第1章
津島岡大遺跡の調査研究
第 1章 津 島岡大遺跡の調査研究
第 1節 発掘調査概要
津 島 岡大遺跡第26次 調査
(事務局本部棟・共同溝 津島
南BC・BD14‑BB・
BC・ BD15)a.調
査 の 成 果本調査 で は、近世 か ら近代 にかけて使用 された溝・土坑・畦畔の痕跡、弥生時代 の溝 ・土坑・貯蔵穴お よび縄 文 〜弥生時代 の河道、縄文時代 の焼土遺構 な どを検 出 した。本調査地点周辺ではこれ まで発掘調査 を行 っていな か つたが、 この調査 で土地の利用状況 について知見 を得 ることがで きた。
近代か ら近世で は、東西方向の溝 を確認 した。 この溝 と、第12次 調査 (附属図書館
)で
確認 した条里 の坪境 と 考 えている溝 の距離 は、約330mを
測 る。 この こ とか ら、距離 的 にみれば本調査地点 の溝 も条里 と関連す る可能 性 があ る。 また、条里の坪境 に合致す る可能性が高い。弥生時代 の溝 は、北東 ―南西方向の河道 に沿 うかたちで 構築 されていた。 このほか、縄文時代 には大小2本
の河道が北東 ―南西方向 には しり、その間に黄褐色砂質土が 堆積 す る微高地が 島状 に形成 されていた。その うち、共同溝部分の微高地上では、土坑 や炉や焼土遺構 を検出 し てい る。調査機関 :2001年 3月26日 〜 7月 18日、 調査面積 :1550m2
主 な遺構・遺物 :近 世か ら近代 の溝1・
土坑9、 縄文時代後期 の炉跡 3
8月 6日〜 9月28日
土坑35、 縄文 か ら弥生時代の河道、弥生時代早期 の貯 蔵穴 4
・焼土遺構2・ 土坑7、 突帯文土器、縄文時代後期の土器
b.調
査 の経 過・
A区
(本部棟)調
査は4月 3日 か ら開始 し、5月の前半 までに中世 と古代の 遺構 を検出 した。5月後半から河道の検出 と掘 り下げを行い、並行 して微高地 部分で弥生か ら縄文時代の遺構 を検出 し、7月18日に終了 した。・
B区
(共同溝) 8月
6〜 7日 に重機による造成土除去 を経て、8月 7日か ら調査 を開始 した。中世の溝、縄文時代の河道・炉跡 。土坑などの遺構を検出 して9月28日 に終了 した。
ci調
査 の概 要①層序
1層 :1907年〜1908年にかけて旧 日本陸軍 によって行われた屯営地建設に伴 う造 成土である。現地表は標高
4.5m前
後である。2層 :近代の耕作土で、上面では明治時代の畑の畝 を確認 した。
3〜 5層 :近 世耕作土で、洪水 によって短期間に堆積 した土層 と考えられる。旧 地形の低い部分に堆積 してお り、
A区
部分の南半 と北東部分 とB区
部分の 南部では堆積 を確認で きなかった。造成土除去の際は 5層 までを重機で掘0 1oom l 第26次調 査地点 2第 27次調 査地 点
(事務局本部棟 共同溝) 十五十周年記念館)
3第23次調 査地点 42000年度試朔
(文化科学系総合研究棟) 確認調 査地点
図
1
第26。 27次 調査地点位置図 (縮尺 1/400)‑1‑
30m
13
20m
0 1m
2青
灰色砂質土 (礫 :多)3責
灰色〜黄褐色砂質上 (鉄分 :多)4灰
褐色〜灰茶色砂質土5灰
褐色〜橙灰色砂質土 (鉄分:多)6灰
色粘質土7灰
白色粘質土8灰
色粘質土9灰
色〜 暗灰褐色粘質土10暗灰色粘質土
11黄灰色〜褐灰色砂質土 12,暗灰褐色粘質上
13黒褐色土
14黄褐色砂質土
③
│
図
2
第26次調査土層断面図 (縮尺 1/60)① 土層断面図
② 近代〜古代の遺構全体図
③ 弥生前期〜後期の遺構全体図
④ 縄文後期〜弥生早期の遼構全体図
※スクリーントーンは古代と考えられる遺構を示す
ヒ ̲̲̲J航
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N刀川\︱市︱
│
‑2‑
遺構全体図 (縮尺1/600)
第 1章
津島岡大遺跡の調査研究
削 した。
6a〜
7層 :中 世の耕作上であ り、遺物量 は きわめて少 なかった。8,9層
:古代 と考 え られる土層 である。地形の高い部分では堆積 を確認 で きなかった。遺物量が少 ない。10層 :古墳 時代 の土層 と考 え られる。
11・ 12層 :弥生時代 中期 か ら後期 に想定 される。11層 は微高地部分 と河道のある低位部 に堆積す る。12層は河道 内で堆積 を確認 した。
13層 :い わゆる「黒色土」で、谷部 で は粘性 を帯 びてお り、三層 に分層 され る。
B区
で は上面 で畦畔 を検 出 し た。14層 :縄文時代後期 の基盤層 である。
②地形
縄文時代 には
A区
内 を北東か ら南西方向に横切 る河道が存在 した。その両岸 には黄褐色砂 質土が堆積 した微高 地が広が る。B区
部分 で は この微高地の北側 に も小規模 な河道がある。 さらにその北側 には、再 び微高地が広が る。 この微高地 は第23次 調査地点で確認 した河道の南狽1につ なが ってい くと推定で き、微高地の範囲は狭か つた とみ られる。 こう した状況か ら、本調査地点周辺 は、狭い範囲の中に北西 ―南東方向には しる大小の河道が幾筋 かあ り、微高地が島状 に点在す るような地形であった と考 えられる。その河道部分 も、弥生時代 の間には埋 まっ てい く。 また、A区
の河道の南岸 にある微高地部分 は、縄文時代の基盤層上 に中世の土層が堆積 していた。 この 部分 は地形が高か ったため に、弥生時代 か ら古代 の土層が削平 をうけて な くなったのであろ う。中世の段 階 に は、地形 はほぼ平坦 になる。③遺構・ 遺物 の概要
〈近代 〜古代 〉近代 か ら近 世 の遺構 と して は東西 方向の溝1条と土坑35基を検 出 した。溝 の規模 は幅1.5〜 2
m、 深 さ30〜
50cmで
あ る。木製の樋 門が2カ所 に設置 されてお り、用水路 と して機能 していた ようであ る。中 世の遺構 としては南北方向の溝 を4条
確認 した。 いずれの溝 も、南 に行 くに したが って底面の レベルが高 くなっ てい く。古代 と考 え られる遺構 は、一辺50cm前
後 で深 さ5〜10cmの方形 の ピッ トであ る。 これは調査 区の東辺 で南北方向に2列にな らぶ。〈弥生時代 〉弥生時代 中期 か ら後期 の遺構 は溝2条 と土坑
2基
で あ る。溝 はいず れ も幅60cm・ 深 さ30cm前
後 で、北東 ―南西方向 には しり、埋土か らは中期の土器が出土 している。弥生時代早期 か ら前期の遺構 としては、河道内で は貯蔵穴 を
4基
、微高地上で土坑9基
を確認 した。貯蔵穴の一つか らは突帝文土器が出土 してお り、遺 構 の時期 を示 している とみ られる。土坑 は平面形が2〜3mの
いびつ な隅九三角形 、深 さは80〜100cmで、断面 形 はV字
形 に近 い。〈縄文時代後期 〉遺構 は
A区
で河道 を、B区
で炉跡3基
、焼土遺構2、 土坑7基
、溝1条、河道 を確認 した。最 も残 りの良い炉跡では、焚 き口 と燃焼部 と考 え られる構造 を確認 で きた。燃焼部 は深 さ75cmで
、最下層 に炭層 が ある。 また、下か ら1/3付
近 の壁 面が焼 けたため に赤化 してぃ る。焚 き口部分 は深 さ10〜20cmで
、燃 焼部 に近づ くにつれ深 くなってい く。土坑 は長 さ50cm〜80cm、 深 さ30〜50cmの
規模 であ る。 この うちの一つか ら後 期 の土器が 出上 した。溝 は幅 2m、 深 さ30cmを測 る。A区
の河道 は幅約20m。 深 さ約1.5mで
あ る。B区
の河道は小規模で幅
10m前
後 であ る。B区
の河道の底面では、後期の土器が出土 した。‑3‑
(横田)
2.津
島 岡 大 遺 跡 第27次
調 査 備可立五十周年記念館 津島南BB14。 15、 BC14・ りa.調
査 の成 果今年度行 った調査では、主に中世に属する時期で、畦畔、土抗、溝などを検出 した。その内、特 に注 目される ものは条里関連の遺構で、調査区西半の坪境 にあたると推定で きる場所 において、南北方向に大畦畔 を検 出 し た。 また、中世層は数層 にわたつて厚 く堆積 してお り、洪水 に襲われた耕作地や大畦畔を幾度 もつ くり直 し、長 期間利用 している状況 を確認することがで きた。今回の調査で検出 した条里関連の遺構は、中世における条里の 基準線の一つ となる可能性があるもので、大学周辺のみならず岡山平野 における条里制の実態 を解明するための 重要な資料 となると思われる。
調査機 関:2002年 1月17日〜3月31日 調査 面積:1648m2
主 な遺構 ・遺物 :中 世 〜近世の坪境畦畔、畝、土抗
3基
、溝6条
、土 師質土器 、陶磁器bi調
査 の経 過・ 造成上の除去
2002年
1月17日〜1月 29日 まで重機 による掘削 を行い、旧日本陸軍屯営地建設の際の造成土に 加えて、遺構・遺物が希薄であることが半」明 している近代層 と近世層の一部 まで除去 した。・ 調査の開始
2・
3月 に近世・中世の調査 を行い、土壌・溝・ ピッ ト・畦畔・畝などを検出 し、次年度 に調査 を継続 した。c.調
査 の概要①層序 (図3)
1層 :約0。7〜
0,9mの
厚 さで堆積する旧 日本陸軍による屯営地建設に伴 う造成土である。2層 :明治時代の耕作土で、上面に南北方向の畝がみ られた。
3層 :近世に属すると思われるが、遺構は検出で きなかった。
4層 :調査区西半において、南北方向にのびる坪境の畦畔 と畑の畝 を検出 した。中世に属すると思われる。
5層 :調査 を全域で耕作痕 と思われる浅い溝状の遺構 を多数検出 した。 また、4層 とほぼ同 じ位置 に、坪境の畦 畔を検出 した (図 4)。
6。 7層 :6・ 7各層で、4・ 5層 とほぼ同 じ場所に畦畔を検出 した。
8・ 9層 :溝 ・ ピッ トを検出 した。
5〜 9層 はいずれ も中世層で、約0.5〜
0.65mの
厚 さで堆積 している。9層以外 は全体的に砂質が強 く、比較 的短期間の うちに周辺河川の洪水によってかな りの土砂が堆積 したことがわかる。②遺橋の概要
〈中世 〉調査区の西半 において南北方向に伸 びる畦畔 と畑の畝 を検 出 した。畦畔は坪境 にあたる場所 に約
2m
の幅で築かれてお り、畝はその両脇 に広がっていた。畝がつ くられている土層はかな り砂質が強 く、洪水 によっ て形成 された砂地 を畑 として利用 している状況が判明 した。畦畔は、ほぼ同 じ場所で複数回つ くり直 されてお り、坪境の畦畔 として長期間利用 されていたことがわかる。南側の一部では、畦畔の上面 に拳大の礫が敷かれて いる箇所 もみ られた。
その他 に溝 を
2条
検出 した。調査区北西で確認 した溝は、ほぼ東西方向には しり、底部に列状 に並ぶ ピットを‑4‑
検出 した。 もう1本の溝 は調査区南西において検出 し、
多数 もつ ものであった。
1造成上
2灰
色砂質土3・
4黄
褐色砂質上 5〜8褐
色砂質土9・ 10灰色粘質上
第1章
津島岡大遺跡の調査研究
南北方向 に浅 くたわみ状 に伸 び、底部 に不定形 な窪み を (高田)
鍮 . 6
第27次調査土層断面位置図 (左)
図
︱
・土層断面図
115
図
4
第27次調査 5層 上面検出遺構 (縮尺1/3500)(縮尺1/30)
│
▲
︐ A
︼ C
・●
▼
NI
\
― 6
嗅
翻 畦 畔
‑5‑
第 2節 その他の調査
a.津
島地 区津島地区において、2001年度は発掘調査 を
2作
、立会調査 を33件実施 した。発掘調査 は事務局本部棟・共同溝 (第26次調査)と
創立五十周年記念館 (第27次調査)の
新営 に伴 って行 つたものである。 また、これ らの施設の 建築に伴い、周辺で多数の立会調査 を実施 している。北地区の理学部中庭で中世溝 を検出 しているほか、南地区 の薬学部の東側では現地表下2.lmまで掘削 しなが ら黒色土層 を確認 してお らず、第23次調査 のイ可道あるいはま た別の河道の存在が想定 される。 この地点は、第26次と第27次の調査地点は津島西南地区の西半部で も東寄 りに 位置する。 この付近ではこれまで発掘調査 をほとんど行 うことがなかったため状況が明 らかでなかったが、これ らの発掘や立会調査で地形や土地利用の状況などについて重要な知見 を得ることがで きた。 (横田)b.鹿
田地 区発掘調査 については、昨年度か ら継続 していた鹿 田遺跡第12次調査 を2001年 5月 まで実施 し、概要 について は、すでに昨年度刊行 した『岡山大学構内遺跡発掘調査年報18』 において報告 している。立会調査 については6 カ所行 っている。そのうち、総合研究棟埋蔵文化財発掘調査 に伴 う機械設置工事では、一部で中世土器片が比較 的多 く出土する箇所があつたが周囲に遺構等 は確認で きなかった。その他 に3カ 所で包含層 まで達す る掘削 を 行ったが、いずれ も遺構・遺物等はみ られなかった。なお、今年度は試掘・確認調査 を行 っていない。 (高田)
表1 2001年度調査一覧
番 号 種 類
査 区 調
地 構 内座標 所 属 調 査 名 称 調査期 間 掘削深度 備 考
I 発掘 津 島南 BC〜BD14
〜15 事 事務 局本部棟新営 に伴 う発掘調査 01.326〜
01 9.28 22〜30 調 査 面 積1550m2。 近 世 の 樋 門。縄 文 〜弥 生 の1可道 貯蔵 穴 土坑・ 炉跡 (津島岡大追跡 第26次 調査〉
2 発 掘 津 島南 BB〜BC14
〜15 創立 五十周年記念館新営 に伴 う発掘調査 022 1〜
036.24 18〜27 調 査 面 積 1648mツ。近 世 の 畦 畔 (津 島 岡 大 遺 跡 鎮 ク7カ調 香)
3 立 会 麗 田 CR14 医 保健 学 科北側外灯設置工事 01 4 25 1.2 造成上 中
4 立 会 津 島北 AZ10 理 理学部校 舎改修電気設備工事 01.5 17 1.6 ハ ン ドホー ル部分 で 中世 の溝 5 立 会 津 島北 AV〜AXll 事 本部棟新営電気設備工事 (外線工事) 01 6 5〜6 13 09〜13 造成上 中
6 立 会 津 島南 BB15〜16 事 本部棟設備工事 (ガス管) 01615〜620 11〜1.3 大 辛 が 造 成 土 中、一 部 でCL‑09mで灰 色 粘 質土 Gし‑10mで黄掲色土確認
7 立 会 津 島 北 AWIXl〜01 環 環境理工学部 温室用給排水設備工事 01 6 18 07 造成土 中
8 立 会 津 島 北 AW06 事 キ ャンパ ス情報 ネ ッ トワー クエ事 01 6 22 造 成 土 中
9 立 会 津 島 北 AZ13〜15
難経 総 合研 究棟 (ガス管) 01625〜 74 15 近世層 まで掘 削
立 会 津 島北 AZ〜BA14 AZ15
難経 総 合研 究棟 (電気 ケーブルエ事
) 01629〜 7 6 1,1ヽ15 造成上 中 も しくは既設工事 内
立 会 津 島南 BB〜BC16 事 本部棟 電柱 設置工事 01 7 5 1 5〜 2 1 GL‑1.4mで灰 色 粘上 で、CL‑21mまで灰 色粘土 。谷 部 にあ たる可能性 あ り 立 会 津 島南 事 土留工事 (鋼矢板打 込)に先行す る既設建物
基礎確認 のための工事 01 7 17 10 既 設 工 事 内
立 会 津 島南 事 本部棟 汚水桝取 設工事 01 7 26 10
CL‑06mで 灰 色 粘 質土 、以 下 黄 褐 色 粘 質 土 、灰掲 色粘 質土 、灰 黄褐色粘 質上 、マ ンガ ンを含 む褐色上。
立 会 津 島 北 BD18 夢 本部棟 新営設備 工事 (薬学部通信 設備) 018 7〜8 8 造 成 土 中
立 会 津 島北 AX06 工 工学部 ガス管工事 01 9 5 1 1 既 設工事 内
立 会 津 島南 BC15 事 本部棟 (共同溝)調査 に伴 う掘 削 01 9 7 造 成 上 中
立 会 津 島 南 事 本部棟 新営 に伴 う樹 木伐採 01 9 3〜9 5 08〜14 3ケ所 、 うち 1ケ 所 で近世層確 認 立 会 津 島北 AZ10 理 理学部校舎改修 機械 設備工事 01,911,109〜
10 10 02 2.20 09ヽ15 造 成上 中 立 会 鹿 田 CN34
CN44 医 病 エ ネルギーセ ンター新営 に伴 うパ ネルゲー ト
置工事 01 9 18 09〜10 造 成上 中
立 会 鹿 田 CN14
18・21
2829割 医 病 エ ネルギーセ ンター新営 に伴 う電柱 設置工事 01 9 25 15〜25 6ケ所 掘 削 、CL‑11ヽ 12mで明 治 層 、 う ち ユヶ所 で しま りの良い褐色土 を確認 立 会 津 島北 AZ06 工 工学 部 ガス漏 れ修 理工事 01927,104 08〜10 造成上 中
立 会 津 島 北 AUll 理 蔵 文fr財調 杏 研 究 セ ン ター 末 漏 れ 調 容 0 65 造成上 中
‑6‑
番 号 種 類
査 区 調
地 構 内座 標 所 属 調 査 名 称 調査期 間 掘削深 度 怖 考
立 会 津 島北 AZ07 理 理学部 ガス漏 れ修理工事 01109 造成上 中
Z 立 会 津 島南 BC14 15 事 本部棟新営 に伴 う旧国際交流課棟解体工事 01 1011 造成土 中 立 会 津 島南 BB BC13 事 本部棟新営 に伴 う機械設備工事 01 11 0 95 既設工事 内
26 立 会 鹿 田 CN35 医 病 基幹整備 共 同溝工事 に伴 う電柱 設置 01̲11 22 08〜17 造 成 土 厚 13m、 以 下青 灰 色 粘 質土 、緑 黄 灰 色粘 質土 を確認
立 会 津島南 BB BC13 事 本部棟車庫移設工事 0111.30,1218,
1219 05〜16 中世層 まで掘削 立 会 津鳥南 BB14〜15
BC14〜15
創立50周 年記念 会館 新営発掘調査 に伴 う矢板
打 ちのための掘削 01 12 3 0 75 明治層 まで掘削
立 会 津島南 BE03 04 学 プール濾過機補修工事 に伴 う掘削 01127 04〜06 既設工事内 立 会 津 島南 BB BC14 事 本部棟樹 木移植 011214〜
1227,021 8 09〜16 12ケ所 掘 削 、 う ち lヶ 所 でGL‑14mで 灰 色粘 質土層 (古代)を確認
31 立 会 津 島 南 事 本部棟車庫 移設工事 に伴 う旧変電室基礎 解体
工事 011217 085〜15 12ヶ所掘 削。造成 上厚045〜 075m。 造 成 上
以下4層を確認。 中世層 まで掘 削 立 会 津 島 南 BB14 事 本部棟 車庫 移設 コ ンク リー ト柱撤 去工事 011217 09 既設工事 内
立 会 津 島北 AヽV01 02 環 環境理工学 部外灯設置工事 02 1 23 12 3ヶ所 、 うち 1ケ 所 で明治層確 認 立 会 津 鳥南 BB16 事 本部棟新営 電気設備工事 02 1 29 0,95 大 半が既 設工事 内、一 部 でGL‑065mで明
治層 GL‑075mで 近世層黄褐 色土 を確 認
立 会 津 高 薗辰
農学部津高牧場 浄化槽改修工事 02 2 5 地山層 、遺構 遺物 とも確認 されず
立 会 津 島 北 文 法
総合研究棟 周辺環境 整備工事樹 木移植 02 3 8, 3 14,
04〜1̲1 造 成 土 中
立 会 鹿 日
BR―CA43 CA43〜55‐
CA44〜
Ct45 BR〜
CA55
医 総 合教育研 究棟埋蔵文化財発掘調査 に伴 う機
械 設置工事 023 8〜4 1 1 65 中世層 まで掘削 、中世 の上器が 多 く出土 した 地点 あ り
立 会 津 島北 AZ〜BA14〜
15
難 経
総合研 究棟 周辺環境 整備工事配管 023 14 045〜10 造成 土 中立 会 津 島北 AZ14
難 経
総 合研 究棟 周辺環境 整備工事石碑移設 02 3 14〜3 造成上 中立 会 鹿 日
C015〜27 CO〜CQ27 CO〜CP14
CQ15
医 病 基幹整備屋外排 水工事 023 19〜327 12 大半 が造成上 中、一部 で造成 上 直 下 のCL―
12mで灰黄色砂 質土 を確認 立 会 津 島北 AY03 教 教育学部 ボ イラー等撤去工事 02 3 20 07 造成上 中
立 会 津 鳥北 AZ12 理 理学部校 舎改修電気設備工事 02 3 27 近 世 層 確 認
48 46 44 42 40 38
第1章
津鳥岡大遺跡の調査研究
34 32 30 28 26 24 22 20 18 16 14 12 10 08 06 04 02 00 98
AC AE AG
AI
AK AM AO AQ AS AU AW AY BA BC BE BG
BI
BK BM BO
図
5
津 島地 区全体図 (縮尺 1/20000)N Л4 ri く
ト ー
■ T
‑7‑
津島岡大遺跡の調査研究 00
国国国国
│グラウン ド
/獅 識 0〜
)■
.
立会調 査※数字 は表1に対応 す る
図
6
今年度の調査地点(1)津
島地区 (縮尺1/4000)凡
例
凡
例
■■■■●
立会調査
※数字 は表 1に 対応す る
第1章
津島岡大遺跡の調査研究
0 1∞ m
図
7
今年度の調査地点(2)鹿
田地区 (縮尺1/2500)‑11‑
第2章
鹿田遺跡の調査研究
第 2章 鹿 田遺跡の調査研究
近 世 の櫛 につ いて
│よ
じめに
鹿田遺跡第12次調査 において、近世の土坑内か ら漆塗 りの櫛が出上 した。今回、漆・樹種等について、元興寺 文化財研究所 による分析の結果 を得 ることがで きたので、その報告 をかねて、この櫛について若千の検討を行い たい。
a.櫛
につ いて現存する櫛の大 きさは、幅11.3cm、 長 さ2.7cm、 厚 さ0.6cmである。歯は根元付近 しか残存 していないが、合 計で86本確認することがで きる。表面は漆塗 りで両面に文様 と文字がみ られる。表裏 とも基本的な文様構成は同 じで、菊 と思われる花模様 と、円を2つ連ねた文様がみられる。ただ し、円を2つ連ねた文様の中に、
A面
では 金線で十字 と格子状の文様が描かれているのに対 して、B面
にはススキのような文様が描かれている。また、花 模様の下半は鮮明な赤色 を帯 びてお り、円を2つ連ねた文様の内狽Jもうっす らと赤みを帯びている。元興寺文化財研究所の分析 によると、漆塗 りの構造は、炭粉下地の上 に約40μ
m以
下の褐色系の透明な漆層 を 塗 り、黒色の地塗 りを行っている。漆の質はあまり良いものではないということである。花模様の部分では黒い 地塗 りの上 に石黄で花模様 を描 き、10μm以
下の朱漆 を花模様の下方 に塗っている。 また、円を2つ連ねた文様 部分 については、黒い地塗 りの上に10μm以
下の薄いベ ンガラ漆 を塗 り、その上か ら金蒔絵が行われている。円を2つ連ねた文様の中には、金線で文字が記 されてお り、岡山大学文学部倉地勝直氏から「よし乃 (A面は 能)く ゑ」 と書かれているとい う指摘 を得た。「よしの くえ」の意味については、確かなことは不明であるが、
量産品の商品名のようなものではないか ということである。
なお、櫛 に使用 されている木材 については分析 によって「イスノキ」であることが判明 した。イスノキは広葉 樹林散孔材で、櫛の材料 として一般的に用いられるものである。漆の質があまり良いものでないことと合わせて 考 える と、 この櫛が量産品である可能性 を示唆 して
い よう。
b.出
土 状 況櫛 は鹿 田遺 跡 第12次 調査 の
B地
点 か ら出土 した (図9)。 共伴す る土器が ないため詳細 な時期 決定 は困難であるが、近世 に属す る と思 われる土坑内か ら出土 した。 この土坑 の周辺 では他 に多数の土坑が 検 出 されてお り、合計20基 みつかっている。一方 、 この土坑群 の南側 のA地
点 に は水 田が広 が ってお り、一部で畦畔 も検 出 した。北狽1について も鹿 田第9次
調査 において南狽1と同様 に水 田の広が りを確認 してお り、 この一帝 に広範 な水 田域が広が っていた と思 われる。櫛 が 出土 した土坑 は、長 さ1.5m、 幅
0.9mの
整美熙 隠 日 即
0 5cm
図
8
鹿 田遺跡 第12次調査 出土 の櫛 (縮尺2/3)‑13‑
写真
1
櫛の出土状況か な り様相が異 なる。埋上の状況 も考慮すれば、
な長方形 を呈 し、南東 にある土坑 を切 ってつ くられている。土 坑 の深 さは0。
65mで
底 部 は平坦 で あ り、櫛 はそ の底 面 か ら出 土 した。 また、ほぼ同 じレベルにおいて炭層 が広が つていた。周 辺 の土坑 の うち、櫛 出土土坑 に切 られ て い る土 坑 につ い て は、比較 的整美 な長方形 を呈 し底面付 近 に炭層 がみ られ るな ど、櫛が出土 した土坑 と共通点 を もち、同 じ性格 の ものである と考 え られる。 これ らの土坑 は櫛 の出土や、規模 、形 の整美 さ な どか ら土坑墓の可能性が高い と思 われ る。
一方、残 る他 の土坑 についてはいずれ も大型 で、長 さが
2m
以 上、深 さが
lm以
上 の もの も多 く、櫛 が 出土 した土坑 とは その多 くはゴ ミ穴の ような性格の ものではないか と思 われる。c。 ま とめ
以上 の ように、櫛 出土の土坑が墓である とす るな ら、それは特定の墓域ではな く、水 田域 の一角 にゴ ミ穴 と思 われ る よ うな土坑 とともにつ くられてい る とい う、やや特異 な埋葬状況 を復元す るこ とが で きる。当時 はすで に、墓石 をもった墓 を特定の墓域 に造営す ることがある程度普及 している と思われることか ら、 この ような状況 で埋葬 された人物 の社会的階層 は、決 して高 くなかったであろ う。
しか し、その ような人物の墓 に、た とえ漆 の質が良 くない として も金蒔絵 や朱・ベ ンガラ漆で美 しく描 かれた 文様 を もつ櫛が冨J葬されている とい うことは、当時、その ような櫛がそれだけ広範 に流通 し、社会的階層 の低 い 人 々 まで普及 していたことを示 している と思 われ る。「 よ しの くえ」 とい う文字が量 産品の商 品名の可能性 があ る とい うことも、その ことを裏付 けているであろ う。
当時の鹿田遺跡 は、城下町か らほ ど近い農村部 に位置す る。鹿 田遺跡第12次 調査 の櫛 はその ような地域 におけ る、埋葬形態や物資流通の状況を知ることので きる貴重な資料であるといえよう。 (高田)
32 31
1 1
(C地点〉
CD
図
9
鹿田遺跡第12次調査近世の遺構全体図 (縮尺1/600)
︻占
4 2
︲ 側 尋 4 3
︲ ド 低
年
︑ 側
34 1 35
︲
︲ 36
︲ 37
︲ 38
︲
CN 一
CQ 一 CR
一 CS 一 CT
一 CU
一 CV
一
櫛出土土壊
││
□ □ □ □
□ □ □ □
‑14‑
第2章
鹿田遺跡の調査研究
1
漆塗 り櫛 (A面) 文字部分4 A面
文字部分拡大 (3)3 A面
文字部分拡大 (2)5
漆塗 り櫛 (B面)6 B面
文字部分拡大 (1)7 B面
文字部分拡大 (2)8 B面
文字部分拡大 (3)写真
2
文字の残存状況‑15‑
(1〜10)
第 1節 1.調 査資料の整理・分析
調査資料の整理・研究
│よ じめに
2001年度 に行 った整理・研究・分析 (表
2)は
内容、時代 とも多岐にわたってお り、整理途上において様々な 問題点が浮 き彫 りとなった。特 に、津島岡大遺跡では数少ない弥生時代後期前葉・古墳時代初頭の土器の分析か ら、同時期の土器様相や搬入土器の存在、分銅形土製品を含む土器類の廃棄形態の問題 な どが注 目された。ま た、弥生時代前期水田遺構からは耕作形態に対する疑間を見いだ し、縄文時代後期の石包丁状石器の分析 もあわ せて、縄文時代 と弥生時代前期の稲作の問題 にも研究が及んだ。こうした成果は、2002年度 に刊行する報告書の 考察に反映 され、問題点の分析・指摘 などが各報告書担当者によってなされている。 ここでは、それらを繰 り返 すことは避け、遺跡の景観や生業の復元 を目指す上で、本センターが積極的に取 り組んでいる自然科学的分析研 究 (植物珪酸体分析・花粉分析・樹種同定 。年代測定 ・種子同定など)の
一部 をあげた。縄文時代後期あるいは 突帯文の段階に利用 された貯蔵穴か ら出土 した種子の選別 と縄文時代後期の河道に打 ち込 まれた杭群の洗浄に関 わる研究成果 を述べる。a.縄
文 時代 の種 子津島岡大遺跡第15次調査C)では、微高地上に炉などの集落関連遺構がひろが り、その縁辺 を流れる河道の岸辺 に29基の貯蔵穴が構築 されている。貯蔵穴は、縄文時代後期 と突帝文段階の
2段
階の ものが確認 され、多 くの堅 果類が貯蔵 された状態で調査 された。本セ ンターでは、貯蔵穴内の土壌 を採集 し、水洗 した後、堅果類についてはアルコール漬けにし、小形の種子 に関 しては乾燥後選別 を行っている。
出土種子の量は膨大であ り、現在 もその種類は同定途上にあるため、十分な分析 は行えないが、い くつかの注 目点を指摘 してお く。1点目は出土状態である。堅果類が貯蔵 された状態の貯蔵穴か らは、小形種子 も多 く出土 する傾向が認められる。量的に多いだけでな く種類 も豊富である。一方、埋上の状況か ら貯蔵穴内が開放状態で あったと考えられる場合は、種子の出土量は極めて少量 となる傾向が見 られる。また、確実に流入土であると判
第 3章 調査資料の整理 ・研究 と展示 ・公開
写真
4
津 島岡大遺跡 出土種子 (上 :エ ゴノキ下 :ヤ マ ゴボ ウ)
写真
3
種子の選別作業‑16‑
第3章
調査資料の整理・研究と展示・公開
断 され る土層 に関 して も同様 の傾 向を見 ることがで きる。 これは、貯蔵穴が利用 されている状況下 において、堅 果類以外 の植物 が故意 に入れ られた可能性 を示す デー タと捉 え られる。
2点
目はその種類 に関 してである。今 回 の分析か ら、 これ まで に津 島岡大遺跡で見つか つていたエ ゴノキ・ カジノキ 。ノブ ドウ・ナワシロイチ ゴ・ヤマゴボウ・ニヮトコなどの他に―ハョベ類などの植物が新たに検出された。また、利用可能な植物が多いことも改
めて確認することがで きた。遺構・遺物 に関する他の縄文遺跡 との比較に、こうした資料の分析 も加えて、貯蔵 穴の利用形態 。自然環境の復元・縄文時代の植物食などの問題に取 り組む必要があろう。
今後、種子 にとどまらず、遺跡の残 される植物遺体 に関 して、多 くの情報 を含んだ良好な資料 として分析 を進 めてい きたい。
(山
本)b.縄
支 時代 の杭 につ い て津島岡大遺跡第23次調査では、縄文時代後期段階にあたる河道の縁辺など に打ちこまれた杭群 を検出 している②。今年度はそれ ら杭群の資料 を含めた 第23次調査 出土遺物 を洗浄 した。詳細な内容 については本報告に譲 るが、現 段階における若千の所見 を述べる。
写真5は、その縄文後期段階の河道か ら出土 した杭である。残存する長 さ
68。2cm、 直径3.2cmの資料で、先端が長 さ24.3cmに わたって焼け焦げてい る様子がはつきりと見て とれる。縄文時代後期段階の杭 は約180本検出 して いるが、2001年度の概要で も述べ られているように、そのほとんどに焼かれ た痕跡が確認で きる。また、ここで注意 されるのは、先端の加工痕が明瞭で ない点である。この河道のさらに上層 に存在 した弥生時代前期の堰 に使用さ れていた杭 にはかな り明瞭な加工痕が密に見 られたことと比較すると、非常 に対照的である。
なお、この縄文後期段階の杭群のうちの1本の放射性炭素年代測定 をい古 環境研究所 に依頼 したところ、Boc。 1900年とい う数値が出された。これは
河道出土土器か ら考えられた縄文時代後期後半の時期 とおおむね合致 してい 写真
5
先端 を焼 いた痕跡る。以下に参考数値 を挙げる。 (忽那)
試料名
HC年
代(Z平ユBP)
yaC
補正Hc年代暦年代 (西暦)
(‰
) (年
BP)眸 触
浪 B
No l 3650±70 ‑30。6 3560±
70
交点 :cal BC1900 lσ :cal BC1970〜 17702 o i calBC2120〜 2090, 2050^‑1720 註
(1)岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター
(2)岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター
『岡山大学構内遺跡調査研究年報』13 pp■2‑20
『岡山大学構内遺跡調査研究年報』18 PP.8‑18
表2 2001年度室内作業一覧
1996至F 20014F
調 査 次 数 作業内容
津島岡大遺跡第23次調査 (文化科学系総合研究棟) 遺物 の洗浄 津島岡大遺跡第17次調査 (環境理工学部校舎 I期) 遺物 の接合 ・復元 津島岡大遺跡第21次調査 (工学部エ レベーター)
津島岡大遺跡第22次調査 (環境理工学部校舎 Ⅱ期)
津島岡大遺跡第15次調査 (サテライ トベ ンチ ャー ビジネスラボラ トリー) 種子選別
津島岡大遺跡第10次調査 (保健管理セ ンター) 遺物実波1・ 遺構の検討 津島岡大遺跡第12次調査 (附属図書館)
‑17‑
2.出 土 資 料 の保 存 処 理
│ま
じめに
今年度の保存処理作業 は、木製品について本セ ンターにおける
PEG処
理 と、外部委託処理をを行った。以下では、主要な遺物の処理前の状態 と、作業の概要 について述べる。
a.主
要 な遺物 の概要 と処 理 前 の状 態処理 を行ったものの うち、注 目される
2点
の遺物について概要 と処理前の状態 を述べ る。なお、遺物 についての記述 は現段階に置ける暫定的な ものであるた め、詳細については本報告 を参照 されたい。鹿田遺跡第7次調査出土猿形木製品 (写真
6)鎌
倉時代末〜室町時代の溝から 出土 した、高 さ9cm程
度の小形品である。背中を九めた姿で鳥帽子 をかぶ り、顔面 にあたる部分 と、やや突出させて表現 した臀部を赤色に塗彩することか ら、
猿回 しの猿 を表現 した もの と考えられる。
彩色の残存状態は良好で、鳥帽子、顔面、臀部、下端の 4ヶ 所 に認められる。
鳥帽子は上端部に赤色がわずかにみ られるが、それよ り下は幅5〜
7mmご
とに写真6
黒色 。赤色 を交互にバ ランスよく配 している。両側面 と、前面 。背面 も連続 して彩色 して お り、多方向か らの視点 を意識 していたことをうかがわせる。顔面は赤色で彩 り、目を幅
lmmほ
どの黒色線か らなる直径3mmの
不整円で2個表現する。円の内部 は塗彩 されて いなかったようである。臀部は、表面のみ残存 してお り、かな り褪色 しているが、長 さ4 mm、 幅2mmの
範囲で赤色が確認で きる。 また、下端部は幅7mmの
範囲で、全周 を黒 色で彩色 している。板 を削 りだ して製作 したとみ られるが、全体に細かな単位で加工痕が残 ってお り、側面 のみでな く幅の狭い前面 。背面 にも丁寧 な仕上げが施 され、幅
lcmに
も満たない顔面 を 立体的に削 りだ している点 も精緻 なつ くりの一端を示 している。表面の加工のほかは、腕 にあたる部分 を貫通する径4mmの
穴 と、底面 に穿たれた径3mmの
穴がみ られる。前者 は回転するような可動式の腕の存在が、後者は固定用のものだった可能性が考えられる。鹿田遺跡9次調査出土木簡 (図
10)鎌
倉時代後半〜近世の溝か ら出土 した、杭 に文字 を 墨書 している資料である。接合する身の2点と、接合 しない杭先1点か らな り、復元推定 長84cm、 径4cmを
測 る。杭下端か ら30cmの
部分 より上 を約3cmの
幅で平坦 に削 ってい る。削 りこみ方が粗 く、最後の文字 も狭い範囲に無理に押 し込んだような書 き方をしてい ることか ら、粗雑な印象 を受ける。資料 を実見 した岡山大学文学部久野修義教授 によると、文字の内容は、春夢童子の供養 を行いその功徳 をさらに衆生に及ぼ し悉皆成仏 を願 うものであ り、仏教的な供養碑 と考え られ、書体か ら室町時代後半の もの とみ られるという (山本 ・久野2000)。
杭は中世の井戸の掘方内か ら出土 しているが、その井戸 を破壊 したのちにつ くられた幅
6mほ
どの溝 に伴 うもの と考えられる。杭 はその溝の縁にあたる部分に位置 し、溝から北 東側には居住域が広がることか ら、集落の角を意識 して立てられた可能性が指摘 されてい 図10る (山本・久野前掲)。
処理前の猿形木製品
一
衆 生 皆 共 成 仏 道 夫 意 趣 者 為 香 夢 童 子 第 四 十
⁝ 施 主 脇
髭珍〃
鹿田遺跡 9次 調査 出土木簡 (縮尺
1/8)
‑18‑
b.今
年 度 の保 存処理作 業PEG保
存処理昨年度 に引 きつづ き、第5期の保存処理 を継続中 である (表3)°)① 第5期の保存処理では、津島岡大
3次
(男子学生 寮新 営)・9次
(生体機 能応用 工 学 科棟)・ 10次 (保健 管 理 セ ン ター)。 12次 (附属図書館)。 13次 (福利厚生施設北棟)調
査の出土 木器 を投入 している。主な遺物は、古代の杭・古墳時代の井戸枠など である。外部への委託処理
鹿田遺跡第
9次
〜12次調査 で出土 した文字・漆・彩色の残存状況が良好で
PEC含
浸以外の保存処理方法が適当 と第3章
調査資料の整理・研究 と展示・公開
表
3
第 5期 木器保存処理工程 2001年 1月24日 30%で開始4月 1日 30%で前年度 より継続 4月 9日 450/O^ヽ
5月25日 5596いヽ
8月16日 650/oハヽ 12月 11日 750/Oハヽ 2002年 1月 8日 8596ハヽ 2月 9日 900/Oヘ
3月31日 90%で次年度へ継続
(忽那) 考えられた資料について、2001年 8月 8日 に財団法人元興寺文化財研究所に保存処理 を依頼 した (表4)。
表4 2001年度に外部に保存処理 を委託 した遺物一覧 くアルコール・キシレン樹脂法による保存処理 〉
遺 物 調査次数 種 類 大 きさ (mm) 出土遺構 時 期 状
態
木簡 鹿田 9次 板 状 143×58×
6mm
池状遺構 平安時代末 文字残存 木簡 鹿田 9次 杭 状 840× 40×35mm
溝 室町時代後半 文字残存木簡 鹿田■次 板 状 425× 65×
7mm
溝 室町時代 文字残存猿形木製品 鹿 田7次 製 品 92× 26×14mm 溝 鎌倉末〜室町時代 彩 色
く凍結乾燥法による保存処理 〉
遺 物 調査次数 種類 大 きさ (mm) 出土遺構 時 期 状 態
漆塗 り椀 鹿 田9次 椀 150× 70×50mm 土 坑 中 世 彩 色
漆塗 り櫛 鹿田12次 櫛 110×
30mm
土 坑 近 世 彩 色 引用・参考文献小林青樹 F岡山大学構内遺跡調査研究年報』16 pp.19‑23 2000年 喜田
敏 (編)『岡山大学埋蔵文化財調査研究センター報』第23号 2000年
山本悦世
久野修義「岡山・鹿田遺跡」『木簡研究』第22号 pp.203‑205 2000年
木街研究会
註
(1)既往の本セ ンターにおけるPEG含浸 による保存処理 と対象遺物の調査次数は、以下の通 りである。
表5 2000年度以前の木器処理工程
処理時期 期 間 処 理 次 数
第1期 1992年 7月〜1993年11月 鹿田遺跡 1次 (附属病院外来診療棟)・ 2次 (NMR―CT室)
第 2期
1994年 6月〜1996年8月
鹿田遺跡 3次 (医学部短期大学校舎本体)・ 4次 (医学部短期大学校舎周辺配管)
5次 (医学部管理棟)。 津島岡大 3次 (男子学生寮)・ 6次 (■物応用工学科棟)
5次 (大学院自然科学研究科棟)
第3期 1996年12月〜1999年6月 鹿田遺跡3次 (医学部短期大学南共同溝)・ 津島岡大3次・ 6次 第 4期 1999年 7月〜2000年10月 鹿田遺跡3次 。4次、津島岡大 3次
‑19‑
出土資料の科学分析
(1)津
島 岡 大 遺 跡 第19次
調 査 の 河 道 内 堆 積 物 の 粒 度 組 成 分 析│よ じめ に
1998年に発掘調査 を行つた津島岡大遺跡第19次調査地点では、調査区を東西に貫流する弥生時代前期 〜中期の 河道 を検出 した。河道の上半部は粗い砂粒の堆積物が厚 く堆積 し、下半部では粘質土層 と粗砂層が互層状に堆積 していた。また、河道の土層観察用断面土手の最上層で弥生時代中期中葉の甕、最深部で弥生時代前期新段階の 壺口縁部 を採集 し、河道が埋没するまでの時間幅を押 さえることがで きた。
a.分
析 に い た る経 緯 と問題意識河道の堆積物は発掘調査時に肉眼で観察 し、土質、土色、含有物、砂粒の大 きさなどの基準で分層 した。その 際、砂質あるいは非常 に粗い砂層が上半部に分厚 く堆積 し、河道 を埋没 させていることが観察 された。 このよう な堆積状況が看取 された場合、経験的に決水による堆積 と判断することが多い。 しか し、経験的に洪水砂 と判断 してきたものが鉱物学的にどのようなものなのか、砂粒の粒径の比率 を調べることで他の堆積環境の堆積物 と分 離が可能なのか とい う疑間が生 じた。洪水は人間の生活に多大な影響 を与える災害である。発掘 による調査・記 録は、その当時の人間活動の痕跡から歴史を復原するための資料 となる。洪水のような災害が起 こっているなら ば、それを経験的にではな く、客観的な方法で検証で きないであろうか、との問題意識 を持つ にいたった。ま た、河道の埋没が洪水 によるものなら、岡山平野において高い流動性 を示す集落の移動を説明する要因の一つに なることも予想 された。そこで今回河道の堆積物の粒度組成分析 を行い、河道が埋没 した要因を堆積物 自体か ら 探ろうと試みたのである。分析の方法 として粒度分析 を行 うこととしたのは、砂粒の粒度がその運搬・沈積の過 程 を反映 しているためであ り、粒度分布の解析 によって堆積過程 を解明 し、堆積環境 を復原するための情報 を得 ることがで きると考えたか らである。
b.分
析 の方 法分析は発掘調査時に肉限で観察 した分層に基づ き、特徴的な堆積状況を示す堆積単位 と、比較資料 として河道 と異なる地点において採取 した土壊サ ンプルを用いた。分析はピペ ット法で行い、砂サイズの部分は舗い分けに よって、泥サ イズの部分は沈降法によって分離 した。資料の分析は協同組合岡山県土壌試験セ ンターで行い、岡
え汰
/【
F) 6尉\
′lC1/ lCSI {SG}ヽISド S
中分類用三角座標
分 (%)
特 記 事 項 1)主に観察 と塑性図で判別分類
図11 三角座標による各資料の分類
(b)爆
井 義 瑠 全倉握裁よ び 細 粒 上の
‑20‑
︵誤
︶ 科 煮 M 刺 M 瑠 瑕
第3章
調査資料の整理・研究 と展示・公開
図12 通過質量百分率と粒度との関係を示した積算曲線 山大学大学院自然科学研究科鈴木茂之助教授 に分析 した資料の評価 を依頼 した。
c.分
析 結 果分析の結果、砂粒の粒度 と通過質量百分率 との関係 を示 した積算 曲線が得 られ、これか ら各資料の中央粒径 値、洵汰度、歪度 を求めた。その結果、第19次調査の資料は洵汰や舗い分けをほとんど受けていない堆積物であ ることを示 した。 これは洪水等の突発的な流れによって もたらされた堆積物であると評価で きる。詳細は報告書 の記載 (岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター『津島岡大遺跡』12岡山大学構内遺跡発掘調査報告第17冊、2003 年
)を
参照いただきたい。d.旭
川流域 にお ける弥 生 時代 前期 〜 中期 の遺跡 にみ られ る河道 の状 況津島岡大遺跡は中国山地に源 を発 し、岡山平野 を南流 して瀬戸内海に注 ぎ込む旭川西岸に位置 している。そこ で岡山平野の旭川水系に属する該期の遺跡の状況 を整理 したところ、弥生時代前期 〜中期 にそれまで機能 してい た小河川の多 くが急速に埋没 していることが明 らかになった。 したがって、弥生時代前期 〜中期の期間に旭川流 域 において広範な範囲に及ぶ洪水が起 こったことが椎測 される。岡山平野における当該期の弥生時代集落の流動 性 を考察するうえで、このような自然災害や環境の変化が要因の一つになっていたことも考慮 されるところであ る。他地域の状況 を比較することにより、岡山平野の弥生時代集落の特質を抽出することも可能 となろう。
お わ りに
今回の分析は洪水の痕跡 を客観的なデータで示す方法 を模索 した基礎的な分析作業である。 このような作業 を 積み重ね、洪水等の災害の規模や広が りを捉 えることがで きれば、人間と災害 との関わ りを考察するうえで基礎 的な資料 を提供することとなろう。今後は分析資料数の増加や、比較対象 として異なる堆積環境の分析 を進め、
分析 の確度 を高め るこ とが必要である。
‑21‑
(野崎)
(2)津 島岡大遺跡第23次 調査 出土木材 の樹種 同定 について
は じめ に
本 セ ンターで は、津 島岡大遺跡・鹿 田遺跡 か ら頻繁 に出土する木製品及び植物遺存体 の調査 。研究及 び保存 に 設立以来取 り組 んで きた。なかで も、樹種 同定や種子選別・同定、花粉分析 など多岐 にわたる自然科学的分析 を もとに した植生復元研究 は、長年の資料の蓄積 とともに具体相が明 らか とな りつつあ り、大 きな成果 を上げてい る。今年度 は、その研究の一環 として、近年 さらに増加 している資料の効率的な整理 と、発掘現場 において迅速 に良好 な状態の樹種 同定 に使用す る資料 を得 る技術 の1多得 を目的 に、独立行政法人森林総合研究所 において能城 修一氏 の ご指導の もと、樹種 同定 に必要 な基本 的技術修得のための研修 を行 つた。 ここではその際 に試料 として 用 いた津 島岡大遺跡第23次 調査 出土の河道 内出土流木 について現在得 られている知見並 び に調査員が発掘現場 で プ レパ ラー トを作製す るために必要 な作業の内容 と、その利点 について述べ たい。
a.津
島 岡 大 遺 跡 第23次調 査 出 土 資 料 に つ い て今 回の試料 と して使用 した16点 の資料 は、津 島岡大遺跡第23次 調査 の縄文後期段 階の河道底か ら多数出土 した 流木の うちの一部である・)。 資料 の切片採取 ・ プ レパ ラー ト作 製 は筆者が行 い、同定 は能城氏 の実見 に よる。 な お、以下で述べ るデー タはあ くまで暫定的 な ものであ り、正式 な分析 は本報告 に代 える もの とす る。
表6を見 る と、16点 の資料の うち、約7割の11点 をアカガシ・アカガシ亜属6点、エ ノキ 。エ ノキ亜属5点が 占め、ム クノキ
3点
が約2割でそれに続 く。すで に報告 されている第3次
調査 。第5次
調査 の同時期 の河道 出土 自然木 と比較 してみる とり、エ ノキ属 がやや 日立つ点 は類似 しているが、 これ まで数%に
とどまってい るアカガ シ・ ア カガ シ亜属 の割合が高 い点が注 目 され る。第23次 調査 地点 は、第3次
。第5次
調 査 地 点 か ら800〜400m
離 れてい る こ とか ら、植生す る場所の違い も起 因 している と考 え られるが、河道内 に打 ちこまれていた杭群の存 在 もあ り、関連 が注 目される。
今 回の分析 で は、縄文時代後期 における植生の一端が新 たに明 らか となった。同時 に採取 している花粉分析 ・ 他 の木材の樹種 同定や種子の分析 もあわせ 、総合的な検討 を今後加 えてい く予定である。
b.出
土 資 料 の プ レパ ラ ー ト作 製まず出土資料 の残存状況が良好 な面 を選定 し、木口・板 目・柾 目の3面それぞれ につ い て片刃 カ ミソリの替刃 で透ける程度の薄 さで均等 に切 り剥 ぎ、水 を張 つたシヤー レに浸 しなが ら離 して入れてい く。何枚か採取 した も
表
6
津島岡大遺跡第23次調査出上の自然木の樹種 標本番号 樹種
名 製品名 ヽ ン﹂ヽ
くcmナ
サ
長 地 区 遺 構 時 代
OKUF‑619 ア カガ シ 自然木 第23次調査 1可道 縄文後期 OKUF‑620 エ ノキ 自然木 15.5 第23次調査 河 道 縄 文 後期 OKUF‑62】 ム クノキ属 自然木 第23次調査 1可道 縄文後期 OKUF‑622 ケヤキ 自然木 第23次 調査 河 道 縄 文 後期
OKUF‑623 アカガ シ (根?) 自然 木 第23次 調査 1可道 縄文後期 OKUF‑624 エ ノキ属 自然木 第23次調査 河 道 縄文後期 OKUF‑625 アカガ シエ属 自然木 第23次 調査 河 道 縄文後期 OKUF‑626 エ ノキ属 自然木 第23次調査 河 道 縄文後期 OKUF‑627 アカガ シ亜属 自然木 第23次 調査 河 道 縄 文後期
OKUF‑628 カ シ 自然木 11.5 第23次 調査 河 道 縄 文 後期
OKUF‑629 エ ノキ 自然木 第23次調査 1可道 縄文後期 OKUF‑630 エ ノキ 自然 本 7 第23次調査
'可
道 縄 文後期
OKUF‑631 ア カ ガ シ 亜 属 自然木 第23次調査 河 道 縄文後期 OKUF‑632 ア カガ シ亜属 自然木 12.5 第23次調査 河 道 縄 文後期
OKUF‑633 ム ク ノキ 自然 木 第23次 調査 河 道 縄 文後期
OKUF‑634 ム ク ノキ 自 然 木 第23次調査 1可道 縄文後期