下 町
蝉⑳〃爾外画
1. 4
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27. 9
1. 4
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1. 4 2. 8
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一 171 一
うちゃん・おとつつあんなどの呼称の形式の支持率は,それぞれに対応するお かあさま・ママ・おかあさん・ママさん・おかあちゃん・おかあちゃま・かあ、
さん・かあちゃん・おっかさんなどの呼称の支持率とほとんど違いがないもの と推測できる。
さて以上に述べたことを頭において,上にあげた第12・13・15表の3っの表 をながめると,親の名称・呼称は地域により家庭の職業により,かなりちがっ ていることがわかる。
(1}おとうさま・おかあさま一東京由の手の中高校生型
この形式の支持率は,福島北部では福島市も梁州町もともに極端に低い(第 12表と第13表)。東京下町でも低い(第15表)。
(2)おとうさん・おかあさん一東京型・福島市型・俸給生活者型
東京では,由の手・下町を通じて,この形式の勢力が圧倒的に強い。典型的 な東京型である(第15表)。福島北部でも,福島市と梁川町を比べると,小中 高校ともに福島のほうが梁川よりも,ずっと多い。福島市の申でも,i小のぼ
うが杉妻小・清沢よりもはるかに多い(第12衰)。つまり旧福島市型である。
また,職業別にみると,福島・梁川ともに,俸給生活者の子どもの支持率が最 も高い(第!3i表)。 つまり俸給生活轡型である。
(3}とうちゃん・かあちゃん一福島北部型・農村型・農家型
東京では,由の手・下醇ともに支持率は極端に低い。非東京型である。福島 市と梁川町は,これに比べれば,はるかに支持率が高い。とりわけ梁罵時の支 持率は非常に高い。梁川町の中でも,粟野小・五十沢小のような純農村を学区 とする地域でとりわけ高い(第12表)。.つまり福島北部型・農村型である。職 業別にみると,福島・梁川ともに農家の支持率が圧倒的に高い(第13表)。つ
まり農家型である。
(4>おとうちゃん・おかあちゃん一東京下町型・福島市型・商家型 東京で,由の手と下町とを比べれば,下町での支持率が高い(第15表)。下
町型といえる。福島市と梁川町を比べれば,小中高校ともに福島のほうがずっ と勢力が強い。福島市の中でも,最も福島市的な地域を学区とする1小のほう が農村的な地域を学区:とする杉妻帯・清沢小よりもずっと強い(第12表)。
一172一
(5]パパ・ママ一三京山の三型
福島北部では,福島市・梁川町ともに,支持率がほとんどゼロ。典型的な非 福島北部型である。東京でも下町では非常に少ない。しいていえば,東京由の 手型となる。
以上に報告してきた調査結果にもとつくならば,福島北部方醤社会の農村
(保原町)の農家の子どもである昭治・友左ら6入の子どもたちが,麹分たち の父母治作・サキを呼称する形式として,福島北部型・農村型・農家型の形式 トーチャン・カーチャンを使周していたのは,なんらおかしくないことなので
ある。
しかし,ここでわたしたちは,次の事実に注貝したい。すでに第5・6・7
・8・9表(156ページから157ページまで)で報告してあることを整理しなお して,治作・サキの親の世代,昭治以下の子どもの世代,糸田・睦美以下の孫 の世代の3世代別に,昭祁44年3月末現在までにおける父母の呼称の形式をみ ると,次の第16表に示すようになる。
第18ee世代別にみた渡辺家の親の呼称
名 前 (年 齢)
親の世代
治サ
作(67)キ(63)
子どもの世代
昭友俊洋車友
治(41)左(39)
子(37)
子(32)
吉(27)
吉(25)
孫の世代
(親・昭治〉
日召 員[」 (12)・1崖 多≡…( 7)
(親・友左)
儒夫(9)・嚢;愛(5)
(親・俊子)
徹 (13)・淳子(11)
(親・洋子)
さとみ(9) 将 (4)
呼称(名称)の形式
父
オト ツツアン
ノノ
トーーチャン
n
tl tt ttノ
オ トーチャン
ノ〈ノぐ
オトーチャン
オトーサン・パパ
母
オツ カヤン
tt
ヤ ン
チ〃
} カ
〃〃〃11
オカーチャ ン
マ マ
オカーチャン
オカーサン・ママ
一 173 一
この第!6表から,わたしたちは次のことを知ることができるだろう。
(1)治作・サキの親の世代,昭治・友左以下の子どもの世代ともに,自分の 親に帯する呼称の形式は,青年・壮年,さらには老入になっても,子どものと
きに身につけたものがそのまま保持されている。
② それぞれ自分の親に対する呼称の形式は,親。子・孫の3世代の問では っきりとした違いを見せている。
(3)つまり渡辺家においては,親に対する呼称の形式は,ff一一世代の中では なかなか変化しにくい。しかし,親の世代と子の世代,それに子の世代と孫の 世代というように世代と世代の間では,きわめてはっきりとした変化が起こっ
ている。
まず第1のことからいうと,治作・サキは,67歳・63歳の現在になっても,
親である惣二郎・ミナ,佐蔵・リエをそれぞれオトッツァン・オッカヤンと呼 称している。子どものころに身につけた呼称の形式をずっとそのまま保持して いるのである。(惣こ:郎・ミナ,佐蔵・リエはすでになくなっているから,H 常の生活の申でオトッツァン・オッカヤンと呼称できるわけではない。お墓や 仏壇の前で合掌するときなどの,ごく限られた揚州であることは,いうまでも ない。しかし,名称としては,親がなくなっても使えるわけで,この適合は場 面を家族i。親族内に限れば,もちろんオトッッァン・オッカヤンを使う。)
次に,昭治・友干たち子どもの世代についてみると,これらのきょうだいだ ちは,昭治が41歳友左が39歳,以下それぞれ37歳・32歳・27歳・25歳になっ た現在でも,父母の治作・サキをトーチャン・カーチャンと呼称している。親
・きょうだいの間ではもちろん名称としてもト…一tチャン・カーチャンである。
治作・サキの親の世代と子どもたちの世代,とりわけ昭治を除く友左・俊子
・洋子・車町・友吉の子どもとの閥では,その職業および学歴の上でかなり急 激な階贋移動が行なわれている。友左・卓吉。友吉については,それと合わせ て居住地の移動も行なわれている。これらのことは,第2節(渡辺家における 親の世代から子どもの世代にかけての階層移動)の所(151ページ以下)でかな 摯くわしく報答しておいた。しかし,このような職業・学歴からみての階屡移 動や里住地移動にもかかわらず,笹島北部型・農村型・農家型であるi・…チャ 一 174 一
ン・カーチャンという呼称(それに名称)の形式は,子どものときに身につけ たままの形で依然として強圃に保持されつづけてきているのである。
孫の世代についてみると,昭劉・睦美,それに徹・淳子の各きょうだいは,
それぞれの親に対してオトーチャン・オカーチャンという呼称・名称の形式を もっている。信夫・真史のきょうだいは,パパ・ママという形式「をもってい る。さとみ・将は,オトーサン・オカーサン,それにパパ・ママという形式を もっている。親の世代のト 一一チャン・カーチャン,それに祖父母の世代のオト ッッァン・オッカヤンという形式は,孫の世代では賦金に消えている。
さとみ・将のきょうだいだけがオトーサン・オカーサン,パパ・ママという 2組の形式をもっているが,この2組の呼称の問には,後渚が幼時のころから 身につけた形式であるのに対して,前者はごく最近になってから新しく身につ けた形式であるという違いがある。それは,これらの子の親享・洋子が境在子 どもたちにパパ・ママをやめて,オトーサン・オ五一サンといわせることをし つけの方針としているからである。現に子どもたちの前では,自分たちのこと をパパ・ママというのをやめて,オトーサン・オカーサンというようにっとめ ている。したがって,親に対する子どものパパ・ママという呼称・名称の形式 は,いずれ子どもの成長とともに消えていくだろう。
信夫・真史のきょうだいもパパ・ママであるが,親の友左・容子は,現在の ところ享・洋子がとっているようなしつけの方針はとっていない。子どもが幼 児のころに身につけたパパ・ママを現在でもそのまま使わせているし,自分た ちも子どもの前では,自分たちのことを子どもに合わせてパパ・ママといって いる。パパ・ママという名称・呼称に対する友左・容子夫婦と享・洋子夫婦の このような態度の違いは,友左夫婦が東京都内の住宅団地に,そして洋子夫婦 が福島県北部の保原町という農村に居住しているという条件にもっぱら左右さtt れているものであろう。したがって,信夫・真史の揚玉現在のままのしつけの 方針でいけば,パパ・ママという名称・呼称の形式は,子どもが成長していっ ても,なおかなり長く保:持されていくことになるかも知れない。あるいは,そ れとは反対に,子どもの成長によって,また,家庭の内外の蜜語生活の条件の 変化によって,パパ・ママからそれ以外の形式に案外早くかわっていくという 一 175 一