冊
一
5 2第
生
回
報
査
調
掘
︲
発
﹂
跡
遺
内
構
学
大
山
岡
津島岡大遺跡
119
二 第310次調査 ■
〔
岡山大インキュベ
「
夕新営〕
: │
‐
2009ヽ
年
岡山大学埋蔵文化財調査研究センタ
=│
岡山大学構 内遺跡発掘調査報告
第
25冊
津島岡大遺跡
19
一 第
30次
調査 一
〔
岡山大インキュベータ新営〕
2009年
岡山大学埋蔵文化財調査研 究 セ ンター
条里制 は土地 を方眼 に区切 って管理す るシステムで、 中国を起源 として
7世
紀 ごろに 日本 に
伝 わ り、 くり返 し再編 を受 けなが ら今 日まで伝 わって きた とされてい ます。
そのように条里は今 も生 きているために、条里の区分線は生活に根 ざした道路や用水 とし
て活用 されていることが多 く、道路建設に伴 う発掘 などで もその部分 を避けて調査 しがちで、
条里の最 も重要な情報が得 に くい とい う問題があ ります。 しか し、津島キャンパスでは明治
時代 に陸軍によって大規模 な造成が行われてお り、敷地 を東西に貫 く座主川のほかは、条里
の地上での痕跡はあまり残 されていません。そのため、発掘調査の制約は少 な く、キャンパ
スの広い範囲にわたって比較的良好な条里の痕跡 を確認することがで きます。
今 回の岡山大インキュベータ新営工事 に伴 う調査では、幸い古代の条里にかかわる道路の
交点 となる
T字
状の遺構が確認 されました。 これを、キャンパス内の他地点の調査成果など
と比較 した結果、古代 と中世以降では条里の方向が若干異な り、地割 りの再編が行われてい
るということがわかってきました。再編の時期は
13な
い し
14世
紀 と推定 されていますが、 こ
れは「備中国賀陽郡服部郷図」が残 された総社市服部地区周辺の条里の再編 とも共通する時
期であ り、狭い地域 にとどまらない広範な動 きのひとつ として理解できる可能性が出てきま
した。
中世 というと争乱のイメージがあ りますが、大規模 な用水路の開発や、条里の再編 による
用水の体系の刷新 など、中世の領主層 による精力的な開発の姿 を、 こうした資料か ら読み取
ってい くことがで きるもの と思います。そうした方向をはじめ として本報告書 をご活用 くだ
さいます ようお願い します。
岡山大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター
センター長
(理事
)
北
尾
善
信
副 セ ンター長
(大学 院社会文化科学研 究科 教授
)勅
i
糸内
泉
次
第 1章
地理的・歴史的環境 ………
……
…
……
………
…
……
……
…………
……
… 他田 晋
)1
第1節
近 隣の遺跡 …¨………"………"………¨………¨…1 第2節
津 島岡大遺跡 ………¨…¨………¨…¨………31.構
内座標 の設定 ………¨……… 32.遺
跡 の概 要 ………¨…………¨………¨………¨………3第
2章
調査 の経過 と概 要 ……
∵…
……
……
………
……
………
………
…………
……
……
…………
…
……
…
・
7 第1節
調査 にいたる経過 ………¨………(野崎貴博) 7
第2節
調査体制 ………¨……¨……… 7 第3節
調査 の経過 ………¨………¨…¨………¨………■………¨…8 第4節
調査 の概 要 …¨………1・………"……¨………(池田) 9
第
3章
調査の記録 …
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 第1節
調査地点の位置 と区割 り ………¨………"………¨………(池田)12
1.調
査地点の位置 …¨………¨…¨………¨…122.調
査地点の区割 り …¨│………1・………‐¨………"…………… 12 第2節
層序 と地形 ………""……¨……¨………¨…¨……… 121.層
序 ………¨………""…"………¨…………¨……… …122.地
形 の推移 ………¨………¨………16 第3節
縄 文時代∼弥生時代前期 の遺構 。遺物 ………¨………17a.焼
土 ・炭化物集 中部 ………"………¨………17b.土
坑 “………“………¨…¨………¨………"………¨…… 18c.ピ
ッ ト ………■¨¨………¨…¨………¨……… 22d.包
含層 出土遺物 ………"……… 22 第4節
弥生時代 ∼古墳 時代 の遺構 。遺物 ………¨………¨……¨………¨……… 27a.溝
………・27b.ビ
ッ ト"………¨………"・ 第5節
古代 の遺構 ・遺物 ………¨……… ¨・¨・¨・¨¨・・・・32 ¨・・¨“¨"¨¨¨・¨¨¨・33a.道
路状遺構 ……… ……… …¨……… ……… ……… 34b.ピ
ッ ト :36c.耕
作痕 ……… …・・………・…・……・…・…・…・…・………・・・・……・・…………・…・…・…¨……・・…・・…・……・……。36目
d.包
含層 出土遺物 …¨…1・"…………¨……¨………"………… 37 第6節
中世 の遺構・遺物 …¨………¨……… 40a.耕
作痕 …………¨………¨………¨……… 40b.包
含層 出土遺物 ………"………¨………"………¨……… 40 第7節
1. 近世 の遺構 。遺物 ………¨……… (野崎)42
近世下層 ….………¨¨… …・…………・…・…・…・………・………・42 a. ILtt………
42c.耕
作 痕 ………¨………¨……… 452.近
世 上 層 ………¨…¨………¨…………¨………¨…………¨……… 45a.土
坑 ………b.溝
……… ・・・・……・…・…………:・.……….…¨…・……・…・…・…・…・…………・45 …・…・…………・………・…・…・…・…・………・…・50c.畦
畔・段 ………¨…… 54d.耕
作痕 ………¨……… ………… …… …… ……¨…… ……… ……… 54e.包
含層 出土遺物 ………"…¨………"……¨……… 54第
4章
自然科学的分析 ……
…
第1章 地理 的・歴史的環境 図1
周辺遺跡分布 図 ………挿 図 目 次
・・・・・・・2 図16 図17 図18 図19 優]20 図21 図22 図23 図24 図25 D]26 D]27 図28 D]29 図30 図31 D]32 図33 図34 図351.放
射性炭素年代測定 ………"………"……¨…¨…(的古環境研 究所)2.珪
藻分析 ………¨… ……… ………… ………"……… …(ω古環境研 究所)3.植
物珪酸体分析 …¨……… ……… ………… ……… … ……"……… ……… …(宇田津徹朗)第
5章
考
察
津 島岡大遺跡 にお ける古代か ら近代 の条里遺構 ………¨………"………(池田)63
第
6章
結
語 ……
………
……
……
………
……
……
……
…………
………
………
(池田
)73
図2
津島岡大遺跡構 内座標 と各調査地点 ………4 第2章 図 3 図4 検 出遺構全体 図 ……… …・・10 第3章 調査 の記録 図5
発掘調査 地点 ……… 12 図6
調査 区の区割 りと断面位 置 ………∵………12 図7
調査 区断面 図1………¨………¨………13 図8
調査 区断面 図2…
…¨………14 図9
縄 文時代後期 の地形 ………¨……… 16 図10
縄 文∼弥生時代 前期全 景 ………17 図11
縄 文時代 ∼弥生 時代前期検 出遺構全体 図 ………17 図12
焼 土 ・炭化物 集 中部1
………"18 図13
土坑1…
……… 18 図14
土坑4…
……… 19 図15
土坑5。 出土遺物 ………¨………¨…19 調査の経過 と概要 古代の道路状遺構の調査風景 ………¨………"… 8 土坑6…
………¨…………"………¨… 土坑7…
……… 土坑2・ 出土遺物 ………¨……… 土坑3…
………¨………¨¨… 土坑8…
………¨"… ピット14……"………¨…………¨…"¨…"……… (11層〉。(12層〉出土遺物 :土器1…
……… (11層)。 (12層〉出土遺物 :土器2…
……… (11層)。 (12層〉出土遺物 :石器1…
……… (11層)。 (12層〉出土遺物 :石器2…
……… 弥生時代∼古墳時代検 出遺構全体図 ………¨… 溝 1∼5全景 ……… 溝1・ 2・5…
¨¨¨…… ¨¨……¨¨¨… … """………・ 溝2∼5…
・ 溝2。 3・5…
"¨¨…""…¨…¨"…… … ¨………¨………¨・ 溝2・ 5出土遺物 ………"… 溝6…
……… ………¨… 古代検 出遺構全体 図 ……… 古代金景 ……… 道路状遺構 (溝7∼10)・ 溝9出土遺物 …………¨¨… 20 20 21 21 22 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 34 35図36 図37 D]38 図39 図40 図41 図42 図43 図44 図45 図46 図47 図48 図49 図50 図51 図52 図53 図54 ピッ ト26… ………36 (8層
)∼
(10層〉出土遺物 :土器 ………37 (8層 〉∼ (10層〉出土遺物:石器l…………38 (8層)∼
(10層〉出土遺物 :石 器2・ 鉄器 ………39 中世全景 ………40 中世検出遺構全体図 ………¨…40 (4層〉∼ (7層)出
土遺物 ………41 近世下層検出遺構全体図 ………¨…42 近世下層全景 … ・………・43 土坑9…
………43 L力t10-13… …・………・………・…・…・・…・・…・・…・・¨・…・…"・・・・…・・…・・…・………・ 44 土坑14。 15・ 出土遺物 ………44 溝11∼17………¨…45 近世上層検 出遺構全体 図 ………・46 近世土坑の分類 ………46 近世土坑A類と溝18・水 門 1の 位置関係 ………47 土坑25・ 26出土遺物 ………"… 47 近世土坑A類 (土坑23∼26)。 C類 (土坑27・ 28)¨…48 近世土坑B類 (土坑16∼22) …・ 49 図55
溝18完掘状 況 ………¨ …・・・・ 50 図56 図58
水 門2…
………52 図59
水 門2部材 ……… 53 図60
溝19∼26。 畦畔1・段1…
………¨……54 図61 (3層
〉出土遺物 ………¨…54 第4章 自然科学的分析 図62
自然科学分析サ ンプル採取地点 ………55 図63
珪藻顕微鏡写真 ………57 図64
各採取地点 における試料の採取箇所 ………59 図65
プラン ト・オパール顕微鏡写真 ………60 図66
プラン ト。オパール検出状況 ………¨………¨¨・61 第5章 考 察 図67
古代 における条里遺構の分布 ………65 図68
中世∼近代 における条里遺構の分布 ………67 図69
津島岡大遺跡 における古代∼近代の条里地割 ………70 表5 Sl地
点のプラン ト 表6 S2地
点のプラン ト 表7 S3地
点のプラン ト 表8 S4地
点のプラン ト ・オパール定量分析結果 ………62 ・オパール定量分析結果 ………62 ・オパール定量分析結果 …¨…62 ・オパール定量分析結果 ………62図 版 目 次
図版 一 縄 文土器 ・弥生土器 。中世 陶磁器 図版 二 石器 ・鉄器表
目 次
表1
津 島岡大遺跡 文献一覧 …・・・・・・・・・・・・・6 表2 57 表4 El地
点のプラン ト・オパール定量分析結果 ………621
本書 は、岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンターが実施 した、岡山大イ ンキュベータ新営工事 に伴 う発掘調査の報告書である。 調査期間:2007年 8月 1日∼12月17日 調査面積 :10354ゴ 調査地点は、岡山市津島中1丁目1番 1号に所在する。2
発掘調査か ら報告書作成 までの諸作業 は、岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会の指導の もとに行 われた。委員 の諸氏 に御礼 申し上げる。3
本調査 については、その概要 を『岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要2007』 に報告 しているが、細部にわたる事実関 係 は本書 をもって正式の もの とする。4
調査時の遺構 ・遺物実測・写真撮影は野崎貴博・池田晋・光本順が担当 した。5
報告書作成作業の主な担 当は以下の通 りである。 <遺物>土器・木器・鉄器の実測・浄写・観察表 :池 田・岩崎志保、石器の実測・浄写・観察表 :池 田、遺物写真 :野 崎 <遺構>浄写 :岩 崎・井上佐智 <整理作業>井口三智子・片山純子・黒藪美代子6
本書の執筆分担 は、 日次に示 した通 りである。7
本書の編集は、新納泉 (副セ ンター長)・ 山本悦世 (調査研究室長)の指導の もと、池田晋が担当 した。8
本書の作成 にあたって、石器石材の同定 を鈴木茂之氏(岡山大学大学院自然科学研究科 (理学系))に依頼 した。植物珪酸体 分析 については宇田津徹朗氏 (宮崎大学農学部)にご協力頂 き、玉稿 を賜った。記 して感謝する。9
本書 に掲載 した調査の記録 。出土遺物等はすべて当セ ンターで保管 している。凡
例
1
本書で用いる高度地は海抜標高であ り、方位 は国土座標第V座標系 (世界測地系)の座標北である。2
遺構 。遺物の縮尺 は各図に付 している。基本的には、調査 区平面図を1/400、 遺構断面図を1/30に統一 している。土器 は 1/3、 小型石器 は2/3、 大型石器・石製品 。鉄器 は1/2で
ある。3
本文・挿図中において、基本層序の記載に際 しては層番号 に 〈〉 を付 して遺構埋土 と区別 した。4
挿図中において遺構種類 を以下の記号で示す。 土坑:SK、 溝i SD、 ビッ ト:P5
土器の遺物番号 は、原則 として遺構別に付 し、その他石器等には通 し番号 を付 した。石器・石製品にはS、 本製品にはW、 鉄器にはMを付 して区別 している。なお、写真図版の遺物番号 は、本文中の遺物番号に一致する。6
遺物の計測値 と観察所見 は観察表 を作成 し、実浪1図と組ふ合わせて掲載 した。観察表の表記基準は以下の通 りである。 ①観察表中の土器胎土の表記基準 は次の通 りである。 微砂 :径0.51nm未満、細砂 :径0.5∼l nlm未満、粗砂 :径 1∼2 mm未満、細礫 :径2 mm以上 ②色調は、欄 中に表記 している場合 は、内面・外面の順で示す。 ③遺物法量について、土器の口径・底径 は推定復元値 を ()を 付 して示す。石器 については、破損等 により本来の法量が失 われている資料の残存 の実測値 を()を付 して示す。7
挿図中において、須恵器の断面は黒塗 りで区別 した。8
挿図中では鉄分 をFe、 マ ンガンをMnと表記 している。9
本書で使用 した地形図は、国土交通省国土地理院発行の1/25,000地 形図「岡山北部」。「岡山南部」(平成6年発行)を合成 した ものである。近 隣の遺跡
第
1章
地理 的・歴史的環境
第
1節
近隣の遺跡
津 島岡大遺跡 は、 岡山市津 島中所在 の岡山大学津 島地 区構 内に位置す る遺跡 の総称 である。本遺跡 の所在す る 岡山市津 島一帯 は、 中国地方 で も最大 の平野である岡山平野の北半 を占め、主要河川の一つである旭川の西岸 に あた る。北側 には半 田山・ ダイ ミ山 。鳥 山 といった標 高150m前
後 の 山塊 が連 なってい る。 岡 山平野 は、旭 川 ・吉井川・高梁川の三大河川 の沖積作用 によ り形成 された もので、縄文時代 の前期 頃に海進 の ピー クを迎 える と、海岸線 は次第 に後退 し始 める。そ して河川 の堆積作用 と氾濫等の繰 り返 しによ り自然堤 防 と後背湿地 とが形成 され る。本遺跡周辺 で も旭川 旧河道や大小様 々な規模 の支流 と、それ らの間に形成 された 自 然堤 防状 の微 高地 とが複雑 に展 開す る地形 をな していた。 この ような平野の中に形成 された微 高地上 に集落が進 出 し始める。 岡山平野で人類 の痕跡 が認め られ るのは、今 の ところ縄文時代前期以 降の ことである。前期 に遡 る 遺跡 は、半 田山丘 陵の下端 に立地す る朝寝鼻貝塚 ①である。以後、 この平野 を舞台 に、人 々の歴史が現代 まで連 綿 と展 開 してい く。 ここでは、本報告 に関連す る時期 を中心 に周辺遺跡 の概要 を述べ ることとす る。 周辺 で は、縄 文時代 中期の遺物が百間川沢 田遺跡 ②で認 め られているが、全体 としては希薄 な状況 である。後 期 になる と遺跡数が増加 し、前 出の朝寝鼻貝塚 のほか、津 島岡大遺跡 で貯蔵穴・竪穴住居 ・炉跡 な どの遺構 や、 土器 ・石器等 の遺物が まとまって検 出 されている。縄文時代晩期∼弥生時代早期 にか けては津 島岡大遺跡第3・ 15次 調査地点で貯蔵穴が認め られるが、居住域 は確認 されていない。 この時期 の遺物 は津 島岡大遺跡 をは じめ、 旭川東岸 の百 間川遺跡群 で も認め られる。 縄 文時代 の終 わ りに北部九州 に稲作農耕が導入 され、列 島各地へ と拡散 してい く過程 で、瀬戸 内地域へ はか な り早 い段 階 に情報が もた らされた とみ られる。 しか し、現在 の ところ、農耕 の存在 を示す確実 な遺構 として縄文 時代晩期 にまで遡 る資料 はない。本遺跡周辺 にお ける出現期 の水 田遺構 は、弥生時代前期 の水 田畦畔である。そ れ らは弥生時代早期 か ら前期 にかけて形成 された とみ られ る黒褐色粘質土層上面 で検 出 されてお り、津 島江道遺 跡 ③、北 方 中溝遺跡 ・北方地蔵遺跡 ので確認 されてい る。 また、 国指定史跡 であ る津 島遺跡 ⑤では、弥生 時代前 期前半 に微 高地上で竪穴住居 ・掘立柱建物が、その周辺 では水 田遺構 が確認 されている。弥生時代前期か ら集落 の縁辺 において水 田経営が行 われていた状況が窺 えよう。 以 降 も平野部の拡大 は続 き、農耕技術 や水利技術 の進展 も相侯 って生産基盤が安定 した ことか ら、微高地上 に 集落が次 々 と出現、拡大 してい く。前 出の津 島遺跡 ⑥をは じめ、前期後半か ら出現す る南方遺跡 ⑦、 中期 か らは 絵 図遺跡 ③ 。上伊福遺跡 ⑨・鹿 田遺跡 。①、後期 には天瀬遺跡 。⇒といった、集落遺跡 の増加 がみ られる。 一方、岡山平野 の北側 の半 田山山塊 には、弥生時代 中期 か ら古墳時代後期 にかけて、有力 な首長系譜 をた どれ る弥生墳丘墓、前方後 円墳、前方後方墳が相次いで築かれる。す なわち、都 月坂2号
墳 丘墓 ⑫・1号
前方後方墳 ①・ 七つ坑古墳群141、 ダィ ミ山古墳、一本松古墳群 ⑮ 、 さらに麓部 にはお塚 (様)古
墳 αOが所在 してい る。 また、や や東 に離れた平野の中に神宮寺 山古墳 につが築かれている。これ らの墳墓 の造営 に関わった人 々 と、本遺跡周辺で 検 出 されてい る遺構群 とは密接 な関わ りを想定で きる。津 島遺跡 では弥生時代 中期 か ら古墳 時代初頭 にかけて も 集落域 として利用 されていた状況がわか ってお り、津 島岡大遺跡 では主 に耕作域 としての利用が窺 える水 田遺構 等が検 出 されてい る。 次いで古墳 時代後期 には、周辺 での造墓活動 はみ られな くなるが、津 島遺跡 では、遺跡 の推定範 囲の西端 で6 世紀初頭 の製鉄 関連の遺構 ・遺物が検 出 されてお り、注 目される。 また本遺跡 では第 6・7次
調査地点で水 田遺 構 、第10次調査地点で竪穴住居が検 出 されてお り、 当該期 の集落構造 を知 る手がか りが少 しずつではあるが増加一み
コ ♪
ノ‘〆
,く
・・
, ヽヽヽ、 ″ ヽ ヽ ・ ︱ ・ヽ│
ヽ ヽ 囃 V 0 1k ★ 本調査地点 ガン D 50km 1 津 島岡大遺 跡 (縄文 中期 ∼近 16 津 島福 居 遺跡 (古墳 ∼室 町) 36 北 方 中溝 遺 跡(弥生 ∼室 町) 55 湯 迫古墳 群 (古墳 前 期) 72 赤 田東遺跡 ・ 関遺跡 (弥生 ∼ 世) 17 お塚 (様)古墳 (古墳 中期) 37 北 方地蔵 遺 跡(弥生 ∼近世) 56 備 前 車塚 古墳 (古墳 前期) 室 町) 2 田益 田 中 (国立 岡 山病 院)遺 18 津 島東 遺跡 (縄文 ∼室 町) 38 北 方薮 ノ内遺跡(弥生 ∼近世) 57 唐 人塚 古墳 (古墳 後期) 73 関遺跡 (弥生) 跡 (縄文 ∼近世) 19 朝寝 鼻貝塚 (縄文前 ∼後期) 39 北 方上 沼遺 跡他(弥生 ∼近世) 58 賞 田廃 寺 (飛鳥 ∼室 町) 74 百 間川遺跡 群 (縄文 ∼近世) 3 白壁 奥 遺 跡(古墳 後 期 )(製 鉄 〉 20 -本松 古墳 (古墳 中期) 40 上伊福 遺跡 ・伊福 定 国前遺跡 59 備 前 国府 関連 遺跡 75 百 間川原尾 島遺跡 (縄文 中期 4 津 高住 宅 団地 内遺跡 群 (古墳 21 不動 堂古墳 (弥 生 ∼近世) 60 備 前 国庁 跡 (奈良∼平 安) 末∼近世) 他)〈 製鉄 遺跡 群 を含 む〉 22 妙見 山城跡 (戦国) 41 L伊 福 遺跡 (弥生 ・古墳) 61 備 前 国府推 定地 (南国民)遺 76 百 間川沢 田遺跡 (縄文 中期 ∼ 5 佐 良池 古墳 群 (古墳 後 期) 23 鎌 田遺 跡 (弥生他) 42 絵 図遺 跡 (弥生 ∼平 安) 跡 (弥生 ∼鎌倉) 近 世) 6 橘 鉢池 古墳 群 (古墳 後期) 24 津 島新 野遺 跡 (弥生) 43 南方 遺跡他 (弥生 ∼近世) 62 南古 市場 遺跡 (奈良 ∼平安) 77 百 間川兼基 遺跡(弥生 ∼室 町) 7 奥池古墳 群 (古墳 後期) 25 津 島江 道遺 跡 (縄文 ∼近世) 44 広 瀬遺 跡 (弥生) 63 北 口遺跡 78 百 間川今 谷 遺跡(弥生 ∼古墳) 8 ダイ ミ山古墳 (古墳 中期?) 26 北 方長 田遺 跡 (弥生 ∼近L) 45 上伊福 (立花)遺跡 (弥生 ∼ 64 ハ ガ (高島小)遺跡 (奈良∼ 79・83 操 山古墳 群 (古墳 後期) 9 津 島東3丁目第1地点(弥生・ 27 神宮 寺 山古墳 (古墳 前期) 室 町) 室 町) 80 妙禅 寺城 跡 (戦国) 古墳) 28 青 陵古墳 (占墳 前 期) 46・ 47 散布 地 65 中井 ・南 三反 田遺跡 古墳 群 81 操 山219号 遺跡 (1日石 器) 10 宿古墳 群 (古墳 前期 ・後期) 29 石井廃 寺 (奈良?∼室 町) 48 鹿 円 (県立 岡 山 病 院)遺跡 (弥 生∼ 室 町) 82 金蔵 山古墳 (古墳 中期) 11 片 山古墳 (古墳 前期) 30 津倉 古 墳 (古墳 前 期) (平 安 ・∼鎌 倉) 66 原尾 島遺 跡 (弥生 ∼室 町) 83 操 山古墳 群 (古墳 後期) 12 烏 山城 跡 (戦国) 31 妙林 寺 遺跡 (弥生) 49 鹿 田遺 跡 (弥生 ∼近 世) 67 赤 田西遺 跡 (弥生 ∼室 町) 84 網 浜廃 寺 (飛鳥∼平安) 13 七 つ坑墳 墓 ・古墳 群 (弥生 ∼ 32 上伊福 西遺 跡 ・尾針神社 南 遺 50 岡 山城 跡 (室町∼近 世) 68 幡 多廃 寺 (飛鳥 ∼平 安) 85 操 山109号 墳 (古墳 前期) 古墳) 跡 (弥生 ∼平 安) 51 天瀬 遺跡 (弥生 ∼近世) 69・ 70 雄 町遺 跡 (縄文 晩期 ∼平 86 網浜茶 自 山古墳 (古墳 前期) 14 都 月坂 墳 墓 ・古墳 群 (弥生 ∼ 33 津 島遺 跡 (弥生 ∼ 近世) 52 新 道遺 跡 (奈良∼近 世) 安) 87 操 山103号 墳 (古墳 前 期) 古墳) 34 北 方下 沼遺跡 (弥生 ∼室 町) 53 二 日市 遺跡 (弥生 ∼近D 71 乙多見 遺跡 (弥生) 88 湊茶 臼山古墳 (古墳 前期) 15 半 田 山城 (戦国) 35 北 方横 田遺 跡 (弥生 ∼室 町) 54 竜 ノロ山頂古墳 群(古墳 後期) 図1
周辺遺跡分布 図 (s=1/50,000。 1/2,500,000)近隣の遺跡 してい る。 この時期、岡山平野で遺跡 の活発 な動 向 をた どれるのは旭川 の東岸地域 で、百 間川遺跡群 α的。原尾 島 遺跡Q"・ 湯迫古墳群 ・操 山古墳群等が知 られてい る。 古代 においては、 岡山平野で も条里制が施行 されるが、実際 に発掘 された遺構例 は多 くはない。周辺では中溝 遺跡 。の。南方釜田遺跡ωDで 条里関連の遺構 の検出が認め られる。また、津 島江道遺跡Oのでは、古代 の建物が発見 され、御野郡衛 に関連す る施設 との想定が なされている。本遺跡 では第1・ 3・ 6・ 7・ 9。 12・ 22次 調査地点 にお いて、東西南北 の方位 に合致す る水 田畦畔や東西方向の大溝 が検 出 されている。一方、古代 か ら中世 にかけ てい くつかの荘 園の存在 が知 られてお り、鹿 田遺跡 ④ ・新道遺跡 ② 。大供本 町遺跡 の では建物群 ・井戸等 の遺構 の検 出か ら、摂 関家殿 下渡領 「鹿 田荘」の比定地 とされ る。 この時期 には岡山平野の南部で も開墾が一層進 んだ ことが窺 える。 中世 には耕地造成 によ り、 岡山平野北半ではそれ まで僅 かなが ら残 っていた微 高地が消 え、平野一面 に耕作地 が広 が った もの と推定 され る。本遺跡 で も水 田関連遺構 が検 出 されているほか、旭川西岸 の鹿 田遺跡 ・二 日市遺 跡 ωの、東岸 の百 間川遺跡群 ② 等が当該期 の集落遺跡 として知 られている。近世、特 に16世 紀以 降は、児 島湾 の干 拓が進 んで、平野南部 は急速 に拡大 した。水 田化 はさらに進み、そのなかで本遺跡周辺 にあたる御野郡一帯が 岡 山藩の穀倉地帯 となっていた ことが知 られている。 1907∼ 1908年 に御野郡御野村 ・伊 島村 に旧陸軍屯営用地が造成 された。旧陸軍 に よる造成 と、用地利用 の痕跡 は岡山大学津 島地 区構 内に も随所 に認 め られる。 さらに近年 の急速 な市街化 によって、かつての田園風景 は一変 し、現在 に至 っている。
第
2節
津 島岡大遺跡
1。 構 内 座 標 の 設 定 現在 、 岡山大学津 島地 区構 内では、世界測地系 による国土座標 第V座
標系 に基づ いて、構 内座標 を独 自に設定 してい る。 これは、国土座標系 の座標北 に軸 をあわせ た もので、本地区の地割が ほぼ東西 。南北方向に合致 して いる こと、 また岡山市街地 に残 ってい る条里 の地割が正方位 となっている状況 に対応 した ものである。 この原点か ら、一辺50mの
間隔で、東西 。南北方 向 に方形 の区割 りを行 った。座標軸 の名称 は原点 を基準 に、 東西線 に関 して は北 か ら南へAA∼
BGラ
イ ン、南北線 に関 しては東 か ら西へ00∼ 48ラ イ ンとす る。50m四
方 の それぞれのグ リッ ド名 については、東西 。南北方向の軸線 の名称 を組み合 わせ た北東 隅の交点の名称 を用 い る。したが って、原点 は
AA00と
な り、その他 の交点 について もAW04、 BA08、 な どと呼称す る。本 セ ンターで は従来 日本測地系座標 に合 わせ ていたが、
2002年
4月 1日に改正 された測量法の施行 に伴 い、 2003年 度以 降に作成す る報告書・概報 に使用す る国土座標 を世界測地系へ と変更 した。変更 に際 して、構 内座標 の原点 については、従来の構 内区割 りとの整合性 を可能 な限 り保つために、その座標値 のみ を世界測地系 に よる 数 値 へ 変 換 す る こ と と した。原 点 は こ れ ま で 日本 測 地 系 に よ る座 標 値(X=-144,500.0000m、Y=―
37,000.0000m)であ った もの を、新 た に世界測地系 に よる座標 (X=-144,156.4617m、Y=-37,246.7496m)と
した。2.遺
跡 の概 要 津 島岡大遺跡 は、岡山市津島中に所在する岡山大学津島地区にひろがる遺跡の総称である。2007年度までに発 掘調査 として第30次調査 までを終了 している (図 2)。 遺跡の範囲は、大学敷地の西北部にあたる一部地域 を除 き、構内のほぼ全域 にわたると推定 される。 旭川に近接する位置かつ半田山丘陵の裾部 という立地条件か ら、縄文時代 には数条の流路が入 り込んでお り、聾 諄 劃 彗 量 塾牽
ぶ
■
革 工 ___ 図2
津島岡大遺跡構 内座標 と各調査地点 低地部 と微 高地 で構成 され る起伏 のあ る地形が復 元 され る② 。また、周辺の植生などの環境 に関 して も分析が進 みつつ あるの 。 津 島岡大遺跡 において最 も古 い遺構 。遺物 は、第21次 調査 で確 認 された縄 文時代 中期前半 頃 に属 す る土坑 と土 器 であ る。 それ に続 く中期後半 で は、各地点 において遺物 の出土が確 認 されてい る (第 3・ 15次、17次 、19次、 27次 な ど)。 第17次調査 で は中期末 に比定 され る土坑2基
が検 出 されているが、大半の地点では遺構 の分布 は希 薄 である。 次 いで、後期前葉 か ら中葉 にか けて、遺構 ・遺物 の出土量 は大幅 に増加 し、集落構 造 を解 明す る資料 の蓄積 が 進 んでい る。本遺跡 の北東部 にあた る第3・ 15次調査地点か ら第17・ 22次 調査地点 を経 て第6・9次
調査 地点 に 至 る東西約300m程
度 の範 囲で は、微 高地部 に竪穴住居 ・大形土坑 ・ ピッ ト群 ・炉 ・焼土遺構 ・溝 、河道部 には貯 蔵穴群 が集 中す る。 出土遺物 も質量 とも他 の地点 とは際立 った状態 を示 してお り、本遺跡 にお ける居住域 の実態 を示 している。河道 を挟 んだ第5次
調査地点 では、貯蔵 穴群 とともに後期 中葉 の遺物 が確 認 されてい る。 この時 期以 降の後期後葉 か ら晩期前半 の資料 は遺跡 内で希 薄 な状況 であ る。一方、居住域周辺部 には炉跡 と考 え られ る 焼土 を伴 う遺構がみつかる地点が点在 してお り(第 7・ 11∼13・ 27・8a次
調査 など)、 居住域周辺 にも人間活動 がお よんでいたようである。 弥生時代早期か ら前期 には、「黒色土」 と呼称 している黒褐色の土壌化層が津島地区一帯に確認 される。早期の 突帯文土器は、「黒色土」中に含 まれてお り、標識資料 とされる第3・ 15次調査地点などの遺跡北東部だけでな く、第2・ 23次調査 。事務局本部棟立会調査地点 といった遺跡南東部にも分布がみ られる。「黒色土」の上面に は、小区画がなされた弥生時代前期の水田畦畔が残 されている場合が多 く、弥生時代開始期の農耕の実態を解明 するうえで も津島岡大遺跡一帯は重要な地域 といえる。 弥生時代前期末か ら中期初頭の時期には、それまで遺跡内で流路 を構成 していた河道や谷部の多 くが洪水 によ って埋没 し “の、微高地部の拡大が進行する (第 3・ 15・ 5。 19次調査 な ど)。 続 く中期の資料 は、第8・ 12次調津島岡大遺跡 査地点 な どで溝が報告 されてい る。 後期初頭 に入 る と、新 たな集落形成が確認 される。居住域 は、第10次調査地点周辺 に想定 され、後期初頭 には 遺物 を多量 に含 む土坑群が集 中 し、古墳 時代初頭では井戸がみつか っている。耕作 関連では、後期 か ら古墳時代 初頭 にかけて用水路が遺跡全域 で確認で きる (第 3・ 6・ 12・ 15。 19。 27次 調査 な ど)。 第12次 調査 では、整備 さ れた後期初頭 の大溝 か ら土器 。木器が多数 出土 している。水 田畦畔 は、第3・ 5。 15次 調査 で確認 され る。 こう した成果 は、弥生時代 において中核 的集落であ る津 島遺跡 の周縁 部の様相 を解明す るうえで重要である。 古墳 時代 で は、引 き続 き水 田経営が なされ るが、集落内では、後期 の鍛冶の存在 が明 らか になっている。第10 次調査地点 において、竪穴住居 の周 囲 に鍛冶 関連遺構 が検 出 され、鉄滓 。炉壁 な ども出土 しているほか、第19次 調査 地点で も鉄滓が確認 されてお り0)、 集落 内での手工業生産の一端 を窺 うことがで きる。 古代 には、条里関連の遺構 として、坪境 と推定 される東西方向の大溝が検出されている (第 1・ 3・ 6・ 7・ 9。 12・ 22次調査)。 そのほかに水 田畦畔が、第3・ 6・ 7・ 9。 12・ 15次調査地点 において確認 された。集落に 関 しては、第8・ 10次調査地点にその可能性が考えられる。 中世後半では、大規模 な土地造成がなされる。一定の規模 を有する土地造成は、遅 くとも古代段階には既に行 われていたことが土層の堆積状況か ら推定 されるが、中世層か らは、少量なが ら円筒埴輪片が幾つかの調査地点 か ら出土 してお り、当該期の造成が古墳 を破壊するほどの従来にない大規模なものであったことが窺 える。その 結果、広域 におよぶ地形の平坦化が大 きく進行 したようである。 また、それに際 して、条里関連の溝の形状変化 や位置のずれ (第12次調査
)あ
るいは集落の移動 (第10次調査)な
どが認め られる。そのほか、耕作関連遺構 に おいて も、比較的小規模 な区画を残す古代の畦畔が消失 し、面積が拡大 した田面に多数の鋤痕がみ られるように な り、耕作形態の大 きな変化 を垣間見 ることができる (第6・9次
調査 など)。 近世においても、耕作地 として利用 された痕跡 を随所でみることがで きる。規格の整った用水路が、東西方向 では古代の大溝 をほぼ踏襲する位置に確認 されている。同様の用水路は、第26次調査地点において も検出されて いる。これ らの用水路 にはしばしば水門が設けられてお り、当時の水利調整構造を窺い知ることができる。また、 こういった用水路の縁辺には土坑が設けられていることが多 く、その分布は耕作地の区割 りを推定する材料 となる。 近世のこのような耕作地を主 とする土地利用の状況は、1907∼ 1908年に日本陸軍が駐屯地の設営のために大規 模 な造成によって埋め立てるまで、近代 になっても基本的には継続 していたようである。 (『津島岡大遺跡18』 第1章
か ら転載、一部加筆・修正) 註 (1)富岡直人 1998『朝寝鼻貝塚発掘調査概報』加計学園埋蔵文化財調査室発掘調査報告書2 (2)二宮治夫 1985『百間川沢田遺跡2
百間川長谷遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告59 (3)日本考古学協会静岡大会実行委員会編 1988「津島江道遺跡」『日本における稲作農耕の起源 と展開―資料集―』 (4)岡田 博 1998 岡山県古代吉備文化財セ ンター 『北方下沼遺跡 北方横 田遺跡 北方中溝遺跡 北方地蔵遺跡』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告126 (5)津島遺跡調査団 1969『昭和44年度向山県津島遺跡調査概報』 岡山県教育委員会 1970『岡山県津島遺跡調査概報』 島崎 東 ほか 1999『津 島遺跡I』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告137 平井 勝 2000『津島遺跡2』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告151 島崎 東ほか 2003『津島遺跡4』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告173 岡本泰典 2004『津島遺跡5』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告181 島崎 東 ほか 2005『津島遺跡6』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告190 (6)註5および杉山一雄 1999『津島遺跡』 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告145(7)a
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津 島 岡 大 遺 跡 文 献 一 覧 記 号 調査次 文 献 発行 年 1 岡山大学津島北地区小橋法 目黒遺跡(AW14区 )の発掘調査(岡山大学構 内遺跡発掘調査報告第1集) 1985 b 岡山大学津島地区遺跡群の調査 Ⅱ(農学部構 内BH13区他) 1986 3 津島岡大遺跡3(岡山大学構 内遺跡発掘調査報告第5冊) 岡山大学構内遺跡調査研究年報4 1987 5 津島岡大遺跡4(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第7 ml) f 6・ 7 津島岡大遺跡6(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第9冊) 8 津島岡大遺跡5(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第8冊) 1995 h 9 津島岡大遺跡10(岡山大学構 内遺跡発掘調査報告第14冊) 1998 10・ 12 津島岡大遺跡H(岡
山大学構 内遺跡発掘調査報告第16冊) ] 津島岡大遺跡7(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第10冊) 1995 k 津島岡大遺跡8(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第12冊) 1 津島岡大遺跡9(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第13冊) 津島岡大遺跡14(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第19冊) 岡山大学構 内遺跡調査研究年報14 1997 17・22 津島岡大遺跡16(岡山大学構 内遺跡発掘調査報告第21冊) 岡山大学構 内遺跡調査研究年報16 19・ 21 津島岡大遺跡12(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第17冊) 岡山大学構 内遺跡調査研究年報16 23・ 24 津島岡大遺跡17(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第22冊) t 岡山大学構内遺跡調査研究年報18 津島岡大遺跡15(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第20冊) 津島岡大遺跡13(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第18冊) 津島岡大遺跡18(岡山大学構内遺跡発掘調査報告第24冊) 岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター紀要2002 本 書 2009調査 にいたる経過
第
2章
の経過 と概要
第
1
にいたる経過
2007年、岡山大学津島地区に岡山大 インキュベータの新設が計画 され、新営予定地 として津島南地区西半に位 置する薬学部棟西側の区画が割 り当て られた。予定地周辺では、これまでに第8次
調査 (遺伝子実験施設)、 第16 次調査 (動物実験棟)の
2件
の発掘調査 を実施 していた。その成果か ら、①縄文時代後期には微高地が広が り、 その間に南北方向の低地が通る地形が展開すること、②遺構 。遺物の密度は高 くないものの、縄文時代後期か ら 近世にいたるまでの各時期にわたる遺構 。遺物が分布すること、が予測 された。 また、新営予定地は、近世・近 代の条里の里境 にあたるとみ られる東西方向の区画溝 を確認 した第26次調査 (事務局本部棟)地
点か ら西に約200mの
延長線上に位置 している。 したがって、当地点で も条里の区画を明示する遺構が確認 されることが予測 され た。そのため、施設の建設に先立ち、発掘調査 を実施することとした。なお、周辺の発掘調査成果を参考にする ことで、包含層の厚みおよび遺構 。遺物の有無が推測できたため、試掘・確認調査は実施 しなかった。 発掘調査 は2007年 8月 1日∼12月 17日 まで、約 4ヶ 月半の期間で実施 した。調査面積 は1,035.4ゴ で、調査員 2 名がこれにあたった。船
詭
第
2節
調 査 主 体 岡 山 大 学 調 査 担 当 岡山大学埋 蔵文化財調査研究セ ンター 調査研 究員 岡山大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター 運 営委員会【
委員】発掘調査年度
(2007年度
)センター長
(理事
)
梶原憲次
副 セ ンター長 (大学 院社 会文化科学研 究科教授) 稲 田孝 司 大学院社会文化科学研究科教授新納 泉 大学院社会文化科学研究科教授
久野修義 大学院医歯薬学総合研 究科教授
大塚愛二 大学院 自然科学研 究科教授
柴 田次夫 大学院環境学研 究科教授 ・環境理工学部長 沖 陽子 埋蔵文化財調査研究セ ンター准教授 (調査研究室長) 山本悦世 施設企 画部長
入江 良広
調査体制
学長 千葉 喬 三 セ ンター長 梶 原 憲次 助
教 野崎 貴博 (主任) 助
教 池 田
晋
【
委員】報告書作成年度
(2008年度
)センター長
(理事
)
北尾善信
副 セ ンター長 (大学 院社会文化科学研 究科教授) 新納 泉 大学 院社会文化科学研 究科教授久野修義 大学院医歯薬学総合研 究科教授
大塚愛二 大学 院 自然科学研 究科教授
柴 田次夫 大学 院環境学研 究科教授 ・環境理工学部長 沖 陽子 埋蔵文化財調査研究セ ンター教授 (調査研 究室長) 山本悦世 施設企画部長
山下隆幸
第
3節
発掘調査 に先立ち、近 。現代の造成土 〈1層 〉 と 近代の耕作土 〈2層
〉については、2007年7月23∼ 30日の期間に重機 を用いて除去 した。調査地点には1907(明
治40)年
以降、終戦 まで旧陸軍第十七師団 歩兵聯隊等が駐屯 し、兵舎等が建造 されていたこと が記録 されている。造成土除去の際に、記録に合致 する旧陸軍歩兵第十聯隊兵舎建物の基礎 を確認する ことができた。 重機 による造成土掘削は6日 間で終了 し、2007年 8月 1日 より、調査員2名
が担当 して本格的な発掘 調査 を開始 した。近 。現代の造成土 と近代の耕作土 を除去 した段階で近 。現代の攪乱の清掃 と 〈3層
〉 上面の精査 を実施 し、水門を伴 う条里の区画溝 と土坑群、耕作地内に地割に沿って縦横 に掘削 された小溝群 を検 出 した。以降、近世、中世か ら古代へ と遡 りなが ら耕作地の調査 を進めた。なお、近世 。中世の遺構面について は、調査区の周囲と中央に設定 した東西 。南北方向の土層観察用断面で堆積状況 と遺構の状況を確認 し、浅い溝 状の耕作痕や溝の存在が確認 された 〈3層
)、 〈4層
〉、(8層
〉上面で遺構検出を行 った。その結果、近世の耕作 面である 〈3層
〉、〈4層
〉上面 においては土坑群や耕作痕、中世の耕作面である 〈8層
〉上面においては鋤溝 と 考 えられる耕作痕 を確認 した。 10月中旬には中世層の調査 を終了 させ、古代層 と考えられた(9層
〉の調査 に着手 した。(9層
〉の調査では、 調査区西半の土層観察用断面において溝状の落ちこみを確認 した。この落ちこみはい くつかの断面で確認され、 それ らをつなぎ合わせると、ほぼ正方位 に合致する南北方向、東西方向にのびる溝状の遺構であることが予測で きた。調査の進行にともない、2条
の溝が並行 して側溝 となる道路状遺構の様相が次第に明 らか となった。古代 の道路状遺構の調査成果については、11月19∼ 29日の期間で一般に公開 した。そのほか、岡山大学文学部考古学 講座、理学部地質学講座が講義の一環 として発掘現場 を見学 し、その際、調査成果についての説明を行 った。 調査 区西半における古代の道路状遺構の調査成果の公開期間には、調査 区東半の北側か ら調査 を進行 させ、東 西方向に掘削 された溝群 を検出 した。 これ らの溝群は出土 した土器や層位か ら、弥生∼古墳時代後期の溝群であ ると考えられるものであった。 これ らの溝群の調査終了後、津島地区で広 く認め られ、上面で弥生前期の水田が検出される「黒色土」 と呼称 している 〈11層〉の精査 を行った。特 に調査 区東半では、上面がややたわんで低 くなっていたため、前期水 田を 検 出で きる可能性があると考え、検出に努めた ものの、畦畔は残存 してお らず、水 田遺構の確認には至 らなかっ た。そこで (11層〉を除去 して縄文時代後期の基盤層 まで掘 り下げることとした。その過程で、調査 区東半 をほ ぼ南北 に通る低位部に厚 く堆積 した 〈11層〉中か ら一定量の突帯文土器や石器が出土 した。 その後、縄文時代後期の基盤層である 〈12層〉では、微高地上で土坑群や ピッ トを検出 したほか、低位部斜面 で焼土・炭化物集中部を検出し、 これ らの調査 をすべて終了 した12月 17日 に本調査 を終了 した。 なお、調査終了後、2007年12月 18日に愛媛大学田崎博之氏、宮崎大学宇田津徹朗氏 によるプラント・オパール 分析のための土壌サ ンプル採取 を実施 した。調査 の経過
図3
古代の道路状遺構の調査風景調査 の概 要
第
4節
調査 の概要
①縄文時代∼弥生時代前期 調査区西半では北側に向けて緩やかに高 まる微高地 を、調査区東半では南北 に谷状 にのびる窪地部を確認 した (図 4)。 窪地部は第8次
調査で確認 した微高地に向けて高 まってい くものとみ られる。この微地形の起伏 は弥生 時代前期 まで継続 している。微高地上で土坑8基
、 ビッ ト15基を確認 した。遺構の分布は希薄だが、比較的まと まった量の突帯文土器の出土がみ られ、遺構の多 くはこの時期 に帰属するとみ られる。窪地部の底面に近い東側 斜面では、14c測定の結果、縄文時代後期前葉の年代が得 られた炭化物・焼土の集中部が確認 され、この時期頃か らすでに少なか らず人間活動が及んでいたことが明 らかになった。サヌカイ ト剥片の一定量の出土 とともに、遺 構密度の割 に石鏃の出土が比較的多いことも、生活域 との関係 を検討する上で注意 される。 ②弥生時代∼古墳時代 溝6条
、 ビッ ト1基
を検出した。溝5条
は切 り合い関係 をもちなが ら、調査区北辺 を東西に横断 している。 こ れ らの溝群はいずれ も東か ら西へ流れる水路 として、場所 をわずかに移 しなが ら繰 り返 し掘削 されたもの と考え られる。これ らの溝群の下限は古墳時代後期である。 もう1条
は、調査区南西隅において北側の肩の一部を確認 した、やは り東西方向の溝である。 この時期の堆積層の多 くは古代の土地造成の際に失われていると考えられ、 地形 については不明だが、これ らの溝の掘削方向は縄文時代以来の自然地形の起伏の影響 を受けていた可能性が ある。 この時期の出土遺物 は非常 に少量である。 ③古代 道路状遺構 (溝5条
)、 ビッ ト11基、耕作痕 を確認 した。溝5条
は、2条
で対 とな りていずれ も道路状遺構の側 溝 となるものである。 これ らの溝 に挟 まれた空間は、周囲よりもわずかに高 まってお り、道路および耕作域 を区 切る畦畔 として機能 していた もの とみ られる。溝は、ほぼ正確 に東西南北 を指向 してお り、道路部分 は北 。東・ 西にのびる逆T字
状の三叉路 となっている。道路状遺構 の幅は、側溝の芯々間で計測 して南北方向が3.7∼ 4.lm、 東西方向が1.6∼3.6mである。時期は、溝の出土遺物か ら10世紀 と考えられる。ピッ トは、道路状遺構の周辺 に分 布す る傾向があるものの、明瞭な規則性 はみ られない。中世 。近世段階の耕作面にみる地割 とやや位置 を移 して いるものの、 これ らは条里に関連する遺構 とみることができる。 検 出した道路状遺構 は、岡山平野の条里の推定地割にしたがえば、南北方向の道路部分 は坪境 に、東西方向は 里境 に相当する。同 じく古代後半の坪境の区画をなす とみ られる第1・ 3・ 6・ 7・ 9。 12・ 22次調査で確認 し た東西にのびる二連の大溝 とは、芯々間の距離 を測 ると、第12次調査地点 とは327m、 22次調査地点 とは340mを
測 り、およそ3町
分 に相当することになる。 ④中世 調査 区のほぼ全域 にわたって鋤溝 とみ られる耕作痕 を確認 した。調査区のほぼ中央部 を境 にして (19-50ラ イ ンよ り東へlm)、 西側では南北方向に、東側では東西方向に耕作痕が走向 してお り、耕作地の区画の境界 を反映 している可能性がある。 この境界線の位置は、古代の道路状遺構の側溝の芯の中軸か ら測 ると、東へ12∼13mほ
ど移動 している。出土遺物か ら13世紀の耕作面の状況 と考えられ、10世紀 を挟む期間に耕地の再編が存在 した可 能性 を示唆する成果 として注意すべ きものである。 ⑤近世 。近代 近世の遺構 は上層・下層の2面
で確認 した。近世下層では、土坑7基
、溝7条
、耕作痕 を検出 した。溝・耕作 痕の掘削方向は、中世の耕作面の状況 と非常 に似ている。近世上層では、土坑13基、溝10条 (水門2基
、杭集中 部1箇
所 を含む)、 畦畔・段・耕作痕 を検出した。土坑 は、里境 にあたるとみ られる東西方向の溝18および中世以来の地割 ライン付近に分布する傾向がある。溝18内に設置 された水門およびこれ らの土坑を連接するように縦横 に走る小溝 は、同時期の灌漑施設 として機能 していた可能性がある。なお、溝18は陸軍造営の際の造成土で埋没 してお り、1907年までは使用 されていたものである。掘削時期が近世のどの段階まで遡るかは、北倶1の肩部を陸 軍兵舎の基礎で破壊 されてお り、不明である。 > ロ ー 構 洩E の 代 時 墳 o
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<古
代 ∼近世の遺構>
120-00 │ 縄文∼弥生時代前期〈12層 〉上面│ │
弥生∼古墳時代〈10∼ 12層 〉上面 │ 近世下層〈4層 〉上面 ※等高線は〈12層 〉上面を示す │ 近世上層〈3層〉上面 0 (S=1/400) 20m 図4
検 出遺 構 全 体 図 IЮ 8°一´
卜´..蝙
調査 の概 要 表
2
検 出遺構 一 覧a.焼
土 。炭化物集中部 番 号 時 期 地 区 平面形 断面形 規模 (cm) 底 面 標 高 (m) 長 辺 短 辺 深 さ 1 縄 文 時代後期 BC19-16・26b.土
坑 番 号 時 期 地 区 平面形 断面形 規模 (cm) 底面標 高 (m) 長 辺 短 辺 深 さ 1 縄 文 時代 後 期 9-18 円 形 U字形 弥 生 時 代 早 期 9-47 楕 円 形 皿 形 3 縄 文後期 ∼弥生早期 9-58 不 整 円 形 皿 形 4 弥生 時代 早期 9-75 不整 方形 皿 形 弥生 時代 早期 BC19-75 不 整 円形 U字形 弥生 時代 早期 BC19-76 不 整 円形 U字形 7 弥生 時代 早 期 BC19-96 楕 円形 逆 台形 縄 文後期 ∼弥生早期 BC19-98 不 整楕 円形 皿 形 199 9 近 世 BC19-78 隅丸 方形 箱 形 212 近 世 BC19-78 (52) 近 世 BC19-78 近 世 BC19-78 (隅丸 方 形) 逆 台 形 近 世 BC19-78 不 整 円形 半 円 形 近 世 BC19-98 円 形 逆 台 形 (150) 近 世 BC20-08 方 形 逆 台形 144 近 世 BC19-16 長楕 円形 不整形 8 近 世 BC19-35∼36 長楕 円形 す り鉢形 近 世 BC19-36 楕 円形 U字形 近 世 BC19-36 方 形 丸 底 近 世 BC19-46 長楕 円形 U字形 122 近 世 BC19-46 長 楕 円 形 U字形 222 近 世 BC19-45 楕 円 形 半 円形 297 71 205 近 世 BC19-46 円 形 箱 形 229 近 世 BC19-46 不整 円形 箱 形 212 近世 ∼近代 BC19-48 円 形 箱 形 近 世 BC19-48 円 形 箱 形 近 世 BC19-57-58 隅丸 方形 逆台形 近 世 BC19-58 隅丸方形 (逆 台 形) 1250)c.溝
番 号 時 期 断面 形 方 向 規模 (cm) 底面標 高 (m) 幅 深 さ 1 弥 生 ∼ 古 墳 時 代 逆 ゴЛ移 西 北 西 ―東 南 東 40-70 43´-57 E188→W173 2 弥 生 ∼ 古 墳 時 代 U 形 東 北 東 ―西 南 西 30-70 11∼29 205∼ 210 弥生 ∼古墳 時代 U字形 北 西 ―南 東 30∼ 45 弥生 ∼古墳 時代 皿 形 北 西 ―南東 7 弥生 ∼古墳 時代 皿形 ∼逆 台形 東 ―西 25-40 7-10 E219→W213 弥生 ∼古墳 時代 皿 形 東北 東 ―西南西 20-45 3-8 E226→W220 5 (古) 弥生 ∼古墳 時代 (198)、 (205) 5 (新) 古墳 時代 後期 U字形 東 ―西 、北東 ―南 西 50-120 26-49 E2.05→Wl.88 古墳 時代 後期 皿 形 北 西 ―南東 45-70 12-22 W210→E200 古墳 時代 後期 皿 形 東 ―西 3 6 弥 生 ∼ 百 瑣 時 代 皿 形 ―西 (135) 7 古代 後 半 皿 形 東 ―西 30-140 古代 後 半 皿 形 北 ―南 、東 ―西 40∼ 160 古代 後 半 皿形 東 ―西 30´-65 古代後 半 皿 形 東 ―西 30-130 古代後 半 皿 形 北 東 ―南西 7 228 近 世 皿 形 東 ―西 265 近 世 皿形 東 ―西 近 世 皿 形 東 ―西 4 近 世 ―西 近 世 ―西 近 世 丸 底 4 近 世 丸 底 東 ―西 7 262 近世 ∼近代 逆台形 ∼U字形 東 ―西 292 近 世 箱形 ∼逆 台形 北 ―南 20-40 近 世 箱 形 東 ―西 20∼ 30 276 近 世 箱形 ∼逆 台形 北 ―南 、東 ―西 25-35 12-15 267-275 近 世 皿 形 東 ―西 34-60 近 世 (皿 形) 東 ―西 30-40 近 世 (皿 形) 東 ―西 28-48 3-5 2.72 近 世 皿 形 30-46 3-4 272 近 世 逆 台 形 北 ―南 20-30 260∼266 ( )は残 存 の 実 測 値 を示 す1.調
査 地 点 の位 置 本調査地点は津島南地区西半、薬学部西倶1に位 置 している(図 5)。 津島地区構内に設定 している 構 内座標ではBC19。 20区にあたる。津島岡大遺跡 の西端にあた り、津島地区におけるこれまでの発 掘調査の中で ももっとも西側 に位置する調査地点 の一つ となる。調査以前は駐車場 として利用 され てお り、それ以前には動物飼育施設が置かれてい た。調査地点西側 には農場が拡がってぃる。 本調査地点の南側 には第8次
調査A地
点 (遺伝 子実験施設)、 第16次調査地点 (動物実験棟)が
位 置する。また、東約200mの
地点に、第26次調査地 点 (事務局本部棟)、 第27次調査地点 鎗J立五十周 年記念館)が
位置する。2.調
査 地 点 の 区割 り 遺構の位置の記載に際 して、50m区
画の構内座 標内をさらに5m区
画 に細分 した区割 りを使用 し てい る。その区割 りに従 うと、調査 区は東側がBC19-05∼
BC18-99、西側が BC20-15-BC20-09の 間に収 まることになる (図 6)。 発掘調査 にあた って、調査 区を便宜的に4等
分 し、包含層 出土遺物 の取 り上 げの単位 とした。分 割線 は、南北 が19-50ラ
イ ンか ら西へ2.Om、 東西 がBC-7ラ
イ ンか ら南へ1.5mに 位置す る。 区画名 は、北東 を1区
、南東 を2区
、北西 を3区
、南西 を4区
とした。第
3章
の記録
第
1節
調査
置 と区割 り
?
¨⑩
Wm 5][]「
li‖[1点 図5
発掘調査地点 20-O0 19-80 19-60 19-40 19-20 19-00 J.「鳳
3区 1区 C. b 4区 │ 2区勒
m 図6
調査 区の区割 りと断面位置第
2節
層序 と地形
1.層
序 断面観察用ベル トは、調査 区中央の区割 りの分割線 に沿わせ るよ を確認するためのサブ トレンチ・断面観察用ベル トを、区割 りをさ 序 を記録 したのは、調査区四周、中央の南北 。東西ベル ト、1区
・ 層〉∼ (12層〉のみ記録)で
ある。夕
囃
調
点
地
うに十字に設定 した (図 6)。 また、堆積状況 らに等分するかたちで随時設定 した。基本層2区
内にそれぞれ設定 した東西ベル ト((10層序と地形 ここでは、自然地形の推移 をよ く示す北壁 中央部
(B断
面)・2区
東西 ベ ル ト(C断
面)に
加 えて、調査 区全体 の基本的な堆積状況 を示す東壁(A断
面)の
断面 図 を示 した (図7、 8)。 その他 の地点 については、調査 区隅の 堆積状況 を柱状 図 に示 し、調査 区全体 の地形 の変化 を代表 させ た(a∼
c断
面)。〈
1層〉
造成土である。
1907∼1908年に実施された旧日本陸軍駐屯地造営に伴 う造成土である黄橙褐色砂質土
(真砂土
)、および岡山大学設置以降の造成土
(褐色土
)で
ある。現地表面の標高は
3.65∼4.Omである。
(2層 〉
灰色砂質土である。近代の耕作土層で、形成時期の下限が
1907年である。径
2∼
4111111程度の細礫を多
く含み、層下部に管状に鉄分の沈着が特徴的に認められる。上面の標高は約
2.9∼3.Omである。
(3層 〉
明橙褐色砂質土で、近世の耕作土層である。上面の標高は約
2.75∼2.9mである。調査区東半では層厚
約
20cm、西半では約
10cmとなり、調査区のほぼ中央の19-50ラ イン付近に位置すると考えられる当時の条里の坪
境付近で東西の耕作面に比高差が存在する。東半では4層 (a∼ d層
)に
細分でき、層内に複数の耕作面が存在
した可能性が高い。〈
3a層
)は
明橙褐色砂質土で、鉄分を多 く含む。
(3b層
〉は黄褐色砂質土、〈
3c層
〉は淡
黄褐色砂質土である。〈
3d層
〉は灰白色細砂で、〈4層 〉上面を覆う洪水砂である。調査区東端一帯でのみ確認
できた。〈
3a層
〉
∼〈
3c層
〉はこの洪水砂を母材にして形成された耕作土層 と考えられる。〈
3d層
〉は、〈
4層〉上面の耕作痕の埋土としても観察され、上層からの攪拌が及ばなかった範囲にのみ残存したものと考えられ
る。〈3層 〉中からは微量ながら近世陶磁器片が出土 している。
(4層 〉
灰黄褐色土で、近世の耕作土層 と考えられる。マンガンが顕著に認められる点が特徴である。上面の
標高は約
2.6∼2.7mである。〈
4∼
7層 〉は地点によって包含物の量や層相に多少の変異は認められたが、類似 し
た層相・色調を呈す。〈
4a層
〉は北壁の一部で確認でき、上層 との攪拌によって生 じたものとみられる。
〈
5層
〉
灰褐色土で、中世∼近世の耕作土層 と考えられる。上面の標高は約
2.55∼2.65mである。〈4層 〉より
もマンガンの含有量が少ない。
〈
6層
〉
灰黄褐色土で、中世∼近世の耕作土層と考えられる。上面の標高は約
2.5∼2.55mである。
図7
調査区断面図1 調査区東壁 (A断面) 2区 C断面引 蝕 台 J 螺 К 部 引 楓 全 J 皿 楓 I J 皿 К 恣 引 楓 合 J 螺 К 興 恣 ∧ 最 も ヾ 世 メ 螺 ∨ 引 楓 全 J 暉 楓 罫 調 楓 全 J 寧 К 塾 引 楓 全 J 鯉 K 楓 雪 I J 躯 К 雪 ︵ S の し 引 楓 全 J 躯 雪 ∧ 蚕 糧 ︱ 疑 叶 ゼ 世 爛 ぶ ∨ 相 J 暉 畔 ︱ 口 躯 雪 ∧ 釈 巡 ゼ 世 郎 枷 ︱ 終 墨 混 ぎ 士 期 ぶ ∨ ︵ ヽ ω し 引 J 螺 興 楓 罫 ∧ ヾ 枷 ∨ 引 楓 業 国 К ∧ 刹 書 I C 枷 ∨ ︵ ヽ 口 Σ ・ Φ し 引 J К 罫 ∧ 刹 ■ ∨ ︵口 Σ ′ o し 引 J 駆 楓 К 罫 幽 潟 H 興 0 一 H 興 ” 斜 ︿ 興 営 ﹀ 興 出 H 興 f H 興 調 H ︿ 興 〓 ﹀ ︿ 興 8 ﹀ ︿ 興 0 ﹀ ︿ 幽 ∞ ﹀ ︿ 興 じ ︿ 興 Φ ﹀ ︿ 興 Ю ﹀ 興 ρ 守 鰤 曜“ 守 ︿興 ヾ ﹀ 幽 認 四 お 興 虞 興 綱 ︿興 ∞ ﹀ ︿興 ∞ ﹀ ︿興 H ﹀ 引 剥 磐 興