1974年
香川県で生まれる。・
13歳で小学校準教員試験に合格。
東京帝国大学法科に入学 大学を一番で卒業ずる。
内務省に勤務する軌.
内務省を辞める。
東京帝国大学の助教授となる。
ヨーロッパに留学する。
東京帝国大学の教授となる。
東京帝国大学法学部長となる。
東京帝国大学総長になる。
国会議員となり、新憲法作成に努力する。
「天皇退位論」を述丼る。
ワシントンで全面講和論を主張。
東京大学総長を退任する。
がんのため死ぬ。(85歳)
写真は省略
【南原繁の考え方】
目本は戦争をしたすべての国と同時に講和条約を結ぶべきである。
①目本が本当に平和で民主的な国家として出発していくためには、アメリカ側ともソ 連側とも講和条約を結ぶ「余面講和」が必要である。
② 「単独講和」をすることは、目本が片方の国ときずなを深める一方、もう片方の国 とは戦争状態を残すことと参り、その結果世界的対立を激化させることになる。
③この後、世界情勢がどか牽化するかも分からないのだから、あせって「単独講和」,.
をしないほうがよい。
初めから、現実不可能の理想論として「全面講和」や「永世中立論」を捨て去っでじ まおうとするのは大変危険なことである。日本が世界平和のかけ橋、となるために、たと.
え困難でも、「全面講和」を求め続けなければならない。 ・ 二
出典1南原繁「世界の破局的危機と目本の使命」『文化と国家 南原繁演述集』所収 正村公宏『戦後史 上』筑摩出脹 1985年を基に、筆者が作成
東京大学出版会 1975年
資料9「警察予備隊」
べ
朝鮮戦争が始まると、目本にい年アメリカ軍が朝鮮半島に渡った。そのため、アメリ寿の支持で警察 予備隊が創られた。これが後に自衛隊となった。
出典1家永三郎編『改定新版 日本の歴史』ぽるき出版 1987年
資料10r資本主義と共産主義」
資本主義
共産主義
お金を持っ人が生産手段を持ち、人をやとって商品を作り出 して販売す ることを自由に行う制度。アメリカ側の国の制度。
品物やお金塗どをみんなに分配するため、国が生産手段を管理して、、生 産や販売を計画的に行う制度。ソ連側の制度。.
戦争後、目本の中にも「共塵主義」を支持する声が広まった。しかし、アォ.リカとソ連 の対立の中で、アメリカは日本に共産主義が広まるのを恐れて抑えようとした、
いくつかの事件・事故が共牽主義の人が行ったとされ、人々、の共産主義に対する支持の 声は下がっていった。
出典1西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編『岩波国語辞典 家泳三郎編『改定新版 目本の歴史』ぽるぷ出版
第五版』岩波書店 1999 年 1987年を基に筆者が作成
資料11r全面講和を求める声」
第22画メ・プー
鱒蘇矧
2面講和ノ\
写真は・全面講和を求めるメーデド(労働煮 の祭典)の様子です。講和条約をめぐって全面 講和か単独講和かという議論が盛ん年なりまし
た。
労働者をはじめ、母親たち、市民の団体、学 者や学校の教師、学生、小説家や音楽家などお おぜいの人がアメリカの言う単独講和に反対じ
ました。
出典1家永三郎編『改定新版 目杢の歴史』ぽるぶ出版 1987年、『詳細日本園説』浜島書店1995年を基に筆者が f乍成
立早
終1。研究の成果
本研究では、多面的な見方を養う人物学習の方法原理について考察し、それに基づいて 小学校歴史授業の開発を行った。
第1章では、これまでの人物学習論として、文部省の人物学習輪では明治期と国定教科 書期、昭和33年以降の学習指導要領を、それ以外では民間教育団体の歴史教育者協議会、
研究者レベルの人物学習論として小原友行氏の人物学習論を取りあげて分析し.た。
明治期の人物学習論は「沿革ノ原因結果」の理解を容易にするための教材として人物を
取り上げ・人物を活用して歴卑授業をすること1こよって「尊琿馴志気」鯖成に舩
げる人物学習であった・また)教育方法としては、初期にはr事実教授型の人物学習」』が とられていたが次第に歴史学と心理学・教育学の成果を取り入れた「共感理解型の人物学 習」になっていった。国定教科書は、改訂を経るにつれ人物中心学習が徹底され、より教訓的な内容にな.って おり、このような変化が起きた背景には、人物学習を通じて国体思想を育成することが目 的となっていた。教育方法としては教科書の読みや教師の説話を中.心として児童に感銘を 与え、その上で児童に臣民としての生き方を考えさせるものであろた。
第2次大戦後の社会科歴史学習に関していえば、昭和33年以降の学習指導要領では、次 第に人物中心の傾向が強まった。教育方法としては、人物に共啓させ、その人物が時代め 発展にどのように寄与したか、文化遺産はどんな時代背景を持づたものであるか等の考察
を通じて、それぞれの時代の特色をつかませるものとなっていた。
歴史教育者協議会は、歴史教育を、科学的社会認識育成の基礎として位置づけておりド 人物を通して歴史を教えるという人物学習を基本にすえ、民衆史の視点を貫きながら、人 物をとおしてその時代の実像に迫ろうとすることを主張した。学習方法としては学習指導 要領と変わらないが、民衆史の視点を貫くという点が大きく異なっている。
小原友行は、歴史教育の目的を人物の行為の歴史的評価についての「価値判断」と自分 自身がそのような問題場面に直面していたらどのような行為を選択.していたか、・どのよう な行為を選択すべきであったカ、それはなぜかについての「実践的判断」を行わせるごと としている。教育方法は、教材』として選択された人物の問題解決的行為の事実に対して「記 述」r説明」r判断」を求める学習問題を発見・構成し、収集した資料から学習問題に対す る解答を引き出すものであるよ
これらの学習論の課題であるが、明治期、国定教科書、指導要領、歴史教育者協議会は、
取り上げる人物がひとっの立場で、それに共感しながら歴史的事象を理解する学習を進め る関係上、閉じられた価値形成となっている。また、小原氏は、、座史的な価値判断を迫ら れる場面で、決断を下す人物Q行為を分析的に説明させるが、 の人物が一つの立場に立 っており、その人物が実際に選択した行為意外は児童が頭の中で選択肢を作り上げねばな
らず、小学生にとってかなり難しいものとなっている。
第2章では、先行授業実践を分析し、r学習論」、r価値形成」、r教材選択の視点」という 視点で類型化した。
その結果、小学校歴史学習における人物学習では、一っの立場に立つ人物を教材として 取り上げ、その人物の行為を追体験させることを通して人物の働き.(行為の自的・意図・
動機とその意味・意義)を理解させるという方法原理に基づいた学習方法が多いことが明 らかとなった。しかし、そうした学習方法は、児童の価値観を一つのものに収束させる「閉 じられた価値形成」となり、r社会事象を多面的に考察し、公正に判断する能力や態度」が 育成されるとは考えにくいことも明らかになった。
そして、「社会事象を多面的に考察し、公正に判断する能力や態屋」を育成するための方 法原理を、以下のように抽出した。
第一に、教材は、時代の選択という観点では、歴史上の人物が問題解決的行為を迫られ た歴史的論争場面があった時代で、その人物がとった一つの解決策だけが現実可能な案で はなかったと思われる時代を教材として取り上げる。また、人物の遷択という観点では、
教材として取り上げた歴史的論争場面を解決するための異なる方法を主張した人物のうち、
同等かそれに近いだけの実行可能力を持った主張をした複数の入物を取り上げる。
第二に、授業過程としては、.導入部では、歴史的論争問題の場面を提示し、児童に学習 問題を発見させ、学習方法を明確にさせる。展開部(1)では、その問題を解決しよう と
した国内外の複数の立場の人物の主張やその根拠を資料からまとめて記述し、.当時の状況 を把握する。展開部(2)では、それぞれの主張から導き出される結果を予馴し、どの年 張を選択するかの判断を下す。さらに、その根拠となる自分の考えを明らかにする。終末 部では、レポートの作成など総合的な表現活動を行い、それについての自己評価・相互評
価を行う。