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第 1章  1994年 度 岡山大学構 内遺跡調査報告 1 

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(1)

調査 の概要

第 1章  1994年 度 岡山大学構 内遺跡調査報告 1 

調査 の概要

当セ ンターにおいては大学構 内におけ る掘 削を伴 う工事に際 し

,事

務局施設部企画課を通 じ て事務手続 きを行 った うえで

,発

掘調査 ・試掘調査・立会調査にわけて調査を実施 している。

これ までの ところ

,そ

の調査 の対象は津 島地 区 と鹿 田地区 とが中心にな っている。特に鹿 田 地 区は周知の遺跡 (鹿田遺跡

)と

して

,掘

削を伴 う工事 に際 し

,届

出を提 出 した上 で対応 を 行 ってい る。 また

,津

島地 区において も

,新

たな遺跡 の確認が進んでいることか ら

,遺

跡名称 を 「津 島岡大遺跡」 と総称 し

,届

出の有無にかかわ らず

,少

な くとも立 会 調査 を実施 して い る。

1994年 度 は

,発

掘調査

2件

(津島地 区

2件 ),試

掘調査

1件

(津島地 区

),立

会調査 18件 (津 島地 区14件

,鹿

田地 区

4件 )を

実施 した。 その うち発掘調査 。試掘調査 については本章でその 概要 を述べ

,立

会調査 の詳細 については表

1(p16)に

記す。

      (岩

)

発掘調査

① 津島岡大遺跡第 12次 調査 (図書館建設予定地

,津

島北

AV〜 AW。

13〜 14区)

1.調

査の経過 (図 1)

本調査地点 は1990年

2〜

3月 に既 に試掘調査が実施 されて為 り

,そ

の結果を受けて1998年度 末〜 1994年 度 に発掘調査 を行 うこととな った。発掘調査 に際 しては

,予

算 の関係上

,予

定地全 域 を一括 して調 査 す る こ とは不 可能 で あ った た

,作

業上は非常に不都合ではあったが

,調

査 区

を三分割し

,ま

ずは北側約 5/6(北 区 )の 調査を 開始し ,南 側約 1/6(南 区)は 予算がつき次第早

急 に調査 に入 り

,な

るべ く早期 に分割調査を解消 す る こととした。諸 々の工事は 2月 か ら始 ま り,

発掘調査 は 3月 か ら本格化 した。北 区の調査 が順 調 に進む中

,南

区の調査開始は予定外 に遅れ

,調

査 に入れたのは10月も後半であ った。 この段階で は

,調

査 を全面に広 げ ることは逆 に作業能率の低 下 を招 くことか ら

,予

定 を変更 して北区終了後 に 南区の調査 に入 る ことと し

,完

全 に分割 した調査

第 1次 調査地点(NPl 1982年度)

11次調査地点(総合情報処理センター1993年)

12次調査地点(附属図書館

 

今年度)

13次調査地点(福利厚生施設北

 

今年度)

津 島 北 地 区調 査 地 点位 置 図 (縮1/5,000)

‑1‑

(2)

とな った。南区の調査終 了後,11月下旬で発掘調査 は終了 した。調査期間は1994年 2月 9日 〜 1994年11月 30日で

,調

査員は1993年 度 の 3月 は2名

,1994年

度 は 4月 〜10月を

3〜

4名

,調

査 区が南区のみ とな った11月は2名が担 当 した。調査面積 は全体で約 1770∬ である。

9月17日には弥生時代 の遺構 。遺物を中心 とした現地説明会を実施 した。

2.層

序 と地形 層

 

序 (図

2)

現地表 は標 高4.7〜

4.8m(以

下高 さは標高

)を

測 る。

 1層

は1907年 〜1908年 の旧陸軍屯営地 建設 に伴 う造成土 であ る。

 2層

は青灰色粘土 あるいはシル ト層 で近代耕作土層 である。上面は 約

3.Omに

あ る。

 3。 4層

はオ リーブ黄色系 の砂質土で近世 の耕作土層 とみ られ る。上 面 は3 層 が

2.9m〜 2.95m, 4層

が2.8〜

2.85mに

あ る。

 5層

は上層 と同様 のオ リーブ黄灰色砂質土で あ るが

,形

成 時期 は出土遺物 の状態か ら中世〜近世が想定 され る。耕作土層 と考え られ る。上 面高 は

2,75mで

ある。

 6層

は粘性を帯びる黄灰色系の上である。その中でやや砂質を帯び る上 層 と粘性 の強 い下層 とに細分 され

,下

層 は耕作土 と判断 され る。遺物か ら中世 の時期が考 え ら れ る。上面は

2.7mに

あ る。 以上 の層 はほば水平堆積を示す。

7・

8層

は黄灰色系の土層 で出土遺物か ら古代 の時期が考 え られ る。

 7層

は砂質上で砂 の 目 は粗 く洪水砂 の可能性が強い。南区までは堆積 していな い。

 8層

は粘質 土 で耕作 土層 で あ ろ う。上面の高 さは

,7層

は北区で2.5〜

2.6m,8層

は北区で約

2.5m,南

区で

2.7mを

測 る。

 9

層 は

8層

に類似す る灰色粘上で耕作上であると考 え られ る。遺物 は希薄であるが南区を中心に 古墳時代 の須恵器が出土 してい ることか ら

,古

墳 時代後期 の可能性が求め られ る。上面高は北 区で

2.4m,南

区で

2.6m前

後 を示す。 これ らの層 は南北 で15cm前 後 の高低差を有す。

10・ 11層 は黄灰色の砂〜砂質上で洪水砂 である。北区では明瞭な堆積 を見せ るが

,南

区に向 か って薄 くな り南端付近 では認め られない。 出土遺物 あるいは遺構 との関係か ら

,11層

は弥生 時代前期〜 中期 に

,10層

は古墳時代初頭〜前期 に形成 された可能性が考 え られ る。10層 上面は 北 区で

2.2m前

後,11層は約

2.15mを

測 る。12層 は褐灰色系の粘質上で耕作上 である。弥生時代 前期 の範 囲に含 まれ る可能性が高い。上面は北区で

2.lm,南

区で

2.55mに

あ る。13層 は暗褐色 の粘質上で

,い

わゆ る 「黒色土」 とされ る土層 である。 下半 に 向か って粘性 を強 め る。 突帯 文〜方生前期 の時期 と考 え られてい る。上面 は北 区で

2.Om,南

区で

2.4mで

あ る。弥生時代の 土層堆積 は南北 で40cm以 上の高低差を有す。

14層 は灰 黄色砂質土である。従来の上層関係か ら縄文時代後期 の時期が想定 され る。上面は 北 区で

1.65m,南

区で2.1〜

2.2mに

ある。 15層 は黄褐色粘質土で基盤層 と判断 され る。上面は 北 区で

1,6m,南

区で2,05〜

2.2mを

測 る。南北 の高低差はいずれ も45〜 60cmを 示す。

 

(3)

発掘調査

‑4.Om

造 成 上

灰 色 シル ト質土 …近 代耕 作 土

灰 オ リー ブ色砂 質土(Fe多)¨ 近 世 耕 作 土

オ リー ブ黄色 ンル ト質土 …近 世耕 作 土

オ リー ブ黄灰 色砂 質土 中 〜近 世 耕作 土?

淡 黄 灰 色 土 〜粘 質上(Fe多)― 中世

淡 灰 黄色細 砂 砂 質土(Fe多>¨ 古 代決 水 砂

橙 黄灰 色 土(Fe)古代 耕 作 土

灰 色粘 土(Fe Mn)古代 耕 作 土 10 灰 色砂 質土 …弥 生後 期 〜古墳初 頭 ,洪 水砂

 黄灰 色 細 砂 … 弥 生 前期?〜後 期 ,洪 水 砂 12 褐 灰 色 粘 質 上 …弥 生 前期 〜中期?耕作 土 13 暗 掲 色粘 質土…弥 生 前期 耕 作土 14 灰 黄色 砂 質土 …縄 文後 期 15 黄褐 色 粘 質土

‑30m

断面位置図 (縮1/2,000)

土層柱状図(縮1れ0)

本地点 は微高地頂部 と低湿地部 の中間に位置す る。南側 に想定 され る河道 の北側 の 自然堤防 上か ら一段下が った位置 にあた り

,い

わゆ る 「黒色土Jカ発達す る比較 的安定 した地点 と言え るが

,時

代 を追 ってい くつか の変遷 が認め られ る。

縄文時代〜弥生時代前期 の時期 には南側 と北側 でかな りの高低差が存在す る。その差は最大 60cmに も達す るが

,平

均す ると45〜 50cm程 度 であろ うか。 この差がある程度解消 され るのが, 弥生時代前期水 田以降の洪水砂 の低地部分への堆積 であ り

,古

墳 時代後期段階の整地

(9層

)

に よってその差 は15〜 20cm程 度 にな っている。その後 も各時期に造成がな された と考え られ る が

,土

層観察か ら顕著 な ものは中世後半の ものである

(6層

)。 この造成 に よって地形 はほ とん ど平坦 な もの と変化 し

,近

代 の大造成

(1層 )に

至 るのである。その中で奈良時代 あるいは中 世前半 の遺物 は現状では確認 されていない。何 らかの理 由で断絶があった ことが想定 され る。

検 出 した遺構 ・遺物 (図

3〜

6) 縄文時代 (14層)

焼土集 中部

7箇

所 。土坑

7基

・ ピッ ト10数 基が検 出された (図3)。 焼土 は 14層 掘 り下 げ段 階にそ の多 くが姿 を現 した。 また

,土

坑・ ピ ッ トの掘 り方 は調査区断面か ら14層 上面 まで上が

‑3‑

(4)

囲 縄文時代焼土

 

12層畦畔

圏 縄文時代土坑

 

□ 弥生後期 〜古墳時代前期湛

13層畦畔

   

囲 古墳時代後期濤

縄文時代 〜古墳 時代遺構 全体 図 (縮lハ 00)

(5)

発掘調査

ることが確認 されてお り

,14層

上面での活動を予想す ることがで きる。焼土集中部は径1〜30

cln前後 の焼土が集 中 あ るいは散在 し

,い

ずれ も破壊後 の再堆積 の状況を示す。北区の若千高い 位置 に分布す る傾 向が あ る。土坑 は径

2m前

後 の楕 円形 を呈 し

,大

半 は炭化物 を多少含む程度 で焼土を含む例は少ない。 ピッ トは特に調査 区の南東隅の ものが特徴的で

,多

量 の炭化物 を含 み

,度

重 な る切 り合 い関係を もつ。 この

3種

類 の遺構が有機 的関係を有 し

,何

らか の作業が行 われていた ことが予想 され る。 これ ま

での調査資料か ら後期 の時期が考 えら れ る。

弥生時代〜古墳時代

(9〜

13層)

検 出 した遺構 は水 田畦畔

2面

(12・

13層

),溝

24条

(9〜

11層

),井

1基

(11層

),土

1基

(10層

)で

ある (図 3)。 各遺構面 ご とに説 明 しよ う。

12・ 13層上面では小区画の水 田畦畔 が検 出された (写真 1・ 2)。 特 に 12 層 の畦畔は11層 (洪水砂

)に

覆われ,

残存状況は北側で特 に良好であ った。

ただ し

,地

形 が高 くな る南側 では両畦 畔 ともやや不 明瞭 とな る。両陸畔 はそ の位置を少 しづつず らしなが らも大 き な変化 は無 く

,近

接 した利用時期 が考 え られ る。突帯文・弥生前期土器 の細 片が僅かに出土 してお り

,そ

の時期を 示す。

11層上面では東西方 向の清

H条

と井 戸

1基

が検 出された (写 真3)。 清 は 幅約 10m・ 深 さ

1.5m前

後 を 有 す濤1 条 (濤

30)と

幅0.5〜

lm。

深 さ20〜

40cm前 後 の中小規模 の濤 10条 とに分け られ る。後者 の濤は溝30の 北側にほぼ 併行 あるいは上部に重複 して形成 され てい る。清間の複雑 な切 り合いか ら度

写真

1 13層

上面水 田唯 畔 (北よ り)

写真

2 12層

上面水 田畦畔 (東よ り)

写真

3 11層

検 出溝 (溝30ほ か)(南よ り)

‑5‑

(6)

‑30m

(但し縦方向の縮尺1/60)

‑Om

調査 区西壁溝 断面図 (縮尺1/30

写真

溝30木 製品出土状況

 1.曲

写真

30出土木 製品

左 :盾(縮尺約1/6)右 :曲布丙(縮尺約1ん)

濤 と埋土 の点 で も近似す る。他 の濤 は幅 10〜50cln・ 深 さ

5〜

30cm程 度で

,規

模 あるいは埋上 の 点 で東西方 向の もの とは区別 され る。東西方 向の構は古墳時代初頭

,そ

れ以外 の濤 はやや新 し い段階が考 え られ る。土坑は径

lm前

後 の円形 に長 さ90cm程 度 の突 出部が付 くよ うな形状を示 重 な る掘 り返 し予想 され る。時期は濤 30と の関係か ら後 期 の範 囲で考 えた い。溝30に も新 旧の重複が認め られ る

(図5)。

遺 物 は濤30に 集 中 し

,上

器 。木 製 品 。石器が認め られ た (写 真4)。 木 製品 の中には農具 (鍬)・ 武具 (盾)

な ども含 まれ る。所属時期は出土土器 か ら後期前半に使用 され

,完

全 に埋没 す るのは古墳時代初頭 と考 え られ る。

井戸 は径

lm前

後 の円形 を呈 し

,深

さ は約

0.9mを

測 る。構 30の 下 で検 出 さ れ た こ とか ら後 期 初 頭 以前 とい え よ

う。

10層上面 では溝 12条 と土坑

1基

が検 出 された。濤は方 向性か ら東西方 向 。 南北方 向・北西―南東方 向の三群に分 け られ る。東 西方 向の濤 は幅

lm前

後・深 さ20〜50cln程度 で

,H層

上面の

(7)

発掘調査

6 1〜

3:溝

30 4・

5:濤

5

6 :濤

26 0       1ocm

番 号     法 量 (ca)

形 態 。 手 法 の 特 徴 ほ か    調

口 径 器 高

1 弥 生土器 長頚憂 頸部2条単位 の沈線 が螺旋状右 回 り 黄 褐 色 微 砂 〜 細 砂 精 良 2 弥 生土器 台付釘 脚部外面 タテ方 向の工具調整痕+ナ,内面 オサエ+ナデ 天責〜暗黄褐 色 改砂多 精 良 3 弥 生 土 器 台 付 鉢 胴部径13 1cm,外面上半 に赤 色顔料,内面 ナデ+オサエ 明 笹 灰 白色 嗣砂,角閃石多 精 良 4 土師質土器  外面 ヨヨナデ,底部 ヘ ラキ リ後 ナデ+オサエ 明獲〜 明黄橙 白 FfB砂,赤色粒子 精 良

5 土師質土器  内外面 ナデ,底部 糸キ リ反 暗灰黄色 敷砂,角閃石多 精 良

6 土師質土器  内外面 ヨコナデ,底部ヘ ラキ リ痕・ 板 目痕 橙褐〜暗褐灰色 阻砂 多量 精 良

出土遺物実測図 (縮1/4)

す。埋土中に焼土・炭化物が厚 く堆積す る。時期は古墳時代前期 の範 囲で考えたい。

9層

上面では幅1〜

1.5m,深

さ20〜 30cmの 濤

1条

が検 出 された。古墳時 代後 期 と考 え られ る。

古 代 (7・

8層

)

4条

と水 田畦畔 お よび耕作痕が検 出された (図4)。 溝 は東西方 向の溝 と北 西 ― 南東 方 向 の構がある。前者 は

7層

1条

(濤

4),8層

2条

(濤 5。

6)が

確認 されてい る。溝

4〜

6 は重複す る濤で

,幅 10m前

後・深 さ0.6〜

0,7mを

測 り

,特

に深 い部分では

lm近

い数値を示す

大規模 な ものである。溝

5に

は北側 に副水路が付随 している。濤

4の

埋土 は粘質上が主体 であ るが

,濤

5・

6は

全体的に砂質が強い特徴を もつ。後者は

8層

上面の溝で,幅1.2m・ 深 さ50cm 前後 の規模であるが

,東

西溝 との関係は不明である。遺物 は溝5・ 6に集 中 し

,平

安時代後半 の上器を多量 に出土 した。水 田畦畔は満 の北側で一部検 出 したが残存状況は良 くない。

 

(5〜 6層

)

6層

上面 において東西方 向に平行 して走 る溝

2条

を検 出 した (図4)。 南偵1の溝 (濤

3)は

6.5m前

,深

さ30cm前 後 の幅広 で浅い濤である (図5)。 古代 の濤 の位置を踏襲 し重複 してい る。北側 の濤 は南の溝か ら北へ

2〜 3mに

位置す る。幅

1〜 2m,深

さ10cm程度 で非 常 に浅 い。いずれ も遺物 は少 ない。

‑7‑

(8)

国 古代

       0      10m

8層畦畔(古)

□ 中世

古代〜中世遺構全体図 (縮尺1/300

(9)

発掘調査

近世・近代

(2〜 4層

)

近世 では

3層

上面 で濤

1条

が調査 された。中世の北側 の溝の位置 に重複す る。

近代 では

2層

上面では畑 の畝・道・石橋

,濤 1条

(水利 施設

),野

9基 ,土

2基

,ト ロ ッ コ軌道な どが認め られた。野壷は

2箇

所 に配 され

,そ

れぞれ数基 の重複が確認 された。溝 は近 世 の濤を踏襲 して利用 されてお り

,樋

門が数 力所 に残存 していた。

4.調

査成果

本地点 は南側 に想定 され る河道 の 自然堤 防上か ら一段下 が った位置 にあた る。今回の調査 で は こ うした微高地頂部 と低湿地部 との間の遺跡 の状態を掴 む こ とが で きた。地 形 の変遷 か ら は

,南

北 でか な りの高低差 が あ った弥生時代 までの状況が

,古

墳時代後期 の造成 そ して中世後 半 におけ る規模 の大 きな造成 に よって

,ほ

ぼ水平な現在 の地形に到達 した ことが確認 された。

各時代 の調査では

,縄

文時代 では焼土集 中部 。土坑 ・炭化物包合 ピッ トの分布状況を地形 と 絡 めて調査す る ことがで き

,微

高地上 での活動 を考 える上での資料 の蓄積が進 んだ。弥生時代 の遺構では

,水

田畦畔そ して大規模 な潜を含む溝群 の調査が際だ っている。今回検 出 された畦 畔 はそ の保存 状況が良好 であ ったため

,地

形 に沿 って東西畦畔を中心に据 え

,そ

の間をやや小 振 りな畦畔で仕切 るとい う形態を認め ることがで きた。 また

,水

田が弥生前期段階に既に津 島 地 区一帯に広 が っていた可能性をます ます強め る結果で もあった。 この よ うに突帯文期〜弥生 時代前期 に始 まる水 田経営形態 を考 え る上 で貴重 な調査 といえ よ う。濤 の調査 では

,特

に後期 前半 に属す る大規模 な溝30が 注 目され る。古代 の条里 の坪境濤 に匹敵す る規模を有す る大規模 な溝 であ り

,本

地域 におけ る弥生時代後期の集落構造を考 える上で重要 な遺構 である。現段階 で確認 されている同時期 の遺跡 は

,最

も近 い もので約

300m離

れた津 島岡大遺跡 第 10次 調査 地 点 (保健管理 セ ンター

)が

あ るのみで

,本

地点に隣接 しては認め られていない。両地点 の関係 あるいはその間におけ る遺跡 の広 が りの問題

,濤

自体 の性格

,集

落 の性格 な ど新 たな問題 を提 起 した と言 え る。周辺部での今後 の調査 が期待 され る。古代 の濤 では これ までの調査成果 を裏 付 け る よ うな状況 が示 され た。 ただ

,こ

こに至 って

,本

地点以東 で指 向されていたほぼ東西方 向か ら

,そ

の方 向を南に振 る傾 向を見せ始めている点は

,条

里 が どこまで及がか とい う問題点 に関わ る可能性があろ う。本調査 の北西方 向は地形的に低湿地 の様相を呈す ることが予想 され てい る点 も示唆的である。

なお,本調査 の資料 は現在整理途上であるため,本報告 内容 は暫定 的の ものであ る。(山本)

(1)「

岡山大学津島北地区小橋法 目黒 (AW14区

)の

発掘調査」『岡山大学構内遺跡調査研究年報』

1 1985 

岡山大学埋蔵文化財調査室

(2)『

岡山大学構内遺跡調査研究年報』

7 18〜

20頁

 1990 

岡山大学埋蔵文化財調査研究センター

(3)『

岡山大学構内遺跡調査研究年報』

11 9〜

13頁

 1995 

岡山大学埋蔵文化財調査研究セツケー

‑9‑

(10)

②津島岡大遺跡第 13次 調査 (福利厚生施設 (北

)予

定地

,津

島北

AW〜

AX・

H〜

12区)

1.調

査の経過

この調査 は福利厚生施設北棟 の新営に伴 うもので

,1990年

に行われた当該地区内の試掘調査 の成果 に よれば

,当

該地 の大部分 は微高地上 に位置 し

,弥

生時代か ら古墳時代にかけての濤を 数条検 出 してい る。 そ うした試掘 時の見解 を受けて

,当

初 は4カ月 あま りの調査期間が見込 ま れ てお り

,1994年

度 中に約 2カ 月分 に相 当す る予算措置が講 じられた ことに よ り

,調

査 に着手 す る ことにな った。

調査 区内の大部分が微高地上に位置す るとい う見通 しの もとに着手 した調査 であったが

,後

述す る よ うに調査途 上に調査 区西側部分に設けた トレンチでの所見か ら

,調

査 区北西部か ら概 ね南南東に向けて弥生時代 の構が検 出 され る可能性 が高 くな り

,こ

れ に ともな って調査期間の 増大 は必至 とな った。 同時 に当初 に予算措置 のな された 2カ 月 を超 え る期 間分 の予算措置 の 目 処 が立 たない とい う事態 とな り

,当

セ ンターと大学事務局の担当部課 との協議が もたれた。そ の結果

,調

査 は当初 の予算の範囲内

,つ

ま り2カ 月を も って一 旦 中断 し

,年

度 が 改 ま るのを 待 って再開す る運 び とな った。

以上 の よ うな経過か ら

,1994年

度 の発掘調査期 間は1994年 10月 6日 か ら11月 31日 までで あ る。対象面積 は816∬ で

,調

査員2名が担 当 した。以下 に

,今

年度分 の調査 の概要 を報告す る。

2.今

年度調査の概要

1994年 度 の調査 は概ね近世か ら近代 にかけての耕作 もしくは造成上 にあた る

2〜 6層

の調査 を行 ない

,調

査 区全面 で

7層

上面を検 出 した状態で中断 した。 この うち

,2・ 3層

の上面 でそ れぞれ耕作遺構 を検 出 している。

2層

上面 の耕作面 は南北方 向の畝を形成す るもので

,調

査 区北西隅の一部を除 き

,ほ

ぼ全面 で検 出 している。畝列以外 には南西隅近 くで野壷状 の浅 い土坑があ り

,北

西隅近 くでは畑面に 焼土 と木炭 の集 中す る箇所 を認 めた。 また

,こ

の耕作遺構に ともな って

,調

査 区東部には

3層

上面か ら掘 り込み

,拳

大 の礫を充填 した暗渠が設け られている。 これは今次調査 区の北に位置 す る11次 調査地点において認め られた もの と連続す る位置関係にあ り

,同

一 と考 えて良い。

3層

上面 での耕作面は東西方 向の畝列を形成す る。本来3層上面の段階では東側が一段高 く な っていた よ うで

,調

査 区の東側

3分

の1あま りは

2層

の耕作面形成 に よ り肖」平 がお よび

,畦

畔 は検 出 され ていない。

4〜 6層

は近世に帰属す ると思われ る。概ね水平の堆積を見せ るが

,7層

の上面が幾分南西 にむけて低 く傾斜す ることに よ り

,こ

れ らの層群 も西側が幾分厚 くな る傾 向にある。

 4〜 7層

につ いては遺構 は検 出で きなか った。

調査 の中断に よ り

,こ

れ以下の各層 については側溝や先行 トレンチの所見に よる他 ない。調

(11)

試掘調査

査 区の西半 においては古代 。中世の上層が40cm余 り堆積す るが

,東

半 では層厚を減 じ

,こ

の下 で検 出され る弥生時代

,あ

るいは古墳時代 の遺構面は東か ら西に低 くなる傾斜を もつ ことが う かがえる。

また調査区西端部では

,概

ね北西か ら南東へ 向か う形 で

,弥

生時代か ら古墳時代初頭にかけ ての大濤が検 出 され ることがほぼ確実祝 され る。 これは調査 区中央 の東西畦に沿 う形 で設けた 先行 トレンチ と

,同

じく南壁 に沿 った側濤 とで行な った深掘 りの結果に よるもので

,調

査 区中

央東西畦 の部分では古墳時代初頭 の土師器壷の 口縁部な どの破片が

,ま

た南の側濤部では杭先 端部 と思われ る木製品が出土 してい る。現段階で この大構の位置や規模は不明であるが

,第

12

次調査地点 で検 出 された濤に連続す ると推定 され

,次

年度 の調査 に期待 が もたれ る。 (光石)

試掘調査

本年度は津 島地区において1件の試掘調査 を実施 した。以下に農学部動物実験施設建設に伴 う調査 の概要を記す。

①農学部動物実験施設予定地 (津島南

BD20区

) 調査 に至 る経過

当該施設 の新営は1988年 度に計画が成 され

,同

年度 に試掘調査 が実施 され てい る。今年度に 至 って建設計画が具体化 し

,改

めて調査 の方針を協議 した。 しか し

,建

物建設 に よる掘 削深度 が

lm程

度 であ ることか ら

,造

成 土 内に留 まることはほぼ確実であ り

,ま

た東側に隣接す る第

8次

調査

A地

点 の調査所見か ら

,当

建設予定地 が遺構・遺物 ともに分布が希薄な地域 にあた る と予測 された。 このため

,上

述 の試掘 の際に調査 の及ばなか った区域におけ る旧地形や土層 の 堆積状況 の確認 を主眼に

,建

設予定地 の北西部分について改めて試掘調査を行 な うこととした ものである。調査期 間は1995年 3月 13・ 14日で

,調

査員2名が これを担 当 し

,翌

15日に埋め戻 しまで完了 してい る。

調査の概要 (図 7。 8)

調査 区 と した箇所 は現地表が南側 に比べ50cm程 度低 く な ってい る。発掘 調査 は重機 に よって造成 土 を除 いた 後

,2m四

方 を調査 区域 として人力に よる掘 り下げを行 な った。その結果

,40cmあ

ま り掘 り下げた段階で黒褐色 土を検 出 した。 さらに調査 区の北側 と西側 につ いて トレ ンチを設けて掘 り下げて黄褐色粗砂 の堆積 を認めたが,

無遺物 であ り

,調

査 を終 了す ることとした。

この調査 区で観察で きる土層 の堆積状況は

,概

ね過去

tIE調査 地 点 (1988年 度)

8次調 査A地(違伝 子 実験 施 設 1991年)

試掘 調 査 地 点(農学 部 動 物 実験 施 設 今 年 度)

4 立会調査⑪地点(農学部焼去P坑

 

今年度)

津 島南 地 区調 査 地 点 位 置 図 (縮1/5,000)

H―

(12)

の試掘や第

8次

調査

A地

点 と同様 であ る。 この うち

2層

上面では径80clnあま り

,深

さ40cm程 度 のほぼ円形 の上坑 を検 出 した。 内部は造成上が充填 してお り

,第 8次

調査

A地

点 で検 出 した も の と同様

,旧

陸軍駐屯地 の建物 の柱穴 と思われ る。

以下

,3〜 5層

が近世

,6層

が中世

,7層

は弥生〜古墳時代に概ね対応す ると思われ るが,

遺構 は認 め られず

,出

土遺物 も乏 しい上に細片ばか りのため

,他

地点での所見に対応 させ る他 に帰属時期を明確に し難 い。

8層

,津

島岡大遺跡 では一般的に縄文時代 晩期か ら弥生時代初頭 にかけての遺物 を包含す る

,い

わゆ る黒色土に相 当す る。 この上面で西か ら東へ むけ てやや 低 くな る段 を検 出 して お り

,水

田畦畔が検 出され る可能性 も考 え られ る。 しか し

,小

面積 での検 出は困難 であ り

,遺

構 面 の無用 の破壊を避 け

,こ

れ 以上の掘 り下げを行なわなか った。 なお

,8層

上面で縄文系の土

器 片1片が 出土 して い る。 (光石)

(1)安

井宣也 「農学部動物実験施設及 び薬学部遺伝子実験施設予定地」『 岡山大学構 内遺跡調査研究年 報』

6,1989,岡

山大学埋蔵文化財調査研究 セ ンター

(2)富

樫孝志 ・山本悦世 「

A地

点 の調査」『津 島岡大遺跡』

5,1995,岡

山大学埋蔵文化財調査研究 セ ンター

焼却坑地点

柱状模式図 西 壁

4.Om

層序1.造成上

暗灰色砂質土(明)

3.橙

掲色砂質上(近)

明灰黄色粘質土(近)

仄黄色砂質土(Mn合 近世)

明黄灰色砂質土(Mn多 中世)

明褐灰〜明責褐色砂質土 (Mn少合 弥生〜古墳)

黒掲色砂質土(縄文〜弥生)

明責掲色砂

土層柱状 図 (縮1れ0)

i̲̲̲̲̲̲̲̲̲―

!―

‐ 一

̲̲ィ

̲̲― ― 」空 四

         lm

写真

黒色土(8層)の 落 ちが確認 され た土層断面 (左:北

 

:西)

(13)

立会調査

立会調査

(1)津

島地 区 (図

9,表

1)

1994年 度におけ る津 島地区の立会調査 は事業別 にみ ると14件 で

,例

年 に比べ る とかな り少 な か った。多 くは造成土 内で終了 したが

,調

査⑩ では津 島南地 区 の陸上競 技場 で数 力所 を掘 削

,旧

地形の復元に有効なデータを収集す ることがで きた。

①陸上競技場照明塔設置 に伴 う立会調査 (調査⑩ :津島南BD・

BF07〜

09)

津 島南地 区の東側 は陸上競技場 の他

,野

球場

,サ

ッカー場な どの競技場があ り

,こ

れ まで こ の地 区が調査 の対象 とな った ことは少な く

,遺

跡 の状況 について も不 明な点が多い。今回

,陸

上競技場 の照 明塔設置に伴 う立会調査 で

,照

明塔設置地点に隣接 した アース板 の埋設地点で断 面観察を行 った。工事掘削が行われたのは図に示 した 6カ 所である。 この うち

A地

点 につ いて は立会前に掘 削が終了 していたため

,B〜 F地

点 の 5カ 所 につ いて報告す る。

 

1層は造成上で厚 さは

lm前

後 であ る。

 2層

は明治時代 の耕作土である。

 3。 4層

は色調か ら近世 の耕作土 と思われ る。5。 6層は灰色の粘質上で 中世 の耕作 土 で あ ろ う。

 7・ 8層

は 5。

6層

か らの鉄分 の沈着で黄色味を帯びた層 で

,古

代〜古墳時代 の耕作 土 と思われ る。

 9層

は有機物 を多 く含み

,津

島一帯 に分布す る黒色土 である。基本土層 は

B〜 F地

点 ではば共通 し てい る。

C地

点 では地下

2mま

での断面観察では黒色上が認め られなか った。 しか し隣接 した

―――GL

1 2 3

BE::

6 7 8 9

造 成 土 青灰 色 土

緑 灰 色 土(上Fe沈)

茶 灰 色 土 灰 色 粘 質土

灰 色 粘 質土(Feで黄灰 色 の部 分 あ り)

黄灰 色 粘 質 土(Fc)

黄灰 色 粘 質土(Fe多く縦 方 向 に沈 着)

黒 色 土

SDl l 灰 色 粗 砂

灰 色 粗 砂(Fe多)

図 9  調査⑩土層柱状図

(縮

1/40) 調査地点位置図(縮1/5,000)

‑13‑

(14)

地点で照明塔設置 のために

,径

30cmの 円柱状に掘 り下げる機械を使 って掘 削 した際

,深

度 は不 明なが ら黒色土が認め られた ことか ら

,さ

らに深い所に黒色土が存在す ることは確実である。

D地

点では同様 の機械に よる地下

10mの

掘 削で も黒色土は確認 されなか った ことか ら

,こ

の部 分には黒色土が存在 しない と考 え られ る。

以上の所見か ら

,C地

点 では他 の地点 よ りも深 い所で黒色土が認め られ

,こ

この旧地形は谷 状 に落ち込んでいることが考 え られ る。 また

,D地

点では黒色土が存在 しないが

,本

来存在 し ない地形にあた ってい るのか

,後

世 の削平 を受けているのか

,今

回 の所 見 か らは 明 らか で な い。他の地点では各層 がほぼ同 レベルで認め られることか ら

,比

較 的安定 した水平堆積層が広 が っていると推定 され る。遺構は

F地

点 で中世 と思われ る構の断面が認 め られた。 また

,各

調 査地点で湧水が認め られた。

そのほか

,前

述 の農学部動物実験施設予定地試掘調査 の際

,調

査 区の南側 に焼却坑が掘削 さ れ ていた ことがわか った。 この件 については全 く連絡を受けて痛 らず

,事

務局 よ り当該部局ヘ の厳重注意を行 った上で

,事

後 ではあ ったが立会調査 (調査⑩

)と

して対応す ることとした。

土層観察の結果 は図

8に

示 した とお りである。

(2)鹿

田地 区 (図

10,表

1)

鹿 田地 区では事業別にみて

4件

の立会調査を行 った。調査⑤では造成土以下 の土層の観察が で き

,以

下に報告す るよ うに重要な所見が得 られた。

① 医学部 グ ラン ド南側用水護岸改修工事 に伴 う立会調査 (調査⑤ :鹿田DG60・ 61区) 調査の経過

鹿 田地 区では

,第 1次

・第

5次

調査 の結果

,キ

ャンパス北側

,現

在 の医学部附属病院の外来 診療棟付近に微高地があ り

,方

生時代中期以降の集落が発達 していた ことが明 らかに されてい る。一方

,キ

ャンパ スの南側 では

,3次

調査 の際にキ ャンパスの南東部を調査 した結果

,微

高 地上に古代末以降の集落が確認 された。 これに対 しキ ャンノくスの南西 部 は調査 され た例が な

,こ

の方面での遺跡 の広が りが不明であ った。

今 回

,鹿

田キ ャンパスの南端で コンク リー ト護岸を新設す る工事があ り

,事

前 に石垣 を除去 した際に

,調

査員 1名 が立会調査を行 い

,造

成上以下の上層断面を観察す ることがで きた。現 場 は到着後

,一

見 して多数 の遺構がかか っていると判断 で きたため

,そ

の記載 に重 点 を置 い た。そ して

,次

の よ うな所見が得 られた。

 

断面には多数 の遺構がかか ってお り

,西

端 でか ろ うじて基本層序を観察 できた。現地表面 の 標 高は

2.15m程

である。

 2層

は明治時代 の土層であろ う。上面に凹凸が認 め られ ることか ら,

その上面は湿地状であった と考え られ る。

 3・ 4層

は類似 した層 で近世 の耕作土 と思われ る。

(15)

立会調査

造成土 淡吉灰色土 黄灰色土 責灰色土 (Fe多)

灰褐色土

黄灰色土 (Fe上 面沈着)

茶灰色土 (Fe)

茶灰色砂質土(Fe,Mn多)

青灰色粘質土

赤灰色砂質土(遺構埋土 か)

茶灰色砂質土(遺構埋土か)

10 

調査 ③ 土層断面図(縮尺1/50

5層

は部分的に認め られたのみである。

 6層

は上面に鉄分の沈着が認め られ る。

 7層

は鉄分に よってやや赤 くな っている。

 8層

はマ ンガ ンが多 く含 まれ るのが特徴 で

,鹿

田遺跡

3次

調査 で 中世 の遺構を多数検 出 した層に対比 され る可能性がある。

 9層

は上記の層 とは明瞭に区別 で き る青灰色粘質土である。 これは現在の用水面付近にあた っているため

,水

の影響で グライ化 し てい る可能性がある。

 9層

以下 は用水の水面下で観察 できない。 また

5層

以下 の時期について は明確ではない。10。 11層 は遺構埋上の可能性が高い。

今 回の断面所見か ら旧地形を復元す ることは困難 であるが

,遺

構密度が高い ことか ら微高地 部分にあた ってい る と考 え られ る。

遺構 と遺物

明確 に確認 した遺構 とその掘 り込 み面 は次 の通 りである。

3層上面

 

ピ ッ ト

1基 ,4層

上面

 

1条

(これ は土坑 の可能性 もある。

),6層

上面

 

1 条 ・ ピ ッ ト

1基

・土坑

1基 , 7層

上面

 

4条

これ らの遺構に切 られて掘 り込み面が不明の遺構 として土坑

2基 ,ピ

ッ ト

1基

が ある。断面 で明確 に確認で きたのは以上であるが

,7層

以下 では他に もさらに多 くの遺構がかか っている 可能性が高い。遺物は土坑

K2,K3か

ら古代 の竃片が出土 している。

ま とめ

今 回は立会調査 で

,し

か も断面 の観察のみに とどま り

,ま

,現

在 の用水 の水面下の土層観 察はで きなか ったが

,こ

れ まで調査 されていない鹿 田キ ャンパスの南西部に も濃密に遺構が存 在す る ことが 明 らか とな った。今後 の調査で注意す る必要がある。

調査地点図(縮1れ ,OoO)

‑15‑

(富樫)

(16)

1 1994年

度調査一覧

番 号 種 類 調 査 地 区 所 属 調 査 名 称 調査期間 掘肖1深

(m)

1 発 掘 津 島北AV〜 AV13〜14 図 書 館 4  1‑11 30

28‑33

調査面積17701f

縄文時代土坑,弥生〜古墳時 代溝・水田畦畔,古代溝・水 田畦畔,中世蕎ほか

津島岡大遺跡第12次 調査〉

発 掘 津 島北AW〜 AXll〜12 福利厚生施設 106‑1130

16‑18

調査面積816∬

近代耕作面 ,1995年 度に継続 津島岡大遺跡第13次 調査〉

試 掘 津 島 南BD20 動物実験施設 '953 13■4 18〜20 GL 1 4mで黒 色 土,縄文 土 器 1片

4 立 会 津島南BB13・BC14 樹木移植 4 1 造成上内

鹿田 DH60〜 62 護岸改修 4 11 遺 構 多 数

津島北 BA06 校舎改修電気設備工事 4 22 09‐11 造成上内

7 津島北 AVll 工事用ス ロープ設置 4 26 12 明治層上面,造成上

12m

津 島北AUll 電桂仮設 5 13 11 造成上内

津島南 BD07〜 09 BF07‐ 09

陸上競技場照明塔設置 5 16‑6  7 0 85′2 0 造成上095〜120m,一部径

08mで深度10mま で掘肖J

鹿田AU22・23 AX22・23 AY21‑23 AZ19‐ 23 BB19‑23

BC19・ 23・24 BD23・24

病院連絡通路新営 8  9,10・29 30 造 成 上 内

11 津島北AU04・05 AU12‑14

津 島環 境 整 備 (北 辺 駐 車 場) 616,30 713・15

造成 上 内

12 津島北 AW07 電気電子棟〜精密応用化学棟

外脅

7 18・19 0 95ヽシ1 45 近 世1枚目ま で 造 成 ±12m

13 津島北AV10・AW10 AUll

総合情報処理センター新営 電気工事

7 21・22 27

8 1

近世溝 1本

Gし 17mに黒色土

津 島 北 AWll・ AXl] 情報処理センター水銀灯設置 7 29 造成上内

津島北 AV14 津 島地 区環 境 整 備 (緊 急) 8 2

10‑12

造成土内 鹿 田AH07〜 AN07 医学部付属病院駐車場ス ロー

プ設置

2 6 04‑208 造 成 上 内

17 鹿田 CK57〜61 CM67 68

消 却 場 設 置 に 伴 う付 帯 工 事 2 15 0 45 造成上内

津島北 AZ08 ヘ リウム液化装置室改修 3 2 13 明治〜近世層 まで

造成上

lm

津 島 北AV03 ボイラー室給水管破裂修理 3 14 15 既工事内

津 島 南 BD20 農 学 部 焼 却 坑 3 14 GL 1 9mに黒 色 土

21 津島南 AU05〜 AV05 地域学習センター改修電気工

320 11 明 治 層 上 面 ま で

(17)

48    46    44    42    40    38    86    34    32    30    28    26    24    22    20    1812    10    08    06    04    02    00    98

Ы

附ル謎叫

11 

津島地区全体図(縮1/15,00の

(18)

回蔦 ◆柑薄e酬叫全︶秘帥蒔図︵謙力μヽやoe

・辟

(19)

立会調査

oo

0

立会調査(数字は表 1に 対応)

13 

今年度の調査

(2)鹿

田地区 (縮1/3,000

‑19‑

(20)

第 2章  1994年 度普及・研究・資料整理活動 1 

資料整理

本年度は次の

6件

の発掘調査の資料整理を行 った。

 

津島岡大遺跡第

6次

調査 (工学部生物応用工学科棟)

報告書作成

 

津島岡大遺跡第

7次

調査 (工学部情報工学科棟) 報告書作成

 

鹿田遺跡第

6次

調査 (アイソ トープ総合センター)

出土遺物の分類・復元 。実測

,遺

構の トレース

 

津島岡大遺跡第

8次

調査 (遺伝子実験施設)

報告書刊行

 

津島岡大遺跡第

9次

調査 (工学部生体機能応用工学科棟)

出土種子の洗浄・選別

 

津島岡大遺跡第10次調査 (保健管理センター) 遺物注記 。一部実測・写真撮影

分析依頼

 

津島岡大遺跡第6。

7次

調査出土種子の分析…岡山大学農学部

 

 

陽子

刊行物

 

岡山大学埋蔵文化財調査研究センター報

 

12号

       1994年

10月

 

発行

 

岡山大学構内遺跡調査研究年報

 

11号

       1995年

2月

 

発行

 

岡山大学埋蔵文化財調査研究センター報

 

13号

       1995年

3月

 

発行

 

岡山大学構内遺跡発掘調査報告

 

8冊        1995年

3月

 

発行 なお1994年度 までの刊行物については附表3・

4で

一覧 として掲載 している。

調査員の活動

(1)資

料収集活動 阿部芳郎

縄文土器資料の実査:高知県埋蔵文化財センター・高知県本山町教育委員会

(21)

調査員の活動

岩崎志保

中国漢墓 関係文献資料収集 富樫孝志

黒躍石原石採集 :長野・静 岡県

尖頭器石器群 の見学 :大和市教育委員会・相模原市教育委員会 松木武彦

北部九州地方 の古墳時代武器・武具資料収集 光石 鳴巳

瀬戸 内地域 におけ る旧石器 (ナイ フ形石器・細石刃文化

)資

料収集 近畿・ 中国地方 の縄文時代石器文化資料収集

山本悦世

古代 の上器資料収集 :岡 山市教育委員会・ 岡山県御津町教育委員会・ 岡山県古代吉備文化 財 セ ンター

(2)学

会・研究会等参加 阿部芳郎

考古学研究会総会

(4月 ),日

本考古学協会大会

(5月 ),中

四国縄文研究会

(6月

)

岩 崎志保

考古学研究会総会

(4月 ),日

本考古学協会大会

(5月 ),日

本 中国考古学会総会

(9月

)

富樫孝志

考古学研究会総会

(4月 ),中

。四国旧石器文化談話会

(9月

)

松木武彦

考古学研究会総会

(4月 ),日

本考古学協会大会

(5月 ),文

化財保存全 国協議会大会

(6

),埋

蔵文化財研究集会

(8月

。1月)

光石 鳴 巳

考古学研究会総会

(4月 ),文

化財科学会大会

(6月 ),中

。四国旧石器文化談話会

(9

),日

本考古学協会大会・近畿 旧石器交流会 (10月

),東

北 日本 の 旧石 器 文 化 を語 る会 (12月)

山本悦世

考古学研究会総会

(4月 ),中

四国縄文研究会

(6月 ),古

代 の土器検討会 (10月

),日

本考 古学協会大会 (10月

),中

世土器研究集会 (12月

),埋

蔵文化財研究集会

(1月 ),低

湿地遺 跡研究会

(3月

)

(3)研

究発表他

‑21‑

(22)

障部芳郎

「器体構造からみた縄文土器と弥生土器」考苦学研究会例会 (3月

)

松本武彦

「山賜の前期古衰 Lad狸 藤文化財研究集会 (3月

)

141 

論文■資料報告 阿部芳郎

『縄支時代研究事典』東京堂出版

(央

著 )  .

富樫議志

「縄文時代研究事剰 線 堂出版

(共

)

松本武彦

「吉備の養形埴輪一器財埴輪の地域性研究に関する予察―」『古代吉備』

16号

「古墳時ぺゆ武番・武呉および軍事組繊研究の動向 JF考 古学胸 41̲1

11993年

の考古学界の動向一古墳時代・西

IH―

剰   『考古学ジャーナ″』

375号

山本悦世

「各都道府県つ動向   岡山角

│『

目沐考古学年報

45』

日本考古学協会

(23)

日誌抄 19944F

4月 1日

 

岩崎志録助手

,光

石 鳴巳助手

,吉

田 桜 子技術補佐員着任

第 1回 月例会議

。平成6年度事業計 画・予算案 5月 9日

 

第2回月例会議

・ 調査報告

・ 報告書作成進行状況 5月31日

 

木器処理第2期分準備 開始 6月 6日

 

運営委員会 開催

。平成5年度事業報告

。平成6年度事業計画

。平成6年度予算案 6月 9日

 

第3回月例会議

6月16日

 

事務局第一会議室展示 コーナー展示 入れ替 え

6月22日

 

管理委員会開催

・ 平成5年度決算 について

。平成6年度予算 について 6月23日

 

『津 島岡大遺跡4』 発送

6月28日

 

木器処理 開始

(PEG溶

液濃度

20%)

7月 18日

 

第4回月例会議

7月22日

 

臨時会議

・ 津 島岡大遺跡第12次調査 の今後 の 予定 ・同第13次調査 の期間試算につ い¬〔

7月28日

 

農学部動物実験施設 に関す る対応協 議

8月30日

 

博物館学実習受講生32名,31」rに 分 かれて発掘作業・土器注記 。上禁洗 浄等 を行 う

9月 5日

 

第5回月例会議 9月 7日

 

博物館実習終 了

9月17日

 

津 島岡大遺跡第12次調査 現地説明会 9月21日

 

運営委員会 開催

。福利厚生施設北予定地の発掘調査 につ いて 。津島岡大遺跡第12次調査 の経過報告・技術補佐員 の採用 9月28日

 

第6回月例会議

・ 津 島岡大遺跡第13次調査 につ いて 木器処理

,PEG溶

液 濃 度 を

40%に

上げ る

10月 3日

 

松本哲郎技術補佐員着任

日誌抄

建築課 と津 島岡大遺跡第13次調査 に つ いて打ち合わせ

10月 6日

 

津 島岡大遺 跡第13次調査 開始

11月 1日

 

第7回月例会議

11月25日

 

津 島岡大遺跡第12次調査終 了

11月30日

 

津 島岡大遺跡第13次調査 中断

12月 8日

 

第8回月例会議

12月14日

 

木器処理

,PEG溶

液濃 度 を

50%に

上げ る

12月15日

 

セ ンケー建物 内 ワックスかけ

12月27日

 

大掃除

12月28日

 

御用納 め 1995年

1月 4日

 

仕事始め 第9回月例会議 1月19日

 

運営委員会 開催

・ 発掘調査経過報告・助手 の採用及 び退職について

1月25日

 

管理委員会 開催

・ 教官等 の人事 について

。埋蔵文化財発掘事業経過について 2月 6日

 

第10回月例会議

木器処理

,PEG溶

液 濃 度 を

60%に

上げ る

2月28日

 

構 内遺跡調査研究年報 ■納 品 3月 1日

 

年報11・ セ ンター報12号発送 3月 3日

 

11回月例会議

。調査報告・報告書作成進行報告・

セ ンメー報部数について

3月 8日

 

建築課 と農学部動物実験施設試掘調 査 について打 ち合わせ

3月13日

 

農 学 部 動物 実験 施 設 試 掘 調 査 開 始 (〜 15日終 了)

3月20日

 

木器処理

,PEC溶

液 濃 度 を

65%に

上げ る

3月31日

 

助手阿部・富樫

,技

術補佐員松本退 職

,松

,文

学部考古学研究室へ異 動

‑23‑

(24)

6 1994年

度 までの遺物保管状況

(1)遺

物 収蔵量 (表2)

1995年 3月31日におけ る本 セ ンターの遺物収蔵量 は表

2に

掲 げ る とお りで

,約

30リ ッ トル収 納 の コンテナに換算 して1686箱 である。発掘調査 では

,津

島岡大遺跡第 12次 調査 (図書館

)で

コンテナ71箱 分

,同

遺跡第13次 調査 (福利厚生施設北

)で 2箱

分 の遺物 が 出土 してい る。 13次 調査 につ いては1995年 度 に継続 の調査 である◇ この うち第12次 調査では

,弥

生時代後期〜古墳 時代初頭 にかけての溝 か ら木製遺物 が多 く出上 した。一方

,試

掘・立会調査 においては

,い

ず れ も遺物 は少な く

,昨

年度 までの遺物量 と大差 はない。

これ らの遺物 は今後 の整理分析作業に よ り最終的な収納形態を整 えるため

,箱

数 の増加が見 込 まれ る。

)遺

物 の保存処理

本 セ ンターでは1992年度 か ら構 内遺跡 か ら出土 した木製品について

,PEG含

浸 に よる保 存 処理 を行 っている。第1期保存処理 は1992年 7月 か ら1993年 ■月 まで行われた。今年度は第2 期保存処理 を 6月 か ら開始 した。濃度 の上昇工程 は以下 の とお りである。

1994年 6月28日

 20%

9月28日

 20%→ 40%  12月

14日

 40%→ 50%

1995年 2月 6日

 50%→ 60%  3月

20日

 60%→ 65%

PEG濃

度 は低濃度 の うちに時間をかけて含浸 させ ることが必要である。そのた め濃度

60%

までは半年 の期間にわた って

, 1工

10%毎

に上げてい った。濃度

60%か

らは遺物 の歪み・亀 裂 に留意す るため

,約

1カ 月毎に

5%上

昇 させ る こととして い る。

 3月

65%に

上 げ

,以

後 1995年度に継続す る。処理にあた っては基準資料を同時に処理装置 内に入れ

,重

量変化を確認

してい る。最終的には1995年12月に処理 を完了す る予定 である。

また第

1期

の保存処理 を完了 した木製遺物 については

,処

理後 の法量計測を行 った後

,ポ

シー ラーで密封 し

,保

管す る ことと した。 これ らにつ いては保管場所が定 まってお らず

,今

後 有効 な保管方法 を決 め

,保

管場所 を確保す る必要 が あ り

,収

納面積 の増加が見込 まれ る。

(岩崎)

(25)

所属 種 類

       

調

  

(1箱:約30ゼ)

  

主要時期・特殊遺物

    石 器 木 器 その他サンプル

孟病 発 掘 鹿田第1次調査 (外来診療棟) 608 6

弥生中期〜中・近世 短甲状・櫂状木器等

C

蒐田第2次調査(NMR―CT室) 3 3 弥生後期〜中世,田舟・木簡等

盛短 鹿田第3次調査 (校) 5 古代〜中世

鹿田第4次調査 (配) 3 2 1 古代,鹿角製品

医 病 鹿 田第5次調査 (管理棟) 1 弥 生後期 〜 中 。近世

鹿田6次調査

(アイソ トープ総合センター)

中世,青銅製椀

津島岡大第1次調査

(NP‑1)

4 弥生中期〜古代

津島岡大第2次調査 合併処理槽 排水管

l 4 縄文晩期〜弥生前期

学 生 津島岡大第3次調査

(男子学生寮)

2 縄文後期〜弥生′古代〜近世 石製指輪,蛇頭状土器片

津島岡大第4次調査

(屋内運動場)

l 1 縄文晩期〜弥生前期

試掘調査遺物を含む〉

大 自 津島岡大第5次調査 (大学院 自然科学研究科棟)

2 縄文後期〜弥生,古代〜近世

耳栓・木製櫛 (縄)

2

津島岡大第6次調査 (生物応用工学科棟)

t 縄文後期〜近世

人形木器,アンペラ

a

津島岡大第7次調査 (情報工学科棟)

7 1 5 縄文後期〜近世

津島岡大第3次調査 (遺伝子実験施設)

01 縄文後期〜近世

津島岡大第9次調査 (生体機能応用工学科)

258 220 縄文後期〜近世 6

津島岡大第10次調査 (保健管理センター)

5 弥生前期〜近世

津島岡大第11次調査 (総合情報処理センター)

4 2 縄文後期〜近世

津 島岡大第 12次 調査 (図書館) 1 健文後期〜近世 @

津島岡大第13次調査 (福利厚生施設

 

)

2 近 世 @

1994年度 までの遺物保管状況

埋蔵文化財調査研究セ ンター収蔵遺物概要

‑25‑

図 3  縄文時代 〜古墳 時代遺構 全体 図 (縮 尺 lハ 00)
表 1 1994年 度調査一覧 番 号 種 類 調 査 地 区 所 属 調 査 名 称 調査期間 掘肖 1深 度 (m) 備 考 1 発 掘 津 島北 AV〜 AV13〜 14 図 図 書 館 4  1‑11 30 28‑33 調査面積17701f 縄文時代土坑 ,弥 生〜古墳時 代溝・水田畦畔 ,古 代溝・水 田畦畔 ,中 世蕎ほか く 津島岡大遺跡第12次 調査〉 発 掘 津 島北 AW〜 AXll〜 12 事 福利厚生施設 106‑1130 16‑18 調査面積816∬ 近代耕作面 ,1995年 度に

参照

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