挿絵以外にも代表的な氏族の人物の家系図が 19点(上巻13点 下巻6点〉あげられている。歴史地図や系図を新たに加えたことぼよ り児童の理解を助ける意図が見られることや、活動的な想像図がさらに増加したことによ り児童が興味を持って学習を進められるよう配慮されていると考えられる。.  叙述については、天皐家の人々、忠臣、義士、偉人の幼少期の逸話を多く取り入れ為こ とが特徴としてあげられる.一例をあげると「第19 武家政治の起」で、「はじめ平治の.                                  、. 乱の後、義経は幼くして鞍馬寺にあづけられしに、ある日寺にておのが家の系図を見て‘・. その家柄を知り、必ず平家を滅ぼさんと心がけ、これより学問、武芸にはげみたり。後奥 州平泉に下りて、その地の豪族藤原秀衡の家に隠れいたりしが、頼朝の兵を起せしこどを 聞きて上り来りしなり。ここに於て頼朝は先祖義家・義光兄弟の昔を物語り、その手を取 りて喜びなけりといふ。」(22)4いうものがあり、平家を倒すという目的のために幼少期か. ら武芸に励んだ義経の姿が描かれている。このような記述によりこの教科書の内容は修身 的・教訓的な色合いがいっそう強く出されている..  このような挿絵の増加と、記述の増加により第3期のページ数はそれまでと比べて著し く増加することとなった。. (4)尋常小学国史(第4期国定教科書).  尋常小学校5、6年生用とレて用いられ、上巻は昭和9年3月13日、下巻は昭和10年 2月23日に発行された。ぺrジ数は上巻が185ページ、下巻が184ページである.  目録(目次)は上下巻合わせて54課である。第3期国定教科書からの変化を見ると・、. 第3期の「第11 桓武天皇と叛上田村麻呂」「第12 弘法大師」が第4期では「第11 桓 武天皇」「第12 最澄と空海」.4それぞれ変わったことや、下巻の終わりに「第53 令上 天皇の即位」「第54 国民の覚悟」が追加されたことなどがあげられる。.  第12課の内容を比較してみると第3期も第4期も変わりは見られない.にもかかわら ず、坂上田村麻呂の名前が消された理由としては、坂上田村麻呂の活躍は桓武天皇の命に よって行われたことであり、あくまでこの時代の主役は桓武天皇であったことを確認させ. るためではないかと考えられる。この傾向は、第5期にも引き継がれる。  第53課は、前期からの時代変化に伴って新設された課であるが、「御歴代の天皇は、、皇. 祖皇宗の大御心をうけて、わが国を御家として万民をおかはいがりになり、万民もまた互 いに心を合はせ、天皇を国の御親とあふぎたてまつって、忠誠を尽くし、君民一艦となっ. て、今日に至っている。これは、実にわが国艦の精華で、天地と共に、いつの世までもき. (22)前掲(16)P,649. 11.

(15) はまりないものであるとおほせになつた。まことに、もつたいないことではないか。」(飴). と天皇の即位に際しての勅語に触れて国体観念の育成を促し、後半の満州国に関する記述. では、rわが国は、まつさきに満州国の独立をみとめ、かねてわが国の主義である東洋の平 和をますます固めようと望んだ。ところが国際連盟はわが正当なこの行を認めなかつたの で、いたしたかなく、…  (引用者中略)…  連盟と手を分かっこととなつた.この時、. 天皇は、勅書をお下しになつて、わが国の進むべき道をお示しになり、今こそ国を挙げて 振るひ立つべき時ぞとおほせられて、国民の心得を深くお諭しになった。」(24)と日本の満. 州国を巡る行動の正当性を記した。.  第54課は、第2期から最終課の末の一小節であったものが、独立した課としてなり・た ったものである。「御歴代天皇の御盛徳」「国民世々の忠誠」「文化の発達 国蓮の進歩」「1国. 民の覚悟」の四小節をおいて国史を概観し、国民の覚悟を述べて結びとしたものである。. この課を作ったことは、満州事変以後における情勢を考慮してのことであって、皇国民と しての精神を酒養する目的でおったと考えられる。この課は、第5期にも引き続き設定さ れている。 。.  そのほか全体的な内容は第3期とほとんど変わらないものぞあるが、「第21北条時宗」 の中の元憲に関する記述で、元の敗退の要因とされる暴風について第3期までは「大風」. となっていたのに対し、第4期ではrにはかに神風が吹き」と改められている.r神国日 本」を子どもたちに意識づけるねらいがあると考えられる..  第4期における記述上の大きな特徴としては、第3期までの教科書は文語体で書かれて いたものを・口語体に改めたことである・これにより、児童が教科書の記述を理解しやす くなったと考えられる。.  挿絵については、全92点(上巻49点 下巻43点)である。そのうち人物の肖像画が. 6点(上巻3点、下巻3点)で、場面絵などが69点(上巻35点、下巻34点)、地図が 17点(上巻11点、下巻6点)1、代表的な氏族の人物の家系図が19点(上巻13点 下巻. 6点)あげられている。全92点のうち、約78パーセントにあたる72点が、第3期と同 じものが使われている。記述と伺様、全体的な内容が第3期とほとんど変わらないことが ここでも示される.そして、新たに付け加えられた図であるが、細いペン書きの絵が多く、. 場面の様子を細かに表し、歴史に対する児童の関心をいっそうかき立てようとしたことが 特徴としてあげられる.表紙に色や模様をつけたことも同様の配慮ということができるだ ろう。. (5)小学校国史(第5期国定教科書).  この教科書は尋常小学校、膏等小学校共有で使われ、上巻は昭和15年2月27日、下拳 は昭和16年3月31日に発行された。ページ数は」二巻が169ページ、下巻が181ぺ一ジ (23〉海後宗臣・仲新編r日本教科書大系・近代編』第20巻講談社1953年 p,119 (24) 前掲(23)P.119. 12.

(16) である。.  この教科書のもっとも大きな特色は、巻頭に「神勅」を掲げたことである。これは、昭. 和11年の教学刷新評議会の答申の中の「大日本帝国ハ万世一系ノ禾皇天祖ノ神勅ヲ奉ジ テ永遠ニコレヲ統治シ給フ.コレ我ガ万古不易ノ国体ナリ」、「我ガ教学ハ源ヲ国体二発シ、. 日本精神ヲ以テ核心トナシ」’という考えを受け、教科書の編集の基本方針が「皇室中心、. 国体観念の明徴、敬神崇祖、日本文化の特質、挙国一致、皇運の扶翼、個人伝記の枝葉的 部分の省略」(25)と定められたことと深いっながりを持っている.国体を明らかにするため. に児童にまず神勅を読ませて後に国史の教授に入るという編集方針によったものであ為い.  目録(目次)は上下巻合わ茸て50課(上巻30課 下巻20課)である。編集方針によ る第4期からの変化をみると、◆・「第13課 藤原氏の専横」が「第13課 藤原氏の栄華」 に改められたこと(課の末に平安文化について記したことによるr自本文化の特質」)、r第. 36課徳川家康」r第37課徳川家康(つづき)」が一つにされてr第34課徳川家康」 になったこと・r第41課 大右良雄」r第42課 新井白石」が一づにされてr第38・木 石良雄と新井白石」になったこと(「個人伝記の枝葉的部分の省略」1があげられる..  叙述については、「皇国民の育成」という基本的目標のもとに1日華事変下における国民 の自覚をもとめ、国体明徴を徹底させるものとなった。例として1ざ「第1課 天照大神’」. で出雲大社の由来を記すなど多くの神宮・神社の記事を載せたこと、1r第47課 明治天皇」. で、陸軍・海軍記念日や軍人勅諭についての記述がなされたこと、「第49課 昭和の大御. 代」の国際連盟脱退の部分で第4期のrいたしかたなく」という表現からrわが国は断然 連盟を脱退することとなった!と変わったこと、「第50課 国民の覚悟」で第4期の「万 世一系の天皇は、三種の神器を皇位の御しるしとして、万機をお統べになって」とあった『. ものを「万世一系の天皇は、神勅のまにまに万機をお統べになり」と改め、神勅にもどづ く歴代天皇の政治のあり方を強調したり、天皇をr現御神」と表記したりしたことなどが あげられる。また、天皇の威光を損ずる恐れがあると思われた記述が削除された.第4期. の「第19課 武家政治の起j.での安徳天皇が入水した記述、「第・21課 後醍醐天皇」で の天皇が隠岐に流された記述などがこれにあたる..  挿絵や地図については、宗教に関するもの(皇大神宮・鳥見山中の御神祭・平安神宮・. 明治神宮)や軍隊の活躍を表すもの(能久親王が台北に御入場になる・旅順の開城・大山. 司令官の奉天入城・地中海に活躍するわが艦隊〉が多く追加されており、また、「第49課 昭和の大御代」においては、満州国皇帝来朝や今上天皇の伊勢神宮参拝などを取り上げる など、時局をよく表しているものなどが目に付く.. (25)前掲(23)P.595. 13.

(17) (6)初等科国史(第6期国定教科書).  昭和16年に「小学校」とセ、う名称が「国民学校」と改められたrこの教科書は国民学. 校5、6年生で使用され、上巻が昭和18年2月17日、下巻が昭和18年3月3日に発行 され、ページ数は上巻が163ページ、下巻が189ページである.  題目、内容ともにそれまでの教科書とは大きく異なっている。国民学校令は国民学校の. 目的を「皇国ノ道二則リテ僻科普通教育を施し・国民の基礎的鰍を為す」と定めた・ 「皇国ノ道」とは・教育勅語にある国体の精華と臣民の守るべき道の全体をさすものどさ. れ、皇国民の錬成という決戦下日本の非常時教育体制が強行さ紅たp文部省に軍部が乗p こみ、教科書の編纂に強く干渉し、超国家主義、軍国主義的色彩の教育を極限まで展開し た。.  題目において大きな特徴は“.課題名に人物名をまったく使用していないことである。そ. の理由について当時の図書監修官である中村一良は『文部省 国民学校五・六年教科書編 纂趣意と取り扱い方』日本放遷協会編 昭和19年〉の中で、「君臣の分を明にし、大義名 分を正すことを根本義とする国史の教育」では、「忠良賢哲の人傑であっても、臣子の分際. にある民草を、大君に対し奉って同列の形で課の題目に掲げるのであっては失当の難をま. ぬかれません」と説明していう。そして、r第1課 神国 ①高千穂の峯 ②橿原の宮居 ③五十鈴川」「第2課 大和の国原 ①かまどの煙 ②法隆寺 ③六化のまつりごと」など1 皇国の発展興隆史的につけられた課題名の下に詩的な表現の多い項目名が並べられている。.  記述においてもこの考え方を基本方針とし、各章に「日本は神国である」という考え方 を取り入れさせ、「君臣の分」という言葉を文中に多く用いている。また、下巻の「第15 課 昭和の大御代」の最後に、』楠木正成が櫻井の里で正行を諭した言葉を引用し「私たち. は一生けんめいに勉強して、正行のような、りっぱな臣民となり、矢皇陛下の御ために、 おつくし申しあげなければなりません」(26)というような臣民として¢心構えを早童に説い. ている。上巻の「第3課 奈良の都」で「海行かば…  (引用者中略)…  大君へにこ. そ死なめ」という大伴家持の長歌(これは日本放送協会の委嘱により作曲され、昭和18 年には「君が代」に次ぐ準国歌として児童に愛唱された)が引用されたことや、同じく上. 巻「第5課 鎌倉武士」にお陣て元冠での「まつたく国中が一体となつて、この国難に当 たり、これに打ちかったのですが、それといふのも、すべて御稜威にほかならないのであ り、神のまもりも、かうした上下一体の国がらなればこそ、くしくも現れるのであります。」. (27)という言葉を記したり、r第6課 吉野山」で後醍醐天皇のために華々しく戦った楠木 正成らの活躍を描いたりすることで・国や天皇のために命を捨てる.;とを是とする教育を、. 徹底させている。文章表現も物語風で、形容詞や修飾語を多く用,い左詩的な韻文形式であ. る。また、「である」調をrあります」調に変え、児童の心に直接訴えるような表現になっ. (26) 前掲(23)P.375 (27) 前掲(23)P.286. 14.

(18) ている。.  挿絵も激増している.挿絵の多くが日本画調の想像図に一変し、今までの国定教科書に. なかった天孫降臨の図をr皇孫のお降りjと題して登場させている。挿絵の説明文も、防 人の出発を「喜び勇んで」とするなど感情に訴える表現となっている。. III 学習指導要領の人物学習’.   これまでは戦前の小学校における歴史学習が人物学習中心であったことを述べたが、  戦後の歴史学習はどうであろうか。ここでは、戦後の歴史学習を』「人物学習を軽視レた.  時代」「人物学習が再び取り入れられ始めた時代」「人物学習が中心となった時代」の三  つの時期に分けて学習指導要領の変遷を概観する.. 1.人物学習を軽視した時代’.  終戦後からしばらくのあいだ人物学習を軽視する風潮が続いた1,渡辺惇はその理由.を 「戦後の歴史学習の主流を占めたのはマルクス主義史学であり、それは戦前の皇国史観り. 歴史学に対する厳しい批判の上にたって、科学的立場を重視し、社会科学の範疇と成果に. 立脚することで成立したものであった。そこでは、人問社会の普遍的な発展法則の究明に 主題がおかれるとともに・社会の発展を支えるものとして・個々のく問より社会集団や民 衆の動きを重視し、社会経済構造の究明に主力が注がれるようになわた.」(28)としている.. また、戦前の人物学習が英雄・ち偉人などを取り上げた支配者の歴史であったことや、神話・. 伝承を取り入れたことによる非合理的な要素を含んだこと、道徳的教訓を与える方向へ向 かいがちであったことが、合理的な歴史教育を目指す社会科歴史にとって人物学習が敬遠. される理由になったのである。昭和22年度・26年度の学習指導要領(いわゆる初期社会 科)はこのような立場に立ち、郷土の発展や開発にかかわる人物の働きを取り上げておりマ. 我が国の歴史に発展という立場から人物の働きを取り上げていないφが特徴である..  このような動きと軌を一つにして、昭和31年に「昭和史論争」がおこった.これは、 文芸評論家の亀井勝一郎が遠山茂樹らによって著された「昭和史」’(岩波書店)を「人間不. 在の歴史」と批判しておこっだものである。ここから始まった一連あ論議の中で、「戦後登. 場した科学的歴史が、歴史の法則性を追求志向するあまり、ともすると複雑な歴史的人間 事象を抽象的概念に特有な論理の枠の中におしこめて類型化しよう≧する公式主義に略っ ている」(29)という批判がなされた..  歴史学の分野において科学的歴史に対する批判が生じたのと平行レて、社会科教育の面. (28) 渡辺惇「小学校の歴史授業における人物学習一戦後における変遷と現状一」『熊本大学教育学部紀要第2分冊.   人文科学£1974年 p.31 (29) 前掲(28)P.32. 15.

(19) でも初期社会科に対する批判が起こうた。(30)そして次第に小学校高学年での系統的な地 理・歴史教育の方向性が定められていった。これにより、「小学校6’年の歴史教育は、5年. 以下にみられる経験主義の社会科歴史とは異った系統的な時代史学習へ質的転化をとげる 第一歩」(31)が記されたのである。こうした動きの中で、昭和33年度版の学習指導要領で. 人物学習が導入されるようになった.以下は、学習指導要領の変遷に従って文部省の人物 学習論を分析していきたい。(卸. 2.人物学習が再び取り入れられ始めた時代. 昭和33年・・月改定小学校学習指導要領を文部省力浩示す輩あたり・当時の文部省初 等教育課長上野芳太郎が、改定の要点を示したが、その一っにr地理・歴史教育を改善充 実すること」として「(引用者前略)特に、地理・歴史教育にっいては、小学校第6学年ま. でに、日本の地理・歴史についての基礎的な理解や概観的な把握ができるよう、その内容. の改善、充実をはかった」と述べている。この言葉に表されるように、昭和33年度版指 導要領r社会」の第6学年の内容は(1)から(4)は政治的単元の内容であり、(5)から(8〉. の歴史的単元の内容では、わが国の歴史的発展の概略がつかめるよ’うに記述されている。. ここに、それまでの問題解決的な歴史学習から、系統的な内容の歴史学習への転換を見る ことができる。.  また、第6学年の目標の(2)でrわが国の政治のしかたや国民生活は、それぞれの時代. の特色を持ちながら今日に及んでいることを具体的に理解させ、,国家や社会の発展に貢献 した人々の業績について考えさせる」(33)ことをあげ、歴史の発展の中で人物の果たした役. 割を学ぶ「人物学習」の意義奪示している・この点が・それ以前の社会科歴史学習との大 きな違いであるといえる.人物の取り扱い方について具体的に説明されているのは、「指導. 上の留意事項」であり、人物指導上の留意点として3点記されているのが注目される.留 意点の(1)人物教材の長所(具体的で興味をもちやすいこと)を十分いかすという点は,. 児童の発達段階への配慮の表むといえるし、(2)時代的背景との関連性の重視は、人物を. 社会的諸条件との関連でとらネようとする戦後の社会科歴史の立場からの配慮というべき である。そして、(3)「人物中心の学習にはしりすぎない」といった人物学習を制約する ような表現が使われたことは{’人物学習を敬遠し、歴史の社会性を重視してきた戦後の歴 史教育に対する配慮と同時に・’戦前の人物中心の歴史教育に対する反省から出たと考え.ら れる。 ¥. (30)一例をあげると、これまでの社余科の主流であった問題解決学習か系統学習かをめぐって行われた勝田・梅津.   論争があると考えられる。. (31)前掲(28)P.34 (32) この分析にあたっては、学習指導要領や小学校指導書の作成者の一人である溝上泰の意見を中心として参考に.  した。 (33) 『小学校学習指導要領』大蔵省印刷局 1953年 p,43. 16.

(20)  これら内容の記述と指導上の留意事項を関連付けて考えてみると、人物学習はあくまで 時代的背景を伴ったものでなければならない.っまり、人物の歴史上の位置づけを確かな ものにする必要がある。ここでは人物でつづる歴史学習は排除されている。そして、人物. 学習を通して・わが国の歴難ついての基礎的理解を得ることをねちっている・  以上をまとめると、33年度版指導要領の人物学習は、政治や国民生活における各時代の 特色を理解する上での一方法としてのr人物を活用する学習」(34)であったといえる.しか. もその活用の仕方はあくまで入間がおかれた時代的背景や社会的条件に絶えず留意し、人. 物中心にはしりすぎないように慎重に配慮されたものであった。これは、人間を社会的存 在として、また、社会的背景との関係でとらえようとする戦後の歴史学や社会科歴史あ考 え方に基本的に沿ったものであった..  このような33年度版指導要領の人物学習に対して批判がされるようになった。その理 由は、.  r近年とくに強調されてき乍いる人間性の回復、人間性の尊重にかかわるものである。『 (引用者中略)郷土史学習は社会科教育の一環として中学年の学習目標を達成するために 行われるととも!こ、高学年の暦卑学習の基礎をきづくことを目的とレているわけである堺. そこでは先人の努力、くふうなどに焦点をあて、いわば人物を中心に歴史的な理解を深ゆ るという方法をとっている.このような歴史を人間の創造的な営みの所産としてうけとめ. るという視角は、現代社会における人間の主体性の認識、人間性の回復、尊重といった時. 代の要請とも深く関連してくるわけで、このような歴史は人間によってつくられるのだど いった観点を六年の歴史学習1』さらには中学、高校の歴史学習にまで一貫して発展させよ うとする」(35).  ねらいがあったことや、「社会科の学習は中学年までは経験領域を重視した問題解決主 義にたつ単元学習の形をとり、』歴史的な考察もトピック学習、断章法(パッチメソッド). や倒叙的な学習方法をとっている。ところが六年になるといきなり系統的な時代史学習が はじまるわけで・これが児童の直接的な体験と結びっかぬところから、学習の興味が減退 する場合がみられたこと」(36)や「通史学習ということで、教師は必要以上に詳細な歴史事 象を並べがちになり、いきおい教材の羅列主義におちいる場合が見られたこと」(37)や「歴. 史事象の因果関連的な把握を強調することは、六年生の歴史学習能力からみて無理が多い’. (34) 大森照夫r社会科基本用語辞典』明治図書 1973年 p.226 (35). 『小学校指導書 社会科編』文部省 1969年 pp.221−222. (36)藤本光r小学校社会化歴史学習の一方法」r社会科教育研究』Nα16 1962年 P..76 (37) 前掲(36)P.76. 、. 17.

(21) こと」(38)などがあげられ、こあような系統的歴史学習はr中学のうすずみ学習」といわれ. るようになったのである・奪で・小学校高学年の発達段階に応嘩歴史学習のあり亥・ つまり、人物や物語、文化遺産など児童が興味を持ちやすい教材を積極的に導入し活用す る学習方法が求められるようになった。文部省の山口康助がr時代背景と結びつけて具体 的に学習させるべきだとした、て昭和33年の…筆者注)指導要領の留意事項は、人物指導 の初歩的かつ基礎的な態度を明示したもので、何人にも異論はないところであろう.問題 はむしろその先にある。すなわち、もしも人物の取り扱いの態度がいつもそのような段階 にとどまり、時代条件や社会条件ばかり重視して、その制約面を強調し、限界のみをいう ようになったら、かえって人物は死んでしまわないかということである」(39)とか「(昭和. 33年の指導要領の留意事項一1筆者注)の起草に一半の責任がある私も、いまでは多分に修 正の必要を感じている。それは一言でいえば、当時人物指導を勧奨する役割を果たしたζ1 の留意事項も、いまではかえっ』て人物指導の充実と発展を制約す資ヌイナスの役割をも芦. つつあると考えられるからである。(引用者中略)限界ばかり強調するとかえって逆効果ば. かりか人物が萎縮してしまわないかということである。むしろ、史上の人物に愛情をいだ き、真剣につき合うつもりで教材研究に取り組んでいけば、その人物の歴史的背景や時代. 条件などは、特別に気にかけなくとも、おのずからついてまわってこずにはいないものだ ということである。」(40)と述べているように、人物により焦点をあてる歴史学習を必要と・. する声は文部省の中からもあがってきた.このような声を反映する形で昭和43年度版学 習指導要領が発行されたのである..  昭和43年度版指導要領「社会」の第6学年の目標では「国家、’社会の発展に尽くした 先人の業績やすぐれた文化的遺産などについて関心と理解を深め、わが国の歴史と伝統に 対する理解と愛情や国民的心情の育成を図る」(4・)ことを明記し」先人の働きそのものの理. 解と評価を行うことをねらっている。内容では、「それぞれの時代の歴史を重ねながら今日.. に至っていることを、歴史上の入物の働きや代表的な文化遺産なギ壷中心に理解させ、.国 の歴史や先人の働きについて関心を深めさせる。」(42)ことを主眼においている.この内容. の意味するところを解釈すれば(1)わが国の歴史を通史として系統的に理解することを. 目指すものである、(2)その際、歴史上の人物のはたらきや文化遺産を中心に取り上げ七. 理解を図るようにする、ということになるだろう。時代の特色を理解する上で、33年度版 が絶えず歴史的背景に留意しながら時代の特色を把握しようとレために対して、43年度版 では歴史上の人物や代表的な文化遺産を中心に理解させる、つまりく物が時代の発展に1ど. のように寄与したか、文化遺産はどんな時代の背景を持ったものであるか等の考察を通じ (38) (39) (40) (41) (42). 古川清彦編r小学校歴史学習の系統的展開』明治図書 1970年 p,52. 山口康助r歴史教育と史上の人物j r歴史教育』第10巻4号 1962年 pp・80−81 山口康助「人物学習は社会科教育の主柱」『社会科教育』NQ36 1967年 p、37.. r小学校学習指導要領』大蔵省印刷局 1967年 p.30 前掲(41)P.30. 18.

(22) てそれぞれの時代の特色をっかむようにすることを規定したことが大きな特色になってい. るといえる.これに関連して.33年度版で明記されていた人物指導についての留意点が姿 を消したのである・また・内容の取り扱いでは「いたずらに細か塗史実にわたることをさ け、歴史上の人物や物語などをじゅうぶん活用して」(43)と示して、歴史学習への興味・’関. 心の啓培とともに歴史学習の臭体化をねらっている。.  昭和43年度版指導要領やその指導書に特定の人物の名前は挙げられていない.しかし、. 時の指導要領作成責任者である山口康助は、聖徳太子、中臣鎌足を始め、楠正成、東郷平 八郎ら60名近い人物を挙げ、.「その時代を代表し、時代の雰囲気を体現していうような人 物、しかもめざましい歴史的役割を果たした重要な歴史的意義を背負っている人物」(44)、. の例であることをことわって吟る。この書物は文部省の見解そQものではないが、当時、. これらの人物名が考えられていたことが予測される。その後の指導要領の改訂で歴史学習 における人物学習はますますその地位を大きくしていったのである.. 3.人物学習が中心となった時代  昭和52年度版指導要領の犬きな特色としては、「ゆとりと充実」.といわれる時間数の削. 減と内容の精選があげられる.,6年生の社会科の時間は140時間から105時間となり週当. たり1時間ずっ減っており、ぞれにともない内容も大きく精選された.人物学習について.. は昭和51年教育課程審議会の答申で「第6学年の歴史学習については各時代についての 歴史的な事項を網羅的に取り扱うのを改め、わが国の伝統を尊重する立場から、歴史上の 人物の働きや文化遺産などを重点的に取り上げ、現在の自分たちの生活の歴史的な背景に 関心を持たせ、歴史と伝統を大切にする心情を育てるようにする.」Fとし、これに沿って昭. 和52年に指導要領が改訂され牟・これは・r第6学年の歴史の学獣ついて現行学習鱒 要領(昭和43年度版 筆者注)においてもr歴史上の人物の働きや代表的な文化遺跡な どを中心に理解させる」ことをねらっているが、実際の指導においてはともすれば表面的. な史実の列挙に終わったり、児童にとってはやや抽象的な因果関係の追求などに流れる傾 向に陥っているので、今回、人物や文化遺産をいたずらに多く取り上げるのではなく、児 童の興味や関心を重視し、その人物の働きや文化遺産を通じて内容が具体的に理解できる. ようなものに精選するように改善し、学習指導に当たっては一人の人物について数時間取 り扱うようにして学習の成果を得るようにする」(45〉という考えを踏まえて作られている。. そして、歴史学習の内容の主な改善点としては「①わが国の歴史に対する興味や関心を高・. めるため、主な歴史的事項を入物の働きや文化遺産を中心に取り上げて指導することを一 層徹底するようにした。②国の形成に関する考え方などを示す神話’・伝承を指導事項とし. (43) 前掲(41)P.32. (44〉ノ1・林信郎・山・康助r/1・学校新教育課程講座社会』帝国地方行政学会1964年P.169 (45)溝上泰『小学校社会科新旧学習指導要領の対比と考察』 明治図書 1989年 p.193. 19.

(23) て取り上げるようにした。」(461ことがあげられている。これ1;ついて岩淵悦太郎は、「人物・. 文化遺産を中心にした歴史学習に変わるということから、人物史をやったり文化遺産φ説 明をしたりする歴史学習をするようにとらえられている向きもあるが、そうではない。’人 物・文化遺産を中心にして、それぞれの時代の背景をつかませる歴史学習なのである。」.tと. 述べた後、歴史学習の配当時間の削減について触れ、r今回の改訂では、人物・文化遺産を 中心にした歴史学習に改められたので、歴史の面白さ楽しさを味わわせるような指導が可. 能なように思える。少ない時間の中であれもこれも教えこむ歴史学習ではなくしたいもの である。」(47)として、人物や文化遺産などを精選して取り上げる学習は効果的に学習時間. を使うことができることのみならず・歴史を学ぶ楽しさをもたせる;とができるとしてい る。.  昭和62年の教育課程審議会の答申で、社会の変化とそれに伴う子どもたちの生活や童 識の変容に配慮し、①豊かな心をもち、たくましく生きる人間の育成を図ること。②自ら 学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視すること。③国民として必                                   ぺ 要とされる基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育の売実を図ること.④国際 理解を深め、わが国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること.という四っの改 善のねらいを示した.社会科歴史に最も密接に関係すると思われる④について、中野重人 は「国際理解の重要性は、改めていうまでもないことである。(引用者中略)では、求めら. れる資質とは何か。それは、お互いの違いを認め、尊重する広い心である。(引用者中略). 相手を確認し、尊重することは、換言すれば、共感するということである.21世紀の国際 社会に生きる子どもたちに望まれることは、共感のできる広い心である。」(48)と共感の大. 切さを説いている。また、世界を理解することのポイントとして、「目を内に向けることで. ある・それは自らを確認するととである・スタンド・ポイントを明確にすることであるず. ふるさとの心をもち、日本の文化や伝統に心を致す人間、すなわち日本人であることが求 められるのである。(引用者中略)共感とは、相手を認め、尊重することであるが、そむは. 同時に、自らの立場を明確にすることである。相手を認めるとき、並しく自己を主張する・ ことができるのである.自らの立場をもたないところに、’真の共感はない.それは共感で. はなく、迎合である.真の共感は、自らの立場の確認と確立によって、はじめて可能なめ である.」(49)と述べ、外国理解と同時に自国理解の大切さも示した6そして社会科の果た. すべき重要な任務としてr共感のできる日本人」を育てることをあげている。それに加え、、. 答申では「人物や文化遺産を中心とした歴史学習を徹底するため、連史的な取り扱いにな らないよう内容の示し方を改める」ことが改めて示されている..昭和43年度版から人物. (46) (47). (48) (49). 前掲(45)p.186 岩淵悦太郎編『小学校新学習指導要領の解説と展開』教育出版 1977年 p.38. 中野重人編r改定小学校学習指導要領の展開』明治図書 1989年 p.20 前掲(48)P,21. 20.

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