得していくときとは明らかに性質が異なっている。
オンツァeオトッツァ・オトに限らず,一一般に血縁,またな婚姻ということ を契機としてある個人と他のある綱人との聞に存在する関係をさし示す語,別 の見方をすれば,他のある個人とそのような関係においてとらえられたある個 入をさし示す語(これをわたしたちは,ふつう親族語とか親族名称といってい る。) は,すべてこのような性質をもっている。したがって,個人と個入との 糊に存在する関係そのもの,または,その関係の上でとらえられた漢人をさし 示す親族名称を習得していくことは,ことばを覚えはじめたばかりの幼児にと っては,トンボ・ネコ・イヌ……などなどの実体そのものをさし示す単語を習 得していくことよりも,はるかにむずかしいはずである。ことばを覚えはじめ たばかりの幼児にとっては,自分をとりまく何人かの人間の中の,ある特定の 個人がなぜ自分にとってオトーサン・オトッッァ・オトであり,それと容貌・
体つきがあまり異なっていない他の特定の個入がなぜオジサン・オンツァであ るのか,などということは,到底理解ができないことである。そういう理屈は いっさいぬきにして,幼児曝,周囲の入闇たちがある特定の個人をさし示して それにはオトーサンという音声を,そして他の特定の綴人をさし示してそれに はオジサンという音声を使うことを教えてくれるから,そのようにすることを 覚えていくだけのことである。
仮にここに甲掛があって,その家族構成第6図 A B
は,右の第6図に示すようなものだとする。・雄針勝事の購の認活で1・e△ sO
次のような親族名称の使い方,それに1人遅 の代名詞ボクの使い方がなされることが珍し
くないだろう。 l F
C(・D) sE (・ F) A A
「オトーサン(。オカーーサン)ガ
ロ・・一。」
A C B) 一E (e F)
「オジーチャン(・オバーチャン)ガ オ前(。ボク)ニ 一 14.7. 一
兄弟 くく ここ 父母 すす 祖祖父母むむ 繍瓢﹇︸=== .ABCDEF
ヤロー。j
E一一一一,F
「オニーチヤンガオ前二本ヲ 読ンデヤロー。J
E・Fにおじ・おばが居るとすると,このおじ・おばも,おいであるE・F
に対して,次のようにいうだろう。「オジチャン(・オバチャン)ガオ前(・ボク)二本ヲ読ンデヤ
ロー。」
親が子どもに向かって,自分たちのことをさし示すのに1人称の代名詞を使 わないで,オトーサン・オカーサンという語を使うのは,いうまでもなく親が 自分の立場ではなく,子どもの立揚に立っているからである。祖父母が孫に向、
かって,また,兄が弟に向かって,おじ・おばがおい・めいに向かって,それ.
それ自分たちのことをさし示すのに1人称の代名詞を使わずに,オジーーチャン
・オバーチャン,オニーチャン,オジチャン・オバチャンという語を使ってさ し示すのも,同じように,それぞれ自分たちの立揚ではなく,聞き手である孫
・弟・おい・めいの立揚に立っているからである。
第6図で,C・Dは, E・Fに向かっての発話の中で,自分の父母であるA
・Bをさし示すのに,また,E・Fを前にしてA・Bに臨接呼びかけたりする
のに,オジーチャン・オバーチャンという語を使うことも多い。これも,C・Dが自分たちの立揚ではなく,子どものE・Fの立揚に立っているからであ
る。
「オジーチャン(・オバーチャン)二本ヲ 読ンデモライナサイ。」
「オジーチャン,コノ子二本ヲ 読ンデヤッテ下サイ。」
また,親。祖父母・おじ。おばなどに限らず,一般におとなが幼少の子ども に向かっての発話の中でその子どもたちをさし示したり,直接呼びかけたりす る9)に,その子どもたちの人名や2人称の代名詞などを使わずに,ボクという 1人称の代名詞を使うことが,このごろの都会人の言語生活の中ではかなり見 うけられる。たとえば,第6図で次のようにいうが如きである。
C・D(親)一→E(むすご)
「ボク,オリコーダカラ 灰皿 持ッテ 来テ。」
一 143 一
「ボクワ カレーライスガ 好キ?」
幼稚園や小学校などでは,教師・応長・校長などは,園児や児童に向かって の発話の中で,それぞれ自分たちのことをさし示すのに,多くの揚合1人称の 代名詞を使わない。それぞれ自分たちのことを「先生が酬」r園長先生は〜」
「校長先生は〜」といっていることが多い。
「園長先生(・校長先生)ワ 皆サンノ 元気ナ 己顔ヲ 見ルコトガ 出来テ タイヘンユ ウレシイデスal
オトーサン・磁石ーサン。オジーチャン。オバーチャン,それにオジチャン
・オバチャン・オニ 一一チャンなどのいわゆる親族関係をさし示す語(親族語),
聞き手や第3者との関係において話し手が自分自身をさし示すボクという1人 称の代名詞,それに,先生・園長先生・校長先生など,他との関係におけるあ る種のstatusをさし示す語は,その用法上の特色として主に年少の子どもを 対象とした言語生活の場で,以上に述べたような用法をもっている。このこと は,年少の子どもにとっては,これらの関係を表わす語を習得することが,た とえばトンボという昆虫をさしてトンボという語を轡得していくような場合に 比して,たいへんむずかしいのだ,ということを示している。親族名称やボク
・先生などについての以上に述べた用法は,ある意味では,トンボという昆虫 をさしてトンボという語を習得するという,よりやさしい書語習得のプロセス への還元化をねらったものだともいえるだろう。
自分の実の父親をオトッツァ・オトではなく,オンツァという語で呼んでき たという子ども時代のK氏の事例は,幼児が本来たいへんにむずかしいはずの 親族語の習得に見事に失敗した一つの代表的な例であるといえる。
(B)それにしても,自分の実の父親をオンツァと呼んで,オト・オトッツァ とは呼ばなかったというのは,ことばの使い方としては,たいへんな聞違いで ある。おそらく,この広い世間にもそんなには多くはない,珍しい閥違いであ るかも知れない。したがって,それをオトッツァ・オトという,この地方の方 雷としては,ごくありふれた呼称の形式になおさねばならぬということは,誰
が考えても当然のことである。事柄の本質をようやく理解できるようになった K少年にとっても,このことは,おそらくきわめて単純かつ当然のことであっ 一 144 一
1たに違いない。
だが,それにも拘らず,K少年は,このきわめて単純かつ当然のことを実際 に行勤で示すことには,相当強い心理的抵抗や悪情的葛藤を経験したという。
このことは,家族や親族の内部で,特定の成員が他の特定の成員に対して子ど ものころからもっている呼称の形式は,その人の生涯の中で,これを他の形式 に変えようと思っても,なかなかそうすることができないということを示して
いる。家族・親族の内部での親族呼称や名称は,本来このような性質をもって v tsる。上に報告したK氏の話は,その典型的な一つの例であるといえるだろ
う。
一一謔Sり一
2. 福島県伊達郡保原町の渡辺治作家の親族呼称
(1)昭隷20年代後半ごろまでの渡辺家の親族呼称
前節で報告したことを出発点として,これから福島県{≠達郡保原町字東台後 71番地・農業・渡辺治作家の親子・祖父母:・寝たちなどの親族呼称について,
くわしく事例研究をしてみたい。事例研究にはいる前に,親族呼称と親族名称 ということばを一往次のように定義しておく。
親族呼称(kinship term of address)一ある個入が自分と特定の親族関 係にある他の個人に呼びかける(to address)ときにだけ使用する言語形式を
その親族に対する親族呼称という。親族呼称になり得るのは,その親族がもっ ている人名(愛称・あだ名を含む)と,その親族に対して割りあてられている 親族名称の中の特定の形式だけである。
夫が妻に対して「オイ!」と呼びかけたり,妻が夫に対して「アンタ!」と か, 「アノ」とか「チョット」とかいって呼びかけることがあるが,これらの 呼びかけの形式は,ここでは,親族呼称とは考えない。なぜなら,これらの形 式は,夫が妻に対して,また,妻が夫に対して,それぞれ呼びかけるときにだ け使用されるものではない。妻以外,夫以外の人智に呼びかける揚合にも使用 される形式であるからだ。
親族名称(kinship term of referenc)一ある個人が自分と特定の親族 関係にある他の個入をその特定の親族関係という観点から言及(to refer)す るときに使用する言語形式,つまり血縁,または婚姻ということを契機として て,ある個人の他のある個人との問に存在する関係をさし示す言語形式を親族 名称という。
ここで,「ある個人が自分と特定の親族関係にある他の個入をその特定の親 族関係〜」といってしまったが,親族関係,つまり血縁・婚姻関係の単位をな すものは,個人のほかに家もあるということをつ1ナ加えておきたい。つまり本 家・分家・大本家・孫分家・隠居……なども,立派な親族名称であると考え
る。