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10. 第9節までの要約とマキ・マケ・イッケ・イットー・ソン・スジ。

  トk・・一について解釈

 第1節から第9節までの各節で報告してきたことを一往ここで要約し,あわ せてマキ。マケ・イッケ・イットー・ソン・スジ。トーなどの僅言の性格につ いて,その地理的分布の上からみたわたしの解釈を述べてみたい。

 ① マキ・マケという僅言は,社会学における学術用語としては, 「本家篇 分家の集団である同族を表わす古くからの呼び名である」(社会学辞典)と定 義されている。(第1節を参照。)

 ② この「本家・分家の集団である同族を表わす古くからの呼び名」である.

マキ・マケという僅言は,主として東北・関東・甲僑越など,東山本の諸地域 に広く分布する。であるから,地理的分布の上からは,マキ・マケは,同じ本、

家讐分家の集団である岡族を意味する他の有力な狸言イッケ・イットーに比し て,はるかに強く東賢聖的な性格を帯びているということができる。 (第2節 を参照。)       ,

 もちろんマキ・マケがPt H本地方に全く分布していない,というのではな い。第3図(12ページ)をみると,マキ。マケが静岡累の遠州地方の一部・複 井県の若狭地方・京都府の丹後地方・兵庫県の但馬地方・丹波地方。それに半 国の西昏昏地方や俘予地方にも分布していることがわかる。しかしその分布の 勢力は,前記:東日本の諸地方の揚合に學べれば,非常に弱い。(第2飾を参

照。)

 このことは,第9節に報縛した通儒調査の結果からも知ることができる。隷 岡県の遠州出地の磐照郡水窪町の方書には,マキのほかに,マキ系の鯉雷とし てヒトマキ・シンルイマキというのもある。しかし,これらの単語は,イッケ eチルイなど,醐義類義の他の都門と勢力を分けあった形で存在している。兵 鷹漿但馬地方のマキも,イットー・ルイ・とッポーなどの同義類義の他の狸雷 と勢力を分け合った形で存在している。愛媛県のマキ・イチマキも,イッケ・

ドーケウチ・イッケンなどの僅言とその勢力を競合しつつ共存している。兵鷹 県の丹波地方(多紀郡)のマキは,地縁集団の意味しかもっていない。同族の

      一N 8.?, 一

 意味は,マキではなく,イッケ・イットー・カブウチなどの三三によって表わ  されている。

  以上にあげたマキ・マケと嗣義類義のいくつかの僅言のうち,イッケとイヅ  トーは,第1表に紹介した泉氏らの通信調査の結果や第9節に報告したわたし

・の通信調査の結果をみればわかるように,西臼本地方だけでなく,東海道筋や  北陸筋,それに関東地方にまで勢力を伸ばしている非常に有力な倥需である。

 カブ・カブウチは,近畿地方から醐山・島根などの申国地方にかけて分布し,

 かつその地方では非常に勢力の強い僅言である。静岡県の遠州地方をはじめ癒  臼本地方の上記のいくつかの地域に分布するマキ・ヒトマキ・シンルイマキ・

 イチマク・イチマキ・等の丁丁は,これらイッケ・イットー・カブなどの有力な  同義類義の他の樫言にはさまれて,それらの勢力と競合しつつ存在している。

 いわば,強大な岡家の勢力にはさまれた弱小国家。それが後指本地方における  マキ・マケだ。このように解釈することができるだろう。

  こんなわけで,マキ・マケは,現在では地理的分布の上からは,岡じ本家・

分家の集団を意味する他の有力な偲雷イッケ・イットーに比して,はるかに強  く東麟本的な性格を帯びた僅言であるということができる。もう一歩突っこん  でいえば,マキ・マケが分掬す.る勢力は,東日本の中でもとりわけ東北地方で  非常に強い。栃木・茨城。群馬・埼玉。東京。千葉・神奈川の関東地方の諸都  県でも,マキ・マケ(またはイチマキ・イチマケ)を本家・分家の集団を意味

する健欝としている地域が各地に散在する。ただし,関東地方では,マキ・マ  ヶでなく,イッケ・イットーを使っているところもかなり多く,マキ・マケの  勢力は,東北地方に比べれば,ずっと弱い。この意昧で,マキ・マケを関東地 方と東北地方の問で比較すれば,それは,関東地方的というよりもずっと東北  地方的であるということができるだろう。 (以上第2・5・6節を参照。)

  ③ マキ・マケが東H本地方的,または東北地方的であるのに対して,イッ  ケ・イットーは,西Ei本地方的であるといえる。これは,第1表や第9節で報

告した還信調査の結果からもはっきりとわかる。第1表でいえば,イッケ・イ  ッ1・ 一一の勢力は,東北地方では全く弱い。これに対して,四国・九州・中国・

近畿の西蹟本筋では,その勢力が非常に強い。第9節にあげた第2表をみて

      一S3一

も,このことがわかる。西臼本地方だけでなく,福井・石州などの北睦筋・愛 知。三重・静岡などの東海筋,その上さらに箱根をこえて関東地方にまでその 勢力を広げている。したがって,イッケ・イットーは,地理的分布の上ではま た全国的ともいえるような性格をもっている。(第2節と第9節を参照。)

 ④ マキ・マケは,このように東目本地方に強い勢力をもった便書である。,

しかし,これが国語更的にいってどのような素姓をもったことばなのかは,残 念ながら,現在のわたしには余りにも不明の点が多い。

 平安時代以後にできたわが国の古い辞書を次のようなものによって調べてみ たが,現在わたしが問題にしている同族の意味のマキ・マケは,見つからなか

った。

  中田祝夫氏・峰岸明細共編  r色葉字類抄 研究並に索引 本文・索引、

       篇』   昭不039年   正宗敦夫氏編  『類聚名義抄 全2巻』 昭和29年

  京都大学密語学・国文学研究室編 r諸本集成倭名類聚抄 索引篇3       昭和43年

  車轍昭騙『正宗文麟牒総刺1』昭秘3年   ,

  土井忠生氏解題 継歯辞書』 昭和35年

  パジエス編 『臼仏辞典』 昭額28年

   時代が下って,江戸時代にはいってからの辞書である次の二つにも,同 族の意味のマキ。マケは,見出し語にはない。

   井上頼重氏増補  『和訓栞』 明治38年     同  上   『物言集覧』 絹治33年

  また,福井久蔵忌門の『国語学大系 第19巻・第20巻』(昭和13年・

 15年)に収録されている次のような江戸時代の方言書の揚合も,服部武喬の  『御国通辞』を除いては,ほかのどれにものっていない。

   安原貞室 rかたこと 5巻』 慶安3年

   著者不明 『志布可起 6巻』

   由本格安 9尾張方言 1巻』 寛延元年

   猪苗代兼郁  『仙台言葉以呂波寄 1巻』 享保5年       一84一

 服部武喬 『御国通辞 1巻』 寛政2年  中山信名  『常陸方言 1巻』

 著者不明 『登古路言葉 1巻』

 竹中邦香 『加賀なまり 1巻』

 著者不明  『新撰大阪詞大全 1巻』

 香川叢麗  『秋長夜馬丁 1巻』

三智野外  『他所問答 1巻』

著者不明 『筑紫方言 !巻』

永眠穂積  r菊地俗言考 2巻』

 同じ江戸時代の方書書である次の二つにも,マキ・マケはのっていない。

  越谷開山 『物類称呼』 安永4年

  堀季雄 『浜荻』 明和4年

 このほか『岩波古典文学大系 金!00巻』の総索引や,上代語辞典編集委員 会編r時代別国語辞典 上代編』(昭和42年)のような辞典も調べたが,この 飼族の意味でのマキ・マケは見当たらなかった。

 社会学辞典は,マキ・マケを本家・分家の集団である岡族を表わす古くから の呼び名である,とはいっている。しかし,それがどの程度の古さにまで贈り

うるものなのかについては,もちろん全く触れていない。

 結局,わたしがこれまで参照した江戸時代以前の辞書や方言書の中で,環在 糊題にしているマキ・マケを収録してあったのは,服部武喬のll御顯通辞』

(寛政2年)の1冊だけであった。マキ・マケの国語史的な素姓は,現在のと

、ころわたしにとっては,はなはだ不明なのである。

 ⑤これに対して,イッケとイットーは,その素姓がきわめてはっきりして いる。イッケは「一家」, そしてイットーは「一統」と,両者ともに根はまち がいなく漢語にある。諸橋徹勢門の大漢和辞典をみると,r一家(イッケ)」

は,「一家・一派・一門の意。」 とあり,それには「大乗義章」を出典とする 用例がついている。また,「一統」は, 「ひとすぢ。又,一つの系統。」 の意

之して,それには「史記」などを嵐典とする用例がついている。

この「_刎とr_統塗がいつごろ繍・國にはいってきたのかは,知らな

一85一

い。しかし,前田勇三編『近世一上方語欝典』 (下灘39年)には,次のような三 下がある。

      たとへ

  いつけ〔一家〕 親族。親類。延享二年・夏祭浪花鑑九1『仮一家で有う      が,女房で有うが,肌の赦されぬ時節」 元治前後・人情穴探意の        いつけ

     裡四三「モフ大ふん一家うちへも水が回ってあると見えます」

  いっとう〔一統〕 一岡。皆々。元治前後・穴さがし心の内そと初「旧い       つとうに召上らぬか」 元治前後・ことわざ瞬の宿替七「どなた       いっとう

      も一統に御苦労でございます」………

 また,鈴木勝忠氏編『雑俳語辞典』(昭和43年)には,次のようにある。

  いつけ 一家 一族。江戸 元禄15 もみち笠「そろふたり・三等対は絵       の一家」 上方 寛政8 ちへ袋「百姓の隣i大かた濃い一家」

      上方 文化11 かがみ磨「いそいそと 一家に花のあるむすめ」

  いつけだいしょ一 一家大将 一族の主。 上方 寛政7 折句柱「果報       もの 一一・taR大将と成りにけり」

 前にあげた竹中邦香編r撫賀なまりSにも,次のような記述がある。

  イッケ 一嫁。親類ヲー家ト云フ野々ナリ。一家トハ姓ノ異ナルニ用ル語       ニアフス。

 服部武喬編騰咽通辞』からも,イッケが当時の江戸で使用されていたこと がわかる。(36ページを参照。)

 このように見てくると,イッケやイット 一一は,江戸時代では,江戸や上方な どでも庶民のことばとして広く使用されていたことがわかる。

 ⑥ さて,マキ・マケの国語史的な素姓は,以上に述べたように,文献資料 の上では現在のところはなはだ不開である。しかし,わたしは,マキ・マケを イッケ・イットーと姥べた場合,やはり歴史的にはマキ・マケのほうがイッケ

・イットrよりも古いのではあるまいか,と推測する。そのように推測する根 拠にはもちろん決定的なものはないが,あげれば,次のようなものである。

 (1)マキ・マケの語源は,正野のところわからない。しかし,柳田国男氏が このマキ・マケに「巻」 という漢字表記を与えていることからもわかるよう に, 7・・i.マケは,やは晴くからの躰語の臨講巻く」に関蜘・あること

一 86