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関数の歴史

岡本 久

〒 606-8502 京都市左京区北白川追分町

京都大学数理解析研究所 okamoto@kurims.kyoto-u.ac.jp

このファイルは公開講座の原稿から文献を抜き取ったものです.

昨今の大学では, 最も重要な知識だけをできるだけ短時間に教育することが最優先されていること が多く,数学の発展過程において天才数学者たちがいかに右往左往したか,ということにふれている余裕 がなくなっている. 本稿の目的は, 数学と言えどもその発展には多くの挫折が伴っていることを例示す ることにある. 同時に,数学上の発見というものをどう評価するか,という問題が非常に難しいことを指 摘したいと思う. ある命題の証明が誰によってなされたのかを特定することはときとして非常に難しい. 証明が完成されたことを100点であるとしても,その前に99点くらいまでもってきた人物がいることが しばしばある. こういったときに, 99から100まで持ってきた人物が栄誉を独り占めすることがいいこ とだとは思えない. こうした業績評価に関するコンセンサスは現在ではまだできているとはいえないが, いずれ確立する必要がしょうずるであろう.

数学史の書物は多い. 関数の歴史についても多くの良書がある. たとえば, [?,?,?]などを読むと関 数に対する数学者のイメージがどういうふうに変遷してきたのかがわかる. 本稿はすでに定評のある文 献に書いてあることのまとめのようなものであり,数学史としてのオリジナリティーを主張するつもりは ない. ただ,数学史の教科書には関数のグラフがほとんどあげられていないので,関数の直感的なイメー ジがつかみにくい. そこで,この講義ではできるだけ多くのグラフを提供することによって聴く人の便宜 を図った.

以下に書いてあることはできるだけ疑いの目をもって読んで欲しい. 数学史の書物・論文には正し くないことが平気でのっていたりすることがある. 私もついうっかりそうした間違いを犯しているかも しれない. 2次資料・3次資料の間違いを安易に引き写すことはあってはならないことであるが,なかな かなくならないものである.

1 Euler— 関数を解析学の主役にした男

Everything, even the obvious, is earned with hard thinking by some pioneering genius.

—Paul J. Nahin[?], (42ページ).

「Newtonの運動方程式」の発見者がEulerだというのはなんとも意表外であるが,事実

は事実として認められなくてはならない. —山本義隆[?], (177ページ).

In the early eighteenth century, functional notation was used only in very limited cir- cumstances. —Cannon & Dostrovsky[?], (2ページ).

The intuitions of great men are sounder than the deductive demonstrations of medior- ities. —M. Kline, [?], (168ページ)

First the derivative was used, then discovered, explored and developed, and only then, defined. —J.V. Grabiner[?]

詳しいことは

岡本久・長岡亮介 著 関数とは何か

(近代科学者 2014年刊)

で説明してあります.

(2)

いくつかの書物には『微分積分学の基礎はLeibnizとNewtonがそれぞれ独立に発見した. これに よって数学は新しい時代にはいった. 』といった趣旨の文章が書いてある. これは必ずしも間違いではな いが,彼ら以前にまともな微積分の研究が存在しなかったかのような印象を与えるので少し問題がある ように思う. Descartes, Fermat, Cavalieri, Torricelli, Fermat, Roberval, Barrow, Wallis といった人々 の研究もきわめて重要だったのである. LeibnizやNewtonがこれらの人々をはるかにしのぐ決定的な進 歩を与えたことは事実であるが, 名声の100%が彼らふたりだけに(特にNewtonだけに)行くのは正し くない. 確かに微分学についてはNewtonやLeibnizの革新性は疑う余地のないことだけれども,無から 一挙に新概念が見いだされたわけではない. また,積分学についてはCavalieriやRobervalの業績も高く 評価されるべきだと思う. 一例を挙げてみよう. イタリア人Evangelista Torricelli (1608–1647) が1644 年に発見した次の事実は当時の数学界に相当な刺激を与えたと言われている([?, 227ページ]):

双曲線y= 1/x;z= 0をxyz空間においてx軸のまわりに回転させた曲面と平面x= 1 で囲まれた,無限に長いラッパのような立体を考える. この表面積はであるがその体積は 有限である.

現代の積分の知識があればこれを証明することは簡単である. しかし彼がこれに気づいたときNewton はまだ生まれてすらいなかったのである. 上の命題は当時の人々の目に大きなパラドクスと映ったとし ても不思議はない.

確かにNewtonやLeibnizの業績は極めて大きいが,彼らが残したものは現在の解析学とはずいぶん

と違い, 読むことすら難しい1. 現在我々が習う形で解析学を整備したのは L. Euler (Leonhard Euler,

1707–1783) である. 彼によって関数が解析学の主役となったのである. そして, 非常に多くの現代の数

学者はEuler が敷いた線路の延長を走っていると言うことができるであろう. 本節の目的はEuler の業

績を振り返りながら解析学の基礎を振り返ることである2.

数学史の書物には間違いが多いが、これはある程度までは不可避である。誰が書いてもどこかに間 違いはある。そういった宿命にあると思って方がよい(もちろん本稿にもあるはずだ)。

1.1 関数とその表現

解析学の基本的な対象は関数である. 解析学の歴史は関数をうまく表現する方法の開発と改良の歴 史であるというのは極論かもしれないが一面の真理である. たとえば関数をべき級数展開することによっ て詳しい情報が得られるということは17世紀の(特にNewtonの)大きな発見である. たとえば,

ex = 1 + x 1!+x2

2! +x3

3! +· · · (1)

という指数関数のべき級数展開は現在ではよく知られているが, これが発見されるまでには長い下積み の試行錯誤があった.

さて, 関数とは何か,それはどう理論づけられてきたのか,それはどう表現したらよいのか;こうし た問題について議論する前にそこで重要な働きをするL. Eulerについて簡単に紹介しておこう.

1.2 Eulerの業績

Leonhard Eulerは1707年,スイスに生まれバーゼル大学に学び,そこでヨハン・ベルヌーイに数学

の手ほどきを受けた. その後天才を発揮し,ロシアのサンクト・ペテルブルグに新しく設立されたロシア アカデミーで数学の教授となり,後にベルリンのアカデミーに移った後,再度サンクト・ペテルブルグに

もどって, 1783年にそこで亡くなった. 世界一のことなら何でものっているというギネスブックには最

も多くの論文を書いた数学者として名前がのっているが,流体力学など,数学周辺における業績にも輝か しいものが多い. そんな彼の業績のうちのひとつに

1 + 1 22 + 1

32 +· · ·+ 1

n2 +· · ·= π2

6 (2)

1たとえば[?][?]を見よ

2Euler以前の解析学については[?,?,?,?]が参考となるであろう.

(3)

を示したことがあげられる. 左辺の級数がある値に収束するということは比較的容易にわかるが,それが どういう値であるのかは当時かなりの大問題だったようである. 彼の師匠であるヨハン・ベルヌーイな どもずいぶんと研究を重ねたようであるがEulerが1734年に解決するまで誰にもわからなかったのであ る. この級数の値の決定はすでに数学者としての地位を確立していたEulerの名前を不動のものにした と言われている(印刷公表は1740年. Euler全集Ser.Iの第XIV巻,84-85頁, [?,?]も参照せよ).

しかしながら, Eulerの数々の輝かしい業績の中で見れば(2)は比較的重要性の低いものであると言 わざるをえないであろう. 彼の解析学, 流体力学,整数論, 変分法などの業績は歴史上燦然と輝くものだ からである.

Eulerの数理科学に残した影響には様々なものがあげられるが,そのうち良く知られているものをい

くつか列挙してみよう:

自然対数の底を定義し,それに対してeという文字を最初に使用した. それは現代でも使われてい る. また,eが無理数であることを証明した3.

変分法の基礎を確立した. そしてそれを力学の多くの問題に応用した.

Eulerの公式 e−1θ = cosθ+

1 sinθを発見した.

Eulerの定理 V −E+F = 2 を発見した. ここで,V は多面体の頂点の個数,E は辺の個数,Fは 面の個数である.

剛体の運動方程式を確立した.

実験科学であった流体力学を数理科学にした. Laplaceの方程式

2V

∂x21 +2V

∂x22 +2V

∂x23 = 0

を最初に見つけたのは誰でしょう?と問われれば, Laplaceでしょう,と答える人が大多数であろう. し かし,事実は違う. Leonhard Euler が1761年にすでに導いている([?]). また,流体力学のベルヌーイの

定理もD. Bernouuliが発見したものであると言われているが, 彼の本[?]を読んでも我々が今知ってい

るものには出会わない. 少し遅いけれどもEulerが[?]で見つけているものが我々の知っているベルヌー イの定理である.

その他にも輝かしい業績を残したのであるが,きりがないのでここで終わることにする. 興味のある 読者は[?],[?],[?]を参考にして欲しい.

彼が成し遂げた業績もすばらしいが,彼がやろうとして失敗したことにも大きな意義があるものが 多い. 例えば代数学の基本定理

定理 1.1 (代数学の基本定理) 実数を係数とする多項式は, 1次もしくは2次の実係数多項式の積とし て表される.

を証明しようとしたが, 基本的なところで勘違いがあったらしい[?]. 現在ではこの定理はGauss (Carl Friedrich Gauss, 1777–1855)が最初に証明したことになっている. しかし,現代人の目から見ればGauss の証明も決して厳密なものではなく,現在の基準で言えばギャップがないわけではない[?]. これはGauss も気になっていたとみえて、その後に別証明をいくつか公表している。このギャップがその後Bolzano による中間値の定理の解析的証明を促すことになる. これについては7節を参照せよ. 現在の大学の講 義では洗練された理論を習うことが多いけれども, そうした理論や証明も一瞬のひらめきで瞬時に完成 するものではない. 何世代にもわたって少しずつ磨かれてきた場合が非常に多いということは頭の中に 入れておいて欲しい.

Eulerの名前を冠する公式や概念は非常に多い. 実に驚くべき多さである. さらに,様々な公式や関

数には, Eulerが最初の発見者であるにもかかわらずEulerの名前がついていないものもある. たとえば

0 sin x2

dx= 1 2

0

siny

√y dy= 1 2

π 2

3ちなみにいくつかの書物ではeNapier数と呼んでいるが,これはよい名前とは言えない. 対数の発見でNapierは科学 に業績は計り知れない貢献をしたが,彼がeを発見したわけではない. また,対数表の発見と対数関数の発見は別物である

(4)

はしばしばFresnel 積分と呼ばれいるが,最初に発見したのはEulerである([?]). 彼の証明は現代数学者 の目から見ればきわめて形式的であり,厳密なものとはいえないけれども,きわめて説得力のあるもので あり,当時の数学者には証明と受け入れられたに違いない.

2 関数

DescartesやFermatが解析幾何学を発見したとき,曲線と関数の概念が芽生えていた言うことは可

能であろうか. 私にはそうは思えない. 概念が漠然と把握されていたということと数学的な対象として 枠組みが理解されていたということは別ものである. 17世紀にはまだ関数はあまりにぼんやりした対象 であった.

関数という言葉を最初に使ったのはLeibnizである. しかし, 岩波書店の数学辞典第3版によると, 関数という言葉はLeibnizが1670年代から用い始めたが,最初のころは現在の意味とはずいぶん違うも のを意味していた. LeibnizもNewtonも微分積分を関数の上に展開したわけではない. 関数を主役にし

たのはJohann BernoulliやEulerである. 関数もなかったのに微分積分学をどう展開したのかというと,

答えは簡単で,彼らは(実質的に関数を使っていたということはできるかもしれないが)具体的には平面 曲線に対して微積分学を展開したのである.

関数が登場してもそれらは我々が教えられる関数とはだいぶイメージの違うものであった. 我々は,

XY を集合とせよ. Xの任意の元に対してY 元がただ一つ指定されるとき,この対応を関数あるい は写像と呼び,f :X→Y と表す」という定義を教えられる. しかし,こういった定義は18世紀にはな

かった. A.F. Monnaによるとこうした定義はゆっくりと浸透していったのであって,ある時点からこの

定義が定着したといったものではないらしい.

さて, Johann Bernoulli によって1718年に始めてϕxという記号によって関数ϕが定義されたとい う. そこでJohann Bernoulliの定義を引用しよう[?,第2巻の241ページ]:

Definition. On appelle ici Fonctiond’une grandeur variable, une quantit´e compos´ee de quelque mani´ere que ce soit de cette grandeur variable & de constantes.

彼の流儀はEuler に継承される.

3 Euler による関数の定義

Eulerの書いた無限小解析の教科書[?]は出版後相当長い期間にわたって指導書としての役割を果た

したと言われている. そこで彼は関数を次のように定義している:

定義 3.1 [Eulerの関数の定義1] ある変化量の関数というのは,その変化量といくつかの数,すなわ ち定量を用いて何らかの仕方で組み立てられた解析的表示式のことをいう. (文献[?, 2ページ])

これは上にあげたBernoulliの定義を踏襲したものであると言ってよかろう. 解析的表示式という言葉を 入れたのはBernoulliの定義をわかりやすくしようという意図があったのであろうか. いずれにせよ現代 数学における関数とはだいぶ趣の異なるものである. 彼はa+ 3z やaz+b√

a2−z2zの関数の例と してあげ(aやbが定数でありzが変数である),引き続き次のように述べている4:

関数は代数関数と超越関数に分かれる. 代数関数というのは,代数的演算のみを用いて組 み立てられる関数のことである. 超越関数というのはその内部に超越的演算が見られる関数 のことである.

これを読むと, Eulerは具体的な表示式だけを関数と呼んでいるようにも思えるが,必ずしもそうとは言 いきれない. その後で彼は,陰関数についても言及しているからである. いずれにせよ彼の真意はやや不 鮮明であるが,現在の我々が知っている定義よりもかなり狭いものであるようだ. また,関数の定義域と いう概念が確立していないことも注意されるべきである. これは無理もないことで,我々の見るところ, 定義域というものが認識されるのはどんなに早くてもFourierの時代(19世紀初頭)であり,もっと完全 な概念ができるのは集合論が確立してからのことであるからである.

その7年後, [?, page vi]において彼は関数を次のように定義している:

4[?]和訳の3ページ

(5)

定義 3.2 [Eulerの関数の定義2] Those quantities that depend on others in this way, namely, those that undergo a change when others change, are called functions of these quantities. This definition applies rather widely and includes all ways in which one quantity can be determined by others. Hence, ifxdesignated (designatesか?) the variable quantity, all other quantities that in any way depend on x or are determined by it are called its functions.

と述べている. かなり関数の概念が広がっているように解釈できる. これだけを文字通りに読むとこの 定義は現在的な定義と大差ないと判断することも無理ではないように思える. しかし,実際に彼が使う関 数は具体的な表示のできるものばかりであり,彼が,「対応」を使った現代流の定義を頭の中に思い浮か べていたわけではないようである5. このあたりが歴史解釈の難しいところで,著者が書いたことと頭の 中に思い浮かべていたこととは必ずしも一致しないのである.

解析的表示式をもって関数の定義とする流儀は後にDirichletが現代的な関数の概念に近いものを思 いつくまでずっと使われ続けることになる. 実際, 1813年に出版されたLagrangeの関数論の教科書で も,ほぼ同様である[?]: 解析学を現代化したというふうに言われているCauchyでさえEuler的な関数 の定義で満足しているように思える([?]).

19世紀になると定義3.1と定義3.2の違いが重要であると考える数学者が増えていったようである が, 18世紀中は定義3.1で概ね満足していたようである. これはEuler本人についても当てはまる.

さて, 話を元に戻そう. こうした定義およびほかの重要な概念を出発点として, Eulerは無限小解析 の理論を展開していった. そしてそれを応用することによって力学の肥沃な世界を開拓していったので ある. 彼の解析学の世界を知ることは有意義であるが言葉の関係で(ラテン語を読むことはやさしくは 無いので)理解はそう簡単ではない. ただ, [?]には英訳も和訳もあり,また, [?]の前半には英訳がある. 従って,その雰囲気を知ることは可能である.

注意 3.1 いまから4千年ほど前のバビロニア時代の粘土板には様々な数表が記されているという([?]の34 ページ, [?]の24ページ]. こうした数表についてE.T. Bell[?](32ページ)は“instinct for functionality”

と表現している. しかし, われわれはこうした数表を関数の先駆けとは見なさないことにする. これ

はYoushkevich[?]も言っているように, 古代では抽象的な関数というものを研究対象にしていないか

らである. また, 対応こそ関数である, という考えは19世紀以降に出てきたものである. したがって, {1,2,3,· · · , n} と1,1.414213,1.732050,· · · ,√

nという対応表があったとしてもこれを関数の先駆けと 見なすことは現代の目で過去をゆがめて見ていることでもあろう. こういった理由から本書では,古代の

「関数表」を関数の中に含めることはしない.

4 Fourier 以降

つぎにFourier6に話を移そう. Fourierと言えばFourier級数やFourier変換でその名が知られてい る. 彼の熱の理論[?]においてFourier級数やFourier変換を縦横に駆使したのである. 彼は関数をどう とらえていたのであろうか?

Fourierは[?][?]において次のように関数を定義している:([?]の430ページ)

In general the functionf(x) represents a succession of values or ordinates each of which is arbitrary. An infinity of values being given to the abscissax, there are an equal number of of ordinatesf(x). All have actual numerical values, either positive or negative or null.

We do not suppose these ordinates to be subjected to a common law; they succeed each other in any manner whatever, and each of them is given as if it were a single quantity.

[?]では,全く任意の関数という言葉をひんぱんに用いている. たとえば432ページでは、

5しかし,Truesdell[?]62ページで述べているように,f(x) = a (x=x0)

0 (x= 0) というものも関数として扱って いたわけであるから,彼には時代の先が見えていたということもできるであろう. Eulerのこうした概念は1765年の彼の論文 (Opera Omnia III-1, 564)に現れている.

6Jean Baptiste Joseph Fourier, 1768–1830

(6)

The functionf(x) denotes a function completely arbitrary, that is to say a succession of given values, subject or not to a common law, and answering to all the values ofxincluded between 0 and any magnitudeX.

と言っている. Fourierの著作は極めて画期的なものである. 彼は定義域という言葉こそ使っていないが, 定義域というものを意識しているとおぼしき表現がここだけでなく随所に見られる. 第1章のGrabiner の言葉のように,定義域という概念は定義される前にこうして使われていたのである.

時代を下ってCauchyによる関数の定義を読んでみよう([?]).

いろいろの変数の間に,その中の1つの値を与えたとき, それからほかの変数の値を,こ とごとく決めることができるような関係があったら,通例はこの中の1つのもので表された 変数を考える. この1つのものを「独立変数」と名づけ, その独立変数によって表されるほ かの変数を,この変数の「函数」と呼んでいる.

これはEulerの定義3.2とほぼ同じとみなしてよかろう. CauchyはFourierを読んでいるから関数の定

義域もはっきりと理解している. しかし何故か, FourierもCauchyも定義域という言葉を用いてはいな い. 定義域と言う言葉はいつごろから使われるようになったのであろうか?

Dirichlet[?](1837年)では次のような定義が見られる. abを定数とし,xを変数とする. 変数xabの間の任意の値を取ることができる. このとき任意のxに対してただひとつの有限なyが対応し, しかも,xaからbへの区間の間を連続的に走るときにy=f(x) もまた少ずつ変わってゆくとき,yを この区間におけるxの連続関数と呼ぶ.

Dini[?]は19世紀後半に多大の影響を与えた解析学の教科書であるが,ここでもDirichletの定義が

踏襲されている.

しかしこうした定義も一挙に浸透したわけではない. 1842年に書かれたDe Morganの微積分学の 教科書[?]では次のようになっている:

The letter with respect to which differenciation takes place is called the independent variable. The expression differenciated should be called the dependent variable, but the phrase is not found necessary. Every expression which in any way containsx, or depends for its value upon the value ofx, is called afunctionof x.

つまりde Morganは定義域を知らず, 18世紀の定義で満足していたのである.

注意 4.1 DirichletのFourier級数に関する論文[?]で関数の概念が相当広く拡張されたことは注目すべ きである. 彼はこの論文で『有理数においてある定数aをとり,無理数において別の定数bをとる関数』

もまた関数であると明確に述べている. 19世紀初頭には解析的な表示式が関数である,あるいはそうし た関数列の極限,その極限の形の関数列のそのまた極限,· · · といったものが解析学の対象であると暗黙 のうちに合点されていたようである. そのような考えからするとDirichletの関数は単に観念的なものと しか思われなかったであろう. しかし,こうした関数も年月がたつとともに関数の一員として認められて ゆくことになる(抵抗は大きかったようであるが). 1884年, G. Peano は

n→∞lim lim

t↓0

sin2(n!πx) sin2(n!πx) +t2 =

1 (xは無理数)

0 (xは有理数)

を発見した([?],英訳が[?]の44ページにある). 単に技巧的なものと思われた関数もEuler的な関数の一 員であることが判明したのである. その後

n→∞lim lim

m→∞(cos(n!πx))m=

0 (xは無理数)

1 (xは有理数)

がPringsheim[?]7ページ, Lebesgue[?][139ページ]によって発見された.

(7)

5 連続性 : その定義の変遷

さて, Eulerの頭の中にあったのはsinx

x2+ 1といった“式”であったようである. これは関数 の定義3.2が書かれたあとでも実質的にそうだったようである. 彼にとってみれば, どんな関数でも微 分や積分の操作が行える, ということは自明のことであったのである. 彼はまた, 連続関数や不連続関 数という言葉も使っている. 彼によれば, ひとつの式だけで表現できる関数が連続関数であり, 二つ以 上の式を用いなければならない関数が不連続関数である. 従って,f(x) = log(sinx) は連続関数であり, f(x) = 1/xも連続関数であるということになり,一方,

f(x) =

x (0≤x)

−x (x <0)

は彼にとってみれば不連続関数であった. こうした定義は無意味なものになるということがその後わかっ てきたため,オイラー流の連続関数という概念は今では使われない. 実際, Cauchyが1844年に示したよ うに([?]), 上の“不連続関数”は f(x) =

x2 ともf(x) = 2 π

0

x2dt

t2+x2 とも書けるけれど, この右辺

はEulerの意味での連続関数である. これからわかるように, Eulerの連続関数の定義は定義ではない.

Eulerほどの天才であれば不完全な定義を使っていても正しい結果を出すことは可能であったが,不

完全な定義はふつうの人々には混乱をもたらす. 従っていずれは完全な定義が必要になってくるのである が, 18世紀の数学はまだその必要性を感じなかったのであろう. ただ18世紀の段階で様々な論争があっ たことは事実であり,混乱もあったようである. Langerは[?](4ページ)で次のように述べている:

The written words flowing from different pens had different meanings. While, for instance, the function and the analytic formula were one to d’Alembert, the function was thought of as a graph by Euler, and probably meant something else again to still another.

Fourier[?](英語版340ページ)はe−|x|を不連続関数と呼んでいることから,このころまではEuler流 の不連続性の定義が生きていることを示している.

現在我々が習う連続性の定義が現れるのは1817年のことである.

定義 5.1 [Bolzanoの連続関数] According to a correct definition, the expression that a function f x varies according to the law of continuity for all values of x inside or outside certain limits means just that: if x is some such value, the difference f(x+ω)−f x can be made smaller than any given quantity provided ω can be taken as small as we please.

これがBolzano[?]に現れる([?]の256ページ). この定義は,現在ならば|f(x+ω)−f(x)|と書いている ところをf(x+ω)−f xと書いている点を除けば, 現在使われている定義と同じである. 絶対値の記号

| |が使われるのはCajori[?, 492節]によれば1841年のWeierstrassによるものであるから, Bolzanoの 無記号は仕方のないことである. (ちなみに現代の絶対値記号が初めて現れるというWeierstrassの論文 [?]は,一様収束が初めて使われた論文としても有名である. ただし,この論文は公表されたものではな いので,絶対値に | |を用いる習慣はWeierstrassの講義を通じて徐々に広まったのであろう.)

Cauchyは次のように連続関数を定義した([?]).

(iを無限小であるとして)与えられた範囲内のすべてのxに対して,函数f(x)がただ1つ の有限な値をもつとき,差f(x+i)−f(x)がこの範囲内でいつも無限小であるならば,f(x) は問題となっている範囲の中で,変数xの「連続函数」であるという.

無限小を用いているけれども,他の部分を読めばわかるように,コーシーは現代的な連続関数の概念をき ちんと理解している. 一方, BolzanoもCauchyも1点での連続性を定義してから区間上の連続を定義す る,という現代の流儀にはなっておらず, 区間での連続性のみを問題にしているように見える7. しかし,

Bolzanoはその後[?]では1点だけで連続で他では連続でないような関数も考えている. ラウグヴィッツ

[?][214ページ]8によれば, Riemannも(19世紀も半ばになっても)連続性を各点のものとは考えていない ようである.

7あるいはその区別がついていない

8この本がどれほど正確な本なのかは疑問である. たとえば1734年にEulerがコーシーの収束判定条件に正確な表現を与 えているという下りなど明らかにおかしい.

(8)

6 解析学の厳密化 —Cauchy を尊敬せよ : しかし崇拝の対象にしてはならない

Klein [?, 208ページ] The investigator himself, however, as in the other sciences, does not work in this rigorous deductive fashion. On the contrary, he makes essential use of his phantasy and proceeds inductively, aided by heiristic expedients.

· · · だからといってぼくはなにもアリストテレスに耳を傾けてはならぬとはいいません.

むしろアリストテレスを知り熱心に研究することをすすめます. ぼくが非難するのは,ただ 盲目的にかれのいったことすべてに服従し, その命令を不可避なものと受け取ってそれ以上 の根拠を探し求めないような仕方で無条件降伏することです. このアリストテレスの濫用か らすぐにまた他の極端な混乱が生じます. すなわち他の人々がもはやアリストテレスの証明 の力を理解しようとは努めなくなるのです. · · · ガリレオ・ガリレイ[?], 上173ページ.

18世紀の解析学は厳密ではなく19世紀になるとその反省に迫られ, Cauchyが解析学に厳密性を吹 き込み,今日の厳密な解析学が誕生した. こういった調子の文章が見られることがままある. これは全く のウソというわけではないが, 真実からはほど遠い. Cauchyの貢献は極めて大きいが,彼によって厳密 化がすべて達成されたわけではない. このあたりの歴史を極限という概念を例にとって調べてみよう.

極限の概念は何もCauchyに始まるものではない. Newtonはlimitという言葉を使っていたし,微分 をthe last ratioとかthe ultimate ratioとかいう言葉で表現している. このことはNewtonのPrincipia Mathematica(英語訳[?]の435ページ)で確認できる. しかし、Newtonはそもそもultimate ratioとは 何なのかを定義できていない。説明し出すと議論は堂々巡りになり, 結局無限小を使って説明している のと大差ないことになってしまう.

彼にとってultimate ratioが存在するかどうかは特に問題ではなかったようであるが,それが本当に 存在するかどうかを疑問に思う人々は当時にも当然いたわけで, 全く気にかけていなかったわけではな い. かれはプリンキピアのべつのところでultimate ratioの存在を力説しているが,要するに無定義用語 を別の無定義用語で置き換えただけである. Newtonに心酔している人でなければ,これに納得するとは 思えない.

これに対して, Leibnizは無限小量を使って微分を定義した. ultimate ratioと比べると無限小量の方 が厳密さに欠けるけれども,理解はしやすくなる. 無限小量はその後Bernoulli兄弟やEuler に引き継が れる. 奇妙なことにEulerはこうした批判にはあまり興味を示さなかったように思える9.

Eulerは解析学の手法や概念を無限小量を使って説明した. 無限小とはどのような量よりも小さい量

であると定義される. そして, Eulerあるいは彼と同期の人々の書いたものを読むと,あるときは無限小 量をゼロでないように扱い,あるときはゼロであるかのように使っている. Eulerは無限小量はゼロであ ると開き直っているときもあるし,そうでないときもある. 現代の我々は無限小が量でないことを知って

いるからEulerを笑ってしまうかもしれないが, 無限小はきわめて便利な考え方であるので簡単には捨

てられなかったのである. 現代でも物理的な直感に基づいて微分の概念を説明するには無限小を使うこ とは意味のあることである. しかし,それと数学的厳密さとはもちろん別物である. 18世紀の数学者も 当然それを理解していた. Euclid幾何学のように,あるいは代数学のように疑問の余地を残さない理論 展開を必要としなかったわけではないのである. しかし,現代の我々には既知となっているように,問題 は極めて微妙なものである. 18世紀の人々にこれが解決できなかったのはそれだけの地盤ができていな かったからである.

18世紀には進むべき道が大きく広がっていたから, d’Alembertの言うように,「Allez en avant, et la foi vous viendra. (Push on and faith will catch up with you;まずは進めるだけ進め. 正しい道を進んで きたという確信は後からついてくる)」といった考え方でもよかったのであろう. しかし,解析学には出来た ときから批判も絶えなかった. そのなかで最も有名なものは司教George Berkeley (1685–1753) によるも のであろう. 彼の有名なエッセイ「The Analyst: A Discourse Addressed To An Infidel Mathematician」 は1734年に書かれたもので,その中には

And what are these fluxions? The velocities of evanescent increments? They are neither finite quantities, nor quantities infinitely small, nor yet nothing. May we not call them ghosts of departed quantities?

9非常に難しい問題であるということを直感的に理解したから厳密化の問題をあえて避けることにしたのであろうか?だと すればそれはそれで賢明な判断だったということが出来よう.

(9)

あるいはこれと同様の言葉が随所に現れ, 17世紀解析学の痛いところをついている. 多くの数学者は Berkeleyの批判に答えようとしたが, 成功したとはいいがたい. たとえばC. Maclaurinは1742年に Treatise of Fluxionsを著して反論に努めた. しかし, (筆者はMaclaurinの本を読んでいないのでわから ないけれども)成功したとは言い難いというのが一般的な見方である. Maclaurinを含めてイギリスの数

学者は(Newtonに倣ったのであろうか)ユークリッド幾何学の枠組みで解析学を厳密化しようとしたの

であるが,それでは成功しないのは今の我々には明らかなことである. むろんMaclaurin自身を含めて当 時の人々はそれで成功すると思いこんでいたようであるが10. 一方Eulerやd’Almebertはそれよりも理 論や応用を進めることに努めたから解析学を厳密にしようとする時間はなかったように見える. 18世紀 も後半になると解析学を厳密な基礎の上に打ち立てようとする機運がでてきたのであろうか, Lagrange が解析学の代数化という主張をするようになる.

1784年ベルリンのアカデミーは無限大に関する懸賞論文を募集した[?, ?]. これには解析学の厳密 化が要求されていたのである11. Grabiner[?]によれば,この時点で「解析学の厳密化」が重要な未解決 問題として認識されたわけである. 賞はS. L’Huilier12 という人物に与えられた. L’Huilierの論文を読 んでいるわけではないのでよくはわからないが、

http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/Mathematicians/Lhuilier.html によると、

The standard concepts and notation for derivatives, and the standard elementary theo- rems on limits which appear in an undergraduate calculus text today appear in a remark- ably similar form in Lhuilier’s prize winning essay. Lhuilier introduced the notation ”lim”, and was the first to allow two-sided limits.

ということであるから、d’Alembertのように極限の概念をもって解析学の基礎付けを試みたものと思わ れる。しかし、LagrangeはL’Huilierの答えには満足していなかったようである. なぜならばその後ラ グランジュは自分自身で解析学の厳密化に取りかかるからである。

Lagrangeの解析学の厳密な基礎付けは彼の理工科学校の教科書[?, ?] で展開されている. 彼は

L’Huilierなどの答えに満足できず, 自分で理論を再構築しようとしたのであろう. 彼がとった方法は解

析学の代数化である[?,?]. それは一言で言えば,形式的べき級数を出発点としてすべての操作を記号の 代数的演算で済ませてしまうという方法である. これによって極限とか無限小が追放された理論体系が 可能になったと彼は信じたのである. 彼の本は当時の人々にはずいぶんと読まれたようである. 彼はこ の中で導関数(d´eriv´ee) という言葉を使用し,それは今でも使われている. しかし, よく読めば厳密な理 論になっていないことは明らかであろう. 詳しく述べる余裕はないので, [?,?]を参照して欲しい.

結局, 18世紀の解析学は極めて曖昧な土台の上に構築されていた. そして厳密化の必要性は理解され ていたものの,それをどう実行すべきなのかは誰にもわからなかったのである. いくつかの書物には「18 世紀の解析学者は厳密な推論に無頓着であった. その状況を打破したのがCauchyである.」といったこ とが書かれているが,これは100%正しくはない. たしかに級数の収束についていささかルーズであった のは確かであるが,級数の収束・発散を考慮しなかったわけではない. たとえば, 1 + 12+13+· · · が無限 大に発散することはJohann Bernoulliも知っていたし, 1 +212 +312 +· · · が有限な値になることも知っ ていて,その値を求めようと必死になっていたらしい([?]). 従って, 18世紀の数学者は収束・発散を気に せずに計算していたというのは当たらないのである.

d’AlembertもLagarangeも失敗したとは言え,解析学を厳密に展開しようと試みたことは事実であ

り, これは強調されるべき事実である. 失敗も立派な業績の一つに数え得る場合もある. 彼らの(特に

Lagrangeの)試みは評価されるべきである. 初めて空を飛んだライト兄弟の偉業は大いに讃えられるべ

きであるが,彼ら以前に空を飛ぼうとして失敗した人々が大勢いたはずで,そうした冒険家の存在が技術 の進歩に大きな役割を果たしていたことを忘れてはならない.

10これを笑うことは簡単であるが,そうしてはいけない. 古代ギリシャの数学者たちも円の正方化だできると信じていたので あるから.

11Lagrangeはパリに移るまではベルリンアカデミーの数学主任教授をしていたから,この懸賞はLagrangeの影響をうけて

掲げられたものであろう.

12L’Huilierはオイラーの多面体定理は穴がある場合(つまりトーラス面のような場合)には修正が必要であることに気づい

た最初の人物でもある。

(10)

7 Bolzano の貢献

歴史上, 現代的な連続関数の概念が最初に現れるのは1817年である. この年チェコのプラハでB.

Bolzanoが公表したパンフレットにそれが現れたのである[?]. このパンフレットで彼が示したのは中間

値の定理である. 中間値の定理はそれ以前の文献にも現れてはいるが,「グラフを書いてみれば明らか」

といった直感的な説明ですませていたようである13. 幾何学的直感によらない,純粋に解析的な証明を行 おうとするところにBolzanoの歴史的意義がある[?]. もっともこの論文を読むと彼が代数学の基本定理 を強く意識していたことがわかって大変面白い. つまり, 代数学の基本定理は極めて重要な定理である が,その定理を証明しようとすると,どのような証明をしてみても必ず「奇数次の実係数多項式は少なく ともひとつの実根を持つ」という命題に頼らざるをえないが, これはすなわち中間値の定理の系である から,中間値の定理を幾何学的直感に頼らずに証明せねばならない, と彼は考えるのである. さらに,こ のパンフレットで歴史上初めて連続関数が正しく定義されたことの意義も大きい. 彼はまた,中間値の定 理に連続の仮定が必要であることも力説しているが, その中で彼は,関数 x+

(x2)(x+ 1)はx= 2 で正,x=1で負であるが1< x <2 のいかなる値でもゼロにはならないと言っている. そしてこれ は連続性の仮定が満たされないからであると言っているのであるが,これは我々現代人には奇妙である.

「関数が複素数値ならば中間値の定理は成り立たない」という注意ならばわかるのだが. もちろん,この ころには複素数に市民権がなかったのであろうから,彼の頭の中には連続と言えば自動的に実数値関数 という図式があったのであったのかもしれないが,筆者にはよくわからない.

f(0) = 0, f(1) = 1/2,xが無理数ならばf(x) =x/2,xが有理数ならばf(x) =x. このときf(0) = 0 とf(1) = 1/2の間の任意の数は適当なx∈[0,1]によってf(x)で表される. この関数は,有理数と無理数 でばらばらに関数値を定義しているが,このようなものですら関数と認めていたBolzanoには大きな先見 性を認めざるを得ない(いたるところ不連続な関数を関数と認めたのはDirichletが最初であり, Bolzano はそれより後のことではあるが.) しかし, 彼のような偉大な思想家でも違いをおかすことはある. たと えば,彼は多変数の実関数について,「各々の変数ごとに連続であれば多変数関数として連続である」と いう定理を書いているが,これはもちろん正しくはない. 不思議なことに同じ間違いをCauchyも犯すの である. (Grattan-Guiness[?]によれば偶然の一致ではなくCauchyがまねをしたということになるのだ が.)

Bolzanoは神学者としてはあまりに過激であったため大学から追われ,その後は著作に専念した,し

かし彼の著作の大部分は生前には印刷されず, 19世紀後半にドイツで再評価されるまで数学の流れに影 響を与えることは少なかった. Bolzanoについては[?, ?,?, ?]を参照されたい. プラハ大学でBolzano に数学を教えた人物の中にF. Gerstnerという人がいるが([?]), この人は数学者としてよりも流体力学

におけるGerstnerのトロコイド波の発見者として有名である.

さて, Bolzanoによる連続関数の定義5.1をもう一度振り返ろう: これが初めて現れたのがBolzano

のパンフレットなのである. 数学史上の記念すべきできごとであると言えよう. しかも, Bolzano以前 の多くの数学者には関数の定義域が必ずしもはっきりしなかったのが,彼の論文では定義域をはっきり と認識していることにも注意すべきであろう. 極めて残念なことに彼のパンフレットはほとんど読まれ なかったため, 彼の後世への影響はほとんどなかったと思われる. これについては異論もあり, たとえ ば, Grattan-Guiness [?, ?] は「CauchyはBolzanoのパンフレットを読み, それに基づいて彼のCours

d’Analyseを書いたけれどもBolzanoの名前を引用しなかった」としている. しかし,これは状況証拠だ

けで犯人に仕立て上げられたようなものらしい. Freudenthal[?]ははっきりとこれを否定しているし,多 くの歴史家はGrattan-Guiness[?]を信用していないようである. Grabiner[?]はCauchyを賞賛しており,

BolzanoとCauchyの研究は独立であった可能性が高いとしている.

Bolzanoは当時ほとんど読まれなかったと言われているが, AbelはBolzanoを賞賛しているという.

Abelの手書き原稿の一部には,「私が調べたところに寄るとBolzanoは賢い男らしい」と読める部分が あるらしい. [?].

現代の微積分学の教科書では中間値の定理を証明するときに上に有界な数列には上限が存在すると いう,いわゆるBolzano-Weierstrassの定理を利用することが多い(たとえば[?,?,?]). しかし, Cauchy の証明は違う. 2分法を用いるのである. 2分法自体はLagrangeによって使われていたのであるが([?]).

こうした違いもあるので, CauchyがBolzanoを剽窃したということは当たらないという意見が強いよう である.

13たとえば[?]の和訳21ページや[?]を見よ.

(11)

8 Cauchy の貢献

さて, Cauchyが解析学を厳密な基礎の上に構築しようとしたのは彼のエコールポリテクニクにおけ

る教科書[?,?]である. このうち,後者の目的は前者の厳密性を,無限小量を使うことによって「やわら げる」ことであったという. [?]の「まえがき」には,

「解析力学」を著した有名な学者が,その「導関数」の理論の基礎のためにこの公式を必 要としたということを知らないわけではないが,あらゆる尊敬をほしいままにしているこの 偉大な権威者のことと言っても,発散する級数を用いることによって不確実な結果へ導かれ ることもあることは,現代の数学者の大部分が等しく認めるところである. —中略— この書 物を読んでくれる人々は微分学の原理やこれの最も重要な応用は,級数の助けを借りなくて も容易に取り扱うことができることに確信をもっていただきたい.

とあって, Lagrangeへの強烈なライバル心が見られる.

彼のエコールポリテクニクにおけるこれらの教科書は,厳密性に関してそれまでの教科書とは明白 な違いをもっており,まさに画期的なものということができる. 級数の収束と発散についても明白に述べ ているし, (彼が[?]のまえがきで述べているように)不定積分の存在を証明しようとした(あるいは証明 すべきことであると認識したと言うべきか)のも彼が最初であろう. 不定積分の存在を言うためにまず定 積分を定義してそれを関数と見なしたときにそれが不定積分になるということ,つまり,

d dx

x

a f(t)dt=f(x)

を証明したのもここに初めて現れるものである. (それまでこの等式は定理というよりはむしろ定義だっ たのである)

Cauchyは解析学の厳密化の祖であるかのように言われているが, 筆者の意見では, 解析学の厳密

化は(失敗したけれども)Lagrangeによって始められ, プラハでBolzanoというあだ花が咲いてその後,

CauchyとWeierstrassの二人によって完成したものである(Cauchyの功労が第一であることは認める

が). Lagrangeの試みは高く評価されねばならない. BolzanoもCauchyもLagrangeの著作を読むこと によって厳密な解析学を構築することに意義を見い出したに違いない[?]. つまりやる気になったのであ る. Cauchyの方法とLagrangeの方法はあまりにも違うが,そのことがCauchyがLagrangeを無視した ことにはならないのである. Lagrangeの欠点をとことん突き詰めたからこそ完全に新しいアイデアで出 発することができたのであると著者は信じたい.

Cauchyは他人のアイデアでもそれを引用せずに書くことはしばしばであったし,あっちこっちに書

き散らしたものの中には互いに矛盾することも多い. 有名な間違い定理に次のものがある([?]の120ペー ジに現れる):

定理 8.1 (ある区間上の関数{fn}n=1はすべて連続であるとする. そして

n=1fn(x) が区間のすべて の点で収束するものと仮定する. このとき S(x) =

n=1fn(x)はその区間で連続である. )

ここで収束は各点収束である. この定理はもちろん正しくない. しかし,当初誰もこの間違いに気づかな かった. 最初に気づいたのはAbelで, 1826年のことである(後述). また,多変数関数の連続性で勘違い していたことも有名である. すなわち,多変数関数が各々の変数について連続ならば連続であるという間 違った“定理”を堂々と書いている14. このように, 解析学の厳密化は徐々に進んでいったと見るべきで あろう.

こうした事実は多くの人々に少しずつ認識されていったようである. そんな中で各点収束と一様収束 の違いが認識されていったらしい. 歴史上一様収束の概念に最も早く到達したのはWeierstrassで1841 年ころのことであると言われている[?]. しかし,この論文は彼がまだ学生だったころに書かれたもので, 出版されたわけではない. また,一様収束(gleichm¨assig convergirt) という言葉は使われているが,それ を定義しているわけではなく,ただ一方的に使っているだけである. だから, この一編の論文だけから, 彼が一様収束をどの程度重要な概念であると思っていたかを推し量ることはできない. しかし, その後

Weierstrassは講義の中で一様収束について詳しく述べ,現在我々が知っている「一様収束すれば項別積

分ができる」といった定理に到達した. (論文を出版しないのはWeierstrassにはきわめて特徴的なこと

14[?]47ページ

(12)

であって,彼の場合新しいアイデアを論文にすることの方が少なかった). 印刷公表されたものの中で最 も古い一様収束の概念はStokes[?]であると言われている. しかしこれは議論の余地のあるところであろ

う. Stokesは一様収束でない場合を議論しているように見えるので,一様収束するとどういう好都合な

事態になるのかを理解していたかどうかは判然としない. それとほぼ独立にSeidel[?]もこの概念に気づ いて公表しているらしい. Hardy[?]やGrattan-Guiness [?]にはこの辺の歴史に詳しい. Hardy[?]もそ うであるが, Abelが一様収束の概念に到達していたという解説は多い. しかし, Grattan-Guiness[?]はそ うは見ていない. 1853年のCauchyの論文[?]になると我々の知っている一様収束と同じものが出てい る. 結局この論文が一番古いものであるということもできる.

Weierstrassが学生のときにもっとも影響を与えたGudermann[?]の251ページから252ページにか けて次の文が書かれている.

Anmerkung 1. Es ist ein bemerkenswerther Umstand, das sowohl die unendlichen Producte in §58 als auch die so eben gefundenen Reihen einen im Ganzen gleichen Grad der Convergenz haben, welcher nicht von der Gr¨osse der Amplituden ϕ und ψ, sondern lediglich von der Gr¨osse des Moduls koderk abh¨angt.

確かに一様収束の概念が見える. しかし, これもただ使っているだけである. Weierstrassに影響を与え たという間接的な影響以外に数学界に与えた影響はないものと思われる.

Cauchyが解析学の教科書を発表した1821,23年以降, Cauchy流の厳密化はAbelなどの数学者には

熱狂的に迎えられたが,一挙に主流となったわけではない[?]. また, Cauchyが必ずしも厳密でないこと は認識されていたようである. たとえば([?]の558ページ) Jacobiは

完全に厳密な証明というものを知っていたのはディリクレだけだ. ガウスでもなければ

Cauchyでもなければましてや私でもない. · · · ガウスが証明できたと言えばそれは極めて明

解であった. コーシーが同じことを言ってもお神籤のようなものだ. しかし,ディリクレが出 来たと言えばそれは間違いのない事実である.

と言ったと言われている15.

とはいえ, [?,?]の貢献も見逃すことはできない. EulerもLagrangeも, 関数が微分できることは当 たり前であって, 疑問に思うことは無かった. しかし, Cauchyは微分できることもあり出来ないことも あることをちゃんと理解していた. [?]には微分係数の定義がきちんと書かれている. これは大きな進歩 であろう:

[?]の9ページ。函数 y=f(x)が,変数xの与えられた範囲内で連続であると,変数xの, 問題にしている範囲内に,無限小増分を与えたときに,函数自身が無限小増分を生じる. した がって, Δx=iと置くと,「差分比」

f(x+i)−f(x) i

の両項は,無限少量である. しかし,これらの両項は,同時に限りなく零に近づくけれども,比 そのものは, 1つの正または負の極限値に収束することがある. その極限値はもし存在する ならば,xの1つ1つの値に対して定まった値となるが,それはxとともに変化する.

積分を微分の逆とみるのではなく,まず定積分を定義してそれが微分の逆になっていることを証明す る,という現代の我々の流儀を生みだしたのもCauchyであると言われている. しかし,これにはFourier の影響もあるかもしれない.

Lagarangeは運動学にも幾何学的直感にもよらない解析学を構築しようとして(本人はできたと思っ

たみたであるが)成功しなかった. D’AlembertやLagrangeが「解析学の厳正な構築」を唱え,それが 重要な問題であることを何度も奨励したからこそBolzanoやCauchyの理論が生まれたのである([?]).

15そうはいっても,ディリクレも「ディリクレの原理」を証明無しに用いていたのではあるが

(13)

1667 Gregory が解析的表示を研究対象にする(関数のはじまりか?)

1692 Leibniz がfunctioという言葉を使う

1718 Johann Bernoulliの関数の定義 

1748 Euler のIntroductio in Analysin Infinitorum 出版される

1753 D. Bernoulliが任意関数を三角級数で表されることを主張する

1755 Euler のInstitutiones Calculi Differentialis 出版される

1797 LagrangeのTh´eorie des Fonctions Analytiques [?]出版される 1806 Amp´ere の論文出版される

1806 Argandが複素数を平面の点と同一視する理論を発表

1807 Fourier が任意関数を三角級数で表されることを主張する

1817 Bolzano のRein Analytischer· · · 出版される

1821 CauchyのCour d’Analyse出版される

1823 CauchyのR´esum´e des le¸cons· · · 出版される 1829 DirichletのSur la convergence · · · 出版される

1832年ころ? Bolzano の至るところで単調でない関数(出版されず)

1834 Lobatchevskyによる関数の定義

1837 Hamiltonが複素数a+

1bを実数のペア(a, b) で表す理論を発表

1841 Weierstrassが一様収束という用語を用いる(公表はされず)

1847 Stokesが一様収束の概念に到達

1872 DedekindのStetigkeit und Irrationale Zahlen 出版される

1872 Heine が一様連続の概念を使う

1875 Weierstrassの「連続だが至る所微分不可能な関数」発表される

1889 Peanoが自然数の公理系発表

9 連続だが至る所微分不可能な連続関数とその周辺の話題

9.1 連続性と微分可能性

すでに第1章で見たように,連続関数の意味はEulerのころとBolzanoやCauchy以後では異なって

いる. では, BolzanoやCauchyによる連続関数の概念や微分可能性の概念は直ちに数学界に受け入れら

れたのであろうか? 実はそうではなく,この概念が数学者の間に浸透して消化されていくにはずいぶん と長い時間がかかっているのである. 実際, Amp`ereの定理およびその類似が19世紀中頃まで生き残っ ていたのである[?,?].

定理 9.1 (Amp`ereの定理,1806) 任意の関数は有限個の例外点を除いてすべての点では微分可能で ある.

もちろん今の我々はこんな定理が成り立たないことを知っているが,笑って軽蔑してはいけない. ここに はひとつの進歩が見えるからである. Eulerは関数が微分できることは自明のことであって,考察の対象 になっていなかった. Lagrangeになると微分ができるということを証明しようとしている(結局できな

かった). Amp`ereもLagrangeの影響を受けてこれを証明しようとしたわけである. しかしこれはできる

はずもなかった. 1806年の段階では(連続)関数が何なのかについて何もコンセンサスはなかったからで ある. [?]によるとAmp`ereは有界変動関数のようなものを想定していたらしい. Amp`ereの原論文を読 んでみても何が言いたいのか我々にはよくわからないのが正直なところである. Amp`ereは電磁気学に その名を残しているので物理学の方でより著名であるが,エコールポリテクニクでは数学の教授であっ た. 緻密に解析学を研究することには向いていなかったのであろう.

Galoisが1830年に書いた論文[?]には,任意の関数が微分可能であり自分がそれを証明したと勘違

いしているふしがある.

(14)

次に,f : [a, b]Rとする. これに関して次の定義を読み比べてみる:

定義 9.1 f が単調非増大であるとは, x≤y なる任意のx, y∈ [a, b]に対して f(x) f(y)が成立する こと.

定義 9.2 fが連続であるとは, 任意のx∈[a, b]において

h→0lim[f(x+h)−f(x)] = 0 が成り立つこと.

定義 9.3 fが微分可能であるとは, 任意のx∈[a, b]において

h→0lim

f(x+h)−f(x) h

が存在すること.

これらが異なる概念であることは明白であろう. しかし,微分可能であることにより近いのは単調性であ ろうか連続性であろうか? 連続性の方が表面的には似通っているが,単調性はある意味で右肩上がりに なっていることであるから,傾きの存在に近いということができる. しかし,単調関数に連続性は仮定し ていないのである. 単調関数に不連続点があったとしてもそれは高々可算無限個であることがわかって

いる. さらに, [a, b]の中の任意の可算集合(稠密であってもよい) が与えられたときにその可算集合を不

連続点にするような単調非減少関数を作ることは容易である(読者は各自これを試みられたい). どちら の概念も微分とはほど遠いように思えるが,以下に示すように,連続であっても至る所で微分できない関 数はいくらでも存在するが, あとで示すように,単調関数は“ほとんど至るところ”で微分可能なのであ る. (“ほとんど至る所” の意味は後で記す. )

関数から解析的な表示式という先入観を完全に取り除いたのはDirichletである([?], 1829年). Euler の第2の関数の定義を突き詰めれば 勝手に値を指定しただけの“関数”というものも相手にせねばなら ないと思い至ったDirichletは偉かったと思う. Dirichletがこうした考えに至ったには理由がある. これ については第7章で述べる予定である. しかし,同時にそれは予想もしない怪物を解き放つことになる. その先駆けとなるのがRiemannによる,「稠密な点集合で不連続になるが積分可能な関数」である([?], 1854年). それは次のように定義される. まず,関数d

d(x) =

⎧⎪

⎪⎩

x (0≤x <1/2)

0 (x= 1/2)

x−1 (1/2< x≤1)

で定義する. そしてそれを周期1で全数直線上に拡張する. このときRiemannは R(x) =

n=1

d(nx) n2

で関数Rを定義した. これはすべての点で有限の値になり,有界な関数である. 既約分数に表したときに 分母が偶数となるすべての有理点で右極限と左極限を持つがそれは一致しない. それ以外の点では連続 である. R(x)はRiemann積分可能である.

1870年にHankelはおそらくRiemannに刺激を受けたのであろう(Riemannの論文は1854年に書 かれたが, 印刷公表になったのは1868年である) 次のようなアイデアを述べている(Condensation der Singularit¨atenの方法). Hankelのアイデアを用いれば,至る所連続であるがすべての有理点で微分不可 能になるような関数がいくらでも作ることができる. まず1≤x≤1 で連続であり, x= 0ではC1級 の関数ϕをとる(たとえばϕ(x) =|x|). そして

f(x) = n=1

αnϕ(sin(nπx)) (3)

(15)

-0.8 -0.6 -0.4 -0.2 0 0.2 0.4 0.6 0.8

0 0.2 0.4 0.6 0.8 1

図1: Riemannの,積分可能だが稠密な点集合で不連続な関数

とする. ここで数列n}は絶対収束するならば(3) は一様収束するから連続関数を定義する. さらに, n|αn|<∞ を仮定すると, (3)は全ての有理点で微分不可能となる. 彼はこうした方法を Condensa- tionsprincip der Singularit¨aten と呼んだ.

その後Cantor[?]は次のようなアイデアを提唱した: 区間[0,1]で稠密な可算集合{r1, r2,· · · }をとり f(x) =

n=1

αnϕ(x−rn) とする. この関数も有理点で微分不可能となる.

H.A. Schwarz[?]は1873年に微分不可能関数に関する注意書きを発表している. 彼は彼の関数の微

分不可能な点の集合が稠密であることを証明した. しかし,至る所で微分不可能な関数というものを思い 浮かべていたわけではない. 彼の例は「微分不可能」という言葉を当時の人々がどうとらえていたのか を知るためには意義があるが,数学的にはその後意義を失うことになる. 実際,彼の関数は単調増大であ るために,ほとんどいたるところ微分可能なのである. 具体的には,

ϕ(x) =

x−[x] + [x] ([x]はxを超えない最大の整数) とおき,

S(x) = n=0

ϕ(2nx) 4n

S(x)x=k/2n (n= 1,2,· · · ;k= 0,1,2· · · ,2n) において微分できない. (今日, SchwarzはCauchy-

Schwarzの不等式でその名を残している. )

10 Weierstrass の微分不可能関数

19世紀の初めのころにはすべての連続関数は有限個の例外点を除けば微分可能であると思われてい たらしい. 一般に,人間は自分の経験に強く縛られるのが普通で,特に根拠のないことでも経験し易いこ とだけに基づいて正しいと思いこむことがしばしばある. Hankel以降は,『連続であるが稠密な点集合 で微分できない関数が存在する』ことが認識された. しかし,すべての点で連続でだがいかなる点におい ても微分不可能な関数が存在する,ということが認識されるためにはもう少し時間がかかる. これを最初 に示したのがWeierstrass (Karl Theodor Wilhelm Weierstrass, 1815–1897)である.

Weierstrass[?]によると, Riemannがどこでも微分できない関数の例として f(x) =

k=1

1 πn2 sin

πn2x

(1≤x≤1) (4)

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