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 マケ 血統。 「あのマケは頭がよい。」

2 窪田王子の方言』 塩照真八氏著 昭和40年  イチマキ 同族。血縁集団の外非酸縁の分も含む。

〔記〕 和田実氏(神戸大学助教授・国立国語研究所地方研究員・国語学)か ら次の御教示があった。同氏の尊父(故人)は,明治9年東京京橋の生まれ。

明治末年まで東京に在住しておられた方である。この方が次に述べる縁つづき の人々を指して,「渡辺のイチマキ」とよく雷っておられたという。融購氏に は尊父の在世中にイチマキの語義をたしかめる機会がなかったとのことである が,イチは,「一」のように思えた。また,マキだけを使っているのは聞いた ことがなく,イチマキを渡辺以外の他の姓氏につけていうのも聞いたことがな いということである。

 さて,「渡辺イチマキ」の渡辺家には姉妹があり,姉は鍋綿氏に嫁して,貧 しく子沢山。妹は富める渡辺家を継いで鐸養子を迎えたが,子どもがなかっ た。そこで,姉の娘A子を養女にした。・(他にも縁つづきの,親のない娘を入 籍はしなかったが,娘分にしていた。) A子のきょうだいだちも,その親の鍋 綿夫婦も経済的・精神的に何かと生家の渡辺家にたよっていた。以上の全人物 をひっくるめて,乱闘氏の尊父は, 「渡辺のイチマキ」といっておられたとい

うのである。

 そこで,さらに和田氏に同氏の祖父君がどこのお生まれかを伺ってみたら,

次のような御回答を得・た。

  祖父落潮ヨ常吉(つねきち)(天保5年一一明治22年)は,江戸の芝白金二  本榎の生まれ。若いころ商家(急所不詳なれども,とにかく江戸)に奉公。

 慶応ごろ江戸京橋八了堀で扇子の製造販売の仕事をはじめ,かたわら俳講の  宗匠。後,明治12年から亡くなるまで京橋区内の私立山岸小学校校主。その  長男万吉(まんきち)(明治9年一昭和!9年頃は京橋八丁堀の生まれ。京橋  区内に生育。明治27年以降麻布・牛込,そして明治44年以降は兵庫県の塩屋  。垂水(ともに現神戸市内)に居住。英国入にH本語を教える職にあった。

 前述した「渡辺イチマキ」は,この万吉のことばであった。

  和閏家の系譜は,弥助一助七(初代)一助七(2代)一常吉一万

       一44一

 吉一一実となる。弥助は,元文年聞の生まれらしく,武蔵国橘樹郡二子村  (現在の神奈川県州崎市の一音5)から若年のころ江戸へ出て,前記の芝二本  榎に荒物店をもったのが窒贋年間のことである。また,万吉の母の祖父と万  吉の妻の轡橿父は,罰一人物で,武蔵国府中の人。江戸に出て蹟本橋の町人  の聾養子となった人である。和顯家の先祖はそれ以後も代々江戸の町入と縁  組みをしている。

  和闘実氏からおよそ以上のような御教承をいただいたのである。すでに36  ページでも報告してあるとおり,南部藩士服部武喬が寛政年間に著した建御  国通辞』では,次のようになっている。つまり南部藩領では一族のことを   江戸詞        御国辞

  いつけ   一族   まき

マキといっているが,江戸ではまきといわないで,イッケといっているという のである。しかし,寛政にさきだつ宝歴年間以降5代にわたって江戸下町に町 人として居住し,遜婚関係もずっと江戸の町入の闘でとりむすんできた家の5 代霞として,明治9年に生まれ,かつi瑚44年に神芦に移るまで,ずっと三三・

麻布・隼込などの東京下町に居住していたとなれば,和田氏の尊父(万吉氏)

はさしずめ生粋の東京下町ッ子ということになろう。そして,その万吉氏のこ とばに,用例は限られているが,イチマキという語がよく使われていた。こう いうことになれば,江戸(それに明治期の東京)の下町のことばにもマキはと もかく,イチマキという語があったのではないか,という推測がなりたってく る。あるいは,さらに突っこんで,イッケは江戸でも武士階級のことば,これ に対してイチマキは下時の町人層のことばという位相論的な現象もあったので はないか,という推測もなりたってくるのである。

.一一 45 一

7.丁丁t長野・由梨の各県の方言の場合

 12ページにあげた第3図(泉靖一氏たちの研究グループの報告)をみると,』

本家=分家の集団を表わす僅雪としてのマキ・マケの勢力が葬常に強いもう一 つの地域は,薪潟・長野・山梨の三つの県をあわせた地域である。そこで,こ れもこれまでの東北地方や関東地方の場合と同じように,わたしたちの研究所 の図書館に所蔵されているこれらの地方の方書集や方書辞典の中から,マキ・

マケを見出し項罠としてある主なものをぬき出し,その意味用法の記述を原文 どおりに抜き書きしてみると,次のようになる。

新潟県

1 『越後:方言75年』 (薪潟県常民文化叢書第3編) 小林存氏著 昭和26年  マキ 族党。何々家のマキといふが,別に肺病マキだの馬鹿マキだのと,族  党の遺伝についていふことがある。血統に関した書葉だらう。次のエッケシ  ョよりは古い関係で,従って範囲が広い。

 mッケショ 親戚。一家衆だらう。東蒲原から北蒲原・申蒲原の一部にかけ  て行はる。会津系方雪の分布区域新発濁・保照・笹岡等では,エドコ(親  戚)も聞く。

2 r岩船郡下川郷民俗語彙稿」 渡辺行一堅塁 昭和14年  マキ 血縁関係のある家。どこのマキなぞといふ。

3『下越方言集誰 新潟県立村上高等女学校編 発行年不詳  マキ・(名) 系統。血統。

4 r中越方言集』 長岡申学校国漢科編 昭和11年  マキ 一族。巻?

5 『妙高高原を中心とした方言並に発音・語法の一考察』 池ne 一男野洲  昭和33年

 まき 一族。血筋の同じ者。

6 r四域方言集』 渡辺慶一氏著 昭和13年  マキ 一族。親類。〔例〕 彼のマキは金持が多い。

7 『長岡の方言』 高島定雄氏編昭和3年

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 まき 一族。 rおらまきの者は酒のみばっかだ。」

8 『鵜川ノ方雷集』(注15)大図八郎氏著 昭和26年  マキ 一族

〔記〕 わたしは,昭秘3年10月新潟県三島郡与板塒の周辺で方書の親族語の 調査をしている。それによると,この三島郡地方の方言でも本家・分家の家風 合のことをマキといい,それといっしょに血筋・血統のこともマキといってい・

る。「ドスマキ」「肺病マキ」「シンケ(冨気ちがい)マキ」「美入マキ」 「頭 ノイイ(・悪イ) マキ」「中風マキ」…………などなど。マキを血筋・壷蕊.

の意味でも使っているのである。これは,東北地方の大部分の地域,それに関:

東地方の各地に散在するいくつかの地域の揚合と全く同じである。土地の人の 話によると,三島郡に隣接する刈羽郡地方でも,そうであるという。

 三島郡与極町の長朋寺の前住職前波善学漫(明治15年生まれ・85才)の御教 示によると,三島郡地方では,亘il筋・血統のことをマキのほかにゾンともいう

とのことである。そして,このゾンは,前波氏によると,主にライ病(ドス)

の揚合に使うことが多く,「ライ病の血筋・鍾it統」という意味で,「ドスノ ゾ

ン」といい,喩筋・血統が悪い」という意味で「ゾンが悪イ」という。近

藤勘治郎氏編『三島郡誌』 (三島郡教育会発行 昭霜12年)の方言の部にも,

このゾンが血統という標準語訳を与えられて,のっている。(後述の東条カー ドでは,ゾンでなく,ソンとなっている。)

 しかし,このゾンは,マキに姥べれば,現在では余り使われておらず,その 勢力は非常に弱いようである。

 同じ与板町に在住の駒形新作氏(明治26年生まれ・75才。もと与板小・中・

高校の校長・与板町のもと助役・教育長)は,新潟県北魚沼郡小出町干溝(ひ みぞ)(旧北魚沼郡伊米ケ崎村干溝)の生まれであり,現在でもそこの有カマ キである駒形マキのオーヤ(=大本家)の当主でもある。同氏の御教示による と,この干溝の方書にもマキという便雷がある。しかしこのマキは,本家・分 家の家連合の意味はもっているが,血筋・血統の意味はもっていないという。

血筋・血統の意味は,マキではなく(もちろんゾンではなく), タチ,または  注)新潟県刈羽郡鵜川村の方雷を扱ったもの。

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スジという単語で表わす。たとえば, 「leス(・肺病)ノ タチ・スジ」 「頭 ノ イイ タチ・スジ」 「オト=ブリ(・オナゴブリ)ノ タチ。スジ」……

……ネどなど。

 マキが血筋・血統の意昧はもたず,スジ(タチは別として)がこれを表わす というのは,関東地方の栃木県野上村や茨城県麻生町の呼野と全く周じであ

る。

 新潟県高国市に在住の小寺佐禰子氏(主婦)の御教示によると,高濁市付近 の方言でも,本家・分家の家連合のことをマキといっている。しかし,血筋・

血統のことをマキといっているのは聞いた記憶がない。ゾンという語も聞いた ことがない。ただし,スジは,老人が「アノ家ハ テンカン持チノ スジデ…

vと雷っているのを瀾いたことがあるし,小寺氏の母堂もよく「スジ 引 ク」とおっしゃるそうである。 「アノ家ノ オヤジサンバ 酒乱ダッタガ,患 子モ ヨク 飲ム。アア書ウコトハ スジ 引クモンダカラ………」などな

ど。病気・性癖についてスジということばを使うという。これは,北魚沼郡小 出町干溝の揚合のマキ・スジと金く同じである。

 研究所の同僚徳州宗賢や佐藤亮一が昭融44年2月に新潟県糸魚川市で調査し たところによると,糸魚川帯根知の方言では,本家・分家の家連合のことはや

ウチ,姻族を含む親類はイッケといって,マキとはいわない。マキは血筋。血 統の意味しかもっていない。血筋・血統は男系・女系をともにたどる。r学者

マキ(・学者の多い血筋・血統)」などの用法もあり,必ずしも悪い意味にば かり使うものではない。注意すべきは,この根知の三門では,血筋・血統の意 喋で,マキのほかにスジという単語も使うこと,つまリマキとスジとが共存し ていることである。

 同じ糸魚川市の湯川内の方言では,本家・分家の家連合はヤウチ,親類はイ ッケといい,マキとはいわない。マキは血筋・血統の意味で,男系・女系とも

・にたどれるそうである。スジという単語は用いない。

 糸魚川市の越の部落でも,本家=分家の家連合はヤウチ,姻族を含む親類は イッケという。これは今までと同じであるが,血筋・血統の意味を表わすのは スジという単語で南る。「肺病ノ スジ」「頭ノ イイ スジ」など。そし        rm 48 一